【オカルト】太平洋戦争中の不思議な・怖い話2back

【オカルト】太平洋戦争中の不思議な・怖い話2


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ガキの時分に、鍼灸師のジジイから聞いた話。ちょっと変わった幽霊談です。
ニューギニアのあたりのある戦場でのこと。
大規模な戦闘をした部隊があって、その後、その部隊の前線基地に、
夜な夜な、死んだ兵隊たちが現われるようになったそうです。
彼らはいずれも、足がちゃんとあり、懐かしそうに
「よお!」とか言いながら、現われるのだそうです。
いずれも確かに戦死した連中ばかり。
神主の息子の兵士がまじないをやったり、お経をよめる兵士がお経を詠んだりしても、まったく効き目無し。
そのうち、ズカズカ上がり込んできて、貴重な飯をバクバク食う始末。
しかも、いきなり手がスルスルっと伸びて、木の実を取ったりして、明らかに化け物化している様子。
怖いやら迷惑やらで困っていたのですが、なんとも手の施しようが無い。
見るに見かねた中尉だか大尉だかの隊長さんが、幽霊たちが集まっているところへ、
ツカツカと歩いていって、いきなり大声で、
「全員、整列!」
と言うと、素直に整列したそう。そして、
「貴様らは、全員戦死した兵隊である。よってこの世にいてはならん。
全員あの世へ行って成仏するように。これは命令である!」
隊長が涙を流しながら言うと、幽霊たちは、しばらく呆然とした顔で佇んでいたが、
そのうち全員が泣き始め、やがてボロボロと土人形のように崩れていったそう。
あとにはその土だけが残り、彼らは二度と現われることはなかった。
兵隊たちはその土の大部分は現地に埋め、残りを少しづつ日本に持って帰って、供養したそうです。
「へんな幽霊だね」と僕が言うと、ジジイは、
「日本人の幽霊でも、死んだ場所が変わると、ちょいと変わるんじゃい」
と言っておりました。
79: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/02(土) 08:31:33
ほのぼのしますた。
99: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/06(水) 22:21:05
有名なコピペ
 第2次大戦中の1945年2月、ベンガル湾のラムリー島のマングローブが生い茂る沼地にイギリス軍が
1,000人を超える日本軍をおびき寄せていた。19日の夜から20日の未明にかけて恐ろしい叫び声が続いた。
負傷者の血の匂いに刺激された無数のイリエワニがこの沼地に集まり、動きのとれなくなっていた日本兵に
襲いかかったのだった。沼地の外側にいたイギリス軍は一晩中すさまじい悲鳴を聞かされた。
そして夜が明けてから彼らが発見した生存者はわずか20名だった。
107: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/10(日) 00:20:54
ついでにもう一つ投下。
「知ってるつもり」で紹介されてた話だけど。
特攻基地の近くに特攻隊員御用達の食堂があったんだって。で、その食堂の女主人
は特攻隊員から母親のように慕われていたんだと。
その女主人に、とある特攻隊員が、出撃直前にこんなことを言った。「ボクが特攻
するのは、明日の夕方です。死んだら蛍になって戻って来るんで、お店の扉を開けて
いて下さい」・・・。
果たして、次の日の夜、お店に1匹の蛍が入って来た。女主人が「これは今日、特
攻した誰々だよ」とその場にいた他の特攻隊員に告げると「それはないよ」との返事。
けど、みんな自然に肩を組み合って合唱し始めたとか。
その女主人だけど、90歳近くまで長生きしたらしいよ。特攻隊員に「おばちゃん、
ボクは明日死ぬから、残りの命を上げるよ。その分、長生きしてね」と言われてたん
だってさ。何か悲しい話だよね。
ちなみに、その女主人の葬式のとき、どこからともなく1匹の蛍がやって来たとか。
その特攻隊員が迎えに来たのかな?
