上条「もてた」【前半】back

上条「もてた」【前半】


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5:
「もてた」
い、と上条が言い切るより先にゴバァッと両頬を殴られる。
ほんの少し土御門がタイミングを遅らせたせいで上条は左右に首をグキッとひねることになった。
「うぉいテメーらいきなりなんだ!」
「それはこっちの台詞にゃー、カミやん」
「自覚の無いこういう男はホント許せへんね。なんでカミやんて2次元の主人公みたいに鈍いんやろね」
ギャアギャアと騒ぎ出すバカ三人組を横目に吹寄はため息をつく。
この程度の騒ぎはまだ止めるレベルですらないのだった。
今日の話は上条当麻がいかに2次元世界の住人っぽいか、らしい。
盛り上がる三人のうち一人はメイドの学校に通う義妹がいるあたり、
なんて不毛な会話だろうと吹寄は思った。
「だから、もてないことの証明なんて今俺に彼女がいない時点でもう済んでるだろ!」
「ええかカミやん? もてるっちゅーのはな、フラグを何本立てられるかって意味なんやで。
 カミやんはそのフラグを回収も折りもせずに延々ため込んでるんやないか。それはもてるっていうんや!」
「はぁ? だからフラグなんて立ってないって! そんなモン立ってたら全力で回収してやるさ!」
シン、となぜかクラスが静まり返った。上条の言葉が、言質を取られるように周囲に浸透していく。
「ほうほう、面白いことを言ったにゃーカミやん、じゃあ、やってもらおうか」
「なんだよ、何をやれって言うんだ?」
「カミやんが今までに知り合った女の子に、『デートしようぜ』って言っていくってのはどうかにゃー?」
「お、おいおい。それ下手したらドン引きされるんじゃ」
「ちっちっち。分かってないなあカミやんは。
 いきなり本気で誘ったらそりゃ引かれるかも知れんけど、
 ちょっと冗談ぽく言って反応を確かめてみたらええんやんか」
「それで一人でもオッケーが出るようならカミやんは不幸少年を返上して俺達に土下座をする、
 そして全員から断られたら俺達のおごりで残念でした会を開く、ってことで」
奨学金が振り込まれるまでの三日を、どうしても乗り越えられそうになかった当麻にとってタダ飯は重要だった。
「ほう、いいじゃねーか。この上条さんの不幸体質を甘く見るなよ?」
自分で言ってることにホロリと来ながら、上条は誘いに乗ることにした。
姫神がトイレから戻ると、突然、上条に話しかけられた。
「なあ姫神、ちょっと話があるんだけどさ」
「何? 言っておくけど。早弁したからって私のお弁当はあげない」
「いやそうじゃなくて。その、さ、姫神。付き合って、くれないか?」
「え――」
一人目の少女がドキリと驚きに目を開いて、嘘、と呟いた。
6:
「上条君。その、教室でそういう冗談を言うのはやめて欲しい。君にはシスターの子が。いるでしょ?」
「なんでインデックスの話がでてくるんだ? 姫神、俺は今真面目に話をしてるんだ。
 そういう茶化すようなのは止めてくれ」
姫神はなんだか警戒しているように一歩引いた。
その一歩を詰め返して、上条は迫った。
なにせタダ飯がかかっている。それは真面目になるには充分すぎる理由だ。
姫神にノーと言わせるだけで一勝目を稼げる。
上条は、イエスと言ってもらえる可能性をこれっぽっちも考えていなかった。
「わ、私は――」
戸惑う姫神が上条から目線を外すと、クラスメイト達がにこやかに談笑している。
……はずなのに声のボリュームがやけに低くて、耳だけは全員こちらを向いていた。
「上条君。お昼。一緒に食べられる?」
「え? ああ、いいけど」
「それじゃ、続きはそのときに……」
「待ってくれ!」
「何?」
ほとんどいない女友達の顔を思い出しながら、人数を数える。
夕方までに全員に声をかけなければいけないのだから、先延ばしはマズイ。
「今すぐここで、ってのは無理なのか?」
「だ、だって。ここは教室で、みんながいるわ」
どんな感情の揺れも些細にしか表さない姫神が、はっきりと焦っていた。
7:
「お前の本当の気持ちなんて、誰に隠すようなもんでも無いだろ?
 どんな言葉だって、俺はちゃんと受け止める。
 周りの連中のことなんて気にするなよ」
ごめんね上条君、なんて言葉は体育館裏で言われたって悲しいだけなのだ。
どこで言われようと上条は、ちゃんと受け止める覚悟をしていた。
周りの連中は上条のことを笑うだろうが、その覚悟も出来ている。
……心の中にシクシクと降る雨を止ませることはできないかもしれないけど。
「……ぅ」
姫神は声が出なかった。
あまりにいきなりで、頭が回らないのだ。
それなのに上条の目が真剣で、曖昧な返事は許されない気がした。
「……いい、よ」
「――――え?」
その言葉はまだ二人を強く結びつける言葉にはならないかもしれないけれど。
二人で話して、遊んで、そうしているうちにきっと絆は深くなるから。
「デートとか、すればいいの?」
「え、えっと、ああ」
そのデートにノーと言って欲しかったのだが。
後ろでは、勝者のはずの土御門と青ピアスが
猫でも噛みそうなほど窮鼠の顔をしていた。
「くそ、カミやんは茶化さんかったら素でこの威力か」
「これは一人目にしてすでに背中刺す刃の出番かにゃー」
12:
「ひ、姫神ほんとにいいのか?」
マズイ。いきなり負けそうだった。
脳裏で勝ち誇る土御門の笑顔を思い浮かべ、グーでそれをぶち抜いた。
なんとしても姫神にノーと言わせなければ。
「そういう上条君こそ。私でいいの?」
「へ? い、いやそりゃお前みたいな綺麗な子とデート出来るとか
 上条さんにあるまじき幸運が降りかかるならそれはまったく問題ないといいますか
 でもそれってあれ? なんかありえなくね?」
悶々と呟く上条の言葉の、「お前みたいな綺麗な子」より後を姫神は聞いていなかった。
「いきなり褒められても。その、困る」
ばっさり断られて不幸がずーん、というのを期待しているのになぜかだんだんと
周囲がお花畑と化していく。上条はその雰囲気に当惑した。
「な、なあ姫神。上条さんはぶっちゃけ不幸な人ですよ?
 一緒に出歩いちゃったりしたら、どんな不幸に会うか分かりませんよ?」
「いい。理不尽な不幸には慣れてる。それに、一緒に未来を歩く人の不幸なら、背負ったっていい」
姫神が僅かにはにかみながら下を向いて、そう言った。
違うのだ。上条は心の中で否定を繰り返す。そうじゃないだろ姫神! キレがないぞ。
お前はもっとナイフで切るようにこの上条当麻を切って捨てるヤツだ!
「だーかーらー! 違うんです! 違うんですよ姫神さん!
 ここは上条ライフ的に考えてソッコーで断られるシーンなの!
 ここでオッケーされちゃうとまた俺の負けになるんだから……
 ってそうか、だからオッケーされちまうのか。これも不幸の一形態ということか!」
「か、上条君?」
いきなり不満を噴火させた上条に戸惑う。
「よくわからないんだけど、君は。デートを断られるのを望んでいるの?」
「ああそうだよ! このままオッケーされちまったら俺は あそこでニヤニヤしてる連中に
 土下座しなきゃなんねーんだ。いや、あいつらのことだから絶対土下座じゃすまねえ」
「ふうん」
事情を察した姫神が、冷たく相槌を打った。
断れば、上条君の願いどおりになる。
そんなことはしてやるつもりはなかった。
「上条君」
「な、なんだ?」
「今日の放課後、校門のところで待ってるから」
「へ?」
そう言うと、きびすを返して姫神は自分の席に着いた。
休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。
15:
姫神は次の休み時間に声をかけても一切反応してくれなかった。
「ほらーカミやん。はやく土下座してや。こういう勝負事で負けた人が往生際悪いと白けてまうんやで?」
「そうだにゃーカミやん。ほら、『私はナンパして一人目の子を五分で落とせる一級フラグ建築士です』
 って言いながらそこに這いつくばって謝れ」
「ふざけんな! さっきのだって姫神が一方的に決めたんじゃねーか。
 そういうのをデートって言いきっちまうのはどうなんだよ?」
「カミやん? 僕やったらそれデートって思うよ? そういう展開けっこうあるし」
「今は二次元の話はしてないぞ」
ちょっと上条も分が悪いのを自覚していた。
授業中に思いなおして放課後に待ち合わせか、とドキッとしたからだった。
「んー、あくまでもあれをデートだとは認めないと?
「あ、ああ。そうだ」
「それじゃ今回はカミやんの言い分を認めてやるかにゃー。でもカミやん、二度はないぜ?」
「わかった。ちゃんと断らせればいいんだろ?」
「それじゃ次のターゲットはどの子にするん? 気の強そうな委員長とか?」
当麻が近い席に座っている吹寄を見ると、薄いブックレットから目を離してこちらを睨んだ。
「姫神のときから見てて事情を知ってるあたしに、貴様は声をかけるわけ?」
「い、いや。別に委員長サマにそんなことをするつもりは……って吹寄。
 お前今度はそんなモンにはまってるのか?」
「え? そんなモンって、貴様これを見てもそういう風に言えるわけ?
 この『どんなふくらはぎの張りでも一瞬で吹き飛ばす! 
 アステカ産黒曜石を丁寧に研磨して作った
 トラウィスカルパンテクウトリの指圧棒3,980円』って!」
「それ科学っていうより魔術の匂いがぷんぷんしてるじゃねーか!
 っていうか俺が言いたいのはその冊子のほうだよ。
 そのシリーズ、西部山駅の近くの路地裏にあるいかがわしい本屋に置いてあった」
いつ通ったかは忘れたが、そこはオカルト系のトンデモ本を扱う専門店らしかった。
学園都市でオカルトは今日び流行らない。
必然的に魔方陣が表紙に載った通販カタログなんてものはそんなところにしか置いてなかった。
「上条。貴様、このカタログを置いてる店を知っているの?」
「あ、ああ」
「……いつなら、案内してくれる?」
「はい?」
急に吹寄の態度が軟化した。
19:
「……だからさ、あれはどう考えても違うだろ!
 だってデートのデの字も口にして無いんだからあれはノーカンだって!」
「ちゃうよカミやん。フラグがいくつ立つかが重要なんやって! 
 あんなトントン拍子に女の子と放課後を過ごすフラグ立てるとか、
 角を曲がったらパンを加えた女の子とぶつかりましたってのと
 おんなじくらいありえへんよ!」
「んなこたねーだろ! 吹寄がいつも読んでるカタログの話振ったら
 本を置いてる場所を教えてくれって言われた、それだけじゃねーか」
「それだけ? カミやんいまそれ『だけ』って言った?
 許されへんよその言い分は! 謝れ! 
 学園都市の、いや日本のすべての出会いの無い男に謝れ!」
昼休み、さっさと昼食を済ませて上条たちは廊下を歩く。
「で、言っとくけどあれをデートに誘ったと俺は認めないからな」
「くっ、この期に及んでカミやんは往生際が悪い……」
「まーでも自分から誘ってないのは事実だしにゃー。
 まだまだ続きはあるんだし次行こうぜ次」
「次って、俺はどこに案内されてるんだ?」
「どこって、次は小萌先生を攻めるんですたい」
ぶは、と上条の口から息が漏れる
「ば、ばか! いくらなんでもそれはシャレにならねーだろ!」
20:
「でも脈もなさそうな隣のクラスの女子とかに声かけても面白くないにゃー。
 カミやんに脈ありなのは小萌先生くらいじゃ?」
「ないないない! っていうか俺は青髪と違ってロリじゃねーし」
「僕はロリちゃうでー。ロリもいけるだけやでー?」
「っていうかインデックスとイチャイチャしてる時点でカミやんもロリいける人確定ですたい」
青髪に聞こえないよう土御門が囁く。
「で、どこまで手を出したのかにゃー?」
「だぁっ! 何もしてねーから! っていうかお前こそどうなんだよ。
 夜な夜な何やってるんだ! 壁のクソ薄い寮で」
「ななナニって、別に何もしてないんだにゃー?」
「はぁ、職員室の前でも上条ちゃんたちは上条ちゃんたちなんですねー」
「月詠先生?」
「カミやん、チャンスやないか。お願いしてみたら?」
「だからシャレにならねーっつの」
「いやいや、断ってもらったらええだけなんやから、問題ないやんか」
小萌先生は首をかしげ、この子達は何をしにここに来てるんでしょう、と呟く。
上条が正面を向き、しぶしぶという感じで口を開いた。
「月詠先生」
「はい、なんでしょう上条ちゃん?」
「付き合ってください」
上条がくっと腰を曲げて礼をする。
「はい、いいですよ。先生今日の放課後は時間取れますから」
27:
「え?」
「それで、単位が危ないのは透視と記憶術ですよね。上条ちゃんはどっちをやりたいんですか?」
「あー」
そりゃそうだ。生徒を導くことに一番熱心なのが月詠小萌という教師なのだ。
付き合ってといわれたら補習に付き合ってということなのだ。
「月詠センセ、ちがうでー。カミやんはそういうこと言ってるんとちゃうねん」
「ほえ? どういうことですか?」
ガリガリと上条は頭をかく。
「その、付き合ってってのは、一人の女性として俺とデートしてくれって意味です」
「え?」
ぽん、とはじけるように勢いよく、小萌先生の顔が真っ赤になった。
「ななななな何を言ってるんですか上条ちゃん! せせ先生をからかっちゃいけません!」
「すいません」
その通りからかっているので謝った。
「先生は上条ちゃんたち学生さんの未来を担い任されている身分なのですよそれなのにこ、こ、
 恋人だなんてそういう関係には断じてなっちゃいけないのです確かに男性教諭と女学生の結婚というのは
 少なくない例があるようですがこの場合女性の側の先生が上条ちゃんよりもずっと年上でですね、その」
「やっぱり、駄目ですよね?」
良かった。上条はほっと息をつく。さすがに学校教師は鉄板で断ってくれそうだ。
「う……。一応これでも私は大人の女性です。でも、先生はだからといって上条ちゃんの
 その勇気を笑ってはぐらかすようなことは、したくないのです」
28:
「上条ちゃん、もう一度だけ聞いてもいいですか?
 さっきの言葉は上条ちゃんの本気、なんですよね?」
「……」
冷や汗が背中をつたう。月詠先生は真剣だった。
むしろ昼休みの廊下でここまで真面目になれるのはどうなんだろうと思うが、
月詠先生はそういう人なのだ。
小萌はふと、後ろの二人が気になった。
色々とバカをやってくれる3人組だ。
自分は本当にからかわれてるのでは、と不安がよぎる。
上条ちゃんの付き添い? いや、男の子はむしろそういうのは絶対にしない。
いやでも、見届けるとか意味がきっとあるはずです。
先生に告白なんてきっと高校生の上条ちゃんにとってすごく大変な決心が必要で、
それなら誰かに相談したくなることだってあるかもしれません。
「お二人は、上条ちゃんに相談されたんですか?」
「へっ? ええ、まあなあ。そうやんな?」
「ああ。カミやんがすごく悩んでたみたいだったからにゃー」
深刻な顔で土御門が頷いた。
その空気に気圧されて、上条は小萌先生を放り出して土御門に
殴りかかることが出来なかった。
「上条ちゃん。先生は、ううん、私は」
「月詠先生」
上条は何かを言いかけた小萌先生に、言葉をかぶせた。
「すみませんでした」
深く頭を下げて、事情を説明した。
29:
「ちょ、おいおい! 姫神とデートって」
「このまま放課後に姫神と町を歩いて、姫神から告白されなければカミやんの勝ち、
 告白されたら俺達の勝ちでどうかにゃー? 
 ……まあ告白されたら俺らは敗者にもなるわけだけどにゃー」
「まあカミやんに彼女が出来たら抱えてる未回収フラグを折って捨ててくれそうやし、
 ありかもなー。彼女持ちのカミやんなら幸せ余ってるからご飯くらいなら奢ってくれそうやし」
上条も、さすがに姫神を無視するのは悪いかなーと思った。
姫神と町で遊んだことは無いが、それほど派手に遊ぶやつにも見えない。
軽くファストフード店で腹ごしらえをしてゲーセンを流すくらいなら構わないだろう。
「姫神がどういうつもりか知らないけど、まあ、遊びに行くくらいならやるわ。
 お前らも来るか?」
「お邪魔になるのが分かってていくやつはいないにゃー。あ、結果は明日辺り聞かせてもらうにゃー」
「結果って、それは飛躍しすぎだろ。姫神が告白とかありえねーって」
「じゃあカミやん、もし告白されたらどうするん?」
「え? い、いや、だからありえないって!」
一瞬頬を染めて当麻君と言葉を紡ぐ姫神を想像して、上条は自分の都合の良過ぎる妄想に蓋をした。
34:
放課後までに、三度、姫神と目が合った。
今まで上条は姫神のことを授業中に注視したことはなかったので分からないが、
姫神は上条の呼びかけを無視する一方で、上条のことが気になっているらしかった。
放課後になってすぐ、姫神が声をかけてきた。
「上条君。掃除とかは?」
「ない」
「そう」
「さっきの休み時間の話だけどさ、姫神は」
「校門のところで、待ってる」
姫神の表情はいつも同じだ。落ち着いて見ていれば変化にも気づくが、
短い会話でそれを窺うのは難しかった。
「おっと確認に行ったカミやんがあっさりと受け流されたにゃーっ!」
「きっとあれは照れ隠しなんやって! 
