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【勝利は】世界史上の戦略を語るスレ【戦場の外】


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1:
一般に戦術で戦略を覆すことはできない!と言われます
(異論は多々あるでしょうが)
世界史上において数多繰り広げられた名戦略・珍戦略・無謀な戦略と結果
数多の戦略家達の活躍・そして失敗・迷走
さらには歴史上においてさまざまに唱えられた戦略論やその変遷
そもそも戦略とはどう定義されるものか?
などなど、世界史上における戦略について総合的に語っちゃおうというスレです
転載元:http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1285137307/
【孫子】お前ら、兵法は勉強してるよな?【六韜】
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4116839.html
5:
ハンニバルこそ戦略の父らしい
後世に戦略名にまでなったのはその敵手だったのにな
カルタゴの将軍。ハミルカル・バルカの長子。ハンニバルは「バアルの恵み」や「慈悲深きバアル」、「バアルは我が主」を意味すると考えられ、バルカとは「雷光」という意味である。
第二次ポエニ戦争を開始した人物とされており、カルタゴが滅びた後もローマ史上最強の敵として後世まで語り伝えられていた。2000年以上経た現在でも彼の戦術は研究対象として各国の軍隊組織から参考にされるなど戦術家としての評価は非常に高い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ハンニバル
6:
蕭何最強伝説
7:
蕭何って補給の大家ではあるが
戦略家だろうか?
漢三傑で「勝ちを千里の外に決す」といわれたのは張良だから
戦略家は張良では?
8:
物資や兵力の安定した供給は戦略の重要要素
9:
戦略の信長公
10:
ハプスブルク家の結婚戦略。
「戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ」
13:
>>10
まさに戦場の外で勝利を決してるなw
14:
>>10
昔結婚で得たはずの領土(ネーデルランド)は、戦争で独立されちまったがな。
11:
毛沢東
稀代の戦略家
12:
毛沢東とムガベ
この2人境遇が似すぎだよね
建国するまでの戦争での卓越した才覚と建国後の堕落ぶりと
15:
実際にはハプスブルク家も頻繁に戦争してるんだけどな。
36:
>>15
でもハプスブルク家は戦争で領土はあんまり得てないよな?
16:
まあ、ハプスブルク帝国の事実上の始祖であるマクシミリアンが
自身や一族の結婚によって後の帝国興隆の基礎を築いたのは間違いない
29:
メッテルニッヒ、ビスマルクあたりの外交はまさに戦略。
あとはドゴールがフランスを国連常任理事国にさせたのも戦略の力。
ベンジャミン・フランクリンの交渉も非常に戦略的。
31:
>>29
ビスマルクのフランス孤立化外交はすごかった
ド・ゴールも戦略家としてはたいしたもんだと思う
35:
ハンニバル時代はローマがすごすぎる
執念がやばすぎ
37:
中国の有名な戦略
秦帝国 遠交近攻
漢 劉邦による主力遅滞・支隊による包囲網形成の外線戦略
三国時代 天下三分の計
38:
第一帝政に至るまでのローマの勢力拡大の軌跡
(これにどれだけ戦略的な要素が入ってるかは別にして)
1.イタリア中部の一都市として発生
2.支配しようとしてくるエトルリア人と戦いつつ、地力を養成
3.エトルリア人を撃破した後はガリア人と戦闘
(このころレギオン戦術が編み出されたとされる)
4.ガリア人を退けて後、イタリア統一へむけて進軍
5.イタリア半島を南下して、ピュロス王などの挑戦を退けつつ、イタリア南端まで到達
6.当時の海洋大国であるカルタゴと接触し、第一次ポエニ戦争開始
7.第一次ポエニ戦争の勝利でイタリア半島から外の島や地中海にまで勢力を拡大
8.有名なハンニバルの挑戦を退け、第二時ポエニ戦争を勝利、カルタゴ領土の大部分を獲得
その領域はヒスパニアやアフリカにまで広がる
9.マケドニアや小アジアの国々を撃破しつつ、東方世界にまで進出
10.カエサルの指揮のもと、ガリアに侵攻、苦戦の末にこれを併合
11.内乱で勝利したカエサルがエジプトまで支配化に置く
12.内乱で勝利したオクタヴィアヌスがエジプトを直接支配するも、ゲルマンには敗北
領域をひとまず確定させ、第一帝政の足固めへ
これらにどれだけ戦略的な要素が入ってるんだろう?
