御坂「幸福も不幸も、いらない」【前半】back

御坂「幸福も不幸も、いらない」【前半】


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1:
◆CAUTION◆
この物語には残酷な描写、グロテスクな描写、性的な描写が含まれています。
『とある魔術の禁書目録』15巻まで、ならびに19巻、SS1・2巻、
『とある科学の超電磁砲』5巻までを読んだ上での閲覧をお勧めします。
さらにスレッド進行時に発表されているシリーズ全ての既刊内容に触れられている恐れがあります。
その上で、独自解釈、独自設定、原作と明確な矛盾がある事をご了承ください。
なお、原作22巻以降の内容に関しては考慮されません。
また閲覧する際は、アスキーアート系の表記を含むため、専用ブラウザ「Jane Style」の使用を強くお勧めします。
2:
――「時よ止まれ。汝はかくも美しい」
       この地上での私のこれまでの足跡は
       未来永劫滅びる事はない。―
       そういう幸福の絶頂を予感しながら
       いまこの最高の瞬間を味わおう。
『ファウスト』
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
3:
     グランギニョール
――と あ る 世 界 の 残 酷 歌 劇――
   ? 第 三 夜 ?
4:
ビーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
5:
――――――――――――――――――――
     幕前
  (或いは幕前2、終章への序曲、そして)
    『えにし』
――――――――――――――――――――
6:
大変長らくお待たせ致しました。
第三夜の開演まで暫く御時間が御座います。
何方様もゆるりと御歓談の上御寛ぎ下さい。
なお、この物語の第一夜(序幕・第一幕・第二幕)、及び第二夜(幕間)は以下に収録されております。
合わせてお楽しみ下さい。
第一夜
御坂「――行くわよ、幻想殺し」
第二夜
御坂「名前を呼んで
13:
――――――――――――――――――――
重い眠りから覚め目を開くと、頭上には見慣れない天井があった。
「………………」
何か夢を見ていた気がする。
とても幸せな、けれど儚い夢。
夢の中で、短い人生の中で何よりも満ち足りていた事は朧げながら覚えていた。
それがどういう内容だったのかは覚えていない。
目覚めと同時に、かりそめの幸せが霧散してしまったような気がする。
けれど今現在の自分はきちんと起きているのか、それともこれはまだ夢の続きなのか。
どこか朦朧とした頭ではそれすらも判断ができなかった。
幻想と現実の境界が曖昧なまま御坂は眠い目を擦る。
そこでようやく気付いた。
「あ――――」
指に湿りを感じる。
目尻を拭うと涙の粒が指に掬い取られた。
この涙はどうして出てきたものなのだろうか。
悲しかったからか。
それとも、夢の中で何よりも幸せだったからだろうか。
箱の中に閉じ込められた夢の中身など観測できるはずもなく、結論は出なかった。
15:
「目、覚めた?」
視界の外、横たわるベッドの脇から掛けられた声に御坂は首だけを緩慢に動かし視線を向ける。
金髪の少女がそこにはいた。
長い髪の少女だ。
頭に乗せたベレー帽から零れる金色の髪はゆるいウェーブを描き肩を撫で、背筋へと流れている。
御坂の眠っていた大きなベッドの横、高級そうな木椅子の上で膝を抱えて彼女はこちらを見ていた。
蹲るような格好。ともすれば足とスカートの間から下着が見えそうですらある。
少しでも恥じらいがあるならば年頃の少女のする事ではないだろう。
しかし彼女は気にする素振りも見せず抱えた膝の上に頬を乗せ、御坂と顔の向きを合わせる。
「どう? まだ――眠っていたい?」
金髪の少女は微かに笑むとそんな事を言った。
「結局、アンタがそうしたいなら私がそうさせてあげるわよ。ずっと、ずーっと、幸せな幻想に浸らせてあげる。
 現実なんて直視するだけで目が潰れちゃいそうだもの。それなら目を瞑っちゃって甘い夢の中をたゆたってた方がきっと幸せよ?」
「……夢……?」
「そ。一炊の夢って言葉があるでしょ? 夢の中では時間は永遠に存在する。
 人の脳なんてどんなスパコンだって敵わない超高性能演算機よ。
 結局、それにかかれば一瞬の間にだって一生分の時間を過ごせる訳よ。
 死ぬまで眠り続けたとして、その一生の間にどれだけの人生が送れるかしらねぇ?」
彼女はどこか自嘲的に、歌うように言葉を紡ぐ。
変わらず微笑んだまま。
けれどそれはどこか――仮面のように見えて。
顔を真っ白に塗ったサーカスのピエロを思い出す。
どんな事があっても笑っていて滑稽におどけてみせる道化師。
けれどその目の下には大抵、涙の模様がひとしずく描かれているのだ。
その小さな模様が目の前の金髪の少女の頬にも描かれているように見えて――。
16:
「でも……、……」
言葉を紡ぎかけて御坂は口篭る。
でも、の後に続く言葉。
どんなに幸せだろうと夢は夢でしかない。
現実に生きる人々にとって泡沫の幸福は憧憬こそしても身を委ねてはいけない。
甘い蜜で心を蝕む幻想は性質の悪い悪夢だ。
一度飲まれてしまえば二度と目覚める事はない。
それでもその蜜の海を漂っていたいと思ってしまうのは――。
「……」
でも、と口には出さぬものの思考の中で再度の否定が生まれる。
きっと彼女の言う通りにした方が幸せなのだろう。
けれど何かがその邪魔をする。
何か。
誰か?
思考に靄が掛かっているようだった。
寝起きだからだろうかと考えて否定する。だとしても思い出せないはずがないのだ。
それは自分にとって何よりも大切な――、
大切な? 何が?
思い出せない。
絶対に忘れてはいけない、忘れようと思っても忘れられないはずの存在がそこにはあるはずなのに。
記憶のアルバムの中でそこだけが塗りつぶされたように思い出せない。
17:
何かがおかしい。
けれど何がおかしいのかが分からない。
どれだけ思い出そうとしても――[禁則事項です]に関する事だけが思い出せない。
いや、失ってしまったのではない。
思い出そうとする行為自体ができない。
思い出せないのではなく、思い出そうとする事ができない。
それに関する事象を回想する事そのものが禁忌に触れるかのように。
記憶の水底にある扉の前に立てども鍵もなく、中に何が入っているのか分からない。
これではまるで[禁則事項です]みたいじゃない、と御坂は思う。
でも、とても恐ろしいものが封じられている事は理解できた。
まるで禁断の果実のよう。
食べてしまえば後戻りはできない。その先に破滅が待っている。
楽園のような一瞬の永遠は破壊され荒野を放浪する事になる。
けれど――。
「……ねえ」
御坂は一度目を強く瞑り、それから再び開き、金髪の少女を見据える。
「これ、アンタの仕業?」
「結局、何の事かしら」
よくもまぁぬけぬけと、と御坂は思う。
白々しいにもほどがある。動かない頭でも彼女がしらばっくれている事くらいは判断できる。
いや、むしろ彼女こそそうと分かるように振舞っているだけなのだろうか。
18:
御坂はどこか虚ろな表情のまま金髪の少女に言葉を投げる。
「分かってるのよ。頭が上手く働いてない。不自然なくらいに。これでも一応自分の事は自分が一番知ってるつもりよ。
 特に神経作用の中身。生体電気の通信回線。あと脳波。仮にも最高位の電撃使いっていうくらいなんだからそれくらいの事は分かるわよ」
「やっぱり分かっちゃう?」
「そりゃあ、ね」
相変わらず微笑みを崩さぬまま彼女は肩を竦めた。
「世の中知らない方がいい事だってあるのよ? 雉も鳴かずば撃たれまい、ってね。
 結局、知恵の木の実を食べなければエデンを放逐される事もない。生命の木の実だけ食べてればいいのに。
 私はそれをそそのかす蛇じゃないし、アンタもそれくらいは分かるわよね? それは知恵の実じゃなくてパンドラの箱よ?」
「神話が違うわよ」
「細かい事言わないの。結局アレよ。様式美って奴」
御坂の指摘に金髪の少女はそう嘯いた。
対照的に御坂は無表情のまま僅かに目を細める。
「あと、その話を出すって事はやっぱり、私の頭の中身弄ってるわね」
その言葉に彼女もまた目を細める。
愉快そうに、ともすれば寂しげに。
「少し語弊があるわね。結局、私はアンタの思考の先をちょっとずらしてるだけ。洗脳じゃなくて思考誘導って訳よ。
 もっと直接的に弄り回すならそんな発想すらできないようにもできるってのは分かってるでしょ? アンタ私よりも頭いいはずなんだから」
「そうね」
嘆息し、御坂は体を起こす。
ベッドの上に腰を下ろしたまま、御坂は金髪の少女を正面に見据え、そして。
「直接会うのはあの時以来、二度目かしら、第五位。こうして話すのは初めてだと思うけど」
「そうね。久し振りって言った方がいいかしら、第三位。センパイって呼んでもいいのよ?」
無表情のままの御坂に『心理掌握』の少女はにこりと微笑んだ。
19:
「結局、頭が良すぎるっていうのも考え物よね。要らない事にまで気付いちゃうんだから」
肩を竦める彼女を無視する。
どうせ何か言ったところで彼女は気にもしないだろう。
「やーねえ。そんな事ないわよ。傷ついちゃうなぁ」
「勝手に思考を読まないでくれる?」
「無理無理。現在進行形でアンタに能力使ってるんだもの。結局、表層意識くらいは勝手に掬い取っちゃうって訳」
「プライベートの侵害って知ってる?」
「私がいまさらそんなの気にするはずないに決まってんでしょ」
言って彼女はけらけらと笑う。その様子に苛立ちを覚える。
そういう感情すらも相手に知られていると考えるとどれだけ嫌な性格をしているのだろうと思う。
「心配しなくてもいいわよ。結局、自覚はあるから」
「心配なんかしてないわよ」
呆れたように御坂は前髪を手で掻き上げ、溜め息を吐いた。
口にしていないこちらの思考にそのまま返答されるのは激しい違和感を伴う。
精神感応系の能力者は数こそそれなりにいるものの、どれもかなりの制約を伴う。
相手が心を許していたり、特定の相手にしか通じなかったり、あるいは特定の感情や思考しか受け付けなかったり。
御坂の友人にも一人その手の能力者がいる。彼女の場合も例外ではないし、思念を呼びかけとして送らなければ通じない。
しかし彼女……『心理掌握』は違う。
最高位の精神感応能力者。ある意味では御坂と同じような、ごくありふれた能力を突き詰めた結果の超能力者。
それは文字通りの万能を意味する。
精神、記憶、認識、感情。およそ心と称される脳の司る機能全般を自在に操る能力者。
それが自分であろうと他人であろうと関係ない。彼女の場合はたとえ精神操作を行ったとしても誰にも気付かれないよう完璧に行えるという。
もはやそれは洗脳ですらない。人格破壊や再構成の域に達している。
電磁を司る超能力者の御坂だからこそ脳の生体電気を操作する事である程度操作できるが、
そうでなければごく一部の例外を除いて抵抗する事すらままならない。
「それで……いい加減に干渉するのやめてくれないかしら。頭の中身を好きにされるのってかなり気分が悪いわ」
そういう域の相手だからこそ序列では上位の御坂であろうとも多少の抵抗はできても跳ね除ける事はできない。
相手が手心を加えているという部分もある。彼女が本気でかかれば御坂であろうとも疑問すら持つ事は許されないはずだ。
20:
御坂の言葉に彼女は目を細めた。
「いいの?」
と彼女は尋ねる。
「現実なんて本当に、どうしようもなく最悪な代物でしかないわ。
 それは誰しも同じ事。結局、都合の悪い事から目を逸らして生きるしかない訳。
 違うと言える? どんなに酷い真実がそこにあったとしてもアンタは直視できるの?」
「…………」
彼女の言葉に御坂は少しの間沈黙する。
この言葉が真実だとすれば、そこには相当の事実が隠されているはずだ。
見るだけで目が潰れ心が折れかねない最悪の深淵。
覗き込んでしまえば真っ逆さまに転落するしかないような、どうしようもない不幸な出来事。
けれど、だとしても。
そんなどうしようもない事実に直面しても[禁則事項です]は――。
「っ――」
「無理しないのって。こっちだってアンタが思ってるほど万能じゃないのよ。
 ピンポイントで抑えて加減するのかなり難しいんだから。あんまり無茶すると脳が焼き切れるわよ」
一歩間違えれば廃人化してしまうと彼女は平気な顔をして言ってみせる。
実際御坂が抵抗できるのならば力は拮抗している。それを無理に捻じ伏せようとすれば負荷が掛かるのは当然だ。
なまじ力が強い者同士その力は莫大なものといえるだろう。
薄氷を踏み歩くようなその拮抗のバランスを調整し続けている彼女の力はやはり本物なのだろうが――。
「……それでも」
御坂は無意識の内に唇を噛みながら小さく言った。
「私は、現実に生きてるから」
21:
「……」
御坂の答えに彼女はまたどこか悲しげに微笑みを返し。
「結局、アンタはそう言うだろうと思ってたけど。
 良くも悪くも平和ボケした頭だこと。どうなっても知らないから」
「ありがと」
「どうしてそこでそんな言葉が出てくるのよ」
「だってそうでしょ? アンタは私が辛い思いをしなくて済むようにしてくれてたんだから」
「……」
彼女は無言のまま笑っているような泣いているような顔を御坂に向ける。
そこにどんな感情が込められているのか御坂には分からない。
「――フレンダよ」
「え……?」
突然出てきた名前に御坂は思わず小さく声を漏らした。
「フレンダ=セイヴェルン。結局、それが私の名前。
 もっとも『私』はもうとっくに名前なんて失くしちゃったんだけど」
その言葉の裏に隠されたものがどういう類の代物なのか、御坂には判断が付かない。
けれどきっとそこに込められた思いは――。
「起きなさいアリス。お伽噺の時間はもうお終い」
そして、全てを思い出した。
22:
「………………」
「………………」
長い、長い沈黙があった。
上条当麻。彼の事。
掛け替えのない存在の事を全て思い出した。
たとえそれが能力に因るものだったとしても決して忘れてはいけない人。
誰よりも大切だった人。なのに忘れてしまっていたという事実にどうしようもない憤りすら感じる。
先に沈黙を破ったのは御坂だった。
「――――――あは」
小さな声にフレンダは目を伏せる。
そんな彼女には目もくれず御坂は歪ませた顔に手を当て俯いた。
御坂はこの時ようやく自覚する事となる。
彼の死を。
現実を知ってもなお、その事実を忘却してしまっていた自分に対する憤りしかないのはどういう事だ。
「そっかぁ……」
確かにこれはどうしようもない最悪だ。
なまじ頭の回転が早いだけに瞬時に御坂は自分の置かれている状況を理解した。
なぜフレンダが能力を使ってまで封印していたのかを理解した。
ああ、と呟いてベッドの上にどさりと倒れ込んだ。
「最悪だ、私」
心の防衛本能なのか、それともとっくに闇に飲まれてしまっていたのか。
その真偽は杳として知れないが。
「ごめん、当麻。私壊れてるみたい」
悲しみも怒りも、湧いてこない。
幸せだったつかの間にすら思いを抱けない。
涙の一筋さえ流れない。
23:
「……今からでも」
ベッドに仰向けに倒れ込んだ御坂に、フレンダは変わらぬ微笑を向ける。
「アンタが望むなら記憶を消せるわよ。壊れてる部分は戻らないけど新しく作る事ならできる。
 アンタの記憶を書き換える事だってできる。そうすれば全部忘れていつも通りの日常だって送れるだろうし。
 結局、何なら夢を見させてあげましょうか。私は現実を作る事はできないけど幻想なら作れる。
 アンタが望むままの最高に幸せな幻想を、ずっと、永遠に、幾らでも味わわせてあげることもできるよ」
「いらない」
フレンダの提案に御坂は即答する。
「どんなに最悪でも、私の生きている現実はこれよ。
 大切だった人の記憶まで壊される訳にはいかないわ」
「……そう言うと思った」
フレンダは小さく溜め息を吐くと立ち上がり、ベッドを迂回して部屋の反対側へと歩いてゆく。
その様子を視線で追いようやく御坂はこの場所がどこなのかを知った。
見る限りだが、高級そうなホテルの一室。
部屋が暗い事にもようやく気が付く。
夜なのだろう。一体あれからどれだけの時間が経ったのか。
視線を巡らせベッドに内蔵されているデジタル表示の時計が目に入った。
日付は変わっているがまだ午前二時過ぎ。半日も経過していない。
「何か飲む?」
声に体を起こしそちらを見ると、部屋の隅に備え付けられた冷蔵庫の前にフレンダが立っていた。
がちゃ、と小さな音を立てて冷蔵庫の戸を開く。
「――――――」
中にはミネラルウォーターのボトルやアルコールの缶が幾つかと。
そして。
人の腕が入っていた。
24:
フレンダは扉の裏にあるラックからミネラルウォーターのボトルを一本取り出し、
扉を閉める事なく手にボトルを提げたまま視線を庫内に向け続ける。
「結局、エンバーミングっていうんだっけ?
 本来の用途とは違うらしいけど。ほとんど加工もせずにこの状態だっていうから凄いわよね。
 これで常温でも数週間、冷蔵庫に入れとけば数年はもつってさ。他は損壊が激しくて無理だったらしいけど」
御坂の側には背を向けたまま、フレンダの表情は見えない。
「さすがに一人分丸ごとは駄目だったけどこれだけはね。後で何されるか分かったもんじゃないし」
まともな思考ができていれば明らかに異常だと分かるであろう言葉。
まるで決められた台本を朗読するかのような抑揚のない声でフレンダは語る。
彼女がどんな感情を抱いているのかも分からない。
序列第五位、『心理掌握』であるならなおさらの事。どんな状況だろうと彼女は自分の精神状態を好きに改竄する事ができる。
だが御坂にはそんな事はどうでもよかった。
「………………」
無言のまま、不安定なベッドの上を這うようにゆっくりと進み、真っ直ぐにフレンダの――いや、冷蔵庫の、その中身へと向かう。
一度ベッドの脇に降りきちんと歩いた方が早いだろうに、それすらも考える事ができていない。
ふらふらと夢遊病者のような態で御坂はゆっくりとそれに近付き――。
「ああ――」
どこか安心したような声を漏らした。
フレンダには一切目もくれず、御坂は彼の腕だけを見ていた。
「よかったぁ――」
開け放たれた冷蔵庫の前で、膝を突き、腰を下ろす。
そしてゆっくりと両手を伸ばし、冷たくなった彼の腕に触れ、硝子細工を扱うかのように優しく持ち上げると。
「私もまだ、壊れてないとこがあったみたい」
まるで神聖な物を捧げるように恭しく引き寄せ。
「当麻――」
愛しいその名を呼び。
柔らかく微笑み。
目を瞑り、彼の手に優しく口付けた。
――――――――――――――――――――
40:
数時間前。
祝日の街には突然の局地的な暴風が吹き荒れていた。
どのような経緯を辿りそこに至ったのかはさほど重要ではない。
とあるオープンカフェで風紀委員の少女に暴行というのも生易しいであろう危害を加えようとしていた垣根を制す者がいた。
そこから超能力者二人の戦いが始まった。ただそれだけ、ごく単純な切欠。
二人の超能力者。
序列第一位、『一方通行』と呼ばれる白い髪と白い肌、そして赤い目の少年。
同第二位、暗部組織『スクール』のリーダー、『未元物質』こと垣根帝督。
街を行く人々からすれば突然に天災が舞い降りたのと同じようなものだ。
個人の持てる能力の頂点、超能力者の双角の激突は極大の台風が二つ同時に出現したのに等しい。
人々はなす術もなくただ呆然と両者の戦いを見ているしかなかった。
夕日が沈んだ後の暗い空を舞い建物の壁面を蹴り飛ばし二人は街を駆ける。
それはまるで二機の小型戦闘機がダンスを踊るよう。
両者は爆音と破壊を撒き散らしながらビルの森を疾走する。
だが不思議な事に人的被害は皆無だった。
圧倒的な破壊がそこにあったにもかかわらず。
ビルは打ち壊され路面は捲れ上がり高架橋は崩れ落ち。
それでもなお一人の死者も、それどころか掠り傷でさえ負ったものはいない。
一方通行のあらゆる攻撃は垣根ただ一人に向けられ、他の人間には一切向けられていなかった。
片や垣根、彼の攻撃は一方通行ごと破壊を撒き散らすものだったが、それを他ならぬ一方通行自身が制していた。
一片残らず。二次、三次被害も全て含めて、一方通行は垣根のあらゆる暴力をその圧倒的な力で捻じ伏せる。
それがどれほど彼の負担になっていたかは本人のみぞ知るところだ。
もしかしたら赤子の手を捻るよりも簡単だったのかもしれないし、もしかしたら大きな負担となっていたのかもしれない。
だが一方通行、彼は余裕の表情を崩そうともせず黙々と全ての被害を封殺する。
垣根は間違いなく全力だった。それでも一方通行は、自身のみならず周囲全てに気を配り人的被害をゼロに抑える。
それほどまでに両者の間には圧倒的な実力差が存在した。
41:
垣根もそれは自覚している。不本意ながら。
彼は第一位、自分は第二位。
番付は確かなもので、そう簡単に覆せるものではない。
真正面からの正攻法では万に一つも勝ち目はない。
あらゆる奇策を弄したところでこの圧倒的な実力差の前には何の意味もない。
覆せるという次元を超えている。這う虫が鷹に勝てるはずもない。単純に、世界はそういう風にできている。
だが唯一、彼にも弱点があるとすれば。
妹達と呼ばれる超能力者第三位のクローンの少女たち。
そしてその司令塔、検体番号二〇〇〇一号、通称『最終信号』。
一方通行は脳に重度の機能障害を負っている。
彼は一万に近い数の妹達が形成する情報伝達網、ミサカネットワークの補助なしには、能力の使用はおろか、歩く事も喋る事もままならない。
そのための『ピンセット』。
そのための麦野沈利。
一方通行の注意を彼自らが逸らし、その隙に『ピンセット』を使い麦野が『最終信号』を捕らえミサカネットワークを破壊する。
これが垣根の考えた唯一の勝利方程式。
一方通行の足止めは他ならぬ垣根、次席たる自分でなければできない。
だからこそ麦野を抱き込む必要があった。
42:
麦野以外にいなかった。
まず前提条件として垣根や、そして一方通行と同位の超能力者でなければならない。
そうでなくては相手が一方通行というだけで尻込みしてしまう。
候補は限られている。
第三位、御坂美琴では論外。
彼女は一方通行に浅からぬ因縁を持っているが、だからといって他の誰かを傷つけられるような人物ではない。
『心理定規』の少女の力を使い強引に抱き込もうとしても電磁能力者の頂点に君臨する彼女には精神感応能力に耐性がある。
まして自分のクローンが相手。協力関係など築けるはずもない。
第七位、削板軍覇も同じく。
彼の能力は完全にブラックボックスに隠されているがその特性は唯一垣根には想像が付いた。
あれは自分と同じような、既存の物理法則の外にある力だ。常識が全く通用しない。
超能力者七名の内の最下位ではあるものの、直接的な戦闘能力となれば一方通行ですら凌駕するかもしれない最高の『原石』の少年。