109: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/10(日) 01:59:06
>>107
これも有名だな
"特攻の母"鳥濱トメの話
110: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/10(日) 03:31:26
知覧の蛍の話、有名ですよね。
高倉健が主演の関連映画もあるし。
父が特攻隊の生き残りなので、
遅くに生まれた長女の私にも戦争の話をよくしてくれた。
もう80近い父は、自分で特攻や軍隊の本買ったり図書館行っては関連本借りてる。
そんな父が一番のお気に入りは、私が仕事で行った知覧特攻記念館で買った数冊の本。
ある日見ると、お気に入りのところに斜線がいくつも引いてあった・・・・
一度知覧に連れて行くのが夢だったけど、もう心臓も足腰も悪くなって
幻で終わりそうで切ないな・・・・・
159: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/16(土) 06:11:28
こわいはなし
祖母(当時11歳)が話してくれた空襲
「ここは危ないからあっちへ逃げなさい」と誘導してくれた
若い兵隊さんが、朝戻ってみたら亡くなっていた
曾祖父は町内会長としてやはり誘導やらしてて逃げ遅れ亡くなった
地方都市の空襲で亡くなった兵隊さんは若い人が多かった
偉い上官さんは安全な所にいたんだろう
終戦の数日前再び避難先の隣町で小さな空襲があって、逃げていたら
「逃げてるんじゃないよ非国民!」と知らないおばさんにののしられ
親が死んでるんだよ!うちも燃えちゃったんだ!!
と怒鳴りつけたら黙ったって
若い頃はけして自分から語らなかった戦争の話を、年老いたせいか
孫の俺らに少しずつ話してくれるようなった
後者の話が恐い。終戦間際、もう限界で一般市民もどっかおかしくなってたのか
161: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/16(土) 07:48:59
>>159
おばさんは、もしかすると婦人防空団とかの人だったかも。
隣組単位で消火活動とかする決まりになってるから、逃げた=非国民という思考だったのかも
ね。まぁそういう意味ではおかしいのかも知れないけど。
当時、軍属とかの人が幅を利かせてたから・・・。
212: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/18(月) 09:12:14
>>159
空襲警報が鳴っているのに防空壕に入らなくて家ごと焼死した人に対して
「この怠け者が!」と死体を足蹴にした人達がいたと聞きます。
191: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/16(土) 23:35:56
なんかで読んだんだけど、靖国神社にお参りした特攻隊員の生き残りが境内で真昼に蛍が舞っているのを見たとか、南洋の遺骨収拾団が持ち帰った遺骨が靖国境内か千鳥ケ淵かで、風も振動も無いのに音を起てたりした…なんてのを読んだことがある。
192: 里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 投稿日:2008/08/16(土) 23:58:00
A級戦犯の処刑を担当した軍人(ウォルトンウォーカー)はA級戦犯が処刑されたのと
同じ日づけ、同じ時刻に、同じ人数(七人)、謎の自動車事故で死んだ。
193: 里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 投稿日:2008/08/17(日) 00:16:36
南方の食料不足で飢えに苦しんだ戦友の話はよく聞くが、
死んでしまった戦友の人肉を食ったという話も、たまに聞くことではあるが
戦友を「殺して」まで、その肉を食っていた連中(脱走兵)が居たという。
怖い。
まあでも、ウサギが自らの肉を焼き旅の老人に与えて、それをもてなしとした、
という逸話もあることだし。いい話かもしれないね。
229: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/19(火) 03:13:11
・太平洋戦争中に消えた日本軍一個大隊
1943年にニューギニア戦線で、
米軍を上陸時に迎撃するため作戦行動中の日本軍
(結構な人数。1000人以上なのは確実)
が忽然と消えてしまった。
未だに遺品の一つも出て来ない。
・広島に原爆を落としたB?29を観察していた謎の物体
8月6日、前1時27分、Mk-1核爆弾リトルボーイを搭載した
エノラ・ゲイがタキシングを開始し、1時45分にA滑走路の端から離陸した。
午前6時30分、四国上空においてエノラ・ゲイのレーダー迎撃士官
ジェイコブ・ビーザー陸軍中尉がレーダースコープに正体不明の輝点を発見。
通信士リチャード・ネルソン陸軍上等兵はこのブリップが敵味方識別装置に
応答しないと報告した。
エノラ・ゲイは回避行動をとり、高度2,000m前後の低空飛行から急上昇し、