 転校してくる前から知り合いやった女の子とこれでようやく進展か。
 カミやんおいしいなあ……」
「青髪お前はいい加減に次元を間違えるのを止めろ」
「で、どこに行くん? 最近話題のデートスポットといえば
 古代魚復元で盛り上がってる水族館やけど、入場料が高いらしいよ」
「そういうとこに入られると財布が軽くなるからなるべくチープなところで頼むにゃー」
「お前らは追ってくんな!」
ジロリと睨むと、はっはっはと乾いた笑いが返ってきた。
「いややなあカミやん。ちょっとした冗談やって」
35:
姫神は上条にケーキセットの一つでも奢ってもらう気で校門前に佇んでいた。
ごめんの一言もなしにすっぽかす人ではないことはなんとなく分かっている。
「結構真剣に。言ったつもりだったんだけどな」
それなのに、あれは酷かったと思う。
姫神がクラスの友達に相談でもすれば、上条は女子から総スカンを食らうだろう。
それをしないのは、相手のことが気になる弱みか。
「上条君はあのシスターの子が気になるのかな」
色気より食い気といった感じの気質だが、自分と同い年になる頃にはきっと綺麗になって、
上条君もたぶん、邪険になんて扱えなくなる。
姫神は自分から上条に声をかける気はなかった。
そして上条から声がかかるだろうとも思っていなかった。
だから今日したことは小さな転機であり、大きな決断だった。
「おーい姫神!」
遠くから上条の叫ぶ声が聞こえた。
やけに急いでいる。
走って自分のことを迎えに来る上条を見て、心臓がコントロールを失った。
「上条。君」
「逃げるぞ!!!」
ぎゅっと手を握られて、姫神は上条と一緒に駆け出した。
37:
ハッハッと浅い息が聞こえる。自分と上条のだ。
都合がいいと言わんばかりに今にも発車しそうだったバスに強引に体をねじ込んで、
二人はクーラーの聞いた車内で息を整えているのだった。
「上条君。急に。どうしたの」
「悪い。土御門と青髪のヤツが尾(つ)けようとしてたから撒こうと思ってさ」
こちらが行き先を決めてない以上、降りる場所は向こうに読まれることはない。
「バスに乗せといてなんなんだけどさ、姫神はどういう用で校門前に呼び出したんだ?」
「え?」
「いや、なんていうか事の発端を考えますと上条さんは平身低頭しなきゃいけない気もするんですが
 もしかして罰ゲームでも吹っかけられるのかなとか思っておりまして」
「……そういうのじゃ。ない」
「えっと、じゃあ、どんな?」
「……私は、デートに誘われたから、待ち合わせを指定しただけ」
イニシアチブを上条に丸投げする一言だった。
「その、青髪とかの口車に乗った結果やってしまった出来心でして、
 その辺の事情はもう一度お話したほうがよろしいでせうか」
「いい。上条君が嫌なら。次のバス停で降りよう」
「姫神。お、お前は良いのかよ」
面白くなさそうに淡々と上条を見つめていた目が、軽く泳いだ。
「私は待ってるって言った」
40:
見覚えのあるファーストフード店。
58円のお徳用バーガーは値上がりして、いまや100円もするらしい。
「上条君。100円」
姫神は冗談半分に、上条にそうお願いしてみた。
飲み物とあわせて200円、奢ってもらえた。
「そういやこれが、お前と会ったきっかけだったっけ」
「そうだね」
「あれからはなんともないんだよな?」
「うん。あの人達だって普通に平穏を望んでいるから。
 私みたいなのが無理矢理吸い寄せたりしなければ。何も起こらない」
もう慣れたケルト十字の重みに意識をやる。
「そっか。さて、それじゃ今からどうする?」
「私はデートに誘われた側。上条君が。決めてくれると思ってた」
「う……。わかった。腹くくるわ。水族館でも映画館でもゲーセンでも
 ジムでも銭湯でも連れて行ってやる。姫神はどれがいい?」
「銭湯は。デートにならないと思う」
「まあ、普通はそうだな。あ、でも二二学区のスパリゾート安泰泉ってトコ、
 水着着用で男女混浴の風呂があった」
「そういう意味じゃなくて。水着を着て二人でのんびりお湯につかるのって。
 デートとは言わないと思う」
「そりゃそうか。水着ってのはデートっぽいと――――ッ」
姫神の水着はどんなだろう。
ふと頭にそれがよぎり、上条は一瞬姫神の胸元を見て
ドギャンっと首ごと視線を外した。
50:
「……上条君。その、人の体を見てそういう態度をとるのは止めて欲しい」
「うぇっ?! い、いいいや何のことでせうか?」
「どうしてそんな初(うぶ)な振りをするの? 上条君は色んな女の子に声をかけてるのに」
「そんなことしてないって! インデックスのこと言ってるのか? 別にアイツとは特別な関係じゃないって」
「本当に?」
当麻は意外と姫神が執拗に尋ねてくることに戸惑いを感じた。
「かくしてどうするんだよ」
「キスとかもしてないの?」
「当たり前だ!」
「そう」
姫神が素っ気無く呟いてそっぽを向いた、と当麻には見えた。
彼女がやった、と笑みを浮かべたことには気づかなかった。
「他にも心当たりはないの? いつだったか、自分の部屋まで常盤台の女の子を連れてきてたよね」
「へ? ああ……御坂妹な。あれ、初対面だったんだぞ?」
「上条君なら。初対面の女の子を連れ込むくらいはやりそう」
「おまえなぁ……。典型的なモテない高校生のこの上条当麻に限ってそんなことあるわけないだろ?」
お前の言ってることは見当違い過ぎると、ため息をつく。
それじゃあ、私は。
「私は。どうなの? 私はどうして君の前にいるように見えるの?」
「どうって……姫神はどう罰ゲームを執行してやろうかと思ってるんじゃ、って」
「それは違うって、言ったよね?」
「姫神……」
「私は。自分らしくないことを言おうとしてるのは分かっているけど。上条君とデートを。するつもりでここにいる」
姫神がぎゅっと、指をペーパータオルでぬぐった。
51:
「姫神、俺は……」
そこまでしか、声にならなかった。あまりに突然で、あまりに意外。
そして未だに事態を正しく理解できている自信がない。
姫神が、俺のことを? ……いやいやいや! 調子に乗るな上条当麻。
冷静に現実を見つめろ。つまらない希望的観測で小躍りなんてすると後で死にたくなる。
なにせ姫神はクラスメイトだ。事の顛末がワンフレーズでも教室の雑談に上れば、上条の破滅は約束される。
「上条君。その。何かを言いかけたんだったら言って欲しい」
俺はお前のことを友達としか思えない、か。
俺はお前のこと嫌いじゃない、か。
俺は、から繋がる言葉は望ましい予想と望ましくない予想、どちらにも容易に転ぶ。
まあ、まさか俺はお前のことが好きだなんて言葉が飛んでくることはないだろう。
そこまで、姫神は自分のことを過大評価できなかった。
「なあ姫神! と、とりあえず、これからいくところ考えようぜ!」
「え?」
姫神ははしごを外されたような気分だった。
当麻にしてみれば、姫神の考えていることを探るのに必要な展開だった。
「近場といえば、博物館で『科学の興り・錬金術と神学展』を見るか、地下に降りてゲーセンで遊ぶか、
 まあ、それかここでダベるかだなぁ。姫神は……ゲーセンか?」
姫神はお、という顔になった。
「その三つなら。ゲームセンターかも。どうしてそう思ったの?」
「え? なんとなくだけど、お前は意外と騒がしいの好きなんじゃねーかなって」
姫神の女友達はどちらかというと皆大人しかった。博物館にこそ友達といったことはないが、
図書館に集まったりすることは多かった。
当麻の予想は当たっていて、自分のことを分かってもらえていることが、嬉しかった。
「確かに嫌いじゃない」
「うし、じゃあ、行きますか。小遣いはちゃんと下ろしてあるし、大丈夫だな」
「あ。私――」
姫神はこまめに貯金を下ろす人だった。
今も、財布の中には三千円もない。食費を含めればちょっと頼りない金額だった。
「姫神はゲーセンで熱くなるほうか?」
「別に。そんなことない。見てるだけで楽しいから」
「うし、じゃあ足りない分は俺が出すよ」
「そんな。それは悪いよ」
「いいって。これ、『デート』なんだろ?」
申し訳ないけれど、その気遣いが嬉しかった。
55:
「さて、と。今日こそは、手に入れてやるわよ」
御坂美琴は無類のゲコ太好きだ。市販のグッズはたいてい揃えてある。
非売品だってあれやこれやと手を使って入手してきた。
だから、ゲームセンターのUFOキャッチャーの景品を入手するのはむしろ自然なことだ。
「昨日と違って小銭(タマ)はたっくさん用意してきたし、絶対手に入れてあげるわ」
美琴の目の前には『超シビア設定! 取れたらこちらのゲーム機と交換!』と書かれたポップアップ。
もちろんゲーム機など要らない。たった数万円ぽっちのおもちゃなどいつでも買えるし、
テレビのない常盤台の寮生がそんなものを買っても仕方がない。
ゲーム機の代理として筐体の中に配置された非売品のゲコ太人形。彼女の狙いはそれだった。
ガチャガチャと小銭を突っ込み、彼女はゲコ太を、ゲコ太だけを見つめていた。
56:
「あっちのUFOキャッチャーは占領されてるみたいだから。これにしよう」
「姫神はこういうラインナップが好みなのか?」
「別に。ぬいぐるみはそんなに好きじゃないから。小さめのにしようと思っただけ」
交代で一つのターゲットを狙おうという話になった。
どうせならと姫神の欲しいものを狙うことになり、その目星が付いたところだった。
小さな涙の雫の形をした、お洒落なアクセサリ。ラピスラズリの青を姫神は気に入った。
上条はそれをキーホルダーだと認識していた。そういう風にも使えなくはなかった。
だが、その涙の雫のモティーフに通す鎖の長さを調節すれば、それはペンダントにもブレスレットにもなる。
それを姫神は、できれば上条にとって欲しいと思っていた。
「気づいてくれないかもしれないけど。私は君からのプレゼントが欲しい」
ゲームセンターの騒がしい音に紛らわせるよう、そっと想いを言葉にした。
「え? ごめん、なんだって?」
「私はあんまりうまくないから上条君が取ってね。って言った」
「ん。まあ、得意って訳じゃないけどいいところ見せたいしな。頑張ってみるわ」
ニッと笑う上条に、姫神は微笑を返した。
ガチャガチャと小銭を突っ込み、上条は青い涙の雫と、そしてプラスチックのウインドウに映った姫神を見つめていた。
61:
「これくらいの金額なら、遊んだ分の値段込みで悪くないな」
「うん。上条君、結構上手だったね」
「ま、格好悪いとこ見せずに済んでよかった」
景品が出てくるポケットから上条は目当ての品を取り出し、姫神に手渡した。
「ほい。それじゃあ、貰ってくれ」
「うん……。ありがとう。大切にするね」
「え、あ、ああ」
ふわりと笑って、小さな景品を大事そうに握る姫神の仕草に、思わず上条はドキッとした。
パッケージをそっと姫神が開けると、そこには短めの細い鎖が入っていた。
鎖自体には薄い白のメッキがかかっていて、銀の光沢に温かみを与えている。
そしてところどころにビーズ細工がしてあって、鎖だけでもそれなりに洒落ていた。
姫神は上条を一瞥すると、その鎖に青い涙の雫を通し、ブレスレットにして左腕に嵌めた。
「どうかな?」
「どう、って。まあ制服にはそんな合わないかもな」
照れ隠しの言葉は素っ気無かった。
そういえば御坂の妹にネックレスを送ったこともあったはずなのに。
同級生の姫神とゲーセンに行って自分のとった景品をつけてくれた事実が、
なんだか男冥利に尽きるというか、上条の心をくすぐるのだった。
きっと、姫神がカジュアルな服装にそれを合わせれば、似合うだろう。
「迷惑だった?」
「そ、そんなことないって。そうだ、姫神。喉渇かないか?
 さっきから結構声を張ってるから飲み物欲しくなってきた」
「うん。そうだね。買いにいこうか」
62:
「うーん」
「どうしたんだ?」
「ちょっと。一缶は多いかなって」
ペットボトルのお茶は売り切れで、少ない量で売られている缶コーヒーは買う気がしなかった。
「じゃあこれ飲むか?」
僅かに姫神がためらいを見せた。
「上条君は。間接キス。気にならないの?」
「へ? 気にするような年じゃないだろもう……意識させるなよ」
「うん……」
差し出されるより、あるいは引っ込められるより先に、姫神は上条のサイダーに手を出した。
適当にあけられたプルタブには、上条が口をつけた跡が残っている。
僅かにためらって、姫神はそこに口をつけた。
「ありがと」
「もういいのか?」
「うん。これ以上飲んだら。良くないから」
「炭酸苦手だったか?」
ふるふると姫神は首を振った。これ以上飲んだら、意識しすぎて自分が変態というか、
良くない嗜好を持った人になりそうな不安があった。
休憩の意味も込めて、自販機の傍のベンチに二人で腰掛ける。
背中のほうからは格闘ゲームと思わしき打撃音や、レーシングゲームらしきエンジン音が響きわたる。
ゲームセンターの片隅のうら寂れた一区画。周りに人は少なくないのに、
ぽっかりと二人だけの空間が開いていた。
「ずっと、こんな日が続けばいいんだけど」
上条君が学校をサボらないで、大過なく過ごせる日が。
63:
「ずっと、こんな日が続けばいいんだけど」
その言葉を、上条は少し違った意味で受け取っていた。
「続くさ。明日からもこれからも、毎日姫神の平穏な日々は」
真剣な響き。希望的観測だというよりも、強い意志のようなものが言葉には乗せてあった。
姫神は上条の勘違いを正さなかった。
「そうだと良いね。でも。私の平穏は十字架の上に建ってる。
 でも上条君と一緒で。私も多少の不幸には慣れてるから」
もう慣れた首から下がるその重みに、服の上からそっと触れた。
「やめろよ」
その言葉が、嬉しかった。姫神は自分の言葉が卑怯だったことに自覚はあった。
上条にそんな風に否定して欲しくて、人には滅多に見せない弱気を、覗かせた。
「幸せなんて人間なら誰だって手に入れられるんだ。手の届かない黄金なんかじゃなくて、
 それは毎日簡単に手に入れられる安いモンなんだ。
 姫神。お前は今、毎日を楽しめてるか?」
「……うん。穏やかで。結構楽しいよ」
「なら余計な心配なんてすんな。ちゃんと毎日を過ごしてたら、
 ちゃんと毎日幸せはやってくる。それにもしお前がどうにもならない
 厄介ごとを抱えちまったなら、俺を頼ればいい」
「上条君」
「どんなにお前がピンチでも、どうしようもない境遇に陥っても。
 助けが必要なら、俺はいつだってお前のところに駆けつける」
真剣なその声に、姫神は口を開くことが出来なかった。
隣にいるこの少年はあの日自分を助けてくれた。
ちっぽけな出会いがきっかけだったのに、姫神の身を案じてくれた人だった。
だから、そんな直球過ぎる言葉を、茶化すこともなく受け止めてしまえる。
「お前が不安に付きまとわれる未来しか描けないって言うんなら。
 俺がその幻想を、ぶち壊してやる」
それは愛の告白のように、姫神にとっては大切な大切な意味を持った言葉だった。
姫神は缶サイダー一本分あいていた二人の隙間を、体を傾けてそっと埋めた。
68:
ふっと我に返ったときに、自分のすぐ傍に上条がいることに気がついた。
思わず声をかけようとして、声が出なかった。上条の隣に、女がいたから。
上条の制服とその女子高校生の制服の体裁がよく似ている。たぶん、同級生。
控えめで物静かな感じのする、黒髪の綺麗な人だった。
「そっか」
こんなにうるさい場所なのに、上条の言葉は全て聞き取れた。
ああ、この人もアイツに救われた人なんだな、と美琴は理解できた。
そして、その女の人がどんな気持ちを上条に抱いているのかも。
上条のその言葉は、夏の終わりに美琴が聞いたそれと、ほとんど同じだった。
アイツは、誰にだってああいうことをいうヤツなんだ。
「分かってた、ことなのにな」
ふと上条の隣の女の人が、こちらを振り向いた。
それは単に、立ち尽くす美琴が不自然だっただけで、他意はなかっただろう。
「姫神、どうかしたか? ……って、御坂?」
「上条君の。知り合いなんだ?」
もう一度姫神が美琴を見た。
視線が交わるときに、今度は隔意があった。
あえて表現するなら、敵を値踏みするような、そんな意味合いの込められた目線。
たぶん美琴が向けたそれも、同じだった。
69:
姫神と美琴は、軽い会釈で挨拶をした。
軽い探りはそれで済ませた。
「で、アンタはこんなところで何をしてるわけ?」
「何って……まあ、なんだ」
「デート」
言いよどむ上条に、姫神が言葉を重ねる。
「ひ、姫神?」
「上条君は。さっきデートをしようって言って誘ってくれた」
「いや、それは」
「違うの?」
じっと、ハッキリしなさいよと美琴が上条を見つめている。
姫神も肯定して欲しいと、切ない目で上条を見つめていた。
「う、まあ。これはデートだってことに、なってる、けど」
「そういうこと」
姫神は、美琴のほうを見て事実を解説した。
常盤台の制服を着た、つまり中学生を相手にこんなことを言う自分を、
姫神は浅ましいと思った。だけど、きっと判断は間違っていない。
目の前の女の子はアクティブな印象の子だった。
綺麗というにはやや幼く、可愛いというには芯が通りすぎている。
だけどこんな子に甘えられたら、上条君だって悪い気はしないだろう。
今。当麻に貰った勇気を使うべきなのは今だ。
自分の思いが報われないことを許容してしまったら、この子でなくても誰かの方に、
想いを伝えたい誰かはなびいてしまうだろう。
上条の口から出たデートという言葉は、美琴の強気を挫くには充分な威力だった。
美琴は姫神の遠慮のない視線に一歩、後退させられた。
74:
「行こう。上条君」
姫神がやけに積極的だった。自ら上条の腕を引き、ベンチから立たせる。
そして、そのまま上条の二の腕辺りの袖をつかんでいた。
腕を組むところまでは、していなかった。それが彼女の限界でもあった。
「上条君、ねえ。彼女には下の名前で呼んで欲しくないわけ? と、と、当麻?」
上条の連れは、腕も組めず、名前で呼びもしない。
それは最悪の予想とは少し違って、
まだ自分が蚊帳の外に放り出されたわけではないらしいことを意味している。
私がアイツの彼女だったら絶対もっとくっついて、名前だって当麻、って呼ぶ。
……べべべ別にアイツのじゃなくても一般論としてそうよね!
「……お前にそんな呼ばれ方したの何度目だっけ?」
「知らないわよバカ!」
「まあ、姫神は彼女ってわけじゃない。姫神の名誉のために言っとくと」
姫神が目を伏せた。だが当麻の腕を手放さない。
美琴は目を上げてそれを確認し、目をそらした。
「当麻……君」
「え、姫神?」
記憶を失うより前から知り合っていた美琴の場合と違い、
姫神にそう呼ばれるのが初めてだというのに上条は自信があった。
「私と当麻君は。確かに付き合ってるわけじゃないけど。でも今日は。デートをする約束でしょ?」
「姫神、いや、俺の自意識過剰だってんなら笑ってくれりゃ良いけどさ、その」
まるで、二人で遊んで最後に告白、なんて流れになりそうな台詞だった。
そんなわけはないはずだと思いながら、上条もしがない男の性で、期待せずにはいられなかった。
「ねえ、と、当麻。メールの件は一体いつ、付き合ってくれるわけ?」
「メール?」
前から後ろから、振り回されてばっかりだった。
この間からメールメールと、やけに美琴がつっかかってくる。
「買い物とかに、付き合ってくれるって話してるじゃない!」
身に覚えのない話だった。
87:
「あのう御坂さん? 上条さんはあなたとそんな約束をした覚えが全くないのですが」
「ちゃんとしたわよ! ほ、ほらこないだアンタが私からのメール消したかもって言ってたじゃない!」
「……その内容が買い物に付き合うって話だったと?」
「そ、そうよ! なによ疑うの?」
上条は気の抜けたため息をついて、ぼんやりと宙を仰ぎ見た。
「別に疑いはしねえよ。ただ、俺は返事した覚えないんだけど?」
「そ、そうだっけ? 貰った気がしてたんだけどなー」
「どんな返事を?」
「あー、たしか『この不肖上条当麻、美琴様にどこまででもお付き合いさせていただきます』って」
「ふざけんな! そんな返事俺がするわけねーだろ! そういうメールは白井に送ってもらえ!」
「ちょ、やめてってば! 黒子の場合はそれが冗談にならないのよ!