39:
意図的にやったのはあんまりないかと
割合天才という人も場当たり的に対応してる
グスタフアドルフの評伝で「彼の偉大なところは目的に合わせて手段を講じるだけでなく
手段にあわせて目的を切り詰めた」こと、とあるものがある
何年もねった計画の計画通りってのはあんまりないんじゃないかな
42:
最終的に敗北したとはいえ、ウェルキンゲトリクスの戦略は見事だと思う
なにせ国全体を敵に対する武器にしようとしたわけだから
20歳前後で族長[2]となり、ガイウス・ユリウス・カエサルのガリア戦争において、それまで統率の執れていなかったガリア諸部族(ガリア人[ガリアのケルト人]諸部族)をまとめ上げて対ローマ統一部隊を組織すると、ガリア各地でゲリラ戦やローマ軍の兵站線の寸断、焦土作戦などを展開し、ローマ軍を苦しめた。アウァリクム包囲戦でアウァリクムを陥落させられたが、ゲルゴウィアで反撃、ローマ軍に勝利した(ゲルゴウィアの戦い)。
しかし、最終的にはガリアの都市アレシア(現在のディジョンに近い地域)に追い詰められ、ローマ軍に包囲された。突破作戦を決行するも失敗し、部下達の保全を条件についに降伏、投降した(アレシアの戦い)。その後、ウェルキンゲトリクスはローマへと送られ、6年間トゥッリアヌムに投獄された後、カエサルの凱旋式が行われた際に処刑された。カエサルは基本的に敵に回った人間でも処刑することがなかった(蛮族に対してもやや基準が厳しいが、人質の倍増で済ますことがほとんど)が、若くして統一組織のないガリアの諸部族をまとめあげてしばしばローマ軍を打ち破った彼に対してだけはそうはしなかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ウェルキンゲトリクス
43:
ウェルちゃんは戦略では優位に立ったのに
調子に乗ってカエサルに正面決戦を挑んじゃったからなあ
あれで全部が崩れた
てか名前なげーよ
周囲はいちいちこんな長い名前呼んでたんだろうか
44:
ケルトじゃ「リクス」は王を表すらしいから、
よっぽど親しくない限り、周囲は「王」とか「陛下」とか呼んでいたんじゃないか
48:
>>44
ガリアの王とはいえ、有事の最高指揮官に過ぎないでしょ。
「陛下」は語感的におかしいかな。むしろ「御大将」、「統領」の方がそれっぽいと個人的に思う。
49:
>>48
最初はそうだったろうが、アヴァリクム陥落の時から、その判断力の正しさを認められ
周囲から部族を超えた熱狂的な支持を受けるようになったそうな
この時からは実質的なガリア王に近いとみていいんじゃないか
50:
アレクサンドロスに敗北したダレイオス3世
イッソスの戦いでは戦略的には完全に勝利していたんだけどなあ
あのチート征服王が戦術で全部ひっくり返してしまった…
ダレイオスが勝っていれば、歴史に残る見事な戦略による勝利として伝えられた気がする
51:
戦略といえば春秋戦国時代の李牧の対匈奴戦略とか
見事だと思うのだけどどうだろう?