能力とは裏腹にその性格は単純明快。弱きを助け強気を挫く、往年の漫画の主人公のようなものだ。童女を害する事などできるはずもない。
第五位、食蜂操祈。彼女ならどうだろうか。
彼女は生粋の引き篭もりだ。巣から一歩も出ようとしない。
常盤台中学に君臨する女王蜂。その姿を見た者は限られている。
何か用事があるというならどんな研究者であろうとも常盤台にある専用のサロンに呼びつけられるという。
何より情報が不足している上に相手は心理戦において無敵。彼女を口説き落とすよりも一方通行を直接倒す方が容易いかもしれない。
第六位にいたってはその能力はおろか名も、性別すらも不明。
そもそも存在しているのかすら怪しい。欠番同然の扱いを受けていたとしてもおかしくない。
だから第四位、麦野沈利だった。
垣根と同じく学園都市の暗部に身を置き、殺人に躊躇する事もない。
彼女の事は多少なりとも知っている。『アイテム』発足の経緯も、それ以前も。
そして幸か不幸か垣根は麦野の懐柔に成功した。
前提条件は揃い、第二位の少年は学園都市の頂点に君臨する覇王に挑戦する。
その実――戦いの本当の場は麦野ただ一人に掛かっていたのだが。
43:
夜天を駆けながら垣根はあらゆる手段を用い全力での直接突破を試みる。
そうでもしないと足止めにすらならない。一分でも、一秒でも長く一方通行を引きつけておく必要がある。
麦野の動きに気取られてはならない。二人の華々しい烈舞の影で動くもう一人の超能力者こそが切り札。
彼女が『最終信号』を見つけ出しミサカネットワークを破壊すれば必ず大きな隙が生じる。そこにしか勝機はない。
そして麦野は垣根の予定通りに、一方通行に気取られる事もなく『最終信号』――ミサカ二〇〇〇一号、『打ち止め』を発見、拿捕。
麦野は打ち止めに大量の薬物――能力体結晶を強引に投与する。
能力を暴走させられた打ち止めは彼女を基点とするミサカネットワーク全体に莫大な負荷を掛け、一時的に機能停止に陥れてしまう。
そしてあの瞬間が訪れる。
ミサカネットワークから切断され全ての補助演算が停止した一方通行に数十秒の意識の空白が生まれる。
当然ながらその間、彼は垣根に対し何もする事ができなかった。
結果として、彼以外の無能力者の少年が少女を一人救う事になる。
それこそが最大の不幸だったのかもしれない。
気が付いた時には全てが終わっていた。
44:
御坂美琴がとあるホテルで目を覚ました頃、一方通行はとあるマンションの一室にいた。
夜空から降り注ぐ月光は締め切ったカーテンに遮られ、照明も点けられていない部屋の中は暗かった。
一方通行は部屋の片隅に置かれたベッドの上で、一言も発する事なく、ただじっと動かなかった。
腕の中に打ち止めの残骸を抱いて。
一方通行の顔は打ち止めの背に押し付けられていて分からない。
そんな彼の抱く打ち止めは、両足を投げ出しているもののベッドの上に行儀よく腰掛けている。
けれど彼女のその目は――虚空を映す目は何も見ていない。
黒水晶のような目の中にカーテンの隙間から差し込んだ月光の光の帯を反射して、ただそれだけだった。
動かない。
けれど僅かに吐息が聞こえる。
胸が上下し、呼吸している。
小さな心臓が脈打つ感覚を感じる。
死体ではない。生きている。
まだ。
それだけが一方通行の寄る辺だった。
打ち止めの身体はもう残骸と呼べるものと成り果ててはいたが、それでも彼女はまだ生きていた。
45:
ベッドの脇には携帯電話だったものの破片が散らばっている。
十時頃まではひっきりなしに鳴り続けていたものだ。
黄泉川愛穂からの着信だった。
日付が変わる頃、叩き折った。
もう彼女たちと会う事はないだろう。
会ったところで何ができる。何を言える。
何も出来やしない。何も言えるはずがない。
絶対に守ると誓った相手を守れなかった。
力不足ではなく、経験不足。
最強の能力に胡坐を掻いてきた代償だった。
身の程知らずと笑われても当然だ。
誰も彼もと欲張らず、彼女だけを常に見続けていたらこんな結末にはならなかった。
だが、幸か不幸か、打ち止めはまだ生きている。
だからもう他は全て捨てる。
全てを見捨てて、彼は打ち止めだけを常に見て、彼女だけを守る。
他がどうなろうが知った事はない。たとえ世界が滅び去ろうとも彼女だけは守る。
無双の能力はもう使えないが、それがどうした。
一方通行はまだ生きている。思考はまだ生きている。
学園都市最高の頭脳はたった一人の少女を生かすためだけに用いられる。
46:
ミサカネットワークは復旧している。
一方通行の思考が戻った事からもそれは明らかだ。
けれど以前のようにとはいかない。
ミサカネットワークに核は存在しないものの、打ち止めが擬似的な中心となっていた事は確かだ。
その彼女が廃人化するまで能力を暴走させたのだ。ミサカネットワークはもはや砂上の楼閣も同然の脆さしか残っていない。
そんなもので一方通行の能力演算などできはしない。
使おうと思えば強引に発動させる事もできるだろう。
だが彼が一歩歩くたびに妹達の誰かが死ぬような、そういう代償付きのものとなった。
彼はもう『一方通行』ではない。
二度と能力を揮えない、ただの少年へと成り下がった。
けれど能力を使わずに打ち止めを守る手段なら幾らでもある。
以前のようにとは行かないが。
だからこそ打ち止めは生かされているのだろう。
彼女は一方通行に対する足枷だ。彼女が生きている限り一方通行は無茶な行動を取れない。
彼は垣根と一つだけ取引をした。
垣根は一方通行を、打ち止めを、もう害するような事はしない。
それどころか彼らを狙う何者かが現れたとしたらそれを阻止する。
何もしなくていい。
ただこの部屋の片隅でずっと、打ち止めの事だけを考えていればいい。
幸いな事に金なら幾らでもある。
暗部に堕ちる切欠となった莫大な借金は垣根により全て支払われている。
もう打ち止め以外に何も彼を束縛するものはない。
48:
暗い部屋で能力を失った元第一位の少年は小さく呟き続ける。
「大丈夫……大丈夫だ……」
それは打ち止めに対するものなのか。
それとも自分に対するものなのか。
「大丈夫だ……」
祈るように、言い聞かせるように繰り返す。
「オマエは俺が守るから……」
答えは、ない。
それでも彼は言葉を繰り返し繰り返し、何度でも言う。
大丈夫だと。
心配するなと。
それが否と頭の奥底では理解しているものの彼は同じ言葉を呟くしかできない。
これは緩慢な死だ。心中にも近い逃避でしかない。
あらゆる外界を遮断し、たった一人の物言わぬ少女だけを見て。
それが分からぬほど彼は愚かではない。
けれどそれに縋ってしまう程度には愚かだった。いや、この時点において最も賢かったともいえるかもしれない。
この後、学園都市にて開かれる残酷劇から退避していたのだから。
ただ、まだ彼が勘違いしている事があるとすれば二点。
一つは、垣根帝督は決して一方通行に伍する実力を持ち合わせていない事。
そしてもう一つ。本当に逃避するのであれば、学園都市という檻から逃れるべきだった。
もっとも――ミサカネットワークは全世界に張り巡らされ、その影響下を脱する事など不可能に等しいのだが。
「大丈夫――大丈夫だ――」
壊れたレコードのように繰り返し呟かれる言葉に、答えはない。
彼の言葉はただ一方通行に、部屋に暗く立ち籠める静寂に溶けてゆく。
――――――――――――――――――――
62:
「ったく……どうしちまったんだこりゃあ」
土御門は酷く焦っていた。
彼をよく知るものからすればさぞ稀有な光景だっただろう。
いつも飄々としている彼が珍しく余裕のない表情を浮かべている。
手の中で転がす携帯電話は数時間沈黙したまま。
いや、一度だけ結標から掛かってきた。
だがそれ以外の二人からの連絡が一切ない。
最後に彼らと連絡が取れたのは夕方の事。
その後第七学区の一角で大きな戦闘があったようで、現場周辺では警備員が忙しなく事後処理に追われている。
戦闘の跡、破壊の爪痕は常軌を逸している。
間違いなく高位能力者同士の戦闘。それも文字通り桁違いの能力者だろう。
それが誰か。考えるまでもない。
片方は姿を消した一方通行。彼以外にあり得ない。
最強の名をほしいままにする彼に対抗できるのはやはり同位の超能力者。
暗部組織『スクール』のリーダー、序列第二位――『未元物質』垣根帝督。
そこまでは容易に想像できた。
二人の戦闘の末に何か予定外の出来事が起こり一方通行は姿を消した。そこまではいい。
だが、もう一人の失踪者。
海原と彼らが呼ぶアステカの魔術師の行方が知れないのはどういう事だ。
63:
「巻き込まれた……って事はないだろうが。アイツはアイツでそう簡単に死ぬようなキャラじゃねーし」
その辺り信頼はしていないが信用はしている。
『グループ』の四人はお互い利用し合うだけの名目上の共闘関係だ。
だが、だからといって使い捨ての駒のように扱おうとは思わない。
彼らがお互いに肩を並べるだけに足る実力者だと、手を結ぶ価値のある相手だと認識しているからに他ならない。
そう簡単に死んでもらってはこっちが困る。
土御門の望みを果たすには彼らには存分に役立ってもらわなければならないのだ。
「今日は舞夏が来てくれる予定だったんだがにゃー……とんだ厄日だぜぃ」
ぼそりと土御門は愚痴るように最愛の義妹の名を口にする。
何に代えても彼女だけは守ると誓った。彼女の世界を守る事こそが土御門の唯一の望みだ。
だからこそこんなドブ攫いに等しい慈善事業に身をやつしている訳だが――。
「……おっと」
不意に手の中の携帯電話が震える。
長い振動のサイクルは通話の着信を知らせるものだ。
姿を消した二人の携帯電話には自分の着信履歴があるはずだ。
電波の届かない場所にあるか電源が入っていない。そんなアナウンスを嫌というほど聞いてはいるが、サーバーに着信履歴が残る。
電波状況が復活すればそのデータを読み込み何度も土御門から連絡があった事は分かるだろう。
それを見れば折り返し連絡をしてくるだろうと踏んで途中から発信を諦めたのだが。
「…………」
ディスプレイに表示された登録名を見て土御門は眉を顰めた。
電話帳に登録はしているものの、今まで一度も通話をした事がなかった相手からだった。
64:
少しだけ、数秒にも満たない間土御門は逡巡する。
このタイミング。何も勘繰らない方が無理というものだ。
そもそもこの時間は本来、彼の活動時間ではない。
いや、恐らくは起きているのだろうが、誰かに電話をかけてくるようなキャラじゃない――そう理解していた。
(……ま、どっちにせよ出ない訳にはいかないか)
電話に出て事態が転換する場合はあっても出ずにどうにかなるという事もないだろう。
思考を打ち切り、土御門は通話ボタンを押し携帯電話を耳に当てる。
「もしもーし。オマエから電話なんて珍しいにゃー」
惚けた口調は日常でのものだ。少なくとも今この場にそぐうものではない。
『…………』
電話口の相手は無言。
けれど土御門は更に、一方的に言葉を続ける。
「オマエこの時間いつも何してんの? つーか寝なくていいのかよ。
 明日も学校だろ。小萌センセーに怒られるぜぃ。いやそっちの方がいいのか? むしろご褒美?
 んで用件は何よ。あ、もしかしてなんかいい感じのメイド系の漫画とかゲームでも見つけた?
 いやー嬉しいねぃ持つべきものはやっぱり友達……っていい加減何か喋れよ」
『……せやね』
電話口から聞こえる声はいつもの彼には似合わない、どこか沈痛さを伴うものだった。
『小萌先生のお説教はご褒美やね。困らせるのは悪いとは思うけど、小萌先生の怒った顔可愛ええからなあ。
 結局、好きな子には意地悪しちゃうって奴? これも一種の愛情表現って訳やね』
「小学生かい」
『神聖シスコン軍曹に言われたかないね』
そんな他愛もないいつもの応酬をして笑い合う。
乾いた笑いなのは自覚している。前置きは様式美だとは思うが殊更に隠すほどではない。
一頻り笑い合った後、少しだけ間を置いて、それから小さく溜め息を吐いてから。
「それで、何の用だね青髪ピアスくん」
相変わらずの巫山戯たような口調で、表情は硬いままに土御門は問うた。
65:
『……なぁ』
「んー?」
『こんな時間まで起きてたらボク、明日絶対遅刻すると思うんやけど』
「今何時だと思ってんだよ。もう三時だぜぃ? 明日じゃなくて今日」
『細かい事言わんといてーな。それでな、お願いがあるんやけど』
「あぁ?」
会話を続けながらも土御門は直感する。
そして同時に閑念を得る。
『風邪引いたーとかって言っといてくれん?』
「……先生心配するぜぃ?」
『ああ、そりゃ悪いなあ。でもお見舞いとか来てくれると嬉しいなぁ。
 せやけどやっぱ、風邪ぇ伝染したらあかんし、そこは上手く丸め込んどいてくれへん?』
「……りょーかい。仕方ねぇ。他ならぬダチの頼みとあっちゃ断る訳にもいかないぜよ」
『嬉しい事言ってくれるねえ。……もしかしてボクに気でもあるん?』
「アホぬかせ……へっくし」
夜風にくしゃみを一つして、ビルの屋上を吹く風に土御門は眉を顰め鼻を啜った。
66:
『えんがちょー。夜遊びは関心せーへんで。愛しの義妹ちゃんが泣くんやないの』
「こっちにだって事情はあるんだよ」
『事情ねえ。結局、どんな事情だか』
「オマエこそどうなんだよ。こんな時間まで起きて何してたんだ」
『うん。それなんやけどね』
土御門のサングラスの奥に隠された双眸が細められる。
眼前に広がるビル群。
深夜だというのにきらきらと光る人工の銀河を無感動に眺めながら土御門は相手の言葉を待つ。
それから数呼吸分。やけに長く感じられた時間の後。
ぼそりと呟くような声と共に彼の――少女の声が鼓膜を震わす。
『――――カミやんが死んだ』
「…………」
その言葉に土御門は答えられなかった。
69:
『ほんと馬鹿やね、カミやん。自分から危ない橋に突っ込みまくってりゃいつかこうなる事くらい分かってただろうに。
 それでも真っ直ぐなのがカミやんらしいというか何というか。結局、それ以外に生きられなかったんだろうね』
彼――彼女は今どんな顔をしているのだろう、と土御門は思う。
ずっと仮面に隠されていたその素顔を土御門は知らない。
土御門もまた彼女の能力の影響下にあり、長身で低い声の、派手な外見のクラスメイトとしての外見しか知らない。
そう認識させられていたから。
多重スパイの土御門元春。
裏で諜報活動に勤しみ情報操作を生業としている彼にその存在が隠し通せない事くらいは彼女も分かっていたはずだ。
何せ同じクラスには名簿の人数に比べ机と椅子が一組多い。
あとは消去法。名簿にないクラスメイトが誰なのかくらい容易に割り出せる。
一度疑問に思えば後はいくらでも荒を探せる。
寮に派手な青い髪をした少年の姿はないし、電話に出た事もない。
そもそも誰も本名を知らない。
青髪ピアス、と。外見的特長だけで呼ばれていた少年。
クラス委員長という役職も土御門の通う高校には存在しない。
あるのは『学級委員』だ。
クラスという一つのコミュニティを仕切るという意味では同じなのだろう。
だが、そう簡単に誰もがその肩書きを間違えたりはしない。
誰もが嫌がるだろうその役職についていたのは誰か。
決まっている。クラスには決まって貧乏くじを引かされるという稀有な体質の少年がいた。
もっとも――いつのまにか増えたクラスメイトがその役割を全て代行していたので名目上に過ぎなかったのだが。
『ほんと、不器用』
名も、顔すら知らぬ少女の声が電話越しに聞こえる。
初めて聞いたそれは綺麗なソプラノだった。
73:
印象を誤魔化し、認識を歪め、意識を逸らし、記憶を改竄する。そういう能力を持つ物がいる。
精神感応系能力者。一括りにテレパスと呼ばれる比較的ありふれた能力者。
だがその特性の派生は他系統の能力と比べ多岐に渡る。
対象の精神、意識……大雑把に言ってしまえば心というものに干渉する能力だが、基本的に一つの特性にだけ特化する。
念話能力は口にせぬままの意思疎通を。
洗脳能力は相手の精神の改竄を。
記憶操作は思い出を自由に捏造する。
心という人としての根源部分に触れるからだろうか。何もかも自在とはいかない。
だが彼女は複数の特性を操っていた。
それも高校という一大コロニーに対し丸ごと影響下に納めるという常識的には考えられない大規模な能力の発現。
そんな事ができるのは学園都市広しといえど一人しかいない。
超能力者、第五位――『心理掌握』。確証はなかったがそれ以外に考えられない。
常盤台中学を統べる女王蜂。群れる事をよしとしない『超電磁砲』とは異なるもう一人の超能力者。
だがここで一つ疑問が残る。
こうして土御門が限りなく真相に近付けているという事実。
その気になれば完全に洗脳もできただろう。疑問を持つ事さえ許されないような完全な意識改変。
故に彼女の名は『心理掌握』。誰であろうと彼女に罹れば掌の上で踊らされる。
対抗できるのはそれこそ同位の超能力者他六名くらいだろう。
もしかするとそれすらもブラフなのかもしれない、と思いながら、土御門は今まで何もしなかった。
仮初に過ぎないとしても彼女は――下手な関西弁を喋る少年は屈託のない笑みで笑っていたから。
彼女の心の内は誰にも分からない。
どんな手練の詐欺師でもこと精神を操るという能力の頂点に坐す相手には敵わない。
彼女と対峙すれば男も女も老人も赤子も等しく傅かされる。
74:
ただ、たった二つだけ彼女の能力が通じぬものがある。
『ねえ、ちゃんと聞いてる?』
思わず忘れてしまったのか、関西弁ではなく、女性口調だ。
一つは機械。
電話越しの、一度電気信号に変換されたものとはいえ初めて聞く本人の声に感慨を抱かないでもない。
けれど土御門の胸中にはもっと大きなものが蟠っていた。
「……なあ」
土御門は応える代わりに一つの問いを投げる。
きっと今この瞬間にしか聞けない事。たった一つ、知りたかった彼の本音を訊く。
「カミやんは……オマエの事、気付いてたんだろ」
『…………そりゃ、ね』
もう一つの例外。
上条当麻――彼の『幻想殺し』。
あらゆる異能も魔術も問答無用に打ち消す右手。強力無比な『心理掌握』であろうとも同様だ。
少なくとも一方通行、彼以上の力でなければ相手にもならない。彼を上条当麻はその右手を以って下している。
だから彼には彼女の正体が知れていたはずだった。
けれど土御門の知る限り、彼が下手な素振りを見せた事はない。
間違いなく彼女を男性として扱っていた。青髪ピアスと呼んでいた。
遠慮も見せなかった。男同士だ。グラビアアイドルがどうのエロ本がどうのと下世話な話もした。
そもそもクラス内での『青髪ピアス』のキャラクターは「バカでエロいお調子者」だ。
誰も彼も、土御門も、そして上条当麻……彼もまたそう扱っていた。
75:
だから土御門には彼がずっと不思議だった。
面と向かって問い質せる筈もない。
本当に能力に罹っているのか、それともそういう振りをしているだけなのか。傍目からでは見分けが付かなかった。
『それがさ、聞いてよ。本当に傑作なんだから』
もう体裁すら取り繕う気すらないのか『心理掌握』は電話越しに揺れる声で言った。
笑っているのか。
泣いているのか。
怒りに震えているのか。
それとも――それすらも演技なのか。
『一応ね、効く事は効いてたのよ。でね、あれ、右手。あれで頭触るたびに能力打ち消してんの。
 その度に掛け直してたのよ。結局、私に対する認識を改竄する程度だから楽っちゃ楽なんだけど』
「ああ……なるほどにゃー」
土御門の属する組織の一つ、イギリス清教第零聖堂区『必要悪の教会』。
彼をよく知る同僚の報告書にあったのを見たことがある。
精神支配を右手を頭部に当てる事で解除した。
八月八日、学園都市内の学習塾を根城にしていた異端の錬金術師を攻略した際のものだ。
そういえばまだその頃は彼に自分の裏の顔を明かしていなかったなと土御門は回想する。
『そんなの髪洗うときに毎日触るっての。カミやん毎朝遅刻ギリギリで入ってくるじゃん?
 その時たまにさ、こっちみてすっごい済まなそうな顔する訳よ。それで、ああ今日もか、って。
 学校にいる時でも自分の頭掻いたりとかさ、そういう時に一瞬びくってなった後、恐々私の方見るの。
 それで結局、途中から面倒になってきてさ、開き直って言ってやったの。もう毎日やるの疲れたって』
76:
土御門は目を瞑る。
土御門が今こうして携帯電話を耳に当てているだけでも右手は頭部に触れている。
さぞ日常茶飯事だった事だろう。その度に彼は何か申し訳ないような面持ちを向けてくるのだ。
記憶の中に残る彼の顔を思い返す。ああ、確かにそれは随分と嫌になってくる。
それをずっと自分に気取らせなかった彼も流石だと思う。
陰陽師、占術師、そして詐欺師。土御門は人の顔色を窺い見るのが本業だ。
その土御門に一切気取られる事なく毎日を過ごしてきたのだとしたら、もしかすると彼は自分以上の詐欺師かもしれない。
『そしたらあの馬鹿、何て言ったと思う?』
電話の向こうで彼女もまた彼の顔を思い出しているのだろうか。
『オマエがどうしてこんな事してるのかは知らないけど、別に何か悪さするつもりじゃないのは分かってるつもりだ。
 何か理由があるんだろ。だったら俺も他の奴と同じようにしてる方がきっといい。だから気にせずガツンとやってくれよ。
 また馬鹿やるだろうけどさ、その時も悪いけど頼むわ、って。それで……ただ、助けが要るときは言ってくれ、って』
頭の中で容易に想像することができた。
彼の顔も、仕草も、声も、よく知っている。
『そんな事言われたらカチンとくるじゃない。結局、頭ん中好き勝手に弄り回されてんのよ?
 怒らないのか、怖くないのかって思うじゃない。言ってやったわ。そしたらさ――』
ああ……と彼女はきっと何かの感情を吐き出すように小さく嘆き。
『ダチだろ――って――』
「……そりゃあ随分と、カミやんが言いそうな事だ」
きっとその時の彼は、笑っていて。
何の迷いも躊躇いもなく、誇らしげに言い放ったのだろう。
土御門の知る上条当麻という少年はそういう奴だ。
77:
『そう言ってくれたのにさ、友達だ、って言ってくれたのに』
彼女は震える声を隠そうともせず――嗚咽の混じるその声を電話越しに土御門にぶつける。
『私……助けられなかったよぉ……!』
彼女の慟哭を土御門は黙って聞き続ける。
露にされる感情の吐露。
その気になれば自分の感情も思考も好きに改変できるだろう。
だがきっとそれをしようとしていない。その意味を土御門は分かっているつもりだ。
『友達って、言ってくれたのに。カミやん、私の事、助けるって言ってくれたのに。
 何が超能力者よ、何が『心理掌握』よ! 私の能力は友達一人助けられなかった……!』
その気持ちにだけは嘘をつきたくない。
友達と彼女は言う。形ばかりのクラスメイトだったにも関わらず。
下手な事は誤魔化すし都合の悪い事は隠そうとする。誰だってそうだろう。
けれど一番大事な部分だけは譲れない。
それすらも偽ってしまったら彼の心を本当に殺してしまうから。
『私は! 何も! できなかった! 見てるだけしか!