 ああもう貸しなさいよアンタの返信メール探したげるから!」
「お、おい」
小気味のいいテンポで、美琴と上条は掛け合いをしていた。
あんな調子を、自分は出せないだろう。姫神は急に開いて見えた上条との距離に怯えた。
美琴が当麻の腕を捕まえて、尻のポケットから携帯を引き抜いたところだった。
「俺の返信が気になるなら自分の携帯を見ろよ」
「うっさいわね。アンタの送信履歴見たっておんなじことでしょ?」
ポチポチとボタンをいじりながら、美琴は上条のメール受信履歴を見ていた。送信履歴ではなく。
上から女の名前を探していく。上条詩菜と書かれたメールは中身を一つ見てスルーした。
ひめがみ、漢字なら姫神だろうか。その名前を探しながらスクロールし続けて、
過去数ヶ月間にその名前が一度もないことを確認した。
気になる名前は、二つ。
「土御門って、これメイドの土御門じゃないでしょうね?」
「あ、おい。それ受信履歴だ!」
「あーゴメンゴメン。間違えた。で、土御門って? 私の知り合いにメイドの子がいるんだけど。
 アンタそういう趣味じゃないでしょうね」
「舞夏のこと知ってるのか? このメールはアイツの兄貴のほうだ。舞夏のアドレスはしらねーよ。」
「ふーん」
上条に見えないようにコッソリとメールを開く。語尾がにゃーにゃーしていて、男同士のものらしいくだらない内容だった。
土御門舞夏と連絡しあってるのではないことを確認してほっとため息をつく。
ふと、そこで見落としていた名前に気がついた。いや、名前だと思わないから流していたのだ。
よく考えれば何度か聞いた名前。
つい最近メールをしたその送り主の名前は、インデックスと書かれていた。
95:
差出人の名前がインデックスと書かれたそのメールをポチっと押して開ける。
「おい、御坂! 関係ないメールを開けるなよ」
「あーうん。ごめん」
「テメェ全然謝る気ないですねコノヤロウ!」
「なによ。わ、私が頑張って送ったメールをどっかにやっちゃうような薄情なヤツが偉そうにしてんじゃないわよ!」
「頑張ったってなんだよ。お前はメールも遅れない情報弱者か」
「そうじゃなくて、わ、私だってその、どういうメールを送ったらとか……」
ゴニョゴニョと言葉にならないぼやきをうつむいた美琴が吐き出す。
それでもメールを見るのを止めたりはしなかった。
「『猫+1のエサはちゃんと用意してあげたよお兄ちゃん』……?」
「ああ、そのメールか」
「……最低」
「あ?」
汚らわしいものでも見るように、美琴が当麻を冷ややかに睨んでいた。
すぐ後ろで、姫神も瞳をすっと切れ長にしていた。
「かみ……当麻君。君は。あのシスターの子にお兄ちゃんって呼ばせてるの?」
「違う違う! それは濡れ衣だぞお二人さん方や。それはインデックスが書いたないようじゃなくてだな」
「へぇ、違う女の子になら、アンタはお兄ちゃんって呼ばれてるワケね」
「そう。上条君は。知り合いの女の子の数なら両手があっても足りないものね」
「な、なんで二人とも怒ってるんだよ。ちなみにそれはさっき話に出た土御門の妹の舞夏だ。
 アイツは誰にでもお兄ちゃんという女だし、ついでに言えばアイツは義理の兄と一線を越えてるっぽい」
美琴と姫神が驚いた顔をした。ついでに上条から少し離れたところで誰かの暴れる音がした。
金髪と青髪が印象的な二人組だ。上条には心当たりがありすぎた。
「あれ、土御門君と」
「何も言うな姫神。どうやら逃避行は続けないといけないらしいな」
「そうだね。見られるのは。恥ずかしいし」
「え? ああ、うん。後で何言われるかわかんないしな」
「え、ちょっと。一体なんなのよ?」
美琴が事情を飲み込めずに戸惑っている。姫神が、そっとその手から当麻の携帯を奪った。
「ごめんね。これ。返してもらうから」
「あなたのじゃないと思うんだけど?」
「そうだね。じゃあ当麻君。行こう」
「お、おう」
手を握ると、照れた顔をした上条がぐいと姫神を引っ張った。
加をそうやって上条に助けてもらって、二人は猥雑な地下街を、人を縫うように走り出した。
「ちょ、ちょっと! どこ行くのよ!」
奪われたのは携帯ではなくて、上条だった。
後ろから走ってくる高校生と併走しながら、美琴は上条たちを追った。
99:
「くそ、あいつらなんでこんなにしつこいんだ」
「土御門君たちは分からないけど。あの子はなんとなくわかるかな」
「へ? 御坂のアレを理解できんの?」
「……上条君は。ひどい男の子だね」
「ひどいって……なんだよ」
地下で美琴と土御門と青ピを撒くのに人ごみを縫いながら、建物の一つに逃げ込む。
そこはいわゆる百貨店の地下一階。お菓子のショーケースを横目に見ながら、エレベータに駆け込んだ。
「これでいったん追っ手からは逃れたけど」
「何階で降りるか。それが問題だね」
土御門たちも当然エスカレータなり隣のエレベータなりで追ってくるだろう。
すぐ上の一階で降りて逃げるのが一番手詰まりになりにくい。
上にあがれば見通しのいいフロアで逃げ場は少ない。
だが勿論あちらもそれは分かっていて、おそらく一階には追っ手が割かれるだろう。
「土御門はこういうのに機転が利くほうだ。逃げ場が少ないほうに行っちまったらそれこそ詰みだ」
「それじゃ。次で降りよう」
あっという間に次の階に着く。エレベータは空のまま上にあがるようにボタンを押した。
エスカレータは右手奥にあるから、それ以外の逃げ場を探す。
左に逃げた先に、トイレや荷物搬入用の出入り口が押し込められた一角が見えた。
「あっちだ」
「あ」
ぎゅっと上条が姫神の手を握る。その遠慮のなさに、姫神は胸を高鳴らせた。
楽しい。
鬼ごっこを恋人と一緒にやるというのは。きっとすごく楽しい遊び。
姫神は上条に引っ張られながら、ふとそんなことを考えていた。
104:
「やべっ! 御坂が来てる!」
警戒していたのとは別ルート。階段からの刺客だった。
その視界から逃れるために、トイレの横に伸びた搬入口通路に逃げ込む。
ダンボールが身長くらいに積み上げられて、うまく視界が出来ている。
「姫神、ここだ!」
「うん」
後ろから付いてきていた姫神をダンボールに隠し、上条は覆いかぶさるように姫神に密着した。
スタスタというパンプスが奏でる足音が聞こえる。御坂だろうか。
「……」
「……」
沈黙の意味が、二人で異なっていた。
上条はひたすら外に意識をやり、追ってくる連中の匂いをかいでいた。
一方姫神は。
……どうしよう。上条君が。すごく近い。
背中に手を。回せちゃう距離だよね。
何せ頬が当麻の制服に触れるレベルの距離なのだ。
抱きつくのが目的ではないことになっているから、体の全てを上条に預けたりはしていない。
だけども体温とか匂いとか、それどころか心臓の鼓動さえ聞こえそうな距離に、
姫神は戸惑いと嬉しさを隠せないくらいに感じていた。
「姫神」
「何?」
突然耳のすぐ近くでかけられた声にビクゥとなりながら姫神は返事をした。
上条の息遣いがただひたすらに近い。
「気配を完全に見失った。なんつーか、いつまでこうしてればいいかわかんねえ」
「そう。……もうちょっと。隠れていよう」
追っ手の件とは別の、自分の都合で姫神はそう上条に提案した。
106:
上条も、いつの間にか姫神のほうを見つめたまま硬直していた。
周りを警戒しなければならないはずなのに、姫神の彫りの薄い顔の1パーツ1パーツに
視線を縫いとめられてしまっている。
姫神も、上条から視線を外せずにいた。畢竟、二人は見つめあい続けることになる。
「う……」
「……」
姫神が視線をそらせない理由は、その行為が上条への無関心や嫌悪を
意味してしまわないかという不安があるからだった。
上条が硬直してるのは、今日もう何度目か分からないが、
姫神のいつもと違う側面にドキッとさせられているからだった。
僅かに、姫神の唇がわなないた。
緊張に耐えかねたせいかもしれなかった。
それが、上条には誘っているように見える。
誰の視線もないそこで、10センチをつめるだけの簡単な作業。
キスまでの物理的障壁はほとんどないと言ってよかった。
「なあ姫神」
「え……」
「お前、好きなやつとかいるか?」
そんなことを突然聞く上条の態度のせいで、
姫神は頭が真っ白になった。
どういう理由で、そんな質問をするんだろう。
唇を開く。言葉の形に整えたはずのそこからは、しかし声が出てこなかった。
後ろに握った手が震える。
浅くなる息を必死で吸い込む。
文にならないのは仕方ない。最低限の音を、なんとか紡ぎだした。
「とう…ま……くん…」
112:
「とうま……くん……」
それが姫神の限界だった。
元から小さな声がさらにかすれ、音の一粒一粒が途切れがちで、抑揚に乏しかった。
「……えっと、なんだ、姫神?」
「え?」
上条の声は、戸惑いを含んでいた。
「いやほら、姫神が俺の名前で呼びかけたまんま黙っちまうからさ。なんなのかと聞きたくなって」
「あ……」
姫神は、ありったけの勇気を振り絞って、答えを口にしたつもりだったのだ。
でも、声調がちょっとおかしかったせいで、そうは受け取ってもらえず、
普段「上条君」と呼びかけるのと同じ意味合いだと理解されたらしかった。
「つーかさ、当麻君ってのは姫神も小っ恥ずかしくないか? なんでそんな呼び方するようになったのか
 よくわかんねーけど、付き合ってない男をそう呼ぶのは、あんまりよくないぞ」
「……迷惑。だったかな」
「え、あ、いや。そういうわけじゃないけど。……でも、よくねーよ。さっきも『好きなヤツいるか?』って
 質問のすぐ後に『当麻君』ってとこで言葉を切っちまうのもさ」
上条が恥ずかしがっているのを隠すように頭をかいたり、しきりに周囲を警戒している素振りを見せた。
「そういうの、男の側を勘違いさせちまうぞ? 上条さんだって一応健全かつモテない男子高校生なわけで、
 姫神みたいな綺麗な女の子とこういうシチュエーションになったらさ、まあなんだ、期待しちまうって、いいますか」
そこまで言って恥ずかしさが規定値を越えたのか、上条が頭を抱えて悶絶しだした。
「だーっ! 今のなし。武士の情けで聞かなかったことにしてくれ」
「私。侍じゃない。……聞き流せないよ」
断じて、聞き流したりなんてできるものではなかった。
上条が自分だけを見ていて、意識してくれているのだ。
「頼むから聞き流してくれ。それと姫神。俺の呼び方も、戻さないか。やっぱドキッとしちまうよ。
 お前だって俺から『秋沙』って呼ばれたら……ほら、びっくりして落ち着かないだろ?」
一瞬で体が反応した。上条の声はバリトンに届かない、渋いというほどの声ではない。
だけど、紛れもなく男性の声だ。
上条が紡いだ秋沙という響きは、心地よくなんて思えないくらい爆発的な感情を姫神にもたらした。
113:
「……」
長い沈黙の時間が続く。
姫神は心の中にある消化し切れないほどの大きな感情を、必死に咀嚼しているところだった。
抱えている気持ちを、嬉しさを甘味に、気恥ずかしさを酸味に、戸惑いを苦味にたとえるなら、
ちょうどグレープフルーツくらいの味だった。
客観的に見れば、峻烈な酸味と程よい苦味は、甘みを引き立てていた。
もちろん姫神にはそんな達観は無理で、ただひたすら籠に山盛りになった果物をもてあましていた。
上条は、そんな姫神の心境を斟酌できるわけもなく、頭の中で謝罪の言葉を練っていた。
「その、姫神。嫌な気持ちにさせたみたいで、ごめん。名前で呼んだのは悪かった」
「違うよ……」
「姫神?」
「秋沙……って。呼んで欲しい」
「それって――」
上条が、そこで口ごもった。瞳に真剣な色が湛えられた。
こっそりと姫神は視線を外して、当麻の胸の辺りを見つめていた。
体の重みをそっと上条に預ける。それが、姫神の精一杯の意思表明だった。
見えないところにあっても、上条がじっと姫神を見つめてくれていることを、理解していた。
「ひめ……なあ、秋沙」
「――っ」
心臓が跳ねる音がする。
「もし買いかぶられてるんなら困るから一応言っとくけどさ、
 俺だって女の子に興味はあるし下心もある普通の男子だからな。
 秋沙って下の名前で呼んで、当麻って下の名前で呼び返してくれる女の子を、
 俺はただの友達だとは思えないんだ。もっと特別なさ、まあ、
 彼女とか、そういう関係の女の子だと思う。」
当麻の制服に僅かに髪が触れる距離。姫神は首を横に振って、
髪と、そして自分の匂いを当麻に擦りつけた。
「もし仮に秋沙が、普通の友達として俺を見てるんだったら、
 今日の遊びが友達同士の遊びの延長なんだったら、
 名前で呼んだり、こういうのをするのは止めよう」
また姫神は、首を横に振った。今度はおでこまでくっつけた。
「首を振るってことは……俺が意識しちまってるのは、間違いじゃないって、
 そういうことで……良いんだな?」
僅かに逡巡して、すこしだけ、姫神は頭を縦に振った。
「当麻君の……。当麻君の。気持ちを聞かせて?」
120:
姫神の瞳が潤んでいる。
物凄く、姫神が可愛かった。
上条とて一般男児。自分が「お前のことが好きだ」と一言言うだけで
目の前の女の子が靡(なび)いてくれそうなこの瞬間。
いつもならただのクラスメイトとしか見ていない姫神の、ごく何気ないような仕草の一つ一つまでが、
首元に見えるほくろや切りそろえられた前髪までが、鮮やかな驚きを伴って上条の瞳に美しく映る。
「姫神は、可愛いと、思う」
「えっ」
信じられない言葉を聴いたような顔をして、そして姫神は表情をくしゃりとさせた。
「嬉しい。信じられないよ。当麻君がそんなことを言ってくれるなんて」
「信じられないって何だよ。前から姫神のことは綺麗だなって、思ってた」
「本当に? でも言ってくれなかったよね」
「いやだってさ、ただの友達にそんなこと言うの、変だろ?」
「そうだね。ただの友達の男の子にそんなこといわれても。困るだけかも」
「今は良いのか?」
「うん。だって。そういってくれたのは当麻君だから」
「姫神」
つい、気がはやった。
知らぬ間に、上条は自分の手が動いて、姫神の肩にかかったことに気がついた。
「あっ……」
どんどん自分の中で、姫神の存在感が大きくなっていく。
インデックスを別とすれば、クラスメイトである姫神はもっとも上条に近しい場所にいる少女なのだ。
学校を休みがちであっても、学生生活という青春を彩る各ページに確かに姫神はいた。
この肩にかけた手を引き寄せるだけで、きっともっと楽しい日々が待っている。
上条は、口の中の渇きを覚えながら、無理矢理つばを飲み込んだ。
その時だった。
カツンカツンと、ローファーの音が聞こえてきた。
二人の体が強張る。
見つかると面倒だという以上に、こんな物陰で、こんなにも近い距離にいる自分達が、
もはや誰かに見られたら言い訳の出来ないような、そんな風に感じていた。
「……ったく。なんで私がアイツなんかのこと探さなきゃいけないのよ」
そんなぼやき声が聞こえる。足音の主が御坂美琴であることに疑いはなかった。
121:
御坂美琴は学園都市にあまたと存在する電撃使いの、頂点に立つ能力者である。
その能力の高さの一つの発露が、電磁場を電気力線や磁力線として視覚化できることだ。
追いかけるのに消極的であるかのように口では言っておきながら、
美琴は能力をフルに活用して二人を追っていた。
建物の端近い、トイレの辺りを歩いているときだった。
つんつんと、目の前で力線が束ねられるのが分かる。緩く集めた糸を引っ張って束ねる感じに近い。
出力としては大したことがない。一本の力線に対応する電束と磁束を小さくし、
力線をかなり高密度に描いてようやく分かるレベルだった。
普段、美琴はそのデータを意識しないようカットしている。なぜなら自分自身が頻繁に発し、
そして学園都市のほぼ全ての住人が発するものだからだ。気にしていてはキリがない。
――メールチェックのための携帯電話の発信、なんてものは。
ふうん、と美琴は心の中で呟く。
丁寧に目を凝らせば、ダンボールの物陰にあたる空間は、金属でもプラスチックでも紙でもない、
生体特有の誘電率と透磁率をしていた。そして多分、二人いる。
みーつけた、とでも声をかけてやろうかと思案したところで、ふと気になる。
そんなところで、高校生の男女が、一体ナニをするというのか。
ふふふ不純よ不純! もしそんなコトしてたら絶対に許さないんだから!
って、だいたいあの二人は付き合ってないみたいだし、ありえないわよそんなの!
ていうか許さないってなによ。別に高校生カップルが街でイチャついてたって
私は気にしたことなかったじゃない! なんで、こんなに気になるのよもう。
足が、先に進まなかった。真実を知るのが怖いような、そんな気分。
見つめる物影から、さっきの女の声が聞こえてきた。
「当麻君。さっきの。御坂さんのことはどう思ってるの?」
美琴の心臓は、その機能を停止した。
122:
「当麻君。さっきの。御坂さんのことはどう思ってるの?」
姫神の質問の内容よりも、上条はその声の大きさが気になった。
隠れているのだから見つかっては困るのだ、だというのに姫神の声には遠慮がない。
もとから小さな声だから、あまり気にしていないのかもしれないと上条は思った。
「……」
返事を保留して、辺りの気配を探る。
遠ざかった音は聞こえなかったが、それらしい足音も聞こえない。
気づいているのならここまで見に来るだろうから、おそらく美琴はまた離れたのだろうと
上条は判断した。
「ひめ……秋沙。さすがに今の声は大きかったんじゃないか?」
「いいの。それより。ちゃんと返事して欲しい」
上条は質問を反芻する。
御坂のやつのことを、どう思ってるかって?
