傭兵「この世で金が一番大事」僧侶「じゃありません」【その3】back

傭兵「この世で金が一番大事」僧侶「じゃありません」【その3】


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5:
※ ※ ※
 目を覚ましたら勃っていた。
 わけがわかんねぇ。
僧侶「よ、傭兵さんっ!? 目を覚ましたんですか!」
傭兵「あ、あぁ、なんとかな……」
 食い入るように僧侶がこっちを見てくるが、俺と目が合った途端に顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。
 なんだ? 俺が何かしたか?
 まぁ、いまだ制御の利かない下半身を見られることもなくて都合がいい。
 ……ていうか、俺の下半身を見て顔を背けたわけじゃ、ねぇだろうな。
傭兵「……」
僧侶「……」
646:
傭兵「……悪い」
僧侶「え、あ、いや、こちらこそ……」
傭兵「『こちらこそ』?」
僧侶「あ、ちが、じゃなくて、その、違うんです、間違えました、噛みました」
傭兵「噛んだのか」
僧侶「はい、そうれふ」
傭兵「……」
僧侶「……」
 あほなやり取りをしていると、次第に俺の下半身も治まってきた。一体なんだってんだ。エルフのような戦闘狂――否、あいつは戦争狂か――の気はなかったつもりなのだが。
 人間、死に瀕すると子孫を残そうという意識が高まるらしいが、それの延長線上なのだろうか。
647:
 いや、そんなことはどうでもいいのだ。頭を切り替えろ俺よ。未来の話ができるのは平和なときだけだ。
 俺は笑いながら未来の話を誰でもできる社会を目指しているだけであって、今は寧ろその対極に肩までどっぷりと使っている。しかも党首に逃げられたというおまけつきで。
 僧侶を責める? ばからしい。冗談じゃない。
 状況の確認はするまでもなかった。僧侶が生きているということは党首が逃げおおせたということだ。ここで僧侶がやつを倒したという選択肢をとらないのは、僧侶には悪いが、順当な判断である。
 そして同時に、俺があの重症で生きているということは、僧侶が俺に治癒魔法を施してくれたからに他ならない。
 ……ん?
 どうやって?
 僧侶は生きている。いや、もしかしたらここが死後の世界だというのなら話は別だが、だとしたって田園の遠景と瓦礫の山は天国だろうが地獄だろうが殺風景過ぎる。
 何より、俺と僧侶が同じ場所に辿り付ける筈がない。
 俺の進むべき道は地獄で、こいつの進むべき道は天国。それが因果応報というやつだ。「報われる」ということだ。
 俺と僧侶の進むべき道が交わることなんてあってはならないのだ。
648:
 そこまで考えて苦笑してしまう。どうしたのだ俺は。さっきから何を考えているのだ。まるで熱病に浮かされているようじゃあないか。
 衝撃で頭の螺子が吹き飛んでしまったか? 最早とうに失していたと思っていた人の心というやつが、僅かに搾り滓程度でも残っていたらしい。まるめてゴミ箱へ叩き込むのも億劫になるほどの残滓が。
 頭を振って切り替えた。新鮮な空気を吸う。肺の中に爆風で舞い上がった塵芥が、黒い煙が、悪い空気がたまっていれば、そりゃあ変なことも考えてしまうものだろう。
 深呼吸を二度もすれば、すっかり、ほら、元通り。
 俺は立ち上がる。
傭兵「助かった。礼を言う」
僧侶「……どういたし、まして」
 女の子座りをしたまま僧侶は俯いている。決してこちらを見ない。
 違和感の塊がそこに鎮座ましましている。だが、俺は気にしないことにした。それは確実に考えたって金にならないことだ。そもそも女なんてのは男がいくら考えたって理解しがたい部分を持っている生き物でもある。