午前7時30分に8,700mまで高度を上げた。
232: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/19(火) 04:26:58
>>229
> ・太平洋戦争中に消えた日本軍一個大隊
現代にトリップしていたら萌える。
233: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/19(火) 04:45:56
家のじいちゃんがいた部隊の話なんだが
日本で訓練してたときに、近所の墓で火の玉がでるって話になって、なぜか火の玉は水で消えるか?っていう話になったそうな
で結局中隊みんなでバケツに水をくんで墓にいったらしい
でその墓にはガチで火の玉がいたらしく、みんなでバケツの水をぶっかけてやったらじゅ…て音がして消えたらしい
火の玉の数は一個や二個じゃなかったからしまいには小便までかけて消して回ったとか
じいちゃん曰く
チンコ燃やされる覚悟でかけろ
だって
234: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/19(火) 05:11:50
今年97になったうちのじいさん、何事にも動じない
頑固で無口なヒトだが、あの眼で戦時中に何を見たのか
時々不思議になる。(徴兵されて終戦はセレベス島で迎えた)
まるで何か脅迫観念があるかのように信心深い(特定の宗教に
のめり込んでいるとかじゃなく、毎晩家の各部屋でお祈りをする
(各部屋にいる何かと交信している?)とか)から、昔何かあった
のか、元々何か見える体質なのか・・・。
もうボケて何の話も出来ないが、ボケる前もかなり無口で、
戦中にセレベス島で蛇を食べた話位しか聞きだせなかった。
235: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/19(火) 10:14:06
日露戦争に出征したタヌキたちは
さすがに太平洋戦争の火力では活躍できなかったのかな...
太平洋戦争末期、アメリカ大統領を呪殺する目的で、陰陽師部隊が集められた
「我々が東条を呪殺してれば...」と言う後悔の念から、参加者はあまり語りたがらない
243: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/20(水) 16:58:27
ええ話や・・・。
>>235
秦都彦の本に「神風は実は吹いていた」って話があった。
実際に台風で米軍の駆逐艦が2隻ほど大破したらしい。
でもやっぱ鉄の船相手だと元寇のときのようにはいかない。
あとどっかでみたけど、戦争末期の憲兵隊の巷間の噂に関する調査資料で、
軍服姿で出征したけど血だらけになって帰って来た某神社の神様の話が噂として流布していたようだ。。
日本の神様は全知全能ではなく、限界があるっていうのが面白い。
236: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/19(火) 12:05:18
当時の大統領ルーズベルトが終戦前に死んだのは我々が呪殺に成功したのだ、
と後に語るのもいたらしいけどw
237: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/19(火) 12:54:59
ルーズベルト呪殺しちゃったせいで、原爆落とされたんだから、そりゃ後悔するだろ>陰陽師
ルーズベルトは基本的に原爆を日本に投下する意思はなかったようだから。
240: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/20(水) 15:11:20
第二次世界大戦中の話じゃないんだが、オカルトちっくなので投下
家の祖父はシンガポール沖で海の藻屑と消えた。
で、10?11年前の秋に姉夫妻がマレーシアに赴任してシンガポールで
出産したので、祖母・両親・俺で会いに行くことになった。
高齢の祖母を連れていくのは難しいと両親は考えたが、祖母のたっての
希望で準備を進めた。
当日、祖母が祖父の遺書と形見を小さな巾着の中に入れていて、俺は生れて
初めて祖父の筆跡を見た。
家はお盆の時は墓と靖国神社に行く。祖父が遺書に「死んだら靖国に行く。もし、○○(祖父の幼馴染で戦友)
が亡くなっていたら○○は一人者だから○○の分まで弔うように」と最後らへんに書いてあった。(意訳)
だから、○○さんの分も家の墓地に墓石がある。
で、シンガポールで日本人慰霊碑に参拝して姉夫妻と子供と会って食事をしてホテルに戻った
時、父親がおかしい。
何度も俺に「はっきり言え、何を言ってんだ?」と俺に聞いて、「何も言ってないよ」と返していた。
そうこうしてるうちに、初孫の嬉しさでしこたま酒を飲んだ父親は寝てしまった。
俺はリッチな海外旅行に浮かれて、ルームサビースでシンガポールスリング等を取って、
ベランダで「赤ちゃんに乾杯」とかやってふざけていた。一人で遊ぶのも疲れてきたのでベットでテレビを
見てた時、ケタタマシイいびきとともに父親が「親父!俺の背中に乗れ!俺が連れて帰る!