とりあえず浮かんだのは御坂妹のことだった。あいつら元気にやってるかなー、といった風に。
なんだかんだで美琴とはこまめに会ったり連絡を取ったりしているので、特に思うところはないのだった。
上条は、頼れる人もおらずどうしようもなくなった美琴の、泣き顔を知っている。
美琴の表情が、あのときみたいな絶望の影を背負っていないことを知っている。
「どうって……なんていうか、ビリビリ中学生、だなあ。アイツは」
「え?」
「会うたびになんか突っかかってくるし、勝負だなんだってのが好きみたいなんだよ。
 俺の右手に勝てないのが不満らしくてさ、戦えーって言われたり、
 体育祭で勝負したりしてるんだ。まあ、まだ子供なんだろうな。
 俺もそういうノリは嫌いじゃなくて、結構付き合ってやってるから
 偉そうなことは言えないけど」
「……そうなんだ。好き。じゃないの?」
「へ? い、いや。そりゃ嫌いなヤツなら相手なんてしないけどさ。
 好きとかそういうのとは違うだろ。だって勝負よーなんて言ってくる女の子を
 好きになってならないだろ。しかも中学生だし」
姫神は、自分のしたことを自覚していた。
上条の鈍感と、美琴の素直になれない気質を利用して、恋敵に現実という名のナイフを突きつけるつもりだった。
ただ、思わぬほど上条の言葉は鋭利で、そして突きつけるだけのはずが、確実に心臓をえぐっていたと思う。
それは姫神の誤算だった。
目の前にいる姫神という女の子を意識しているが故に御坂という女の子をいつも以上に軽んじてしまう、
そういう男の性は、姫神に計算できるはずもなかった。
126:
足音を立てないのは、強がりだった。
ザクザクと、上条の表裏ない言葉が美琴の胸に突き刺さる。
美琴はなぜ自分が傷ついてるのかも分からないまま、これ以上上条の言葉を聴きたくなくて、
そっと二人から離れた。
別に、アイツが私のことどうとも思ってないって、わかってたじゃない。
っていうかどう思われてようが私には別に関係ないじゃない。
なんで、なんでこんなにココロが痛いのよ。ワケわかんない。
「ん? あれ嬢ちゃん、カミやんは見つかったのかにゃー?」
鬱陶しいその声を無視して、美琴は上条たちから遠いほうの出口へと去っていった。
「どないしたんやろ。何やらあの子すごい怒ってたみたいやけど」
「分かってないにゃー。あれは泣き顔ぜよ」
「ええー。そうかなあ?」
「あれくらいの子は素直になれない年頃なんだにゃー」
「舞夏ちゃんも素直なとこ見せてくれへんのんかな? お兄さんはつらいねー」
「まっ、舞夏はそんなことないぜよ。それより、嬢ちゃんの来た方に行くぜよ。たぶんカミやんはあそこだ」
「せやね。あの子のあの表情がカミやんがらみなんは間違いあらへんし」
二人はトイレや非常口などの集まった、商業施設としては「影」にあたるその一角を目指して歩きだした。
姫神は、かすかに美琴の立ち去る音を聞いて、そっとため息をついた。
「上条君は。女の子の気持ちを分からない人だね」
「……え?」
上条はまったく脈絡のない姫神のコメントに困惑した。
姫神が自分の毛先を整えるように軽く払った。
「……私も。酷いことをした人だけど」
「あのう、秋沙さん? よくわからないんですが」
「いいの。わからなくて。それに悪いと思っても。私は譲る気なんてなかった。
 それより当麻君。そろそろ。逃げないと土御門君たちに見つかると思う」
「あ、ああ。そうだな。さすがにここも潮時だろうな。けど、見つからない逃げ口っつったら……」
荷物搬入口。たしかにトラックの発着がある以上そこから逃げられるだろうが、
制服を着た男女の高校生は常識的に考えてそんなところを通らない。
「大丈夫。見つかってもなんとかなるよ」
姫神が、上条の腕をそっと抱きこんで、そちらへと導いた。
主張に薄い性格でありながら、意外とこういう曲面ではためらいのない姫神だった。
127:
「だぁっ。なんであいつらは見つけるのがあんなに早いんだ!」
「ごめんね。ちょっと。読みが甘かった。かも。」
特殊な出口から百貨店を後にして人通りの少ない道を選んで逃げたにもかかわらず、
土御門と青髪ピアスはあっという間に上条たちを補足し、追いかけてきている。
「まさか土御門のやつ俺の体に発信機とか仕込んでないだろうな」
「土御門君って。そういうことする人なの?」
「ああ。アイツならやりかねん」
なにせ魔術サイドと科学サイドの多重スパイをやる男だ。ただの高校生とは違うのだった。
「あっちに行こう。人ごみのほうが。紛れられると思うから」
「だな」
姫神はさすがに上条ほど体力がないのか、かなり荒い息をついている。
後ろで追うのも体格の良い男子二人だ。遅かれ早かれ、鬼ごっこでは追いつかれて負けだろう。
角を曲がってショッピングストリートに出る。歩行者天国のそこは道幅も程よく狭く、人も多かった。
「当麻君。ここに」
「……え?」
姫神に連れ込まれた店は、試着室が用意されている服飾店だった。
ただし女物ばかりで、ついでに言えば面積がものすごく少ない。
女の人の腰の辺りとか、胸の辺りを覆う布を販売しているお店だった。
あんまりにも唐突な人生初入店に、上条は興奮するより先に
居心地の悪さと気恥ずかしさで死にそうだった。
一瞬、数十メートル後ろから追いかけてくる二人のことをスッパリ忘れて、
店に入って数歩のところで立ちすくむ。
姫神はあまり気にしていなかった。
店内に彼氏連れがいるのは見えたので、二人で入ってもおかしくないだろう。
自分の着る下着を上条に選定してもらうような流れにまでなればさすがに恥ずかしいが、
便宜的にここに入店するくらいなら平気なのだった。
128:
「試着室はあそこだね」
「は? え、ちょ。いやいやいやいやいや何言ってるんすか姫神さん!!!」
「大丈夫だよ。こういうところの試着室は二重になっているの。
 着替え部屋と彼氏とか友達が待つ部屋とがセットになった試着室だから」
「そ、そうなのか。いやでも、なんつーかそこに姫神と入るってのは」
「……私は着替えるつもりはないんだけど。当麻君は。気になった?」
「ぶっ。上条さんはそんなこと思ってナイデスヨ?」
姫神は慌てる当麻をクスリと笑った。
やっぱり女の人の下着を見ると。当麻君でも慌てるんだ。
さすがに姫神も自分の下着姿を上条に見せるのは恥ずかしすぎた。
早くしないと二人に追いつかれる。
上条と姫神はそそくさと店内を奥に進み、試着室の前に行く。
姫神はそこで、大きな過ちに気がついた。試着室のカーテンの前にはサンダルが二つ。
つまり、使用中だった。
「当麻君。どうしよう」
「へ? なんだ?」
上条は心に大きく負荷のかかるこの空間で、すでに平常心を失っていた。
突然止まって後ろを振り向いた姫神のようには、自分を止めることができなかった。
展示用のマネキンの足元についたキャスターに、左足を引っかける。
「げ」
「あ」
気がつけば上条は試着室へと、突貫を試みていた。
「きゃっ!」
知らない女の人の、叫ぶ声がする。
上条は全身から血の気が引いていくのが分かった。
謝って許されるレベルじゃない。普通にこれは警備員(アンチスキル)に捕まって一晩説教を食らった上で
保護者呼び出しの上謹慎になるコースだ。最悪すぎる。
129:
「すすすすすみません! 本当にごめんなさい! すぐ出て行きます悪気はないんです!」
「……君、上条君?」
「え?」
名前を呼ばれて、思わず顔を上げる。
フワフワした金髪の、長身の女性だった。
手足も長くすらっとした印象で、薄い緑のブラジャーに包まれたどちらかというと薄い感じの胸が、
体の雰囲気によくあっている女性だった。下半身は長いソックスとスカートを穿いたままで、
エロいというよりも綺麗だった。
「え、えっと。確か対馬、さんだっけ」
「ええ。名前を覚えていてくれたのね。……ところで見るのを止めてくれると、ありがたいんだけど。
 さすがに知り合うの頬をひっぱたくのはためらいがあるし」
上条はドギャンッ、と首を横にひねった。
対馬と当麻のいる待合側ではなく、さらに奥の着替えを行う部屋のほうを、だ。
「対馬さん?! 何かあったんですか? それに上条さんって今……あ」
「や……やあ。久しぶり、五和」
「あ、お久しぶりです。上条さん」
あまりの驚きに、二人の行動は上滑りした。場違いなほどに普通の応対だった。
五和は対馬ほど背が高くない。
そして全てのパーツが細めに出来た感じのする対馬と違って、五和の体は柔らかそうだった。
濃い目のピンクの地に、黒の水玉が浮いている。ブラとショーツの縁を彩るレースは、これも黒だった。
コンセプトがセクシー路線なせいか、胸元はいつも以上に寄せてあって、
豊かな起伏のなかに出来上がった谷間の深さは深遠すぎるものがあった。
下のほうも勿論破壊力では負けていない。
前と後ろを繋ぐ腰紐の辺りは切れ上がっていてびっくりする位細いし、
よく見ればメッシュが入っていておへその真下なんかはスケスケだった。
そこを注視するとなんだか水玉の黒ともレースの黒とも違う黒々とした――
「こら」
対馬が当麻の目にチョキを付きたてた。
「のうあ!」
悶絶していると、バタリと横で五和が気絶する音が聞こえた。
132:
「奥が超うるさいですね」
「なあおい、さっさと出ようぜ」
「言われなくても超すぐに戻りますよ。麦野に怒られるのは御免ですから」
学園都市を暗躍する組織『アイテム』の一角である絹旗最愛とパシリの浜面仕上の二人は
ごく普通の繁華街の、これまたどこにでもあるようなランジェリーショップで買い物をしていた。
細々した任務が立て続いているらしく、着替えがないらしい。
二日同じ服を着続けることに殊更神経質に文句を言ったのはリーダーの麦野だった。
シャワーは確保したようだったので、下着と替えの服を二人で買いに行っているのだった。
下っ端は浜面以外にも顔も知らないのが山ほど付いているのだが、麦野は性別を指定できなさそうな
その連中には買いに行かせたくないらしい。浜面が許されるのは、友好の証ととってもいいのだろうか。
それとも人間として認識されていないと思うべきなのだろうか。
「それにしても麦野の下着、おばさんくさいとは思いませんか?」
「い、いやそんな、俺は……」
「ああ、浜面は麦野の年を超知らないんでしたっけ。麦野は今にじゅ」
「いいいいやいやいやいや! いいから! 聞いても寿命が縮まる気しかしねえ!」
ネットで注文を済ませ、受け取りをしに来ているのでデザインのチョイスは本人のものだ。
四セットの下着のうち、浜面の視界に入ったのは一番上にある麦野の下着と、
一番下にある滝壺の下着だった。
率直に言って、麦野の下着は年相応でないかと思う。麦野があれで趣味が幼ければ浜面もどうかと思うが、
クラシックな、シルクでできた薄いピンクの下着は別に麦野が着ておかしな所はない。見たいとも特に思わなかったが。
一方滝壺の下着には、好感が持てた。綿でできた柄なしの薄青のショーツで、股の切れ上がったよくあるヤツと異なり、
僅かに裾が延びていてショートパンツのような形状をしている。
「浜面は超変態ですね」
「ちょ、待ってくれ。そもそもここに連れてきたそっちが悪いんじゃないのか」
「荷物持ちを拒否するんですか? 超下っ端の癖に?」
「ラップしてから渡してくれりゃいいじゃねえか!」
「ラッピングを引きちぎるところからやりたいなんて度し難いですね」
「ちげーよ! っていうかお前の下着は一体何なんだ」
ちらっと見えた豹柄を、浜面はフレ
ンダのものとは見なさなかった。
「浜面? 私は見ていいとは超一言も言いませんでしたが」
「だからそっちが俺の目の前で受け取るんが悪いんだろーが!」
「何を言ってるのか超分かりませんね。帰ったらこの件は麦野に報告することにします。
 浜面が麦野が今から穿こうとしている下着をじっと眺めて超おばさん臭いと言った、と」
「おいばかやめろ!」
浜面は、つい先日自分を殴り飛ばした男が隣にいたのに、ついぞ気がつかなかった。
142:
視線が、痛い。
当麻はファミレスでアイスティーを啜っている。
土御門たちは天草式の隠密術が相手ではさすがに分が悪いのか、見つけてくれる気配はなかった。
……いや、この現状を打開してくれるだろう点は有難いが、何を言われるか分かったものではないだろう。
隣に五和がいて、正面に対馬がいて、当麻から一番遠い席に姫神がいるこの現状。
さっきまで姫神と触れ合ってドキドキしていただけに、対角線上から飛んでくる
ジットリした視線は、当麻に絡み付いて離れない。
配座を決めたのは年長の対馬だった。
姫神と上条の関係が気になって気になって仕方ない五和に口出しをさせず、
そして上条にも文句を言わせず、姫神にも敵対するでも迎合するでもなく接し、
ファミレスのやや奥まったところに連れてきたのだった。
「そろそろ落ち着いた?」
「ええと……」
余裕のある微笑で対馬がそう上条に尋ねた。
しかし落ち着いたかといわれてもこれだけ不安定な座席で落ち着けというほうが無理だ。
さっき下着を見てしまった五和はうつむいて顔を真っ赤にしたままもじもじしているし、
姫神は口をむっと曲げて上条を睨みつけている。
そして対馬は何を考えてこんなことをしたのかがさっぱり読めない。
姫神は内心で、なぜ上条からもっと疑う余地のない決定的な言葉を貰わなかったのかと
自分に苛立ちを感じていた、
好きだ、と言ってもらっていたなら。人の彼氏に手を出すなと、一言それで済ませられるのに。
今告白してもらえるところでした、だから邪魔しないで下さい、
なんてのは恋敵かもしれない相手に言う言葉では断じてない。
「一応言っておくと、さっき五和が着てた下着は試着してただけだから、
 今は別のを着てるわよ。変な想像はしないことね」
「はい?」
「つつつつつつ対馬さんっっ!! 上条さんの前でそんな話しなくていいですっ!」
ガタリと音を立てて五和が身を乗り出す。ちょうど上条の目の高さで、胸がたゆんと揺れる。
上条慌てて目をそらすが、そらすのはたゆんたゆんたゆん、くらいまで見届けてからだ。
上条の気づかないところで、姫神は劣勢を自覚して顔をゆがめた。対馬は薄く笑った。
「上条さん。さきほどのは……女同士で見せ合うだけならたまにはちょっと大胆なのもいいかなって、
 そういう勢いで着ちゃっただけでいつもはあんなにはしたないのは着けてなくて、あの、その」
「でも五和、買ったわよね?」
「そそそれは決して上条さんがうっかり似合ってるよって言ってくれたからとかそういうのじゃなくて!」
「上条君。見たくなったら五和はいつでも見せてくれるって」
「だから対馬さん!」
見せてくれなんて言ったらすごいことになるだろう。五和も、自分も、そしてきっと姫神も。
146:
五和は目の前にいる女の子をこっそりと観察していた。
女教皇(プリエステス)様には負けません、なんて思ってましたけど、そうですよね。
ここは学生の町ですもんね。上条さんみたいにカッコイイ人は、お付き合いしてる人、いますよね。
ため息をついてしまいそうなのを隠しながら、姫神の二の腕や頬などを眺める。
いいなあ。対馬さんもだけど、手足とか顔の輪郭がほっそりしてるのって、羨ましい。
手足が太いことを気にしている五和にとって、姫神の体のラインは羨望の対象だった。
そういう五和の思考を分かっているからこそ、対馬は無理矢理ファミレスに上条を連れ込んだのだった。
傍観していれば五和が「き、綺麗な彼女さんですね! 私はお邪魔でしょうから!」なんて言いだすのは
言うまでもなく分かりきっていることだった。
天草式は現在、世界を股にかけた流浪の民だ。定住型の人生を送る上条とはすれ違いが多い。
それが理由で、学園都市に定住する女に盗られるなんてのは、面白くない。
女教皇(プリエステス)に盗られるのなら、アリだ。上条に出会ったのはあちらが先らしいし。
なにより見てて面白い。五和と女教皇(プリエステス)なら陰湿なことにはならなさそうだし。
「それはそうと、遊んでるところをむりやり引き止めてごめんなさいね。デートだった?」
ビクリと、五和の肩が震えた。核心を突きすぎた質問だった。
変わらず姫神が上条を見つめ続けていた。
「えっと、まあ。追われながらでデートって言うのかは怪しいですけど、デートでした」
「手を繋いで歩いたり。ゲームセンターで遊んだりしたもんね。当麻君」
見る見るうちに五和の顔が曇る。意外な展開に対馬はすこしだけ戸惑った。
上条は相当鈍いらしい、というのが建宮あたりの見立てなのだ。
男連中のくだらない話はだいたい聞き流しているが、上条の話は別だった。可愛い五和のためにもなる。
ところが実際はどうだ。デートしてますなんて言葉が出てくる辺り、
上条はこの少女を意識しているらしいではないか。
「そっか、彼女と遊んでたのね」
これが盗りあいなら、対馬としては五和をひたすらプッシュするだけだ。
だがすでに彼女持ちなら、さすがに五和の本音とよく相談しなければならない。
奪うのか、諦めるのか。
だが、上条の返事は予想と違い歯切れが悪かった。
「いや、彼女……とは言えないというか。その、まだ」
確かに付き合ってくれって、告白はされていなかった。
姫神だってそういう瞬間をずっと待っていた。
だけど今この場で、何も正直にならなくたって良いのに。
私は当麻君の彼女だって、そう言ってくれたって良かったのに。
149:
「そういや二人はなんで学園都市に?」
色々とまずい空気を換えたくて、上条は気になっていたことを対馬にぶつけた。
科学サイドの頂点に立つこの街に、日本人といえど外部の人間はそうやすやすと入れない。
「ん、ちょっと仕事でね」
対馬は上条に分かるよう姫神に目線をやった。
「ああ、姫神もそういうの、知ってる人ですから。っていうかイギリス清教の保護を受けてるってコトは
 姫神はこの二人と無関係ってワケでもないんだな」
「当麻君。この人たち。魔術師なの?」
「イギリス清教の……傘下って言うとまずいのかな。まあイギリスで活動してる天草式十字凄教ってグループの
 メンバーになるんだ。この二人は」
「よろしくね。あなたのことはステイルさんから聞いてるわ。隠し事をせず話せて気楽でいいわね」
五和は目の前の女性の最も重要なことを、つかみ損ねていた。
上条の彼女の席にきちんと座っているわけでは、ないらしい。
競争相手はこの方と、自分と、女教皇(プリエステス)様と、
インデックスさんと、そして他にもいるかもしれない。
……どのくらい、上条さんと近づいてるのかな。
ゴールテープを切った人間がまだいない以上は競争相手たちに差がないのは確かなのだが、
誰が先行しているのか、それはものすごく気になる問題なのだった。
「それで、仕事ってのがあの店で……?」
「ちょっともう。思い出さないでよね。あれはついでよ。ここは日本人の学生の町でしょう?