元々は趙の北方、代の雁門に駐屯する国境軍の長官で、国境防衛のために独自の地方軍政を許され、匈奴に対して備える任についていた。警戒を密にし烽火台を多く設け、間諜を多く放つなどし、士卒を厚遇していた。匈奴の執拗な攻撃に対しては徹底的な防衛・篭城の戦法を採ることで、大きな損害を受けずに安定的に国境を守備していた。
しかし、そのやり方が匈奴だけでなく、趙兵にさえも臆病者であると思われてしまうこととなる。趙王さえも李牧のやり方を不満に思い責めたが、李牧はこれを改めなかったので任を解かれた。
李牧の後任者は勇敢にも匈奴の侵攻に対して討って出たが、かえって被害が増大し、国境は侵された。そのため趙王は過ちに気付き、李牧に任を請うたが、李牧は門を閉じて外に出ず、病と称して固辞した。それでも将軍に起用されたので、李牧は「王がどうしても私を将軍にしたければ、前の方針を変えないようにさせて下さい」と言い、これを許された。そして李牧は元通り、国境防衛の任に復帰することになった。
ある日、匈奴の小隊が偵察に来た時、李牧は数千人を置き去りにして偽装の敗退を行い、わざと家畜を略奪させた。これに味をしめた匈奴の単于が大軍を率いてきたが、李牧は伏兵を置き、左右の遊撃部隊で巧みに挟撃して匈奴軍を討った。結果、匈奴は十余万の騎兵を失うという大敗北に終わった。その後、さらに代の北にいた東胡を破り、林胡を降したため、単于は敗走し、匈奴はその後十余年は趙の北方を越境して来なくなった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/李牧
52:
典型的な名を捨てて実をとる戦略か、とおもいきや
ひとたび動けば匈奴軍を10万以上討ち取ってるんだよな、李牧さん
53:
李牧は秦との戦いでも勝利してるばかりか、
逆に秦の領土を奪ったりしてるな
あの他国がどんどん秦に滅ぼされてる時代に、秦を撃退しただけでなく
領土まで奪ったのは李牧だけだそうな
60:
南朝の陳慶之の北伐は
名将が率いた少数の軍(たった7千)が
あちこちで戦術を駆使して超人的な勝利を収めたものの
結局最後は北朝側の総力を挙げた反撃(数十万に及んだとか)にやられた、って事で
戦略が戦術に勝利した例といえるのかな
61:
>>60
火事場泥棒の北伐をそこまで神聖視できないな。
桓温ぐらいガチ勝負仕掛けろよ。
六朝で天下統一の目が本当にあったのって枋頭の戦いで頓挫する直前の桓温だけだよな。
三国鼎立だと、一角が崩れると結構なし崩しの傾向が強いし。
62:
桓温だって洛陽を攻略したのは北朝の内乱に乗じてのものだから
陳慶之を火事場泥棒というなら桓温もそうなんじゃないの
63:
ここまで劉邦皇帝陛下が出てない不思議
戦略で戦術を制したここまで典型的な例はあるまいに
64:
戦略選択を対冒頓戦以外誤らなかったのは凄いが、基本的に手段の策定は他人任せだからのう。
65:
劉邦って「我は馬上で天下を制す」の発言や
自ら陣頭に立って負傷しながらも戦い、猛将として名高い英布を撃破したり
項羽や冒頓以外が相手なら結構勝ち戦が多かったり
相手が強力な秦軍だったり、最強項羽が率いる楚軍だったりしても怯まずに戦いを挑んだりしてる事から
(なんだかんだいって、韓信が活躍できたのは劉邦が項羽率いる楚軍主力を常に引き受けていたからだし、
最終的に楚軍が消耗していったのも、劉邦が不屈の闘志で戦いを挑み続け、数多く負けながらもその戦力を削っていった為)
一人の武将として結構「俺もやってやるぜ!」的な意気込みを感じるが、
相手の項羽が強すぎたせいで後世に戦下手、あるいは戦が苦手、みたいな感じで伝わってしまった可哀想な人、という印象を受ける
66:
>>65
史記、漢書を徹頭徹尾読み込んでいるならば、史上最で天下統一した最強皇帝つーイメージしか
出てこないんだけどな、戦下手って評価は敗戦が派手すぎるところから来ているのかもしれないが、
それを補って余りある戦巧者・謀略家のはずなんだけど……。