恥ずかしくないおぶってやる!」
241: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/20(水) 15:16:13
と、大きな声でハッキリしゃべったからびっくりした。
その後、声が小さくなり「父さん、父さん、僕の父さん」と泣きながら呟いて又眠った。
びっくりする出来事だったが、感慨深いものがあった。父が生まれる前に祖父は戦死したので、
抱かれた事もなければ、無論話を交わした事すらない。写真の中と祖母が話す祖父しか知らない。
父親は父がいなくても頑張ったんだなと思うと泣けてきた。
朝になって、寝言の事が気になったが黙っていた。別部屋で寝てた母と祖母と合流して
、朝食を食べてる時にばあちゃんが「昨日ね祖父さんと○○さん(祖父の戦友)がね迎えに来てくれて
ありがとうって出てきてくれたのよ。祖父さんがね、足が悪いからって、俺の父親さんがおぶってくれたの。
○○さんが横で泣いててね。私は一緒に帰れますねって言ったのよ」と言い出した。
正直、小便ちびりそうだった。父親を見ると目を真っ赤にして泣きそうだったので、俺が夜、見聞きした事を
その場で話した。
一同黙っていたが、祖母が「はーやっぱり来てよかったわ。私の人生の悔いがなくなったし、俺の父親さん
の姿を見て、私と一時を共にして良かったと思ってらっしゃるでしょう。幸せな方よね祖父はw」
と笑顔で言った。それを聞いた父親は「よかったな」って笑顔に戻ったのが印象的だった。
幽霊とかそんな話じゃないけど、まだ帰れない人もいるんだなと思った。
余談
祖母が亡くなる前に、祖母が母親に「あの時、私の顔がおばあちゃんになってるから、
祖父さんもびっくりしたでしょうね。でもお婆さんになった顔を一度見てるから、
迎えに来る時はまっすぐ来てくれるわね安心、安心」
と言ってたそうだ。祖母は最後すこし呆けて、祖父と出会った頃に戻って母親にノロケてたらしい。
祖母の葬式の時、火葬場で母親が「おばあちゃん、やっとおじいちゃんに会えたね」って笑顔で
泣いていたのが印象的だった。
※祖母は、父や祖父の名前をさん付で呼ぶ。
駄文・長文重ね重ねすいません。
242: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/20(水) 15:33:33
いい話でした
245: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/21(木) 21:27:56
240-241
すごく泣けた。
何年か前にうちの爺さんの兄弟が亡くなったときバーチャンに挨拶しにきたらしいんだが、
そのとき爺さんも一緒に来てたらしい。ちょっと似てたので実感がわきました。
249: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/23(土) 23:53:15
グアム島から故横井庄一さんが帰還される前日、戦友の幽霊がやってきて、
俺たちをおいていくのかっていったんだってね。
南の島にはまだまだ帰れない英霊がたくさん眠っているんだろうね。
291: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/29(金) 09:46:16
太平洋戦争では無いのだが...
1904年、日露戦争勃発
ロシア正教会は国を挙げて、日本に天変地異が起こる事を祈祷
...が、何事もなくロシア敗戦
1923年、関東大震災発生
以上から、ロシアの某高名な物理学者が導きだした結論
「神は、我々のいる場所から少なくとも9光年以内におられる」
292: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/29(金) 12:11:02
>>291
wwww
299: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/30(土) 15:45:01
硫黄島玉砕後の話。米の帰還兵を乗せた輸送機がいよいよ出発する時、なぜかいつまでたっても
離陸しない。どうしたんだと上官が兵士に聞くと、「日本の兵隊さんがタラップにいっぱいしがみ
ついていて離陸できません」と涙ながらに答えたという。
300: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/30(土) 16:04:07
生き残りがいっぱいいてたってことか!!