 やっぱり、こういうところの下着が一番体に合うのよね。五和、すごかったでしょ?」
「ちょ、ちょっと対馬さん! だからもうその話はやめてください!」
「そういうこと言うなら、五和こそもっと上条君と話せばいいじゃない」
「えっ? あ、そんな」
対角線上にいる五和に、対馬は自分達にしか分からない方法でコッソリと言葉を伝える。
「ほらほら、もうじきアックアの件で五和は同棲するんだから。
 ここで慣れておかないと後で喋れなくなるよ?
 それに隣の子に差をつけられたままじゃ、今度来たときに
 落ち込むようなことになってるかもしれないし」
「……それは、嫌です」
「でしょ?」
ついさっき体中を見られてしまった相手だ。恥ずかしくて死にそうだ。
でも上条と喋りたいというのも、五和の本心だった。
「あの、上条さん」
150:
「あの、上条さん」
返事をしようとした上条を、遮る声がした。
「当麻君。お茶なくなったみたいだから入れてくるね。また紅茶でいい?」
「え? あ、ああ。それで頼む」
「……ちょっと四つは持てないから。手伝ってくれると嬉しい」
「あ、それじゃ私やります!」
「そう」
無感動に姫神が五和を見つめた。ボックス席の通路側に座った姫神と五和が動くのは自然なことだ。
姫神は上条に声をかけていたが、最初から五和を誘い出す気だったのかもしれない。
二人でドリンクバーで氷を足し、ジュースを注ぐ。無言の中に緊張感があった。
火蓋を気って落としたのは、姫神だった。
「貴女は。当麻君とどういう関係なの?」
五和はそれに怯みそうになった。当麻君という響きは、一体いつになれば自分の口から付いて出ることだろう。
そしてどういう関係なの、とこちらの目を見て言えるその気持ちの強さは、
まさに彼女という席にいる人のそれに近かった。
「お仕事の関係で知り合った人です。ヴェネツィアを旅したり、最近はフランスのアビニョンを二人で歩きました」
柔らかい笑みを返す。それはある種の攻勢防御。
決定的な切り札を出せないことが激しく悔やまれる。
近々、上条さんのお宅に仮住まいさせていただく予定なんです、その言葉がどれほどのアドバンテージを引き出せることか。
「貴女にとって。当麻君はただの仕事上の知り合いなんだね。当麻君から見たら貴女はただの知り合いなのかな」
「そういう姫神さんは違うんですか?」
「私はクラスメイトだから。毎日当麻君とは会ってるし。今日もデートをしてる」
「異性のお友達と遊ぶのをデートって言うんですか? すみません、学園都市の流行語とかは押さえきれてなくって」
話すことはまだまだあった。だが、手際のいい二人の目の前にはすでにドリンクは出来上がっていた。
手にグラスを持ち、歩き始める。しかし二人とも、自分が黙ったままで会話を終わらせて、
暗黙のうちに『負け』を認めてしまうのは気に入らなかった。
「デートに誘ってくれたのは当麻君。それと学園都市でデートっていうのは恋人同士がするものだよ」
「でもお付き合い、してないんですよね?」
あっという間に座席にたどり着く。
五和は劣勢を自覚していた。だって自分の言葉は。
「貴女だってそうだよね?」
お前もまた上条当麻に好かれてなどいないんだぞという、自分にナイフを突きつける言葉だからだ。
五和が怯んだ隙を姫神は逃さない。先ほどの席とは違う、上条の隣に姫神は腰掛けた。
161:
意外にも、二人が席に戻った後、対馬と姫神の二人が談笑をはじめた。
内容は学園都市の奇抜さに関する、他愛ないものだ。
ただし、上条を取り巻く事情はそう穏やかではない。水面下で、色々と変化があった。
まず最も重要なことは、姫神が腕を絡めていることだろう。
あからさまにならない程度に、しかしそれでいて明確に姫神は上条に寄り添っていた。
二人の関係が恋人か否かを店員辺りにジャッジさせたら間違いなく恋人だと言うだろう。
ソファ型の座席についた手をそっと上から握られて、上条は冷静ではいられなかった。
他にも気になって仕方ないのは、なんともいえない表情をした五和が自分を見つめていることだ。
その表情を色で表現するなら、灰色に水色を混ぜたような色、とでも言えば良いだろうか。
怒りのような峻烈な感情は読み取れない。
不安と疑念の灰に羨望と、そして嫉妬の青を垂らしたような表情。
――カップルではないんだけど、まあこれじゃあそう見えるよなあ。
上条は五和が、カップルを目の前にしているせいでそんな表情なのだと予想していた。
上条も彼女のいない男子学生として、ファミレスでイチャつくカップルを見ればモヤモヤするものだ。
五和もおそらく付き合っている彼氏はいなさそうだし、自分と同じような気持ちを抱いてもおかしくない。
ぐに、と足を踏まれる感触がした。
「……えっと、五和さん?」
「どうかしましたか、上条さん」
つーん、と冷たい声ですっとぼけられた。
別に痛くはない。でもなんだか勘違いで普段は尊敬のまなざしで五和に見られている上条としては、
五和がやけに冷淡な感じがするのが気になるのだった。
足はまだどけてもらえない。
「当麻君。どうかした?」
「え、あ、いや」
「あなたには関係のないことですよ」
姫神に告げ口するような形になるのをためらっているうちに、五和が姫神の質問を切って捨てていた。
意外な五和の対応に上条が驚いて見つめていると、それに気づいた五和が拗ねたような表情をした。
五和は、上条の驚いた表情をみて、傷ついた。
きっとこの人は、どうして私がこんな態度をとってしまうのか、全くわかってないんですよね。
気になる人のことだから、こうなってしまうのに。
カランとなる氷の奥で、対馬はその光景を面白く見つめていた。
……私は青春、過ぎちゃってるなあ。
そういう思いを感じてちょっと感傷に浸るところも、あったりはするのだが。
166:
「当麻君。これからどうするの? あまりお邪魔しても。二人に悪いし」
ケーキを頼んだ対馬と五和も、すでに食べ終えている。
ドリンクバーで元をとるにはどうせ20杯くらいは飲まなければいけないのだ。
缶ジュース二本飲むのと同じと考えれば、目の前のグラスに注がれたアイスティを干してしまえば割には合う。
思案していると、五和がさらに強く足を踏むのが分かった。
五和にとっては、それは意思表示だった。
足を踏んでいるのだから確かに上条への不満だとか怒りの表れではあるのだが、それだけではないのだ。
不満があることに、気づいて欲しい。気遣って欲しい。自分のことを見て欲しい。
それは精一杯の思いの発露であり、そしてそれが限界でもあった。
「当麻君?」
「あ、なんだ?」
「五和さんに足、踏まれてるの?」
なにも分かっていないようなすっとぼけた口調の姫神のその一言は、けん制だった。
たまたま足を踏んだだけなら仕方ないが、意図的に足を踏むなんてことは五和はするはずがない。
そういうポジションの確認だった。
五和には、上条に触れさせない。
すっと上条の足の上から重みが引いた。だがそれは撤退を意味しない。
顔を上げると朗らかな五和の笑みがあった、
「もしよろしかったら、少し街を案内していただけませんか? 私達は不慣れですし」
「……? 五和たちって仕事で来てるんじゃないのか?」
「いえっ、あのっ。荒事があると土地勘の有る無しは大きな違いですから、
 元から街をざっと歩く予定だったんです。だからこれはついでというか、あ、
 むしろこっちが大事っていうか……」
はしゃぐような感じで、五和が上条を誘った。
隣では対馬がにっこりと微笑んでいる。そうしてくれると嬉しいんだけど、というような表情だった。
「でも。今日は私とデートしてくれるんだよね?」
隣の姫神が、斜め下から見上げるようにそう呟く。
あざとい甘え方ではない。
だが上条の肩に僅かに頭を預け長い髪が制服の袖を軽く擦っていくその様はえもいわれぬ艶がある。
だいたい、さっきから姫神にはドキドキしっぱなしなのだ。
横に座られたせいで、髪を撫でてみたりしたい気持ちを押さえていたりするのだ。
案内を断る友達甲斐のないことはしたくないが、でもやっぱりデートを優先したいという気持ちが、
当麻の中で少しずつ強くなっていた。
174:
上条の目線の動きを、対馬は眺めていた。
このまま座して待てば、上条がクラスメイトの子のほうに傾いていくのがなんとなく分かった。
それは、面白くない。
「まあ、追いかけてきてた子も撒けたみたいだし、そろそろ出ない?」
「え? あの」
「まだ紅茶が残ってるから困る?」
クスリと笑って、上条の前のグラスを手に取る。
上条が口をつけていたそのストローに、ためらいもなく口をつけて残りを飲み干す。
「あっ……」
「つ、対馬さん?!」
構図としては漁夫の利といえば良いだろうか。
とはいえ対馬に他意はない。年下のあどけない上条は男性とは意識しない。
もちろん二人の若い女の子達にとって上条はまさに意中の男性なわけで、
間接キスは二人をからかう意味を多分に込めてやったことだった。
そりゃ五和が本気になるだけの子だからね、あっちから本気でアタックされたら分からないけど。
15、6才を20才そこらの自分が相手にするのはややためらうが、7年もすれば上条も大人だ。
上条は、良いところも悪いところも知りすぎた天草式の男衆よりは気になる存在だった。
「さて、お代わりはもういらない?」
「あ、はい。いや……」
上条はチラチラと対馬の前に置かれた自分のグラスを気にしている。
照れた雰囲気が可愛かった。
「ちょっとだけ残ってるのが、そんなに気になる?」
対馬は自分が悪乗りしているのを自覚した。
その残りを再び上条が吸えば、今度は上条が対馬と間接キスすることになる。
若いし、意識しちゃってるんじゃないかな、と対馬は上条の下心を見透かした。
「い、いやべつに! ってあいでででで!」
「あ、ごめんね。当麻君」
重ねられた姫神の手が、突如として爪を立てて体重を掛け始めた。
姫神のリアクションはそれだった。
一方銃後から撃たれた五和のほうが混乱は深刻だった。
「つ、対馬さん!」
「あくまでも一般論だけどね? 五和。気になる男の子を捕まえたかったら、インパクトに残るような事をしないと」
危機意識ここに極まれり。五和は冷静さを失いながら、何をするべきか必死に頭をめぐらし始めた。
179:
「えっと、すみません。払ってもらっちゃって」
「ううん。いいのよ。大した金額じゃないし、あなたたちは飲み物だけだったしね」
支払いは対馬がしてくれた。姫神は素直に頭を下げることに抵抗があるのか、目礼で済ませた。
その警戒感は正しいわね、と対馬は思う。
「特に上条君の紅茶は私が口をつけちゃったしね?」
ニッコリと微笑みかけると、上条はドギマギした。
姫神は面白くないという感じをもう隠そうともしなかったし、五和は目の前の展開が未だに信じられないのか、
すがるような目線を自分に向けてくる。
「さて、今後のことは歩きながら考えれば良いじゃない。さっきの商店街にでも行きましょう?」
「あ、はい……」
上条は、年上に弱い。
対馬はそれを確信した。もとより女性に強く物を言うタイプではなさそうだし、
五和や姫神に対してよりも対馬に対する物言いのほうが遠慮がちだった。
年下が趣味というわけでもないが、今日一日くらいは対馬が上条をリードできるだろう。
だが、もちろんそんなことをしたいわけではない。
「上条さん! あの、皆にお土産を持って帰りたいのでいいお店を知りませんか?」
「え?」
五和の声の勢いが良過ぎる。緊張と焦りが見え見栄だった。
……上条以外の人間には。
「たしか近くに日本じゃ学園都市にしかない海外のスイーツブランドが……って、
 五和は今あっちに住んでるからそういうのじゃないほうがいいのか?」
「いいです! 構わないです! 上条さん案内してください!」
「まあ、そう言うなら、って! 五和さん? ちょ、ちょっと当たって」
五和は上条の左手をそっと抱く姫神を、一度も見なかった。
そして姫神から想い人を奪うように、上条の右腕をぎゅっと抱きこみ引っ張った。
姫神に腕を抱かれたときにも「当たってるかも」なんて感じたことはもちろんあったのだが、
正直に言って五和のそれとは差があった。
肘の辺りが、もうそれはそれは柔らかい感触を伝えている。胸だけではない。
抱きこまれた腕の感触全てが、五和の柔らかさを伝えている。
上条は五和の包容力に理性を持っていかれそうになった。
「当麻君は。五和さんと遊びたいの?」
姫神の、ここ数時間の積極的だった「引き」が鳴りを潜めていた。
上条の体半分を五和に取られても、姫神はそれを奪い返さず、
きゅ、と上条の手を両手で握った。
181:
五和が上条の二の腕に、頬をくっつけてうつむいた。
さっきにも増して腕の抱き方はタイトで、だが顔は当麻の視線の外だった。
「上条さん! もしご迷惑だったらそんなにお時間は取らせませんから!」
朗らかな声。だがどんな表情をしているかを上条には一切見せない。
「こんなこと言うと建宮さんや皆さんに怒られちゃうかもしれませんけど、
 結構天草式って禁欲的な決まりとか多くて中々羽目を外せないんです。
 でも今日なら大丈夫で、だから上条さんと遊べたらすごく楽しいなって言うか、
 アハハ、すみません私舞い上がっちゃって……っ」
きっと見せない表情のほうが、五和の本心だったのだろう。
あっという間に、声がしぼんでいった。
そうやって必死に誘うのが、五和の精一杯だった。
対馬は駄目よ五和、と思いながらそれを横から見ていた。
シリアスでは駄目なのだ。二人で上条を振り回して、隣の少女が不貞腐れて替えるまで、
上条をドギマギさせてやらねばならないのだ。
だって、隣の少女にだって譲れないものがあるのだ。
どちらかを選べと上条を窮まらせてしまったら。彼はどちらを選ぶだろう。
五和の逸る気持ちは分かる。だけど、選ばせる前に、天秤はこちらに傾けさせておかなければならなかった。
「五和……」
その必死さを、上条は可愛いと思った。
今すぐ彼女の思うとおりに動いてやったら、五和はどれほど喜んでくれるだろうか。
くすぐったくもあったが、五和は自分に素直な尊敬と親愛の情を向けてくれる子だ。
裏表がなくて、柔らかい。
だけど、上条はそのまま五和に傾くことはなかった。
五和ほど抱き込まれてはいない。だけど、左手に感じる確かな温かみ。
姫神が、隣で上条を見つめていた。
「当麻君」
名前を呼ばれる。言葉を返そうとして、ためらった。なぜかどんな言葉も、言い訳になる気がした。
何も弁解すべきことはないはずなのに。
姫神は、決心した。それは前から、言いたくて言いたくて、だけれど仕舞い続けていた言葉。
ためらいはある。恐怖で足もすくみそうだ。上条の腕を抱きにいけないのは、そのせいだ。
「当麻君。私は。当麻君と二人っきりがいい」
上条が息を呑むのが分かった。
「今日はデートの日だから。好きな人と。当麻君と二人がいい」
189:
――言ってしまった。
最後のほうは声が震えていた。
だって今ここで当麻君に断られたら。明日からどうやって生きていけばいいのかわからない。
好きな人に好きだというというのは、自分を袋小路に追い詰めるということだ。
絶対に答えが出てしまう。逃げられない。
しかし同時に、ついに言えたんだ、という思いもあった。
五和はその言葉で、どうしようもないほどの距離を上条との間に感じてしまった。
二人っきりでアビニョンを旅したり、あれやこれやと距離を縮めた気でいたのだ。
今日だって偶然会えたら良いななんて思って、そして信じられないことにそれが実現して、
もっとあの人の心に自分というものを沢山記憶してもらおうって思っていたのに。
『その言葉』を、自分は言えなかった。
言おうなんて考えもしなかった。それが、自分と上条の間の距離感だった。
隣の女の子の距離感は、それよりずっとずっと近かった。
対馬はちくりとした痛みを感じながら、それを見守っていた。
その痛みが、失恋という名前なのを対馬は知っている。
平静としていられるのはその痛みが自分の痛みじゃなくて、五和の立場に自分を重ねて、
いつだったか味わったその痛みを思い出しているからだった。
たぶんそうだった。
上条は、何を口にしたら良いのかさっぱり分からず、頭も空っぽのまま何も浮かべられなかった。
姫神の顔を見る。きゅっと唇を横に引いて、じっとこちらを見つめていた。
明らかに何かを待っている目だった。そして左手が、きゅっと強く握られた。
そのいじらしさが、可愛い。当たり前だ。好きだといわれてその子を可愛いと思わない男なんていない。
ましてや、とびっきりの美人からともなれば。
「姫神」
びくりとしたのは、左の手よりもむしろ、右腕のほうだった。
五和はもう、抱き留めるだけの勇気がなかった。
上条の離すのは嫌だ。
だけど、意気地のない自分を認めてしまったら、もう抱きとめる腕に力はこもらなかった。
そっと、上条が右手を動かした。ごくやんわりと、五和の腕を振り解く仕草だった。
五和はもう、上条のその意思に抗うことは出来なかった。
「五和。その、ごめんな。悪いんだけどさ」
「いいです。わかりました」
五和は上条に最後まで言わせなかった。聞きたくなかった。
そして、笑おうとして、笑い損ねた顔しか上条には見せられなかった。
190:
去り際の口上を、対馬が告げた。
上条と姫神とは別のところへ行くとのことだった。
五和は地面を見つめていて、愛想笑いをしているような、していないような、
そんな曖昧な雰囲気しか窺えなかった。
この期になってようやく、上条は五和が沈み込む理由を、なんとなく想像していた。
それは自分に都合のいい妄想だから、確信は持たないことにした。
……都合のいいものだ、と思う。
出来ることなら、五和を慰めてやりたいと思うのは。
対馬は五和の腕を引いた。まず立ち去るべきは自分達だろう。
五和の表情は、笑顔と言うには混乱と悔恨の影が強すぎただろう。
だが、笑顔を形作ろうとしたその努力を、対馬は褒めてやりたかった。
「さて、じゃあ帰ろうか」
「……」
上条に背を向けて数歩。対馬は五和の顔を見るのをやめた。
五和は子供じゃない。
どんな後悔をこぼしているのか。どんな追慕を呑みこんでいるのか。
そんなものは、五和自身だけが知っていればいいことだった。
五和と対馬が離れるまで、姫神は上条に寄り添うことはしなかった。
隣の上条がそれを望んでいない気がしたからだ。
そして、自分が伝えた言葉に、上条からきちんとした返事がないせいでもあった。
「そろそろ、完全下校時刻が来ちまうな」
「……そうだね」
さあっと、心に不安が差す。
――今日はもう遅いし、ここで分かれよう。