67:
「最強」の定義がどうなのかは色々あろうが
同時代に戦歴がすさまじすぎるばかりか、劉邦自身も直接対決で何度も敗北してる項羽がいる以上、
一人の武将として最強ではなかろう
決して弱くはないどころか、強いほうではあるだろうけどな
68:
そこらへんは国士無双の人が言ってる評価が妥当な気がする
曰く「劉邦陛下は兵を率いては10万の将。されどあらゆる将を使いこなす将の将。」
個人的には10万の将にして超人的な不屈性を持つ怪物って感じ
何度敗れても逆境にあっても立ち上がり戦い続ける姿はまさに元祖軍人皇帝と呼ぶにふさわしい
70:
三国時代の杜預の6路侵攻作戦って
確か三国時代に使われた呉侵攻の全てのルートを一斉に侵攻したんだよな
戦略のダイナミックさにおいては世界史でも結構いい線いくんじゃないか
71:
>>70
複数経路による侵攻は、兵力の優越という前提あってこその話ではあるが、たいへん有効だね。
隋の平陳の役も複数経路で(韓擒虎が突出する形とはなったものの)成功している。
逆に前秦の肥水の戦いは、大戦力を一箇所に集めたための自滅という側面がある。
ただし、東晋が寿春方面に侵攻させるように強要していた部分はあると思う。
そうでないと、西府軍の使い捨てに近い消耗戦を西で仕掛ける理由が無いんだよね。
あれがあったから、前秦は(襄陽での長期戦のイメージも引きずって)西府軍正面での
作戦を控えて寿春一本に絞ったっぽいんだわ。
そこまで戦争を組み立てていたら謝安?謝玄のラインは相当なものなのだろうが、
でも、謝安は戦争は素人って同僚にも扱き下ろされているから、そんな大層な戦略が
あったわけでもなさそうね。
72:
>>71
まあ戦力を一箇所に集中する、劣勢な敵との正面決戦に持ち込む、
これは戦略の常道だからな
前秦側は開戦前までこの原則を守っていたように見える
実際伝えられている兵力差を信じるなら、前秦側の圧倒的優位
東晋側も狙い通りなんてとても思えなかったろう
それが東晋側の必死の先制攻撃で逆転したんだから
世の中わからんもんだ
73:
>>72
>まあ戦力を一箇所に集中する、劣勢な敵との正面決戦に持ち込む、
>これは戦略の常道だからな
むしろそれは近代以前の孫子-ジョミニの呪縛というか、
内線作戦絶対優位という誤解だと思うな。
3倍以上の兵を持っているなら分散することで相手にも分散を強いる方が効率的。
ランチェスターの法則上も1.5倍以降になると勝率があまり上がらないはずだし。
74:
>>73
まあ、「ナポレオンも2倍の兵力差を覆した事はなし」といわれる程に
相手が同程度の文明を持った相手の場合、巧妙な戦術で兵力差を覆せるセオリーは
大体1.5倍から2倍未満ってところなんだろうか
まあ戦史を見れば2倍以上の差を戦術で覆した例も見受けられる事は見受けられるが、
それは例外中の例外って感じか
逆に言うと兵力優位の側は2倍から3倍の兵力を主攻にあてれば十分で、
それ以上あるなら分権隊を構成して復路侵攻に切り替えたほうがいい、てところだろうか
75:
有効有効言うけど、戦争なんて戦術・戦略よりも、その当時の装備のほうがはるかに重要だろ。
技術段階で戦術、戦略の重要性はまったく変わってくる。
移動手段だって、徒歩しかない時代と、馬がある時代と、自動車がある時代、飛行機がある時代じゃ、まったく
有効性が変わってくるし。
古代中世近代じゃ、技術差がありすぎて比較参考にはならない。
勝った負けたも結局、結果論で語られる場合が多いし。
現代では、人員的な兵力は少ないほうがいいといわれてるぐらいだ。
結局、ある程度、普遍的に語ろうと思ったら、戦力の分散と集中でしか語れない。
戦力を集中させたほうが有利なのは当たり前だが、しかし、ある程度広域の占領地を確保しようと思ったら、
分散せざるを得ない。
一ヶ所に固まっていても、各地を占領統治できなきゃ意味がないんだから。
また直接的な衝突を避けて、パルチザン戦術でこられたらどうするという問題もある。
