セピアな思い出∫泣ける話 第2話back

セピアな思い出∫泣ける話 第2話


続き・詳細・画像をみる


セピアな思い出。感傷的な気持ちにさせてくれる話をうp汁!!みんなでしみじみ泣こうじゃないか!!
前スレ
セピアな思い出∫泣ける話
http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/sepia/1076319536/
保守をサボっていたら前スレがなくなってしまったので、建てました。
21: 大人になった
俺の祖父は医者だった。
っていっても金はなく家はボロボロで食事なんか庭の野菜とお茶漬けと患者さんからの頂き物だけ。
毎朝4時に起きて身寄りのいない体の不自由なお年寄りの家を診察時間になるまで何件も往診して回る。
診察時間になると戻ってきて待合室に入りきらないで外まで並んでる患者さんを診察していく。
昼休みはおにぎりを片手にまた往診。
午後の診察をこなし食事をすませてまた往診。
夜中に玄関口に患者が来たり電話があればいつでも駆けつける。
一年365日休みなど無かった。
自分の体調が悪くなっても自分を必要としている人がいるからと病院にもいかず診療を続け無理矢理家族に
病院に連れて行かれた時にはもう手遅れ。
末期がんだった。
でもどうせ治らないなら入院はしないと痛みをごまかし死ぬ間際まで往診続けてた。
遺産なんか何もなし。残ったのはボロボロの家だけ。
聞けば治療費を支払えない人ばかりを診察・往診していてほとんど収入なんか無かったんだって。
でも葬式のとき驚いた。
患者だけで1000人ぐらい弔問に訪れ、中には車椅子の人や付き添いの人に背負われながら来る人もいた。
みんな涙をボロボロ流して「先生ありがとう、ありがとう」と拝んでいた。
毎年命日には年々みんな亡くなっていくからか数は少なくなってきてはいるけど患者さんたちが焼香に訪れる。
かつて治療費を支払えず無償で診ていた人から毎月何通も現金書留が届く。
いつも忙しくしてたから遊んだ記憶、甘えた記憶など数えるぐらいしかないけど今でも強烈に思い出すことがある。
22: 大人になった
それは俺が厨房のときに悪に憧れて万引きだの、恐喝だの繰り返していたとき。
万引きして店員につかまって親の連絡先を教えろと言われて親はいないと嘘ついてどうせじいちゃんは往診でいないだろ
と思ってじいちゃんの連絡先を告げた。
そしたらどこをどう伝わったのか知らないけどすぐに白衣着たじいちゃんが店に飛び込んできた。
店に着くなり床に頭をこすりつけて「すいません、すいません。」と土下座してた。
自慢だったじいちゃんのそんな無様な姿を見て自分が本当に情けなくなって俺も涙流しながらいつの間にか一緒に土下座してた。
帰り道はずっと無言だった。
怒られるでも、何か聞かれるでもなくただただ無言。
逆にそれがつらかった。
家にもうすぐ着くというときふいにじいちゃんが「おまえ酒飲んだことあるか?」と聞いてきた。
「無い」と言うとじいちゃんは「よし、着いて来い」と一言言ってスタスタ歩いていった。
着いた先はスナックみたいなところ。そこでガンガン酒飲まされた。
普段仕事しているところしか見た事がないじいちゃんが酒飲むのを見るのも、なによりこんなとこにいる自体なんだか不思議だった。
二人とも結構酔っ払って帰る道すがら川沿いに腰掛けて休憩してたらじいちゃんがポツリと
「じいちゃんは仕事しか知らないからなぁ。おまえは悪いことも良い事もいっぱい体験できててうらやましい。
お前は男だ。悪いことしたくなることもあるだろう。どんなに悪いことをしても良い。ただ筋の通らない悪さはするな。」
と言われてなんだか緊張の糸が切れてずっと涙が止まらなかった。
それから俺の人生が変わった気がする。
じいちゃんのような医者になるって決めて必死で勉強してもともと頭はそんなに良くは無いから二浪したけど国立の医学部に合格した。
今年晴れて医学部を卒業しました。
じいちゃんが残してくれたボロボロの家のほかにもうひとつ残してくれたもの。
毎日首にかけていた聴診器。あの土下座してたときも首にかかっていた聴診器。
その聴診器をやっと使えるときがきた。
さび付いてるけど俺の宝物。
俺もじいちゃんみたいな医者になろうと思う。
長文失礼しました。

23: 大人になった
>>22
じいちゃんを超える医者になれ。それが何よりの供養だ。
そして、いい話をありがとう。
26: 大人になった
>>22
泣いたよ。
頑張って良い医者になれよ。
29: 大人になった
先日ばあちゃんが亡くなりました。
俺は今実家を離れて学校に通っているので、夜中に電話でその事を伝えられました。
俺が高校の時に足を悪くして以来、ずっと車椅子だったばあちゃん。
丁度その位から手術やらを何回もするようになって、一気に体調を崩し始めた気がする。
ばあちゃんと俺は昔は仲がよかった。
けど、大人になっていくにつれ何故だかばあちゃんとうまく話せなくなってきた。
目上と話すのに気を使ってしまうようになってしまっていたから、ばあちゃん話すのを避けていたのかもしれない。
いつのまにか、俺は自分からばあちゃんに話し掛けなくなっていた。
30: 大人になった
今年になってすぐ、母から電話。
ばあちゃんはもう長くないかもしれないと伝えられた。
医者の見立てでは、延命措置をとってもあまり変わらないかもしれないとのこと。
母は医者にその事を聞かされたとき
「延命処置するのと何もしないなら、どっちが楽ですか?」
と尋ねたらしい。
ばあちゃんは母にとっての実母。ばあちゃんが歩けなくなってからは、母は懸命にばあちゃんの面倒をみてた。
自分の睡眠時間を削って、夜中に何度も起きていたのを知っている。
母は体が丈夫ではなく、久しぶりに会ったりすると、はっきりと体調の悪さがわかった。
父は義母であるばあちゃんの介護にはノータッチだったが、母は何の文句も言わず1人で面倒を見てた。
俺自身夏休みに実家に帰っても遊んでばかりで、何も手伝ったりしていなかった。
俺は電話でばあちゃんの話を聞いた時、そんな資格もないのに
「延命措置を取ればもしかしたらまだ生きれるんじゃないか」
と母に意見した。何も手伝ってない俺には言えた事ではなかったが、母は穏やかな口調で
「今の治療でさえ大変やのに、延命措置を取ったらますます苦しくなる。
変わらんなら、おばあちゃんをもう苦しめたくないんよ」
と言った。
ばあちゃんの大変さをわかっている母だから言える言葉だった。
31: 大人になった
母の電話を受けてから俺はすぐに実家へ帰った。
ばあちゃんに会えるのはこれが最後かもしれないと思ったから。
母は電話で、今のばあちゃんを見たらびっくりすると言っていたが、本当に驚いた。
ばあちゃんは綺麗な人だったが、体は痩せ細り頬はこけ、目は虚ろで、人相が随分変わっていた。
聞けば、ここ数日何も話さず、家族の顔も認識していないらしい。
病は気からという言葉は本当で、あまり人と話さず刺激がないため、一気に症状が進行したのだ。
ばあちゃんはもう、自分で物を食べる事もベッドから起きる事もできなくなっていた。
こんなになるまで俺は何もしてこなかったんだ。後悔した。
俺は実家にいるあいだずっとばあちゃんに話し掛けた。
そして先日。ばあちゃんは亡くなった。桜が丁度満開になって、温かくなってきた時だった。
32: 大人になった
通夜の前にばあちゃんの顔が見たくて、急いで実家に戻った。
化粧をしてもらい綺麗な顔。お気に入りの着物を着てばあちゃんは静かに寝てた。
覚悟してたし、ばあちゃんの姿見ても泣かないかなと思ってたけど、すぐ涙でてきた。
心の中で、
「ばあちゃんごめんね、ごめん。ずっと何もできなくてごめん」
何度も謝った。
通夜と葬式でアホほど泣いたけど、喪主だった母の葬式の挨拶がいつまでも心に残った。
「母は足を悪くして以来、車椅子での生活でした。
不便な生活を強いられ、不満もあったと思います。
体調を崩してからは、食事も色々と制限され、大好きなお茶も飲めなくなり、恨めしい顔をされたこともありました。
それでも、苦しい闘病生活に弱虫で泣き虫だった母が泣き言を言わず耐えてくれました。
苦しまず楽に最期を迎えられたのがせめてもの救いです。
丁度去年の今頃、母と2人でお弁当を持って花見に行きました。とてもきれいな桜で、母と2人で来年も見に来ようねと話しておりました。
ありがたい事に、戒名に春と光という文字を頂きました。
今頃母は車椅子から解放され
あー、やれやれ、やっとやわ
と言いながら、春の光の中を、自分の足で歩きながら桜を眺めていると思います」
泣きながら話す母の姿に、涙が止まらなかった。
33: 大人になった
昨日色々片付けをしてると、母が何やら届いた荷物を開けていました。
何が入っているのか見てみるとそれは、カロリーを取るための桃のジュースや、血圧をあげるゼリーなど
食事制限で好きなお菓子なんかが食べれないばあちゃんのために母が注文していた商品でした。
「あー、これ全部そうやわ
間に合わんかったなー」
と苦笑いの母がとても寂しそうに見えました。
高校の時から音楽の道に進むと決めていた俺をばあちゃんは応援してくれて
「うちの孫は将来歌手になるんよー」
ってよくご近所に自慢してたっけ。
俺がもっと話し掛けて一緒に笑ってたら、ばあちゃんまだ元気だったかな?
ずっと後悔してます。
つまらない話を長々と書いてすいませんでした。
どこかにこのモヤモヤした気持ちを吐き出したかったんです。
37: 大人になった
俺の一才下の妹は、よく出来たヤツだった。
成績が、とかじゃなく人間的にっていうか。
明るいし、誰とでもすぐ仲良くなれる。「M(妹)ちゃんはええねえ!
いつもニコニコして元気で優しくてなぁ!」と近所や学校でも褒めちぎられ
る事なんてザラだ。そのうえ顔も可愛い。
一方の俺は鉄男経由のアニヲタで、俯きがちの根暗で、友人も極少、赤面症の
ダメ人間www「ほんまあのMの兄ちゃんなんか?」「お前なんか捨て子や!」
とからかわれる事もあったし、妹の同級生からも「こんなお兄ちゃんでM
ちゃん可哀想やわ?」「気持ち悪い?」と笑われた。
だから俺は、かなり妹に辛くあたっていた。
お前がそんなんだから、俺のアラが目だつんだ。お前さえいなけりゃ。
「金輪際、俺の妹だって言うなよ!」
そう言った事もあった。妹は泣きそうな顔をして、何も言わなかった。
妹はよく俺の事を友人に言っていたのだ。
「Iくん(俺の名前。妹は昔から俺を”くん”付けで呼ぶ)って超頭いい
の!何でも知ってるんだから!」
と、自慢していた。確かに俺は成績はよかった。勉強が好きだったから。
だが俺には、妹のその行動が皮肉にしか思えなかった。どうせ俺はガリ勉だ
よ、そう言いたいんだろ、お前みたいに友達が多くないから、勉強のが楽し
いんだよ…!
俺はそんな考えしかもてないような捻くれたダメ人間だった。
そんな中、イジメが悪化した。
(続く)
 