301: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/30(土) 16:08:50
>>300
生きてる人じゃないとオモ。
302: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/08/30(土) 16:17:03
>>301
マジレスか!!
359: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/09/03(水) 20:30:56
もう25年以上前の話。
戦時中、将校だった爺さんが死んで、遺品の整理をしてたら
本に挟んであった白黒の写真を見つけた。
その写真は驚く無かれ、生首が50個(数えた)が地面の上に
並べてあり、中央に軍服姿の爺さんが刀持って椅子に
座ってるのがあった。
当時、俺はガキで怖いと言うより、
漫画みたいで、おかしくて弟と一緒に笑った覚えがある。
関東大空襲と思われる写真もあった。
真っ黒に焼け焦げた死体は手足がまっすぐに
色んな方向に伸びたり曲がったりしてて
不思議なオブジェだった。
365: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/09/03(水) 21:04:30
>>359
白黒写真だとグロでも割と平気だよな。
生首写真は中国で捕虜処刑後に交代で一人づつ撮影した予感。
だからといって他人に見せたらダメだぞw
戦争被害者の写真は然るべき機関に資料として提出してみては?
467: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/09/07(日) 19:09:13
最近買ったお寺の怪談という本に載ってた
「大阪、一心寺にて」という話怖かったな
終戦間際の大阪の話なんだけど空襲の焼夷弾で
黒焦げになった遺体を回収して夜に焼却するまで
見張りをさせられてたら遺体の周りに十数人の
黒い影がうごめいていて遺体から貴金属を剥ぎ取っている…
501: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/09/08(月) 14:29:10
青山繁春が硫黄島に行ったとき、そこの自衛隊員から海岸を歩いていると、誰もいないのに話し声がするんですよ、って言われたらしい。
508: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/09/08(月) 17:35:22
>>501
硫黄島の話は空自でも有名ですね。
空自の体験談を聞くと、幽霊って本当にいるのかな?って
思っちゃいます。遺体はそのままにして米軍が
滑走路を作っちゃったんだもんね。
硫黄島で戦死した英霊だけではなく全ての英霊に感謝!
504: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/09/08(月) 16:58:15
機銃掃射された話が出てきているけど、アメ公のパイロットが笑いながら、
女、子ども相手に機銃掃射する話はむごいな。うちの実家にある、戦争
シリーズの漫画(名前忘れた。)のあとがきで、作者が横須賀にいた時に、
アメ公が笑いながら機銃掃射してきたとあったな。
俺がもしスティンガーやRPGを持っていたなら、遠慮なくぶっぱなしただろうが。
506: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/09/08(月) 17:25:22
>>504
むごいけどそれが戦争でしょ
自分のことは棚に上げて人間の獣性を批判するのはおかしいよ。
あなたも極限状態になったら人肉食うかもしれないし
少女をレイプするかもしれないし
爆弾巻いた子供が自爆テロ仕掛けてきて吹っ飛ばされるかもしれないし
518: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/09/08(月) 20:20:02
>>504
ヨーロッパ戦線でも米軍は同じ事をしていたよ。
P47サンダーボルトに乗って撃墜王だった米陸軍航空隊のカブレスキー大尉が
撃墜されて捕虜になり、監視兵付きで普通列車に乗って収容所まで移送されるときに
米軍戦闘機に襲われて、向かいの席に座っていたドイツ人少女の頭に12.7ミリ機銃弾が
命中して、その少女の脳味噌が座っていたカブレスキーの膝に砕け散ったそうだ。
そのときにカブレスキーがどう思ったのかは自伝には書かれていないらしい。
553: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/09/10(水) 16:53:36
当時フランスかドイツだったか、ある一人の修道僧には予知能力があったそうだ。
第二次世界大戦の勃発や国内のインフレなど、ことごとく的中させていたが
戦争終結以前に病没してしまった。
しかし、彼が残した予言によるとWWII後すぐに第三次世界大戦がヨーロッパで始まり
それまでの戦争とは比べ物にならないような災禍が訪れる、という内容だった。
それを生前に聞いていた者が、終戦後になっても戦々恐々と暮していたが
ついに戦争は起こらなかった、という話を読んだことがあるのだが
もし修道僧の予言が本物ならば、どこかで歴史が変わったことになる。
そう仮定してみると、それは太平洋戦域の推移によるのではないだろうか?