 目の前でカミやんが死んじゃうのに私は立ってるだけしかできなかった!』
電話越しで本当によかったと思う。
土御門の知る彼女――青髪ピアスという少年とは全くの別人。
ただ無力に嘆くだけの少女がそこにいた。
「…………」
ただ、彼ならどうしていただろう。
きっとなりふり構わず駆け出して、散々走り回った挙句にようやく見つけて。
それからきっと、力いっぱい抱きしめる。
間違いなく自分のキャラじゃないな、と土御門は思う。
そういう漫画の主人公みたいな役は彼にこそ似合いだ。
78:
『…………でもね』
暫く電話の向こうに聞こえた嗚咽の後、彼女はぽつりと言った。
『結局、最後にね……そんな土壇場で、カミやんさ、女の子、助けたんだ』
「ああ」
『最後の顔、覚えてる。しっかり私の目に、記憶に、心に焼きついてる』
「ああ」
『カミやんね……笑ってた』
「……ああ」
きっとそうだろう。
そういう奴だ。
『右手でね、こう、突き飛ばしたんだ。右手よ、分かる? あの右手。
 それでね……その時のカミやんの心がね、聞こえたの』
……それから暫く彼女は続く言葉を発せなかった。
電話越しに彼女の吐息が聞こえる。
それを土御門は無言のままじっと聞き続け、待った。
三馬鹿、と呼ばれていた。
そう言われるだけの馬鹿をやった。
自分と、彼と、そして彼女で。
何度も担任の小さな女教師を困らせた。クラスメイトたちには迷惑をかけた。
それでも最後にはきっと皆が笑っていた。
運動会は楽しかった。
色々面倒事が重なって初日は参加できなかったけれど、泥まみれになってはしゃいだ。
一人大怪我をした少女がいたけれど、彼女も最後には笑っていた。
楽しかったと、心の底から偽りなしに思う。
その日々はもう戻ってこない。
永久に。
けれど、一時の泡沫に過ぎない幻想だったとしても――決して忘れる事のない日々。
79:
彼と共に過ごした瞬間。
それは間違いなく青春だった。
だから、と土御門は思う。
きっとそれを聞くのが自分の役割だ。
他の誰にもこの役は譲れない。
彼の、そして彼女の友人である自分だけの役割。
誰もが真実を知りながらそれを隠してきた。
土御門元春は二人の秘密に半ば気付きながらも黙殺した。
上条当麻は虚構のクラスメイトの仮面の下に隠された本当の顔と声を。
そして記憶と精神を統べる彼女は自分の素顔と――彼の唯一の、そして最大の禁忌を。
誰もが日常を壊さぬようにと嘘をつき続けた。
目を瞑り耳を塞ぎ口を閉ざした振りをして形骸ばかりの友情を守ろうとした。
本当に嘘つきばかりの三人。
けれどその絆はきっと本物だったのだと信じたかった。
『……あのね』
そしてこれはきっと二人だけの秘密。
共に駆けた青春の最後の墓碑。
『……よかった、って、言ってたの。結局、自分が死ぬって瞬間に』
嘘で塗り固められた三人を繋ぐ――たった一つの道標。
『――俺の右手は一番大事なものを殺さずに済んだ、って』
「………………っは」
土御門は笑っていた。
心の底から可笑しかった。
「は、はは、はははは。やべえ、やべえよ。なんだそりゃ。
 流石カミやん。凄ぇよ。ぱねぇ。俺たちにできない事を平然とやってのける」
『そこにシビれるあこがれる、って?』
やっぱり馬鹿だった。
でもそれがきっと、最後の救い。
80:
『……でもさ、絶対カミやん怒るよね』
「ああ」
それは二重の意味で。
虚構の友諠に何か特別な意味があった訳でもない。
土御門も、そして彼も、利用価値は十分にある。けれど彼女はそれをしようとはしなかった。
ただ笑顔であの場にいたのだ。
だから彼女の望みはきっとあの世界。
ただただ平和で平凡な穏やかな日々。
友達と馬鹿をやって騒がしく過ごす日常。
それが失われた今、彼女があの場に残る意味はただの悔恨でしかない。
三角形の一角は永遠に失われた。決して揺らぐ事のない形だが頂点を失えば容易く崩れてしまう。
もうあの教室に二度と派手な色の髪をした少年は現れない。
彼女の事だ。きっと何かあった時のために時限式の仕掛けでもしているのだろう。
記憶は風化する。青髪ピアスの少年はいつの間にか忘れ去られてしまうだろう。
けれど彼女という存在そのものが無くなってしまう訳ではない。
亡霊のようなものだとしても、彼女は実体を持ってこの現実に生きている。
その亡霊が行き付く先は矢張り墓場だろう。
彼女は死ぬ。いずれ遠からぬ内に。
彼女が死ぬ理由など一つしか思い浮かばない。
「怒るだろうにゃー。もう大激怒間違いなしだぜぃ」
土御門もまたその尻馬に乗ろうとしている。
元からこういう真似は彼の十八番だ。利用し、利用される振りをして美味しいところだけを掠め取る。
そんな胸の内が明かせる相手など今や一人しかいないのだが。
だが二人が言っているのはそんな事ではない。
もう一つの意味。
上条当麻がきっと怒るだろうというそれは。
「――『馬鹿言ってんじゃねえよ。何最初から諦めてんだ。俺にできて俺のダチにできねえはずがねえだろ!』」
そう彼は言うはずだ。
『絶対言う』
彼女の守りたかった世界はもう亡くなってしまったけれど。
土御門のそれはまだ失われていない。
81:
「――ありがとう」
本当に電話越しでよかったと思う。
まさか面と向かってこんな言葉を吐ける筈がない。
自分の一番大切なものを彼女は守ろうとしてくれた。
彼女の大切なものはもう守れないのに。
でもきっとそれが彼女の友情なのだろう。
名も知らぬ友人。
その本当の名を訊くほど土御門も無粋ではない。
「……ところでさ」
だから代わりに一つ。これもまた無粋の極みと思うが幾らかましだろう。
即ち究極の命題。
「もしかしてオマエ、カミやんの事、好きだった?」
『…………ばーっか』
随分と意地の悪い問いだと土御門は自分の事ながら苦笑した。
『あんなぁ……ボクら、ダチやろ?』
「そうだにゃー」
本当に、心を隠すのだけは上手いから腹が立つ。
真相は彼女の心の中にだけ。
――――――――――――――――――――
93:
深夜の病院、自分の研究室で彼は凝った肩を回し一息ついていた。
一部若い看護士の間ではゲコ太先生などと呼ばれている初老の医師。
どこかカエルを思わせる容貌だが爬虫類的な冷たさは持っていない。
この頃流行のファンシーキャラクターの名で呼ばれる通りどこか愛嬌のある顔だった。
どこにでもいるような一介の医師だがその腕は半ば伝説となっている。
『冥土帰し』――いつしか彼はそう呼ばれていた。
あらゆる手段を模索し患者を死の淵から生還させる医師。
既に年若いとはお世辞にも言えぬものの彼の腕は衰えるどころかいまだ成長を続けている。
彼の武器は医療技術のみならず卓越した機械工学の知識と技術による総合医学。
あくまで人の技術のみを用いてあらゆる傷と病を治療する彼は異能の街である学園都市の中では極めて珍しいといえるだろう。
能力開発も科学技術の一環ではあるが異能の力である事には変わりない。  ゴッドハンド
異能に頼らずあくまで人の持つ知識と技術のみを武器に死神を撃退するその腕はまさに神の御手と呼ぶに相応しい。
ただ、そんな彼も寄せる年波には勝てないのか疲れた顔で椅子に腰掛け脱力している。
痒みを持つ目を閉じ指でやや強く押し深く溜め息を吐いた。
今日だけで何件の手術をこなしただろう。
完璧といえるその一つ一つはしっかりと脳裏に焼き付いているが数を数えるのはいつの頃か止めてしまった。
本来手術に掛かるだろう時間の数分の一、もしくは十数分の一という常識的には考えられないような早業を得意とするが、
連日連夜大手術の立て続けとあっては彼自身への負担を緩和するという意味はない。
もっともその分だけ患者一人ひとりの負担は減り、その時間の分だけより多くの患者を救えるという事なのだが……。
実質この病院は彼のお陰で保っているようなものだ。
腕の立つ医師はそれこそごまんといるが彼のような規格外ともなれば世界に数人もいないだろう。
この病院の看板は彼だ。大きな病院だがその実、ほとんど個人の開業医とあまり変わりない。
彼の手に掛からずともよい雑務や通常の技術でも可能な手術などは任せている。
が、患者のほとんどは彼でなくば対応できないような重症が大部分を占めている。
手足が吹き飛んだり重い心臓や脳の病気、末期癌などはまだ可愛い方だ。
治療法の糸口すら見えていないようないわゆる不治の病。
能力開発の副作用で起こる、あるいは起こされた難病奇病、人体汚染。
そして現代医学の範疇を超えたそれこそ呪いじみた異形の病。
果ては世界の倫理を逸脱した、考える事すら禁忌とされる代物まで。
94:
その治療を一手に引き受けているのだ。疲れるなという方が無理がある。
けれど休んでいる暇などないのが現状だ。患者は後から後からひっきりなしに病院の門戸を叩く。
休憩も治療を万全に行うための必要な事だとは思うが、そうとしか思えない辺りで既に肉体の限界を超えている。
彼はもう若くない。体力は衰え若い頃にはまだ楽だった徹夜ももうかなりの負担を発生させる。
それでも夜間に緊急の手術などが入れば出張らざるを得ない。彼が出なければ患者は死ぬ。
患者を一人でも多く救おうとした結果、彼自身が最も死に瀕しているのかもしれない。
持ち前の知識と技術を総動員して何とか繋ぎ止めてはいるが常人ならばとうに過労死している。
それでも彼は、一人でも多くの命を救おうと我が身を犠牲にして孤立無援の戦いに挑む。
他ならぬ自身の背後に死神が迫っている事を自覚しながらも無視し戦い続けるしかない。
自分が死んだ後どうなるのだろうと彼はふと思う事がある。
彼をしても死だけはどうしようもない。
終生の哲学でもある。治療とは死を撃退する事ではなく、生を全うするためのものだと認識している。
やがて来たる死を想起しながらも今この時を十分に生きる。
メメント・モリ……死を思え、と訳されるそれは医療の世界では欠かせない概念だ。
人は、生物はいつか必ず死ぬ。究極的に生とは死によって完結する。死ななければそれは生とは言えない。
限りなく死を遠ざけたところで必ず終わりはやってくる。それは彼とて同じだ。
だから、と思う。彼の死んだ後、未来に現れる患者は誰が救うのだろうと。
理想論はさておき現状としてこの病院の根幹は自分の手に係っている。これは確固とした事実としてだ。
他の医師たちがヤブとは言わない。むしろ極めて優秀だ。けれど客観的に見れば彼に劣るといわざるを得ない。
彼なら救える患者も、彼がいなくては救えない。
近頃初老のカエル顔の医師が憂えているのはその点だ。
95:
この状況を打開する方法は二つ。
一つは、彼に比肩する、あるいは凌駕する技量の持ち主が現れる事。
これは完全に運頼み。神の采配に期待するしかない。
だがもう一つは彼自身がどうにかできるものだ。
即ち後継。技術と知識を託す者の育成。既に候補はいる。
木山春生――若いながらも脳医学の分野で目覚しい活躍を見せる女医。
学園都市外部から招聘された医師だがこの街の特徴である能力開発の医療分野での意味について彼女ほど詳しい者も珍しい。
そして同時に、将来の能力者治療の可能性を秘めているAIM拡散力場の研究を専攻としている。
これほど条件に合致する適任者はそうそういない。だが――。
「…………」
木山を後継にするつもりはなかった。
彼女は医師であり、研究者であると同時に教師でもある。
そして彼女の天職はと訊かれれば木山をよく知る者ならば口を揃えて言うだろう。
先生と呼ばれる木山に付けられる敬称は彼のものとは違った側面を持つ。
彼女の才能は正直なところ惜しいと思う……が無理にと頼み込むなどできるはずもなく、またそうする自分を誰よりも許せない。
だがもう一つ、こちらは半ば博打だが心当たりがあった。
彼の他者が真似することすら不可能なほどの特殊な技術と知識を残らず全て継承できるだろう稀有な存在が一人だけいる。
学園都市最強の能力者にして最高の頭脳を持つ少年。
彼ならば間違いなく自分の全てを引き継げる。どころか、新たに発展させ医療技術を革新させる可能性すら十分にある。
専門でないにも関わらず医学にも造詣が深い。能力者の少年だが、彼はその能力を使って自身の健康を維持していた。
身体的に、特に脳に大きなハンデを負わされた少年だがその点は既に自分が解決済みだ。
彼は自分の医療全てに足る力を持つ。その上まだ若い。これほどの逸材が転がり込んでくるあたり神の見えざる手をつい夢想してしまう。
そして彼と密接な関係を持つ彼女たち……同じ顔をした一万に近い数の少女たちが後援できる。
世界中に散らばった彼女たちはお互いの間に特殊なネットワークを形成する能力を持つ。
知識や経験、思考すらも同調させるそれは距離という絶対の壁をも凌駕する事ができる。
彼と、そして彼女たちによる大規模な医療ネットワーク。
初老の医師は年甲斐もなく少年のような野望に燃えているといってもよかった。
もっとも……最初の一歩、彼と彼女たちを口説き落とすのが最大の難関なのだが。
96:
同僚の看護士一同から誕生日にと贈られたものの一つ、デフォルメされたカエルの描かれたマグカップに口を付ける。
コーヒーではない。中身は白湯だ。これからしばらく仮眠を取るつもりだというのにカフェインなど摂取できない。
ポットの中身をそのまま注いだそれは思った以上に熱かったが、疲れた体に十分に染み渡ってくれる。
本当は塩を一つまみでも入れたほうがいいのだろうが生憎と手近なところに調味料の類はない。
一度治療用の生理食塩水を飲んでいたところを見つかって医療品を勝手に消費するなと婦長にしこたま怒られた事がある。
「……さてと」
首と肩、腰の関節をぐりぐりと回し解した後、彼は仮眠室に向かおうと重い腰を上げた。
その時だった。
こん、こん、と。二回。
控えめに部屋の戸がノックされる。
「……」
机の上のカエルのマスコットの腹部に描かれたデジタル表示は既に午前三時を過ぎている事を告げていた。
病院そのものは二十四時間不眠不休の態勢を取っている。
だがその活動の中心は矢張り日中だ。あえてこんな深夜に好んで活動する者もそういない。
緊急手術の要請なら机の上の内線電話が鳴り響くはずだ。
そういう事情を鑑みればさほど急用ではないか、もしくは――内密の事案か。
「誰だい?」
扉越しに立っているであろう相手に問い掛ける。
返ってきた言葉は思った通りの人物のものだった。
「ミサカです。正確に表現するならば検体番号一〇〇三二号です、とミサカはミサカのプロフィールを明らかにします」
「……入りなさい」
がちゃり、と戸が開かれ、暗い廊下を背後に現れたのは中学生くらいの少女だった。
とある少年に御坂妹と呼ばれる人造の少女……カエル顔の医者の患者の一人がそこに立っていた。
97:
「こんな時間に何の用かな。それに夜更かしは美容の天敵だね?」
意図的に普段と変わらぬ様子で彼は対応する。
同僚なら別だが彼女は自分の患者だ。疲れを見せてはいけない。不安へと繋がる。
そして彼女も、普段と同じように。
その顔には感情が希薄だった。
近頃になってようやく自我らしきものが見えてきた少女だ。
知識はあっても経験が圧倒的に不足している彼女たちには感情の多くがまだ未発達だった。
だがいつもに増して表情が乏しい。
こと患者を見る目だけはあると自負している。
細かな仕草、様子、表情の変化から患者の内面を診るのは医師の役割だ。
だから彼は瞬間的に『何かがあった』のだと察知した。
もっとも具体的にそれを測る超能力じみた読心術など持ち合わせていない彼にはそれが何なのかこの時点では知りようがないのだが。
「……まぁ立っていても仕方ないね? 掛けなさい。それで、どうしたのかな?」
だから単刀直入に核心について切り込む。
他の患者に対してはもう少しゆっくりと時間を掛けて臨むのだが彼女たちは別格だった。
何せ抱えている事情が事情。そしてその点においては格別の信頼を勝ち取っていると自負している。
彼女たちが深刻な事態に直面したというのならその生い立ちや身体の特徴、そして固有の能力について以外にありえないだろう。
故に今この時ばかりは遠慮は必要ない。そう思っていたのだが。
「……用があるのはミサカではありません、とミサカは仲介役である事を示します」
その言葉に一瞬眉を顰める。
こんな時間に、それも彼女を介して現れる人物など限られている。
先ほど考えた白髪の少年か。
それとも、黒いツンツンした髪の特徴的な特異な能力と事情を持った少年か。
そのどちらでもなかった。
一度室内に入り、そして彼女は戸の前から逸れるように壁に一歩寄り。
「こんばんは、センセ。夜中に押しかけてごめんなさいね」
暗がりから顔を出した二人目の来客は、先に現れた少女と同じ顔をしていた。
99:
御坂美琴。
電磁系能力者の頂点に立つ七人の超能力者の一角、序列第三位、『超電磁砲』。
そして彼女と同じ顔をしたクローンの少女達、妹達のDNAの元となった少女。
何度か面識はある。彼女もまた幾つかの暗い事情を抱えている。
病院以外でも電気工学などの分野での学会では何度か見かけた。
御坂はクローンの少女と同じく、常盤台中学のブレザー姿のまま、奇妙な事にその上から男子学生用の学ランを羽織っていた。
そして肩から……これから釣りにでも行こうというのか、大きなクーラーボックスを提げている。
随分と珍妙な格好だった。
そしてこの時間もだ。何か重大な問題が発生した事は間違いない。
「えっとね、ちょっと確認とお願いに来たんだけど」
彼がそれを問い質すよりも先に御坂の方から切り出した。
「この子達の、妹達のクローンプラントってあったじゃない。あれ、どうなってる?」
……矢張り、と彼は思う。
彼女がこんな時間に尋ねてくる理由など他に考えられなかった。
彼女達の抱えた問題は未だ全てが解決されたとは言い難い。
新たに何か問題が発覚したとしても今さら驚くような事ではない。
ただやかに障害となるもの……彼にして言えば病巣を治療するまでだ。
ただ、老いを感じさせぬ内面の素早い思考を表に出さぬまま彼は御坂の問いに答える。
「うん。間違いなく全部壊したね? 後でまた何か妙な事に使われても困るからね?
 丸ごと爆破なんて荒っぽい真似ができればそっちの方がいいんだろうけど、復旧は無理なくらいに壊しておいたから心配いらないだろうね?」
100:
彼の答えに御坂は。
「そっかー。やっぱりそうよね。その辺は信用してるからそうだろうとは思ってたんだろうけど」
にこにこと、笑顔のまま頷く。
「じゃあやっぱり無理かー。困ったわね」
「……何だって?」
困る、と彼女は言う。
あの負の遺産が使用不可能な事で何か不都合があると言う。
「君はまさか……あれを使おうとしていたのかい」
「うん」
笑顔のまま御坂は即答する。
カエル顔の医者はこの時になってようやく彼女の異常性に気付いた。
彼女にとっては悪夢の傷痕でしかないものについて平然と、それも笑顔で語る。
挙句の果てにそれを彼女自身が再び動かそうと言う。
どのような事情があるのかはさて置き、絶対にあり得ない事だった。
御坂美琴はそんな真似ができるような少女ではない。まして嬉々としてそれを使うなどとは決して言えぬ。
まるで彼女の顔をした誰か別の人物であるかのような印象。
いや、雰囲気は確かに御坂美琴のものだが――その行動原理の基礎部分が限りなく本人のものとはかけ離れている。
「まぁ実際、最初からそんな事考えてないんだけどさ。知識とか記憶とか人格とか何もないところから生成するのは無理だし。
 あ、でもアイツ使えばなんとかなりそうな気もするけど、やっぱり別物よね。だからこの手は最初から使えないんだけど、一応の確認」
最初から返事も理解も期待していない言葉を御坂は独り言のように吐く。
けれどその意味するところ、根本の部分を察せぬほど彼は愚かではなかった。
「まさか君は――」
背筋を冷たいものが走る。
見えない死神の気配が知れたような錯覚を覚え、彼は絶句した。
そして続く言葉は彼の予想のままだった。
「魔法でもない限り無理よね。死んだ人を生き返らせるなんて」
101:
「――君は何を考えている――っ!」
思わず腰を上げ彼は御坂に怒声を放った。
それは治療の、医学の――人としての域を完全に逸脱した行いだ。
クローンなどという技術すらも霞んで見えるほどの最悪の禁忌。
人が人であるために絶対に犯してはならない最後の砦だった。
「例えどんな事があったとしてもそれだけは絶対にやってはいけない!
 医学は死を否定するためのものじゃない! 生を肯定するためのものだ!
 死人を生き返らせるなんて、それは神の領域だ!」
「うん、だからそもそも、私達ってそういうもんじゃん?」
激昂する彼に、御坂は平然とそう返した。
「――――――」
「神ならぬ身にて天上の意思に辿り着くもの、でしょ? 今さら何言ってるの?」
そう、この街は神に歯向かうために作られた悪逆の都市。
人の身でありながら人知を超えようとする異端の集団。
この学園都市というものの根本はそれだ。だが――。
人の身に余る力は必ず破滅を招く。
バベルの塔は崩壊し、パエトーンは太陽に焼かれ、イカロスは天から墜ちた。
あれは何も神話だけの話ではない。身の程を弁えず得意になった愚者は必ず報いを受けるのだ。
彼はこの学園都市にありながら、誰よりもその超科学に深い造詣を持ちながらその理念に真っ向から反発していた。
死を否定する事はそれまでの生を否定する事にもなる。
その人がどのように生き、どのように死んだのか。全ての意味を無にする所業だ。
102:
彼女がこんな事を言うなど考えられなかった。
そして、何があったのか、とは考えるまでもない。
彼女の心を壊すほどの誰かが死んだ。
御坂のプライベートについては詳しく知らない。
だが間違いなく掛け替えのない人物。家族か、親友か、恋人か。そのどれかだろう。
しかし今はそれが誰なのかはさほど重要ではない。
なまじ強い力を持っている彼女だ。何をするか分からない。
倫理観すらも怪しい状態だ。下手を打つ前に捕まえておかなければならない。
思わず大声を出してしまった事を悔やみながらも彼は腰を下ろし椅子に深く腰掛けた。
思考を表情には出さず、落ち着いた口調で彼は平静を装い御坂に語りかける。
「君は気付いていないかもしれないが……少し厄介な病気に罹っているようだね?」
「んー、自覚はしてるんだけど。実感があんまりないっていうか」
自覚がある。ますます性質が悪い。
だが。
「なら話が早いね? 治療をしよう」
カエル顔の医者は頷きスリープ状態になっていたコンピュータを起動させる。
そして電子カルテを作成しようとソフトウェアを立ち上げ。
「――いや」
予想外のその言葉に動きを止めた。
103:
「当麻がね、助けてくれたの」
そして彼女の言葉にあったその名に戦慄した。
「今の私はね当麻がいたからいるの」
それは彼のよく知る少年だった。
特殊な手と不幸な事情を抱えた少年。
死んだのは、上条当麻。
「だからそれをどうにかするなんて、出来るはずないでしょ?」
彼女はどこか嬉しそうにそんな事を言う。
彼の死を何より尊重する一方で、彼の死を否定したいと彼女は言う。
矛盾する言葉。だからこそ彼女は最悪の病に侵されていると言えるのだろうが。
『冥土帰し』のその手を以ってしても治療不可能な、最悪の病魔。
人が人であるが故に生まれてしまった史上最悪の感染症。
――恋の病。
「だから、この心を否定するなんて誰にもさせない」
たとえそれがカミサマでも。
そう彼女は誇らしげに言うのだった。
104:
けれど、と彼は思う。
どれほどの難病奇病であろうとも病を前にして退く事は許されない。
何故なら。
「……それでも僕は医者だからね? 患者を前にして指を咥えてるなんてできない」
それが彼の矜持であり唯一無二の誇りだ。
今まで数え切れないほどの患者を救ってきたその手だけは何よりも信頼している。
たとえ相手が難攻不落の要塞だろうと切開し病巣を打破する事ができると信じている。
今、最悪の敵を前にしてもその信仰が揺らぐ事は決してない。
「君は明らかに異常だよ? それは君も分かっているね?