38: 大人になった
当初、幼い頃から外国にいたせいか、いまいち日本語や日本特有のカスタム
に慣れていなかったため「ガイジン!」や「非国民!」などとからか
われていた(これらは妹も言われていた)。俺は受け流せずに心を閉ざして
しまっていた。西の田舎の方だったので閉鎖的な文化があったのかもしれない。
俺は日本人そのものを嫌悪するようになっていたのだ。だから言い返さなか
ったし、無反応を決め込んでいた。
だが、そのうち「からかい」では済まなくなっていった。
詳細は省くが、とにかく俺がとある件の「犯人」にしたてあげられた
のだ。いくら俺が違うと叫んでも、誰も聞いてくれない。
「お前しかおらんやん!」「白状せえ!」「ガイジンは手癖が悪くて
かなわんな」「キャハハハハ!」
怒鳴り声、高圧的な笑い声、教師も疑わしげな表情をしている。まあ、
普段から無愛想で、「お前らの事なんて好きじゃねえよ」的オーラを出
している男子を信じろっていうのも無理な話かもしれないが。
皆の怒号と注がれる軽蔑の眼差しに耐え切れずに、俺は教室を飛び出そ
うとする。「逃げんなや!」男子がそれを阻む。「最低やな」女子がヒソ
ヒソとこちらを見ながら言う。気が狂いそうだった。周りがみんな敵なの
だと悟る。パニック障害の発作が出そうだった。
その時。
「Iくん、帰ろ!」
の声とともにドアを開け放ったのは…
目に涙をためて、顔を真っ赤にした、妹、だった。
ランドセルも背負わず、体操着のまま、今にも泣き出しそうな顔で俺に
手を差し出す妹の姿を、俺は忘れる事は無いだろう。
俺は、吸い込まれるように妹の手を取った。妹はぎゅっと握り返して
きた。そして、クラス中をキッと睨みつけ、
「you people are so pathetic!! screw you!!」(アンタら最低よ!
みたいな意味ですな。ホントはもっと汚い言葉を使ってたwww)
と泣き叫んで、俺の手をひいて駆け出した。上履きのまま、学校の外
へ出て家へとそのまま走った。おいおい授業中だぞ、と思うくらいに
俺は落ち着いていた。パニック障害の発作も引っ込んだようだった。
(続く)
39: 大人になった
その後もたいへんだった。家にたどり着いた妹は母親に泣きながら抱きつき、
英語で(この時期妹は興奮すると英語しか出てこなかった)泣き叫んでいた。
だが母親は英語がそこまで分からないので「?」。
担任や校長が説明に来ると、妹がいちいち噛み付く。
「Iくんを庇わなかったくせに!」
「男子が乱暴していたのに止めなかったくせに!」
「「ガイジン」って言われてるのに、何も注意しないくせに!」
妹の怒りは凄まじく、当の俺は隣で黙っていた。本当に情けない兄貴だ。
妹が、言いたい事を全部言ってくれている。あんな下らない疑いを一片
たりとも信じず、俺を信じている。少しも疑っていない。
妹はたまたま体育の帰り道に俺の教室の前を通ったらしく、その際に教室
の騒ぎを聞きつけて、飛び込んだらしい。Iくんがそんな事する筈が無い
と。ひどい、と。上級生の教室なんて入るのも恐いだろうに…。
「ヒッ」
隣で突然、妹の喉が鳴った。そしてそのまま床に倒れた。びくっと身体が
大きく震えた。
「M子!」
俺は妹に駆け寄る。泡を吹いている。息が出来なくなると思い、俺は必死
に泡をぬぐった。それでも泡は出てくる。俺はぬぐう。俺は泣きながら
「死ぬな!」と叫びながらぬぐっていた。
(続く)
40: 大人になった
妹はひきつけを起こしていただけだった。子供はよく起こすらしい。
だが病院のベッドに横たわる妹の顔色は悪く、俺は傍を離れなかった。
両親も傍にいた。
妹も、住み慣れたのんびりした国(豪州)からいきなり日本に移住し
て、相当のストレスを溜め込んでいたらしい。無理していたのだろう。
自分だけでもたいへんなのに、情けない兄貴は苛められているときてい
る…。俺の事をからかわれて、喧嘩をして怪我をする事も多かったのだ
とその時母に知らされた。
「Iくんは優しいからね、人をぶてないからね。私がぶつの」
そう言っていたらしい。
俺は泣いた。
妹の優しさに。思いやりに。こんな兄貴なのに全幅の信頼を寄せてくれ
ている事に。俺自身よりも俺を信じていてくれることに。あんなに酷い
事を言ったのに、変わらず俺を慕ってくれることに。
なんて大きな存在なんだろう、と俺は思った。震えが来る程だった。
こんなに小さい妹なのに、何てでかい存在だ…。
大切にしなければいけない、と俺はその時明確に、強く思った。
いや、誓った。
本来なら、俺が守るべきなんだ。
その後、転勤族の我が家はアルゼンチンに数年滞在し、東京へと落ち着い
た。東京では、俺はすんなりとなじめた。やはり俺にとって、日本の田舎
は恐怖だ。東京は、よそものに優しい。生粋の東京人は、よそものを受け
入れるのに慣れているからだろう。
俺は恐らく、日本で住めるのは東京か横浜だけだ。あとの場所に住むく
らいなら北京に住むってくらい。
そんな俺たちは、高校生になった。
(続く)
42: 大人になった
友人もぼちぼち出来て(といっても秋葉原でしか自分を解放出来ないアニヲタども
のみなのだがwww)、俺は穏やかな日々を送っていた。相変わらず自分に自信は
なかったが。
東京で、俺は中高一貫の男子校に、妹も中高一貫の女子校に進学した。
二人とも一応、都内では名の通った進学校、いわゆる御三家だ。妹は頭が良い方で
はあったが、御三家に受かるまでとは思わなかった。唯一勝っていた勉強ですら抜
かれるのでは…などと心配するほどに、俺は情けないままだった。
俺が守るなんて誓っておいて、俺はなんにも行動に移せていなかった。
妹はあのまま成長した。優しく明るくよく笑う、東京でも彼女は評判のいい娘
さんだ。ちょっと服装は派手になったが(茶髪にピアス)、それを感じさせな
い程におおらかで素直だった。
ある日の事。
家に帰ると、玄関に靴が綺麗にたくさん並べてあった。そして二階からはキャッ
キャッと明るい笑い声。そこへおめかしした母が現れ、
「あらI、お帰り。あのね、Mのお友達が来てるんだけど、ママは今日パパとご飯
食べにいくのよ。だから夕飯、ピザが出前とっていいからあの子達と食べちゃって
ねー」
予算は一万円よ、などと言いながら母は出て行ってしまった。
俺はその場に固まった。
妹の友人は、写真で見た事がある。華やかで可愛い、長いセーターに短いスカー
トの今時の子達だった。頭もよくて可愛い、私達が世界の中心よと、自信に満ち
溢れた、気の強そうな女の子達だった。
恐い。
そう思うと同時に、妹が不憫になった。こんなキモイ兄貴がいるって分かった
ら、友人達に引かれるだろう。妹だって嫌だろう。
このまま連れの家に行こう。
妹も恥ずかしいに違いない。あんな華やかな妹に、こんなヲタで気弱でダメな
兄貴なんて似合わない。
そう思ってドアに手をかけた瞬間、
「あれ?」
背後から声がした。
43: 大人になった
(↑の続き)
そこにいたのは、妹とその友人と思しき人だった。妹と同じで、気が強そうで
華やかで、パッチリした目をしていた。
やばい。早く逃げなきゃ。
俺は自分の家なのにも関わらず「し、失礼します」とボソリと言って出ていこ
うとした。
「Iくん! お帰りー!!」
妹はいつも通りに右手を高々とあげて駆け寄ってきた。その声に、他の友人達
も二階から降りてきた。ポカンとした顔をして、こっちを見ている。
馬鹿だな、お前何やってんだよ…こんな貧相でキモイ情けない兄貴がいるの嫌だ
ろうって思って静かに出て行こうとしてんのに!何でそんな笑顔で駆け寄ってく
るんだよ。何で俺の腕つかんで家にあげようとすんだよ。
「これ、私のお兄ちゃん!」じゃねえよ、近所の兄ちゃんですって言い訳も出来
なくなっちまったろうが。
その時、クスっと、友人達が笑った。
あたまの中が真っ白になる。
ほらみろほらみろ!言われるぞ!「つかアンタの兄貴きもくね?」「やばいって
もしかしてオタクってやつ?」「笑えるんだけど!!」とかって言われるぞ…
ごめんごめんごめんよM子、もっと早く出て行けばよかった―――
「M子、いい年してお兄ちゃんを”君”付けすんなよー!」
「I君なんて呼ぶから親公認の彼氏かと思ったんだけど、お兄ちゃんかよww」
「マジビビったわ。普通に二股じゃん、って思っちゃった」
と彼女たちはコロコロ笑った。
妹が俺の事を名前で呼ぶものだから、どうやら彼氏だと誤解したらしい。
というか妹は彼氏がいたのだな…まあいてもおかしくはないが。
複雑な思いだったが、妹が全く恥ずかしがらずに、普通に俺を兄だと紹介してく
れた事に、俺は何だかとても嬉しくなると同時に、恥ずかしくなった。
俺は、妹を疑っていたのだ。この期に及んで。
44: 大人になった
家の外で俺を褒めるのも、俺に同情しているから。
俺によく勉強の質問をしてくるのも、プライドだけは無駄に高い俺に気を遣って
いるから。
俺に何かと相談事を持ちかけてくるのも、兄貴を立てようと思っての事だと。
捻くれたダメ人間の俺は、何処かそう考えていた。
妹も、本心では俺を見下しているに違いない。恥ずかしがっているに違いない。
きもいって思ってるんだろう。ダメな人間だと思っているんだろうって。
あの時、上級生の教室に勇気を出して入ってきてくれたっていうのに。
担任と教頭っていう大の大人相手に怒鳴りつけてくれたっていうのに。
引きつけを起こすくらいに、怒ってくれたのに。泣いてくれたのに。
俺のために。
そこまでしてくれたのに、俺は妹を疑っていたんだ。
ごめんな。
甘くみてたよ、お前のこと。
こんなダメ人間でも、お前は愛してくれんだな。
俺はその日の夜、妹たちに好きなだけ出前をとらせた。
「予算あるんじゃないの?」
妹が心配そうだが、気にするな、足が出た分は兄ちゃんが払ってやる!
それを聞いた友人達も「おとこまえー!!」「さすがMの兄ちゃん!!」と嬉
しそうだった。
結局その晩は予算の二倍遣ってしまった…。
でもその後、妹とその友人達から連名でプレゼントを貰ったので、まぁいいか。
45: 大人になった
妹の存在を大きさを再確認した後、俺は変わらなければと思った。
部活に入った。
試合に出られる事はあんまり無かったけど、妹が応援に来てくれるのが
嬉しかった。でも試合会場でナンパされたり、部活仲間に話題にされて
ばかりだったから心配だった。でも、「俺の妹だ」っていうのが誇らし
かった。
人前に出るバイトを始めた。
どもる癖と赤面症で苦労したけど、妹になんか高いものを買ってやりた
かったので頑張った。今までも誕生日とクリスマスはちょっとしたもの
(花とかぬいぐるみとか)をあげてたけど、その時は2万の香水セット
を買った。デパートのお姉さんと一緒に見繕った。sweet sixteenだった
ので特別なものをあげたかった。
妹は「ギャー!!」と叫んで喜んでたwww
その後、お互い大学生になって、俺は院に、妹が勤めだした。
大手商社の総合職。営業。
まさか妹が先に家に金を入れるようになるとはなwww
相変わらずのダメ兄貴だw
仕事の悩みなんて当時の俺には分からなかったけど、研究で遅くなって
家に帰ると、妹が食卓で難しい顔をして座り込んでいる事がしばしば
あった。俺は人の話を聞くのも話をするのも上手くないから、何もアド
バイスは出来なかった。だからお土産に買って帰ったコンビニのケーキ
やアイスを「食うか」と言う事しか出来なかった。
時々泣いていたな、お前。泣きながらアイス食ってた。
そんなに辛いのか。だったらやめちまえ。どいつがお前を泣かしてんだ。
周りが悪いに決まってる。お前は悪くない。
そう言うと、妹は余計に泣いてしまった。
あわてた俺は、「そ、そそそ、そういえば、俺が今研究してる―――」
と何故か研究内容を話しだす始末www
バリバリ文系の妹に分かるわけねっつのwww
だけど妹は泣き笑いして聞いてくれた。
46: 大人になった
「M子さんは、よくお兄さんの話をするんですよ」
目の前の青年ははにかみながら、俺にそう言う。
「そうなんですか」
「はい。昔から何でもお兄さんに相談してたって。勉強にしたって何にしたっ
 て、とても丁寧に話を聞いてくれるんだって。小さい頃、周りの友人の兄ちゃ
 ん達は、妹や弟と叩いたりイジワルしたりしたけど、Iさんは絶対に自分にそ
 んな事しなかったって」
妹を叩く?んな事するわけないだろ。一体何処の世界に、妹を叩いたり意地悪す
る兄貴がいるっていうんだ。
「ふうん…」
「兄貴風をふかしてえらそうにしないで、おもちゃでもお菓子でも、何でも最
 初に選ばせてくれたって。穏やかで優しくて、何に関しても自分を優先してく
 れたと」
俺はそんなに物欲が無いんだよ。妹の方がお菓子が好きなんだし、そんなのは
当たり前だ。そんな事で俺を褒めるな…。
「へえ…」
「何があっても絶対に自分の味方でいてくれるから、相談するととても心強か
 った、だから何でも相談したんだって。頼りになる、自慢の兄貴だって、いつ
 もそういうんですよ」
妬けますよ、とそいつは笑った。
自慢の兄貴だって。
俺が?
笑わせるじゃないか、M子。
こんなに情けないダメ兄貴を捕まえて「自慢」?
26年間一緒に生きて、結論がそれか?ファイナルアンサー?
「だから、ご両親とは別に、別途お兄さんからお許しをいただきに参りました」
48: 大人になった
許すだ?
何を?
「M子さんを、僕に下さい」
…誰が許すか!!
だいたいお前、妹をどれくらい知ってんだ。お前が妹の何を知ってるって
言うんだなんにも知らないくせに何も知らねえだろうがあぁっ!!
こいつはな、結構だらしないぞ。人の服を勝手に寝巻きにしたり人が取
っておいたレア地ビールを勝手に飲んで酔っ払ってたりするしだな…
そ、それに結構わがままだぞ。人がやっとの思いでUFOキャッチャー
で取ったFFのキャラのぬいぐるみ、平気で自分のもんにしてるんだぞ。
しかも無断でだ!別にいいけど!
あと人がニュース見てるのに、勝手にバラエティにチャンネル変えて
「いいじゃーん」の一言で済ますんだぞ?
別にいいけど!
それと、俺も読みたいのに、新聞を会社に持ってっちまうんだぞ?
「コラ!」っつっても「ごみーん☆」で全部済ませるぞ??
あと、自分でホラー映画借りてきて恐くなったもんだからって、
「Iくんも一緒に起きてて!」って、俺はなぁ、研究続きで徹夜してた
んだぞ…!結局付き合ってしまったしな!
あとなあ、あいつは気が強そうに見えるけど、結構溜め込むからな。
ああいう一見明るいヤツの方が、俺みたいな準ひきこもりの甘ったれより
よっぽど我慢して苦労してんだからな。
あいつは簡単に弱音を吐かないからな、あいつが話し出したら最後まで
全部聞いてやれよ。口は挟むなよ。うんうん、って相槌だけ打て。
あいつが泣いたら、止めるな、泣かせてやれ。
人前であんまり泣けないヤツだから。
…つーかお前は泣かすなよ!
あとあと…そうだ、優しくしてやってくれよ。これ大事。
あいつはいい子なんだ。優しくされて当然なんだ。
M子さんは優しい…?ほざけ!お前は妹の優しさの1億分の一もまだ味
わっちゃいねーんだよ。あいつを甘く見るな。あいつの優しさはある意味
無敵だぞ?そのうえ無尽蔵ときてる。どれだけ俺が救われてきたと思って
んだゴラァ!!!
あと、最後に。
妹の愛情を全部信じてくれ。嘘みたいな、でかすぎる愛情を貰うだろうけど、
絶対に疑うな。あいつは冗談で人に好意を示すような人間じゃない。
黙って妹の愛に包まれてろ。
妹の笑顔を信じればいいんだ。
許婚の横で、M子、お前随分と幸せそうだな…
なんか泣いてるけど。
かすんで見えない。
49: 大人になった
先日、その妹の結婚式だった。
素晴らしい式だった。
教会に新婦が入ってきた時、「私は幸せです」と言わんばかりの笑顔に、何で
だろうな、皆が泣いて笑っていた。すごいな、お前の笑顔は。周りまで幸せに
してるんだな。
親父がすげえ泣いてたぞ。料理にほとんど手をつけず、酒ばかり煽ってた。
新郎が手紙を読んでる時も、おうおう泣いてて俺が支えてなきゃならんかった。
「一生大切にします」って言った時に、「当たり前だ…っ」ってぼやいてたww
俺は意外に冷静でいられた。
式には俺の顔見知りも何人かいたし、泣いたら格好がつかないからぐっと堪えて
いたのが事実なのだが。親父やおふくろが泣いていたから、逆に落ち着けていた
のかもしれない。
妹が両親への手紙を読む。もう親父がやばいww もう号泣。普段は寡黙で恐い男
なのに、「M子ぉ、M子ぉ、行くなぁ」って。子供みたいに。
「続いて、新婦より、新婦のお兄様へのお手紙です」
…へ?
俺は固まった。
普通、新婦が挨拶すんのは両親だろ。何だよ、今なんか、「お兄様」って言わ
れなかったか?
壇上を見ると、妹が、M子が、こっちを見ていた。泣いていた。
…何だよ。
「お兄さんへ」
何だよ、お兄さん、って。お前、そんな風に呼んだ事なかったじゃないか。
いつもIくんって呼んでたのに、何だよ、それ。
「私は今この瞬間も、お兄ちゃん離れが出来るかどうかが…とても心配です」
この時点でもう、妹の声は震えていた。
「社会に出て、私はいかにIくんに甘やかされていたかを知りました。
 Iくんは何でも私に譲ってくれていましたね。新しい家に引っ越した時、大
 きい部屋がいいと ごねる私に「うん、いいよ」と譲ってくれました。
 Iくんのモノなのに、私が「欲しい」と言うと、「いいよ」と何でもくれま
 した。小さい頃から、今の今まで、ずっとそうでした。
 人は私を我侭だといいますが、その原因の大半はIくんのせいですね」
おい、そこは笑うところだろ…? 泣いてちゃ駄目だろ。しっかり喋れよ…。
手が震えてるのが見える。
本当は人前が苦手なんだよな。知ってるぞ、俺。本当は上がり症なんだよな。
63: 大人になった
おれが保育園の頃、
保育園で自分ちのばあちゃんとおにぎり作って食べる会みたいなのがあった。
でも、うちのばあちゃんはそのちょっと前に亡くなってて俺だけばあちゃんがこなくて泣いてた。
そしたら知らないばあちゃんが一緒におにぎり作ってくれたんだ。そのばあちゃんも孫がいなっかたらしい。
ずっと泣いてる俺の頭なでながら、やさしく声掛けながら一緒におにぎり作って食べてくれた。
俺はなんだかうれしくてもっと泣けて来たな。
その時お礼言えなかったのがすごく悔しい。
69: 大人になった
来月俺は結婚する。相手は元付き合っていた彼女の妹です。元付き合っていた
彼女は2年前に天国に旅立った。彼女は母を幼いころに交通事故で亡くしそれ以来
父と妹と一生懸命に生きてきた。その父も他界してからは姉妹で暮らしていた。
俺が姉と出会ったのは大学合格後の春休みに一人旅に出たときだった。大阪から東北を1週間旅行
した。2日目に秋田の男鹿半島に向かった。春は近いというのに海は大荒れだった。
大荒れの中海沿いを歩いていると一人の女性が寂しそうに海を眺めていた。
「こんにちは」
と声をかけてみた。しかし気づかないのかただ海を眺めていた。なにかお祈りをしているかのような姿だった。
もう一度声をかけてみた。今度は俺のほうを見た。しかしその目はにらみつけるようだった。
「寒いですね」
続けてそう声をかけるとまた睨んできた。さすがに気まずくなって黙っていると女性は叫びだした。
「どうして!」
そういった。そして俺から離れようと駆け足でぬかるんだ道を走り去ったときだった。雪に滑って転んだ。
俺はあわてて駆け寄った。
「大丈夫ですか!」
そう声をかけた。今度はうつむいたまま黙っている。足を見るとどうやら捻挫をしたらしく一人で歩くと痛み
があるようだった。
「家はこの近くですか?」
そう聞いてもただうつむいていた。
70: 大人になった
だんだんと雪が強くなってきた。どうにかしてこの女性を近くの民家まで連れて行って応急処置をしてもらわなくてはならない。そう思って
彼女を見た瞬間だった。彼女は泣いていた。足が痛いから泣いているのか?泣く理由がわからなかった。
そして俺は決断した。
「僕におぶさってください。近くの民家に連れて行って手当てをしてもらいましょう」
そういうと少しびっくりしたような表情を見せた。雪が強くなってきたので彼女をお姫様抱っこするような感じで歩き始めた。
彼女を持ち上げたとき、ずいぶんと軽いと感じた。だから15分ほど吹雪の中を歩いていたのだがそれほど苦にはならなかった。
民家に行き、彼女の怪我の手当てをお願いした。民家にはおばあさんが一人だった。突然の訪問にもかかわらず傷の手当てをしてくれた。
しかも暖かいきりたんぽまでご馳走してくれた。
礼を言って民家を後にするとバス亭に向かった。彼女はこれからどうするのか聞いてみたがまったく言葉を発しなかった。ただ、俺がバス
で帰りますのでというと何も言わずについてきた。
バスに乗り込むと彼女が3つ前の席に座った。乗客は俺と彼女の2人だけだった。
バスは暗い夜道を海沿いに走っていた。窓の外には暗い冬の日本海の景色が見えていた。代わり映えのしない景色を彼女はじっと眺めていた。
その後姿を見ていろいろ考えてみた。この人はなぜあんな寂しいところで一人でいたのか、なぜ怒り出したと思えば泣いたりしたのか、わからなかった。
ただ彼女の姿を見ていると寂しさでいっぱいだった。無表情だった。
まさかこの人は自殺をしにきたのかと突拍子もないことを思った。そんな考えをあわてて否定した。
どんな理由があるにせよ、俺はこの人を家まで送ってあげようと思った。そしたらもうこの人と係わり合いになることもないだろう。
72: 大人になった
あるバス亭に近づいたときだった。彼女が降車ベルを押した。バスが止まるとゆっくりと前のドアに向かう。料金を払おうとして彼女が困っていた。
財布がないようだった。
「財布、転んだときに落としたんですかね?」
そう聞くとまたうつむいてしまった。俺は彼女の分の運賃も払ってバス停を降りた。
「家はこの近くですか?」
と聞くと彼女は1件の家を指差した。バス停から100メートル先の家まで肩を貸すような感じでゆっくりと歩いた。
家の玄関まで来た。どうやら一人暮らしのようだった。
「じゃあ俺はこれで失礼します」
というと無表情のまま何も言わずに家の中に入っていった。
俺はそこから近くの駅まで歩いていった。
とにかく変わった人だと思った。何も話をしないし、ずっと暗い表情だった。彼女に何があったのだろうか、何か悩みでもあるのなら
手助けになってあげたい、俺はなぜかそう思った。でも俺に何ができようというのか。秋田には旅行に来ているのであってあと5日もし
ないうちに京都に帰ってしまう。何かしてあげたいというのも彼女にとってはおせっかいなのかもしれない。
もう彼女は俺の名前も住所も知らない。彼女と会うことは二度とないだろうそう思った。
しかしこの5日後に偶然にも再会することとなるのであった。
79: 69 2008/06/01(日) 00:00:54 .net
72の続き
その後、青森、岩手を旅して最終日がやってきた。
朝6時に青森駅に到着した。ここから大阪まで走る特急に乗るためだ。
朝6時にあわただしく電車に乗った。車内は20%ぐらいの乗車率で空いていた。
電車は弘前、大館を停車して秋田を過ぎた。秋田を過ぎてまもなくトイレに行くために席を立った。
用を済ませて自分の席に戻ろうとするとき、背後から声をかけられた。
「こんにちは」
振り返ると見たこともないほどきれいな女の人がたっていた。単なる挨拶だろうと思い軽く挨拶をした。
「こんにちは」と返すと席に戻ろうとしたときだった。
「先日はどうも」
と女の人が言った。俺は目の前にいる人に見覚えがなかった。ポカ?んとしていると
「こんなところでまた会えるなんて偶然ですね」
はて、どこであったのかと考えている。
「私は...4日前に入道崎で助けていただいた。。。」
そういわれてもまだわからなかった。しばらくの沈黙の後、女性が少しうつむいた。
その表情で気がついた。
80: 69 2008/06/01(日) 00:25:34 .net
「ああ、あのときの人ですか」
「先日はお世話になりました。」
そういうと彼女はにっこりと笑った。入道崎で助けたときとはまるで別人だった。
今目の前にいる彼女は明るい表情をしてきれいな服を着てとにかくしゃべっていた。
入道崎では彼女は「どうして!」という叫び声にも似たような言葉しか発していなかった。
あまりの変わりように唖然としていると彼女のほうから誘ってきた。
「私は3号車の指定席にいるんですがあなたは?」
「7号車の自由席です。」
「どこまで行くんですか?」
「京都までですよ」
「私は大阪までですよ。それまでご一緒できますね」
このように今回は彼女のほうから積極的に話しかけてきた。入道崎のときとはまるで反対だ。
結局彼女が俺のいる席の正面に座ることになった。それから京都に着くまでの11時間2人で話
すことができた。
自己紹介からはじまり、お互いの趣味のことなどを話した。聞くと彼女は東京の女子大生で3年生だといった。
ということは俺よりも2歳年上ということになる。春休みなので秋田に帰省しているが今回は大阪にいる彼女の
叔母が入院したのでそのお見舞いのために電車に乗ったのだという。なんという偶然!
11時間も話すことはないだろうと思っていたが次から次へと話が進んだ。とても楽しい時間だった。
新潟を過ぎ、金沢を過ぎても話が尽きることはなかった。
福井を過ぎてまもなく、俺は気になっていたことを聞いてみた。
「なぜあんな寂しいところにいたんですか?何をしていたんですか?」
こう聞くととたんに彼女は黙ってしまった。下を向いてゆっくりといった。
「あの時は・・・ただ海をみたかったの。。。。」
寂しそうにひっそりとそう言った。
しまった!この質問はしてはだめだったのかと思ったがもう遅い。それからは