76:
>>75
それは一見真理に見えて真理じゃないと思うんだよなあ
>>現代では、人員的な兵力は少ないほうがいいといわれてるぐらいだ。
とは言われてるものの、結局敵地を完全に制圧するには歩兵をはじめとする人員が
多数必要になるからこそ、アメリカも必死こいてイラクやアフガンに歩兵を送り込んでたわけで
技術の進歩は確かに戦争の様態を変えたが、それでも結局のところイラク戦争の時の
多国籍軍・イラク軍双方の手の内が孫子だといわれたように、
ナポレオンが孫子を愛読してたように、
現在まで孫子の説く戦略思想は有効とされているな
また、アメリカが技術による対象戦争における質的勝利を突き詰めた結果、
今度は敵側が非対象戦争戦略なんてものを生み出してしまい、
戦争の様態がまたまた変わってしまった
結局は戦略ってものは大切だと思うわけですよ
このスレ的にまとめてみました
80:
>>75
戦争の重要度は
兵站>戦略>情報>戦術>兵器>兵質
だよ。日本人やドイツ人は下3つばっかり拘るから
本物の強敵には勝てない
81:
>>80
ドイツに関してはエニグマ開発したり情報にも聡い
戦略についてもビッちゃんことビスマルクのマルチ外交とか、ナポレオンの戦術戦略を研究してコピーして打ち破ったりとか
伍長閣下がたまたま無能だったからと言ってドイツ全般に当て嵌めてはいかんのでは?
85:
>>81
>伍長閣下がたまたま無能だったから
一時期はそういうヒトラーが優秀なドイツの将軍達の言葉を無視した無能だから負けた、という論調もはやったもんだが
最近ではヒトラーの作戦指導は大抵の場合、他の「優秀なドイツの将軍とされている人物達」の多数の賛同や
献策を受け入れた結果として進められたことが明らかになっているそうな
ヒトラー無能論っていうのは、「死人にくちなし」の論理でヒトラーに何でもかんでも押し付けられた結果、という面もあるわな
86:
>>85
まてまていw
オレもさすがに「ヒトラーのせいで負けた」とは言うつもりねーよw
始めた時点で勝ちのない戦争だったわけで・・あ、つまりヒトラーのせいか・・・
しかし、将軍たちの意見をまとめた結果だったてのは勉強になった
日本軍に関しては、牟田口閣下や辻?ンみたいなとんでもない無能もいた代わり、敵から恐れられた小沢中将やクリリン中将の存在を忘れてはいけない
あと、負けた側の指揮官はよほど優秀で無いとダメ扱いされることも留意せねば
104:
>>86
戦勝国側にも無能な指揮官が多数存在したんだよね
勝ったから優秀な指揮官ばかり目立つけど
88:
高く評価されたり辛く評価されたり極端なのはロンメルだな
でもまあ、確かに司令官なのに最前線ですぎて砲弾で自分以外の副官や随員が皆死んだ、
みたいなエピソード聞いてると、一歩間違えば司令官戦死で軍総崩れだったわけで、
確かに普通の人間は真似しないほうがいいタイプの人だよな
89:
ロンメルは大隊長までは優秀だったとの評価で確定だと思っていたが…
今でもロンメルを評価している香具師って、ただ名前を知っている程度なんじゃねぃ?
90:
まあ、異常な幸運に助けられたところがあるにせよ、ロンメルの実績が半端ないのも事実
昔読んだドイツ軍元帥達を扱った本では、ロンメルを「(幸運の神に)選ばれた英雄」って評してたな
108:
最強の軍隊とは
アメリカ人の将軍
ドイツ人の将校
日本人の下士官
最悪の軍隊は
中国人の将軍
日本人の参謀
ロシア人の将校
イタリア人の兵隊
109:
>>108
それの「最強の軍隊」での参謀は確かイギリス人だったと思う
115:
ロシアは防衛戦では強い感じ
クリミア戦争でのセヴァストーポリとか見事
116:
ロシアの代表的戦略といえば一撃後退
時間がたてば雪が敵を自然に倒してくれる
117:
ロシアは毎回毎回逃げて逃げて疲れた相手を潰すという消極的戦法。
ドイツもナポレオンもこれでやられちゃったね。
120:
>>117
消極的戦法というか相手の消耗を狙う消耗戦法って感じ?