そんな言葉を上条に告げられるのではないか。
「なあ姫神」
「何かな?」
「夜、一緒に街、歩かないか?」
期待と不安、その両方がひどい強度で心臓を叩く。
上条の提案はごく当然のものだ。
完全下校時刻を過ぎたデートを制服でやるなんてのは馬鹿の極み。
そして場所さえきちんと選べば、寮暮らしの二人は何時まででも二人っきりでいられる。
「うん」
姫神は、上条にそう返事をした。
195:
部屋の明かりをつける。
手早く制服と下着を抜いで、髪をまとめる。
今日は随分走ったから、もはやシャワーを浴びて下着を付け替えることは確定事項だった。
髪は。さすがに無理か。
腰まで伸びたストレートヘアは、一旦濡らすと乾かすのに途方もない苦労が必要になる。
自分の能力をあれこれ応用して乾かす学生は多いが、あいにく姫神にはそんな応用力はない。
服選びはシャワー中に頭の中で行う。気に入った組み合わせは二つ三つあるから、
あとは鏡の前でそれらを試すだけだ。あまり待たせるのも、悪いだろう。
……待たせることで、心象を悪くしたくなかった。
汗をかきたくない一心でぬるめのシャワーを浴び、手早く濡れた体を拭く。
下着は上下がおそろいになるよう選んだ。
露出の激しい服は好みではないので見える心配はないし見せることにはならないと思うが、
準備とは出来ること全てをやることである。
首筋に張り付いた数本の髪を丁寧に拭く。シャワーを浴びたのがバレバレだとみっともない。
化粧水で軽く頬を拭いて艶を出す。唇のカサつきが気になったので、
グロスと兼用のリップクリームを小指に取り、塗り広げる。
唇の出来栄えには、いつもより気を使った。
バスルームを出て時計を見れば、分かれてから35分くらいが経っていた。
そろそろ待たせすぎになるだろうか、と手早く財布や細々したものを学生鞄からバッグに詰め替える。
さっと戸締りや手荷物を確認して、姫神は部屋を出た。
上条は15分くらい、エントランスで待っていた。
着替えというほどの着替えもないし、部屋で一息つくだけの余裕を置いてから、下に降りてきた。
女子寮と男子寮は隣同士だ。女子寮には丁寧なセキュリティが掛かっていてこちらから迎えにいけないので、
男子両側のエントランスで待ち合わせているのだった。遅い、とは言うまい。女の子の準備には時間がかかるのだ。
姫神が降りてくれば、恐らくエレベータの動きで分かるだろう。
そちらをチラチラと見ているところを青髪なり土御門なりに見つかれば
大変なことになるので周囲には気を使う。
頭の中で、さっきの姫神の言葉を思い出す。
唐突過ぎて何も言葉を返せなかったが、きっと姫神にとっても重要な言葉だっただろう。
上条はどんな答えを返せばいいか、決めあぐねていた。
実は俺も前から好きだったんだ、と言ってしまうと嘘だった。まさか好かれてるなんて思いもしなかった。
綺麗なのはもちろん知っていたし、付き合ってくれなんていわれたら嬉しいよなあありえないよなあ、
と思ったことは何度もある。だけど、姫神にだけ向けた特別な視線では、なかった。
姫神に強く引かれているのを、上条は今自覚している。
だけど姫神に伝える言葉はいくら練っても陳腐で、だから先ほどすぐに答えを返せなかった。
女子両側のエレベータが、降りてきた。
とりあえずは町を歩いて、公園だとかゆっくり語らえそうなところへ行こう、と上条は思案した。
「上条。貴様、こんな時間から外出する気なの?」
姫神ではなかった。
エレベータから出てきた吹寄が、ジロリと上条を見つめた。
207:
「吹寄。いや、そっちこそどこ行くんだよ?」
「どこ、って……貴様が悪いのよ上条当麻」
「はい?」
「休み時間中の話をもう忘れたわけ? 貴様が言ってたんでしょうが。
 西部山駅の駅前に面白そうな通販のカタログがあるって」
「あー」
言った。そういえば。
「もしかして、一人で行くつもりだったのか?」
「し、仕方ないでしょう。貴様は姫神やあの二人と遊びに行ったみたいだし」
「いや、明日まで待てばよかったんじゃ」
「……」
「……ごめん。悪かった。にしても、何でこんな時間に?」
「……」
「……ほんとごめん」
明日まで待ちきれないくらい楽しみで、だけど知り合いに見られるのはいやだ、ということのようだった。
「それで、上条。貴様は今からどこへ行く気なの?」
「まあなんだ。土御門とかとどっか遊びに行くかって話になってさ」
「日中も遊んだのにまだ遊び足りないわけ?」
「う……悪いかよ」
「悪いわよ。宿題どころか学校までサボって小萌先生を泣かせるような学生が夜遊びなんてしていいわけないでしょうが」
上条が学校を休むのには色々と事情はあるのだが、明かすわけにもいかず無断で休んでいるので、
実質上条は学校を代表するサボリ魔なのだった。
土御門辺りもサボりっぷりで言えば大して変わらないのだが、目をつけられないのは立ち回りが上手いのだろう。
「吹寄も寮を抜け出すんだろ? 止めたり、しないよな?」
「……まあ、あたしは学級委員じゃないから。でもちゃんと明日も学校に来なさいよ」
「ああ。俺の意思に反して誘拐でもされない限りは皆勤でも何でもやるさ」
「それで。どこに行くわけ?」
上条はその一言に焦りを覚える。土御門たちとどこかへ行くという嘘を上塗りしていく作業。
それに破綻を聞かせないように注意を払わなければならない。
「いやべつに、どこって決めてるわけでもないけど」
「この時間ならどっかで外食する気?」
「んー、まあ、たぶん」
「そう。ならあたしも行こうかな」
「……え?」
「なにかまずいことでもあるわけ?」
吹寄の意図が、上条にはつかめなかった。
208:
上条はひたすら危機感を感じていた。
まさか、吹寄がそんなことを言うなんて予想していなかった。
万が一あと数分でもここで待たれたら、姫神が降りてくるだろう。
うまく姫神が誤魔化すのを手伝ってくれれば切り抜けられるかもしれないが、危うい。
「まずいっつーかさ、いいのか? 俺と土御門と青髪なんて、見るのも嫌な三人組だろうに」
「あんた達がバカでどうしようもない問題児あることにあたしはなんの疑いも持ってないけど、
 別に嫌ってはいないわよ」
「へ? そうなの? てっきり大覇星祭の一件で俺は嫌われてるものと……」
「いい加減忘れろ! 忘れなさい! 今すぐ頭から消し飛ばしなさい!」
「ご、ごめん!」
「……そういえば上条当魔。貴様は一端覧祭(いちはならんさい)にはきちんと参加するの?」
「……たぶん」
「断言は出来ないわけ?」
「俺の個人の意思としては参加する気だけどさ。まあ、最近いろいろありまして」
ローマ正教20億の敵なんて物騒な言い方をされている上条当麻にとって、
自分の都合というのは最近では冷蔵庫のカレンダーに書いた大型ゴミの日の書き込みよりも影響力がない。
「あたしは実行委員になるつもりなんだけど」
「そうなのか。まあ、吹寄っぽいよなあ」
「上条。貴様も一緒にやらない?」
「――――へ?」
信じられないお誘いだった。嫌とかよりも、何故のほうが先に頭にひらめいた。
顔に出ていたのだろう。吹寄は言葉を継いだ。
「そのサボリ癖なんとかしなさいよ。確約が出来ないって言うなら実行委員とか責任ある仕事を引き受けて、
 自分を追い込みなさいよって言う提案をしているの」
吹寄は怒っているように見えなくもない。しかしそれが普段の表情だった。
つい、まじまじとそれを見つめてしまう。真意が量りきれなかった。
「何よ」とぽつりと呟いて、吹寄は上条をにらみ返した。
……その応対の時間が、余計だった。
気がつかぬうちに、女子寮側のエレベータが下りてきて、見知ったその人を吐き出した。
「吹(ふき)ちゃん?」
「あ、姫神」
221:
委員長気質の吹寄は転校生の姫神に率先して接してくれたので、
姫神にとって吹寄はかなり親しい友人だと言える。
吹寄はあまり恋愛話を好むほうではないとはいえ、恋愛話は女子同士の会話の大事な一要素だ。
姫神は共通の友達をネタに何度となく吹寄と恋愛話をしたことがある。
だが、互いに一線を引いたように、互いの好きな人に関する話はしたことがなかった。
そして、吹寄がいないところでも、吹寄の好きな人についての話、というのは聞いたことがなかった。
男に興味のなさそうな吹寄だが、だからこそ噂話に花が咲いてしまうのが女の性だ。
吹寄のいないところではそれこそあれこれと憶測が飛び交っても不思議はないのに。
その理由は、姫神にはおおよそ予想がついていた。
明言したことは一度もないが、姫神が気になる男の子は上条当麻である、というのはクラスの女子の常識だ。
別段あからさまな態度を取ったことなんてただの一度もないはずなのだが、
女特有の洞察力というのはこの手の問題に関しては神がかり的な鋭さを発揮する。
そしておそらく、クラスメイト達は吹寄の好きな男子についても確度の高い推論を持っていることだろう。
そういう話を、していないはずがないのだ。だからその話を姫神が耳にしない理由は一つ。
――吹ちゃんの好きな男子『も』たぶん。当麻君だから。
間接的な証拠に基づく推察でありながら、姫神はその予想を全く疑っていなかった。
何より自分の女の勘が、吹寄も上条のことが好きなのだと告げていたから。
エレベータが静かに開く。
吹寄と上条の距離は、クラスメイトくらいの距離。
特別なんて何もないのに、やっぱり姫神の脳裏で警鐘がカンカンと鳴っていた。
上条は事態のマズさに嫌な汗が伝うのを感じた。
姫神がとっさに嘘にあわせてくれるかは分からないし、なにより今日、
上条は姫神の手を取って学校を飛び出したのだ。
不純異性交遊を目の前に、吹寄ブチ切れるかもしれない。
吹寄は姫神と仲が良いから、なおさらだ。
「吹寄さん。これはですね」
「貴様、姫神と遊ぶ気だったの?」
「いや、まあ」
「土御門とかと遊ぶってのは、嘘だったということ?」
「――ああ。そうだ」
「吹ちゃん……」
「姫神。確認しておくけど、上条当麻に無理矢理誘われたとか、そういうのは……ないか」
吹寄は姫神を一瞥しただけでそう判断した。
髪の整い具合だとか、そういうところで姫神の気持ちを見抜いたのだろう。
「別にあたしは風紀委員じゃないから。止めたりはしないわよ別に……」
吹寄はそう呟いて、髪を軽く指でいじった。
229:
「吹ちゃんは。いいの?」
気づかない振りをすれば、良かったのに。
姫神は吹寄にそう、尋ねずにはいられなかった。
「いいって? 何であたしが姫神と上条を止めるわけ?」
そのとぼけ方は上条を騙すのには充分で、姫神に悟らせるには充分なくらいの不自然さだった。
きっと吹寄が本当に上条のことをなんとも思ってなかったならば、多分怒っただろう。
あたしはそこまで優等生ぶらないわよ、か。姫神の恋路を邪魔するほど野暮じゃないわよ、か。
たぶん、今みたいに姫神が何を言ってるのか分からない、なんて態度には留めないと思う。
それが姫神の感じた吹寄の『嘘』だった。
「私は。今から上条君と。晩御飯を食べに街に行こうって約束をしてた」
「……見れば分かるよ」
「今日は一日中。上条君とデートした」
「……おめでとうって言えばいいの? 姫神意外と隠さないんだね」
「でもデートって言っても、土御門君たちがついてきたりしたんだけど」
「そう」
人を突っぱねるような態度のくせにかまいたがりな吹寄と、
人当たりはそう悪くない割にドライなところのある姫神。
普段この二人は仲が良い。
だけど上条はどうも、姫神と吹寄の間に不穏な空気が漂っているような気がしていた。
「なあ、姫神」
「どうしたの? 当麻君」
ぴくりと、吹寄の髪をいじる手が止まった。
「あ……」
「そういう名前で呼び合う位、進展したんだ。で、貴様は下の名前で呼ばないわけ?」
「いや、二人のときは秋沙って呼んだけどさ。クラスメイトの前じゃ恥ずかしいだろ」
「……」
今は、上条にそれをばらして欲しくなかった。
上条にアタックするのに、何も吹寄に断りを入れたりする必要はない。だけど無断も嫌だった。
「まあ良いけど。で、上条。さっきの話の続きだけど、あたしもついていっていいわけ?」
「え?」
「晩御飯、いくんでしょ?」
姫神を、吹寄が見つめた。
真意は測れない。でも、駄目だと言う気はなかった。姫神はコクリと頷いた。
234:
入った店は、イタリアンレストランだった。
ファミレスよりは高級感があるが、学生の夕食に出来る程度の価格帯だ。
適当に三人とも注文して、料理待ちの時間。
夕方にもこういうボックス席にいたっけなと上条は思い出す。
そのときは対馬が座る席を決めた。今は、吹寄が決めた。
上条と姫神を隣同士に座らせて、吹寄は反対側に腰掛けた。
「で、確認しないと居心地悪いから聞くけど。あんたたち、付き合うことになったの?」
腕に掛かった長い髪を払いながら吹寄はそんなことを尋ねた。
上条が答えようとすると、姫神が上条をじっと見た。私が言うから、という意思表示のようだった。
「ううん。まだ。そういうことにはなってないよ」
「……そう。じゃあ、邪魔しちゃったんだ」
「そんな。邪魔だなんて。思ってない」
「思いなさいよ。あたしは人のデートに割り込むような野暮をするつもりはないし」
「……吹ちゃんは。それでいいの?」
「だからそれでいいって何よ。姫神は何の心配してるんだか」
いつもよりも少しイライラした感じの聞き返し方。
きっとそれは、図星なのだ。
「貴様はどういうつもりで姫神を連れ出したの?」
「え? どういう、って」
突如、矛先が上条のほうを向いた。
「夜に、単なるクラスメイトの女子を連れ出したら問題でしょうが。
 どう考えたって下心があるに決まってるでしょ」
「し、下心って……」
「ただ食事をするためだけに、貴様は姫神を誘ったわけ?」
「吹ちゃん!」
上条が何かを言う前に、またも姫神が二人の会話を遮った。
何がなんだかわからない上条の前で、女二人の思惑だけが交錯していく。
「姫神」
「ごめんね。上条君。何も聞かないで」
遮るように、朗らかな声で注文した料理が運ばれてきた。
240:
パスタにフォークを刺して、クルクルと回す。
皿とぶつかる硬い音がテーブルの上でかすかに流れる。
そんな音が気になるくらい、上条たちの間には会話がなかった。
吹寄は、自然な態度で食事を摂っている様に見える。
目の前にいる自分や姫神が赤の他人だったら、完全に自然だっただろう。
自分達と会話をしようとしないこと以外は、おかしい所はなかった。
姫神も食事時におしゃべりなほうではないと思う。
食べ方もがっつくような感じではないので不自然には見えない。
だが、ずっとパスタを見つめているのに、時折思い出したようにチラリと吹寄を見るその視線が
意味ありげで、姫神と吹寄に間にあるおかしな空気を象徴していた。
「上条。貴様はもう少し落ち着いて食べられないわけ?」
「あ、ああ。悪い」
一番不自然なのはおそらく自分、上条当麻だろう。
会話を振るでもなく、黙々と食事をする二人の女の子の顔をまじまじと見つめているのだ。
……とはいえ黙っていろといわれた手前、会話を提供する役になるのもためらいがあった。
女の子達と同じ、並盛のパスタを頼んで正解だった。
あっという間に食べ終わるくせに、緊張していてそれ以上欲しいと思わない。
セットでついてきたコンソメのスープで口の中をすっきりさせると、
吹寄もちょうど食べ終えたところだった。
「貴様に聞いておかなくちゃならないことがあるわ」
「なんだ?」
「貴様はこれから、姫神になんて言う気なの?」
「……」
「好きだって、言うつもり?」
「それを言う相手は、姫神だ。吹寄、悪いけどお前のいるところで、
 そういう話はするわけにいかねーだろ」
姫神はその言葉に、息を呑んだ。
告白を、してもらえるのかもしれないと姫神は確かに期待している。
微かにしか期待していないつもりで、しかし今も心臓は強く脈動していた。
「まあ、いいわ。今ので分かったから。あたしがここに来た理由はね。上条。
 貴様のことを好きなクラスメイトを、姫神のほかに知ってるからよ」
「えっ?」
姫神と上条の驚きが唱和する。しかし意味は異なっていた。
上条は吹寄の言葉の中身が信じられなかったから。
姫神は吹寄が遠まわしにでも、その気持ちを上条に伝えたから。
243:
「吹寄。……唐突過ぎて驚くしかないんだけどさ、それ、ホントなのか? そんな話聞いたこともないぞ」
「黙ってたんだから、そりゃあ伝わらないでしょ」
「一体誰なんだよ……って、言ってはくれないか」
「当たり前でしょうが。貴様は今から誰に何を言おうとしてるのか、よく思いだしなさいよ」
「……」
「黙らないで何とか言いなさいよ。上条当麻、貴様は今から誰に、何を言おうとしているの?」
「姫神に」
姫神はもう食べる気にならないのか皿の上に残ったパスタを、フォークで弄んでいた。
その肩が、ぴくりと震えた。
「これから、姫神と二人でどっか歩く気だ。それ以上は吹寄、ここでお前に話すようなことじゃない」
二人ですべきことを、二人以外の人がいるところでしてはならない。
それは通すべき筋だと上条は考えていた。
姫神も上条の意図を理解していた。だが同時に、吹寄がどう感じるかも痛いほどわかるのだ。
その言葉は、「お前なんて眼中にない」と言われているように、きっと吹寄には聞こえたろうと思う。
「……そうね。あたしは部外者。確かに貴様にあれこれ聞くのはお門違いだったかもしれないわ。
 でも。今じゃなくてもきちんと教えて欲しい。
 上条のことを好きな女の子に、貴様のことを諦めさせなきゃいけないから」
上条は、吹寄の呟きを聞いて、全ての言葉を失った。
きっと吹寄は、そのクラスメイトの気持ちをよく知っている。
面倒見のいい吹寄のことだ。きっと親身になって相談に乗ったのだろう。
残念そうな、いや違うか。悔しそうな、のほうが近いかもしれない。
そしてまるでわが身のことのように傷ついた響きが、声には含まれていた。
反射的に謝りそうになって、それを自制した。
「吹ちゃん、私は」
「姫神は何も言わないで。姫神は別にズルなんてしてない。
 誰にも後ろ指を指されるような事なんてしてないんだから、変な気遣いなんていらないわよ」
「……ごめん、なさい」
「謝るのも自己満足よ。姫神には語る言葉なんて何もない。ただ、上条と幸せになればいいだけ」
「……うん。吹ちゃんは、私のことを嫌いになった?」
何バカなこと言ってんのよ、と吹寄が笑った。
どことなく泣き顔めいて見えたのは、上条の錯覚だったろうか。
「何で第三者のあたしが姫神と喧嘩するのよ。きっと上条のことが好きな子も、姫神のことを恨んだりはしないって」