話が途切れてしまった。
窓の外が暗くなり始めた。この日は青森からずっといい天気だった。敦賀を過ぎて左手に琵琶湖がみえはじめた。
次の停車駅は京都だった。昼間なら琵琶湖の青い湖面が楽しめるのだがこのときはもう暗くて琵琶湖は見えない。
山科のトンネルに入った。車内アナウンスがまもなく京都に着くことを告げている。
楽しかった。でも入道崎にいた理由を聞いてからはほとんど話さなくなった。その質問をしたことを後悔した。
81: 69 2008/06/01(日) 00:29:45 .net
山科のトンネルを列車が抜けた。席を立った。
お互いの連絡先はまだ知らなかった。
「もう一度会いたいです」
その一言が言えずにいた。
京都駅に着いた。ホームに下りるとドアをはさんでむかいあわせになった。
「あああ・・・ううう・・」
声にならない声を発した。発射ベルがなった。そのとき彼女が言った。
「ねえ、手を出して!」
突然のことだったが手を出すと手を握られた。そのときドアが閉まった。
ゆっくりとホームを離れていく電車を見送った。
とうとういってしまった。もうこれで会うこともないだろう、そう思った。
なんかとても疲れたのでしばらくホームで休むことにした。
ベンチに腰を下ろすと手に紙切れを握っていることに気がついた。
くしゃくしゃになった紙を広げてみた。そこにはこう書いてあった。
「また会いたいです。私の連絡先を書いておきます」
彼女の携帯の番号と住所が書いてあった。これでまた彼女に会えるチャンスを得た。
俺はニヤニヤして階段を駆け上がり転んで足を捻挫した。
103: 69 2008/06/19(木) 10:07:01 .net
それから1ヶ月と少しが経過した。4月の終わりごろになった。
俺は連絡先を書いた紙を渡されたのだが、まだ1度も連絡をしていなかった。
彼女のほうは俺の連絡先を知らないので、俺が彼女に連絡をしないと前に進まないということになる。
それまでに何度か電話しようと思ったが緊張したのか、手が震えた。
いろいろ考えてみた。彼氏がいるんだろうか、東京では一人暮らしなんだろうか。
そんな時大学入学時に友達になった加藤が家に遊びに来た。
一人暮らしをしていた俺は加藤が腹が減ったというので買出しに出かけ帰ってきて
簡単なものを作ってやった。そんな時、加藤が「電話がかかってきたぞ!」
といった。
あわてて電話を取った。
「はい、どちらさんですか?」
「ゆうこです。」
「ゆうこ??どちらのゆうこさんですか?」
「秋田のゆうこです」
「あきたゆうこさん?はあ?」
まだ誰だかわからなかった。ふと電話の近くを見ると彼女の連絡先が書かれた紙がおいてあった。
それで彼女だとわかった。
どういうことかというと、加藤がメモを見つけてそこにいたずら心に電話をしたという。
電話でGWに大阪に会う約束をして電話を切った。
「おい、なんや、それは彼女か?」
と加藤がニヤニヤしながらいう。
「そういうわけでは・・・」
「まあええ、好きな人には猛烈にアタックせなあかんな」
加藤にすべて見透かされていた。
とにかく加藤の計らいによって彼女と会うことになった。
109: 69 2008/06/19(木) 23:54:58 .net
再会はGW中だった。彼女が大阪にいた。新大阪駅で待ち合わせをしていると間おなく
彼女が声をかけてきた。
「お久しぶりです」
そういう彼女を見るととてもきれいだった。この人は会うたびにきれいになっていくような気がした。
大阪はあまり詳しくないという彼女にどういうところに連れて行ったらいいかわからなかったが
通天閣、アメリカ村、といったところを中心に案内した。
梅田に来たときだった。駅前の観覧車に乗りたいと彼女が言った。
順番待ちするときに辺りを見回すとカップルだらけだった。俺と彼女もほかの人から見ればカップルに見えるのかな
などと楽しいことを考えると観覧車に乗る番が来た。
観覧車に乗り込むと、2人きりになった。俺は妙に緊張した。どきどきした鼓動が彼女に聞こえるのではないかと思った。
観覧車が頂点に来たとき彼女がにっこりと笑った。
「私も同じ気持ちだから」
ドキッとした。どういう意味なのか、聞くのも野暮なので聞こえない振りをした。
その日は8時ごろに別れた。
110: 69 2008/06/20(金) 00:07:32 .net
その後もメールやチャットでコミュニケーションをとっていた。
夏休みが近づき、彼女が話を持ちかけてきた。
「今度、秋田に一緒に行きませんか?」
「いいですよ」
「話しておきたいことがあるんですよ」
と神妙に話していた。
そして秋田に行く日が来た。大阪から寝台に乗って翌朝、男鹿の彼女の家に着いた。
初めて会った日に彼女を見おくっていったとき以来に来た。ベルを鳴らすと扉が開いた。
彼女の家に上がった。このとき家には中学生ぐらいの女の子がいた。軽く挨拶すると女の子は2階に上がって行った。
「今のは私の妹。あまり話をしない子なので・・・」
彼女がそう言った。そういえばこのときまで、彼女の家族については聞いたことがなかった。妹がいるというのも初
めて聞いた。というのも、それまで彼女は自分の家族のことは話そうとはしなかった。
少し休憩して彼女が一緒に海を見に行こうといった。
家から少し歩いたバス停まで行き、バスを待った。バスが来た。入道崎行きだった。
入道崎といえば彼女と初めてだった場所だった。
この日は晴天に恵まれて夏ということもあり海岸は海水浴に来ている人がいた。
バスから見える車窓を彼女は案内してくれた。
111: 69 2008/06/20(金) 00:18:45 .net
バスが入道崎に着いた。そして彼女が案内するように先を歩いていく、15分ぐらいするとそこは
まさしく俺が彼女と出会った場所だった。あの時は海は大荒れで雪が積もっていて周りの景色を
見ることはできなかったがこの日は、青い空に届きそうな真っ青なきれいな海が広がっていた。
そして海を見つめた彼女が語りだした。
「私があなたとここで初めてあった日はね。。。私の父の葬儀が終わった翌日だったの。私の父は
過労だった。数年前に父は友人の借金の連帯保証人になったの。しかしその友人はある日突然行方
不明になった。当然借金は父が払うことになった。父は漁師だった。とても貧乏だった。その上借
金に負われた。借金を返すために自分の船を売ったの。それでも東京の大学に通う私に仕送りをし
てくれた。父は朝から夜遅くまで一生懸命に働いた。でも返せない借金もあって。。。
それで取立屋がきたりもした。中学生の妹は日々怖い思いをしたみたいであまり話をしない子にな
ってしまった。そしてある日父は仕事場の工事現場でいきなり倒れたの。脳溢血だった。しばらくは
入院してたんだけど結局あっけなくなくなってしまった。
114: 69 2008/06/20(金) 00:34:34 .net
そこまで一気に話をした彼女が黙って俺の目を見た。
俺はどうしていいのかわからずただ黙って聞いていた。
「この場所はね、私の思い出の場所なの。私が小さいころ母と父と私と妹の4人で
よく遊びに来たの。でもあなたと始めてであった日は私は悔しさと憎しみでいっぱいだった。
いつも優しい父がなぜあんな苦労をしなければならなかったのか、借金だって父が作ったもの
ではない。父に借金があるとわかると周りの人たちも白い目で見るようになった。だから思った。
この世にいい人なんていない、誰も私たちや父を助けてくれなかった。もう人なんて信じないそう
思った。そしてあの日この場所に来た。ずっと荒れ狂う海を見ていたらなぜか旧にさみしくなって。。。
そしたらあなたが声をかけてきた。最初はうっとうしいと思ったわ。だから私はあなたから逃げようとした。
でも私が雪道に足を滑らせて転んだとき、あなたは泥だらけになりながら私を助けてくれた。
あなたに抱えられてここから帰りのバス亭まで向かう途中、涙が出てきた。
こんなにも一生懸命になって私を助けてくれる人がいるんだなって。」
俺がそんな重要な役割を果たしたとは思えなかった。彼女の話を聞いてはじめてあったときの日の彼女の態度が
わかったような気がした。
「家の前まで送ってもらったとき、疲れもあってあなたにおれいもいわずにお別れした。家に帰ってしばらく考
えてみたら、もう一度あなたに会ってみたいなと思ったの。でもあなたの名前も住所も知らない、あなたが私を
訪ねてきてくれない限り一生会えないと思うと悲しくなった。でもふと玄関を見ると1冊のメモ帳が落ちてたの。
悪いと思ったけど中身を見るとそれはあなたの旅日記だった。そこに旅行の日程が書いてあって3日後に青森から
特急に乗って京都に帰ることが書いてあった。だから私はこの特急に乗ればもしかしたらあなたに会えるんじゃな
いかと思った。」
「それであの電車で再開したんですね」
116: 大人になった
いいはなしだな?
映画化してくれよ49とか69とか。
117: 69 2008/06/20(金) 23:11:09 .net
「そう、だから本当にあなたに会えたときはうれしかった。それからずっと電車の中で話してた
時は楽しかった。でもあなたになぜあの場所にいたのかを尋ねられたとき、答えに困った。正直に話すと
重い話だから嫌われるかとおもって。あの場所にあなたと出会わなかったら私あのときどうなってたかわ
からない。もしかしたらあの崖から・・・」
そういって彼女は話すのをやめた。俺はただじっと聞いていた。しばらくして一気に話し始めた。
「電車が京都に着く時にタイミングを見計らって連絡先を書いた紙を渡した。あなたが連絡してくれるかは
半信半疑だった。でも連絡してくれることを祈ってた。そして連絡がついて大阪で会ってから今まで、コミ
ュニケーションをとってきて、あなたにだんだんと惹かれていったの。」
「僕だって・・・」
そういうと彼女はにっこり笑って砂浜を走り出した。海に足をつけて海水をかけてきた。
その笑顔で無邪気な姿に俺は思った。
「この人はもう大丈夫だ。」
俺はこの人がますます好きになった。
118: 69 2008/06/20(金) 23:26:09 .net
大学1年の夏は始めて彼女ができたときだった。結局夏休みは2週間ほど秋田にいた。いろんなところに行った。
夏休みが終わり、大阪と東京の遠距離恋愛が始まった。チャットで話すことが多かった。
冬が近づく11月下旬ごろ、冬休みに秋田に行くことを約束した。
12月20日ごろ秋田に行った。ここで彼女の今まで知らなかった意外な一面を知る。
彼女がいきなりスキーに行こうと言い出した。近くにいいスキー場があるといった。
俺はスキーはまったくできない。それでも一緒にスキーに行くことにした。
スキー場に到着すると、俺は準備をした。準備が整ってゲレンデにでた。すると彼女はいない。
探しているとすごいスピードで俺のほうに向かってくる人がいた。それは彼女だった。
「スキー初めて?教えてあげる。」
そういうと板の履き方から親切に教えてくれた。滑ってみると転んでばかりだった。彼女に手を
とられながらへっぴり腰で恐る恐るすべる俺は情けない姿だった。
朝から夕方まで滑っているとなんとなく俺でも滑れるようにはなった。
ナイター設備の照明が照らされると彼女に上級者用のコースにつれられた。俺はふもとで待っていることになった。
彼女はリフトに乗っていった。斜面の上のほうを見ていると赤いスキーウェアーの彼女が見えた。合図とともに一気
に急な斜面を滑っていった。周りのどのスキーヤーよりも華麗に滑っていた。まるで雪上の天使のような感じだった。
斜面を一気に降りると俺のところまで来た。
「私はスキー大好き。私の夢はスキーでオリンピックに出ること」
そういった。周りの人が声をかけてきた。彼女はこのスキー場ではちょっとした有名人なんだという。
いろんな人から話しかけられて、またそれに答えているの彼女を見るとうれしくて仕方なかった。
120: 大人になった
スゲー
こりゃ名作だ!
69の人柄のよさがにじみでてる
149: 69 2008/07/23(水) 00:43:12 .net
大学3年の春、彼女は大学を卒業した。卒業後の進路は東京の企業だった。
社会人になった彼女は実業団でもスキーの選手として国体を目指していた。
社会人になると時間が取れないのかなかなか会えない、話もできない日が続いた・
夏休みに再び再会することになった。猛烈に暑い日だった。待ち合わせ場所の井の頭公園に
現れた彼女は変わっていた。学生とは違った雰囲気だった。以前は夏に会うときはワンピースが好きらしく
少し子供っぽい服装をしていたがこのときは違った。少しいやらしい言い方になるが脚線美をみるのが
楽しみだった。しかしこのときから彼女はズボンばかりはくようになる。
井の頭公園の路上パフォーマンスを見て歩いていると彼女は疲れたといった。
ベンチに座り込んでいた。20分ぐらい休憩した後ベンチを立ったときだった。彼女がいきなり転んだ。
何かに躓いたのだろうと考えたが足を引きずるように歩いている。
「大丈夫?」と聞くと「なんでもない」という。しかし足を引きずるような歩き方をしている。たぶん転
んだときに捻挫でもしたのだろうと思った。
しかしこれは怪我ではなかった。
150: 69 2008/07/23(水) 00:49:33 .net
夏の東京での再会は1日だけだった。夜に両国の花火を見て別れた。
それから時は過ぎ10月になった。それまで毎晩のようにチャットで話していたのが
急につながらなくなった。メールもつながらなくなった。そんな状態が1ヶ月続いたときだった。
いきなりメールが来た。
内容は、病院に入院したとのことだった。翌週に急いで東京の病院に向かうと彼女は整形外科の病棟に
入院していた。練習中に大怪我をしたのだろうか、心配になって病室を訪ねると個室だった。そして彼女は眠っていた。
しばらくすると病室に彼女の叔母さんという人が入ってきた。大阪のおばさんだった。
彼女は両親はすでに他界し、妹しか身内はいないので頼れるのはこのおばさんだけだった。
そしてなぜ入院したのかを早聞いてみた。おばさんが口にした病名は意外なものだった。
151: 69 2008/07/23(水) 00:54:48 .net
「骨肉腫」
聞いたことのない病名だった。骨にできる腫瘍だという。彼女の場合はひざに骨肉主ができていた。
腫瘍といえば癌というイメージがあったが、やはり悪性の腫瘍だという。治療法は抗がん剤での薬物
療法である程度腫瘍を小さくしてから腫瘍を取り除くという。腫瘍がひざの関節の周りに大きくでき
ており、腫瘍を取り除いた後は人工関節をつけることになるという。
ショックだった。人工関節をつけたら元通りにスキーはできないだろう、ましてや彼女の夢である国体、
さらにはオリンピックの夢もなくなるだろう。残酷すぎる。
152: 69 2008/07/24(木) 01:32:45 .net
病室に戻るとまもなく彼女が目覚めた。
「ああきてくれてありがとう」
だがその後の言葉が続かなかった。彼女にはすでに病気のこと、手術により人工関節になることを
告知しているという。さすがに元気がなかった。
手術の日はやってきた。大阪から急いで駆けつけその日はずっと見守っていた。およそ5時間に及ぶ
手術が終わり病室に戻ってきた。そして麻酔から醒めた彼女がいった。
「足が痛い、さすって」といった。
手術をした足が痛いのは当然だろうと思ってさすってみようとした。そこであることに気がついた。
ひざから下の部分がなかった。足が切断されていた。
実はすでに人工関節ではだめなほど腫瘍が広がっていた。
彼女はしきりに切断された足のひざが痛いといった。これは足はすでになくなっていても脳がまだ
足があると錯覚していて痛み出すのだという。その日はおばさんと交代で足をさすっていた。
170: 69 2008/08/14(木) 21:35:52 .net
彼女の足が切断されたのを彼女が目の当たりにしたのはその翌日だった。
そのとき俺もいた。おばさんと3にんだった。意外にも平気そうな顔をしていたのには
おどろいた。しかし、夜にこっそりと病室を訪ねた時彼女は泣いていた。
きっと俺とおばさんの前では心配かけたくないとの思いで勤めて明るく振舞っていたのだろう、
翌日、病院の近くで雑誌や日用品を買って彼女の病室を訪ねた。ベッドの上で焦点の定まらない視線を
天井に向けていた。無気力、そんな感じだった。こういうときはどうしたらいいのだろう、励ますにしても
どうやったらいいのかわからない。いろいろ考えていると彼女のほうから声をかけてきた。
「ねえ、別れてもいいんだよ、足のない女の子と付き合ってもこれから先大変なだけよ」
突然そんなことをいった。俺はなぜか病室を抜け出してしまった。
171: 69 2008/08/14(木) 21:44:55 .net
翌日朝早くに再び病室を訪ねた。すると彼女は病室にはいなかった。しばらく待っていると彼女が戻ってきた。
表情は明るかった。
「話があるの」
と神妙に言った。すると彼女は引き出しから雑誌を取り出した。この雑誌は前の日に俺が買ってきた雑誌だった。
数ページ開いたところで手渡された。
「ねえ、この写真の人どんな人かわかる?」
俺はじっくりとその写真を見た。スキー選手が急な斜面を滑っている写真だった。迫力のある写真だった。
「外国人のスキー選手?」
というと
「もっとよくみて」
と彼女が言った。
しばらくじっと見て気がついた。
「ああ、片足・・・」
そして写真の下の記事に目をやった。写真の人はプロのスキー選手で事故で片足を切断したという。
でもスキーが大好きでずっと滑り続けてついにはパラリンピックに出場を決めた人だという。
172: 69 2008/08/14(木) 21:52:30 .net
「私、足を切断したらもうすべておしまいだと思ってた。大好きなスキーももうできないと思った。
でも私スキーが好き。もう一度チャレンジしてみようと思う。国体やオリンピックは無理だけど。
そう、私の夢はパラリンピックで金メダルを取ること。」
そうきっぱりと言い切った。このときの彼女の表情は一生忘れることはできないだろう。
それから数日たってリハビリが始まった。義足をつけての歩行練習はつらいものがあった。なんども
倒れながらも何かに取り付かれたように一心不乱にリハビリを続けている。サポートする人たちも
「今日はこれぐらいで終わりましょう」というと、まだまだとリハビリを続けていた。
病室に戻った彼女を見ると腕にあざを作っていた。転んだときにつくったあざだろう。病室に戻っても
廊下でリハビリをしていた。すこしやりすぎではないかと俺は心配したがおばさんは、「あの子の好きに
やらしてあげてほしい」といった。
復帰への長い道が始まった。
173: 69 2008/08/14(木) 22:03:47 .net
退院の日を迎えるころには転ばずに歩けるようになっていた、さすがはスキーヤー、運動能力がすごいと思った。
退院したのは10月末、秋田に帰ればまもなく初雪を迎える。会社を退職した彼女はさっそく練習を始めた。
スキー場がオープンすると同時にすべる練習を始めた。その初日だけ秋田に行き、彼女の練習を見守った。
俺は彼女にスキーを教えられてこの日には結構滑れるようにはなっていた。しかし義足をつけたりはずしたり、
試行錯誤しながら滑ろうとする彼女を見ると悲しくなった。何度もまともに立ち上がることもできない。それでも
何度も懸命に立ち上がろうとした。結局この日は立ち上がる練習で終わってしまった。
「こんなんじゃいつまでたっても滑れない」
彼女はこういうんじゃないかなと俺は思ったが違った。
「1回でも立てただけでもよかった。今年中には軽く滑れるような気がする。」
なんと前向きなんだと思った。そしてこのとき、彼女ならできると確信した。
174: 大人になった
いい話だなあ!!
69映画化してくれよ
175: 大人になった
いい話だ
76: 大人になった
15年前の話です。
今でもそうだが人付き合いの苦手なオレは、会社を辞め一人で仕事を始めた。
車に工具を積み、出張で電気製品の修理や取付の仕事。
当時まだ携帯電話は高価で 俺は仕事の電話をポケベルに転送し、留守電を聞いて
お客さんに連絡するという方法しか取れなかった。生活さえギリギリだった。
ある日 母親が九州の実家から関東の俺の家まで訪ねてきた。遠くから来た親を
いたわることもせず、無愛想な俺、ホントにバカだ。俺を心配し、掃除、洗濯 料理を
作り山ほど食糧を置いて母は帰郷した。バカ息子は見送りもしない。
仕事から帰宅した俺は母の手紙を見つけた。「仕事頑張って下さい、少しですがこれで
携帯電話でも買って声を聞かせて下さい。」手紙にはお金が同封されていた。
手紙を手に俺は、わあわあ泣いた。 
カメラやメールなんて出来ない。メモリーも50件しか入らない初期の電話。
でもこの電話にどれだけ助けられただろう。俺には最高の宝物。
母の日に電話を送った。ちゃんとお礼をいわなければ。
「おかあさん どうもありがとう」と。
77: 大人になった
スレチかもしれんが書かせてくれ。
あれは俺が5?6歳の頃の夏…確か幼稚園だったと思う。
ある晩もの凄く腹が痛くなり、寝ていた親を起こし酷い腹痛を訴えた。
両親は俺に正露丸を飲ませたが、腹痛は治まらず夕飯を全部吐いてしまった。
次の朝早くに病院に連れて行かれすぐに精密検査。
その病院では手術はしないで投薬治療で二週間程入院した。
寝たきりで遊びたい盛りの俺は退屈だったのを覚えている。
しかしやっぱり体調は良くならない。
病名は…詳しくは忘れたが腎臓と膀胱を繋ぐ管の一部が異常に細く、
そのせいで腎臓の横に水の袋が出来てるんだと。
比較的近くの病院で手術する事に。
着いた先の病室は個室じゃなくて一般の病室だった。
しかも前の病院とは違い、ある程度規律があったが自由に動けた。
これが嬉しくて仕方ない。
俺は人と話するのは苦手では無かったので、
一緒の病室になったおじさんやお婆さんや高校生のお姉さんお兄さんによく可愛がってもらった。
年が近い男の子もいてよく遊んだ。
俺がこの病院に来て少し経った頃、
隣のベッドの高校生のお姉さんが退院したかそれとも別の病室に移ったかは分からないが
そのベッドが空いた。
看護婦さんは「ここに○君(俺の名前)と同じくらいの女の子来るよー」って言ってた。
どんな病気かは忘れたがとにかく俺の隣のベッドに来た。
最初は恥ずかしそうにしてたが半日もすれば打ち解けて仲良くなっていたんだよな。
思い出補正もあるが可愛い子だったと思う。
次の日はその女の子、もう近くの病室の人と打ち解けてた。
俺の事をを随分気に入ってくれて
夜になるとベッドの脇についてるカーテン閉めようとすると
「閉めないで?…」とか言ってくる。何で?って聞いたら「…顔見たいから」とか言ってくる。
俺は当時ガキだったから女の子なんて全然意識してなかったから「?」と思いながらもカーテン開けたままにして寝てたなあ。
(今思えば凄く惜しい事した気がする)
続く
78: 大人になった
続き
話は病室に戻る。
その病室では親父が買ってきてくれたドラクエのカードゲームがちょっとしたブームになってた。
俺とその女の子と同い年くらいの男の子やら高校生のお兄さんやら
いつの間にかこっちの病棟に戻ってきたお姉さんや俺の両親やその子のおばさんまで一緒になって
皆でドラクエのカードゲームやってんの。
傍から見たら実に変な構図だ。ガキや若者、中年のおじさんおばさんが一緒になって夢中でカードゲームやってるw
うわあ負けたとか言いながらなw
それが・・・なんというかすんごい暖かかったんだよ。
俺が薬苦くて飲めなくて泣いてたら高校生のお兄さんが応援に来てくれる、とか日常茶飯事だった。
なんというか大きな家族が出来た気分だった。
病院って結構孤独なイメージあるかもだけど俺はその病院では決して独りじゃなかった。
皆で一緒に頑張って退院しようっていうかそんな雰囲気が常にあった。
その後俺は大きな病院に移って手術を受け退院した。
皆退院したりもっと大きな病院移ったり・・・元気でいるだろうか・・・。
高校生のお兄さんお姉さんはもう30過ぎか・・・
俺の隣のベッドに来た女の子・・・俺より先に退院して「また会おうね♪」って手を振ってくれた・・・(結局会えず仕舞いだが)
もう働いているんだろうか・・・それとも大学に行ってるか?
俺と同じ病室にいた人・・・中には命に関わる病気もあったんじゃないだろうか?
だけど俺は生きていて欲しいと強く願う。
何故なら・・・俺達は短い間だったけど一つの「家族」だったんだから・・・。
駄文スマソ(´・ω・`)
89: 大人になった
楽しかった記憶というと、いつも思い出すのは、高校時代のことだ
それ以前にも幸せな記憶はあるのだけれど、一番って決めてしまうと、
高校時代しか思い浮かばない。
私は父親がずいぶんなDQNだったらしい。生後10ヶ月程度で父母は離婚し
母は私と2歳上の姉を連れて祖母の家に戻った。
祖母は私たちの世話はやってくれたが、基本的にねじくれた性格の人で
物心付かない私たちを捕まえて「お前は人間じゃない!絶対に幸せに
なんかなれない!」等ストレス解消にわめくのはしょっちゅうだった。
姉は朗らかな性格で学校内の人気者になったが、私は陰気な性格で
あまり友人も出来なかった。姉が私のことを面白おかしく周囲にばらまくので
年上の人が何故か私のことを知っていて、からかわれたりもした。
(全学年が聞くクラス放送で「私の妹はゴジラみたいです」と流された
恨みは一生忘れられない)
小4になったとき、姉が網膜剥離になり、手術が必要だと聞かされた