 とりあえずカウンセリングをしよう。そこに座ってくれるね? その荷物を降ろして――」
そう彼が横手にあるパイプ椅子を視線で指し。
彼女の提げていた重そうなクーラーボックスを手を伸ばし示し。
それが彼の失敗だった。
「――――触るなぁっ!!」
怒声と共に、ばちん、と小さく紫電が舞った。
105:
ぶつん、と机の上のコンピュータの動きが止まり画面がブラックアウトする。
咄嗟に御坂の起こした電撃は宙を走り机に突き刺さる。
金属製のその枠組みを伝達し本体へと流れた予期せぬ電流に瞬時に機能停止に陥った。
「……あ、ごめんねセンセ。びっくりさせちゃった?」
直前のそれが嘘のように、御坂は悪戯がばれた子供がそれを誤魔化すような笑顔を初老の医師に向けた。
「これはだーめ。センセが協力してくれるならまだいいけど、そうじゃないなら絶対に触らせないわよ。
 あ、そこのとこ確認するの忘れてたわね。念のため聞くけど、私に協力してくれたり、しないわよね?」
にこにことそう尋ねる御坂の表情はいつもの朗らかなものだ。
だがその笑顔の裏にある混沌としたものを隠せるほどのものではない。
まるであえてそういう仮面を付けているかのような、どこか無機質めいたものだった。
………………幾ら待っても彼女の問いに対する返事が無い。
「……?」
可愛らしく小首を傾げ、御坂はそっと初老の医師に近付く。
椅子に深く腰掛け、左手は机の上に、右手は肘掛けに乗せたまま。
無言で俯いている彼へ。
すぐ傍まで近付いて、暫く何の反応もない事を不思議に思い、彼の顔を覗き見る。
そうしてまた暫くの間、彼の様子を観察して。
それから彼女は少し驚いたように小さく呟いた。
「あ、死んでる」
106:
彼の左手はその机に触れている。
御坂が突発的に起こした小さな雷は机に落ち、そこに据えられていたコンピュータの機能を殺した。
基盤を破壊しない程度。彼女の能力からしてみれば至極弱いものだった。
だがそれは机に触れていた彼の手から体内に侵入した。
火傷すら起こさぬような小さなものだ。
けれど御坂の電撃は血液の流れに乗りその果て、心臓へと辿り着く。
例えどれほど弱いものだとしても老いに疲弊し切ったその心臓には致命的だった。
「…………ま、いっか」
半ば投げ遣りに呟き体を起こす。
このまま何もなければ突発性の心筋梗塞と、そう判断されるだろう。
足が付いてはこの後の諸々に影響する。
殺人の容疑者として手配されては、捕まる事もないだろうが邪魔になる。
瞬時に隠蔽へと冷静に思考を切り替え、何か証拠はないかと見回して。
「…………」
戸の脇に立つ自分と同じ顔をした少女と目が合った。
機械めいた無表情のまま、微動だにせず立つ少女。
『彼』に自分の妹と呼ばれていたとしても一部始終の目撃者には違いない。
「ね。アンタも私の邪魔する?」
そう御坂は笑顔で尋ねた。
108:
「…………いえ、とミサカは否定の答えを返します」
機械的に彼女は口だけを動かす。
「あの方の行いが今のこの状況を生み出したのだとすれば、ミサカはそれを甘受します、とミサカは結果ではなく原因に判断を委託します。
 あの方がお姉様を助け――いえ、死なせなかったのだとすれば。
 あの方はその後のお姉様の生、行いを肯定したものと認識します、とミサカは半ばこじつけな事を自覚しながらもその解に妥協します」
妥協、と彼女は言う。自分でもどこか腑に落ちない点はあるがそれで納得すると。
そして判断材料を他者の行動を肯定する事に求める。
それは彼女自身の答えではない。他者に依存し、自らの解を持たないのだとすればそこに彼女の思いはない。
ただ、そうするだけの理由が彼女にはあった。
「ミサカはお姉様のクローンですから。その現場に居合わせ、当事者だったお姉様ほどではないにしろ、同じようになっているかと」
「つまり?」
「中途半端の欠陥品は嫌ですね。お姉様には遠く及びませんが、ミサカもどこか壊れたようです、とミサカは下らない洒落を言ってみます」
彼女は面白くも何ともないという様子で肩を竦める。
この状況下、その仕草もまた明らかな異常だった。
「そしてその分、お姉様にない感情が芽生えたようです、とミサカは自己分析します」
「へえ。どんな?」
「あの方に愛されたというお姉様に対する嫉妬、これについては何も言うつもりはありませんが。むしろ祝福すらします」
「……ありがと?」
素直に喜べばいいのかと若干迷い、疑問形で御坂は答えた。
109:
「いえ。これはミサカの願いでもありましたから、とミサカは少し複雑な胸の内を明かします。
 ……そして、それともう一つ、とミサカは前置きします」
そこで今まで静止していた彼女は初めて動く。
ごく自然な動作で手を伸ばした。
彼女が背にしていた部屋の戸、その金属製のドアノブを掴む。
そして捻り、引いた。
僅かな金具の擦れる音と共に部屋の戸を開き――。
「――こちらも、妹を一人と居場所を一つ、それから大切な人を一人奪われましたので。
 お姉様が何か行動を起こすのでしたらお手伝いする所存です、とミサカは全会一致の採択を発表します」
そこには、部屋の中の二人と同じ顔をした少女が四人、静かに佇んでいた。
「どうか気にせず、お好きなように。
 ミサカはお姉様のために生き、お姉様のために死ぬよう作られたのですから、とミサカはミサカの存在意義をここに宣言します」
――――――――――――――――――――
121:
証拠の隠滅は妹達には慣れたものだった。
あらゆる手段と状況を想定した絶対能力者進化計画。
それはあらゆる事態を想定した殺人現場の隠蔽工作でもある。
元より実験下においてその死体処理は彼女達自身の手によって行われている。
現場に何一つ痕跡を残さず、少なくとも表向きの警察組織ではそこで何があったのかを理解する事もできない。
風紀委員は勿論、専門装備を持つ警備員や検死の技術を持つ医師であっても自然死と判定するだろう。
事後処理を彼女達に任せ御坂は病院を後にする。
窓から直接屋外に出、そのまま建材に組み込まれた鉄筋を磁力で足場としながら彼女は悠然と地上に降りる。
ただ一人、そんな彼女を待つ人物がいた。
タイルに舗装された地面に降り、病院の裏手から外へ出ようとした彼女の前に、植樹の裏の暗闇から人影が現れる。
彼女にはよく見知った顔だった。
カッターシャツに黒い学生ズボンの、黒いツンツンした髪の少年。
上条当麻――正確には彼の姿をした別人が。
彼は無言で、優しげな笑みを浮かべて御坂の正面に立つ。
対する御坂も、彼の姿を見つけ破顔した。
ぱぁっと天真爛漫な笑顔を浮かべ彼に駆け寄り、それから彼のすぐ目の前で立ち止まる。
それから笑顔のまま目を細め。
「――それ、何のつもりかな?」
返事を待たず、鋭い蹴りが彼の脇腹に突き刺さった。
123:
手加減の一切ない、暴力のままに任せた蹴り。
それは中学生の少女から放たれたものとは思えないほどの威力を持っていた。
その一撃を彼は回避も防御もせず甘んじて受け、そして踏み堪える。
確実な手応えがありながらも彼の笑顔は崩れぬまま。
「…………」
蹴りを放った姿勢のまま、御坂は暫く彼の表情を見た後、ふっと力を抜き蹴り抜いた足を戻す。
そしてどこか詰まらないといった風で溜め息を吐いた。
「アンタ、あれよね。前に海原君の格好してた奴」
「ええ。覚えていてくれましたか」
彼の顔、彼の声色でアステカの魔術師は御坂に微笑む。
「お久し振りです、御坂さん」
「当麻の顔でそんな風に私の事呼ばないで」
「これは失礼」
謝罪の言葉を述べるものの彼の顔は相変わらず薄く微笑んだまま。
仮面じみたその顔を一瞥し御坂は僅かに目を細める。
「で、何でアンタが当麻の格好してんの? 事と次第によっては殺すけど、言い訳はある?」
「そうですねぇ」
彼は少し困ったような、演技めいた表情を浮かべて御坂を見る。
「彼がいない事が露見すると色々と面倒な事になりそうでして」
「アンタが困ろうが私には知ったこっちゃないわよ」
「いえ、あなたもきっと困りますよ? 彼は――と言うより彼の手は、色々な方々がご執心ですから」
そう言った彼の視線は御坂が肩から提げたクーラーボックスへと注がれる。
正確にはその中身に。彼女が大事そうに抱えているそれが何なのか察せぬはずがなかった。
124:
「うーん。確かにそれはちょっと、困るわねえ」
「ええ。ですから一つ、ご相談に上がった次第です」
「うん?」
「一つ二つ、面倒事を頼まれてくれませんか?」
「何で私が」
「そう仰らず」
そう唇を尖らせる御坂に彼は変わらぬ笑みを向ける。
「多分あなたの考えている条件と一致するはずですから」
彼の言葉に御坂はぴくりと眉を動かす。
対し、彼の表情は微動だにしない。笑顔の仮面を貼り付けたまま。
「…………どうして私の考えてる事がアンタに分かるのよ」
『心理掌握』でもあるまいし、と小さく付け加える。
そんな御坂に彼は即答した。
「もし自分が同じ状況にあったらどうするか――自分なりに考えてみたまでです」
「ふーん」
さほどの興味もなさそうに適当な答えを返す御坂は、少し考えた後、彼には一瞥もくれず歩き出す。
「……で? アンタの描いてるプランってのはどういうのな訳?」
背中越しに言葉を投げる御坂に彼は満足げに頷き、後に続く。
「それはですね――」
125:
……なるほど、と御坂は思う。
確かにこれは彼女なりに考えていたものの条件に合致しているし、何より彼の協力は願ったりだ。
そのために引き受ける『面倒事』とやらも彼女にしてみれば容易い。そして確かに面倒ではある。
「……で」
ただ一つ解せないものがあった。
「どうしてアンタは、そうまでして私のメリットになるようにばっかり事を進めるの?」
「『彼』と、そう約束しましたので」
その言葉に御坂の足が止まり、一瞬送れて彼の足も止まる。
彼と『彼』、二人が交わした約束。それを御坂は知っている。
「これでは勝ち逃げされた気分なので……というのでは理由に足りませんか?」
背後から投げられる声に振り向かぬまま御坂は下唇を噛む。
それからはっと気付いて、口を薄く開いて、薄く歯型の付いた唇を口内に折り含んだ。
「ご満足頂けないようでしたらもう一つ」
そんな御坂の仕草を目にすることもなく彼は相変わらずの調子で続ける。
ざあ――と夜風が病院内に植えられた木枝を揺らし音を立てる。
「――――というのではどうでしょう」
「…………」
126:
彼の言葉に御坂は目を瞑り、暫く考えた後。
ふっと笑って再び歩き出した。
「でも私は」
背後に付き従う彼に一瞥もせぬまま御坂は言葉を投げ掛ける。
「当麻のものだからね?」
「それは重々承知の上」
「じゃ、いいわ。アンタの口車に乗ってあげる」
「ええ。ありがとうございます」
御坂の答えに彼は満足そうに頷き、今度こそ本当の意味で微笑んだ。
そして彼女と数歩の距離を保ったまま後に続く。
「あ、でも私にアンタのその顔、あんまり見せないでね?」
駐車場の監視カメラの死角を潜り、振り向かぬままに彼女は言う。
「飛びついてキスしたくなっちゃうから」
――――――――――――――――――――
129:
ベッドの中、白井は朦朧とした意識のまま未だ眠れずにいた。
時刻は四時過ぎ。
もう未明と言ってもいい時間帯だ。
部屋には白井一人きり。それが問題だった。
ルームメイトである上級生、御坂美琴は昨晩より帰宅していない。
連絡も取れぬまま一日が終わり、寮監から無断外泊の連帯責任と幾らかの清掃活動を言いつけられた。
彼女には稀にある事だ。しかしながら一言くらい連絡をくれてもいいのに、そうすれば多少なりとも言い訳の用意はできたのに……。
などと当初はぼやきながらトイレと食堂の清掃を適当に済ませ、他の寮生に遅れて部屋に戻った。
しかし日付が変わっても何一つ連絡がない事に不安を覚えた白井は何度目かの連絡を試みる。
もはや聞き慣れた音声ガイダンスに従い録音メッセージを残したのだが。
「…………」
暗い室内、もう一つのベッドへと視線を向ける。
いつもはそこに寝ているはずの少女の姿は未だない。
何か事件にでも巻き込まれたのだろうか。
とかく厄介事の多い街だ。彼女の性格からしても面倒な事態に遭遇すれば首を突っ込んでいてもおかしくない。
本人が思っている以上に有名人なのだから自重してくれと度々言っても聞き入れてくれる気配すらない。
先月起こった人工衛星の残骸に紛れた特殊な部品を巡る一連の事件でも彼女は白井を置いて一人で奔走していた。
それを察した白井は彼女とは別に事件を追い、その結果事態は一応の収束を迎えたのだが。
足を引っ張ったという自覚はある。兎にも角にも己の力量、そして思慮が足りなかった。
そこは悔やんでも悔やみきれないところではある。
しかし現在白井の胸中に蟠っている澱は別のものだった。
「……お姉様」
事件の最後、結果的に自分の尻拭いをしたのは御坂と、そしてもう一人。
何度となく彼女の口から話題に上り、街でも度々その姿を垣間見る少年。
そしてあの時、御坂と共に白井の前に現れた人物。
上条当麻という名の男子高校生。彼の存在。
130:
要するにこれは嫉妬なのだと白井は自答する。
御坂の抱えている闇の存在には薄々以上に気付いていた。
彼女との仲は客観的に見ても良好だと思う。先輩後輩、ルームメイトという事実を差し引いても。
ただ、だとしても白井が問うたところでその胸襟を開いてくれるかと考えると二の足を踏む。
夏休みに起こった木山春生という女性科学者を中心とする一連の事件とはまた別格。
あれも複雑で根の深いものだったが、表沙汰に出来るというその点だけで見ても遠く及ばないだろう。
恐らく御坂が関わっているものは学園都市の闇と言っていい。先のそれとは深度が桁違いだ。
そもそも木山を巡る事件も御坂の抱えたものの一端に過ぎない。
あれで氷山の一角。だとすれば海面下にある見えない部分は莫大なものだろう。
いかな『超電磁砲』であろうとも年齢的には中学生。明らかに荷が重過ぎる。
誰かが支えなければ押し潰されてしまうほどに。
白井はその役こそ己のものだと自負している。
けれど本当にそれに踏み込んでいいものか。
誰よりも敬愛する少女のためだ。闇に飛び込む事に躊躇はないが。
もしも拒絶されてしまったら――。
そんな事はないと否定する。が、ほんの微かに確信には及ばない。
疑心暗鬼に近いそれを自覚してしまえば最後の最後で踏み出せずにいた。
そう躊躇っていた挙句があの事件。結果はとんだ醜態だった。
二度とあんな無様な真似は見せられないと固く誓ったが、だからこそなおの事に足が竦んでしまう。
果たして自分は御坂の抱える闇へ飛び込むに足る人物だろうか。
でも。
「……あの方は……そうではないんですのね」
自分の他にそこに立つ者はないと思っていたのに。
彼の存在が重く圧し掛かる。
131:
今思えば、彼は自分よりもずっと前から彼女のそれに深く関わっていた気がした。
いや、もしかすると最初から。彼は『闇』そのものに関係しているのではないか。
考え出せば切りがない。
一度心の中に生まれた黒点はじわじわと染みを広げ思考を侵してゆく。
嫉妬せずにはいられない。もしも自分が彼の立場だったら。
言っても詮無いことだと分かっていても思わずにはいられない。
白井の思考は現実と仮定と幻想の間をぐるぐると巡り続ける。
睡魔がどろりと足を引き、ともすればバターのように溶けてしまいそう。
夢うつつの中で白井は漫然とした想いを抱えながらも、結局何もできずにいた。
そうして数時間。ようやく睡魔が彼女を眠りの淵に誘いかけた時だった。
小さな電子音が聞こえた。
頭まですっぽりと被った柔らかな布団の中、白井愛用の極小携帯電話が着信を告げる。
最低音量に設定して待機していた事が功を奏した。
バイブレーション設定だったら感覚の消えかけた体では反応しなかったかもしれない。
甲高い人工音は、白井の耳に冷や水を注ぐように突き刺さった。
ディスプレイ部に表示された発信者名は――『御坂美琴』。
白井の意識は瞬時に覚醒した。
そしてやや震える指先を抑え素早く耳に装着し手馴れた操作で通話ボタンを――押そうとして直前で静止する。
果たしてこの電話の相手は本当に彼女なのだろうか――?
そんな予感が白井の意識の底からゆらりと首をもたげた。
いや、そんなはずはない、と自分を叱咤する。
けれど悪い予感は完全には拭い去れない。
どこか不安を抱えながらも――結局、電話を取るしかないのだった。
ぷつ――と小さな音の後、回線が繋がった。
「も……もしもし……?」
小声で定型文を口にする。
そして返ってきた声は。
『あ、黒子ー? ごめんねー、寝てたー?』
聞き慣れた御坂美琴のものだった。
132:
その声に白井は安堵する。愚にも付かぬ下らない予感は外れた。
そもそも彼女以外があえて自分に電話を掛けてくるなどあり得ない。
白井は彼女の闇には関わっていないのだから――。
「――――」
また嫌な事を考える自分にいい加減腹が立ってくる。
そんな事で一々愚痴を吐く面倒な女であるつもりは毛頭ない。
意図的に思考を封じ、けれど電話の相手に悟られぬよう気を付けながら白井は小声で答える。
「いえ。けれどわたくしの事はお気になさらず。それよりもお姉様、こんな時間までどこに行ってらしたんですの?
 寮監様がお冠でしたのよ。それならそうと先に言ってくださればいいのに。わたくし粛々と掃除に勤しむ破目になりましたの」
『あー、ごめんごめん。ちょっとそっちまで頭回らなくてー』
電話越しの彼女の声に白井は眉を顰める。
彼女は比較的『逃げ』の上手い人物だ。要領が良いと言ってもいい。
常盤台というある種規律に縛られた学舎に在席しながらも他の生徒から見れば奔放と言わざるを得ない。
度々注意される事こそあれ、けれど明確に罰せられる事もなかった。
超能力者というその地位を鑑みても、彼女の知名度と常盤台というブランドの間に相殺される。
彼女は些か気侭過ぎるきらいがあるが、それでも未だその姿勢が重罰に処さられた事はない。
だから頭が回らないというその言葉は普段ならあり得ない事だった。
度々の無断外泊の尻拭いは自分がやってきた。その白井だからこそ彼女の今日の始末は不自然に感じる。
無断外泊の言い訳をルームメイトに頼む事を忘れる程度には頭が回らないほどの非常事態が起こっている。
ごくり、と無意識に空唾を飲み込む。
もしかすると今この瞬間こそが突破口かもしれなかった。
「……お姉様」
『何?』
「わたくし、お姉様の代わりに罰を受けましたの。額に汗しながら掃除をしてましたのよ。
 ですからお姉様が今日、何をしていたのか。知る権利があると思うのですがいかがでしょう?」
133:
『あー……でもなー。黒子、言ったら絶対怒りそうだからなー』
そうやってまた誤魔化す。気付かぬはずがないだろうに。
こうした遠回しな言い方では毎回のようにはぐらかされてしまうのか。
そう思って、いっそ単刀直入に切り込もうかと思案するが――。
『ま、いいか』
「っ……」
思いの外あっさりと彼女は引き下がった。
もしかすると今日の一件はただ連絡を入れ忘れただけなのか……?
そう思うが即座に否定する。あり得ない。……だがしかし。
意識ははっきりしているとはいえ白井の思考は眠気によって十分な機能を発揮できない。
結局、御坂の言葉まで答えを得られなかった。
『あのね――デートしてたの』
「………………は?」
それは白井の予想の遥か上を行く、考えもしなかった展開だった。
デート。Date。逢引。逢瀬。密会。
それは要するに。
「……でぇ、っ!? ……、デートってお姉様……!」
思わず大声を出しそうになって、慌てて声を潜めてマイクに囁き叫ぶ。
要するに、何だ。自分は彼女と、そして彼の、あの彼との逢引のせいで理不尽な罰を受けていたというのか。
「しかも朝帰りだなんてどういう事ですの……!」
『黒子のえっちー。アンタの思ってるような事はしてないわよー』
恥ずかしそうに答える彼女の声は電話越しに聞いても分かるほど、恋する乙女のものだった。
135:
「とにかくまぁ……そういう事ですのね? お相手はあの方で、晴れてお付き合いなされると」
『うん。そういう事になった、の……かな? ごめん、まだあんまり実感なくて』
「それはそれは……、……よかったですわね。おめでとうございます」
自分でも予想外の言葉がするりと口から出てきた。
それは御坂も同じだったようで。
『あれ? 怒らないの?』
などとどこか間の抜けた声を出すのだった。
溜め息を吐き、眉を押さえた。
彼を散々気が利かないだの何だのと喚き散らしていたくせにこういう事に関しては酷く鈍感だ。
「はぁ……今のお姉様を相手に怒れるはずがないでしょうに。
 黒子の大事な大事なお姉様を取られて嫉妬しないでもないですけれど」
これほど幸せそうな彼女に祝福以外の言葉が送れるだろうか。
それに他でもない、彼女が好きになった相手だ。
誰よりも彼女を信頼する自分だからこそそれに適う相手なのだろうと無理に納得する事にした。
「わたくし、そんなに安っぽい女じゃありませんから。お姉様が幸せならそれでいいんですの」
『幸せ……かぁ……』
白井の言葉を反芻するように御坂は小さく繰り返し。
『……よく分かんないや』
恥ずかしそうにそう返すのだった。
136:
「はいはい、ご馳走様ですのー。それで? お姉様今どちらに?」
『あ、寮の前』
「……つまりお姉様。門限破りどころかほぼ無断外泊の挙句、わたくしに連絡の一つも寄越さず、
 あまつさえ寝ているかもしれないわたくしを叩き起こして、その上締め出されているから迎えに来いと」
嫌味の一つでも言ってやらないと気が済まない。これくらい言っても罰は当たらないはずだ。
ベッドから抜け出しパジャマの上からガウンに袖を通す。外は寒いだろう。早く迎えに行ってやらねば。
『ううん。来ないで』
「――」
はた、と防寒の準備をする手が止まる。
それは余りに直接的な拒絶の言葉だった。
『私もう寮には戻らないから』
「っ……お姉様、それはどういう……!」
『文字通りの意味よ。もう私は、そっちには帰れないから』
「――――!」
その言葉だけで白井はおおよその事を察した。
珍しく一言もない無断外泊。一向に取れない連絡。
深夜だというのにメールで起きているのか確認もせず直接通話を投げた。
そして彼――上条当麻の存在。
帰れない、と彼女の言う『そっち』とは何を指すのか。
『ね、黒子。正直に、そのままの意味で答えて』
優しげな、ともすれば不思議な事にそのまま消えてしまうような錯覚すらする声色で御坂は尋ねる。
奇しくも白井が何度となく心の中で繰り返してきたものと同じ言葉を。
『アンタ、私のために死ねる?』
144:
御坂の言葉に白井は一瞬、思考が停止した。
体の動きも全て、呼吸も、ともすれば心臓の鼓動すら止まったよう。
意識の空白に彼女の声が流れ込む。
『アンタにこんな事言っちゃ駄目なんだって分かってるんだけどね』
それは毒のように麻薬のように白井の意識へと浸透してゆく。
どこか自嘲のように聞こえるそれは彼女なりの決意の表れれなのだろうか。
引き返す事は能わず、それは破滅への道をただ転がり続けるしかないようで。
先に待ち構えている奈落の淵へただひたすらに。
他ならぬ彼女の事は自分が一番良く知っている。
どんな絶望が待ち受けようとも彼女は決して立ち止まる事はない。
闇夜を切り裂き誰よりも鮮烈に輝く雷光こそ彼女の象徴。
一直線に駆け抜けるそれは誰にも止められない。
「お姉様――わたくしは――」
ならば、と白井は思う。
力不足は重々承知だ。彼女に肩を並べる事が出来るのはそれこそ彼くらいだろう。
悔しいがそれは認めざるを得ない。それを否定する事は彼女を否定する事にもなるのだから。
なればこそ、自分には自分なりの役割がある。
「わたくしは死ぬつもりなどありませんが、けれどお姉様を死なせなどしません」
クライマックスを引き受けるのは彼女と、そして彼だとして。
そこに至る道に集る有象無象などに邪魔立てする権利などない。
「――ありがとうございます、お姉様」
感謝の言葉を白井は告げる。
「黒子を頼って下さってありがとうございます」
せめてその往く道を切り開くのが己の役割だ。
白井の自称する露払いとは彼女のためにこそある。
彼女を待ち構える困難を討ち払い、その往く道を誰であれ邪魔などさせない。
145:
『黒子――』
「知りませんでした? 黒子はいつだってお姉様の味方なんですのよ」
決断は勢いよく背中を後押ししてくれる。
くすくすと笑いながらも手早く着ているものを脱ぎ捨て、いつもの着慣れた制服に袖を通す。
そして腿には慣れ親しんだ自分の相方。鈍色に輝く鉄矢のベルト。
彼女のそれのように愛を囁いてはくれないがその冷たい感触は気を引き締めてくれる。
自分にはこういう相手が似合いなのだろう。
「わたくしはいつだってお姉様のお傍にいたいと思ってましたの」
それからお気に入りのリボンを手に取り、髪を二つに結わえる。
必要なものは最小限。
財布だけをポケットに押し込み、カーテンの隙間から外、寮の横を走る道に着地点を確認。
「ですからお姉様、黒子は今きっと、幸せですの」
隣には立てないけれど。
共にいてほしいと彼女は言ってくれた。
それ以上を望むなどできはしなかった。
自分にはこれで十分。十分すぎるほど報われた。
きっとこの気持ちだけは彼にだって負けはしないから。
だからこの役だけは譲れない。
「そう黒子は思うのです」
少し泣いてしまいそうだけど。
電話越しでよかった、と白井は声には出さず呟いた。
146:
もしかするとこの部屋に帰る事は二度とないかもしれない。
郷愁の念に駆られながらも白井は即座にその思いを切って捨て、必要な演算式を組み上げる。
彼女の持つ異能の才、『空間移動』の翼を広げ、彼女の待つ夜の街へと――。
『――でもね、黒子』
――ぶつっ、と一瞬、耳に装着した携帯電話の回線が切れノイズが混ざる。
視界が瞬時に転換し、見慣れた寮の自室から閑静な夜の町並みへと切り替わる。
数センチの落下の衝撃を殺し着地。
そして顔を上げれば――そこには彼女が独り、立っていた。
自分と同じ制服の上から黒の学ランを羽織り、耳には携帯電話を押し当てたまま。
表れた白井に御坂は優しく微笑んだ。
そんな彼女に笑顔を返そうとして。
「アンタ、ちょっと勘違いしてる気がするんだけどさ」
どうしてだかできなかった。
おかしいな、と白井は思う。ここで笑顔を返せぬほど無愛想なつもりはない。
けれどどうしてだか躊躇われる。その理由は分からない。
でもあえて言うなら――こんな事は言いたくないけれど――。
まるでそこに立っているのが御坂美琴ではないような気がして――。
普段の彼女なら白井の些細な変化に気付いただろう。
しかし彼女はそんな事には一切頓着せず、笑顔のまま、白井にその言葉を告げた。
「――アンタさ、私のために人が殺せる?」
そんな、彼女の口から決して出るはずのないモノに白井の表情は凍り付いた。
147:
何もかもがおかしかった。
全てが何かずれていて、騙し絵を見ている気分。
帰りが遅いのも。連絡がこないのも。夜中に突然掛かってくる電話も。
だというのに嬉しそうに恋人の事を話す彼女も。もう帰れないというその言葉も。
そもそも御坂美琴という自分の敬愛する少女は冗談だって誰かに死んでくれなどと言うはずがない。
それも笑顔で平然と告げるなど、絶対にあり得ない。
ならば――目の前の彼女はいったい誰だ――?
御坂美琴。何よりも直感がそう告げている。なのに頭の中の嫌な気配を消せずにいる。
否定と肯定、相反する二つが交差し鬩ぎ合う。お互いが正しいと主張して譲らない。
何故だか白井はそのどちらもが正しいと理解していた。そんな事は決してあり得ないのに。
まるで悪夢の中にいるよう。
彼女を待っている間にいつしか寝てしまったのか。
「ほら、やっぱり」
向けられた笑顔は変わらず、その端に僅かに寂しそうな色を浮かべて御坂は目を細めた。
失望と、諦念と、そして哀愁。それからほんの少しの安堵。
それはやっぱり白井の敬愛して已まない『お姉様』のもので。
「アンタはそういうのできないでしょ」
その言葉が起爆剤となった。
「――――お姉様っ!」
どうして、と思う。
彼女は紛れもなく御坂美琴で、なのに彼女はそれを本気で言っている。
矛盾した事実。けれどこれは間違いなく現実だった。
だとすれば信じるべきはどこにあるか。決まっている。
自分の信じる御坂美琴とはいったい何者なのか。
「お姉様は、そんな事できないでしょう……? 殺さずに済む方法こそを考えるような、そんな方でしょう……!?」
148:
そう言う白井に彼女はまた、どこか悲しげな笑みを向けるのだった。
「黒子、アンタちょっと私を買い被り過ぎよ?」
「いいえ……! わたくしの知るお姉様はそういう方ですの……!」
ですから、と白井は願う。どうか、と白井は祈る。
こんな悪夢みたいな会話は終わりにしていつもの楽しい話をしましょうと白井は声に出せぬまま叫んだ。
「……そっか」
言葉に出来ぬ思いを感じ取ったのか、御坂は目を伏せ、提げたクーラーボックスの肩紐の位置を直した。
そして御坂は、白井を見て。
白井の知るいつもの笑顔を浮かべた。
「変な事言ってごめんね、黒子」
「お姉様……!」
「――――でもね」
……え?