649:
傭兵「けど、お前、俺の言ったことを無視したな」
 確かに言ったはずだ。掃除婦なりに助けを求めろと。俺を置き去りにしてもいいからと。
 俺は生きている。それについては礼を言わなければいけない。こいつは命の恩人ということになるのだから。けれどそれとこれとは話が別だ。作戦の成功率を考えれば、どうしたって怒らずにはいられない。
僧侶「……」
傭兵「……」
 いや、やめよう。怒るのも時間の無駄だ。
傭兵「立てるか。俺の顔は見なくていいから」
 そう言った瞬間に、僧侶の肩が、体が、大きく震えた。まさかばれていないとでも思っていたのだろうか。だとしたら相当におめでたいやつである。
傭兵「……」
 いや、そういえばこいつは相当以上におめでたい思考の持ち主である気もしてきた。
傭兵「とりあえず急いで追うぞ。党首はまだ校舎の敷地から出ていないはずだ。地下を虱潰しに探すぞ」
650:
僧侶「ど、どうしてそんなことが! わかる、ん、ですか……」
 一度はこっちを振り向いたが、また顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまう。
 途轍もなく調子が狂う。
傭兵「まぁ、なんだ。党首は校舎にいた。つまり州総督から情報は完全には引き出せていないってことだ。州総督も海千山千の男だし、そう簡単に口を割るまいとは思っていたが、流石だな」
傭兵「で、校舎にいて、かつ州総督と自分が無事なところつったら、素直に考えれば地下だろうな。心当たりはあるか?」
僧侶「……恐らく、食物庫、かと。ここは緊急時の避難所でもあります。麦や米、その他食物を保存しておくための蔵が、半地下になってます」
傭兵「緊急時の避難所がこの状態かよ。笑えねぇな」
 笑うつもりもなかったが。
651:
「手を挙げろ」
 魔法的に拡散された声が俺の、恐らくは俺と僧侶の鼓膜を揺らした。迷彩魔法を解いて、銃を構えた兵士が総勢十八名、俺たちを取り囲んでいる。
傭兵「……このタイミングでこれかよ」
兵士「私語は許可していない!」
 背後にいた兵士の銃口が背中に押し付けられた。俺もこれには黙るしかない。
 兵士たちは俺よりも寧ろ僧侶にご執心のようだった。当然といえば当然の話。こいつらから見れば、主の目的は僧侶であって、俺は単なるおまけにすぎないのだろう。
 反乱分子の幹部と護衛、そういう風に見られているのかもしれない。それは昔の事実であるが、今は違うのだといっても、聞き入れてはもらえないだろう。
兵士「僧侶! 自らがしたことの重大さをわかっているな! 本来ならばここで極刑に処したいのだが、あいにくそれは許されていない!」
 乱暴に僧侶が腕をつかまれ、無理やり立ち上がらされる。大のおとなと小娘の腕力では到底太刀打ちできそうになかった。
 危うく手が出そうになるが、この人数相手に勝ち目はない。十人倒せたあたりで撃ち殺される。
652:
僧侶「ま、待ってください!」
兵士「黙れ! 悪魔め!」
 兵士の一人が僧侶を殴りつけた。腕が拘束されている僧侶は無防備に拳をその顔面にくらい、倒れることすらない。変な方向に負荷のかかった腕が悲鳴を上げていた。
 それでも僧侶は諦めない。闘志の灯った瞳で、兵士たちに必死に訴えかけている。
僧侶「党首がこの先にいるのです! 州総督を連れて、情報を聞き出してから殺すつもりです! わたしはどうでもいい、ですから、あいつは、あいつだけは!」
僧侶「どうしても逃がしてはいけないのです!」
兵士「貴様の言葉を誰が信じるか!」