友達は少ないながらも、平和な毎日を送っていた私は、引っ越しによって
状況が一変した。
その引っ越し先で、今でも馬鹿だと思うのだが重大なヘマを犯して、
私はいじめられっこになった。
いじめられっこになった私は、昔の写真ばかり懐かしむようになった。
それが「自分だけが不幸」な姉には気に入らなかったらしい。古い
友人の写真をこれでもかと破かれた。学校でしかもらえなかった、
行事の写真で、小4で引っ越した私には卒業アルバムもない、そういう
写真だった。特に妹なので写真は少なく、今残っているのは数枚だ。
そんなとき、誰が助けてくれただろう、親も助けてくれなかったのに。
そう、誰も助けてはくれなかった。
姉の病気は何度も再発し、中学で(成績のことで)ちょっとした有名人になった私は
性的ないじめを受けた。男の子とろくに話も出来ないような子だったのに。
それについては、姉が「妹が迷惑を掛けた」と思い込んで謝らせる、という
異常事態があった
時過ぎて高校、部活に入った。漫画イラスト研究部だ
優しい先輩や同級生に恵まれて私は幸せだった
そんななか、病気病気で追いつめられた母親が、私の頭を金槌で殴るという
異常事態が起きた。
1週間は意識不明だった。誰も病院になんて連れて行ってくれる筈もなかった。
2週間は経って、やっと部活に戻れた。そして昼、先輩はこう言った。
「なーお(仮名)、フライいるー?」
一番安いからあげ定食を頼んだ私への言葉だった。
私はぽろぽろと涙をこぼした。
90: 大人になった
馬鹿みたいだ。何で泣ける?私の家は姉の病気で苦労ばかりで、
私はたくさんの友達をもてるほど良い子じゃなくて……
そう思ったら、ぼろぼろ泣けてきた。本当に泣けた。先輩は困ってた。だけど嬉しかった。
あの時の嬉しさは、何とも形容できない。
「アホやなぁ。なおは」
普段なら高いプライドが邪魔する言葉も、自然に受け入れられた。
そこ(学食)で泣いたことが噂になって、何人か理由を尋ねに来たけれど
受け入れなかった。周囲の何人か、放っておいてやれという言葉を聞いた、
その人達には分かりそうな苦労が、あの子達には分からなかっただろうから。
10年は経った今では、分かっているのかも知れないが。
あの日から、からあげ定食が大好きになった
今でも心からへこんだ時、からあげ定食を頼む。
悲しい記憶と、優しい記憶が合致していて、少し悲しい
91: 大人になった
俺が消防の頃の話
同じクラスに黒田平一(仮名)、通称クロベーってヤツがいたんだ。
クロベーの家は母子家庭で母親とクロベーと弟の3人暮らしだった。
クロベーの一家は、親戚の家の離れに間借りして、風呂は母屋のを共同で使わせてもらっていた。
クロベーの母ちゃんは、その親戚の家業を手伝う形で生計を立て、
女手一つで一家を支えていていた、所謂、貧乏な家庭だったんだ。
制服のズボンとかも何年も同じのをはき続けてるから丈が短かったり、
体操着なんかも所々破れたりしてんだ。
しかもクロベーは軽く池沼気味で、ギリ普通のクラスって感じで体も小さく、
万年ハナタレで勉強やスポーツは大の苦手でだった。でも、すげーいいやつなんだ。
いつも笑顔を絶やさず、優しくてクロベーはクラスの人気者だったんだ。
そんで、クロベーは虐められることもなく、無事小学校を卒業し中学校へ進学した。
そして俺は、中学でもクロベーと同じクラスになったんだよ。
クロベーはスケッチが好きで、休憩時間になるとテラスに出て、
よく風景を写生してたんだが、クロベーの場合は太陽を写生したりするわけ。
目を細め、太陽を直視しつつ、すげー色使いで太陽だけをスケッチするんだよ。
すると、この様子を見た他の小学校出身の連中がクロベーを虐め始めたんだ。
虐めっつっても、暴力を振るったり無視したりするわけではなく、
クロベーの突飛な発言や行動をからかったりする程度だったんで
俺もそこまでは気にはいなかった。
92: 大人になった
そんなある日、授業参観の案内があったんだよ。クロベーの母ちゃん
は仕事が忙しく、消防の頃から殆ど学校行事に参加していなかっ
た。クロベーは運動会の時も、弟と二人教室で弁当を食べていたんだ。
ところが、親戚の粋な計らいで、今回はクロベーの母ちゃんが来るら
しい。クロベーは満面の笑みで俺たちに、そう報告した。
そして参観日当日、どこの親も、一張羅でめかし込んで来るわけ。
当然俺の母親もスーツで来てたんだよ。
そんな中、いよいよ授業が始まるって時にクロベーの母ちゃんがやっと登場。
仕事の最中に学校に寄った様子で、ピンクのジャージに紺のヤッケを羽織ってる。
急いで走って来たらしく首に掛けた手ぬぐいで額の汗をぬぐいながら、
場違いな雰囲気に遠慮がちに教室に入って来た。将に貧乏丸出しである。
でも、クロベーの顔を見ると、そりゃー嬉しそうにニコニコ笑って張り切ってたよ。
そんで、授業開始、その日は担任の女教師による日本地理の授業だったんだ。
程なくして、先生がこんな問いかけをした・・・
「北海道の旭川市は稚内と比べると南に位置するにも関わらず冬季
の気温が低いのはなぜか?」この中学生には難しい問いかけに一同
沈黙する中、なんとクロベーが「はい!!」と高らかに張り切って
手を上げたわけ。
普段からクロベーの突飛な回答に困惑していた先生も「しまった!!」
つー表情。先生は「では、黒田くん」と已む無くクロベーを指したんだ。
クロベーの回答は以下のようなものだった・・・
「稚内には牧場がいっぱいあって、牛がたくさんおって、その牛の息が
集まって空気が温くなります」と、言い放ったんだ。
93: 大人になった
当然、保護者含め一同大爆笑。するとクロベーの母ちゃんが言った
「いいぞ平一!!」てな。
そんで次の瞬間、無言でクロベーのところにツカツカと寄って来て、
ハナタレだったクロベーの鼻水をチーンと手ぬぐいでぬぐったわけ。
笑い声は一気に静まり返り、一同呆然とする中、クロベーの母ちゃんは
何事もなかったような涼しい顔で教室の後ろへと戻った。
俺は、なんだか妙に感動して、胸がジーンと熱くなるような感情を覚えた。
けど、周りのやつらの反応は違ったね。
この一件は、クロベーの虐めを激化させる引き金となってしまったんだ。
「貧乏人」「不潔」に始まり、クロベーの母ちゃんを中傷するような酷い
言葉を浴びせ掛けられたんだ。
腕力に自信のあった俺と連れのHは、そのたびにクロベーを助け、
虐めている連中を一喝した。
しかし、俺たちの見てないところで虐めは更にエスカレートし、靴を隠したり、
筆箱に残飯を入れたり、無視したりと陰湿なものに移行していった。
しかし、クロベーは気にする様子もなく、淡々と笑顔ですごしていたよ。
94: 大人になった
そんなある日、クラスで盗難事件が発生した。
ある女子生徒が、鞄の中に入れていた、現金の入った封筒を盗まれたと
騒ぎ出したんだ。
すると、クロベーを虐めてた連中の一人が「貧乏人の黒田に違いない」
と騒ぎ立てやがったわけ。
移動教室の時、おっとりしたクロベーはいつも最後まで教室に残ることが多く、
それが疑われる要因になったってこと。
俺とHは必死に「クロベーは人の物を盗んだりするようなヤツじゃない」
と訴えたが、生活指導の強面教師は、クロベー犯人説を真に受けて
クロベーを尋問しやがった。
身に憶えのない容疑に、クロベーは「知らない」と否定したが、
状況証拠のみでクロベーの尋問は続き、語彙の乏しいクロベーは、ただ
「知らない」と言い張るばかりで、生活指導の教師の心証を悪くしたようである。
そして下校時間を過ぎ、その日の取調べは一端終了し、クロベーは仮釈放となったんだ。
ところが次の日、あらぬ冤罪を掛けられた息子を弁護すべく、クロベーの
母ちゃんが職員室に乗り込んで来たんだよ。噂を聞きつけた俺とHは、
急いで職員室に様子を見に行ったんだ。
そしたら、クロベーの母ちゃんは嗚咽して、生活指導の教師にすがりつき、
泣きながら叫んでるんだ。
「あの子じゃありません!あの子は人の物を盗むような子じゃないんですっ!!」てな。
噂はあっと言う間に全校を駆け抜け、野次馬達が集まって来たんだ。
汚い格好で嗚咽するクロベーの母ちゃんを見て「あいつら共犯に違いない」
などと心ない噂が学校中を駆け抜け、クロベーに対するイジメや中傷は更に激化したわけ。
この事態にさすがのクロベーもシュンとした様子だった。俺とHは、
クロベーを励まし勇気づけ、更に冤罪を晴らすべく真犯人を探し聞き込みを開始したんだよ。
95: 大人になった
しかし、なんの手がかりも掴めず、クロベーに容疑が掛かったまま一週間を過ぎたある日、
担任の先生から思わぬ報告があったんだ。
紛失した現金入り封筒が見つかったと・・・・
なんと紛失したと思われていた封筒。実は、その女子生徒の勘違いで鞄の奥にあったんだよ。
でもあまりに騒ぎが大きくなったんで今まで言い出せなかったが良心の呵責に苛まれ、
その子は、泣きながら担任に事の顛末を告白したんだ。
「黒田くん、疑いを掛けてごめんね」と担任から報告を聞き終えた瞬間、
Hのヤツが突然立ち上がり「うおっー!!」叫びながら走り出し、クロベーが犯人と最初に
疑いを掛けたヤツにいきなりドロップキックをブチかましたんだ。
続いて俺も立ち上がり、助走をつけて、そいつにラリアットをブチかましたんだよ。
まるで、ゴディ・ウイリアムズ組みてーな見事なコンビネーションでな。
続いて、その取り巻きのヤツら含め3人をボコボコにしてやったんだよ。
すると心の優しいクロベーは俺達を止めるべく「やめて!!」と割って入ってきて、
俺達は「おまえは悔しくないんか!!」とクロベーを払いのけ、更に連中をどつきまくったんだ。
そんで、俺達は駆けつけた生活指導の教師に取り押さえられたわけ。
当然、死ぬほど怒られたよ。俺達は何度も生活指導の教師にぶん殴られたんだ。
そんで親も呼び出されこっぴどく怒られた挙句、俺達がどついたヤツらの家を一軒一軒、
親と一緒に頭下げて回らさせられたんだ。
行く先々の家で俺たちは罵倒され、それでも親に無理やり頭を抑えつけられ俺たちは頭を下げた。
正義のヒーローのつもりが、自分の親にまで迷惑を掛けてしまい、俺はその理不尽さに
一人悔し泣きしたんだ。
96: 大人になった
ようやく、ほとぼりも冷めたある日、クロベーが俺とHの所にやって来て、こう言った。
「今日うちの母ちゃんが二人にご馳走したいって、だから遊びにおいで」と言うんだ。
別に用事もなかった俺達は即座に了承したわけ。
そんで放課後、俺達はクロベーの家に行ったんだ。だが、まだお母さんは仕事から帰ってなくて、
家にはクロベーと弟しか居なかったんだ。
俺達は仕方なく、ファミコンはおろか、テレビすらないクロベーの家で母親の帰りを待ったんだよ。
いい加減に待ちくたびれた18:00を過ぎた頃、クロベーの母ちゃんが帰ってきた。
「みんな遅くなってごめんね、いまご馳走するからね」と手に下げた買い物袋をテーブルに置くと
エプロンを付け何やら料理を始めたわけ。
暫くすると「ぷーん」とカレーの匂いが漂って来た。
「やったカレーだ!!」クロベーの弟が嬉しそうに叫んだ。
程なくして、クロベーの母ちゃんが「おまたせ!!」と鍋に入れたカレーを持ってきたんだよ。
それと餃子も出て来たんだが、よほど好物だったのか、クロベーも弟も餃子に歓喜の声を上げたんだ。
俺達にとっては、ご馳走と言うには、ほど遠いメニューだったが、貧乏なクロベーの母ちゃんにしたら
精一杯のもてなしだったことだろう。
腹も減ってたんで俺達はとりあえず食べることにした。
カレーに肉はなく、刻んだ魚肉ソーセージと玉ねぎとジャガイモニンジン、そして、なぜかシイタケが
入っていたが、どうやらこれが黒田家のデフォルトらしい。
だが、味はうまかったので俺達は豪快にカレーを流し込んだんだよ。
そんで暫くするとクロベーの母ちゃんがスプーンを置き、静かに口を開いて俺達にこう言ったんだ。
「あんた達、平一を助けてくれてありがとう、これからも友達でいてね・・・」
そう言うと、声を上げて、うぉんうぉん泣き出したんだ。
俺もなんだか悲しくて、そして嬉しくって、涙が溢れて来て、声を上げて泣いたんだよ。
Hも釣られて、みんなでカレーの味も判らなくなるほど泣きじゃくったんだ。
一言もしゃべらず、ただカレーを食べながら声をしゃくりあげて泣いたんだ・・・・
クロベーだけは笑ってたな。
97: 大人になった
そんで、それから中学校3年間、俺とHはクロベーを守ったんだ。
そして、卒業を迎え、俺とHは地元の高校に進学、クロベーは県外へ就職することになってたんだ。
俺とHはクロべーに別れの言葉を告げたんだ
「もう俺達は、おまえを守ってやれない、これからはお前が母ちゃんを守っていくんだ」
そうクロベーに言った「わかった」と力強い言葉がクロベーから返ってきたんだ。
その言葉に俺達は安心してクロベーと別れたんだ。
それから数年後、県外に落ち着いたクロベーは、母ちゃんと弟を呼び寄せ、
3人で一緒に暮らしはじめたんだ。あのクロベーが、なんと頼もしいことだろうか。
だが、俺の記憶はあんときのままだ・・・。
今も思い出すクロベーの屈託のない笑顔。あいつには幸せになる権利があるんだ。
あれから四半世紀が経ち、今は、俺も家族を持ち、子供を育てる父親となった。
俺は子育てで悩んだ時、いつもクロベーの母ちゃんの事を思い出す。
親ってのは、どんなにブサイクで恰好悪くても、子供の味方して守っていかなくちゃならないんだと・・・。
長文、駄文失礼しました。おわり・・・
98: 大人になった
>>97
いい話だ!
今はクロベーと交流はないの?
ハンセン・ブロディ組だったら、生活指導の教師ものしてやれたのにな。
460: 大人になった
>>97
感動した
100: 大人になった
子供が2人いる。でも、本当は、私は3人の子持ちだ。
18歳の春に娘が生まれた。
結婚してくれると言った父親は、結局認知すらしてくれなかった。
若い私にとって未婚のシングルマザーは大変な役割だった。
何で産んだんだろう、どうして子育てなんかしてるんだろうと、
そんな格闘の毎日だった。
それでも、娘はすくすくと成長してくれた。
初めて書いてくれた私の顔、赤いランドセル。
それは秋の日の突然の出来事だった。
前夜、やけに娘がべたべたしてきた。
大して寒くない日なのに、寒い寒いと言った。
熱を測っても熱はない。早く寝なさいと添い寝した。
「ママ、ありがとう。ママ、大好き」
娘は私に抱きついたまま眠りに落ちた。
やっと開放されたなと、正直私はホッとした。
少しテレビを見て、私も娘の横で寝た。
翌朝、娘は目を覚まさなかった。起こしても起こしても目を開けなかった。
解剖、そして、事情聴取。
事件性なしと判断され、原因不明の突発的な心臓発作と説明された。
101: 大人になった
火葬場では、焼かないでくれと棺にすがりついた。
娘の焼却炉の前で、半狂乱で泣き喚いた。
小さな骨が娘のものだとは到底思えなかった。
突然の独身貴族。突然与えられた年相応の自由。
けれど価値観はまるで違っていた。
そのうち笑うようになり、けれど夜になると涙もこぼす。
小学生を見ると辛かった。
けれど、親と言うのは勝手なものだ。
娘の死から2年で結婚し、去年3人目の娘を産んだ。
幼稚園児と赤ん坊の育児にへこたれそうになる。
あの子がいてくれれば、今頃話し相手になってくれただろうと、
今頃何歳になってるはずだと、この頃毎日考える。
あの子がいなかったら、こんなにも娘たちを愛せなかった。
あの子がいなかったら、子供がこんなに大切と思えなかっただろう。
あの子が死ななかったら、私はもっともっと自分勝手な親だったろう。
ありがとう。ありがとう。生まれてくれて、ありがとう。
いなくなって寂しいよ。今でも寂しいよ。
辛くて辛くてずっと封印してきた言葉をこうして書けるのは、
この子達が生まれてくれたおかげだ。
102: 大人になった
>>101
泣けた………
娘さん、残念だったけど、今でもあなたの中で生き続けてるんだね
ママ大好きな娘さんがママに愛されていて、とっても幸せだと思うよ
今の子供達を大切に育ててね。こういうのも何だけど、良いお話をありがとう
127: 大人になった
俺には可愛い彼女がいた
性格は素直でスタイルも良かったが周囲からは
「えwあの女と付き合ってるのwwwお幸せにw」とよく馬鹿にされた
彼女は頭が非常に弱かった
高校を中退し、通信制の学校を4年かけてやっと卒業、まともな職にもつけず
派遣会社で毎日を繋ぐどうしようもない女
おまけに中学時代から周りの男に騙されては性欲処理に使われていた
友人の紹介で彼女と付き合い始めたのだが、これは、彼女が妊娠しても俺に責任を押し付けられる
という算段があっての事だったらしい
付き合って1年は仲良く過ごしたがやはり彼女といるのが恥ずかしくなっていった
周りの目を気にしていたのは言うまでも無い
彼女は俺に甘えたり、俺の気を引こうとしていたがそれも逆にウザく感じるようになった
大学で良い結果が出せないことでイライラしていた俺は彼女に冷たくするようになった
ある日胃腸炎で寝込んだ俺の家に彼女が来る事になった
嫌な予感はしていたが全く予感は的中した
皿は割る、洗剤はこぼす、まだ乾いてない洗濯物をベッドに放り込む、お粥は煮えすぎて不味い
極めつけは、俺が大事にしていたエンタープライズ(戦艦)のプラモをぶっ壊したことだ
棚を掃除しようとして落っことしてしまったらしい
俺は完全にキレた。「もう、何やってんだよ!!死ね!帰れ!」と叫び彼女を突き飛ばした
彼女は泣きながら「ごめんね」とつぶやいて玄関に消えていった
128: 続き 2008/07/02(水) 03:52:57 .net
それから一週間後、彼女は交通事故に遭った
連絡を受けて病室に入ると、医者が「ご家族の方ですか?」と言ってきた
俺は首を横に振った。「お友達?良かった、家族の方と連絡が取れなくて困ってたんです」
そう言って医者は彼女の酸素マスクを取って一言残して部屋を出て行った
「手を尽くしましたが今夜が最後です」
どれだけ時間が経っただろうか、深夜になり彼女が目を覚ました
崩れてゼリー状になった目から血が混じった涙がこぼれた
「ゆう君(←俺)・・・」彼女は俺の手を握った。もう、握るというほどの力も無かったが
「・・ゆう君のこと考えてたら・・・私、信号見てなくて・・・」
彼女の息が荒くなった
「・・・・ゆう君の家、また行っていい?仲直り・・」
「いつでも来いよ・・元気になったら」
彼女はニコっと笑った
「・・・ゆう君・・」
「料理も掃除も教えてやる。でもその前に怪我治せ・・・おい!」
彼女は死んでいた
その後のことは良く覚えていない
医者と看護士が慌しく入ってきて死亡判断?のような事をやっているのを眺めていた
そして気がついたら彼女は棺桶に入っていた
のろのろと病院に来た家族の人たちは冷めた表情だった
葬式も告別式も身全てが事務的だった。悲しんでる人はいなかった
「ああめんどくさい」と愚痴るやつもいたと思う
後日、家族の人に頼まれて彼女の家を整理しに行った
古ぼけたアパートで部屋も狭かった。相当質素な生活をしていただろう
机に日記帳があったので開けてみると下手な字で俺との出来事が書き込まれていた
日付は交通事故の前日で止まっていた。涙が止まらなかった
「ゆう君の大せつなエンターぷラいずをぷラモデルやさんでつくった
みせの人にてつだってもらったけどじょうずにできたかな
あしたはこれをもってゆう君のいえにゆこう
おかゆもそうじもれんしゅうしたから
ゆう君は、よろこんでほしいな」
今、彼女の墓は吉祥寺にある
もし願い事が一つ叶うなら、この愚かな俺に、もう一度彼女を会わせて欲しい
129: 大人になった
嘘って言って下さい。涙が止まりません
153: 大人になった
このはなし最後に感動の嵐の予感
163: 大人になった
小学校1?2年生まで自分は感情の起伏の無い子供だったらしく、
両親がとても心配してよく児童相談所や精神科みたいな所に連れ
ていかれていた。
その時も面倒くさいとも楽しいとも思った事は一切無く、自閉症気味
と診断されていたそう。
今親に聞くと、赤ん坊の時からめったな事では泣いたり笑ったり
する事も無かったとか。
でもきちんと人の話は聞くし、知能も高かった事から親以外からは大人
しい良い子だという風に受け入れられていて、上手く言い表せない自分
の両親は心配しながらも、少し不気味に感じることもあったそうだった。
でも自分の爺さんは、そうやって不安がる両親に対して「こいつには
こいつのペースがあるんだ。放っておけ」と言うだけだった。
別段爺さんは自分を甘やかす事も無く、だからと言って無視したり虐待
するでも無かったけれど、婆さんと両親は爺さんを冷たいと怒っていた。
ある日、爺さんが風邪をこじらせて肺炎になり入院した。
母親に連れられて見舞いに行ったとき、母親が花を花瓶に入れる為に
病室を出て行った。
自分と爺さんが二人だけで病室にいて、何も話す事は無く物音一つしなく
て二人共動く事も無かった。
ふと自分の頬の側の空気が動き、見ると爺さんが青い小さなみかんを自分に
差し出していた。
それをそのまま機能的に受け取って、爺さんも自分も何事も無かったように
母が来るまでじっとしていた。
そのみかんをどうしたかは記憶が無い。
きっと家族の誰かが食べたんだろうとは思うけれど。
164: 大人になった
爺さんはそれから少しして死んでしまい、お通夜も葬式の時も何も感じる事は
無かった。
初七日が過ぎ、爺さんの仏壇に供えていた青いみかんを何の気なしに母親が
自分に与えて、自分も受け取ってその皮を剥いた。
青いみかんのしゅわっという香りとみかんの水分が自分の周りに漂った瞬間、
自分の喉の奥が急に詰まったように痛くなり、胃が固まって震えるような感覚に
襲われた。
生まれて初めての感覚に驚き、声を上げようとしたけれど喉が潰れたような感じ
になってうめくような声しか出てこない。
その時初めて「助けて」と思い、うずくまっていると顔が濡れている事に気が
ついた。
触ると目からぼたぼたとどんどん涙が出てくる。
自分のうめき声に驚いた母親が慌てて自分に駆け寄ってきたのがわかった。
母親に必死にしがみ付き、自分の世界が壊れていくような恐怖を感じ、身体を
硬くして叫び続けていた。
母の暖かい腕が自分に巻きついているのを感じ、温かい手のひらが頭や顔や体
を撫でてくれているのを感じ、そしてだんだん落ち着いていくのが判った。
どこか痛いのかと心配する母と父と婆さんの顔を見て、口が自然に開いて、
しゃくりあげながら「ありがとう」と言葉を発していた。
顔の筋肉が引きつって、あんなに苦しかった胸の中がだんだん温かく柔ら
かくなっていくのがわかった。
両親と婆さんが驚いた顔をして、とたんに皆が今度は泣き出した。
「ありがとう」と言って自分は笑ったらしい。
爺さんが、感情を出しやすくしてくれたんだと婆さんと母親が言っている。
父親も自分もその事がどうとか何も言わない。
でも爺さんの仏壇に毎日毎食、皆が食べるものと同じお膳を備える事を一日
も欠かす事は無い。
165: 大人になった
長いんだが(゚Д゚)ゴルァ!させてください・・・
ばあちゃん(゚Д゚)ゴルァ!
四年ぶりに田舎帰ってその帰り際に押し問答で押しきられた封筒の厚さがおかしいと思ったら
 5 0 万 もはいってましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
渡されるとき変だな変だな?って思ってましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
1万円でも漏れには大金なのに 5 0 万 て何事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
漏れはちょっと前に事故で死にかけて、今すげー金欠ですよ
でもな、ばあちゃん
何やってんですか(゚Д゚)ゴルァ!
50万てばあちゃんその金稼ぐのにどれだけ苦労しましたか?
ばあちゃんが作ってうってる野菜ひとふくろ100円ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
ひとふくろたった5本の胡瓜だけれどそれをつくるのにばあちゃんどれだけ苦労しましたか(゚Д゚)ゴルァ!
曲がった腰更に曲げて草取り水遣り肥料遣りに支え作り袋詰だって楽じゃないですよ(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃん、体きついって、頭痛い腰痛い足痛いって言ってるじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃんの胡瓜はばあちゃんの命すり減らして作ってますよ(゚Д゚)ゴルァ!
金額も金額だけど、金の価値はそれだけじゃないですよ(゚Д゚)ゴルァ!
漏れはばあちゃんの命を喰ってるようで涙が止まりませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
田舎にも帰らず28P300円でフォモ本作って売りさばいてたりしてごめんなさい(゚Д゚)ゴルァ!
漏れの本とばあちゃんの野菜は価値が違うよ
四年ぶりに会ったばあちゃん、ちっちゃくなって
声もちいさくなって前はきりきり働き者だったのに頭痛いってずっと寝てましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
166: 大人になった
医者いってください
整体いってください
頼むから!
頼むから、ばあちゃん!
「被爆者手帳で医療費ただだから気にせんで」って