その顔は、いつもの御坂美琴のもので。
何よりも好きだったその笑顔で。
「私もう、人殺しなんだ」
なのに彼女の口からはそんな冗談みたいな事が平然と告げられた。
149:
「言ったじゃない。もう帰るつもりはないって」
にこにこと、無邪気な笑顔で。
いつもの顔と、いつもの声色で、まるで呪いの言葉を吐くように続ける。
「だからこう聞いてるの。アンタは私のために人を殺せるか、って」
つまり、そういう事なのだ。
彼女は間違いなく御坂美琴で。
けれどそれは白井の知る彼女ではない。
      、 、 、 、 、 、
彼女はどうしようもなくそういうモノで。
大事なところがどうしようもなく壊れてしまっているのだ。
「お姉……様……?」
それが、現実。
どれほど悪夢のようでも紛れもない事実。
  あたま  こころ
けれど理性で理解しても本能がそれを拒んだ。
無駄な足掻きと分かっていてもそれを認められなかった。
白井の思考は停止寸前だった。
何か言わなければと思いつつも何も言えなかった。
そもそも頭が十全に働いていたとして何を言えばいいのか、言葉が思い付かない。
「無理よね。アンタいい子だもん」
「お姉様……っ!」
けれど何か言わなければ、と白井は彼女を示す呼び名を叫ぶ。
何を言えばいいのかは見当も付かない。しかしここで何も言わずにはいられない。
彼女の言っている事が本当だとしてもこれ以上その先に行かせては――。
「黒子。いい子だから、ね、お願い」
御坂は諭すように白井に微笑んだ。
「私を止めたりとか、考えないでね? 私はアンタを殺したくないから」
そんな最悪な言葉が白井の心に深く突き刺さった。
150:
「お願いよ黒子。邪魔しないでね」
何よりも好きだったその笑顔が。
ずっと見ていたいと思っていたその微笑みが。
毒に塗れた刃となって、深く、深く、心を抉る。
――もう無理だ。そう悟った。
白井も、そして彼女も。
これ以上の悪夢には耐えられないし。
このまま彼女を行かせてはいけない。
誰よりも敬愛していた御坂美琴をこれ以上闇に飲ませてはいけない。
けれどそこから引き摺り上げようにも白井の手は細過ぎた。
この時になってようやく己の不甲斐なさを真実悔やんだ。
余りに力不足だった。手を伸ばしても逆に引き込まれてしまう。
人を殺せるかと問われた。
きっと、殺せる。
誰よりも大切な彼女のために。
彼女自身を殺せると。
それほどまでに愛してしまっている事に気付いて泣きそうになる。
どこまでも最悪な世界だった。
幾ら祈っても天には通じず、この街に神などいるはずもない。
けれど愛するからこそ彼女を自分は殺せると、それだけが唯一の救いのようで、ほんの少しだけ嬉しかった。
なのに。
「――お願いよ、黒子」
手をスカートの内側、白井の意のままに感情もなく人を傷付けられる相方に手が触れる直前に聞こえたその言葉に白井は動きを止める。
それこそが致命的だと分かっているのに。
それでも彼女の声に白井は動きを止めてしまった。
「まだそう思えてるから」
その優しげな微笑みが白井にはどうしてなのか泣いているようにしか見えなかったから。
「私にアンタを殺させないで――」
151:
そこが白井の限界だった。
卑怯だ、と白井は思う。
自分にここまで決意をさせておきながらその言い草はあんまりだ。
壊れきっているように見えてその実、最後の最後で御坂は踏み止まってしまっていた。
きっと白井が何かしようとすれば躊躇なく殺害しただろう。
けれどそんなのは嫌だと言える程度には御坂は完全には壊れきれていなかった。
殺したくない、嫌だ、お願いだからと御坂は言う。
そんな彼女をまさか殺せるはずがなかった。
白井は目を瞑り天を仰ぐ。
この世に神などいはしない。
あるのはただ残酷な現実だけ。
だというのに御坂美琴という少女の事を愛おしく思ってしまった。
それが白井の敗因。
ああ――なんて最悪な世界――。
「お姉様――」
「何?」
「もう――帰れませんのね――」
「うん」
「そう――ですか」
嗚呼、と白井は息を吐き目を開いた。
空は暗く、星は見えない。ただただ漆黒の闇が広がっていた。
152:
視線を戻し、白井は再び御坂へと向き直る。
自分の顔は見えないけれど、きっと今、目の前の彼女と同じ顔をしている。
泣いてしまいそうだけれど無理に笑顔を作って、白井は御坂に尋ねた。
「デートは……楽しかったですか」
「うん」
「それはそれは……良かったですわね」
きっともう、その時には戻れない。
毎日毎日飽きるほど繰り返していた日常が余りにも遠い。
失って初めてその輝きに気付くというのは本当だった。
今ならまだ間に合うのだろうけれど、彼女を置いて一人で逃げ帰るなど出来るはずもなかった。
だからせめて、彼女の過ごした最後の日常を確かめるように。
他愛もないお喋りをするように白井は尋ねる。
「釣りにでも行かれたんですの?」
御坂が肩から提げるクーラーボックスに視線を遣り、白井は涙が零れそうになるのを必死で堪える。
「違うよ?」
「じゃあ――」
「あ、これ?」
脇に抱えるクーラーボックスに御坂は視線を向ける。
「――――――」
瞬間、何故だか恐ろしい気配が爪先から一気に這い上がってきた。
153:
「黒子にはちゃんと紹介しておいた方がいいかな――えへへ」
崩れるように微笑む彼女は膝を折りその上にクーラーボックスを大事そうに抱え丁寧に留め金を外す。
それから淵を指でなぞり、ゆっくりと蓋を開く。
――彼女のそれらは決して釣り上げた魚に向けるものではない。
あえて言うならそう――――。
「――――――私の彼氏」
「っ――――!!」
叫びそうになって寸前でなんとか声を殺せた。
その中にひらひらとした布に埋もれるように入っていたそれを見て、白井は己の直感が正しかった事を理解した。
彼女はもうどうしようもないほど壊れていて。
世界はもうどうしようもないくらいに最悪だ。
救いの神など現れる余地すらない。
何せ本来彼女にとってのその役を担うはずだろう少年は――。
154:
「当麻がね、助けてくれたの」
彼女は目を細め箱の中身を見詰め、愛しいその名を呼んだ。
「そしたらね、死んじゃった」
「お姉様――!」
もう限界だった。幾ら何でもあんまりだった。
彼女は相愛になれたその日に彼を奪われ。
彼がその身をとして助けた彼女は他ならぬ彼自身の所為で壊れてしまった。
そしてきっと、その事を彼女は他の誰よりも自覚している。
「お姉様――大丈夫です――」
白井は精一杯、自分でも上手く作れているか分からない笑顔を御坂に向け、震える足でゆっくりと近付く。
――やっぱりわたくし、あなたが大嫌いですの。
白井はもういない少年に心の中で呼び掛ける。
――わたくしが最後まで答えられなかったそれを――命を懸けて守るだなんて事を平気でやってしまうなんて。
けれど素直に凄いと思ってしまう。
彼はきっと何一つ躊躇う事なく死地へ飛び込んだのだろう。
その後どうなるかを考える事すらせず即座に決断して。
白井はゆっくりと膝を折り、御坂の抱えるそれごと彼女を抱き締めた。
「大丈夫です――お姉様はわたくしがお守りしますから」
――本当に最低な人。
彼の背は遠く、もう追いつく事はできない。
そして彼が遺した傷痕は余りに深く、余りに大きかった。
「ですからどうか――泣かないで下さい――」
何があっても。例え両手を血に染めても。
己の血華を散らせようとも。
    おもい       せいぎ
胸に秘めたその狂気に殉じる事こそがきっと白井にとっての信仰だった。
――――――――――――――――――――
168:
その日は朝から妙な空気が漂っていた。
人の口というものには戸が立てられぬもので、こういう閉鎖されたコミュニティでは噂は爆発的に広がる。
元より娯楽の少ない場だ。例えそれがゴシップの類でいけない事と分かってながらも口にせずにはいられない。
件の噂話が彼女、婚后光子の耳に届いたのはその蔓延度から見れば比較的遅い時期だった。
下手なプライドが邪魔をしているという自覚はあれど彼女は基本的に他人に対し居丈高な態度を取ってしまう。
認めたくない事実ではあるが婚后にとって友人と呼べる者は少ない。
そんな事もあって、婚后がそれを知ったのは午前の授業が終わった後、昼休みの事だ。
「白井さんがいなくなった?」
常盤台中学の構内に幾つかある小洒落たカフェテリア、学食も兼ねるそこで昼食のオープンサンドを抓んでいた婚后は眉を顰めた。
相手は一つ下、一年生の二人組。水泳部に所属する湾内絹保と泡浮万彬。前述の婚后の数少ない友人だった。
ほんの数分前、窓際の日当たりのいい席を陣取っていた婚后の横に揃いのランチプレートを手に現れた。
二人はどこか深刻そうな面持ちで昼食を一緒してもいいかと尋ね、婚后はそれに対し彼女には珍しく快く椅子を勧めた。
それから数分間、普段通りならば談笑でもしている場面だったが何故か二人は無言で黙々とフォークを動かし続けていた。
重苦しい雰囲気に痺れを切らした婚后がその訳を二人に尋ね、そして返ってきた言葉は、白井黒子の失踪という事件だった。
「はい。一年生の間ではかなり噂になってます。昨晩、消灯時間には寮にいたのに今朝の点呼の時には既に姿がなかったと」
ふわふわと柔らかそうな栗色の髪をした方、湾内は心なしか声を潜めてそう言った。
彼女の言う事が正しければ最早その行為に意味はないだろう。
常盤台の学生寮は複数あるが学年では区別されていない。同じ寮の中に一年生から三年生が暮らしている。
そして寮生全員の集まる朝の点呼に姿がなければその事実は寮生全員の知るところとなる。
婚后の耳に届かなかったのは彼女の人付き合いの悪さも一因としてあるが、学年が違うから話題性に欠けるという面があったからだろう。
クラスにも白井と同じ寮で暮らす生徒が何人もいる。彼女たちがそれを知らないはずがないのだ。
169:
「白井さんが、ねえ……空間移動能力者の姿が見えないからといっても別段可笑しくはないと思うのですけれど」
それに元からあの性格ですし、と婚后は付け加える。風紀委員きっての問題児は学内でも有名だった。
共通の友人……と呼んでもいいだろう。元から遠慮する気などさらさらないが、この二人が相手なら辛辣な事を言っても構わない。
「また面倒なトラブルを起こしてなければいいのですけれど。いつかのようにわたくしが出るような事になっては迷惑ですし。
 ……とまあ? たまにはそういう事でもないとわたくしの真の実力を披露する場がないのですけれど?」
歯に衣着せぬ物言いに一年生の二人は困ったような顔を見合わせる。
「……それが」
クラッシュアイスの見た目は綺麗だが今の時期暖かい飲み物の方がよかったか、などと思いながら婚后はストローに口を付ける。
そんな彼女に今度は泡浮がおずおずと切り出した。
「実は……昨晩から御坂様も寮にお戻りになられていないようで……」
「……何ですって?」
彼女の口から出てきた名前に婚后は眉を顰めた。
御坂美琴。常盤台の擁する二人の超能力者の片割れ。『超電磁砲』。
彼女もまた白井と同じく、お世辞にも品行方正とは言い難い。何かとメディアへの露出も多いにも関わらず。
常盤台の看板を背負っているのだからもう少し大人しくしていればいいのに、もう片方とは豪い違いですわね、と常々思ってはいるが。
御坂美琴と白井黒子。
二人の関係を一言で表すには婚后の語彙は余りに貧弱だったがその仲を知らぬ訳ではない。
故にこの二人が揃って行方を眩ますのはある意味では自然な流れだと言えよう。
だが同時に、だからこそ何か裏があると確信する。
婚后とて伊達や酔狂で大能力者を名乗っている訳ではない。
下手な性格が邪魔をしているがその実力は本物で、それは即ち相応の頭脳を持ち合わせているという事に他ならない。
もっとも、彼女でなくともいなくなった二人を少しでも知る者であればその発想に至る程度など造作もない事なのだろうが。
170:
「ああ、やっぱりご存知なかったんですのね」
「ちょっと? 今のはどちらが言いました。やっぱりってどういう事です」
思考に気を取られていた婚后が睨み付けると二人は揃って苦笑を返した。
「その……婚后様はこの手の話題はお好きではなさそうなので」
湾内はそう本気で言っているのか、それとも。
婚后には判断が付かず、曖昧な笑みを返すしかなかった。
婚后は御坂とは同学年だ。
クラスは違うにしろその行方が知れないともなれば少なからず噂になっているはずだ。
そもそも学年の違う二人が知っているのに婚后の耳に届かないという道理はない。
実際彼女のクラスメイト達は何やらこそこそと噂話に興じていたのは知っている。
ただ、その輪の中に入れなかったというだけで――。
「婚后様もご存知ないのですか……心配ですわ」
はあ……と二人は揃って溜め息を吐く。
「一体どうなされたんでしょうか。何か危険な事に巻き込まれていなければ好いのですけれど……」
「そう……ですわね」
少し躊躇いながらも同意する。
あの二人もまた婚后の数少ない友人だ――少なくとも婚后自身はそう思っている。
心配でないはずがない。婚后の知る限りでも何度も危険な目に遭っている。
今回もまたいつかのように、命すらも危うい状況にならないとも限らない。
もしそうなのだとしたら……伊達や見栄は抜きにして純粋に力になりたいと思う。
ただ、二人にそう面と向かって言えるかといえばまた別の話なのだが。
171:
「ねえねえ。ここ空いてる?」
突然横合いから掛けられた声に三人は揃ってそちらに振り返った。
「相席、いいかしら」
そこには小柄な少女が三人に柔らかく微笑んでいた。
緩いウェーブの描く長い金髪の、この街では比較的珍しい外国人の少女だ。
手にはトレーを抱えている。彼女も昼食だろう。そろそろ混雑してくる時間帯だ。
「ええどう……ぞ……」
泡浮が快く了承するよりも早く、返事を待たずに彼女はトレーをテーブルの上に置いて席に着く。
人に尋ねておきながら、と一瞬眉を顰めるが――。
「うっ――」
漂ってきた臭いに閉口した。
彼女の置いたトレーの上にはこのカフェテリアには似合いもしない――鯖味噌定食。
焼けた味噌の香ばしい匂いが周囲の空気を塗り替えた。
「いっただっきまーす」
そんな周りの事には委細構わず金髪の少女は行儀よく手を合わせ、それから猛烈な勢いで食べ始めた。
だというのに彼女は器用に箸を操り鯖の切り身を解してゆく。
「んぐ……あ。結局、私の事は気にしないで?」
そう彼女は言うのだが他の三人は揃って乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
176:
「あー、やっぱり権力ってのは行使するためにあるもんだわ。
 前にメニューに入れるように頼んでおいたのはいいけど、結局一回も食べてなかったのが勿体無かったって訳よ」
金髪の少女は何やらご満悦の様子で鯖をつつく。
「――それでさ。結局、何か面白そうな事話してたみたいだけど私にも教えてくれない?」
箸を止めず、視線も向けぬまま彼女はそんな事を言った。
「……」
だが答えるものはない。
沈黙が場を支配し、彼女の箸が食器に触れる小さな音だけが妙に煩く聞こえた。
その静寂を最初に破ったのは婚后だった。
「……ところであなた」
「んー? なーにー?」
「以前何処かでお会いしましたかしら」
……婚后の言葉に少女の箸が一瞬止まる。
けれど一瞬の無言の後。
彼女は不貞腐れたような顔を婚后に向けた。
「何それー。結局、私の事忘れちゃった訳?」
「え……?」
「それはちょっと酷いんじゃない? 私たち――」
177:
「――ともだちでしょ?」
182:
「――――」
  、 、 、 、 、
――思い出した。
「え、ええ……そうでした。わたくしとした事がつい」
ついうっかり、忘れていた。
この金髪の外国人の少女は自分の友人だった、と婚后は回想する。
学内でも珍しい外国人だ。こんなにも目立つ容姿なのにどうして今まで忘れていたのか不思議だ。
「それでー? アイツがどうしたって?」
「アイツ?」
「れーるがん。あと腰巾着」
ずずず、と音を立て味噌汁を飲む彼女は妙にシュールだ。
 、 、 、 、
なまじいかにもな外見の彼女がこうして純和食に舌鼓を打っている様子は中々に滑稽だ。
それこそ銀幕の中でフレンチでも食べていた方が似合いだろうに。……もっとも、そういうところも好感が持てるのだが。
「結局、もう噂になってんの?」
「ええ。学校中その話題で持ちきりで」
「ふーん」
自分で聞いておきながら彼女はあまり興味無さそうに、どこか空返事を返し味噌汁を飲み干した。
「――じゃあ結局、よかったって事かな」
「え……?」
「あ、こっちの話」
183:
彼女は空になった椀を重ね、ぱん、と音を立て手を合わせる。
「ごちそーさまでした」
「……食べるの早いですわね」
「結局、アンタ達が遅いだけなんじゃない? 早く食べた方がいいわよー」
トレーを抱えて彼女は立ち上がる。
それを合図とするかのように――微かな音が聞こえた。
各所に設置されている校内放送用スピーカーのスイッチが一斉に入り、無音のノイズを放ち始めた。
それから傾注を促す軽快な四音に続き、聞き覚えのある放送委員の声が響いた。
 『 生徒の皆さん こんにちは 常盤台中学 生徒会からの お知らせです
  昼休みの後 午後 一時 四十 五分より 臨時の 生徒総会を 開きます
  生徒の皆さんは 第一講堂に お集まり下さい
  また それに伴い 本日午後の授業は 中止となります
  繰り返します 午後 一時 四十 五分より ―― 』
「……だってさ?」
肩を竦める金髪の少女。
また妙なタイミングだと婚后は眉を顰める。
恐らく御坂に関する事だろう。彼女がどういう理由でいなくなったにせよ超能力者である事には変わりない。
このままではスキャンダルにもなりかねない。常盤台中学というブランドを維持するにはそれなりの対処が必要だろう。
だからこれはその事に関するもの。生徒の自治権など有って無いようなものだが生徒会が動く理由としては十分だ。
184:
「生徒会が……」
「やっぱりお二人の事でしょうか……」
一年生の二人も不安げに小さく呟く。
だが彼女、金髪の少女はそんな他の様子を面白そうに眺めているのだった。
「ほーらー。結局、アンタ達も早く食べないと遅刻するわよー」
「あ、ちょっと……!」
けらけらと笑いながらその場を去ろうとする彼女。
その背中を呼び止め――。
(あれ……?)
婚后は違和感を覚える。
何かがおかしい気がする。
上手く表現できないが、まるで世界が騙し絵になったようで、妙な具合に捩れているような。
そしてその捩れが何なのか分からない。何かがおかしいという事は分かっているのにどこが間違っているのかが分からない。
どうにも全てがちぐはぐで噛み合っていないような。
「何?」
「ええと……」
立ち止まり振り向いた彼女に何かと問われ、答えられずに婚后は視線を宙に泳がせた。
一体自分は彼女に何を尋ねようとしたのだろう。
そう暫く考えて――偶然にも婚后は最も正解に近い答えを導き出す。
「その……あなたのお名前、何でしたかしら」
185:
「私の、名前?」
彼女は一瞬怪訝な顔をする。
「結局、前に言わなかったっけ」
そして彼女は少し考えるような素振りをして。
何か悪戯めいたものを思いついた子供のような顔で笑った。
「鈴科百合子、よ」
……そういえばそんな名前だった気がする。
金髪碧眼の明らかに日本人ではない風貌なのにそんな純和風の名前が妙にちぐはぐで。
そんな余りに特徴的な外見と名前をそう簡単に忘れたりするはずがないのに――。
「……あら?」
気付けば彼女はいなくなっていた。
「婚后様。早く食べませんと総会に遅れますわよ」
「え、ええ。そうですわね……」
小首を傾げつつも婚后は食事を再開する。
御坂と白井の事は気掛かりだったが生徒総会に遅れる訳にはいかない。
ともあれ、生徒総会に出れば何か分かるだろう。その後の事はそれから考えればいい。
けれど頭では分かっていても感情の面ではそうはいかない。数少ない友人だ。二人の行方が何よりも気掛かりだった。
悶々と頭を悩ませていれば金髪の少女の事はいつの間にか忘れてしまっていた。
――――――――――――――――――――
188:
常盤台中学第一講堂。
敷地内に幾つかある大講堂の一つ、唯一全生徒を収容できるその大広間にはそのほぼ全員が集まっていた。
主な用途は入学式や卒業式だがそれ以外にも度々利用されるそこは生徒達にとっても印象深い。
緩い傾斜を持つ席の群れと高い天井はコンサートホールを兼ねる事を示している。
そんな場に行儀よく、学年、クラスごとに分かれて座っている生徒達の顔は皆どこか不安げだった。
臨時の生徒総会など前代未聞だ。少なくともこの場にいる三学年の学生らは経験した事がない。
常盤台中学の運営のほぼ全ては理事会が握っている。生徒自治などという綺麗事は名目上の飾りに過ぎない。
生徒会も理事会に回されない諸々の雑務を請け負う謂わば雑用係だ。
口には出されぬもののその事実は皆が知っている。だからこそこの臨時の生徒総会は何か妙な気配があった。
そんな彼女らの不安は他所に、午後一時四十五分。
時間通りに生徒総会が始まった。
照明がやや暗くなり開始の合図の代わりとなる。
それまでは幾らかざわついていた集まった生徒らもお喋りを止めた。
しん――と静寂が講堂に満ちる。
時間にして十秒ほどだろう。
場の静寂を割ったのは壇上に現れた人影の立てる足音だった。
こつ、こつ、こつ、と靴はゆっくりとしたリズムで乾いた音を奏でる。
そして中央に据えられた演台の前に立った人物の顔は、この場にいる全員が知っていた。
規則に厳しい常盤台の中では異例の、長い髪を綺麗な金色に染めた長身の少女。
彼女は演台に両手を突き、講堂全体をゆっくりと見回すと――とびきりの笑顔で目の前のマイクに向かい口を開く。
『えー、それではこれより――』
――常盤台中学生徒会長、三年、食蜂操祈。
常盤台の擁する二人の超能力者の片割れ、『心理掌握』と呼ばれる少女。
実際に目にする事こそ少ないもののこの場の全員がそう認識していた。
『臨時生徒総会を始めます』
189:
彼女の登場に生徒達の間では緊張が走る。
滅多に人前に姿を現さない常盤台最大派閥のトップ。
記憶や感情、およそ心と呼ばれるものを意のままに操る超能力者。
人は考える葦である――パスカルの言うように人の人たる所以は心にこそあるだろう。
他者のそれを自在に操る事のできる彼女を前にして緊張せぬ者はいない。
本人の与り知らぬところで己そのものが他人に勝手に弄られていたら――そう考えぬ者などいない。
『えー、本日皆さんに集まってもらったのは他でもありません。
 既に知っている方も多いでしょうが、二年生の御坂美琴さんが昨晩より寮に帰らず、連絡が取れない状態となっています』
そんな目の前の生徒らの内心すら見透かせるであろう彼女はそれを知ってか、また知らずにか。
生徒会長の少女は笑顔のままに口を開く。
『――まぁそんなどうでもいい名目は置いといて』
その一言にざわめきが起きる。
彼女の告げた名もまたこの場にいる全員が知っている。
常盤台の二人の超能力者の名を知らぬ者などこの場にはいない。
御坂美琴という二年生の少女がこの学び舎にとってどういう意味を持ち、またどれほど重要かなど、今この場で論ずる必要すらない。
しかし壇上に立つ少女は彼女の事をどうでもいいと一言に切り捨てた。
生徒達の動揺にすら気付かぬように彼女はずっと変わらぬ笑顔を客席、その内の何処とも取れぬ一点へと投げ続ける。
まるで周りが全く見えていないような――舞台に上がった役者のように、ただ決められた台本を読み上げるように彼女は己の役割を演じ続ける。
『まず最初に、生徒会長、食蜂よりご挨拶があります』
そう言って彼女は演台の前を退き、数歩下がる。
あたかもそこに見えない誰かが立っていて、彼女はそれに侍るような、そんな立ち位置。
その空席へと、この場の誰もが『食蜂操祈』であると認識していた少女に代わり、一人の少女が壇上へと向かう。
190:
座席の中央にある通路を悠然と、まるで王の行軍のように誰にも憚る事なく歩く。
彼女の纏う服は他と同じ常盤台中学のもの。
ただ一つ、明らかに違う点があるとすれば頭に乗せた帽子。
そして何よりも目を引くのは、その金の髪。
染められたものではない、生来に二親より授けられた自然の輝きを放つブロンド。
彼女の肌もまた磁器のように白く、明らかにこの国のものではない事を示している。
彼女は歩きながら何かのメロディを口ずさんでいた。
手がリズムに合わせて小さく振られ、指揮者のように拍子を刻む。
 「――Freude, schöner Götterfunken,
   Tochter aus Elysium
   Wir betreten feuertrunken.
   Himmlische, dein Heiligtum!」
椅子に座る生徒達の間を抜け、壇上へと繋がる短い階段を踏み。
彼女はその中央、演台の前へ。
 「――Deine Zauber binden wieder,
   Was die Mode streng geteilt;
   Alle Menschen werden Brüder,
   Wo dein sanfter Flügel weilt. 」
黄金の髪をした少女はゆっくりと演台に立ち、マイクを突く。
こつこつ、とくぐもった音がして、それに満足したように彼女は一度頷くと笑顔で口を開いた。
『はい皆さんこんにちはー。はじめまして、それともおひさしぶりー?