 もう一発、拳が鳩尾にぶちこまれる。僧侶はあまりの衝撃で悶絶し、心はいくらでも言葉を紡ぎたがっているのだろうが、体がそれを許しはしなかった。
 ……殺してやろうか。
 と殺意が一瞬で膨れ上がるけれど、俺は自制する。勝てない戦いはするべきじゃない。それに、こいつらには利用価値がある。
653:
兵士「問答無用! 対象確保! つれていけっ!」
 背中の銃口が俺に歩けと言外に伝えてきた。俺は交戦の意志がないことを両手を挙げて表し、「なぁ」と声をかける。
兵士「私語を慎めといっているだろうがっ!」
 銃床が側頭部を打った。衝撃と刺すような激痛が走る。眠気覚ましにはちょうどいい。なにしろこちとら目を覚ましたばかりなのだ。
傭兵「……俺の胸ポケットを漁れ。俺は国王からの密使だ」
兵士「はっ、誰がそんな言葉を信じるか!」
傭兵「信じる信じないじゃねぇよ、確かめろっていってんだ」
兵士「口答えする気かっ!」
傭兵「俺は国王から密命を受けて、共産主義者の幹部を仕留めるためにここにいる。お前らと仕事の内容は同じだ。その証拠に、国王から授けられた銀貨もある」
傭兵「ポケットに手ェ突っ込めっていってんだよっ! それともなんだ、現場判断で済ませてもいい案件だってか!」
654:
 噛み付くように叫ぶと、兵士たちが声には出さないまでも不安そうな雰囲気を醸し出した。九割は虚言だと思っているのだろう。だが、一割が一厘だったとしても、こいつらは恐れずにはいられない。
 組織に染まってしまった人間は、それゆえに強いが、それゆえに弱い。
 そして今回の重要なところは、理由など殆ど全てでっちあげだが、事実として銀貨を持っているということである。
 だから、俺の胸ポケットから銀貨を見つけた兵士たちは、いかに俺が胡散臭かろうとも敬礼をせずにはいられない。
兵士「ま、まことに申し訳ありませんでしたぁっ!」
 俺は離されるが僧侶は流石にそうはいかない。俺だってそこまで求めちゃいない。
傭兵「この先に党首がいる。半地下の食物庫にいる可能性が高いと、そこのちんちくりんが言っていた」
傭兵「詳しくは知らんが、仲間割れだそうだ。党首はそもそも共産主義になど興味はなかった、と。全ては金と権力のため。州総督の全財産をこのドサクサの中で自分のものにするために打った狂言だ」
傭兵「俺たちは、お前たちも、その狂言に踊らされたんだ」
 兵士たちの間に走るのは衝撃なのだろう。これについては信じるも信じないもどちらでもよかった。俺が欲しいのは頭数だ。少なくとも、真偽がどうであれ、こいつらは党首を倒すのについてきてくれる。
655:
兵士「……こいつの言うことが全て真実だとは、思えんな」
兵士「あぁ、党首の仲間という可能性は十分にありうる」
兵士「しかし、銀貨を持っています。それは事実です」
兵士「とりあえず僧侶は拿捕しました。ここで退くべきでは?」
兵士「この先に党首が隠れているかもしれないのにか? 末代までの笑いものだぞ」
兵士「僧侶とこいつを隊の中心におき、案内させるとか」
 兵士たちは十数秒ほどそうして悩んでいたが、その懊悩を破ったのは一本の通信であった。唐突に鳴った通信機に兵士たちはみな耳を当て、数秒の短い間があいた後に、揃って俺を見た。
 そして不承不承といった体で頷く。
兵士「……たったいまお前の面が割れた。いいだろう、信用しよう。この先に党首がいるんだな」
 面が、割れた?
 面が割れただと!?
656:
 ばかな。それはつまり、そういうことか? 俺が元勇者であると知られたということか? 今の連絡は知っていた何者かからの連絡だということか?