医療費ただでも交通費はただじゃないじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
「あんたが生きててくれて嬉しいん。
このお金で車買い、今使わなくても結婚資金にすればいいから」って(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃん(゚Д゚)ゴルァ!
自分どうすればいいですか(゚Д゚)ゴルァ!
結婚資金どころか相手もいないですよ(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃんを安心させて喜ばせてあげたいのにそれすらできませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
使えません、使えませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
受け取っちゃったんで返せませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
かえしたらばあちゃんきっと悲しむ
でも返したいですよ(゚Д゚)ゴルァ!
漏れはどうしたらいいですか(゚Д゚)ゴルァ!
167: 大人になった
漏れは悪い孫ですよ
ばあちゃんにそんなことしてもらえる価値なんてないですよ
四年も田舎に帰らなかった自分(゚Д゚)ゴルァ!
帰らなかった間にばあちゃんすげーちっちゃくなってるじゃないか(゚Д゚)ゴルァ!
手の骨とかポキンて折れそうですよ(゚Д゚)ゴルァ!
漏れにはなんてことのない四年だったけど
ばあちゃんが年をとるには十分すぎる年月なんだな(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃん、ばあちゃん、しんじゃ嫌だ
しんじゃいやだよう
ずっと生きてて漏れに孝行させてください(゚Д゚)ゴルァ!
漏れに背中もませてください
手つないで坂道歩かせてください(゚Д゚)ゴルァ!
ひいばあちゃんひいじいちゃん、事故のとき漏れを助けてくれてありがとう!
まだばあちゃんまだ連れてかないでください(゚Д゚)ゴルァ!
次の休みは年末だ(゚Д゚)ゴルァ!
祭りにはいかねえ
田舎に帰るよ
ばあちゃん待っててな(゚Д゚)ゴルァ!
いっしょに温泉行こうな
漏れ少ない給料がんがってためるよ(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!
185: 大人になった
去年3月に定年を迎えた父に兄と私で携帯電話をプレゼント。
退職前は携帯などいらんと言っていたがうれしそうだった。
使い方に悪戦苦闘の父に一通り教えてまずメールを送ったが返事はこなかった。
その6月に脳出血で孫の顔も見ずに突然の死。
40年働き続けてホッとしたのはたったの2ヶ月。
葬式後父の携帯に未送信のこのメールを発見した。
最初で最期の私宛のメール。私は泣きながら送信ボタンを押した。
私の一生の保護メールです。
「お前からのメールがやっと見られた。
返事に何日もかかっている。
お父さんは4月からは毎日が日曜日だ。
孫が生まれたら毎日子守してやる。」
186: 大人になった
自分的にかなりせつない話しを一つ。興味無い人はスルーで。
俺の出身地は当時日本で最も共産党員が多い市で、
しかも同じ地区内に公明党員がわんさかいるという非常にあれな環境だった。
少し離れた地区にいくといわゆる「地」の人間で固められた自民党地区もあったが
うちの地区はまるで境界線でも引いたようにスパッと共産/公明とわかれていた。
選挙がある度に二つの熱心な党員が無党派の人間を巻き込んで毎度トラブルを起こしていた。
俺の家庭はというと親父は頑なに国労を貫き通す鉄道マン、お袋は世間知らずのお嬢様で
頼まれると断れない性格らしく、一時期聖教新聞と赤旗新聞を同時に取っていた。
で、いつのまにか熱心な共産党員になってしまい(多分良くしてくれていたババアが共産党の幹部だった)
生協は始めるは近所にビラをくばりまくるはで今思えばかなり痛い状態だった。
話しは少し飛ぶが俺が小学生の時近所に凄いかわいい子がいた。
その子(以下Aちゃん)はクラスも同じで席も近かった事もあり
仲良くなっていつのまにか二人で遊ぶようになった。多分初恋だったと思う。
ある時地蔵盆があって俺は意気揚々と友達と出かけたが肝心のAちゃんが見当たらない。
誰に聞いても茶を濁したような答えで要領を得ない。
しばらくしてせめてお菓子だけでも届けてあげたいと思い、ジュースやらポテトチップやらを
隙を見てゴッソリくすねた俺はAちゃんの家へと走った。
ドキドキしながらチャイムを鳴らすとAちゃんのお袋さんが顔を出して出迎えてくれたので。
Aちゃんにお菓子をもって来た事を伝えて「何故Aちゃんは地蔵盆に来ないのか?」
そう聞くと一瞬顔色が変わったが「Aちゃんは風邪を引いて寝ている」と言われ俺は帰らされた。
せめて夜の盆踊りぐらい来れないかと思った俺はAちゃんの家の前に立ち尽くしていたのだが、
しばらくして家の中から怒鳴り声が聞こえてきて、Aちゃんが大泣きしていた。
多分地蔵盆に行きたいとねだるAちゃんに、あんな奴と付き合うなと
Aちゃんのお袋さんが怒っていたんだと思う。
187: 186 2008/08/17(日) 15:14:35 .net
続き
怖くなった俺は走って地蔵盆の会場へと戻った。
帰ってくると何人かの大人に「どこに行ってた」だの「勝手にいなくなるな」
等々色々言われて俺は泣き出してその日は家に帰ってふてくされて寝てしまった。
夜、近所から盆踊りの音が聞こえてきて目を覚ました俺は一人地蔵盆の会場に行ってみた。
しかしそこにAちゃんの姿は無くて、大人が酒盛りしたり親子が楽しそうに踊っているだけで
肩を落とした俺はまた一人家に帰って行った。
当時うちは地区の持ち回りの班長だったので親は二人とも地蔵盆を取り仕切っており家にいなかった。
一人で貰ったお菓子をつついていたのだが、その時家のチャイムが鳴った。
出てみるとAちゃんだった。
Aちゃんは泣いた後みたいで目の周りが真赤になっていた。
そして俺が昼間持っていったお菓子の袋を「お母さんが返して来なさいって」と言ってうつむいたまま俺に差し出した。
俺はどうしたらいいかわからなくて「俺の家で一緒に食べよう」と言ったが
Aちゃんは「お母さんに怒られる」「食べたら病気になると言われた」と言ってお菓子の袋を半ば強引に俺に返すと
走って自分の家に帰ってしまった。
当時の俺には何が何だかわからなくてただ、ただ茫然としていた。
いわずもがなAちゃんの家は熱心な学会員でこの時の事情を理解したのはずっと先の事だった。
188: 186 2008/08/17(日) 15:15:35 .net
連投、長文スマソ
この時の事を俺は言っちゃダメな気がしてずっと黙っていた。
それからしばらくは気まずくてAちゃんと遊ぶ事も話す事も無かった。
当時の俺は自分がバカだからAちゃんのお袋さんに嫌われているものと思い込んでいた。
(実際リアルにテストで0点を取るようなバカだった)
ある日図工の時間に各自新聞紙を持参するよう言われた時があった。
(多分、粘土工作か何かの授業)
究極にバカだった俺は家にあった古新聞の山から何故か聖教新聞と赤旗新聞を同時に
持って行くという行為を犯した。
今思えば担任の先生の顔が引きつっていた様な気がする。
でいざ皆が先生の指示通り机に新聞を引き始めたのだがAちゃんはずっとうつむいたまま
新聞を忘れたのだった。
俺はここぞとばかりにAちゃんに新聞を貸して上げた。
こともあろうに赤旗新聞を…。
Aちゃんは「ありがとう」と久し振りに俺に笑顔を見せてくれた。
その日の放課後少年野球に入っていた俺は学校で練習をしていたのだが家に帰ってみると
何やらAちゃんのお袋さんとうちのお袋が玄関で激しく言い合っていた。
後で聞いた話しだが俺が貸したその新聞をAちゃんが家に持って帰ったらしい。
(多分出来上がった粘土細工を新聞に包んで持って帰り、お家の人に見せましょうみたいなノリ)
んなこんなで俺は次の日からAちゃんに一切口を聞いてもらえなくなり激しくへこんだ。
俺の初恋ははかなく散った。
189: 186 2008/08/17(日) 15:17:09 .net
これで最後、後日談
時が過ぎて成人式で俺達は再開した。Aちゃんは立派にどこぞのキャバ嬢みたいに成長し
高卒でDQN工場に勤めていた俺は周りの大学生のノリについていけず
すっかり浮いてしまい、夜勤明けで一睡もしていなかったので早々に帰ろうとしていた。
帰り際Aちゃんが声を掛けてくれた「一緒に写真撮ろう」って。
正直嬉しかったがどうせそんな写真すぐ捨てるだろうと思い「さっさと撮ってよ、俺眠いから」と
そっけない態度を取ってしまった。
するとAちゃんは「明後日引っ越すんだ私」と言って友達にデジカメを渡すと
俺に身を寄せてピースして控え目な声でこう言った。
「もうここにはいられないんだぁ、学会員皆この地区から身引いてるから…
私は興味無いんだけどやっぱ親がね」
なんて答えたらいいかわからない俺をよそに写真が撮れるとAちゃんは俺から離れて
「家に送るよ」と言ってくれた。
「あの人誰だっけ」と言う友達に「初恋の人だっちゃ」と答えてAちゃんは去っていった。
これをきっかけにAちゃんと恋が…なんて事は全く無い。
その写真は今でも送られてくる事もなく、俺は共産党員に囲まれながら今でも何とかやってる。
世の中そんなにうまい事いかんな。
長文誠に申し訳ない、お付き合いいただいた方に感謝。
193: 他スレで見つけた泣ける話1 2008/08/18(月) 22:48:54 .net
俺の高校3年間を通じての恋人は、ほしのあきそっくりだった。
ほしのあきは165cmということらしい。俺の彼女、美来は高1のときにそのくらいの身長だった。
ほしのあきそっくりというのは童顔で細身の巨乳だったということなんだ。
俺は同じクラスになった彼女が、背が高くほっそりした童顔の女の子だと感じたものの、
俺の好みではなかったので、実は全く関心がなかった。俺はきりりとしたきつめの目をした女性が好みだった。
当時でいえば女優の中島ゆたかみたいなちょっと悪女っぽい大人の雰囲気の女性に憧れていた。
だから美来のことは眼中になかった。彼女は明るく世話好きで人気があったし、勉強もよくできた。
体育の時間に女子と一緒にグランドに出たとき、彼女の胸がただものではないことに男子全員が気づき、俺の周りは
「おい、H(美来の姓)、ブルンブルン揺れてるぞ、すげぇなぁ」と言っていたが、俺は巨乳(当時そういう言葉は
なかった)にもそれほど関心がなかったので、特に反応しなかったと思う。
5月下旬の中間考査が終わった日に、俺は美来から手招きされた。それまで親しく喋ったこともなかったので、何事かわからず、
俺は彼女に歩み寄った。すると周囲に素早く目を走らせた彼女はさっと俺にメモを渡した。その場で見るのはまずそうな気がして、
何気なく歩いて廊下に出てから見た。「今日の放課後に■(地名)の●(店名)に来て下さい。どうしてもお話したいことがあります」
と書かれていた。一瞬俺ラブレターかなと思ったが、俺と親しく話したわけでもないし、彼女から俺に親しく話しかけてきたこともない。
すると彼女と仲のよいE美が、俺を・・・・と思った。というのはE美は細身のきりりとした顔立ちで、俺は好きというわけではなかったが、
ついついE美とよく話していたのだった。
俺は指定された●に出向いた。そこには美来が待っていた。
「ごめんね。試験の後なのに。あのね」と彼女は何か言いそうになり、「うん、その前に何か飲もうよ、わたし奢るから」と店員さんに合図した。
俺は自分の好みで紅茶を頼んだ。美来はそれを聞いて「あっ」という表情になり「私も」と同じものを頼んだ。
俺はかなり紅茶好きだった。だから●にあるような「紅茶」とだけ書かれたメニューでは美味しいものが飲めないと思っていたが、
日頃の好みで頼んだのだった。
紅茶が運ばれてくるまで俺は話すことは無いし、彼女も黙っていた。変な緊張感を漂わせている彼女に俺はいらいらした。
彼女の童顔も俺をいらつかせるのだった。
紅茶が運ばれてきた。ひとくち飲むと彼女は「ふぅ」と息を吐き、「わたし、T田君(俺)とつきあいたい!」と大きな声で言った
ので、俺は思わず周囲を見回してしまった。彼女は立て続けに言った。「高校の入学式で会った瞬間にこの人だって思った。運命だって。
同じクラスになったときに死ぬほど嬉しかったし、傍でT田君を見ていて、思った通りの人だったので、本当に運命なんだって思った。」
そして俺が答える間もなく「ね、いいでしょ!」と同意を求めてきた。
俺は断りにくくなった。彼女の上気した満面の笑みを見ていると、仕方ないなと思い「いいよ」とOKしてしまった。
だが紅茶を飲み終わってからはどうすればいいのだろう?そう思ったが、彼女との話は尽きなかった。話しているうちに
性格的にも俺と凄く相性がいいことがわかり、俺は驚いた。俺にとっても運命かもしれないと思った。俺は正直に最初は
断ろうと思ったこと、だけど美来の笑顔を見ていると断れなかったこと、でも話しているうちにこんな出会いがあるのか
と驚いたこと、今このとき美来を本気で好きになってしまったことを話した。
美来は笑っていた。その日の内にお互いのことは語りつくすくらい語り合った。
194: 他スレで見つけた泣ける話2 2008/08/18(月) 22:49:40 .net
翌日から二人並んでの登校。俺の周りは「おまえ、どうやって落としたんだ?全然関心ないみたいだったのに。H島なんか、
喋っていて感触がよかったので申し込んだら、あっさり断られたんだぞ、運命の人がいるからって。おまえかよ、運命の
人って」とN野は呆れ返っていた。
俺と美来はいつも一緒だった。毎日一緒に登校し、一緒に下校した。だが平日はずっとくっついているわけでもなかった。
美来はしっかり者で、平日はちゃんと予習・復習するなど真面目だった。だが休日は遊びまわった。彼女の巨乳を振り返る
男性は多かったし、童顔とのアンバランスな魅力に俺もとらわれていった。
期末考査が終わって、二人で海に行ったときには彼女の水着姿はビーチで注目を集めていた。飾り気のない彼女はスクール水着
だったが、多分それが男性をそそったのだろう(今はそうだと理解できる)。普段からそんなにおしゃれをしない彼女はTシャツに
ショートパンツが夏の定番で、ほとんど変わらなかった。
196: 他スレで見つけた泣ける話3 2008/08/18(月) 22:54:41 .net
ゴメン。2が重なってしまったから、これが本当の3ということで------
俺はキスしなければと焦っていたが、俺と美来の間にはもうそれも不要であるような気がして、先延ばしにしていた。
本当はキスを求めて嫌われるのが怖かったのだ。だけどチャンスがきた。体育祭が終わって二人で帰っていると、
雨が落ち始めた。降り方がどんどん強くなったので、俺と彼女は公園の屋根つきのベンチで雨宿りしていた。
土砂降り状態になり、視界がとても悪くなった。「風邪ひかないようにしないとね」と美来が体を寄せてきたので、
抱き寄せていきなりだったがキスをした。美来は驚いて体を離したが、俺の目を見ると、今度は自分から抱きついて
キスをしてきた。大雨の中、二人で何度もキスをした。雨のカーテンが周囲から俺達を隠してくれていた。それを美来に
言うと、「素敵だね、雨のカーテンって」と嬉しそうだった。
その日、なぜか美来を両親に紹介したくなり、家につれて帰った。彼女は両親を前にしても朗らかだった。
父は「可愛い子やなぁ。おまえの学校はがりがりのがり勉ばかりかと思ったけど、あんないい子もおるんやな」と
彼女が帰ってから感心していたし、母も彼女に「本当に素直な可愛いお嬢さんで、どうしてあんたなんかと付き合うのか
不思議やわ」と言っていたが、俺は美来から俺に言い寄ったことは言わずにおいた。
俺と彼女は何度もキスを繰り返したが、セックスには進まなかった。彼女の巨乳は俺を夜な夜な悩ませる存在になっていたが、
そこだけは踏み越えないようにしようと心に決めていた。
197: 他スレで見つけた泣ける話4 2008/08/18(月) 22:56:32 .net
こうして2年間が順調に過ぎ、交際開始当初は背の高さがかわらなかった俺達は、俺の急な伸びもあって、
美来が2cm伸びたものの、かなり背の高さに差ができた。美来が並んでいて、俺を見上げるときの視線が
可愛くて仕方が無かった。 俺は幸福だった。将来は美来と結婚するのかなとさえ思った。美来も「こんな家に
住みたいね」などと言うことがあり、明らかに俺との将来 を意識していた。
5月だった。美来が倒れた。貧血だということだったが、俺は胸騒ぎがした。
大事をとって検査のために入院するという彼女のもとに駆けつけた。翌々日彼女は退院した。
彼女から打ち明けられた。「白血病だって」と明るく。俺は美来が死ぬんだと思った。
そう思うともう涙が止まらなくなり、声を上げて泣いてしまった。
「本人が泣いてないのに、おかしいよ。わたし、一度も泣いてないんだから。よし闘うぞ!って
思ったから。絶対に死なないわ」
こうして美来の闘病が始まった。俺は神様に祈った。俺の命を削って美来に与えて下さいと。
だが病状は好転しなかった。夏休みには入院して本格的な治療をすることになった。
美来から彼女の家に来て欲しいといわれたのは夏休み直前だった。
「もしかするとね、わたし、もう帰って来れないかもしれないから、
今日、たぶん最初で最後の思い出を作っておきたいの」
俺にはそれが何かわかっていた。俺は美来を抱き締めた。キスをした。
「ダメだ。美来がよくなってから、そのときにきっと・・・だから必ずよくなって・・・」
俺はまた泣き出してしまった。彼女は俺から離れると服を脱ぎ始めた。
「私の全てを見て。覚えていて。必ず帰ってくる」と彼女は微笑んだ。俺は彼女に歩み寄り
また抱き締めた。
198: 他スレで見つけた泣ける話5 2008/08/18(月) 22:57:39 .net
俺は毎日を彼女の病室で過ごすようになった。そこで受験勉強もしたし、彼女に乞われることは何でもやった。
もう泣かなかった。彼女は言った。「こんなに大切にしてくれる人がいるんだもん、必ずよくなるよ」
彼女の勘は鋭い。だから俺はそれを信じた。
夏休みが終わり、秋が来て冬になった。俺はずっと彼女に付き添った。彼女の両親は俺を気遣ったが、俺は
自分の受験結果よりも彼女が治ることが先決だった。
共通一次試験を終えて、俺は希望の大学を受験できるだけの点数をとることができた。その大学に入れば、
彼女のもとに通うことが出来る。その一念で勉強したのだ。
彼女も喜んでくれた。明らかに彼女の病状は好転しつつあった。俺が志望校に合格し、それを彼女と共に
彼女の家で祝うことが出来た。そのときのことだ。彼女のお母さんが「この子は本当に言い出したら聞かないし、
大胆というか向こう見ずというか。でもT田君がしっかりしてたからよかったわ。」俺は何のことかわからなかった。
彼女のお父さんも笑っていた。そしてお父さんが説明し始めた。「入院の前日に美来が明日H樹さんとひとつになる、
なんて言い出してさ」そこでお父さんはゲラゲラ笑った。俺はあっと思った。美来は「もう!わたしは真剣だったん
だから、笑うこと無いでしょ!」と怒った。お父さんは「ごめん、ごめん」と謝って「わたしは死ぬまでに愛する人
と何もしないまま人生を終えるのはいやと真剣に言ってね、父親としてはこんなことを娘に言われるとは思いもしな
かったし、聞きたくもないような話なんだけど、病気が病気だったし、娘にとって本当に最後の願いかもしれないと
思ったんで、好きにしなさいと言ったんだよ」と言い、「でも君が娘を大切に思ってくれ、娘に生きる希望と戦う勇気
を与えてくれたんだ。本当にありがとう」と最後は涙声になった。お母さんも涙を流しながら、「T田君のお陰よ」と
言ってくれた。
その後、美来は検査を受けなければならなかったものの、とりあえず「治癒」という診断を受けた。医師もすごく運が
いい、医学的には手を尽くしたので、あとは患者の生命力次第だったといったそうだ。
彼女は卒業はできたものの、大学受験は1年遅れになった。それでももともと勉強のできる子だったので、俺の後輩
として入学してきた。
その年には医師から「完治とみていい」と言われた。俺の両親も交えての祝賀会で、美来の父親が例の話を披露した。
俺は恥ずかしくて何も言えなかった。というのはこのときは既に美来とは何度もセックスしていたし、「治ったらする」
という話まで出てくるのだから、双方の両親の前で「めでたくやっちゃいました」と宣言しているようなものだったからだ。
俺の父親などは「おかしいですね。こいつにそんな自制心があったとは。私の子供じゃないかもしれません」などと言う始末
だったし、母親まで「この子はそんなカッコいいことができるわけがないですよ。美来さんが美談にしてくれただけで、本当は
体の調子でも悪かったか、極度に緊張していたんだと思いますよ」と笑いをとろうとするのだった。
もう40歳近くになったけど、今でも美来は童顔で巨乳だから、振り返る男性は多い。彼女もほしのあきの活躍を見て、私も
今からグラビアに挑戦しようかななどと言っている(実際に大学2年のときに某大手プロダクションにスカウトされたが、彼女は
断った)。
実は彼女が入院前に全裸になったとき、「やろう」とその瞬間は決意したのだけど、なぜかできなかった。今そうなれば、彼女は
永遠に戻ってこないと思った。でも実はその姿を思い浮かべてオナニーしたことは何度もあるし、彼女とセックスするようになっても、
あの姿が一番エロティックだったように思っていた。
199: 大人になった
また白血病ですか?ありきたり ネタだろ ツマンネ
201: 大人になった
>>199
君の反応が「ツマンネ」
俺には泣ける話だった。
203: 大人になった
泣けるかどうかわかりませんが、個人的には涙の思い出があります。
中2で同じクラスになったR穂に対して、僕はお互い好きなんだろうな、という
感触を抱いていました。たとえば僕が級長になった1学期には彼女が進んで副
級長を務めてくれたし、2学期の運動会では男子リレーの鉢巻を女子が作るこ
とになったのだけど、彼女が僕の分を作ってくれ、当日は飲み物まで用意して
くれりしたようなことがあった。
204: 大人になった
中3になって1学期は再び僕の「政権」だったが、彼女は副級長にはなってく
れなかった。僕はちょっとガッカリしたけど、修学旅行の班編成のときに級長
と副級長は必ず別の班になるという決まりがあったので、彼女はそれを考えた
みたいで、班編成では僕と同じ班になったし、初日のお弁当も彼女が作ってく
れた。僕は僕で彼女の荷物を持ったりしたから、周囲も僕と彼女はカップルの
ように見ていた。
205: 大人になった
だけどお互いにシャイだったため、一度も「好き」とか「つきあって」みたい
なことは言わなかったし、土曜日の午後も学校にダラダラ残って一緒に過ごす
ものの、他のクラスメイトも数人一緒だったり、日曜日にデートするようなこ
ともないままだった。
僕は同じクラスになる前から彼女を知っていたし、彼女もまた僕を知っていた
けど、自分がいつ彼女を好きになったのか、いまひとつはっきりしなかった。
彼女がいつから僕に好意的な行動をとるようになったのかも当時ははっきりと
わかっていなかった。
当時思っていたのは、たぶん新しいクラスになった日の朝、登校中に彼女が友
達とのおしゃべりに夢中で、つい車道に大きく踏み出した時に、真後ろにいた
僕が「危ない!」と言って彼女の腕をつかんで歩道に引き戻したことに感謝し
てくれたからではないか、ということだった。危なかったのは車にはねられる
ということではなく、彼女の歩みの先には犬の糞があったからだ。
206: 大人になった
修学旅行でも周囲が僕と彼女を二人だけにしてしまうこともあったが、僕たち
はそれに慣れていないので、すぐにクラスメイトのもとに戻ってしまった。
夏休みになり、来年の高校受験に向けて本腰を入れていた僕は、一度でいいか
ら彼女とデートしてみたいと思っていた。でもシャイな僕は一度も彼女に言え
ず、電話もかけなかったから出校日まで一度も会わなかった。
出校日に彼女とその友達(僕の親しい)から野球観戦に誘われた。僕と女の子
2人という組み合わせは奇異だったが、後からわかったのは、その友達が仕組
んでくれたデートだったということだ。僕は野球部ではないものの、プレイに
は自信があったし、体育の時間にやるソフトボールでは不動の4番打者だった。
だが長距離打者ではなかった。今で言えば千葉ロッテのサブローみたいなタイ
プで、勝負強く、ミートがうまい確実性の高い打者という位置づけだった。僕
は彼女がルールをよく知っているのに驚いたし、一度も退屈そうにせずに熱心
に観戦したことに感心した(試合はライオンズVSファイターズだった)。試合
を見終わると、一緒にいたクラスメイトは用事があるから、ここで、と去って
いった。気を利かせてくれたのだが、当時の僕と彼女はそれには気づかず、二
人で球場の近くにいても何もすることがないし、お腹もすいたから、と初めて
二人でレストラン(ファミレスというのが中学生らしい)で食事をした。そし
てそのまま帰宅した。
207: 大人になった
その後も僕と彼女は二人で会うようなことはなく、二学期の運動会でもまた鉢
巻を作ってくれたり、飲み物を用意してくれたりしたが、それ以上には進まな
かった。