「うん」
吹寄がグラスの水をあおった。
それをきっかけに三人は席を立ち、支払いを済ませてとっぷりと暮れた夜の学園都市の空を見上げた。
星は見えない。言葉もすくなに、吹寄は上条たちと別れ、寮へと帰っていった。
246:
肌寒い空気が、すっと足元を吹き抜ける。
夏の名残の暑さももう失われて、日が沈んでからは冬の足音も聞こえ始める季節。
街中のレストランを出てから、上条と姫神は黙々と緩い上り坂を登った。
姫神は上条の導くままにしたがっていたが、おおよそ、行き先に心当たりはあった。
この先には、眺めのいい公園がある。夜景が綺麗だというのは、有名な話だった。
繁華街から遠く不良にとって退屈な場所なこともあって、学生達の逢引の場所として、
それなりに有名な場所だった。
姫神の足取りは、重たかった。
さっき吹寄と交わした言葉が、これからのことに対する期待感以外の気持ちを膨らませていた。
吹寄の言ったとおりなのだ。姫神は卑怯なことなんてしなかった。
だから、確かに悪いことなんて何もない。
しかし、同様になんら悪いことをしなかった友人の口を封じ、
心に秘めていた気持ちをそのまま秘めさせるように仕向けてしまったのも事実だ。
「姫神」
ほんの少し前を歩く上条が、そう名前を読んだ。そしてすぐ、間違いに気づいた。
「秋沙。その、さ。手、繋がないか?」
少し前から、上条がさりげなく手を差し出して、手を繋ごうと誘う仕草を見せていたのには気づいていた。
それを取らなかったのは、自分で何かを決めるのが怖くて、上条に強く引っ張って欲しかったから。
姫神は無言で指を絡ませた。手の温かみが伝わるのと同時くらいに、上条が身を寄せて、体が軽くぶつかった。
公園の入り口に立つ。高低差の激しいここから展望のいい広場までは、階段を上ることになる。
「今日はなんかやたらといろいろあったな」
「うん」
「青髪と土御門には追いかけられるし」
「うん」
「御坂のヤツにもなんか追いかけられることになったし」
「うん」
「五和にも……まあ、会ったしな」
「……」
立場が違えば仲良くも出来たであろう、彼女のことを思い出す。
そうだ、あの時。もし自分が上条にアタックしなかったなら。
当麻君は。あの子と親密になっていたかもしれない。
五和は初対面だ。それだけが理由なのかもしれないが、吹寄に対してとは異なり、
姫神は五和に対しては敵対意識を持っている自覚があった。
自分のものだと見せ付けなければ、上条は取られていたかもしれない。
その危機感を思い出すと、自分のやったことが正しかったと思えるような気がした。
恋は戦争。分かち合うことの出来ないものが、確かにあるのだ。
248:
「吹ちゃんの言ってた。上条君のことを好きな女の子のこと。考えてた。」
安っぽいスニーカーの音を響かせながら、雑草の生えた階段を登る。
「あー……。あれ本当なんかね。なんていうかさ、 全くもてた事のない上条さんの人生を振り返るに、
 どうも信じられないんだよな。別に疑うわけじゃないけど」
「吹ちゃんは嘘なんてついてないよ」
「もしかして、その子の事、知ってるとか?」
「――うん。予想は。ついてるから。綺麗な子だよ」
「クラスの女子の誰が綺麗か、なんてのを秋沙に話すわけにはいかないな。万が一女子に知れたら俺は確実に殺される」
「言わないよ」
じっと、上条を見つめる。視線の意図は、割とすぐ伝わった。
「秋沙は、綺麗だと思う」
「クラスで何番目に?」
「番号なんてつけたことないって」
「男子がランキングつけてるの。知ってるよ?」
「マジで? まあ、女子もつけてそうだけど」
「うん。当麻君は。結構ポイント高いよ」
上条がグッと拳を握った。女子の評価の高さはクラス内での過ごしやすさとかなり関連している。
非常に心強い、ありがたい情報だった。
「私やその子が気にしてる男の子を。みんな非難なんてしないから」
「……」
一体、何度目だろう。姫神が、これほどにきわどい言葉で自分の気持ちを表現するのは。
もう上条はその意味に気づかなかったり、取り違えたりはしなかった。
「ねえ当麻君。吹ちゃんと比べて。私の順位はどうだった?」
「吹寄はおカタい奴だからなあ。告白しても無理そうって奴が多かったな」
「本当はそうでもないんだけどね。……それと私が聞きたかったのは。皆じゃなくて当麻君のこと」
「う。えーっと。吹寄はなんていうか、女の子のカテゴリに入れてなかった」
「え?」
「吹寄ってだいたいいつも怖いし。時々遊ぶけどぶっちゃけ男子の連中とつるむときと同じノリだし」
「吹ちゃんは。結構女の子なところあるよ?」
「そうかあ?」
「当麻君は。見る目がないよ」
「……まあ、否定なんてとてもできやしませんが。でも何で秋沙が吹寄のことで怒るんだよ」
「自分でちゃんと分かって。私の口からは。言えないし言わない」
ぷいとそっぽを向いた姫神の横顔を眺めながら、残りの段を一つずつ上がっていく。
「それで。私のことは。どう思ってたの?」
「この先で、話すよ」
最後の一段。それを越えると足音が砂を踏むものに変わった。視界が開け、眼下に学園都市の眠らない光の海が姿を現した。
251:
ザクザクと音を立てながら、広場の先へと進む。
切り立った高台の端にある、少し高めの柵の向こうには絶景が広がっている。
地上にきらめく星。光の海。いや湖か。
ハイウェイを途切れ目なく車のライトが縫っていく。遠くに見える真っ暗な縁は、恐らく学園都市と外との境界だろう。
「姫神はここ、来たことあるか?」
「お昼になら。一人で歩いたことがあるよ」
「夜は初めてか」
「うん。だって。ここはデートスポットでしょ? 一人で夜はちょっと危ないし」
「今日は俺達以外はいないみたいだな」
「そうだね。当麻君は夜のここに来たことあるの?」
「ああ。一学期にクラスのとある男子がここで告白するって情報が流れてさ。偵察しに来た」
「……本当は他の女の子に告白されたとかじゃないよね?」
「んなわけあるか」
柵の前に、到着する。眺めが良い綺麗な場所で、人がいなくて。
大切なことを大切な人に言うために、うってつけの場所だった。
そして逆に言えば、もう、大切なことを言う他はない、そういう『逃げ』のない場所だった。
今から当麻君に。告白されるんだ。
期待が、どうしようもなく姫神から落ち着きを奪う。そして不安が、どうしようもなく心を軋ませる。
きっと、好きだと言ってもらえる気がする。そんな予感がある。
ごめんなさいとか、さようならを言うのにこんな場所を用意する必要はないからだ。
今から振ろうとする相手に、綺麗だなってきっと言わないと思うからだ。
でも、確信なんてあるわけがない。それが、苦しい。
「金も掛からないし、すげえ穴場だなここ。なんていうか、予想以上に雰囲気良くてちょっと
 俺自身がここに見合ってないなー、とか」
「そんなことないよ」
「いやまあでも、服もいつもどおりの着古しだし、靴もかなりくたびれてるし、
 もうちょっと気合を入れればよかったかな、ってさ」
252:
そんなことは、気にしないのに。
急にそんなことを気にしだした上条に、少しだけ苛立ちを感じた。
上条にしてみれば、どう切り出していいかがわからなくて、戸惑っているだけなのだが。
「秋沙」
意を決した上条の瞳が、まっすぐに姫神を捉えた。
緊張に視線を外したくなって、姫神は必死にそれを我慢した。
鼓動がもうどうしようもないくらい早い。
上条の、唇が動いた。
「夕方に、さ。秋沙の口から俺のことを好きだとか、そういう言葉が出てきたと思うんだけど。
 ……俺の、聞き間違いとかじゃ、ないんだよな?」
「……うん。私は当麻君のことが。好き」
言って、しまった。ついに言ってしまった。
どさくさにまぎれてじゃなくて、こんなにも告白のためにあつらえられた場所で、思い人だけにそれを告げてしまった。
「そうか。聞き間違いじゃ、ないんだな」
上条が笑った。ほっとしたような、そんな表情。
しかし、直後に申し訳なさそうな顔をして、ツンツン頭をガリガリやった。
「俺が次は、答えを返す番だよな」
「……うん」
上条の表情は姫神を一喜一憂させる。目の前の憂い顔は、良くない。自分を不安にさせる。
「その、ごめんな」
「えっ―――――?」
姫神の心臓が、止まった。
269:
「今までさ、秋沙にそんな風に想ってもらえてるなんて、考えたこともなくてさ」
上条が言葉を区切る。言いにくいことなのか、視線をさまよわせた。
姫神は足が震えそうだった。
「だから正直に言っちまうと、姫神のことをはっきりと意識したのは、今日が初めてだったんだ。
 だから秋沙のこと、すごく気になってるけど。けど、好きだって言葉を、使っていいって自信がもてないんだ」
霧は晴れない。言い意味でも悪い意味でも。
当麻君は何を言っているのだろう。
言葉の意味を、姫神は上手く飲み込めなかった。
「秋沙と手を繋ぐと嬉しくなるし、一緒にいて、楽しかった。今ここで、秋沙のことを抱きしめたいって、思ってる。
 けどさ、お前のことを意識してまだ一日も経ってない俺がそんなこと思っちまうのってどうなんだろうな?」
少しずつ、脳裏に上条の言葉の意味が浸透してくる。
たぶん、自分のした最悪の予想とは、趣きが異なるらしい。
「……当麻君は。私のこと。嫌い?」
「んなわけあるか。もしそうだったらこんなことするわけないだろ」
「私よりも気になる女の子は?」
怖かった。その質問をするのは。でも聞かないと先に進めない。
上条はその言葉で、御坂や、五和や、インデックスを思い出す。
「秋沙に一番……ドキドキしてる」
「良かった……」
姫神はほっと息をついて、胸元の十字架を軽く握り締めた。
やっぱり秋沙は可愛いな、と何度目なのか分からないが、再び上条はそう確認した。
「ごめんなって言うのは。ひどいよ」
「え?」
「振られるのかなって。思った」
「い、いや。別にそういうわけじゃなかったんだって」
「……悪気がないのは。余計に悪いよ」
「ごめん」
「死んじゃうかも。って思った」
「ごめん」
「五和さんとか、気になるのかなって思った」
「ごめん。そういうわけじゃ、ないって」
「まだ。ちゃんとした答えを。聞いてないよ」
上条は黙った。自分の中に降って湧いたような感情。姫神を可愛いと思い、惹かれる感覚。
取り扱ってまだ一日だというのが姫神に申し訳なく、もっと時間をかけて確かめるべきことのような気がしていた。
――違う。時間なんて関係ないじゃないか。今の気持ちが勘違いかもなんて、責任逃れもいいところだ。
「えっ?」
黙って、上条は姫神を抱きしめた。
271:
ぎゅっと抱きしめて、改めて実感する。
インデックスとじゃれあうときに感じる気持ちとは全然違う。
携帯を替える一件で御坂を抱き寄せたときに感じた気持ちとも違う。
姫神を抱きしめると、姫神を可愛いと思う気持ちが滾々(こんこん)と湧いてきて、
もっと強く、抱きしめたくなる。
「と。当麻君。その。あの。」
珍しいくらい、姫神が慌てていた。至近距離で目が合うと恥ずかしがって顔を隠した。
おずおずと、上条の体にも手が回される。だけどその力は弱く、ためらいがちだ。
理由は、上条にも察しがついていた。
まだ自分は、決定的な言葉を口にしていない。
「俺は今、秋沙のことを世界で一番幸せにしてあげたいって、思ってる」
「……うん。幸せにして。ください」
抱きしめられた上条の胸の中で。
柔らかくて暖かな笑顔を、姫神が顔一杯に浮かべた。
感情表現の薄い姫神だから、きっとそれは最上級の感情表現。
それを見て上条はたまらないくらい嬉しくなった。
そしてその気持ちこそが、姫神のことを好きなんだという気持ちだと、理解した。
笑いかけてくれたから好きになったのだろうか。それとも好きだったから笑わせてあげたいと思っていたのか。
鳥と卵の水掛け論はどうでもいい。
どちらが因果とも分からない、相手を幸せにすることと自分が幸せになることが等価になる現象。
そういうものを、好きになるというのだろう。
「秋沙。好きだ」
「うん。私も。当麻君が好き」
自然とその言葉は口から突いて出た。
きゅっと、電灯に照らされた影を一つに束ねるように、互いの体をくっつけあう。
すこしの時間を置いて、服越しに温かみがじわりじわりと伝わってくる。
自分とは違うリズムの心臓の鼓動や、吐息がすぐ傍に感じられる。
姫神を抱きしめているのだという実感が、上条を満たした。
髪を撫でると、いい香りがした。
手を滑らせていくと、最後まで撫でられない。お尻に触れてしまうからだ。
腰のギリギリのところまで撫で、時々腰を抱いてさらに姫神を抱き寄せる。
どんな顔をしているのだろう、と表情を覗き込もうとすると、むずがるように姫神が顔をそらした。
「秋沙?」
「だめ……。どうしよう。恥ずかしくて当麻君の顔を見れないよ」
「恥ずかしい?」
「恥ずかしいって言うか。当麻君の顔を見たら好きすぎてどうしていいかわからなくなるの」
可愛すぎる。抱えたこの感情を、ただ抱きしめるだけでしか表現できないのがもどかしかった。
281:
つい悪戯心が湧く。
「ふ。ふふっ。だめだよ……当麻君。だめ」
抱きしめた姫神の首筋に指を這わせてくすぐる。そして顎を捉えたらくいと持ち上げようとする。
照れながら姫神はくすぐられる感触に耐え、上条の指から逃げ回る。
本気で嫌なら上条の腕を振り解けばいいのにそれをしない。
「あっ」
「あ……」
不意に、当麻の攻撃が通じてしまう。二人のどちらにとっても唐突に、姫神の顔(かんばせ)が持ち上がる。
焦点がとっさに合わないくらいの傍に、姫神の顔がせまった。
そして抱きしめた状態で顔を持ち上げた姿勢は、あまりにキスにうってつけで。
二人ともフリーズする他なかった。
「ご、ごめん! 調子に乗っちまった」
「ううん。いい。」
思わず姫神の頬から手を離し、抱きしめた腕を緩める。
夜景に照らされた姫神の唇が、艶かしい。
上条の視線に気づいたのか、姫神が口元を隠すようにうつむいた。僅かに表情には、躊躇いの色。
「ちょっと。まだ怖い」
それが何のことかは、察せた。そりゃあ告白してすぐにそれは、早いと思う。
普通はどんなもんなのか、上条には自信がなかったが。
「いいよ。それより、抱きしめられるのは嫌じゃないか?」
「全然。そっちは。もっとして欲しい」
再び姫神を抱きしめる。身長差はちょうどいい塩梅だった。抱きしめると、ギリギリ上条の胸の中に納まる。
安堵したような、深いため息が聞こえた。
282:
「抱きしめあうって。すごいね」
「ん?」
「すごくあったかくて。安心する」
「だな。俺も、懐かしい感覚のような気がしてる」
「……当麻君は。よく女の人と抱き合ってるんじゃないの?」
「なんか秋沙の中では俺が酷い女たらしになってる気がするんだけど」
「だって。事実でしょ?」
「どこがだよ」
「私が知ってるだけでも。シスターの子に常盤台の子に吹ちゃんに小萌先生」
「おいおい待て待てなんかおかしい人選だぞそれ!」
「さっきは五和さんって子にも会った。まだいるんでしょ?」
「いや、だから知り合いの子が増えたってだけでべつにやましいことは」
この際全部白状しろ、という感じで姫神が迫る。
やましいかどうかで言えば、姫神に告白するより前の行為はどんなものであってもやましくはないのだが。
「じゃあ最近仲良くなった女の人の名前を全部挙げて」
「……あの、秋沙さん?」
「私。こう見えて結構嫉妬深いから」
ただのクラスメイトだった頃からまったく変わっていないはずのその表情が、上条にはなんだか恐ろしく見えた。
「話して。女の人の名前と。年と。背格好」
「あの、怒りません?」
「後で聞かされたら。嫌だよ。今日より前のことは仕方がないから気にしない。けどこれからは。嫌だよ」
逃げられない。逃げたら怖いのもあったが、姫神を傷つけるのはもっと嫌だ。
「えっと。インデックスは知ってるよな。あとは御坂美琴、さっきの常盤台のと、双子の妹。んで五和。この辺はもういいよな? あとは神裂火織っていう……あいつ18歳って言ったっけな、黒髪で俺と同じくらいの身長だ。で他には……ミーシャ、あれサーシャって言えば良いのか? 変な服装のロシア人の子だ。それと風斬と、アニェーゼってインデックスと同じくらいの子とオルソラって20くらいのイタリア?人と、あアンジェレネとルチアって同じローマ正教のシスターと、あ、白井黒子って常盤台の一年のを忘れてた。ツインテのお姉さまラブが行き過ぎた変態だ。……ええとそんなもんか。」
上条は極めて正直に、この数ヶ月を思い出して報告する。
回想の途中に姫神を見なかったのは正解だったかもしれない。
上条が一人数え上げるたびに、その表情が曇っていく。
あっという間に不安は具体的な懸念へと成長進化し、もはや全ての敵を征するのが到底無理と理解するにいたり、
姫神の表情は諦念という一つの真理を体得していた。上条が見た表情は最後の穏やかな顔だった。
283:
「当麻君って詐欺師か何かなの?」
「……あの、ものすごい不名誉な評価だと思うんですけどそれ」
「まあ。助けてもらった私が。文句を言えることじゃないってことなのかな」
はぁと今度のため息は憂鬱を含んでいた。
「ねえ当麻君。約束。してほしい」
「……えっと、何をだ?」
「私以外の女の人と。デートをしないで」
そんなことは当たり前だ。それは姫神としたいことだし、姫神以外とはしてはいけないことだ。
「しねーよ」
「キスとか。それ以上も駄目」
「当然だ」
「女の子と二人っきりで買い物をすることも駄目」
「……まあインデックスは一緒に買い物についてきたりしないしな」
「女の子と手を繋ぐのも駄目」
「やらないよ。そう言うのは全部、姫神とすればいいんだろ?」
「うん。おんなじことを私も当麻君に約束する」
姫神が頭を上条の胸にこすり付ける。
「私は当麻君のものだから。だから当麻君も私だけの人でいて欲しい」
「約束する」
「うん」
「好きだ、秋沙」
「うん。私も大好き」
再確認。毎日やっても飽きないんじゃないかと思うくらい、嬉しい言葉の交換。
姫神を撫でる腕に、すこし力を込めた。
「シスターの子には。なるべく早く報告しないとね」
「……あ、ああ。まあそのうち言わないとな」
「なるべくはやく」
上条の言葉を姫神がやんわりと訂正した。
「あの子はまだ色気より食い気みたいだけど。でももう女の子だよ」
「……」
もしあの子が自分の気持ちを自覚して、伝えずにはいられないくらい膨らませてしまったら。
その想像はしたくない。だから早めに摘み取る。上条の可愛い妹分というポジションに固定する。
姫神は別にインデックスを嫌ってなどいない。ただ、譲るつもりのないイスがあるだけだ。