 隊長……いや、あいつは俺が勇者という事実こそ知っているが、見たところこいつらに直接どうこう連絡をつけられる立場ではない。なら一体誰が。
 と、そこまで考えて、雷に打たれたような衝撃が走る。
 自然と銀貨を握り締めていた。
 怒りではない。脱力でもない。相反するそれら二つが交じり合った、どこまでも奇妙な感覚だ。いうなれば「してやられた」というところか。
傭兵「そういうことかよ……」
僧侶「傭兵さん……」
 僧侶もまた開放されていた。こいつが共産主義者たちのリーダーだったことは紛れもない事実。であるのにこんな簡単に開放されるのは、やはり連絡の主の手回しによるものなのだろう。
 一体どこまで知っているのやら。
僧侶「どうなってるんですか?」
 心配そうな顔でこちらを見てくる僧侶。俺は頭に手をやって、その水色の髪の毛をくしゃっとかき乱してやる。
傭兵「安心しろ。もうすぐ終わらせてやる」
 僧侶の長かった旅も。
 俺の長かった旅も。
 どちらも、長くは続かない。
 僧侶は満面の笑みを形作って、
「はいっ!」
 不覚にもどきっとしてしまった。
664:
* * *
 兵士さんらは九名ずつに別れ、わたしたちを挟み込むような縦列陣形となって、行軍を開始しました。傭兵さんは解き放たれていますが依然警戒され、わたしはそもそも縛られています。
 当然十八名にとっては、上からの命令とあってもそう易々と心を許せるはずがないのでしょう。彼らにとっての圧倒的な敵方であるわたしと行動を共にしていたことが、これ以上なく心象を下げているに違いありません。
 
兵士「それで、食物庫はいったいどこにあるんだ」
僧侶「厳密な場所を知っているわけではないのですが、敷地内にあるのは確実です」
傭兵「幸い怨敵自らが見通しをよくしてくれたんだ。そう時間もかかるまいさ」
 軽口を叩く傭兵さんに兵士さんたちが険しい視線を向けます。真面目も不真面目も一緒くたにして笑い飛ばせてしまう傭兵さんと、お国のために反乱分子を鎮圧しようとやってきた彼らとでは、根本がまるで違いました。
 金か国か、もしくは守るべきもののためかという問題なのでしょう、きっと。だなんて上から目線で知ったような口を聞ける身分ではありません。曖昧に笑っておきます。
兵士「……お前、どうして傭兵なんかに身を窶した」
 元勇者なのに、ということでしょう。
 傭兵さんはそれを受け、多少は厭味ったらしい笑顔を作りました。
傭兵「あんた、そりゃ職業差別ってやつだぜ」
 果たして「勇者」が職業であるのかどうかには疑問が残りますが。
665:
兵士「僧侶と顔見知りである理由も知りたいもんだな。裏切ったのか。マッチポンプか」
傭兵「俺が金のためにそんなことをするような男だと?」
兵士「そういう男だとは有名だ」
 噂話には際限のない尾びれ背びれが当たり前だと思ってはいますが、ことこの件に関しては、限りなく事実だと思います。
 傭兵さんもきっとそう思ったに違いありません。心底面白そうな顔をしました。
 この人は自らの生き様を愛する加減を図り間違えています。盛大に。はっきり言って溺愛しすぎなのです。
 ですがそれを指摘するのはダブルスタンダードというものでしょう。これもまた、わたしには何も言う資格はありません。
 共産主義に望みを託し、裏切られ、うらぶれてしまった現在においても、その世界を願って止まないわたしには。
傭兵「こいつとは少し前からの顔馴染みさ。まぁ、罪悪感は感じないこともない。こいつをラブレザッハまで護衛したのが俺だ」
兵士「は、なんだよ、あんたも利用されただけなんじゃないか」
兵士「さすが悪魔の女だ。女狐め」
 ぐい、と手首を縛る縄が強く引っ張られました。決して柔らかくない縄が肉に食い込み、痛みに思わず声が漏れます。
傭兵「おい」
傭兵「捕虜は丁重に扱えよ。国際法違反だぞ」