11月は恒例になっている3年生のソフトボールのクラスマッチで、僕はチー
ムの4番として、彼女にタイムリーヒットを打つ姿を見せたいと思っていた。
リーグ戦で5試合戦うのだが、僕のバットは快調で3試合連続でタイムリーヒ
ットを放ち、7打点を稼いでクラスは3連勝した。明日が4試合目という日の
夜、担任から電話があった。受話器をとったのは僕だった。担任の切迫した声
が耳に飛び込んできた。「おい、K(僕)、落ち着いてきけよ!M(彼女)が交
通事故に遭った。G病院に入院したんだ。それでおまえに会いたがっているんだ
が、今から行けるか?」僕は目の前が真っ暗になり、受話器を持つ手が震えた。
208: 大人になった
「今から迎えに行くからな」と担任が言ったのは覚えていたが、それからどうや
って病院に着いたのかはいまひとつ思い出せない。そのくらい動転していた。
彼女はベッドに寝ていた。脳挫傷ということだった。彼女の両親が「数日間の内
に頭の中に出血がなかったら大丈夫らしい」と教えてくれた。命には別条はない
ということで安心した。「ごめんなさいね、R穂がうわ言でK君の名前を呼ぶもの
だから、夜遅いのに・・・」とお母さんは申し訳なさそうだった。お父さんが僕
に「これ」と手渡してくれたのはお守りだった。僕は試合毎に彼女から新しいお
守りを手渡されていたが、どうやら彼女はそれを買いに行った帰りに車にはねら
れたらしい。僕はショックだった。涙が出た。そして絶対にタイムリーヒットを
打ってクラスを勝利に導くと心に決めた。そのとき彼女が目を覚ました。僕に気
づいた彼女は笑った。「ごめんね。お守りを持ってたのに、はねられて。全然お
守りじゃないね」と話す彼女に僕は安心した。彼女は続けた。「明日はホームラ
ンを打って。フルスイングでかっ飛ばして。そうしてくれたら元気をもらえそう」
「わかった。絶対に打つから」と思わず僕は彼女の手を握り締めた。が、彼女の
父親がいることに気づき、慌てて手を離した。父親が「明日、店を休んでも応援
に行くから!」と僕の肩を叩いた。これはプレッシャーになった。
209: 大人になった
翌日、相手チームのピッチャーの球はく、当てるのが精一杯という感じで、僕
らは得点できず、反対に失点を重ね、6回表の攻撃までに4対0になっていた。
しかし相手チームのピッチャーが制球を乱し、フォアボールを連発してノーアウト
一塁二塁のチャンスになった。ここで3番のAが当たり損ねではあったが、センター
前に落とし、二塁ランナーは一気にホームインして1点を返した。そして僕だった。
僕は彼女のお守りを握り締めた。担任が「フルスイングだ!」と僕に向かって怒鳴っ
た。それまで全くタイミングが合わなかったのだが、もう迷わずに思い切りフルスイ
ングするしかないと決めたら、気持ちが落ち着いた。一球めは外角低めをかすめるス
トライク。見送った。二球目は外角だがコースも高さも甘かった。僕のフルスイング
が見事にボールをとらえ、センターの右にライナーが飛んだ。完全に外野を抜いて、
ボールは転々としていた。楽々のホームランだった。同点。僕はお守りにキスをした。
担任と目が合って、思わずお守りを隠したが、担任はクラス全員に向かって、「おい、
KはMから貰ったお守りにキスしたぞ!」と大声で言い、クラスは凄い盛り上がりを見せ
た。6回裏もランナーを出しはしたが、サードが深い位置からファーストの僕に送球し、
間一髪でアウトにしたり、センターが左中間の打球をランニングキャッチしたりと好プ
レイ連発でムードは最高になっていった。彼女のお父さんも声をからして応援してくれ
た。
7回表は9番からの攻撃だった。だが簡単に三振に打ち取られた。一番は粘ったものの、
ファーストへのファウルフライだった。二番も粘ったがショートゴロで三者凡退に終わ
っていまし、いよいよ7回裏だった。ここで失点すればサヨナラ負けだ。
だがこの回からリリーフしたサードのA(三番打者)がヒット1本を許したものの、抑え
た。
210: 大人になった
延長戦となり、8回表はその三番のAからだった。Aはフルスイングが持ち味だったが、こ
の日は当たり損ねばかりだった。打席に向かう時、「後は頼むな」と僕に言った。そして
初球をセーフティバントした。これが決まった。相手のピッチャーは疲れも出始めていた
ようだし、このヒットで明らかに動揺したようだった。僕は初球を狙うことに決めていた。
そして初球は真ん中やや内角よりの高めという絶好球だった。フルスイングした僕のバット
はボールをレフトの遥か頭上に運び、これもホームランになった。遂に勝ち越した。
その裏、Aが三者凡退に切ってとり、僕たちは勝った。ボールは学校の備品だったが、僕は
お構いなしに日付とクラスマッチで二本のホームランをR穂のために打ったとマジックインキ
で記した。担任の許可を得て、すぐにお父さんの車で病院に向かった。
R穂に無言でボールを手渡した。彼女はそれを見て涙を流し始め「ありがとう、ありがとう」
と何度も繰り返した。「もう私、治った」と言う彼女に父親までもらいなきし、僕の手をとっ
て「ありがとう」と言うのだった。僕はヒーローになってしまった。柄でもなかったが、この
話は担任から全員に伝えられ、翌日登校すると拍手で迎えられた。その日は最後の試合だった。
全員でR穂に勝利を届けよう!と僕たちは燃えた。僕はフルスイングではなく、チームバッティ
ングに徹して、ライト前に2点タイムリーヒットを、センター前にも2点タイムリーヒットを放
ち、僕たちは7対3で5連勝を飾った。この試合もお父さんは応援に来てくれた。
彼女は1週間で退院し、自宅療養も1週間で学校に復帰した。優勝したときのボールには寄せ書
きをして彼女に届けていたが、それはクラスの宝物ということで、彼女が学校に持ってきた。
「お父さんが撮ったビデオで見たけど最後の試合はフルスイングしなかったわね」と彼女は僕を
睨んだ。「私はフルスイングする人が好きなのに!」と言われた僕は落胆したが、「でも勝つため
にヒット狙いだったんでしょう?」と僕の顔を覗き込んだ。「Kのパワーは4試合目でしっかり見た
し、あのホームランで痛みが飛んでいくようだったから、5試合目のバッティングは許してあげる」
といたずらっぽく笑った。後ろからAが「おい、K、フルスイングする場面だぞ!」と背中を叩いた。
211: 大人になった
シャイな僕「空振りかもしれないけど・・・」とそこまでしか言えず、手を差し出した。彼女がそれ
をしっかり握り、見ていたクラスメイトが「ヤッタァー!」と歓声を上げた。「よし!記者会見だ!」
と誰かが言い、僕と彼女は教卓を前にして椅子に座らされ、喋りのうまいSが「えー、それではクラス
マッチで見事に首位打者と打点王を獲得され、MVPに選ばれた(これは学年の企画でやっており、僕は
ホームラン王を一本差で逃していたが優勝チームで16打点を上げたのでMVPだった)K選手にお聞き
します。婚約についてひとことどうぞ」とやり、またまた盛り上がった。そのとき数学の授業のために
Y先生が教室にやってきたが、様子を見て「続けれ」と言った。僕は「チームメイトが懸命に出塁して
くれたので、それをホームに返すことに徹して・・・」と言い始めたのだが、「婚約の件は?」と合い
の手が入り、「えー婚約したわけではありませんが、今後のことは二人でゆっくり話し合いたいと思い
ます」と言うと、「キスのご予定は」と女子のNが言った。僕が「いや、そういうことはだな・・・」と
真面目に答えようとしたのを彼女が遮り「近々予定しています」と言ったものだから、盛り上がりは最
高潮に達し、キスコールが起きて、Y先生までがワルノリして「せっかくや。ほっぺにチューくらいやれや」
と言ったので僕は呆気にとられていたら、彼女が僕の頬に軽くキスして、クラス中が大騒ぎになり、結局一
時間は4試合目と5試合目の話に終始して、Y先生も「受験前の息抜きや。次の時間はビシッといくで」と
笑っていた。
その日は僕と彼女が二人で帰らなければ、クラスが納得しないので、彼女を家に送り(確認部隊がついてきた
からキスするようなこともできない)、12月の終業式の日、クリスマスイブに僕と彼女は目出度く初キス
をした。場所は彼女の家。午後から数人でパーティを開くことになっていたので、その前に済ませたし、プレ
ゼントも交換したのだった。僕からは愛用していたファーストミットとポーチ、彼女からは定番だが手編みの
マフラーだった。
僕と彼女は別の高校になったが、高3の夏までつきあった。その後、受験を迎えて疎遠になり、僕の進学先が
遠方だったので、自然消滅した。
225: 大人になった
>>211 泣けたぜ! 愛のフルスイング!
217: 大人になった
一昨年ばあちゃんが死んだ
最後に会ったのは俺が中学生の時だったかな
葬式の為に20年越しでばあちゃんの住んでた田舎に行った
次の日遺品の整理をする為に俺とお袋、それと叔父の三人で
もう誰も帰って来る事の無い家を訪れた
じいちゃんは戦争でとっくに亡くなってたし
ばあちゃんも亡くなる1年前からボケもあって入院してたから
実際には誰も住んでなかったその家の中は埃だらけだった
それなのにまるで昨日までここで生活していたかの様な光景
洗った食器がそのままの台所
新聞が広げられたままの食卓
部屋の隅に畳まれたままの布団
そして小さな冊子が乗ったままの小さなちゃぶ台
叔父がその冊子を手に取って
「こんなものくらいしか楽しみが無かったんだなぁ」
と言って、声を上げるでもなく静かに涙を流してた
近寄って覗いてみると、お袋と叔父の若かった頃の写真、それとまだ子供だった頃の俺の写真だった
写真は指紋だらけで、カラーだったはずの写真は全部色褪せてセピア色になってた
ばあちゃんは足腰が立たなくなってから入院までの間
テレビもラジオも無いこの部屋のこのちゃぶ台で
俺達の昔の写真を手に取って眺めながら一人で何を想ってたんだろう
そう思うと辛かったけど、何とか涙は堪えた
ばあちゃん
ばあちゃんには会いたいけど、もう少しだけ待って欲しい
俺にはまだこの世にやり残してる事があるんだ
俺はお袋が死ぬまで生きなきゃならない
それが親不孝ばかりだった俺にも出来る、唯一の親孝行だからね
218: 大人になった
>>217
泣けた
219: 大人になった
>>217
漏れの婆ちゃんはモラハラまみれのクズだったが、なぜか泣けた
婆ちゃんっていい人と悪い人の差が激しいよね
235: 大人になった
俺は母子家庭だった。
5歳のころ父は他界、母は一人で俺と妹2人を育ててくれた。
小さいころから父がいないことで寂しい思いをした。そしてなによりも母は朝から晩まで
働いていたがパートの身分なので月給は少なかった。
妹2人はよく母の手伝いをしていたが俺はひねくれ者だったので貧乏なのは母が悪い、と
いつも母の前で言っていた。そんなことを言われても母はいつもこういっていた。
「貧乏でも家族4人で暮らせるだけで私は幸せだよ」
俺は貧乏なのがとてもいやだった。中学生になると給食がお弁当になった。
母は朝早くに家を出て行くがその前に必ず弁当を作ってくれた。しかし俺は弁当の中身が気に入らなかった。
ご飯に梅干、おかずはないときが多かった。
237: 235 2008/09/08(月) 12:17:30 .net
父がいないことで小さいころからいじめられた。それは中学になっても同じだった。
だからますます母に反抗した。今振り返れば貧乏だけど家族4人幸せな生活だった。
思いでは俺の誕生日になると毎年母が手作りのケーキを作ってくれた。買えばいいじ
ゃんと思ったが買うよりも作るほうが安上がりらしい。そんな貧乏性なところも俺は
気に入らなかった。
俺の誕生日がやってきた。15歳だった。いつものように母がケーキを作っているところを見た。
「ケーキなんていらねえよ」
ぶっきらぼうにそういったが母は黙々とケーキを作っていた。
突然母がいった。
「バニラエッセンス買うの忘れたわ。ちょっと買ってくる」
ちょっとといっても俺の家は山奥でバニラエッセンス売ってるスーパーまでは
山道を自転車で片道30分かかる。
238: 235 2008/09/08(月) 12:23:50 .net
俺は家で留守をしていた。母が買い物に出かけて10分後ぐらいに突然大雨になった。
雷雨が激しくなった。母は傘を持っていかなかった。心配した妹がかさを届けに行くと家を
出て行った。
2時間後、その妹も帰ってこない。夜8時になって近所のおじさんが俺を予備に家まで来た。
「大変や、あんたのお母さん事故にあったで。」
とりあえず病院に向かった。
山道を下るときに路面の水溜りにスリップしてガードレールを飛び越えて10メートル下のがけに
転落した事故だった。
病院では集中治療室に入っていた。医者の話では頭を強く打って意識不明状態だった。
それから2日後、医者が言った。
「あなたのお母さんは脳死状態です。助かる見込みはありません」
俺は愕然とした。
239: 235 2008/09/08(月) 12:28:48 .net
誕生日のケーキの材料を買うために事故にあった母はその翌日正式な死亡となった。
母の葬儀が終わり俺は親戚の家に引き取られた。
それから3年が過ぎた。俺は高校を卒業し就職することになった。そこで1通の貯金通帳
を渡された。
「これはね、あんたのお母さんがあんたのために少しずつためていたお金だ。好きなように使いなさい」
といわれた。
中を見た。
350円、560円、1010円などの入金があった。それも毎日あった。
貧乏なはずなのに、自分で買いたいものもあるはずなのに、それを我慢して貯金してくれていた。
240: 235 2008/09/08(月) 12:30:25 .net
そして今28になった。結婚もした。妻と母の墓参りに行った。そのときに立派な墓を立ててやった。
たくさん利子をつけてちいさいけれど墓石のある墓を立ててやった。
241: 大人になった
>>235
…震える話を有り難う
243: 大人になった
大していい話でもないんだけど。
このスレ読んでたら思い出したから書かせてクレ。
幼なじみの明ってやつが居たんだけど、保育園の頃からガキ大将で
小学校の高学年の頃には、中学生の不良たちとつるんで
原付バイクを乗り回したり、集団で万引きなんかしてて
地元では(田舎ということもあり)知らない人は居ないってぐらいの
ワルになっちゃってた。
その後、中学生になると、ますます明の暴走は止まらず
400ccのバイクに乗って通学したり、気に入らない先生に暴力をふるったり
まさにやりたい放題。体も当時の中1にしては飛びぬけて大きく
一部の人を除いて、上級生でもビビッて目も合わせないような奴になってた。
だけど、俺も含め同じ小学校出身の同級生や後輩に対しては、変に威張ったりとかは一切せず
学校で会えば「よう!Kちゃん(俺の消防時代の呼び名)お前ちゃんと勉強してるか?」
なんて、無邪気な笑顔で話しかけてきてた。
保育園のころから知ってる俺たちは、明は妙に正義感が強くて弱いもの苛めを絶対にしない
根はとってもいい奴ってことは知っていた。
244: 大人になった
俺たちは中3になり、みんな受験に向かっていた。
俺も例外ではなく、ほぼ毎日の塾で勉強の日々を送っていた。
その頃には、明は学校でもあまり見かけなくなり、噂では
卒業したら地元のヤクザに入るんだと言われていた。
結局、明は卒業式にも来なかった。
それから数年経ち、俺は公立高校を卒業して大学へ進学が決まった。
みんなそれぞれ進路が決まり、地元を離れる奴も多かった。
そこで、同じ小学校出身の奴らでささやかなお別れ会?見たいなのをする事にした。
俺も幹事の一人になった。
さっそく卒業アルバムを見ながら、一人ずつ連絡をして回った。
「明はどうする・・・?」
誰ともなく言い出した。正直、俺も言われるまで明の事は忘れていた。
「よし、俺が連絡つけてみるわ」
言ったのは、俺だった。みんなは少し困惑したような顔をしたが
「あいつも、あんなんなったけど、みんな小さい頃からの仲間やん」
という言葉で、みんなも頷いた。
245: 大人になった
明の実家に電話をかけてみた。
「おかけになった電話番号は現在使われておりません・・・」
考えてみたら、誰も明の家に行った事はなかった。
ご両親も、そういえば会った事ない。
思い出した、授業参観や運動会には、お婆さんが来てたんだ。
小学校の低学年の頃、その事を誰かにからかわれて
明が泣きながら大暴れしたんだった。
「ほな俺、なるべく心当たりを探してみるわ。みんなも頼むな」
そう言って、その日は解散した。
翌日、明の家があった辺りに行ってみた。
同じような平屋の家が何軒も並んで建っている地域だった。
何とか記憶を辿って、確かここだったかな・・・と言う家の前に立った。
猫の額ほどの庭は荒れ放題、家にも人が住んでいる気配はなかった。
ただ、幼い頃に見た記憶のある明の自転車が錆付いて転がっていた。
その時、自転車で通りかかったおじさんに声をかけられた。
「なんや兄ちゃん、その家に用事か?」
「あっ、すんません、ここに住んでた○○明は・・・」
「おう?明やったらもうおれへんど。」
246: 大人になった
「あの、居ないっていうと・・・」
「去年死んだがな。街の方でヤクザやっとたけどな、薬のやりすぎでな。あれワシの身内やねん」
「えー・・・・・」
それ以上言葉は出なかった。
「兄やん明の友達かなんかか?」
「あ、はい。保育園から一緒やって、今度みんなで会おうゆう話しがあって、それで・・・」
「ほうか・・・。ちょっと遅かったのう。あれもアホやでのう・・・。」
しばらく無言で立ち尽くしていた俺に、おじさんが言った。
「兄やん、時間あるんけ?」
「え、あ・・はい。」
「ほなちょっとワシんとこ来いや。明の小さい頃の写真やら何やらあるから」
俺は黙っておじさんに付いていった。
やはり、同じような平屋の住宅だった。促されるままに居間の上がった。
おじさんは、小さなダンボール箱を持ってきた。
開けてみると、小学校の卒業アルバムが一番上にあった。
昨日、連絡する為に何度も見たヤツだ。
247: 大人になった
開いてみた。なんかいっぱい落書きがしてある。
よく見ると、一人ずつの顔写真の下に、当時のニックネームが手書きで書かれている。
いつ書いたのかはわからなかったが、かなり汚い字で、誤字もかなりあった。
俺の写真に下には”Kちゃん”と書いてあった。
卒業アルバムの下には、ジャポニカの自由帳があった。
開いてみた。
おそらく、小学校の2?3年の頃に書いたと思われる日記みたいなのがあった。
学校での事や、虫取りや魚釣りに行った事なんかが汚い字でびっしりと書いてあった。
ある日のページで俺の目は止まった。
「きょうかっこうでばあちゃんのことおバカにされて友だちをなぐった。それおばあちゃんにゆうたら
めっちゃおこられた。友だちはだいじにせなあかんいわれた。なんでわいには母ちゃんも父ちゃん
もおれへんの。」
思わず声をあげて泣いてしまった。
明よう、お前辛かったんやな。寂しかったんやな。
すまんかった、最高にええヤツやったのに。
248: 大人になった
やべー、号泣してしまった…
268: 大人になった
今日よ
俺の養父におとんって言ってやったんだよwwwwww
そしたら養父がいきなり泣き出しやがったのwwwwww
そしたらどうよ?
俺もなんか突然泣き出しやがんのwwwwwwwwwww
真冬の縁側で男二人が会話もなく鼻水だらだら流しながら泣いてんのwwwwwwww
269: 大人になった
俺ね
小学校4年生の時にね両親が交通事故で死んだのよwwwwwwwwww
なんか弟と妹も一緒に死んでやがんのwwwwwwwwww
俺突然天涯孤独だよwwwwwwwwwww
ビックリしたねwwwwwwwwwwww
母方の祖父ちゃんがいい人でよ、なんか俺を引き取るとか言い出したんで引き取られたのよwwwwwwwwwww
そしたら中学校1年の時に祖父ちゃんもあっけなく逝ったねwwwwwwwwwww
ちょっwwwwwおまwwwwwwww
そっからマジ大変wwwwwwwwwww
中学生ながらにこの世の世知辛さを知ったねwwwwwwwwwww
親戚たらい回しっていやマジでタライを回したわけじゃなぜwwwwwwwwwwww
いい人もそこそこ居たけど大半はアレだアレ、お前らそれなんて昼ドラの登場人物?みたいや奴らばっかwwwwwwwwww
俺親戚の引きよえぇえええええええええええwwwwwwwwwwww
中学校3年になるまで転校に次ぐ転校wwwwwwwwwww
俺謎の転校生wwwwwwwwwwwwwwwww
でも勉強だけはしてたんだぜ?家に帰りづらいから図書館に通ってたら暇だっただけだけどwwwwwwwwwwwwww
そしたら中学3年生の3学期の頭だよwwwwwwwwwwwwwwww
なんか遠縁の夫婦が俺引き取りたいとか言い出してんのwwwwwwwwwwwwwwwwwww
何このお人好しwwwwwwwwww
270: 大人になった
で俺、まんまと引き取られてやんのwwwwwwwwwwww
馬鹿じゃね?普通疑うだろ?何か裏があるんじゃないかとか、でも俺疑わない馬鹿だからwwwwwwwwwwww
そしたらこの夫婦、鬼いい人wwwwwwwwwwwwwwww
ほんと鬼みたいにいい人wwwwwwww
迷惑かけられませんのでバイトして家賃いれますとか俺が親切にも提案してやったのよwwwwwwwwwwwwww
鬼のような形相で怒られたねwwwwwwwwwwwww
家賃なんかいらんわボケ、そのかわり家族の一員なんだから家の仕事してもらうからなってwwwwwwwwwwwww
そっから俺の仕事は犬の散歩と風呂洗いwwwwwwwwww
うはwwwwwww俺テラ家事手伝いwwwwwwwwwwwwwww
犬テラカワイスwwwwwwwもっふもふにしてやんよwwwwwwww
で引き取られて一ヶ月、朝から養父と養母がスーツ着て俺待ってんのよwwwwwwwwwwwww
養父が、なんやねんこれは?って俺に進路相談のプリント見せてるのwwwwwwwwwwwwww
ちょっそれ俺の部屋のゴミ箱に捨てた奴wwwwwwww俺のプライバシーwwwwwwwwwwww
ゴミ箱は男の香り満載って皆までいわすなwwwwwwwwwww
俺産まれて初めての三者面談wwwwwwwwwwwwwwww
教師がなんか俺の事メッチャ褒めるwwwwwwwwwwwwwww
こいつは境遇にも負けずに勉強してます、大変かとは思いますが高校に行かせてやってくださいって
教師が養父と養母に頭さげてんのwwwwwwwwwwwwwwwwww
ちょっおまwwwww机に額擦りつけるぐらい頭さげんのは良いけど、お前のハゲ散らかしてる頭頂部が眩しいwwwwwwwww
眩しさに負けて俺涙目wwwwwww教師自重しろwwwwwwwwwwww
そしたら養父だよ養父
突然凄い事言い出すのwwwwwwwww
失礼なこいつには大学まで行って貰うとかwwwwwwwwwwwww
お前俺の人生勝手にきめんなwwwwwwwwwwww
271: 大人になった
なんか教師と養父母テラ意気投合
俺となりでポカーン
仕方がないんで俺テラ勉強
図書館に行くのも面倒なんで家で勉強
養母の夜食テラウメェwwwwwww
ジャコと鰹節の黄金コンビ、おにぎりに突っ込むだけ
ハイハイ無事高校合格
養父母がなんか俺の隣で泣いてんのwwwwwww
お前周り見てみろ、どこの親も泣いてねぇってwwwwww
高校生活マジ楽しすwwwwwwwwww
転校ばっかりだったから諦めてたクラブ活動ってのをやってみたwwwwwww
剣道マジ楽しいwwww篭手とかマジくせえぇえええwwww
なんか大会とかで養父母ガチ応援テラ恥ずかしすwwwwwwww
でも経験の差、俺だいたい2回戦か3回戦止まりwwwwwww
一度ちっせぇ大会で準優勝したら夕食テラ豪華wwwwwwww
養父、普段飲まない酒のんでメッチャ笑ってるのwwwwww
酔っぱらって俺にビール進めて養母に怒られてやんのwwwwwザマァwwwwwww
でなんだかんだで高校3年だよwwwwwwww
楽しい時間って過ぎるの早すぎwwwww時間の流れマジ自重しろwwwwww
大学受験マジ大変
俺頭いいじゃん?だから国立とか狙ったのよ、フヒヒサーセンwwwwwwww
なんか体壊すんじゃないかってくらい勉強したのwwwwwwww
養母とかすげー心配してんの、国立じゃなくても良いのよ、とかwwwwww
俺すげー甘く見られてるwwwwwww国立ぐらい楽勝ざまぁwwwwwww
で俺無事合格wwwwwwwww
体重も6キロ減らしてダイエットも同時に成功wwwww
テラウマスwwwwwwww
272: 大人になった
大学!テラフリーダムwwwwwwwww
必修以外は自分の好きな授業取れるってナニソレwwwwwwww
中学校3年の時の担任に報告wwwwwwwww
教師電話口で号泣wwwwwwハゲ頭の眩しさで涙目になった時の復讐完了wwwwwwwww
俺テラ孔明wwwwwwwwwwwww
1年目は愚民共のレベルにあわせる為に忙しかったからあっという間に過ぎたwwwwwwwwww
養母また心配してやんのwwwwwww勉強も良いけどもっと遊んでもいいのよってwwwwww
お前は相変わらず俺を甘く見てるwwwwww俺の野望の邪魔すんなwwwwwwww
俺弁護士になって俺みたいな糞ガキなんとかすんのwwwwwwww
んで将来そいつら集めて秘密結社結成wwwwwwwwwうはwwwww俺テラ頭よすwwwwwwwww
で2年目
突然養母が倒れやがったwwwwwwwwwwwwww
ベットに寝ながら養母
第一声が勉強はいいの?ってやっぱお前俺甘く見過ぎwwwwwww