例えハワイ作戦において真珠湾の燃料タンクを破壊し、ミッドウェーでの惨状もなく
レイテで栗田艦隊が反転せずにマッカーサーもろとも輸送船団を壊滅させていたとしても
日本が最終的に連合国に勝利することはなかっただろう。
それどころか北と南から侵攻され、米ソによる分割統治が行われていた可能性もある。
だが広島と長崎に原爆が投下されたことで日本は無条件降伏を受諾した。
それは言い方を変えれば、玉砕戦術と神風をはじめとする特別攻撃による遅滞作戦で
本土決戦の準備を整える構えが、米国に原爆投下の口実と決断を与えたことになる。
つまり、日本国民の徹底抗戦の決意と犠牲によって世界は変わり
人類は全面核戦争から救われた。
ってのはどう?無理やり戦史とオカルト混ぜたら長いなw
修道僧の話はうろ覚え、ソ連の先制核攻撃による欧州進攻は実際に計画案まであった。
554: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/09/10(水) 16:58:18
10年前に死んだおれの叔父は子どもの頃、駅で列車を待っていたらその駅を破壊するためにやってきた
艦載機(F6F?)の機銃掃射を受けたと言っていたぞ。陽気な叔父だったが真面目な顔で「頭を抱えて
伏せていたんだが…怖かった…」と。あと機銃掃射と言うとあたり一面を銃弾でなぎ払うイメージが
おれはあったんだが線路のポイントとか機関車の機関部とかピンポイントで正確に撃ってくると言っていた。
562: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/09/11(木) 01:02:05
>>554
目的によって機銃掃射の仕方は違う
事前に作戦があって、特定の目標を狙う場合は当然
556: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/09/10(水) 18:03:41
原爆関連の不思議な話
8月6日の夜から7日の晩ぐらいに中島本町周辺に家族を探しに向かったり避難途中の人が焼け跡で
真っ白なニワトリが一羽生きているのを見たと複数の書籍にあるがどうなんだろ?
被曝した人間以外の動物の話もあんまり聞かないね
長崎か広島で被曝した馬の写真はみた覚えがあるが、動物自体少なかったのか気にかける余裕がなかったのか…
588: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/09/12(金) 12:57:07
旭川に住む母親は、戦時中子供だったんだけど、ある日知り合いの
お兄ちゃんが家に挨拶に来て「これからアッツ島に行きます」と
言ってたのを覚えてるそうだ。
「きれいな顔をしたお兄ちゃんだったけど、死んじゃったんだねえ」と
時々思い出して言ってる。かなり苦しい思いをして亡くなったのかと思うと
切ないな。
591: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/09/12(金) 18:59:22
>>588
うちはキスカ!
・・・でもその後ニューギニア OTL
589: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/09/12(金) 15:37:48
太平洋戦争中のある島で虐待される事も無く、充分な食料も与えられて終戦まで友好的な扱いをされた米軍捕虜がいた。
実話だが、これこそオカルト。
592: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/09/12(金) 19:18:23
>>589
欧米の映画じゃ、日本軍は捕虜を結構ひどい扱いしてるように描かれてるじゃん?
食料もたいして与えず、強制労働させて、みたいな
実際そうだったのかな...
594: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/09/12(金) 19:43:48
>>592
年末に歌われる「第9」は、米軍捕虜が歌ったのが始まりだというし
いい扱いを受けた人もいれば、問答無用で処刑された人もいたんだろうな。
621: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2008/09/13(土) 23:47:16
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