長平の戦いでは趙のレンパ将軍が精強な秦軍相手に2年もこれをやって
撤退寸前にまで追い込んでるんだよね
結局謀略でレンパが交代させられちゃったから、計画が崩れちゃったけど
有効な戦略だったと思う
124:
>>117
どうせ戦攻で常勝無敗十八世紀最強のスヴォーロフ大元帥の存在も知らないんだろう?
常勝不敗の指揮官としてその名声は確立している。スヴォーロフの戦略、戦術の基本は機動と攻、奇襲にあった。ポーランド侵攻や露土戦争で見られるように、しばしば少数精鋭の部隊を率いて攻を仕掛け、成功を収めている。スヴォーロフは著書の中で「戦争において金銭は尊い。人命はより尊い。それよりもなお時間は尊い」と述べている。これは敵に態勢を整える時間を与えぬことの必要性を説いたものである。そのためにスヴォーロフは機動を重視し、それを可能とする軍の質を維持するための猛訓練を奨励した。同じように著書の中では「厳しき訓練が、戦いを容易にする」と述べている。また、強襲に際しては射撃よりも銃剣突撃を活用するように命じた。これを述べた著名な言葉が「弾丸は嘘をつく。銃剣は正直だ」である。これは悪しき白兵主義のあらわれとして、リデル・ハートら多くの軍事史家に批判されたが、当時の銃の命中率が極めて低かったことが影響していると思われる。
スヴォーロフは部下の力量を見抜き、引き立てるという点でも優れていた。イスマイル要塞攻略で活躍したクトゥーゾフ、コシチュシュコ蜂起の鎮圧で活躍したバグラチオンらは、スヴォーロフに引き立てられ、その幕下で戦略、戦術を学んだ。彼らは後のナポレオン戦争でロシア軍を率いて活躍した。
以上のように軍事的才能は冠絶していたが、一方で性格には極めて癖のある人物であった。誰であろうと容赦なく批判したため、ポチョムキンやパーヴェル1世と反目し、左遷や解任の憂き目にあったことは述べたとおりである。また、スヴォーロフはさまざまな奇行の持ち主としても知られている。1796年に解任されて田舎に引っ込んだ頃には、教会の聖歌隊に入り、一日中歌ってばかりいたという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アレクサンドル・スヴォーロフ
121:
名将が途中で交代させられちゃうのって結構残念
177:
最近はWW2の太平洋戦争における日本軍敗北原因に関する本を読んだりもするが
興味深かったのは当時の日本軍は大東亜戦争を「百年戦争」とか「長期持久戦」とか
盛大に言っていた割には、ほとんどの占領拠点で食料自給体制の構築を行わなかったってところかな
(無論いくつかの例外はあるものの少数事例にとどまる)
日本軍と敵対した米軍、中国軍、フィリピンゲリラ、などがいずれも隠田や隠畑を作って
食料自足ができるようにしていたのにたいし、
日本軍はこういった事をせずに食料不足に陥り、結局持久戦は不可能になってしまい、
飢えてさまよう日本兵は米軍、中国軍、フィリピンゲリラが作っていた隠田や隠畑に
偶然転がり込むと大喜びでそこの作物を食べて蘇生の思いをしていたそうな
こういう点は日本軍の敵側達の戦略的優越、といっていいと思うが
疑問なのはなぜ日本軍にこれが出来なかったのだろうか
戦国時代とかからの国内戦争の伝統が抜けてなかったから日本軍は補給軽視、ってのは
司馬小説とかでよくいわれる事だけど、さすがに400年以上たって近代戦争も何度も経験してる日本軍が
ここら辺に思い至らなかったっていうのはかなり不思議だ
178:
>>177
シナ方面は分からんが、南洋方面に関しては制海権とられたのがデカかったのでは。
軍事物資含め、輸送船団の多くが沈められたように記憶している。
もっとも、そもそもロジスティックへの配慮に欠けていたことは否定しないが。
179:
今村均みたいのもいるがな
ゲリラが食い物集めるのは当然だし、日本は中国みたいに東南アジアでも現地調達しようとしたんだろう
180:
>>179で言われているように今村みたいにこれをやって終戦まで持ちこたえた例もあるのだから
出来ない事はなかったはず
こと長期持久体制の構築に関してはアメリカ軍はもとより、日本軍が馬鹿にしていた中国軍やフィリピンゲリラのほうが
よっぽど深い意識をもっていたようだ
184:
百年戦争なんて最初から考えてない。軍部が百年戦争本気で考えてたというソースあるなら教えて。
山本五十六が開戦前に二年なら暴れられるがその先は責任持たないと言っていたが、対米戦での着地点は日露戦争と同じ艦隊撃滅作戦。
ミッドウェーしかりマリアナ沖海戦しかり。
そのために開戦の二、三十年前から大和や各種戦艦建造して準備はしていた。
国力差が十倍は違うんだから持久戦になれば負けることは当時の軍部ですら分かっていた。
百年戦争やら屯田兵やらあなたの知識はお粗末すぎる。
もっと知識をつけてから書き込みなさい。
ここは太平洋戦争初心者にやさしく教えるスレでしたっけ?