で病名は?って訊いたら胃ガンとか言い出すのwwwwwwwwwww
カーテンから入ってくる夕日が眩しすぎて俺涙目wwwwwwww
看護師ちゃんと仕事しろwwwwwwwwww
養父がなんか勘違いして俺の肩ガッチリ抱いてんのwwwwwwwww
ちょっwwwwwwお前も涙目wwwwwカーテンから漏れてる夕日自重wwwwwwwww
で養母
半年後あっけなく死亡wwwwwwwwwwwww
マジあっけなく死亡wwwwwwwwwww
長く苦しむとかそんなん無いのwwwwwwwwwwww
ドラマとかだとガンとかでも結構持つじゃねぇかとwwwwwwwwwww
死因は寝てる時に戻した吐瀉物が気管に入って緩やかに窒息死wwwwwwwwww
俺、その間ベットの隣のソファで寝てんのwwwwwwwwwwwwwwwwww
俺の鈍感力最強wwwwwwwwwwwww
273: 大人になった
で養母の葬儀
集まった親戚が話してんのwwwwwwwwwww
ちょっお前ら昼ドラの連中wwwwwwwwwwwww
あの子は人を不幸にするわねってwwwwwwwww
お前ら人の悪口はもっと大声で言えwwwwwwwww
そしたら養父突然大声だしやがんのwwwwwwwww
うちの息子の悪口言ったボケはどいつじゃぁってwwwwwwwwww
お前痩せすぎの眼鏡のくせに口調ヤクザwwwwwwwしかもテラ葬儀中、マジ自重しろwwwwwww
ちょうど入ってきた坊さんが硬直してんじゃねぇかwwwwwww坊さんも空気読めwwwwwwwwww
で焼き場
養母骨wwwwwwwwマジ骨wwwwwwwwwほんと骨wwwwwwどうしよマジ骨wwwwwwwwwwwwww
どうすんのよ俺wwwwwwwハシが震えて持てないのwwwwwwwwwwww
喉がキュッとなってんのwwwwwwww声でないのwwwwwwwwwwwwww
養母がね骨なのよ
葬儀が終わって暫くたって
つか今日ねwwwwwwwwwwwwww
養父がね庭みてんのwwwwwwwwww
庭手入れする人いなくてマジカオスwwwwwwwwww
なんか背中がスッゲェ小さいのwwwwwwww
俺が後ろにいんのも気がつかねぇのwwwwwwwww
ボソボソなんか言ってるのwwwwww頑張ったねぇwwwwwwとかwwwwwwwww
で俺だよ俺
土下座wwwwwwww産まれて初めての土下座wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
隣で寝てたのに気がつけなくて御免なさいってガチ謝罪wwwwwwwwwwwww
おでこに畳の痕が付くくらい土下座wwwwww俺土下座にも手加減無しwwwwwwwwwww
そしたら養父が俺の首根っこ掴んで引きずり起こすのよwwwwwwwwwww
俺はお前のなんだぁってお前大声すぎwwwwww近所迷惑考えろwwwwwww
あいつはお前のなんだぁってお前二度も大声出すなwwwwwwwwww
で俺ここはエアー読んだねwwwwww空気をカラケとは読まない俺天才wwwwwwwwww
養母に対してずっと出せなかった勇気を今こそ振り絞る時だと悟ったねwwwwwwww
でも俺馬鹿wwwwwwホント馬鹿wwwwwwww恥ずかしくなっておとんとか言ってんのwwwwwwwwwww
お前そこはお父さんだろって自分で突っ込んだねwwwwwwwwwwwwwwwww
274: 大人になった
そしたら>>268ですよwwwwwwww
なんかもう訳わかんねぇのwwwwwwwww
鼻水とか粘性のないのがボタボタ落ちんのwwwwwwwwwwww
うぉおおおおおって言って二人で泣いたねwwwwwwww
うぉおおおおおってwwwwwwお前ら気でも高めてんのかとwwwwwwwwwww
でだwwwwwwwww
あぁwwwwwwそのなんだwwwwwwあれだあれ、おとんねwwwwwwwwww
おとんがね養母にも今度言ってやってくれって言われてねwwwwwwww
おうって男前な俺は男前にグッシャグシャな顔で答えたわけなんだけどねwwwwwww
言った手前ね、もうなんつーの弱音とかね、おとんに吐けないわけねwwwwwwwww
まぁこれが最後のレスなわけでオチっつーオチも無くて釣りでもないわけなんだけど
最初はどっかのスレッドでがーーーーっと書いてスッキリしようと思ったんだけど
突然、今から俺が書くような事を書かれたらスレッドの空気が悪くなると思って自分でスレッド建てて
まぁ俺の我が儘で意味不明なレスを付けるのもあれなのでなんで今から書くような事を書いたのか
分かるように説明したわけなんだけどね
275: 大人になった
おばさんごめんなさい
病気に気がつけなくてごめんなさい
喉を詰まらせたのに気がつけなくてごめんなさい
心配ばっかりかけさせてごめんなさい
勇気が無くてごめんなさい
おかあさんって呼びたかったです
本当に呼びたかったです
でも怖くて出来なかったんです返事が無かったらどうしようかと思うとどうしても言えませんでした
だからこっそり貴方が寝てる時にお母さんって呼びました
俺があなたが生きている間に言えた時はその時だけです後悔してますごめんなさい
お母さん大好きです、本当に大好きです
お母さんの作ってくれたジャコと鰹節のおにぎりが大好きでした
家に帰って暖かいご飯が美味しかったです、お母さんのだし巻き卵が大好きでした
お母さん大好きですお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さん
お母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さん俺のお母さん俺のお母さん
うん、だなOK俺のお母さんだ
途中から自分でも訳わかんなくなって誤字でも探そうかと思ったらすげぇ文章になってるよwwwwww俺テラ電波wwwwwww
うし!スッキリした!まさに俺の我が儘だけのスレッド
とりあえず週末に墓行って言ってくる
お前らマジで親は大事にしろよじゃぁな!
276: 大人になった
>>268-274
草くらい刈れよ
277: 大人になった
>>268-274
 _, ._
 ( ・ω・)  ・・・
 ○={=}〇,
   |:::::::::\, ', ´
、、、、し 、、、(((.@)WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
278: 大人になった
>>268-275
やばいやばすぎる
明日絶対目が腫れてる
今年一番泣いた
お父さんを大事にね
279: 大人になった
>>268-275
やばい、仕事サボって読んだ俺
アクビで涙目になったってごまかしたwww
292: 大人になった
小学1年のころの思い出です。
学校から帰るとき、いつも一緒にいる女子がいた。家が近くて、
待ち合わせしていたわけじゃないけど、なんとなく毎日手をつないだりおしゃべりしたりして
ふたり並んで下校してた。
冬になったばかりのころ、その年初めての雪が降ったある日、
彼女が帰り道の途中にあった月極駐車場(石ころだらけの)に突然入りこみ、
石ころをひとつ、宙に放り投げた。幼い僕は不思議に思って、
「どうしたの?」と尋ねた。すると、彼女はいつも通りの笑顔でこう言った。
293: 大人になった
「あのね、うちのお父さん、病気なの。だから、ここの石さんにお願いしてるの。
 お父さんの病気が治りますように、って。この石を投げて、落ちてくるまでに
 お願い事が言えたら、願いは叶うんだよ。これ、○○君にだけ教えてあげる。
 絶対秘密だよ。」
僕は何も言えなかった。僕は、とりあえず一緒にひとつお願いごとをしてその日は家に帰った。
その晩、僕は寝付くことができなかった。
僕は彼女の親父さんの病名を知っていた。
「悪性リンパ腫」たしかそんな名前だった。
年が変わる頃、僕の願い事は叶った。怪我で入院していた祖母が
帰ってきたのだ。嬉しかったのに、どうしてか寂しかった。
新学期、学校にいつも一緒だった彼女の姿はなかった。
「あの子のお父さん、急に容体が悪くなって、昨日入院したのよ。」
母からその話を聞いたとき、僕の足はあの駐車場に向かっていた。
1つ。2つ。3つ。いくつもいくつも石を投げ、何度も何度もお願いした。
僕は知っていた。いつかこんな日が来ることを。
ただ、こんな日はあともうちょっと後のことだと思っていた。
294: 大人になった
始業から一週間後、彼女は学校へやってきた。
「おはよう。あのさ、お願い、・・・」
その後は聞けなかった。
「大丈夫!」笑顔で答えた彼女の眼は真っ赤だった。
僕の願いが叶った時、彼女の願いは叶えられなかった。
僕は自分を責めた。僕は彼女の願いを横取りしてしまったのだ、そんな風に
考えるようになっていた。
ふたりで毎日歩いたあの道を、いつしかひとりで歩いていた。
それから数日後、彼女が引っ越してしまうということを聞かされた。
そして僕の足はまたあの駐車場に向かっていた。
そこの石の中で、一番丸くて、一番白くて、一番すべすべな石を、
日曜日の朝から五時の鐘が鳴るまで探し続けた。
次の日、僕は初めて学校を遅刻した。
295: 大人になった
引っ越し業者のトラックはすでにやってきていた。
「どしたの○○君。今日は学校でしょ。」
「これあげる。」
昨日一日で見つけた石の中で、最高の石だった。
「ごめんね。」
彼女が泣いた。大声をあげて泣いた。初めて見た彼女の涙だった。
僕の着ていたトレーナーが彼女の涙と鼻水でグシャグシャになった。
「僕のこと、忘れないでね。」
「ありがとう。ありがとう・・・」
彼女の唇は、涙の味がした。
母親に促され、彼女は泣きながらトラックに乗り込んだ。
トラックの窓越しにまだ泣いている彼女に、僕は笑ってほしかった。
結局、僕が見た彼女の最後の笑顔は、真っ赤な眼をしたあのときの笑顔だった。
僕はあれから、できるだけ笑顔で生きようと思った。
いつか彼女と再開するとき、笑顔で会えるように。
今、彼女は笑っているだろうか。
あの石には、そうであるよう願いをこめてある。
長々と読んでくださり、
ありがとうございました。
296: 292-295 2008/11/24(月) 21:22:41 .net
すみません追記
295の「彼女の唇は涙の味が」っていうのは
顔面を押し付けてきた彼女の唇が自分の口にヒットしたので・・・
えっとノロケに見えたらごめんなさい。
思えばあれがファーストキスでしたが、恋愛感情は全くなかったので。小1ですし。
荒れそうな気がしたので釈明しておきます。(最初から書かなきゃ(ry
303: 大人になった
俺の体験ではなくて、消防の頃に目撃した、未だに、お そらく一生忘れられない
両親のセクースの話で恐縮なんですが・。 20年くらい経った今でも、昨 日のようの
ことに思い出します。
少学5年の夏休みが終わりの頃でした。 いつも のように飯を食って風呂に入って
一旦寝たんですが、なんか夜中1時頃になっても寝つけません でした。で、何か
食おうかなと思いつき、1階の居間に行くことにしました。
階段 を降りかけたところで、両親の寝室のドアが5センチくらい開いていて、何やら
騒がしい(?) 声が聞こえました。
俺は、既に何回も、声と気配を感じたり目撃していたため、ある意味 (?)
慣れていました。 時には、部屋に帰ってオナーニのおかずにしていたので。(笑)
だからその時も、 「あ、またヤってるのかな。でもドアしめろよな? !」と、半分ムカ
ツキながらも、いつものようにスケベ心がムクムクわいてきたので、抜き足差し足で
ドアの隙間 に近寄り、息を潜めて、中のようすをうかがいました。
この日は、月の光がとても明るく て、部屋の中はわりと鮮明に見えました。
ベッドの上で、パジャマ姿の父が、あ お向けに寝ている母に覆い被さるように
していました。 セクースする前かした後かはわかりません が、抱き合っていました。
何故か母はすすり泣いていました。 そんな母を父は抱き、キスした り頭を撫でながら、
「大丈夫や。 何も、心配すんな。○○(俺)も○○(妹)も、ええ 子やから。」
「俺がついとるから、何も心配すんな。大丈夫、大丈夫。 愛してるから。待っとる から・・」
「心配すんな○○(母の名前) 愛しとる!俺がついとるから! 」 などと、大きな 声で語り
かけていました。 
やたらと 「大丈夫」とか「心配すんな」を繰り返す父に 、俺は何か、いつもと違う雰囲気を
感じていました。 なんか、切羽詰った雰囲気でした。
その後、母が半分叫ぶように、
「○ちゃん(父の名前)、私怖い・・!嫌や?。お願 い、ずっと抱いてて!怖い!」と
言いました。そしたら父が、
「アホ!おまえがそんな弱気 でどうする!絶対戻ってこような、大丈夫やから!」と
叫ぶように言い、なんか、父まで泣き声 ぽくなってきて、二人で抱き合って大泣きし
はじめました。
俺は唖然としましたが 、目が話せなくてそこから動きませんでした。
304: 大人になった
しばらくしたら、母の泣き声がなんか 喘ぎ声ぽくなってきて、フッと見ると、いつの間にか
パジャマを脱いだ両親がヤってました。  父は何度も母の名前を呼び、今まで見た事も
ないような優しいしぐさと声で、母を愛撫していま した。 母は喘いでいるだけでなく、
やっぱり泣きつづけていました。
「絶対直る から。絶対良くなるから。俺がついてるから! がんばって治そうな。
正月になったら、また○ ○(俺)と○○(妹)とお前で、グアムあたり行こうか!なぁ!」
と、父が母に語りかけ ました。
その時になって、俺は母が何か病気かケガをしていて、ちょっとヤバイ事になっ てる
のだということを、初めて知りました。母ちゃんヤバイんか? どんな病気なんや?
何なんだ一体!! と、激しく動転しましたが、俺は何故か一歩も動けず、声も出せ
ないまま、 両親をそのまま見ていました。
そうこうしているうちに、母がいつのまにか父の上に乗り 、腰を動かし始めました。
ふとんがほとんど剥がれていて、揺れるオパーイが月の光で丸見えでし た。
母は泣いているようにも笑っているようにも見えました。
「○ちゃん(父)と結婚して、私とって も幸せや・・。」 みたいな事を、母は言いました。
何故かその言葉で、俺は、勃起しながら泣 いてしまいました。
その後、どのくらいその場にいたか覚えてませんが、気付いたら俺は自分の 布団で
泣いてました。 その夜は、結局一睡もせずに終わってしまいました。
その 翌日、ばあちゃんが家にきました。 母は、「お母さんしばらく病院いくから、ばあちゃんに
ご 飯つくってもろてね。」みたいな事を、普通に明るく言い、病院に行きました。 
俺は、頭が真 っ白になりました。妹は全然わからないみたいで、「いってらっしゃーい!」と
元気に送り出しま した。 
母は、そのまま入院し、11月に亡くなりました。 末期の膵臓ガンでした。3 8歳でした。
父は、男手ひとつで俺と妹を育てあげ、妹を嫁に出した4年前、母のところに行き ました。
俺は今、嫁さんとこの家に住んでます。 心なしか、両親の寝室(今はほとんど 物置(?)
に行くと、嫁さんとケンカしていても、優しい気持ちになり、すぐに仲直りできる感 じがします。
嫁さんもそう言ってます。
長文失礼しました。
315: 大人になった
小学生の頃、私は酷くトロい子だった。
運動は苦手、食べるのも遅い、とにかく何もかも要領が悪い。周りの子から「のろま」と呼ばれていた。
それで全く自分に自信が無かったが、一年生の半ば、授業で書いた読書感想画で賞を取った。
当時担任だった先生がそれをめちゃめちゃ褒めてくれて、
「君は絵がすごく上手だ。確かに走るのは遅いし給食食べるのも遅いけど、
君の絵は才能だよ。それ一つだけで、君は素晴らしい子なんだよ」
と言ってくれた。
それがきっかけで絵が好きになり、毎回何らかの賞を取る事が出来て
自分に自信も付いた。
小学校を卒業する直前、その先生が交通事故で亡くなった。
お葬式に行ったら、先生の奥さんから
「うちの人、家でもあなたの絵をすごく褒めてたよ。あなたにはそういう道を進んで欲しいって、いつも笑いながら言ってたよ」
と聞いた。
先生が見てくれてると信じて絵を描き続け、今は美大にいる。
先生がいなかったら、今の私は無いと思う。
先生、本当にありがとうございます。
長文失礼しました。
318: 大人になった
>>315
そんな素晴らしい先生に会えて幸せ者ですね♪
私は小さい頃から劣等感の塊だったし、特別自慢できるようなこともなく、もう23になります。
私にはそんなでかい存在の人はいないけど、今まで出会ったたくさんの人のおかげでいまの私がいることに改めて感謝しようと思いました。
ありがとう。
324: 大人になった
先日押入れの掃除を母としていた。
押入れの奥から、父の昔のアルバムなどが入った段ボールがあり
掃除の途中だったが整理しようと思いおもむろにあけて中身を見た。
中には昔の道具箱のようなものあった。
なんでも物をとっとく父らしく中にはいろいろ給料明細や
手帳や封筒がごちゃごちゃと入っていた。
アルバムには昔の父の写真が入っていた。アルバムの他に寿みたいな
文字が印刷された物があり見たら、父の前妻との結婚写真だった。
うちの父は今の母とは再婚だ。前妻は病気で亡くなったとゆうことは
中学の頃、偶然知った。3人兄弟で一番上の兄は父と前妻の子だった。
母に気を使ってか、前妻の写真は私はほとんど見た事がなかった。
初めて見る前妻の写真は長身でなかなかきれいな人だった。
前妻は母の母の姉妹だったので、母は●●ちゃんだわなんて
懐かしそうに言っていた。
その写真を結婚式をあげていない母に見せるのは
戸惑っていたが、何年も前なんだからといっていた。
他の写真を母が見ているうちに私は道具箱の中の社名が入った封筒の中を
出したら、手紙のようだった。
○○さんへ
いつも○○さんには食事をごちそうになっていますね。
先日ふだんクールな○○さんがお酒がはいってすごく話しやすく
なっていましたね。
325: 大人になった
短い手紙だったがたぶん結婚前のものなんだろう。
他にもデートの内容の手紙が何通かあった。
それと薄い紙がありそこに書かれたのは死亡診断書だった。
父はこのときどんな気持ちだったんだろうか。
その手紙などは母には見せなかったが、当時の父の心境を
思うと切ない気持ちでいっぱいになった。
お酒を飲むと陽気になるのは昔から変わってないんだなとか。
自分の今の悩みがすごくちっぽけに感じられた。
父も母も私は尊敬している。
354: 大人になった
三年前に婆ちゃんが亡くなった。
婆ちゃんは元気な頃はかなりの読書家で、遺った沢山の文庫本を、婆ちゃんにはかなわないが読書が好きな私がもらう事になった。
婆ちゃんが亡くなって半年位経った頃、遺品の中の「金色夜叉」を読んでたら、メモ用紙が数枚挟まってた。
見ると、母、父、爺ちゃん、私の名前が、婆ちゃんの字でびっしり書いてあった。
婆ちゃんは亡くなる数年前から痴呆が始まり、お見舞いに行っても「あら、どちら様?」と言ったり、友達や看護士さんと家族を混同したりしていた。
たまに正気に戻ると「家族を忘れるなんて」と泣いた。
多分、何回も名前を書いて、すっかり忘れないように頑張ってたんだろう。
そう思うと切なくなって、メモ握りしめてわんわん泣いてしまった。
そのメモ用紙は、今も大事にしまっている。
357: 大人になった
ちょうど去年の初めに、母さんが死んだ。
俺は一人っ子で、大事に育てられたんだと今ならはっきり言える。
特別に溺愛されてたような実感もなかったし、よく怒られた。
俺ってば遊びたい欲求ばっかり優先して、家に帰るのも0時を過ぎてから。
母さんも父さんも寝てるし、休みの日は夕方まで寝て、起きたらまた遊びにいく。
そんな日々の繰り返し。
そしたらお母さん癌だって。
もう真っ白だったね、自分自身をまじで殺したいと本気で思った。
それからの闘病生活、手術はできないほど進行してたから放射線と抗がん剤の化学療法。
ただの一度たりともお見舞いは欠かさなかった。仕事の日も、定時で一度抜けてバイクで
見舞いに行って、また戻って仕事してた。
いつでも笑顔だった母さん。
俺が行くと絶対に笑ってくれた。
俺の家族ってばどいつもこいつも人の心配しかしてなくてさ、
父さんは俺の前で絶対泣かなかったし、弱音もはかなかった。
母さんも笑顔を絶やさなかった。痛いのに、苦しいのに。
俺も両親の前では泣かないようにしたし、支えてやろうって。
お母さんが死んだ後、父さんと二人で泣いた。
生まれて初めて父親の泣いてるとこ見たんだよ。
二人で抱き合った。
涙も止まらなかった。
父さんって、淡白な人だからわかんなかったけど、実は母さんのことめちゃくちゃ
愛してるんだなって知って余計に悲しくて…
そして母さんの葬式が終わって、遺品を整理してたらふいに父さんが
「おい、これお前のや」
といって何か紙みたいなの渡してきた。
めっちゃくちゃ汚い画用紙でできた二つ折りのボロけた紙には
「おかあさんへ」
「おかあさん、まいにちごはんつくってくれてありがとう」
クレヨンで、死ぬほど汚い字で書かれてた。
小学校一年生の時に俺が書いた手紙。
18年間、後生大事に持ったみたい
それ見たら涙とまらんくなったwww
もうねww無理だよww泣くなっていうほうがww
ずるいよおかんww
お母さんがいなくなって寂しい
お母さんがいなくって辛い
お母さんに会いたい
お母さん愛してる
なんつか本当に俺愛されてたw
世界で一番俺を愛してくれてた人。
まだお母さんのところには行けないけど、父さんとふたりで元気でやっています。
361: 大人になった
ひぃばぁちゃんが亡くなるちょっと前に、まるで懺悔のするかのように私に話してくれたお話。
ひぃばぁちゃんはそりゃーもう、気の強い、たくましい人だった。
隔世遺伝だか何だかで、その性格はうちの母にしっかりと受け継げられている。
それに対し、ばぁちゃん(ひぃばぁちゃんの娘)は気立てのいい、優しく穏やかな人だったらしい。
でも、ばぁちゃんは若くして、ガンで亡くなった。
ばぁちゃんの死は家族に絶大な衝撃を与えたと聞いている。
それほど、良き妻であり、良き母であった人らしい。
ばぁちゃんは幼い頃からそんな感じで、
ひぃばぁちゃんに口答えはおろか、逆らったこともないらしい。
もちろん、親子喧嘩になったこともないと言っていた。
いつも、穏やかでにひぃばぁちゃんに従順な子だったという。
だからこそ、ひぃばぁちゃんは娘の行く末が心配で
娘の意見なども聞かずに、地主さんの息子さんとの縁談をさせた。
もちろん、娘も文句一つ言わずにそれを受けた。
お相手はばぁちゃんの事を大層気に入り、縁談は順調に進み結納も済んだ。
いざ明日は嫁入り!と、いう晩にばぁちゃんはひぃばぁちゃんにこう言ったそうだ。
「お母さん、やはり私は嫁ぎたくないんです。」
後から思えば、それはばぁちゃんの最初で最後の反抗だったらしい。
とても申し訳なさそうに、泣きそうになりながらの物言いだったんだという。
でも、ひぃばぁちゃんは理由も聞かず、すごく強い口調でそれを咎め、黙らせてしまった。
翌日、何もなかったかのように嫁いでいった娘に安心してると
夜になって、家に「先生」という人(多分、どっかの教授なんだと思う)がやってきて
「娘さんを僕に下さい!!」
と求婚してきたそうだ。
先生は随分と前からばぁちゃんと恋仲で、結婚を誓った仲だったらしい。
でも、嫁ぐことを知らなく、たまたま求婚してきたのが嫁いだ日の夜だったのだ。
ひぃばぁちゃんは事情を説明して、先生にはお帰りになってもらった。
他に愛する人が居たことを、ばぁちゃんは死ぬまで誰にも話さなかったらしい。
ひぃばぁちゃんも、先生があの夜求婚してきたことは誰にも言わなかったという。
どうしてあの夜、娘が嫁ぐのを嫌がる理由を聞かなかったのか。
どうしてあの娘の初めての反抗を、強い言葉で咎めてしまったのか。
普段、反抗なんて絶対しない心優しいあの娘の気持ちをどうして汲み取ってやれなかったのか。
ひぃばぁちゃんはその事を人生で一番後悔していると言っていた。
ばぁちゃんに似てるという私に話すことで、懺悔のつもりだったのかもしれない。
362: 大人になった
小学生の頃、秘密基地を作るのが校内での流行だった。
田舎だからボロ小屋とか防空壕、山の中とかに段ボール持ち込んで。
でも下級生がいい所見つけて基地作っても、すぐ上級生に見つかって占拠されたり破壊されたり。
それでも自分のグループはあちこち基地を作り続けてた。
何回目かの基地は山の中で、雨風凌げる木の穴みたいな所だった。
作って数日後、放課後に行くと、そこに知らない汚いオッサンが寝てた。
置いてたお菓子が食われてて、自分らはオッサンを叩き起こして猛然と抗議した。
するとオッサンは、小学生の自分らに頭を下げて謝ってくれ、ポケットからこれまた汚い十円玉を出し、一個づつくれた。
そしてニコニコ笑い、「良かったら俺をここの管理人にしてくれ」と交渉してきた。
人が良さそうな笑顔だったし、なんか可哀相になって、自分らはそれを了解した。
オッサンは時々いなかったけど、大抵はいつも基地にいて、出所不明の果物とかをくれたりした。今になって思うと、畑から盗んでたんだと思う。
それでも基地を改造しててくれたり、横の木にブランコ作っててくれたりで、いつの間にかオッサンと自分らはいい友達になってた。
しばらくそんな生活してたが、ある時、基地が上級生に見つかった。
が、上級生は管理人のオッサンにビビって逃げて行き、基地は占拠されずにすんだ。
自分らはオッサンを褒めたたえたが、その時の上級生がオッサンの存在を親にチクったんだ。