「当麻君とお付き合いするなら。ちゃんとあの子にも報告しないと」
「わかった」
姫神は上条にそっと笑いかけた。
296:
「長居すると冷えてくるな。秋沙、寒くないか?」
「当麻君とくっついてると寒くないよ。……と言いたいところだけど。さすがに足が寒いのはどうしようもないね」
「じゃあ、もう帰るか?」
この高台に来て、20分くらいだろうか。
もとから夜景以外に見えるべきものがあるわけでもないし、ブランコで遊ぶ年でもない。
寒くなければいつまでだってここでじゃれあっていたいのだが、そろそろ厳しい季節だった。
「あとちょっとだけ」
「ん。わかった。……で何分ぐらいだ?」
「一時間くらい?」
「それ、かなり寒いんじゃないか?」
「そうだね。でも。帰っちゃうとこんなことできなくなる」
「だなあ」
こんな時間に女子寮に上条が入るのはあまりに剣呑だし、その逆はインデックスがいるせいで無意味だ。
二人っきりで触れ合える場所は、寒い場所ばかりだ。
柵にもたれかかった背中が寒い。だけど、全幅の信頼を寄せるように預けてくれた姫神の重みが嬉しい。
触れ合っている体の前面は大丈夫だろう。せめて届く、背中と頭を撫でる。
「寒いところにいるのは残念だね。あったかいところでこうされたら。寝ちゃうかも」
「気持ちいいか?」
「すっごく。安心する」
きゅっと上条のジャケットを握るその手に、庇護欲をそそられる。
「明日。当麻君はお昼どうするの?」
「あー、弁当を作るにも晩飯の残りとかないからなあ」
「じゃあ。作ってきても。迷惑じゃない?」
「……マジ?」
それは嬉しい。物凄く嬉しい。そして同時にかなり恥ずかしい。
うまく立ち回らないとクラスメイト中に晒されることになる。
上条の懸念を理解しているのだろう。姫神がクスリと笑った。
「おおっぴらなのは恥ずかしいから。屋上とかで二人で食べよう?」
「まあ屋上にもそこそこ人はいるけどさ。まあ教室よりはずっといいか」
「やめたほうがいい?」
「いや、なんだ。恥ずかしいんだけど、それ以上に食べたい。秋沙の料理」
「うん。……明日までには無理だけど、もうちょっと恥ずかしくないものを作れるように勉強しておくね」
「秋沙の腕はもう充分だろ」
「そんなことないよ」
そんな、どうでも良いようなことを喋りながら空を見上げる。
地上の光がさえぎるから大きな星しか見えないが、建物に切り取られない星空はひたすら広い。
胸の中に好きな女の子の体温を感じながら見上げるそれは、普段と全く鮮やかさが違っていた。
302:
結局、それから一時間近くじゃれあった。
ふと気づいて時計を見たときには、飲み屋とファミレス以外の外食店が閉まる時間帯だった。
女の子が外を歩いていい時間も、いい加減に終わりだった。
帰りの道すがらはあっという間だった。行きの沈黙が嘘のように会話が続いて、時間を感じさせなかった。
明日からは、もっと楽しい日が待っている。それは間違いのないことなのに。
今日というこれからもずっと記憶に残るような、大切な一日が終わってしまうことが、寂しかった。
「それじゃあ、また明日、だな」
「うん……」
女子寮のエントランス。見送るほどの距離でもないが、名残惜しくて上条はそこまでついていった。
ここまで来ても、まだ姫神は歯切れが悪かった。
「いい加減思いきらなきゃだめだよね。明日。また会おうね」
「ああ。というか嫌でも学校には行かざるを得ないしな」
「サボリ魔のお前が言えたことじゃないと思うけど」
不意に、後ろから声が掛かった。
肩より下まで伸ばした黒髪をカチューシャで上げた女性。
まっすぐで僅かに濡れたような艶のある髪は、姫神とコンセプトが近い。
ただ胸元の凶暴さはまるで違う。その気だるげな雰囲気と相まって、エロい感じのする人だ。
名は雲川芹亜。上条たちの先輩に当たる人だった。
「お前は基本的にいつも不幸な人間だったと記憶してるけど。今は不幸なの?」
「今は別に不幸なことはないですけど」
「ああ、私が不幸の種か。転校生ともう懇意なのか。相変わらず手は早いな」
「何ですか人聞きの悪い」
隣で姫神の機嫌が加度的に悪くなっていくのが分かる。
今日という日の余韻を楽しむ瞬間に、雲川が割り込んだからだ。
「お前は不幸不幸と言いながら女運だけはやたらと良いけど。なぜそういう例外があるんだろうな」
「女運って。どう考えてもそんなもんはないでしょう」
「なら隣の彼女はどう説明付ける気だ? まあ興味は尽きないけど。
 馬に蹴られないうちに退散することにしよう。じゃあな」
エレベータに乗り込んで、雲川は二人の前を後にする。
扉の閉まり際に、上条が必死になって弁明する声が聞こえた。
「……当麻君。私は。あの人のことは聞いてない」
「い、いや。あの人とはここ最近の付き合いじゃないし、魔術とか超能力が絡んだ知り合いじゃなかったから」
ふっと笑って、確認するように独り言を呟く。
「上条が言い寄られるのは、運というよりは気質なんだろうな。
 不幸があっても自分で未来を切り開いていける前向きさというのは将来性がある。
 確かに私も伴侶に求めたい気質だな。
 だが、女難の相は悪運の類だろう。吸血殺しもこれから苦労するだろうな」
散歩の帰りに思わぬ楽しみがあって、ちょっと満足げな雲川だった。
304:
「ただいまー」
自室のドアを開ける。おかえりー、というインデックスの声がなかった。
不審に思いながら居間まで進むと、ベッドサイドで膝を抱えてうずくまっていた。
机の上には食器が散乱している。先ほどの出掛けに当麻が作っていった食事だ。
「食べたものは片付けろって言ってるだろ。……っていうか、お前どうしたんだよ?」
「とうま」
ベッドの上のシーツがぐしゃぐしゃだ。そこで泣きはらしたのだろうか。目が腫れていた。
なにか良くないことでも起こったのだろうかと、鞄を放り出して慌ててインデックスに駆け寄る。
「体の調子でも悪いのか?」
「ううん」
ふるふると、乱れた髪を横に振る。
落ち着けるように、軽く頭を撫でながらそれを整えてやる。
「とうま……。とうまは、どこにもいかないよね?」
「え?」
ドキリ、とする。姫神とのことを言われたのかと思ったからだ。
「どこにも、って何だよ。急にどうしたんだ?」
「一人でいたら、怖くなってきて……っ。私もとうまがいなくなっちゃったらどうしようって!」
ぎゅっと、インデックスにしがみつかれた。まだ残り火があったのか、ぐすぐすと泣き始めた。
そんなインデックスをどうにかしてやりたくて、上条はぎゅっと抱き返した。
「な、インデックス。落ち着いて話してくれないと、何が何だかわかんねーよ」
「さっきっ。カナミン見てたら……カナミンがお兄さんをとられちゃったの」
「……はい?」
「ずっとずっと憧れのお兄さんだったのに! すっごく優しくて、頼れる人だったのに。
 『僕には好きな人がいるんだ』って、絶対それはカナミンのことだと思ってたのに!!」
「あー」
青髪ピアスの言葉を思い出した。たしかこの超機動少女(マジカルパワード)カナミンというアニメは、
最終話近くで小さな女の子達にとって地雷とも言うべき話が存在するのだとか。
ずっと主人公の憧れだった「お兄さん」が、同年代の女の人と結婚してしまうエピソード。
たぶん、インデックスが言っているのはそれだろう。確かに地雷を踏んでインデックスは満身創痍だった。
305:
「カナミンだってすっごくお兄さんのこと好きだったのに。どうして振り向いてくれなかったのかな」
「さあ、なんでだろうな」
「カナミンは年下で、お兄さんよりは子供だったかもしれないけど。でも、すっごく頑張ってアピールしてたのに」
「そうか」
「カナミンと違ってお兄さんには特別な力なんてなかったのに、カナミンが危ないときには助けてくれたんだよ?
 カナミンはそれが嬉しくて、すっごくドキドキしてたのに」
「それでお前、ずっと泣いてたのか」
「うん……。だって、こんなのカナミンが可哀想なんだよ! 年下だからって、まだ子供だからって、
 あんなの……っ。カナミンだって好きだったんだからああぁぁぁぁ」」
ぶり返したのか、うわぁぁぁとインデックスが胸の中で泣いた。
情操教育にはいい番組だなあ、なんて場違いな思考が湧いてくる。それは上条にとっても現実逃避だった。
インデックスの背中を撫でてやること5分。高ぶった感情を沈めるのにそれだけ掛かった。
「……落ち着いたか?」
「うん。ごめんね、とうま」
「いいよ、気にすんな」
「とうまはどこにも、行かないよね?」
言葉に詰まった。自分はついさっきまで、どこでなにをしたのか。
返せるのは、意図的に曲解を含めた答えだけ。
「俺の家はここしかないし、お前がここにいればそりゃ俺は帰ってくるさ」
「うん……」
柔らかく笑うインデックスの、そのあどけなさが痛かった。
「それで、最後カナミンはどうしたんだ?」
「え?」
「ずっと落ち込んでて、おしまいか?」
「ううん。……お兄さんに、笑っておめでとう、って」
「そうか」
「私には出来ないよ、あんな風に笑うことなんて」
その一言は、重たかった。お兄さんは、どういう気持ちでカナミンに「それ」を告げたのだろう。
上条はその日、インデックスに告げることは出来なかった。
こっそりとやりとりする姫神とのメールが、やけに後ろめたかった。
306:
パジャマの裾をぎゅっと握り締めて画面を凝視する打ち止めを、洗い物をしながら黄泉川は眺める。
芳川はベランダで星を見ながらコーヒーを飲んでいる。
寒いところで飲むコーヒーが好きだなんていっていたが、あのアニメを見るのがいささか辛かったのだろう。
子供向けのクセに、思い人を取られる時の心情をやけにリアルに描いていた。
別に芳川は過去を思い出したとか、そう言うわけではないだろう。
だがアニメのキャラに感情移入できるほど若くもなくて、しかし恋愛ごとから遠ざかるにはいささか若すぎた。
なんとなく居心地が悪かったのだろう。
同年代の自分も同じことを感じていたが、手に泡をくっつけて皿をゴシゴシやりながら、
10歳程度の少女がアニメを見ているのを眺めていると、野暮ったい母親めいた気持ちが湧いてくるのだった。
「はぁー、ってミサカはミサカはクライマックスを見終わった後のため息をついてみたり」
「ん、終わったか。ニュースに変えてくれ」
「もう! 黄泉川は余韻を楽しむってことをわかってない!ってミサカはミサカは主張してみる!」
「ずいぶんとハマってたじゃんよ。こないだはアニメで泣くほど子供じゃないとか言ってたのに」
「な、泣いてなんかないんだもん!
 何度も言うけどミサカは培養器から途中で放り出されたからこんな姿をしてるけど、
 精神年齢はちゃんと14歳のものなんだからってミサカはミサカは懇切丁寧に説明してみる」
蛇口をひねる。一つ一つ食器から泡を洗い落として、水切り籠に入れていく。
真後ろにある食器洗浄器が新米兵のまま泣いていた。
「話を聞いてよーってミサカはミサカはソファの上で腕を振り回してみる!
 あ、芳川だ。そんなに外にいて寒くないの?」
「まだそこまで冷える季節じゃないわよ。で、アニメはもう終わった?」
「うん。あの子は大切な人をとられちゃったけどねってミサカはミサカは報告してみたり」
「そう。……それにしてもこのアニメの対象年齢っていくつなのかしらね。
 あまり強い感情を引き起こすアニメは子供には良くないって意見もあると思うけど」
「日本のアニメが海外で問題視される理由の一つじゃん。喫煙なんかは絵の修正で何とかなるけど、
 ストーリーの根幹にかかわる部分はどうしようもないよな」
打ち止めが画面を見て寂しそうな顔をしているのに気づいた。
もしここに彼がいたら、悪態をつきながら一緒にアニメでも見ていただろうか。
そんなことを考えていると、打ち止めがこちらを見た。
「――む。なんか余計な心配されてる気がする、ってミサカはミサカは警戒してみる」
「会えなくて、寂しい?」
芳川がそっと頭を撫でた。最近自分も芳川も何気なく母性を発揮してしまう局面が多くて困る。
「大丈夫だよ、ってミサカはミサカはほんのちょっとだけ強がってみたり。
 あの人はきっとモテないから大丈夫。最後にはちゃんと私の胸に帰ってくるんだから。
 ってミサカはミサカはカナミンとは違うところを見せ付けてみる!」
この少女と彼は、不思議な関係だった。割れ鍋と綴じ蓋のような、夫婦らしいところを見せることもあるし、
時には父娘のような、あるいは兄妹のような、そんな雰囲気になることもあった。
――どこで何をしてるかあたしたちは把握できてないけど、打ち止めを泣かすんじゃないよ。
そんな感傷に少しだけ浸って。
黄泉川はテレビのチャンネルをニュースに変えた。打ち止めに怒られながら。
309:
「――って感じでさ。ごめん。昨日は話せなかった」
「……そう。たしかに。ちょっと言い出しにくいね」
「ごめん」
「ううん。日を改めて。またちゃんと報告しようね」
「ああ」
通学路。エントランスで待ち合わせをして、他の学生達と共に学校へ向かう。
手は繋がない。朝っぱらからそういうことをやると冷やかしも激しいのだ。
手にはすこし可愛らしい柄の巾着。鞄に入りきらなくなった二人分の弁当を、
今日はここに入れてきた。自分の弁当だし、上条はそれを自分で持つと提案した。
「あー……とりあえずあの二人にはこっちから言わないとなぁ」
「……それと、吹ちゃんにも」
憂鬱なことだった。
青髪と土御門はこちらから説明しなかった場合嫌になるほど質問攻めにされるのが目に見えている。
吹寄には、話すべき理由がある。
街路樹はそろそろ色褪せ始めて、黄色に近い葉もちらほらと見かけた。
遠くには、昨日の公園が見えていた。
「当麻君?」
「昨日、あそこにいたんだなって」
「うん……」
髪を揺らしながら、幸せそうに姫神が微笑んだ。
それが嬉しくて、上条も笑い返した。
「おはよう。二人でいるってことは、そういうことでいいの?」
後ろから声が掛かる。振り向くと吹寄がいた。
「吹ちゃん」
「はよーっす。……顔色悪いな、吹寄」
「え? そう?」
「なんつーか、目に隈ができてる感じがする」
「まあ、寝てないからね。いろいろやることがあって」
「無理すんなよ」
「うん。ありがと」
角がなさ過ぎて、やりにくかった。どうも本格的に吹寄は不調らしい。
「で。昨日あれからどうしたの?」
「吹寄。……その、まあなんだ。お前の予想通りだ」
「……」
「姫神と、付き合うことになった」
310:
少し話すと、吹寄はさっさと前を歩いていってしまった。
あまり姫神は話すことが出来なかった。たぶん、あからさまにならない程度に避けられていた。
嫌われたのとは違う気がするが、仕方ないことだろう。
少し時間を置いたら、疎ましがられても自分から話しかけに行こうと姫神は決めた。
校門をくぐった辺りで、『運転手のいない自動車』の怪談の元になった車に追い抜かれた。
中に乗っているのは『学園都市の技術によって大人になれなくなった人』と噂されている人だ。
「おやおや姫神ちゃん。今日は上条ちゃんと一緒に登校してるんですねー」
「あ、おはようございます」
「おはよう。小萌先生」
「今日はいい一日になりそうですねー?」
小萌先生が姫神に訳アリな笑みを向けた。姫神はその意図を理解しているらしかった。
微妙なことではあるが、姫神と上条の距離は、ただの友達よりも少しだけ近い。
姫神の気持ちを知る小萌先生にとって、それはとても嬉しくなることだったのだ。
「姫神ちゃんは今日も頑張ってるです。上条ちゃんも人の気持ちをちゃんと分かるようになるべきですよ」
「……はい?」
「小萌先生」
姫神は、現状が小萌先生の予想を上回っていることが少し、嬉しかった。
きっとこの先生は、姫神が頑張ってこの距離まで詰めているのだと、そう考えているのだろう。
それを訂正するのは、嬉しかった。
上条の腕をそっと握る。
「違うよ」
「えっ? あ、ももももしかして! 姫神ちゃん?」
「当麻君」
「な、なんだ?」
担任の目の前で、昨日告白したばっかりの彼女と腕を組むのはさすがに恥ずかしい。
どうせ噂でものの数日中には知られるのだろうから、あとでこっそり知っておいて欲しかった。
「小萌先生にも。ちゃんと報告したい」
「……姫神は、恥ずかしくないのかよ」
「私が当麻君のことを好きだったのは。もうずっと前にばれてたことだから」
そういえば姫神は月詠家に居候していた時期もあるのだ。考えれば自然なことなのかもしれない。
上条にだって小萌先生は並々ならぬ恩がある人だ。そういう意味では、きちんと報告すべきなのかもしれない。
「小萌先生。まあ、その……姫神と付き合うことに、なりました」
312:
パアァァァァァァ、と小萌先生の表情が明るくなった。
「本当ですか! わぁぁぁ、おめでとうです姫神ちゃん! 上条ちゃん!
 はぁー……良かったですねぇぇ姫神ちゃん。ほんと、ほんとに良かったですねー!!」
「うん。ありがとう」
淡く笑う姫神の視線が優しくて、いとおしかった。
それを見つめていると、突然小萌先生の目が厳しくなった。
「上条ちゃん!」
「な、何ですか?」
「姫神ちゃんを泣かせたら先生が承知しないです!
 上条ちゃんはやんちゃで色んなところで女の子と仲良くなってくる困ったさんですが、
 お付き合いする女の子を泣かせるようなことはしないって先生信じてるです」
「当たり前です」
突如、思い出したように小萌先生の顔が暗くなった。
「……シスターちゃんにも、ちゃんと説明するですよ」
「はい。姫神にも言われてるんで、なるべく早く」
「上条ちゃんは、大人になるんですね」
「なんですか突然」
「小萌先生?」
「誰にもいい顔したりせず、大切な人を一人だけ選ぶってことは、とっても大人なことなんですよ。
 それはとてもとても、上条ちゃんにとっても、姫神ちゃんにとってもかけがえのない経験なのです。
 これからずうっと一緒にいられるかは、愛情だけでは測れないものが沢山ありますけど、
 先生はそれらを二人が乗り越えてくれることをずうっと願ってます。
 そして、二人の周りの人にも、ちゃんと感謝の気持ちを忘れないこと」
「はい」
これほど小萌先生の説教をきちんと聴いたのは、初めてだったかもしれない。
言葉の重みを知って始めて、説教というのは実に染みるのだろう。
「さて、じゃあもう時間です。朝礼でまた会いましょう」
「はい」
「んじゃ、また後で」
満足げな小萌先生を見送って、二人は階段を上がった。
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