185:
>>184
屯田兵と言ったのは自分ではないが、
戦争体験者の手記によれば100年戦争と当時の軍部(主に陸軍だろうが)は盛んに鼓吹していたそうだ
正直あなたの言っている事は普遍的な知識すぎて目新しいものが無いよ
それで言われても困る
軍部の見解は主要な敵拠点を押さえて後は持久して出血を強いて講和に持ち込む、だったはず
結局途中から米軍の反抗も始まっているから持久体制は必須だったし、
そもそも米軍はフィリピンその他を長ければ3年ほど持久して、その後に反撃、というプランを持っていたが
(実際はそれ以前に陥落してしまったが)それでさえ大量の隠田や隠畑を保持して
持久体制を作っており、それに長期戦を呼号していた飢えた日本兵が救われる状態になってる
持久体制に関しては上にもあるが今村のように実際にやって成功しているものもおり、
これでなぜ他がやれなかったのか、という戦略的な要素について語り合いたい
貴方は正直それだけの知識があるか疑問だが
198:
中国の歴史書は基本的に戦略の事は一杯書いてあるけど、
戦術の事はあんまり語らない
呉子が例外だろうか
199:
史記、漢書、三国志も「中国の史書では」書いてる方じゃないかな。
後漢書の場合は時代離れてたからしゃーないけど。
范曄は「一字も無駄な字句は無い!」と誇らしげに言ったそうだが、こっちは多少無駄でも情報が欲しかったのにと思うことしきり。
中国の史家は当人が「無駄」と感じた情報を省きすぎるのがマジ困る。
200:
その点は日本の歴史書(編纂物、2次資料)とは対照的だな
日本の場合は戦術関連の事や配下の参戦武将、さらにはその動向に関してやたらと書いてあるのに、
戦略に関しては本当にあんまり書かない
だからむしろ一次資料とかのほうが、2次資料よりもその人物達の戦略を伺う材料に出来るという状況
中国の場合はすがすがしいまでに「○○将軍が敵軍を破った。」とかしか書かないので、
戦における戦術関連や配下の参戦武将、その動向に関してあんまりわからない
その代わり戦略に関してはやたらと詳しくて、
戦略確定に関わった人物達のやりとりとそれが決められた経緯まで書いてくれるので、
敵側・味方側の戦略志向や雰囲気まで読み取れる
こういった重視する記述対象の違いはやっぱり国民性なのかな
210:
ゲルマン人とか占いでくじ引きして戦略決めてたんだよね
中世島津軍もくじ引きで方針を決めてたとか
現代でも偉い人ほど占いや神頼みをするっていうし
結構世界史上の戦略には占いも関与してる?
211:
>>210
牧野の戦い
占い師「占いによると今日決戦するのは大凶と出ております!」
太公望「枯れた草や焼けた骨に何がわかるか!全軍出陣!」
占い師「だったら聞くなよ」
21

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