翌日、大人達によってオッサンは追い出され、基地も「危ないから」と撤収させられた。
数日後、道端でうろつくオッサンを見つけて話しかけたら、オッサンは
「ごめんなあ、ごめんなあ」
って泣いた。なんだかよくわからなかったけど、自分らも泣いた。
オッサンはその後行方をくらまし、どこでどうしているかもわからない。
ただ、自分にとっては、今も友達だ。
あれから十五年以上経つけど、オッサン元気にしてたらいいなと思う。
364: 大人になった
あまりセピアじゃないけどとりあえず。
スレチとかだったらごめん。
俺の誕生日は3月20日なんだ。
3月20日って、地下鉄サリン事件があった日であり、イラク戦争開戦日でもあるんだ。
つまり、俺の誕生日はいろんな人が死んでるんだ。
だけどたくさんの人が死んだ日、てよりも俺には一人の人間の命日である事の方が大きかった。
いかりや長介の命日。
俺は小さい頃からドリフが大好きでさ。
その中でも、長さんが何故か一番好きだった。
本来嫌われ役の長さんなんだけど、俺は何故か好きだった。
だって、面白かったじゃん。
みんな笑ってるし。
ちょっと憧れたな。俺面白くなかったから。
ある年の誕生日、浮かれた気分で帰ってきてテレビつけたら、長さんが死んだ、てニュースが流れたんだ。
それ見て、唖然としたよ。
一瞬、自分の誕生日だということ忘れたわ。
で、その日は号泣した。
元気そうにしてた長さんの姿思い出すたびに泣いた。
後日放送された葬式での、加藤茶の話でも泣いた。
あまりに号泣してて、家族からも心配された。
それだけ、俺の中の長さんはでかかったんだ。
今でも、誕生日になるとまずは黙祷してる。
長さんが死んだのは中学生の時。
もう大学生。つまらない、とよく言われていたあの頃とは別人のように変な奴になった。
回りを笑わせるのが好きだ。自分が、長さんの変わりに人を笑わせていられる気がして。
自己満足かもしれないけど、これが俺なりの長さんへの追悼なんだと思う。
お笑い芸人になる!と言ったら全力で反対されたよ。
流石に、親としてはそれは嫌なんだろうな。
結局、普通に大学進学しちゃったし。
今は、お笑い芸人じゃなくても人を笑わせられる職業探してる。
どんな相手でも笑わせることが出来る。
長さんがそうだったように、俺もそうなりたいと思っている。
365: 大人になった
俺が進路で悩んでたとき言われた言葉
「仕事ってのは誰かの笑顔を作る事なんだ。芸人は今の笑顔を作り、教師は未来の笑顔を作る。
今も世界のどこかで、拳銃持って戦っている人たちも誰かの笑顔を作るためにやっているんだ。
でも、どうせなら殺しあう両方を笑顔にしたい。それができるのは教育だけなんだ。
だから、俺は教師になったんだ。 お前は誰を笑顔にしたいんだ?」
この言葉を聴いてお笑いの道をスパッとやめて教師になってしまいました。
泣ける話じゃなくてスマン
367: 大人になった
自分>>365じゃないが、数年前まで教師やってた。今は予備校講師。
それでいろんな教師見て来たが、本当にいい教師ってのは周りの評価とか気にせずに生徒の進路を何とか叶えようと頑張ってた方々だな。
進学校なら大学に行かせないと、かなり周りからの評価が下がる。落ちて浪人ってのはしょうがないけどね。
だから「アーティストになりたい」とか「芸人になりたい」とかの夢を叶えたい系の話を諦めさせて、大学に行かせるのが大概の教師。>>365の教師みたいにちょっと感動的な話をしたらチョロい。自分もよく諭して進路変更させた。
だけど、本気で生徒が言ってるなら、稀にだが全力で応援する教師もいた。
一緒に親御さん説得したり、あっちこっちの芸能プロ調べたり、オーディション調べたり、と。
中にはプロになったOBもいて「先生のおかげです」とお礼にくる元生徒もいた。
>>365がどっちの教師かは知らないが、生徒を本当の意味で幸せにしてやってくれな。
368: 大人になった
余り泣ける話じゃないかもしれないけど、自分の高校受験の話。
筆記が終わって、次の日に面接を受けた時の事。
すげぇアガリ症の俺はこれ以上ないぐらい緊張してた。
もう頭真っ白で脈拍が半端じゃない。
実際、面接中に何聞かれたかも覚えてないから余程緊張してたと思う。
そんな俺でも、未だに忘れてない事が一つだけある。
周りの奴だって皆ガチガチだったから、空気の重い控え室。
そんな空気を一瞬で変えてくれたのが、高校の先生だった。
「大丈夫だ、もっと落ち着いていきなさい」
そう言われた時、その場が急に和んだんだ。
で、上で言った通り聞かれた事何も覚えてないけど俺は無事受かった。
高校に入ってすぐ、俺はその先生にお礼を言いたくて事務室に行ったさ。
覚えてる限りの特徴を言って、やっとその先生が誰だかわかったんだ。
けど、一足遅かった。
俺の入学と同時に、その先生は転勤になってたんだ。
結局、高校の3年間でその先生に会う事は出来なかった。
でも多分、その先生の事一生忘れないと思う。
あの先生の一言がなかったら、今の俺はいないから。
本当に、有難う御座いました。
俺、元気にやってます。
385: 大人になった
この季節になると思い出すことを吐き出させて。
昔から親と、特に母親と上手くいかなかった。
小生意気で口が立ち、かつ強情だった性格も原因なのだろうけど
結構早い段階(4?5歳くらい)から、ケンカの度に
虐待に近い暴力を受けていたり、でも父はそれを止めてくれなかったり。
実家を出るまでは、家族の中で自分が孤立している印象しかない。
そんな私の唯一の味方は父方の祖父だった。
通学路に祖父の家があったのでよく遊びに行っていた。
親子ケンカで家をたたき出されて夜中に泊まりに行ったこともあった。
母は親戚一同に私のあることないこと言っていたようだけど
親戚の集まりの際、そんな状況になっても
「(私)は優しくていい子なんだ」と言ってくれたと叔母から聞いた。
涙が止まらなかった。
386: 385 2009/04/14(火) 01:19:40 .net
大学で上京して、年に数回しか実家に帰らなくはなったけど
祖父には帰る度に顔を出しに行ったり、お土産渡したり。
そんな中、就職して1年目の冬。祖父が倒れたと聞いた。
「もう最後の冬かも知れないから帰ってこい」と実家から連絡があった。
ビクビクしながら大晦日過ぎに実家に行くと……元気な祖父の姿。
「なーんだ元気じゃん」と拍子抜け。祖父はニコニコしていた。
1月4日くらいだったか。両親&兄弟は外出、私は夕方から同窓会で出かける予定。
祖父の晩酌用に何か作っておいてと言われて、だし巻き卵を作った。
ちょっと卵多すぎて、固くなっちゃってごめん、と出したら
「晩酌ができて、孫に肴も作って貰えて、ワシは幸せだ」と言った。
ちょっとテレながら、何いってんのと言いつつ家を出た。
その2ヶ月後。祖父がまた倒れたと聞いた。
今度の病状は深刻らしい。でも私は正月のこともあっていまいち信じられなかった。
「早く見舞いに来い」と言われたが、実家は都内から片道5時間の距離。
仕事がおそろしく忙しく、月の休みが1?2日の状態だったので
そのうち行こうと思いながら日が過ぎていく。
4月頭。両親から電話があった。
「もっと早く、きつく“帰ってこい”と言えば良かった」と父。
祖父は、私のことももう会ってもわからないかもしれない、という状態だった。
387: 385 2009/04/14(火) 01:21:52 .net
どうにか1日だけ仕事をやりくりして、実家にすっとんで行った。
空港から病院に向かう車の中で、父が今の状況を淡々と話した。
もうすぐ植物状態になるかもしれないということ。
そうしたら、延命処置をするかどうか選択しなくてはいけないこと。
病院に行くと、呼吸器やらチューブに繋がれた祖父がいた。
人間、こんなに短期間にやせ衰えて人相が変わるのか、というくらい
以前の祖父とは別人のようだった。
見た瞬間に涙が止まらなくなった。
祖父のベッドの周りには、祖父の姉妹が集まって手をさすりながら
「がんばれ、がんばれ」と言っていた。
私は泣きながら「ごめんなさい」と言うのがせいいっぱいだった。
もっと早く来られなくてごめんなさい。
そして、こう思った。もう、がんばらなくていいよ、と。
こんなに管に繋がれて、身動き取れなくて。何よりも人に気を遣われるのが
嫌で気ままな祖父だから、辛いだろうと思って。
ほとんど何も言えないまま、泣きながら病室を出た。
でも。実はこんなことも頭の片隅によぎってしまっていた。
祖父がもう長くないのは確実だ。
でも、私は2?3日したら、仕事で10日以上家に帰れない状況になる。
タイミングによっては、葬式に出られないかもしれない、と。
こんなことを考えた自分に、死ぬほど自己嫌悪したけど。
でも両親も諦めモードで葬式の準備をしていて、ああ、
人が死ぬのってこういうことなんだ、と思った。
その日の遅くに都内に帰ってきて、寝て。
次の日の朝、母からの電話で起こされた。
「祖父が昨夜、私が帰った後に息を引き取った」と。
388: 385 2009/04/14(火) 01:23:24 .net
仕事は奇跡的に、通夜?葬式に参加できる状況だった。
職場からそのまま帰省するようなスケジュールだったけど。
1?2日ずれたら無理だった。
自宅で安置されている祖父を見て、また涙が止まらなかった。
もしかしたら、私の気持ちをくんでくれたのだろうか。
そんな事を思って。祖父の棺の前でずっと泣いていた。
両親とは未だに少しぎくしゃくしている。
でも、あなただけは、きちんと私を愛してくれたという実感があるから
私はなんとか生きていけてます。
もっと美味しいだし巻き卵食べさせてあげたかった。
そして病室であんなことを思ってしまってごめんなさい。
もう何年も経つのに、未だにあなたのことを思い出すと泣いてしまうよ。
言いたいことは山ほどあるけど。
本当にありがとう、おじいちゃん。
長文スマソ
408: 大人になった
これは「泣ける」という話ではない。
= = = = =
今年は親父の17回忌である。
親父が亡くなったという電話が御袋からあったのは夜だった。以前、脳卒中で倒れたりしていたので
そんなに先は長くはないと思っていたが、いざ事が起きてみると泡をくってしまう。救急車で病院に
運ばれたが、救急車に乗せる前に既に事切れていたということで警察での検視が必要であった。
ということで亡くなった親父のもとに家族が集まったのは、真夜中の警察署であった。御袋、弟、赤ん
坊を抱えた我が女房はわんわん泣いていたが、これから何をどうやって、とにかく葬式を出さなくちゃ
ならないし、だけど葬式なんか段取りしたことないし、まずは泣きまくっている家族を今夜はどうして
落ち着かせれば良いのか。色んなことが頭の中を巡って、悲しいというより「こりゃ大変なことになる」
という感情が強かった。
409: 大人になった
そうこうして警察署で話をしたり聞いたりしているとやはり生理現象は起きるもので、一人便所へ向かった。
5つか6つ、アサガオの並んだ真夜中の警察の手洗いで一人小便をしていると、気が緩んだのだろうか
無性に泣けてきた。親父の色んなことが思い出されてきて、こらえてもこらえても涙と鼻水と声が出てきた。
小便も終わってある程度泣いたら幾分、気分が楽になった。「長男がしっかりしとかんと」とハンカチで
目と鼻をぬぐって深呼吸をして便所の扉を開けて外に出たら、そこに立っていたのは親父の担当をしてくれた
お巡りさんだった。少し小太りで警官の制服に黒ぶちの眼鏡を掛けていた。自分も御手洗いに行こうとして
便所まで来たら、中から私の泣き声が聞こえたに違いない。互いに黙礼をして入れ替わった。
410: 大人になった
今も、あの便所の外でかしこまって立っていたその姿、その気遣いは忘れられない。警察官という職務上
慣れた場面ではあったろうけど、慣れてしまうと遺族の気持ちに頓着しなくなることも考えられることである。
あんなお巡りさんが日本のあちらこちらで、日本の夜を守っていてくれるから、安心して今日も高いびきを
かいて寝られるのだと思う。
今自分が、あのお巡りさんくらいの歳になった。
411: 大人になった
>>410
いい話だ。日本のお巡りさん頑張れ!
413: 大人になった
うちの母が作るミートソースは、目茶苦茶旨かった。
家族全員大好物だったんだが、そのレシピを聞かないうちに急性白血病で亡くなった。
亡くなって数年経った時、父が「あのミートソース食いたいな」と急に言い出した。
私も弟も食べたかったので、あの味の再現をしてみようという事に。
ベースは某メーカーの缶詰ミートソースだというのは知ってた。
が、そこに何を足せば母の味になるのかがわからない。
私と弟で色々とブレンドし続け、三日くらい連続で夕飯ミートソーススパゲティ。朝もミートソーススパゲティ。
そろそろ飽きが来る……って時に、弟が作ってみたミートソースが、偶然母のと同じ味になった。
最初は皆で「コレ!コレだよ!」と絶賛しながらがっついてたが、
次第に言葉が無くなり、食べ終わる頃には皆して泣いてた。
今でも母の月命日には、絶対にそのミートソースを食べる。
414: 大人になった
>>413
いい話だね そのレシピ参考までに教えて
421: 大人になった
627 名前:大人の
彼との結婚を私(25歳)の父と母は猛反対していました。
彼は昔両親を亡くして、祖父母に育てられていました。
そして4年前祖父が亡くなり、彼は32歳になる今まで84歳の祖母と二人暮しでした。
それが反対の理由でした。
「何も結婚してすぐに介護が目の前にあるような結婚をする事はない」と。
結婚を申し込みにきた彼と彼の祖母ににもそう言い放ったんです。
その2日後でした。
彼の祖母が置手紙を残していなくなりました。
仕事から帰った彼からの電話で、私達は必死で探しました。
探して探して探して
空が明るくなりかけた頃、彼の祖父の眠るお墓の前に座りこんでいる祖母を見つけました。
歳も歳だったので衰弱し、そのまま即入院になりました。
その事がきっかけで、私の両親も私達の結婚を許してくれ
結婚式はせず、すぐに籍だけをいれました。
もう10年近く前の話です。
祖母は入院後1ヶ月ほどで亡くなりました。
その時の手紙です。
422: 大人になった
●●へ(彼の名前)
ばあちゃんは本当に貴方がかわいかった。
貴方のお父さんとお母さんが死んだ時
私のこの先の人生は貴方の為に使っていこうと心に誓いました。
ばあちゃんは年であるしお金もない
何も何も持ってはおりません。
貴方への愛情だけです。
そして貴方はばあちゃんの事をとてもとても大切にしてくれた
とてもとても良い子に育ってくれました
そして人生の伴侶となるべき相手を見付けました。
でもばあちゃんがそれをじゃましているんだね。
幸せになってください。
ばあちゃんは貴方を育てる事が出来た事がとてもうれしいです。
とてもとても幸せでした。
妙子ちゃん(私)と、どうかどうか幸せになってください。
436: 385 2009/07/27(月) 03:24:43 .net
ささやかな出来事だけど。
物心ついたときから両親と折り合いが悪くて、しょっちゅう
家を叩き出されるような大ゲンカをしていた。
今から思えば、自営業の経営が上手くいかなかったり、曾祖母の
介護問題だったりと、両親もストレスが溜まっていたのだろう。
ケンカと言っても、実際は父や母が私を一方的に殴ったり蹴ったりして
(今だと下手したら虐待で逮捕レベル)
こちらが命の危険を感じて家から飛び出す。
でも次の日にはほとぼりが冷めていて、またふとしたことで
両親のどちらかが怒って…という繰り返し。
自分の家が若干他と違うことは気づいていたけど、田舎だし、中学生だし、
今さえじっとガマンしてれば。高校卒業したらこの地獄も終わる。
だからそれまで、死なない程度にガマンしよう。そう思っていた。
中三の夏休みのことだった。ふとしたことがきっかけで父を怒らせた。
それは私も多少は悪かったのだけど、たまたま虫の居所が
悪かった父は尋常じゃない怒り方をした。どんなに泣きながら謝っても
殴られ、蹴られ、立てないまま腹部を何度も蹴られた。
そして出て行けと言われた。リアルにこのままじゃ死ぬと思った。
仕方なく荷物をまとめて祖父の家に出て行った。
437: 436 2009/07/27(月) 03:26:19 .net
あ、名前違うスレにカキコしたときのママだった…
436です。すいません。
学校は夏休みの補習中だった。
家に帰ることは許さないけど学校は行け、が親の命令だった。
普段は1?2日したらほとぼりは冷めてるのに、このときは親父も
今思うとさすがに気まずかったのか、「帰ってこい」の声はない。
2日目の朝、祖父の家から学校へむかった。線路沿いの道をとぼとぼ歩きながら
このまま帰れないんじゃないだろうか、と途方に暮れていた。
その時だった。
「おはよう」
どこからか声がした。びっくりして声がした方を見ると、
信号待ちの車の中から、同い年くらいのジャージ姿の男の子がこちらを見上げている。
びっくりしていると、信号が変わった。運転している父親らしき人が
「知り合い?」と聞いているのが見える。彼がどう答えたかは聞こえなかった。
あっという間に車は走り去った。部活に行く途中だったのだろうか?
438: 436 2009/07/27(月) 03:27:32 .net
ただ、一声かけられただけだった。
あまりにもしょげた顔で歩いてたから、からかおうと思ったのかもしれない。
でもあの時の私には、たった一人きりで、誰も味方がいなくて、
孤独で絶望に満ちていた私の世界に「違うよ。一人じゃないよ」
そう言ってくれた、救ってくれたような気分になった出来事だった。
その瞬間まで冗談抜きで、死んでしまいたいと思っていたくらいだったから。
たった一言の挨拶で、人は救われることがある。
その数年後、なんとかその生き地獄を無事脱出して、五体満足で生きている私は
自分もいつか、そんなことができればいいな、と思いながら毎日を過ごしている。
長文スマソでした。
442: 大人になった
うちの父は昔から私の帰りが遅くなると駅まで迎えにきてくれた。
それが小学生の頃はたまらなく嫌で、わざと親に帰宅時間を知らせなかった日があった。
ホームから出ると、愛知では珍しく雪が降っていて、ひどく冷え込んでいた。
その日、駅の外で待っていたのは父では無かった。
父が出張で不在、祖母も病気だった為、祖父が体に鞭打って迎えに来てくれていたのだ。
当時、祖父は既にガンが全身に転移していて、もう長くはないからという事で最後の自宅療養の為に帰宅していた。
後から聞いた話だと、爺ちゃんは雪の中、暖房も付けずに30分以上待っててくれたらしい。
・・・罪悪感で死にそうになった。
当時、両親が離婚したばかりで、祖母と祖父は私を不憫がってとても甘やかしていてくれた。
しかし私は、いつしかそれを当然のように受け取るようになっていた。
爺ちゃんが病気になる前は、罪悪感どころか感謝すら感じず、むしろ傲慢にも文句すら・・・。
爺ちゃんごめん、本当ごめんなさい・・・こんな孫でごめんなさい。
恩返しもできないまま逝かせてごめんなさい・・・(´;ω;`)
前スレ789 ヒョロヒョロのじいちゃん
を、ほんわか2で読んだら書き込まずには居られなくなりました。
長文すみません。
446: 大人になった
なんか、書きたい。でも文才がなくてすいません。そして、長くてごめん。
俺、生まれたときから両親がいなくて、
親戚も付き合いはあったものの引き取るという人はおらず
ずっと施設で暮らしてた。
もちろん小学校には普通に通ってて、
低学年の時にはそれなりに友達もいた。
だけど、毎日同じような服を着ていたり、
「施設の子」という事もあり、大人たちには徹底的に嫌われていた。
施設の生活は結構自由で、望めば外出もできたし
友達の家にも普通に遊びにいけた。
でも友達の家に遊びに行った時に「○○君いますか?」と尋ねても、
その親に断られることがほとんどだった。
ドア越しに、「あの子と遊んではダメ」と言っているのがよく聞こえたよ。
そんな言葉を聞きながら小学生時代を過ごしていたから、
自然に話しかけてくる奴なんていなくなっていった。
苛められなかったのが良かったのか悪かったのかはわからない
でも、学校に一日いて、一度も口を開かない日ってのも何回もあった。
自分を呪ったね。
いやほんとに。よく漫画とかで「呪われた子」ってのが出てくるけど、
俺がほんとにそうなんじゃないかって思っていたよ。
ものすごい孤独を感じていたんだと思う。
独りで生きなきゃって思ってたし、親がいないのは悪だって思ってた。
447: 大人になった
そんな俺に家族ができたのはちょうど小学校を卒業するとき。
なんでも、生前俺の父親の親友だったって人が訊ねてきて、
その人に引き取られることに。
もちろん、その人がどんな人かは分からないし、
何で一緒に生活するかもわからなかった。
中学に上がる頃という事で、自立心も出てくる頃、前よりも自由な生活をさ
せてもらえるという事もあり、新聞でも何でも配って少しでもその生活を長
続きさせようといろいろ考えたもんだ。(賃貸アパートだったもんで)
でも、中学生がバイトなんて保護者の都合がないとよっぽど認めてもらえる
ものでもなく、保護者となったその人にお願いしたところ、
最初に無言で殴られた。
人生で初めて大人に殴られた。
でも、それは悪いものではなかったんだよね。
それでその人は、
「今までよく頑張った、これからはやりたいことをやればいい。
欲しい物があるならばできる限りこたえてやる、
我儘を言ったっていいんだ」って言ってくれた。
何の得があって俺と生活するのかわからなかった。
でも、ある日その人の奥さんのお墓参りに行った時に、
「こいつが俺の息子だ、これからは3人家族だ」
って言いながら手を合わせてるその人の言葉を聞いて、
「俺が家族」って興奮したよ。
俺には縁のないものだと思っていたから。
んで、中学校を転校して一転誰も俺のことを知らない土地へ。
448: 大人になった
でも、それまでの経験上クラスメイトに近づかないし
自分から話しかけることもなかった。
きっとそうやって自分を守っていたんだと思う。
そんな生活をしているうちに、中学の3年間があっという間に過ぎて、
進路を考える時期に、おれはもちろん就職して、夜間学校でもいこうと決め
てた。
でもその人は普通の全日制の高校に行かせてくれると、
そうでなければだめだと言ってくれた。
涙が出た。
高校生活は楽しかった。
こんなに楽しい時間があっていいのかと思ってしまう程楽しかった。
土地に慣れてきたという事もあって、友達もたくさんできた。
バイトをすることは許してくれなかったけど、それが嬉しかった。
ホントに楽しかった。修学旅行にも行けたし、部活の合宿にも行けた。
嬉しかったってゆーか、幸せだった。
その人に行かせてもらったわけじゃない。普通の子と同じように、
同じ感覚で当たり前のように学校の行事に参加できたのが
最高の贅沢のように感じたよ。
そんな楽しかった時間はあっという間に過ぎて、三年生の夏。次の進路を考
えなければならない時期に。
大学に行くとお金がかかることは知っていたし、そんなつもりはなかった。
勉強だけはしていたので、働きながら資格を取って行こうと思っていた。
そんな時に、その人が倒れた。
449: 大人になった
原因は癌。膵臓が悪い?
じゃあ治してくれよ。
恩人なんだよ。
俺の親父なんだよ
たった一人の家族なんだよ
「俺が死んでも、保険と貯金で、学費と生活費は賄える、だから好きなことをしろ」ってなんですか?
諦めないでよ。
俺、やっと夢を見れるようになったのに、将来のことを考えてるのに、
家族として、これからも生活したいのに。
何にもいらないから。
貴方のおかげで知った幸せを、あなたが奪うのですか?
もう一人にはなりたくない。
「誰よりも優しくなれ」って言うけど、俺親父みたいに優しくなれるのかなぁ?
だけど俺決めたよ。医者になる。
俺が頑張るから、親父も頑張ってくれ。
一生のお願いです。初めてのお願いです。生きて下さい。
450: 大人になった
>>446
もし実話なら、書いたことをすべて親父に言いなさい
自分の口で言葉にして伝えなさい
それが親父が生きてきた証になるから
そしてこれからも生きていく力を与えなさい
451: 大人になった
俺もちゃんと伝えるべきだと思うぞ。
良い事書こうとしても言葉が見つからん。
452: 446 2009/08/26(水) 11:16:04 .net
そうします。
これからの事も含めて、話をしてきます
462: 大人になった

続き・詳細・画像をみる


ガンダムのバルカンとかいうエース以外全然使いこなせてない武装

早出や残業の時にYouTubeやネットサーフィンしてる上司に物申したら謹慎くらったwwww

【搾報】 AKBオタの大学生、306万円のCDを代引きで買う

【画像あり】このおッぱいでこういう服装する女が工口すぎるwwwwwwwwww

超気持ちいいな!!!今日ソープに行って童貞とおさらばしてきたんだが

【画像】 山本太郎、「北斗の拳」風ポスター制作「これを認めてくれる小沢さんはスゴイ」

ついに好景気キター! GDP1-3月期プラス2.4%! アベノミクス大成功wwwwwwww

ベネチア行ってきたから食った物うpするよー

古舘伊知郎、橋下徹を批判 「ずるいというか無責任」「また暴れるのを見てみたい気もする」

ソフトバンク社長「ガラケーは必要ない。スマホの方が優れている」

  日  経  大  暴  騰

1989年のジャンプwwwwwwwwwwww

back 過去ログ 削除依頼&連絡先