 えーと、ただいまご紹介に預かりました食蜂こと『心理掌握』でーす』
彼女の言葉にざわめきはより大きなものとなる。
こういう場において私語など唾棄すべきものだと教育されている彼女らにとってそれは異常な事とも言えただろう。
だが、それほどまでに彼女――真の『心理掌握』の登場は生徒らにとって衝撃的だった。
そんな喧騒を他所に彼女は反応を確かめるように客席をゆっくりと見回し、それから満足したように一度頷いた。
『えー、ではまず始めに、皆さんにお願いがありまーす』
こつこつ、と再び調子を確かめるようにマイクを指で叩き、そして。
191:
『――その場から動く事、外部と連絡を取る行い、発言、及び能力の使用を禁ずる』
194:
放たれた言葉はその場を凍り付かせるには充分なものだった。
彼女、『心理掌握』の言葉は強制力として場の全てを支配し、抗う事のできない絶対のものとなる。
ざわめきは途端に消え去り言葉のままに一言も発する事なく生徒達はその場から身動き一つ取れなくなった。
『はい、結局みんないい子ねー。
 ウケ狙いでこれから皆さんに殺し合って貰いまーすとか言おうかとも考えたんだけど、そういうのってあの子の持ちネタだし。
 ま、いいや。それじゃあみんなー。そのままちょーっと私のお話聞いてくれるかなー』
幼子を相手にするような道化めいた口調で彼女は続ける。
『えーっと、今日の本題はねー、そろそろ私も会長職引退しようかなーと思って。
 結局、そんな訳で簡易の会長選挙を行おうと思いまーす。
 勿論そんなのは建て前で、お察しの通りみんなを一ヶ所に集めるのが目的だったんだけど。
 欠席者はえーと、二十八名? 思ったより少ないわね。うんうん、みんな自己管理できてて偉いねー』
一方的に捲くし立てる彼女に口を出せる者などいない。
元よりこの場、今や常盤台の全生徒、全職員を集めた講堂を支配し掌握しているのは彼女だった。
『必要票数は満たしてるわね。今日欠席してる人たちには先に確認取っておいたから気にしなくていいわよ?
 じゃあ面倒な手順とか置いといて、信任投票にしようと思いまーす。
 まずこの議題、ここで簡易で通していいか――反対の方はご起立くださーい』
彼女の言葉に誰一人として動けない。
その場から立ち上がる事はおろか指一本すら動かせる者などいない。
『はい反対者ゼロ。それじゃこのまま信任投票に行きまーす。
 会長候補はえーと、じゃあ二年生の婚后光子さんでー。反対の方はご起立くださーい』
勿論その言葉も意図的なものだ。
彼女には全て承知の上。
誰一人として起立できないと分かった上で全てを一方的に進めている。
これはただの茶番劇。一から十まで決められた台本をなぞっているに過ぎない。
『反対はいないわねー? それじゃ新会長は婚后さんって事で。
 はい拍手ー。がんばってねー。結局、何もしなくていいんだけどさ』
ぱちぱち、と一人分の拍手が広いホールに響く。
当の本人がこの中の何処にいるかなどどうでもいい。
彼女は何も知らぬまま生徒会長という役を押し付けられ、知らぬまま卒業していくだろう。
実質的な生徒会長の不在。そこには大なり小なり様々な問題が発生するだろう。
だがそんな事はどうでもよかった。どうせ彼女の知り及ぶところではないのだから。
197:
『じゃあ今度こそ本題。御坂美琴さんの件でーす。
 結論から言うと、何にも心配いりませーん。結局、男とデートしてただけー。そんな奴心配するだけ無駄よねー。
 一年の白井黒子さんもなんか姿が見えないみたいだけどどうでもいいでーす』
消えた二人の片方をどうでもいい事と断じて彼女は笑う。
御坂美琴、『超電磁砲』。
名門と呼ばれる常盤台の名実共の広告塔の前ではいかな彼女でもその存在は霞んでしまうだろう。
暫くの間は御坂に噂が集中して白井の事はその影に隠れてしまう。
元より長い時間を掛けるつもりはない。数日か、精々十日余り。
学舎の園に外界から隔離され、その上全寮制という極端に偏った生活基盤を掌握すれば真相の発覚は遅れるだろう。
さらに幾つかの陽動を加えればこちらの動きを察知できる者もそういない。
『そんな訳で、みんなは気にせず普段通りに過ごしてねー。私からは以上でーす』
そう最初から最後まで一方的に言い、けれどすぐさま何かを思い出したように再びマイクに向かった。
『ごめんねー。結局、一つ言い忘れてたけど……』
彼女は一度言葉を切り、ゆっくりと場の全員を見回して。
それからとびきりの笑顔でこう尋ねた。
『みんなー、この話は誰から聞いたのかなー?』
 『――ともだちからききました』
返ってきた全員の唱和に彼女は今度こそ満足げに頷いた。
『それじゃ生徒総会は終わり。結局、お疲れ様でしたー』
199:
……、……。
「――あら?」
ざわつく講堂の中、婚后はふと我に返る。
いつの間にか少し居眠りをしてしまっていたようだった。昨夜は遅くまで起きていたつもりはないのに。
記憶が朧気だがまた長ったらしい校長の話でも聞いている内に眠ってしまったのだろう。
見回せば皆どこかしら呆とした表情で目を擦っている。
急に集められて、一体何事だったのだろうか。
しかし誰かに尋ねるにしてもまさか居眠りをしていたから聞いていませんでしたなどと言えるはずもない。
そのような『格好の悪い真似』ができる婚后ではなかった。
とまれ、周りの様子から見れば然程重要ではなさそうだが。
続々と席を立ち講堂を後にする生徒達はざわざわと、好き勝手にお喋りに興じている。
その話題は一つ残らず御坂美琴に関する事で――。
「…………はて」
何か忘れているような気がした。
それが何かは思い出せないのだが。
「うーん……」
席に座ったまま背もたれに体重を預け講堂の高い天井を見上げる。
眠気がまだ頭の中に靄を作っているようで思考がはっきりとしない。
そのまま夢と現の間にある水面を漂う浮遊感のような気分に少しの間浸っていた後。
「……まあ、いいでしょう」
思い出せぬのならばそれまでだ。どうせ益体もない事だろう。
婚后は席を立ち眠い目を擦ると教室へと戻る生徒の流れに加わった。
午後の授業は中止らしい。勉学に励むのが学生の本分だが予想外の休講は喜ぶのが世の常だ。
彼女には珍しく、久し振りに誰か、友人を誘って買い物にでも出かけようかと思い立ち誰に声を掛けようかという平和な悩みを抱えて教室へと向かう。
「御坂さんはいいですわねー……」
思わず口から零れた言葉にはっとなる。
誰かに聞かれてはいやしまいかと不自然にならない程度に辺りを見回し、誰とも目が合わなかった事に安堵した。
婚后もまた年頃の少女だ。色恋沙汰に興味がないと言えば嘘になる。
ただどうしても気恥ずかしくてその手の話をしている輪に混ざれないのだが――。
今度、彼女と二人きりで話す機会があれば少しだけその事について訊いてみようかと、そんな事を思いながら歩を進める。
すぐ横を追い越して行った綺麗な長い金髪には一瞬目を取られただけで、
彼女の頭の中はきっと恥ずかしがるだろう噂の少女からどうやって話を聞こうかという事で一杯だった。
――――――――――――――――――――
213:
常盤台中学第一講堂で生徒総会が行われていた頃。
講堂からは幾らか離れた場所、会議室では臨時の理事会が開かれていた。
理事は十名もいない。
彼らの経営方針は元より概ね一致していた。
こうして理事会を開くとなっても精々が二、三の打ち合わせ程度で他からしてみれば異常なほどに簡素なものだった。
舵取りをする船頭は多ければいいという話ではない。あれやこれやと好きに言い合ってその結果船が山に登ったではお粗末にも程がある。
それに策を弄し他者を陥れるような回りくどい真似をせずとも十分に富と名誉に溢れているような人々だったし、己の境遇に満足もしている。
だから本来、臨時の理事会などが行われるような事はなかった。
が、今回は話が別だ。
名門私立中学というブランド。豊富な資金援助と莫大な献金、そして学園都市の中でも群を抜いた学費によってその気風は維持されている。
その障害となるものは排除しなければならない。元来利益追求とはそういう類のものだ。
ブランドというものの武器であり敵であるものは風評。
実も勿論の事ではあるが、名が最大の武器なのは間違いない。
あれは素晴らしい。文句の付け様がない。ブランド名を出しただけで一目置かれる。そういう存在。
仮にその看板が失墜する事があればそれは破滅を意味する。
入学希望者は減り献金は滞り援助額も下がるだろう。煌びやかな校名を維持するにはそれだけで致命的だ。
だから今回の件、常盤台の二枚看板の片方、御坂美琴の失踪については早急に対応する必要があった。
彼女はアイドルだ。常盤台の名を維持するのに必要な超能力者という最高の看板女優。
もう片方、食蜂操祈と違うベクトルで彼女は表舞台で明るく華やかに踊るアイドルでなければならない。
彼ら理事会はそのために尽力してきたし、障害となるものはあらゆる手段で排除してきた。
勿論の事彼女自身の活躍もあるのだがそれは彼ら裏方によって支えられて出来たものだという事を忘れてはならない。
もっとも――裏の裏、真の闇たる部分までは彼らのような表の世界の人間が知ろう余地もないのだけれど。
そうして緊急の会合が催されたのだが。
部屋の中、理事会の面々は皆一様に無言だった。
それと言うのも無理はない。
彼らに突き付けられた歩兵用の軽機関銃の砲口が窓から差し込む真昼の陽光に鈍く輝いていた。
214:
突然部屋に乱入してきた少女達は皆同じ制服を纏っていた。
他でもないここ常盤台の制服。揃いのブレザーの胸には校章のあしらわれたワッペンが縫い付けられている。
その手には格好には不釣合いな無骨な銃器。言うまでもなく如何に人を殺害せしめるかを追及した殺人の兵器である。
      あたまのなかみ
「流石、理事の方々は賢明ですね。大事な商売道具をぶちまけたくなかったら動かないで下さい」
そう冷たく言うのは少女達の内の一人、他でもない今回の理事会での話の中心であった御坂美琴――としか思えない少女だった。
何故そのような回りくどい表現をせねばならないのか。理由は幾つかある。
御坂美琴という名の少女は間違いなくアイドルだった。
芸能人のような目を見張る宝石の輝きには及ばぬものの、彼女はいるだけで場がぱっと明るくなるような、花のような少女だった。
だがこちらに銃口を向けている彼女は――それと同じ外見、声色をしているが、決してそのような存在ではなかった。
言うなれば造花。生花の形だけを抽出して作られた無機質の模造品。それも芥子花だ。
姿形こそ美しいもののその真は内から滲み出る麻薬の質に他ならない。容姿だけは素晴らしいのにその性質は如実に気配として現れている。
刀剣の類と同様の気配かもしれない。美しいその流麗な姿と同居する禍々しさ。つまり彼女の本質は自身手に持っているそれと何ら変わりない。
そしてもう一つ。
先に述べたものも真実として受け入れがたいが――こちらはもっと、気配などという朧気なものではなく確固とした実体を持っていた。
部屋に乱入してきた少女、十六名。
その内、四名が同じ――御坂美琴の顔をしていた。
世界にはそっくり同じ容姿をした人間が三人いるという。
確かにそうだったとしよう。だが四人もいるという事はそうあるまい。
先の気配と合わせ、目の前の少女らが『御坂美琴』だとは信じられなかった。
最もあり得る可能性としては、他者の認識を操作改竄する能力、または外見を変質させる能力に因るもの。
つまりは成り済まし。確かにこの街にごまんといる学生――能力者の中にはそういう異能の才を開花させた者もいる。
だが何故、とここで思う。彼女、もしくは彼が御坂美琴ではなかったとして、だからといって姿を変える必要性など皆無なのだ。
御坂美琴という存在がこの場に欲しくば一人で足りる。わざわざ複数用意しては偽者ですと公言しているようなものだ。
姿を変えたいのであれば彼女の姿でなくても足りるし、彼女に罪を転嫁したいのならば前述の通り一人で十分。
それに全員が揃って同じ顔、または違う顔というならまだしも、内の数人だけが同じ顔というのも疑問に思う。
つまりこれは多分、特に意味などないのだ。
たまたま借りた姿が御坂美琴のものだったとか、何か理由があって御坂美琴の姿に化けたとかそういうものではない。
これこそが彼女達の素顔なのだ。
少なくとも『御坂美琴の顔をした人物』が四人。同時にこの場に存在していた。
215:
御坂美琴の姿をした一人がか細い少女のものだというのに片手で銃を構えたまま携帯電話をポケットから取り出し、短い操作でどこかに発信する。
「――こちら一〇〇三二号。鳥は鳥篭に、とミサカは短く手順を確認します」
それが符号なのだろう。鳥とは自分達の事で、鳥篭にとはこの場を制圧した事を意味する。
形ばかりのものではない、洗練された動きは間違いなく専門の訓練を詰んできた者のそれだ。
動きに乱れはなく、瞳の中に一点の曇りもなく、機械的にただ淡々と仕事をこなしてゆく。
実物を見た事がなくても容易に分かる――軍隊の動き。
一〇〇三二号と電話の相手に名乗った少女は少しの間通話口に耳を傾けていたが、
その後一言も発する事なく通話を切り、再び携帯電話をブレザーのポケットにしまった。
「それでは暫しの間お付き合いください。なおこちらには読心能力者がいます。どうか妙な動きはなさらぬよう、とミサカは事前勧告します」
彼女らが少女だけで構成された部隊という事にはそれだけの意味がある。
この街の子供達は皆、例外なく能力開発を受けている。ここ常盤台はその中でも選りすぐりの実力者の巣窟だ。
彼女らは一人残らず能力者。最低でも強能力者。中には大能力者もいるだろう。
軍隊において戦術的価値を持ち得るほどの強力な能力者。
それは謂わば、この場にいるのは十数人だというのに一個中隊、数百人規模の相手を前にしているようなものだ。
理事会の大人達――能力開発を受けていない平々凡々な普通の人間には太刀打ちできるはずもない。
加えて読心能力者の存在はこちらの動きは全て読まれているという事実を告げている。
助けを求めようともそれすら叶わず、彼らはこの狭い部屋に完全に閉じ込められていた。
ただ一人――この状況をどうにかできる者がいるとすれば。
「…………一つ、いいですか」
その人物もまた同じく異能の才、それもとびきりの才能を持つ者。
「どうぞ、とミサカは発言を許可します」
この場における指揮官なのだろう、一〇〇三二号と自らを指した少女に銃口を向けられたまま。
「あなたは、自分の知る……御坂美琴さんですか?」
理事長であり病気がちな祖父の代理としてこの場に出席していた海原光貴は彼女に困惑と嫌悪に揺れる渋面を向けた。
216:
正直なところ海原には、この場を武力制圧された事よりも彼女の方が重要だった。
御坂美琴という年齢的には一つ下の少女。
海原光貴は自分が彼女に恋心を抱いている事を正しく理解していた。
だからこそ、他のあらゆる事象を無視して第一に目の前の少女の容姿に目が行った。
こちらに銃口を向けているというそれは認めたくないが紛れもない事実で。
だからと言って現実から逃避するような思考は持ち合わせていない。
今この場にいるのも彼女のためだ。
孫と件の御坂美琴との面識を知っていた祖父に、昨晩就寝直前に彼女の行方を知らないかと聞かれた。
その瞬間海原は彼女の身に何かが起きた事を察知し、全力で事件の解決に奔走する事を決断した。
驚嘆すべきはその決断力と行動力。中学生のものではない。
だが彼も大能力者。有象無象の溢れる学園都市の中では超能力者七名は別格とすると最高位の能力者だ。
念動力という至極ありふれた、平々凡々な異能の才をそれほどまでに高めた彼は間違いなく屈指の実力者だった。
希少性と運用の難易度から価値を付与された、例えば空間移動能力などとは比べ物にならない。
単純に言ってしまえば、空間移動能力者は自分を移動させられるだけで大能力者と認定される。
凡百の才をその位置まで持っていく事にどれほどの努力と才能を要したことだろうか。
だからこそ彼は自分と同様の、ありふれた発電能力の才でもって頂点へと達した彼女に惹かれたのかもしれないが――。
「少なくともミサカはあなたと面識はありません、とミサカは問いに対し明確に解答します」
一人称をして『ミサカ』と名乗る少女は自分と面識がないという。
それはつまり――。
「あなたは、……あなた方は、御坂美琴さんではない……?」
「はい」
確認に対する短い肯定に海原はこのような状況に置かれているというのに安堵の念を禁じ得なかった。
そう、自分の知る御坂美琴という少女はこのような真似をするはずがない。
それこそ天地がひっくり返るなどという奇想天外な出来事が成されでもしない限りありえない。
しかしだとするならば彼女達は一体――。
海原の脳裏に浮かんだ疑問に、問いもしないのに彼女は答えた。
「ミサカは、御坂美琴のクローンです、とミサカは簡潔に事実を解答します」
それは彼女にしてみれば先の肯定に続く言葉だったのだろう。
だが海原の得た僅かばかりの安堵を打ち砕くには充分なものだった。
222:
「クロー……ン……」
それは人として踏み入れてはいけない禁断の領域。
万物の理に反す最悪の秘法。神の御業にこそ許される生命創造。
それが海原光貴の見た最初の闇。
学園都市という存在の深奥に隠されていた無謬の怪物だった。
「ご理解頂けましたら今度こそ、お静かに願います、とミサカはここであなたの頭を弾くのは不本意であると示します」
彼女は無機質めいた言葉で海原に突き付けた機関銃を軽く振りその存在を強調する。
これ以上の会話は不要、知る必要はない。目的は殺戮ではないが障害となるならば吝かではないと。
「待って下さい。もう一つ」
だが海原はそこで引き下がれるほど大人ではなかったし、何より想いを寄せている少女の名を出されてまで黙ってなどいられなかった。
「御坂さんは……あなた達の事を知っているんですか」
「はい」
返事は至極あっさりしたものだった。
     オリジナル
「そもそもミサカがここにいるのもお姉様の意思に因るものです、とミサカは補足します」
「御坂さんが……」
少女の言葉に嘘がないとすれば……彼女の言う御坂美琴と自分の知る御坂美琴は別人なのだろうか。
少なくとも海原の知る御坂美琴はこのような真似ができるはずもない。
だが――その言葉を決定的に裏付ける人物がこの場に現れる。
こんこん、と会議室の扉が叩かれ、返事も待たずに開かれた。
突然の事だったが部屋の中、銃を構えた少女達は誰一人として動こうとはしなかった。
それはつまりこの人物は予定内の来客で――。
「ごめんねーお待たせ。でも結局、時間通りかな?」
入ってきたのは長い金髪の、他と同じく常盤台の制服を着た少女と。
「…………あら、奇遇ですわね」
彼女に続く、小柄な少女。
髪を頭の両脇で二つに結った見覚えのある顔。
「御機嫌よう。ええと……海原さん、でしたっけ?」
どこか鬱々とした顔で白井黒子は海原に微笑んだ。
224:
一瞬、何がどうなっているのか分からなかった。
けれど考えてみればこの状況は至極当然で。
御坂美琴が事の中枢に関与しているのだとしたら。
白井黒子、他ならぬ彼女が関わっていないはずがないのだった。
「白井さん……どうして……」
だがどうしても解せない。
白井は中学一年生。まだ幼いと言ってもいい年齢の少女だ。
その上、風紀委員に席を持つ彼女がこんな犯罪行為――いや、テロにも等しい所業を行うなどどうしても納得がいかない。
「どうして、と申されましても」
白井は鬱陶しそうに肩に掛かった髪を払い、首を傾げた。
「まさかまさか、お姉様のためのものだという以外にあるとでも思っているんですの?」
「っ……!」
矢張り、彼女は予想通り――。
「結局、アンタ何か勘違いしてない?」
白井の脇に立っていた金髪の少女が、一体何が可笑しいのか、にやにやと猫のように笑う。
「アイツを盾に取られてとか、アンタが考えてるような簡単な話じゃない訳よ」
彼女の言葉に海原は愕然とする。
まさかこれは、思考を――。
「ええ、読んでるわよ? 先にそう言ったじゃん」
金髪の少女は柔らかく微笑み、それから両手を二度打ち鳴らす。
「はいはいごくろーさまー。結局もうアンタたちは帰っていいわよーお疲れ様ー」
その言葉は背後の少女達、銃器を構えた常盤台の生徒らに向けられたものだ。
彼女達はそのまま無言で、入ってきた時と同じように無駄のない動きで教室を後にする。
ぱたん、と小さく音を立て扉が閉まる。
後に残されたのは海原ら理事会の面々と、白井と金髪の少女。そして御坂美琴と同じ顔をした四人の少女。
225:
彼女ら能力者の部隊を帰したという事は、一つの事実を示している。
彼女達の仕事は終わった。もう用はない。
それが不要だというのならば、この目の前の少女は武装した能力者の集団以上の力を持っている。
あの一糸乱れぬ動きと機械的な表情はどこかSF映画にでも出てくるようなロボットを思わせる。
この場を単独で制圧できる者、かつ今までの状況、この場、彼女の外見から鑑みれば――。
「第五位……『心理掌握』……っ」
「ぴんぽーん大正解ー。アンタ、中々頭の回転は早いみたいね」
海原の唸るような声に超能力者の少女は拍手を送る。
「ふうん……へぇ」
ちりちりと脳の中に火花が散るような感覚。今まさに彼女の能力を受けているのだろう。
海原は不快感を隠そうともせず彼女を睨み付けるが、言葉を発することはできなかった。
思考を持つもの、他の獣の類は知らないが、自分が人という時点で既に彼女に敗北している。
彼女は精神と記憶を司る超能力者。海原がどれほど堅固な鎧を身に纏えたとしてもその能力に対しては全くの無力だ。
現に海原は少女達が銃を持って部屋に乱入してきた時から弾丸から身を守るように自身の能力で生成した力場の膜を纏っている。
が、それには一切干渉せずに彼女の能力は直接作用している。どのような仕組みに依るものかも分からず、海原にそれを防ぐ術はない。
そのような思考も彼女は全て承知の上なのだろう。先ほどからずっと含み笑いを絶やそうともしない。
ならば、と海原は開き直る。今さらどうこう足掻いても無駄な事だ。策も何もあったものではない。
こうして生きている以上思考は止められず、思考した時点で彼女に知られてしまう。
その精神性はさて置き思考の面では海原はただの中学生だ。無我の境地などに達する事など不可能で、ならばと腹を括るしかない。
そう決断した矢先。
金髪の超能力者の両目が僅かに細められ、蛇に這い回られるような悪寒がぞろりと肌を舐めた気がした。
「アンタ――中々面白いわね」
その言葉に白井は彼女に訝しげな視線を向ける。
当然の事ながら彼女には分かっているのだろう。
分かった上で彼女は黙殺し、そ知らぬ顔で視線を海原に向けたまま続け。
「ねえ。結局、一つ聞くけど、アンタさ……好きな女のために死ぬのと、好きな女を殺されるのと、どっちがいい?」
そんな究極の、最悪の選択を突き付けてきた。
236:
「――――――」
その問いの意味を海原は即座に理解する事ができなかった。
彼女の言葉は一体どういう意味だ。
今この時、そんな問いを投げ掛ける彼女の思惑は分からない。
恐らく誰にも。『心理掌握』という能力を持つ少女の思惑など何人たりとも理解できるはずがない。
けれど投げ掛けられた言葉には相応の意味がある。言葉だからこそそこには何らかの意味が内包され自分に理解を求めている。
好きな女のために死ぬ。
好きな女を殺される。
究極ともいえる二択。どちらが正しくどちらが間違いという事もない。
ある意味ではどちらもが正しくどちらもが間違っている。本来その質問自体が狂っているのだ。
「一応言っとくけど、どっちも嫌ってのはナシだからね?」
金髪の少女は海原の瞳の奥底、心の源泉までも見透かすような視線で彼に笑い掛ける。
『好きな女』という言葉が何を指すのかくらいはどれほど鈍くとも察しが付くだろう。
自分が想いを寄せる少女の存在は自分自身が一番よく知っている。
なれば、だからこそ目の前の金髪の少女が、記憶と思考を司る超能力者がそれを知っていたとしても何ら不思議はない。
彼女のために死ぬ、という選択肢。これもいいだろう。
具体的な内容は兎も角としてそれが何を意味しているのかくらいはおおよそ見当がつく。
だが――好きな女を殺される、というのは、一体。
  、
好きな女にであったならばまだ分かる。
しかし彼女の言葉はまるで――。
237:
「それではまるで、あなたが彼女を殺すと、そう言っているように聞こえますが」
表情が引き攣っているのを自覚し、海原は声が裏返りそうになるのを抑えながら言葉を返す。
彼女が御坂美琴を殺すと言うのならば――海原光貴は彼女を捨て置けない。
それを分かった上で眼前の少女は問い掛けている。
彼女のためにその命を投げ出すか。
それとも何もせず彼女を殺されるか――あるいは、ここで自分を殺すか。
「ええ、その通りよ。でも間違い」
彼女は肯定しながら否定する。
相反する二つを同時に口にしながらもその言葉は正しかった。
「私は誰かを殺せるような能力なんか持ってない。結局、超能力者だなんて言っておきながら私はその程度でしかない訳よ。
 具体的な暴力性なんて皆無で、私に出来る事なんてそれこそこの貧弱な身体のスペックに限られてる。
 直接的な影響力なんて微塵も持ってない。誰も殺せないし、誰も救えやしない。
 私の観測したこの虚構事象は世界の法則を凌駕する可能性なんて一片たりとも持っちゃいないわ。
 どれだけ必死になろうとこの世界は微塵も揺らぎやしない。そよ風一つさえ起こせない最弱に一番近い能力。
 私の夢想するファンタジーやメルヘンの介入する余地なんてありゃしないのよ。
 銃で撃たれれば多分普通に、極当たり前なように死ぬでしょうね。、そんなどこにでもいる程度のガラクタ。
 実際、アンタのその能力で攻撃されたら私なんてひとたまりもない。結局、私なんてその程度のものでしかないわ」
どこか砂糖菓子のような、毒々しいまでの甘さを感じさせる声で朗々と詠うように言葉を紡ぐ。
彼女は一体何がそんなに可笑しいのか、目を細め、喜悦の浮かぶ顔はけれど泣いているように見えた。
その甘言を弄す様はまるで人を籠絡する事こそ至上と謳う悪魔のようで。
「でもね、だからこそ私は今ここで、アンタの大好きな女の子を完膚なきまでに殺し尽くせる」
くつくつと、愉快そうに笑いを押し殺し彼女はそう断言する。
誰一人殺せない能力だからこそ。
今この場で最悪の選択を強いる事が出来る。
細められた青い目が海原を射抜き、赤い唇がゆっくりと開かれる。
蛭のように蠢く舌が紡ぐのは間違いなく呪いの言葉だ。
「その思慕も憧憬も執着も韜晦も情念も崇拝も悲哀も憐憫も、およそ記憶と感情と呼べるもの全て、アンタの想いの悉くを殺戮する」
それは即ち悪魔の戯言に等しい。
238:
心――人の持ち得る最後の砦。死してなお誰にも侵される事のない神聖な場所。
だが、何人たりとも立ち入る事のできない絶対の領域だからこそ、虫の一匹すら殺せぬ彼女の能力はそこを蹂躙し尽す。
言うなればそれは魂の強姦に等しい。
人の域を逸脱しかけた、悪魔の所業に他ならない。
至極当然、自明の理である。
元より超能力者とは須らく人ならざるものに最も近しい者を指す。
そして何より――第一位『一方通行』よりも、第二位『未元物質』よりも。
彼女、『心理掌握』こそが現時点においてその座に最も近しいのかも知れないのだから。
「結局私は直接的に物理的に誰かを殺せるほどの能力を持ってないけれど、
 アンタの抱える大事な大事な自分だけの現実に介入してそこにある木偶を破壊する事なんて造作もない。
 さあ選びなさい。道化になって舞台に上がるか、それとも客席からも追い出されるか。たったそれだけ、結局、二つに一つよ。
 好きな女よりも自分の方が大事だなんて、そんな悲哀も何もない事ぬかすようならアンタには観劇する権利すらない。
 苦痛も快楽もなくアンタが大事だって言い張るそれを殺してあげる。そして何も知らぬままただのうのうと生きさらばえるがいいわ」
もっとも――果たしてそれが真に生きていると言えるのかと問われれば安易に首肯できるはずもないのだが。
そして海原も指先一つ動かせずにいた。
視線は彼女の青い瞳と交錯したまま。不自然に動悸は早く、握り締めた手の内にはじっとりと汗が滲んでいる。
なのに暖房のよく利いたこの部屋が何故だが凍えるように寒かった。
       、 、 、
目の前の少女の形をしたナニカは相変わらず嘲笑う猫のような視線でこちらを見ている。
「ちなみに、ついでに言っとくと、もしアンタが結局選べないだなんて巫山戯た事をぬかすようならアンタには生きる価値すらない。
 この場で脳漿をぶちまけてあげるわ。銃のトリガーを引くくらいなら私だってできるんだから。ねえ、科学って素晴らしいと思わない?」
そう言って彼女はいつの間にか手にしていた拳銃を手の中で転がし遊ぶ。
金属光を持たないそれは一見子供の玩具に見える。だが強化樹脂で作られたそれは間違いなく人殺しの道具だ。
「あ、結局、選択肢三つになっちゃってるじゃん」
そしてまた彼女は可笑しそうに笑うのだ。
「さ、どれがいい?」
239:
「ちょっとお遊びが過ぎませんか、『心理掌握』」
それまで沈黙を保っていた白井が口を開いた。
「わたくしはあなたの個人的趣味に付き合う気など毛頭ございませんの。
 それにそもそもあなたの仕事はこの方々の口封じのはず。まさかお忘れではありませんよね」
「結局、口さがないわねえ。もう少しそのツンツンしたのじゃない表情を見せてくれると私としてもやりやすいんだけど」
「ご冗談を」
恐らく仲間であろう相手に親しみも気遣いもなく事務的な言葉を告げる白井に金髪の少女は肩を竦めた。
「ただまあ――心配しなくても大丈夫よ」
拳銃のトリガーに指を掛け、くるりと回して見せながら彼女は言う。
「もうやってるわ」
そう、既にこの会議室は彼女の手に落ちている。
元よりいた常盤台理事会の面々は、海原を除いて今まで誰一人として口を開いていない。
どころか、銃器を持っているとはいえ、異能の力を持っているとはいえ、見た目には中学生の少女ばかりが数名だ。
黙したまま大人しく座しているその状況こそが何よりも雄弁に彼女の力の威力を物語っている。
「……それについては理解しています。
 ですが、でしたらそこの方は何故――」
生かしているのかと。
白井がそう問うよりも早く海原は動いた。
240:
即ち第四の選択肢。
自分も、御坂美琴も殺させはしないという覚悟。
そう、彼女自身が言っていたではないか。
彼女は最弱の超能力者。事の元凶、彼女を殺せば――。
殺人の忌避は拭えないが、機械の如くに感情を凍らせ海原は無感情にその能力を行使する。
まだ死にたくはないし、それ以上に心の内にある彼女への想いを踏みにじられるなど許せるはずがなかった。
魂を犯されるなど断じて許せるはずがない。
ある種の生存本能。
海原光貴は発作的に、あるいは自動的に凶悪極まりない力の奔流を彼女に叩き付け――。
「……本っ当に救いがないほど愚かしいわねアンタ」
口調とは裏腹に彼女は優しげな微笑を海原に向ける。
――その顔はいつまでたっても笑顔のままで。
「でもまあ、及第点ってところかしら。逃げたりとか、気絶させる程度に抑えるとか、そういう妥協案に走らなかったんだから。
 結局、それが正解。私みたいなのは最低限殺そうとでもしなきゃどうしようもない。中々にいい殺意だったわよ。ごちそーさま」
「――――」
何食わぬ顔で平然と笑顔を向ける彼女に海原は戦慄する。
自分は間違いなく彼女を殺そうとした。そしてそれだけの力があった。
「どう――して――」
「当然でしょう? 私が誰だか忘れたの?」
なのに彼女は――掠り傷一つ、髪の一房も揺らす事なく、目を細めて笑っている。
「結局、アンタの能力を使えなくする事くらい訳ないのよ」
241:
『心理掌握』とは単なる精神感応系能力の頂点というものではない。
絶対服従の精神汚染も。
魂を侵食する人格否定も。
人生を割り砕く記憶改竄も。
その能力の一端、余波程度のものでしかない。
「確かにアンタは今、正しく演算して正しく能力を発露させようとしたわ。
 間違いなく私を殺せる威力と明確な意思を持って。そこには私の能力の介入する余地はない。
 だったらどうして――って、凄く単純で簡単な事。たった一つのシンプルな答えよ」
異能の力を発現させるという点においての基本中の基本。
最根源。全ての能力の共通事項。
誰もが持ち得ながら誰もが無意識に無自覚に忌避しているもの。
     げんそう
「結局、アンタは今、私を殺す現実を観測したのかしら?」
「まさ、か――」
そう――これこそが『心理掌握』。
「これが私の――幻想殺し」
最弱故の最強。
超能力者第五位の真価とは即ち。
           キリングフィールド
「現実じゃ私は何の力も持たないけど、精神と記憶、心の扉の内は私の独壇場って訳。
 結局、幻想にしか生きられない私は幻想の中でなら万能の存在となる。アンタだけの幻想なんて容易く殺せるのよ」
能力の根源、世界法則に反した特異点を観測する固我。
たった一つの絶対的な現実を観測する狂気すらも彼女の手の内。
  パーソナルリアリティ
たとえそれが自分だけの現実であっても例外ではない。
故にこその心理掌握。
 げんじつ
相手の幻想を無慈悲に握り潰す見えざる掌こそが彼女の力だ。
243:
「じゃ、改めて訊くけど」
手の内で転がしていた拳銃を握り直し、銃口をぴたりと海原に向け彼女は尋ねる。
「好きな女のために死ぬか、好きな女を殺されるか。それともここで死ぬ?」
「…………」
その問いに海原は答えられない。
答えなど出せるはずがない。
けれど、だからこそ答えなど最初から一つしかないのだ。
「…………そ」
小さく呟き、そして。
彼女は躊躇いもなく引き金を引く。
バスッ、と気の抜けるような発射音と共に弾丸が銃口から狙い通りに海原の額目掛けて射出される。
念動力の異能を持ち銃弾程度であれば意にも介さず防げる彼の能力も今は『心理掌握』に封じられている。
弾丸は遮るもののない虚空を突き進み――。
ぱちん、と小さな音を立てて跳ねた。
「…………」
「おもちゃ、よ。ばーかばーか」
けらけらと笑う金髪の少女はプラスチックの塊を海原に向かって無造作に放り投げる。
咄嗟にそれを両手で受け止め、海原は眉を顰め傷む額に指を遣り軽く擦った。
244:
「ま、これでも本物だって信じ込ませれば死ぬんだけど。プラシーボ効果って知ってる?」
「……あなたは、もしかして」
何かを口にしかけた海原を遮るように彼女は手で制し、それから人差し指を立てる。
「結局、まだ言っちゃだーめ」
指を立て口元に添えるとおどけるように片目を瞑った。
「いいわよ。結局こんなのモラトリアムも同然だけど、そういうの嫌いじゃない訳よ。
 まだどうにかできるなんて希望を持ってるならその幻想が殺されるまで精々足掻いてみるといいわ。
 捕らわれのお姫様を助けて目覚めのキスをしてやれるっていうならそうすればいい。
 でも先に言っとくとね――あれは完全無欠にどうしようもないわ。あの子はもうとっくに完結してる。
 それでもアンタがヒーローになれると思い上がってるなら好きにすればいいじゃない。
 頑張りなさい王子様。結局、ここで降りた方が、あるいは幸せだったかもしれないのに」
「人の幸福を勝手に決め付けないで下さい」
今度ははっきりと海原は言い放った。
「――いい殺意」
        、 、
ぱちん、と彼女が指を鳴らすと同時、海原の中に何かが形を取る。
それは漠然と得ていた喪失感をパズルのピースが空白を埋めるようにぴったりと型にはまる。
「結局、感謝しなさいよね。ここで私を殺してたら、本当にもうどうしようもなくなってたんだから」
「……あなたの言う事はどこまでが嘘でどこまでが本当なのか分かりませんよ」
「じゃあ私を殺してみる? 今度は止めやしないわよ」
「……それは本気で言ってるんですか」
「さあね。結局、私にも分からないわ」
おどけるように嘯く彼女の笑顔に海原は、結局何も出来なかった。
245:
「はーいそれじゃあ撤収ー」
ぱんぱん、と二度彼女が手を打ち鳴らす。
それを合図にずっと沈黙していた同じ顔をした少女達が会議室の扉を開け音もなく姿を消す。
それに続くように理事らがのろのろと立ち上がり、ゆっくりと部屋を出ていった。
後に残るのは三人。海原光貴、『心理掌握』と、そして白井黒子。
「ようこそ地獄へ。結局、後戻りはもう出来ないわよ」
笑顔を浮かべる彼女は気違い猫と同じ。
何を言っても素通りに、口から吐かれるのは妄言と区別が付かない。
「女王様が首をお刎ねと言ったら、アンタはそれができる?」
できる、と。やってみせる、と海原は口には出さず決意する。
万に一つもない望みだったとしても『彼女』を救ってみせると固く誓う。
そのためならどれほどの犠牲であっても厭わない。
例え自分の身であろうとも――そういう事だろう。
どちらか選べ、と彼女は言った。
どちらもなどと都合のいい事は言えない。絶対的な優劣を付けろと、そういう事だ。
二兎を追えるほどの生半可な状況ではない。どちらも取り落とす事さえある。
親兄弟だろうと無二の親友だろうと殺してみせる。
彼女を救うためなら自分でさえも殺してみせる。
ただこの魂だけは、と。何も言わずに胸に秘めたまま。
246:
そして海原は金髪の少女を見遣り、彼女と目が合った。
相変わらずの得体の知れない笑顔はどのような感情を表すものなのか。
海原にはその一端さえも理解できなかった。
歓喜。嘲笑。慈愛。憐憫。楽観。ともすれば泣いているようにさえ見える。
その真意は推し量れなどしない。
ただ彼女は一言。
「――結局、いい殺意」
そう言って笑うのだ。
「それじゃ私達もさっさと――あれ?」
白井の空間移動能力で、と言い掛けて、彼女の姿が見えない事に気付いた。
少し見回すと机の陰から白井が立ち上がるのが見えた。
「アンタ何してんの?」
もう一人の少女は対照的に露骨に嫌そうに眉を顰め、何かを手渡そうとするように右手を差し出す。
「遊ぶのはもう結構ですけれど、せめて後始末くらいはご自分でなさってくださいな」
摘み上げたのはオレンジ色の小さなプラスチックの弾丸。
それを受け取る彼女は悪戯の見つかってしまった子供のように笑っていた。
――――――――――――――――――――
256:
どうにも不幸な星回りに纏わり着かれているような気がしてならない。
昼前に訪れた病院は何やらざわついていた。
病院という施設は元より活気に溢れて然るべき場ではない。
誰も彼もが沈痛な面持ちでとは言わぬが粛々とした一種の静謐さが求められる。
順調に快復する怪我人もいる。
生の希望を抱く不治の病人もいる。
逃れようのない死を抱きながらも己が生きた人生を誇る老人もいる。
そして新たに受けた生の痛みと喜びに泣く赤子もいる。
病院とは死神の家ではない。それは隣人だが彼ほど使命に誠実で真っ当なものもいないだろう。
生物の宿命として人はやがて死ぬ。その摂理から逃れた者など空前絶後、誰一人として存在しない。
だからこそ人は忌避しながらも死に挑み続ける。
言うなれば病院とは彼らに対する最前線基地だ。
死という未来永劫勝てぬ相手に挑むため、医師はメスを刷き針を撃ち病魔に立ち向かう。
敗北は即ち死であり、それは戦場と何ら変わらぬ普遍則として存在し続けている。
奇跡を切望しつつも私情を滅し機械的な判断が要求される。
希望は捨てずとも良いが感情は時として人を暴走させ自滅させる。
そういう意味では戦場に私情は不要だった。
感情は時に奇跡のような物語を生むがそれは万に一つ程度だ。
奇跡とはそう易々と起きぬからの奇跡であり、残る九千九百九十九の状況では感情は単に邪魔物でしかない。
感情の爆発で奇跡が量産されるようであれば世界はもう少し平穏であったか、もしくはもう少し破滅的だっただろう。
それは浜面の墜ちた世界の裏側でも同じ事。
病院が死の家と隣り合わせなのだとすれば彼の知る地獄と似ていても何ら不思議は無い。
だから浜面は妙な違和感を覚えた。
消毒液の鼻を突く独特の臭いがうっすらと漂う廊下を忙しなく行き交う白衣の医師。
階段の踊り場で小声で会話する研修医たち。
受付の看護士の態度もどこかよそよそしかった。
若い看護士の遅々とした処理のお陰で退院手続きに思ったよりも時間を取られてしまった。
気付けば時計は既に午後を示している。
太陽は眩しかったが寒空に映える閃光は何故だか妙に冷たく見えた。
257:
「忘れ物はないよな」
新たに調達した軽自動車の運転席に乗り込み浜面は後部座席の滝壺に再度確認を取る。
「うん。そもそも特に何も持ってきてないし」
彼女の言うとおりだ。
昨日の戦闘で負傷――といっても自傷に近いが――した滝壺は件の病院で緊急手術を受け、昨晩はそのまま病院に泊まる事になった。
たかが一日程度の入院に準備も必要ない。着の身着のままでおおよそは事足りる。
医者の腕が良かったからなのか、それとも怪我自体が軽いものだったのか。
医学知識の無い浜面には判断できなかったが二日目の入院生活は必要なかった。
必要のない患者に遊ばせるベッドはないという事なのだろう。形ばかりの継続入院を問われたが退院を選んだ。
そもそも暗部の人間にとって病院などという公共施設は鬼門だ。
裏社会の存在が表舞台に立つ事自体憚られる。影に隠れ生きるのが本来の形だとすればあそこは随分と居心地が悪い。
鍵を回すと軽い振動と共にエンジンが始動する。
浜面はサイドブレーキを降ろすとバックミラーで後ろに座る滝壺にちらりと視線を遣ってから緩やかに車を発進させた。
「……傷は痛まないか」
「うん。大丈夫だよ。見た目こんなだけど二、三日で包帯取っていいって」
「……そっか」
滝壺の声はいつもと変わらず柔らかなものだ。
けれど彼女の顔を覆う真っ白な包帯が妙に痛々しかった。
彼女の顔面を横一直線に走る包帯。
目隠しをするように巻かれたそれが傷痕を完全に隠している。
彼女の言うように傷はそれほど深いものではないのだろうが、だからこそなおさらに仰々しく、痛ましく思えてしまう。
258:
「まぶたの裏がちょっと切れただけだって。目そのものとか神経とかは無事。
 負担を掛けないようにって事だから本当はアイマスクでもいいんだけど」
彼女はきっと浜面を心配させまいとしてくれているのだろう。
けれどその言葉はどこか言い訳のように聞こえてしまって、浜面は余計に顔を顰めてしまうのだった。
彼女からは見えないからとそれを隠そうともしない自分がどうにも嫌で浜面は奥歯を噛む。
「そういえばオマエ、飯まだ食ってないよな。どっか寄るか?」
表情と声が乖離している事を自覚しながら浜面は努めて明るい口調で彼女に尋ねる。
「ううん。いい」
……まただ。
鏡に映る彼女の顔は半分が隠されているために表情は定かではなかったが、微笑の形に緩められた唇はどこか寂しげだった。
いつもより幾らか狭い軽自動車の内。
小さく仕切られた空間ではお互いの気配は無視できないほどに濃密なものとなっている。
そんな状況だから恐らく彼女は浜面の放つ気配を敏感に察したのだろう。
彼女は気配とか雰囲気とか虫の知らせとか、そういう形の無いものを感じ取る事に長けている。
能力の所為もあるだろう。浜面とてまがりなりにも能力開発を受けている。
彼女が感じ取れるというAIM拡散力場とかいうものを自分も発しているのだとすれば、
顔を見ずともこちらの感情を少なからず窺い知られているだろうという状況にも納得がいく。
第一嘘は下手な方だと自分でも思っている。
滝壺のような聡い少女を相手にペテンに掛けようとすること自体が間違っている。
第三者から見ればさぞ滑稽な様だろう。
お互いがお互いの心中を察しながらも傷を舐めあうが如く笑顔を仮面に形ばかりの談笑に興じている。
それでも彼女の前ではピエロのように振舞わずにはいられなかった。
その好意がお互いを傷つけ合っていると分かっていながらも、傷つけ合う行為を止められない。
昨日の一件を境に一人が消えた。
それぞれが個性的な『アイテム』の中でも一際異彩を放つ外国人の少女。
彼女の柔らかな金髪を浜面はあの研究所に入る背を最後に見ていない。
259:
やけに嫌な沈黙が車内を支配する。
重苦しく立ち込める気配は澱のように重く息苦しく感じてしまう。
「……ねえ、はまづら」
「んー?」
窒息しそうな密室でそれを無視し浜面は意識して惚けた口調で返す。
きっと彼女は浜面の無駄な努力さえも分かっているだろう。
けれど口にはしない。
彼女も浜面と同じく形ばかりの平穏を装っているに過ぎないが、それでもこれは必要な事だろうと浜面は思う。
「むぎのは?」
「『スクール』の超能力者、えーと……垣根っていったか。アイツとどっか行った」
「きぬはたは?」
「昨日の事後処理で忙しいみたいだよ。あれだけ派手に殺してるからな。
 いくらバックが凄いっていっても今度ばかりは揉み消しに手間取ってるみたいだ」
「……そう」
残る一人。
彼女の所在を尋ねはせず滝壺は再び沈黙する。
聡いという事は何も利点だけではない。
当人にしても周囲にしても次第に煩わしく思えてきてしまう。要らぬ事まで察してしまう。その結果がこの猿芝居だ。
観客もなく当の本人たちもとっくに気付いていて、騙す必要なんて欠片もないのに下らない演技を続ける。
つまりこれは確認作業だ。
覆しようのない失敗を自戒させるための自傷行為。
身体に傷痕を深く深く刻み付け、悼みを風化させないために痛みを得ようとしている。
「……フレンダは?」
絞り出すようにようやく発せられたその声は気のせいだろうか、少し震えているように思えた。
気付かぬ振りをして浜面は愚鈍で純朴で残酷な少年を演じる。
演技ではなく本心から最低の下種だと心中で吐き捨てながら、浜面は彼女を傷付けるための一言を紡ぐ。
「連絡が取れない」
「………………そう」
彼女は一体どんな顔をしているのだろう。
鏡越しの白い布に覆われた少女の表情は愚鈍な浜面には判断しようもなかった。
260:
眼前の信号が赤に変わり、浜面は停車するためにブレーキを踏む。
「……はまづら」
「んー?」
緩やかに減すると共に身体が慣性の法則に従い前へ引かれるような感触を覚える。
車が完全に停止するのを待って滝壺は小さく唇を開いた。
「行きたいところ、できた」
「どこ?」
「ホテル」
……停車した後でよかったと思う。
浜面は努めて平静を装いながら冗談めかした薄い笑いと共に背後の少女に言葉を投げる。
「この辺にはないから第三学区まで行く事になるぞ?
 あ、言ってなかったっけ。あっちのアジトはもう引き払って第六学区に場所移してんだ。
 まあ確かにああいうところの飯は美味いと思うけど……」
「そうじゃないよ」
「……」
分かっている。彼女の言葉が何を指しているのかも、浜面に望んでいる事も。
けれどもしかしたら何かの間違いじゃないのかと思ってしまって、浜面は思わず逃げ道を示してしまった。
きっと聡い彼女ならその意図を汲んでくれるだろうと思って。
そうしたらきっといつものように白けたような視線を――その両目は包帯に覆われてしまっているのだが。
261:
「嫌だったらいいよ。はまづらが嫌がる事を無理にして貰おうとは思わないから」
でも――と彼女は小さく続け、それ以上は口に出さなかった。
「……嫌じゃ……ない……けど」
溺死しそうなほどの空気に喘ぐように押し出した声。
けれどその続きを浜面は口に出来なかった。
彼女の気持ちは痛いほど理解できる。
嫌だったら、というその言葉の意味も十分に分かってしまう。
きっと自分は必要以上に彼女の事を知りすぎてしまったのだろう。
何も知らぬ愚者のままでいられればどれほど楽だっただろうと思う。
けれど過去は変わらず、時間を巻き戻す事は誰にも出来やしない。
「はまづら――」
きっとこういう現実を不幸と人は言うのだろう。
黙って気付かぬ振りをして下手な芝居を続けていれば何事もなかった事にできただろうに。
余りに悲しく、そして余りに愛しい少女はきっとそんな芝居が打てるほど器用ではなく、自分もまた同じだろう。
「好き」
少女の囁いた愛の言葉は、けれどどこか呪いの言葉にも聞こえた。
「……ごめんね。こういうの、凄く卑怯だと思うけど」
つまり自分は賢しいのだと滝壺は自嘲する。
この場、この状況、このタイミング……最悪の状況で最悪の言葉を彼に送る。
きっと優しすぎる彼は拒絶なんて出来ないから。その優しさに付け込んでしまう自分がどうしようもなく醜悪な生き物に思える。
「でも私は、はまづらに抱いて欲しい」
262:
逃げ道を用意しているようでそれは形骸ばかりのものでしかない。
こう言ってしまえば彼は頷くしかないのだと確信している。
「……ごめん」
言葉の裏に隠された真意も彼はきっと理解している。
十二分に理解しているからこそ優しすぎる彼は逃げられない。
「ごめんなさい。でも私は……はまづらの事、好きになっちゃったから」
それでも弱すぎる自分は優しい彼を籠絡して逃げる事しか出来ないのだ。
いずれこの言葉が彼を破滅させるだろうと分かっていながらも言わずにはいられない。
元から滝壺理后という生き物はそういう存在で、誰かを救うとかそういう高尚な事は出来るはずもなかった。
そういう最初から最後まで打算と計略で埋め尽くされた愛の言葉は――ああ――なんて最悪なものだろう。
本来ならば祝福されるべき睦言もこれでは悪魔の言葉と何ら変わりない。
他がどれだけ嘘に塗れていても。
その想いの形がどれほど歪んでいても。
たった一つ胸に得た気持ちだけは正直にいたいと――愚かしくもそう願わずにはいられなかった。
やけに長く感じる沈黙の後、信号が青に替わり、車は静かに発進する。
そして浜面は押し殺したような声で小さく言った。
「……後悔するぞ」
きっとそう言うと思っていた。
この地獄に生きるには優しすぎる少年は最後まで自分を慮ってくれるのに。
「ううん――しないよ」
出来る事なら後悔させて欲しいと思う。
それでもきっと、後悔なんて出来るはずがなかった。
――――――――――――――――――――
266:
学園都市は学生のための街だ。
理想はこの手の法で取り締まらなければいけないような施設は存在してはいけないだろう。
けれど人口の大部分を占める若者にはどうしても必要になる。
ある種の必要悪。風紀が乱れる原因にもなるが恋愛感情を取り締まる事は出来ない。
少なくともこの日本という国家において自由恋愛は尊いものだとされている。
基本的人権の一つ――と称してもいいだろうか。個々の感情は尊重されるべきものであって弾圧されるものではない。
第七学区は元々浜面のテリトリーだ。
街の事は隅から隅まで――とはいかないが、こういうきな臭い事が起こり得る場所は粗方把握している。
売買春が行われるには恰好の場。事実としてそれは存在していた。
性は商品として極上のものであり、需要は後を絶たない。欲望を溜め込み鬱屈している学生が相手であればなおさらだ。
ただ、浜面の属していたコミュニティは無頼者の集団ではあったが、そのリーダーである駒場が嫌ったためにそういう性を伴う物事には関与していない。
どちらかといえば彼は純朴だったのだろう。あの顔で、と亡き友人の顔を思い出して浜面は苦笑しそうになった。
彼らはそれらを弾圧する側だった。
法を無視する相手には同じく法に縛られない彼らが必要であり、そういう意味では彼らも必要悪だったといえる。
他のグループに睨みを効かせ、抑制するための見せしめ行為だった。
自分達の縄張りで従わない者には容赦しない。だから徹底的に潰した。
浜面も何度かその現場に踏み込んだ事がある。……が客として利用するのは初めてだった。
浜面の仲間に女性がいなかった訳ではない。
ただ仲間関係はそれ以上でもそれ以下でもなく、共存するためにお互いを利用しあっていたと言った方が正しい。
『したければすればいい』程度でしかなかった性の認識は一種の理想だった。
中には恋愛感情に発展する者らもいたが――それは兎も角として少なくとも浜面には今まで恋人はいたためしがなかった。
だからだろうか。
明晰夢のような妙に非現実的な感覚を伴いながら浜面は滝壺の手を引いてエントランスを歩く。
無人の狭いホールを横切る。
突き当りにはエレベーターがあり、その横にはインターホンのような係員の呼び出しと、
カタログじみた部屋の写真のパネル、それらに対応する小さなボタンがついている。
パネルが点灯していれば空室、暗くなっていれば使用中。
別に説明書きがあった訳ではないが漠然と理解できる。
九割方点灯しているのは平日の昼だからだろう。
利用客の大半――それなりに真面目な大学生連中は講義に出たりサボって街で遊んでいたりする時間帯だ。
真昼間から事に及ぼうとする者はあまりいない。思いがけず知り合いに出くわして気拙い思いをする……なんて事態には遭遇せずに済みそうだ。
小さく書かれた料金は部屋によってまちまちだが特に気にせず、内装が比較的落ち着いたものを選んでボタンを押す。
パネル裏の照明が消えると同時に、かたん、と小さな音を立てて下の窓に鍵が排出される。
要するにこれは部屋の自動販売機だ。ただし料金は後払い。
背を折って鍵を掴む。
安っぽいプラスチックのホルダーがついたそれがやけに軽く感じられた。
267:
エレベーターのボタンを押すとすぐに扉が開いた。
「……」
無言で滝壺の手を引くと彼女も無言でそれに従う。
キーホルダーに書かれた部屋番号を確かめ目的の階のボタンを押す。
静かに扉が閉まり、それからがくんと揺れてエレベーターは上昇を始めた。
想定していたものよりも大きく感じてしまったのは緊張しているからだろうか。自分ではそんな実感なんてないのに。
覚られぬよう横目で滝壺の顔を見る。
包帯の巻かれた彼女の顔は少し俯き気味で、やはりその表情を窺い知る事は出来なかった。
ただ――手を握る力が先程よりも心なしか強く感じる。
彼女も緊張しているのだろうか。
触れ合う手と手の間に汗の気配を感じる。
纏わり付くような感触は何故か不快に思えなかった。
ぽーん――と玩具のような軽い音を立ててエレベーターが到着を知らせる。
最後に小さく揺れ、扉が開く。
無人の廊下。人の気配はなく、しんと静まり返っている。
一歩踏み出し、安っぽい絨毯の上を跳ねた足音がやけに大きく響いた。
滝壺の手を引き途方もなく長く感じる廊下を歩く。
一歩ごとにくぐもった響きの足音が耳の中に反響して眩暈すら感じる。
現実味を伴わない感覚に漂うように思考を停止させたまま歩き……鍵の示す部屋の前で立ち止まる。
滝壺を引く手とは逆の手に握られた鍵。
鈍い色を返すそれに少しの間視線を落として――。
「…………」
鍵穴に挿し込み、捻る。
がちゃり、と返す音は重く、なのに抵抗は思ったよりも軽かった。
271:
扉を開けると室内は明るかった。鍵を開ける事で勝手に点灯する仕組みなのだろう。
滝壺の手を引き中に入る。
後ろ手に戸を閉めると自動で鍵が掛かる音がした。
「靴、脱げるか?」
「うん」
彼女の履いていたのは靴紐のない柔らかそうな素材で出来たものだった。
もう随分と長い間使っているのだろう。あちこちに小さな傷が付いている。
が――大切に扱っているのだろう。相応の痛みはあるもののそこに愛着があるようにも感じる。
お気に入りの服や鞄。愛用している眼鏡、腕時計。あるいは戦場に住む者にとっての銃剣の類だろうか。
代わりは幾らでもあるのに長年使い続けてしまって自分の一部となってしまったようなもの。
きっとこの靴は浜面よりもずっと長い間彼女と共に過ごし、彼女の行く道を共に歩いてきたものだ。
それを滝壺は優しく踵で踏み、足を引き抜くようにして脱ぐ。
「……こっち。少しだけ高くなってるから」
手を引き、部屋の奥へと誘う。
部屋の中は普通のホテルと然程変わりない。
もしくは昨日までアジトにしていた個室サロンか。大型テレビの下のラックに各種ゲーム機が収められているあたりそちらに近い。
調度品のグレードは格段に劣るが、この場所の用途から鑑みれば大して意味はないだろう。
ソファの前のガラステーブルの上には、サービスだろう、チョコレートやキャンディが少しばかり入った菓子鉢。
そして――サロンと違う点があるとすれば、無駄に大きなベッドと、枕元に添えられた小さな棚の上で妙な存在感を放つティッシュボックス。
嫌でも視線が行くのは、つまりこの部屋の意味はそこに集約するからだろう。
極端に言ってしまえば他は何も必要ない。ベッドだけあれば事足りる。
それをどうしてだろうか、悲しいと浜面は思う。
ソファにしろテレビにしろ、安っぽい菓子にしろ、それらの付属品はこのホテルの経営側からのサービスだ。
恋人達の楽しい一時を、二人きりで愛し合う空間を提供する。それがこの施設の主たる意味だ。
けれど――果たして浜面は囁くべき愛を持ち合わせているのだろうか。
言葉だけなら誰だって、幾らでも吐ける。
好きだ、愛してる、誰よりも君が大切だなどと美辞麗句を並べてやればいい。
日本語は一つの本質に向けて多種多様な表現をする事に秀でている。
浜面の粗末な知識であっても十や二十程度は思い付くだろう。
しかし感情の伴わないそれは、結局のところただの空言でしかないのだ。
だから浜面は思う。
今この場にあるべき愛とは存在するのかと。
273:
「滝――」
振り返り彼女の名を半ばまで呼びかける。
けれど最後まで呼ぶ事はなかった。
「あっ――」
振り返った浜面の胸に滝壺がぶつかる。
視力を失っている彼女は浜面が立ち止まり振り返った事に気付かない。
たったそれだけの事なのに彼女は対応できない。浜面が手を引かなければ歩く事さえ満足に出来ないだろう。
「あ、……悪い」
「……」
思わず抱き止め、そのまま暫くお互い無言だった。
腕の中に感じる彼女の温度と、胸に当たる柔らかさが妙に現実離れしていた。
こうした状況――女性と抱き合う経験など彼の人生においてそう何度もある事ではない。もしかしたらあったのかもしれないが忘れてしまった。
だからだろうか。鼻腔をくすぐる彼女の匂いが酷く蠱惑的なものに思えて立ち眩みのような錯覚を得る。
「……えっと……はまづら」
滝壺は右手をやや上に伸ばし彼女を緩く抱きしめる浜面の腕に触れる。
そして手にほんの少しだけ力を込める。
俯き気味の顔は元より包帯に覆われているが、浜面の視線からはその表情を窺い知る事はできない。
ただ彼女の声色は拒絶するものではない。
だからきっと彼女は少しだけ困ったように恥ずかしそうな微笑を浮かべているのだろうと思う。
「あの……私、その……汗臭いと思うから」
身体は拭いてもらったんだけど、と彼女は蚊の鳴くような声で付け加える。
昨日からの彼女の境遇を考えてみれば当然だった。シャワーを浴びる暇もなかっただろう。
274:
しかし浜面は思う。
「でもさ、オマエ、目が見えないだろ」
「……うん」
「それじゃ危なすぎる」
全くの暗黒に生きられるなら人は光を求めたりはしない。
そもそも人が外界を認識する入力器官は視覚に集中している。
聴覚や触覚もそれなりの働きをしてくれはするが視覚には及ばない。
人には蝙蝠のような耳もなければ蛇のような特殊な感覚もない。
滝壺の場合はそれに似た特殊な感覚を持っているのかもしれないが――少なくとも無生物に通用するようなものではないだろう。
彼女がAIM拡散力場を認識する事ができるとしても、対人、それも能力開発を受けた者に限られる。
それも十全ではないだろう。体晶を使っている状態ならまだしも今の彼女は至近距離の浜面の動きにさえ咄嗟に対処できない。
そんな彼女をただでさえ滑りやすい風呂場に遣る事などできるはずもなかった。
「……はまづら」
なのに彼女は、少し躊躇うような気配を感じさせながら小さく。
「………………一緒に入る?」
「――――ッ」
視界が何か血のような色に染まった気がした。
「え――――きゃ」
有無を言わさず彼女の膝裏に手を回し横抱きにする。
随分と軽いと思う。路地裏での喧嘩に慣れた身体は彼女を易々と抱き上げられた。
275:
「は、はまづら……っ」
滝壺の慌てたような声を黙殺し、彼女の代わりに部屋を見渡し突っ切る。
そのまま一直線に――ベッドへと向かう。
「っ……!」
柔らかな布の上に滝壺の身体を横たえる。
思わず乱暴に、放り出すように彼女を降ろしてから、しまったと顔を顰めた。
恐る恐る――と滝壺の細く白い指が伸ばされ頬に触れた。
ひやりとした心地よい感触。頬を撫でる指先が体の熱を奪ってゆく。
それはつまり浜面自身が逆上せているという事なのだろう。
滝壺の指の触れる場所から、さぁっと何かが広がるような気分になる。
それは冷静さだろうか……それとも後悔だろうか。
視界を失った彼女は、それだけできっと怖いだろうに。
「……はまづら?」
小さく、少し震えていたけれど、心配するような声で名前を呼んでくれた。
自分が嫌になってくる。こんな自分なのに彼女は労わるような声を掛けてくれる。
彼女の目が見えていなくてよかったと思ってしまう。
自分は今きっと酷い顔をしているだろう。そんなものを滝壺に見せたくはなかった。
頬に当たる彼女の手に自分の手を重ねる。
「――悪い。滝壺」
彼女の手を精一杯優しく握り締めて。
精一杯の優しい声で彼女の名を呼ぶ。
「無理にそういう事、言わなくても大丈夫だから」
276:
「――――――」
手の中の冷たい感触が強張るのが分かった。
その事には気付かぬ振りをして浜面は彼女の手を優しく退ける。
「滝壺」
そして想いも願いも全てを込めて誓うように細い指先に優しく口付けをする。
「心配しなくてもいい」
つまり彼女の行動の半分ほどは演技だったのだろう。
少しでも浜面の気を引き、興奮させようとしてくれたのだろう。
そういう意味では彼女はかなりの役者だった。
ただ――悲しくなるほど似合っていなかった。
キャラじゃない、と。
つまりそういう具合に違和感を無視できない程度には浜面は滝壺理后という少女の事を深く知りすぎていた。
浜面も何も言わず、素直に彼女の思惑通りに動けていれば随分と楽だっただろう。
けれどそうまでして浜面を立てようとする滝壺の演技は見ているだけで涙が出そうなほどに悲しく、震える彼女を無視できるはずなどなかった。
きっと滝壺自身も分かっていただろう。
もしかしたら浜面が気付くだろうという事も承知の上で下手な芝居を打ったのかもしれない。
仮にそうだったなら彼女は自分の事を分不相応なほどに買ってくれていると浜面は自嘲する。
自分は彼女が願っていたほど愚かでもなく。
彼女が思っていたほど賢くもなかった。
「大丈夫だから。滝壺」
ぎし――とベッドが二人分の体重に軋む。
「俺はオマエを抱きたいと思ってるよ」
そうは言うけれど、愛しているなどとは言えるはずもなかった。
277:
「――はまづら」
「滝壺――」
呼んだ名を愛しく思える。
自分を呼ぶ声に泣きそうになる。
悲しいほど不器用な少女をこの上なく愛しく感じる。
だとすれば随分と歪んだ愛だ、と浜面は思う。
きっとお互いの想いは似たようなベクトルだった。
ただ、それは間違いなく相手に向けられているのに報われないものだ。
矛盾した想いが心の内で交錯し、それがそのまま相手へと向けられる。
愛しいと思うのに悲しく思えてしまうのは何故だろうか――そんな事は分かり切っている。
「ごめんなさい――」
滝壺の声は震えていた。
もう演技も必要ないと滝壺は分かっていた。
彼には自分の小賢しい思惑など一から十まで全てお見通しで、それでもなお精緻なガラス細工を扱うように優しく触れてくれる。
それを嬉しいと思ってしまう自分が堪らなく気持ち悪い。だから滝壺は。
「ごめんなさい――私、凄い嫌な子だ――」
謝らなくていい――と言いたいけれど、言ったところで余計に彼女を傷付けるだけだ。
「はまづら――お願い――」
好きだ。愛してる。誰よりも君が大切だ。
そんな言葉を言うつもりはない。
――言えば彼女を傷付ける。
「私に――優しくしないで――」
浜面の事を好きだと言ってくれた少女の声は泣いているように震えていた。
278:
つまりこんなにも悲しく思えてしまうのはこの歪んだ愛情故に他ならない。
こんな最悪なものを仮にも愛だなんて呼んではいけない。これはもっと汚らしく醜悪な何かだ。
そう思うからこそどんなに強く想い合っていてもその向きは常に一方通行だった。
愛してるなどと言われてはいけないと拒絶しあっているがために決して相手の内に届く事はない。
まるでハリネズミのようだと思う。
相手に触れる事と針で刺される事が同列に存在している矛盾。
抱き締めたいと思うのは傷付けて欲しいと思う事と同じだ。
      あい
つまり滝壺は最初から、浜面の針で傷付けて欲しいと願っていた。
一方的で独善的なそれを愛などと呼んではいけない。
そんな気持ち悪いものを抱えている自分は彼に愛される資格などない。
これは単なる自傷行為で自慰行為だ。
そんなものに付き合わされる彼こそ不幸だろう。
嘆きや憤りを覚える事はあっても、まして愛してくれなどと言えるはずもなかった。
そして浜面も、どうしてだかそんな彼女の気持ちが痛いほど理解できた。
滝壺とて決して本心からそれを望んでなどいないはずだ。
けれど上辺だけをなぞる安っぽい愛の言葉は本当の意味で彼女を傷付ける。
彼を誰よりも愛しいと思ってしまうからこそ、愛される資格などないと願うからこそ彼女はそれに耐えられない。
暗闇に怯える幼子のように、滝壺は震える声で懇願する。
「お願いだから――好きになんてならないで――」
だからせめてその言葉を最後まで言わせまいと、浜面は目を閉じ彼女の口を塞ぐ。
小さく柔らかな唇は汗か涙の味がした。
287:
唇で軽く触れ合うだけの拙い口付け。
乱暴に扱ってしまえば壊れてしまう気がした。
少女の矮躯に覆い被さり押し倒したような体勢だが触れ合っているのは唇だけだ。
滝壺と同じように目を閉じてしまえば確かな存在感を知る術はそうして触れ合う事だけだった。
彼女の息遣いも、仄かな体温も、どうにもあやふやで頼りない。
触れ合う事でしかお互いを知る事は出来ず、触れてしまえば傷つけあってしまう。
彼女とのキスは皆が言うような甘いものではなかった。
胸の内に開いた空隙から隙間風が入り込んだように寒い。
決して塞ぐことのできない傷痕を埋めるように浜面は滝壺に口付けする。
どれくらい経っただろうか。
ほんの数秒程度の短い間だったのだろうが随分と長く感じられた。
ゆっくりと唇を離すと、ほう、と息が漏れた。
彼女に触れていた部分がやけに熱い。
「はまづら――」
差し伸べられた両手が顔に触れ、輪郭を確かめるように両頬に添えられる。
そして優しく、けれど強引に引き寄せられ、今度は彼女の方からキスされる。
「んっ……」
噛み付くような乱暴なキス。
唇を食まれ、生温い舌が強引に間から侵入してくる。
ぞろりと口内を舐めるそれは肉でできた蛭のようで妙にグロテスクだった。
ぬるりと柔らかい舌が蠢き、歯の裏を撫でる。自分のものとは違う唾液の味が広がる。
「ふ……っ、あ、んっ……」
粘液質な音に混じり嬌声にも似た吐息が漏れる。
頬をくすぐる熱と生温い部屋の空気とは異なる湿度。
何か生臭さのようなものを感じさせる息が浜面の顔を撫でる。
喘ぐような、貪るような口付け。窒息しそう。酸素が足りない。
息苦しくて半ば強引に唇を離せばずるりと濡れた音が後を引いた。
288:
「ちょっと、滝壺っ……」
浜面の言葉を無視するかのように滝壺は再び顔を寄せ頬に口を寄せる。
それから顎、手を首の後ろに回し頬骨の裏を舌でなぞられ、襟首。
キスなどと仄甘い言葉には程遠い舌の愛撫。
くすぐったさとは違うものを感じながらもそれが何とは形容できない。
「よかった」
顔を離し、表情の半分が見えなくとも分かるくらいに滝壺が笑う。
「はまづらの味がする」
「――――」
「はまづらの匂い、好き」
浜面を抱き寄せ胸に顔を埋めると、鼻を動かし肺一杯に空気を吸い込む。
視界を白い布に覆われ、滝壺はこうする事でしか彼を認識できない。
触れるだけでは足りない。他の四感をフルに動かし彼の存在を確かめる。
味覚も嗅覚も壊れているけれど彼を観測する事ができた。
「……汗臭いだろ」
「うん。汗の匂いだけど、好き」
「変な奴だなオマエ」
「今頃気付いたの?」
知ってたよ、と囁く事で浜面は心中にある鬱々とした気分を忘れようとする。
軽薄で単純なやりとりは言葉遊びのようなものだ。言葉にしてしまえばより確かなものとなる。
夏に「暑い」、冬に「寒い」。演技の悪い事を言うのも同じだ。実際は違っていても現実は僅かに言葉に引かれる。
こういう形ばかりの台詞でも口にしてしまえばいくらか現実味を帯びてくるだろう。
そうでもしなければ耐えられそうにない。
これじゃまるで死亡フラグだ、と思ってしまう。
悲恋の物語にはつきものの一場。
ここでロミオとジュリエットを騙るつもりはないが、この手の王道としては大概が共死の結末だ。
だからせめて口先だけでもと浜面は軽口を叩く。
とりあえず笑っておけば何故だか救われた気分になる。
つまりこれがきっと――本当にどうしようもない時はもう笑う事しかできない、なんていうどこかで聞いたフレーズなのだろう。
290:
「…………はまづら」
軽く胸を押される。
拒絶ではない。手に込められた力はか弱く、遺憾の念を感じさせる。
滝壺の指が浜面の胸元をなぞり、別れを惜しむように躊躇いがちに離される。
「服、脱ぐから」
衣擦れの音を立て上体を起こした滝壺は小さくそう言った。
羞恥の色はなく、この気拙い妙な間を作ってしまった事に対する懺悔めいた声だった。
「あ、……うん」
そうだよな、と浜面は口にはせず頷いた。
服を脱がなければできない。そんな当たり前の事に今さらながら気付く。
じいぃぃ――と滝壺の着ているジャージのジッパーが独特の音を奏でる。
そんな小さな音がやけに大きく聞こえる。それが妙に生々しくて、浜面は僅かに視線を逸らす。
服とシーツの擦れる音。ベッドの軋み。呼吸音。
ごうごうと鳴り止まないノイズは頭の中を血が流れる音だろうか。
自分も、と服を脱ごうとするが前を閉じているジッパーの金具が上手く抓めない。
手に浮いた汗で酷く滑る。縁を爪に引っ掛けて強引に降ろせば途中で金具が噛んでしまい突然に止まる。
爪が削られるように離れ軽い痛みを覚える。どうにももどかしくて裾を捲くり上げ、そのまま中のシャツごと引き抜いた。
視線も向けずベッドの脇に放り捨てる。
ズボンのベルトを外そうと外そうとして、金具のかちゃかちゃという音がどうにも気恥ずかしかった。
視覚情報を得られない滝壺は、触れ合っていた体を離した今浜面を聴覚でしか捉えることができない。
だとすれば彼女はこの瞬間浜面の事をどう見ているのだろう。
291:
「…………」
横目で彼女を見遣る。
滝壺は膝を抱えるような体勢でジャージの下から足を抜こうとするところだった。
見慣れない黒のタンクトップを持ち上げる膨らみに改めて彼女を女と意識する。
淡い桜色のショーツが腿の間から見える。細かなレースをあしらったそれは彼女には似合いのものに思える。
「んっ……」
小さな吐息と共にタンクトップを捲くり上げ脱ぎ去る。
揃いの桜色のブラジャーに包まれた双丘は浜面が思っていたよりも幾らか大きい。着痩せする方なのだろうか、と醒めたような事を考える。
それから滝壺はジャージとタンクトップを軽く畳んで、少し迷うような素振りを見せた後、背に手を回しブラジャーのホックを外す。
ぷつ、と金具が擦れる。
その音に浜面は急に我に返って滝壺から目を逸らす。
しゅる、と布と肌の擦れる音。身動ぎでベッドが軋む。
「……」
滝壺には浜面の一挙一動が手に取るように分かっていた。
その動きも、心の機微も。
彼女だけが持ち得る第六感――AIM拡散力場を捉える能力によって浜面の表層意識に細波を立てる感情の動きが分かってしまう。
読心能力に近いそれを滝壺は卑怯だと思う。
相手の持つカードを一方的に覗き見るようなものだ。それがどのような状況であれ反則行為に等しいだろう。
まるで『さとり』のよう。山道を往く旅人の前に現れ一方的な問答の末に喰らう鬼。だとすれば両目を覆う包帯にも納得がいく。
だとすれば自分は鬼女なのだろう。
逃げ場を塞ぎ毒を飲ませ弄んだ挙句に男を喰らう女郎蜘蛛。
滝壺理后という少女の本質はそういうものだ、と自虐する。
自分からは何一つ動こうとせず、そ知らぬ振りをして見た目ばかり綺麗な巣を張る化生の類。
つつけば破れてしまう程度の仮初めの城を、守ろうとしてくれたのは他ならぬ彼だというのに。
本当はまったく関係ないのに、巣に絡め取ったのは他ならぬ自分だというのに。
それをただ、彼が不幸だったのだ、と一言で片付けられるほど滝壺は器用ではなかった。
293:
浜面仕上という少年は確かに何の力も持たない無力な少年なのだろう。
けれど滝壺には自分の何倍も輝いて見えた。
網に架かったのが彼ならば、それはさながら蝶のよう。
暗い木陰に巣を張ったまま動かない蜘蛛からすれば羨望でしかない。
羽ばたき一つは小さくとも、その羽は確かに風を動かしている。
ひらひらと弱々しく、けれど確かに飛翔する小さな光。
天高く飛ぶ鷹にはなれずとも、地上近くを美しく舞うその姿は滝壺が知る何よりも美しく見えた。
けれど彼の、雨に濡れ破れた羽ではもう飛ぶ事はできない。
落下した蝶は運悪く蜘蛛の巣に絡め取られ、そして滝壺に出会う。
見た目ばかり花のように無害を装った毒蜘蛛。
けれどその本質を知ってなお、蝶は自分を愛でてくれるだろうか。
……、……。
「はまづら」
躊躇い、口を開いた。
何をどう捏ね回しても言い訳にもならない。
その理性がどうであれ、本能には抗えない。
ごめんなさいと何度口で謝ろうとも結果は変えられないのだ。
どう足掻こうとも蜘蛛は飛べず、蝶にはなれない。
そして彼もまた、きっと二度と飛べない。
だったらせめて――自分が一番嫌な方法で、一番それらしい過程を演出しよう。
彼の羽をもいだのも滝壺で、彼を殺すのも自分。
そして自分は彼のために、彼のように死ぬ。
どんなに羨望しようとも蜘蛛に空は飛べない。
地に向かって真っ逆さまに落ち潰れる末路しか存在しない。
身の程を弁えず蝶に憧れた醜い異形にはちょうどいい。
けれどどうしてだろう。
蝶に蜘蛛の気持ちなど分かるはずもないのに。
「ん――――」
口付けは甘い蜜のようで。
もしかしたら食べられるのは自分の方じゃないのかと滝壺は思ってしまうのだ。
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