 懐からナイフをちらつかせる傭兵さんでした。
666:
兵士「……国として成立していない。法律上は、ただの内乱だ。僧侶は捕虜じゃあない」
傭兵「犯罪者だとしても同じことだろう。違うか」
兵士「……」
 傭兵さんの眼光に気圧されたのか、手首の縄が少しだけたわんだ気がしました。
僧侶「珍しいですね」
傭兵「なにがだ」
僧侶「傭兵さんがお金にならないことをするだなんて」
傭兵「馬鹿言え。義を見てせざるは勇なきなりと言うだろうが」
 うわぁ胡散臭い。
 でも、ちょっとだけ嬉しいのが業腹です。彼にというより自分自身に。
667:
兵士「とりあえず、お前らが知ってる党首の能力を教えてくれ。州総督お抱えの揉め事処理屋はブラックボックスだ。ここぞと言うときにしか出てこないから、俺たちにも情報が殆ど降りてきていない」
傭兵「序列六位、『機会仕掛け』。殆ど純粋な魔法使いだな。徒手格闘もできなくはないが、練度は低い」
傭兵「やつは独自の爆破呪文を会得している。一つが位置指定爆破。もう一つが機雷化。前者でこちらの進路を制限し、後者で爆殺を狙ってくるな」
兵士「回避や防御はできるのか?」
傭兵「位置指定爆破については、人体そのものを爆破することはできない。地面や瓦礫を爆破して、間接的にこちらを狙ってくる。ただ、威力はそれでも高い。直撃したら死ぬ程度にはな」
傭兵「そして機雷化だ。これは物質だけではなく、概念も機雷化できる。そして『開放』に類似する動作をキーとして起爆する。機雷化に必要な動作はない。タイムラグも、恐らくない」
兵士「……正直、想像がつかないな」
 一人の兵士さんが言うと、残りのかたもそれに追随しました。
 初歩的な魔法なら、手馴れた人間にかかれば一瞬で行使できます。しかし人を容易く殺傷できるほどの威力をもった魔法を、しかも事前の準備や動作もなく、瞬時に人知れず行使できるのは埒外と言うことはありません。人知を超越しています。
 そして起爆条件もまた曖昧で、広い範囲をカバーしているのが厄介なのです。そのような敵を相手にしたことは兵士さんたちにはないでしょう。
668:
傭兵「起動してから防御、もしくは回避は、並大抵のレベルじゃ間に合わん。俺でぎりぎりなんだ。お前らには無理だろうさ」
 それは一見自慢のようにも感じられましたが、違います。傭兵さんはただ厳然たる事実を述べているだけなのです。
 彼は無駄に誇りません。戦いに関しては猶更。そこに油断を挟んでいたら、彼は今頃ここにはいなかったでしょうし。
 そしてここにいる兵士さんたちも、傭兵さんとの力量差を肌で感じ取っているからこそ、苛立ちの視線を向けたりはしないのです。既に場はブリーフィングへと変わっています。
傭兵「お前は体大丈夫か」
僧侶「はい。全身にガタが来てますが、やれます。戦えます」
兵士「……ちょっと待て。こいつも――僧侶も、戦うつもりなのか?」
 怪訝な顔で兵士さんたちがこちらを見ました。
 全部で十八個の訝る視線。想像したこともない光景に、わたしも傭兵さんも、思わずきょとんとしてしまいます。
669:
傭兵「始めからそのつもりだが」
僧侶「だめなんですか」
兵士「馬鹿か! だめとかいいとか、そういう次元の問題ですらないわ!」
兵士「そうだ! お前は党首の仲間だろうが! 誰が縄を解いたりするかよ!」
兵士「都合からお前も連れて行くことになっているが、本当なら四肢の拘束と五感の剥奪をされても文句は言えない立場なんだぞ!?」
 両手首に縄だけで済んでいる状況が奇跡、ということですか。
 あぁ、言われてみれば確かに当然ですね。兵士さんたちがこちらの事情を知らないように、わたしたちも彼らの事情を鑑みることをすっかり忘れていました。
 だって……
僧侶「あいつらを殺さないことなど頭になかったものですから」
670:
 党首は殺す。絶対殺す。必ず殺す。何が何でも殺す。
 わたしを裏切ったことは瑣末な話です。問題ですらありません。それはよいのです。わたしなどいくら蔑ろにしたって構わないのですから。
 しかし、数多の民草を裏切り、同胞を無残に爆殺した償いは、きっちりと支払っていただきましょう。甘い汁を啜るだけ啜って、得た全ての利益を自分だけが甘受しようだなんて、到底受け入れられるはずがありません。
 お金が可哀想過ぎます。
 資本主義など滅びてしまえばいい。ですがお金そのものが悪いわけではないのです。それを扱う人間と、今ではすっかり主従関係の逆転してしまった、社会システムが癌というだけであって。
 州総督に関してはわかりません。あいつに対しての殺意は確かにあります。寧ろ単純な量で考えれば容易く党首を上回るほどの殺意が。
 その理由は直接的な恨みであり復讐という単純なものですが、ゆえに強くもあります。姿を見れば確実に拳銃を構えるでしょうが、それを傭兵さんが許すはずもないでしょう。
671:
僧侶「信じてもらえなくても構いません。わたしは、本当に、ただ誰もが幸せになる世界が欲しかったのです。貧富の差もなく、上下の区別もなく、誰もが平等に……そして幸せに暮らせる世界が」
僧侶「結果はこれですけどね。方法が悪かったのか、それとももっと別の、もっと別の何かが、悪かったのか」
僧侶「わたし個人の償いはします。ここまで事態を大きくしたのは、間違いなくわたしが原因の一つでしょうから」
僧侶「ですが、党首にも償いはさせます」
 拳を握り締めました。
兵士「……何がきみをそうまでさせる?」
 今まで黙っていた兵士さんたちの中から一人、中年の男性が声をかけてきました。
兵士「子供ってのは、そんな殺気の篭った瞳をもってないもんだ、普通は」
僧侶「だとしたら、わたしが普通じゃないってことですよ」
 そしてそれは幸せなことでもあります。わたしみたいな境遇が普通の世の中になってしまえば、最早取り返しなどつくはずもありませんから。
672:
 逆説的に、取り返しのつくうちに何とかする必要があるのです。
 鉄は熱いうちに打て、だと少しばかり意味合いが変わってしまうでしょうか?
僧侶「両親が使い捨てられたのです、州総督のクソ野郎に」
僧侶「誰よりも優しく、誰よりも他人に施してきた、最も尊敬する両親が」
僧侶「金のために、人気のために、使えるだけ使ったらポイですよ。所詮人なんて消耗品なのだと、言うかのように」
僧侶「……あなたたちは兵隊ですから、それでもいいのだと、言うのかもしれませんけどね」
 それは決して一般的な感覚ではない。
 わたしは自分の言葉を噛み締めていました。いや、噛み締めるように言葉を紡いでいた、というほうが表現としては正しいのでしょうか。
 どちらにせよ、わたしはそのとき、確かに自分の足跡を確認したに違いないのです。自らの出発点と、歩んできた山河と、そして現在地を指でなぞって線を引き、点を打ったのです。
僧侶「あなたたちがなんと言おうと、わたしは戦います。党首の喉笛を喰いちぎるのは、両親の仇をとるのは、わたしがやらなければならないことですから」
673:
兵士「……もしかして、きみのお父さんというのは、神父さんかい」
 ひとり、やや若いかたが恐る恐るというふうに尋ねてきました。わたしは何事もないかのように頷きます。そりゃそうです。なんら恥ずべきところのない、最愛のひとなのですから。
 動揺が兵士さんたちの間に走ったのをわたしは見逃しません。
兵士「……そうか。そう言われてみれば、面影があるような気も、するかな……」
 先ほどの中年兵士がぽつりと呟きました。面影、あるのでしょうか。だとすればそれは嬉しいことですし、何より誇らしいことでもあります。
兵士「俺、馬鹿だからさ、学がないからさ、お嬢ちゃんの言ってる大義だとか理想だとか、ぜんぜんわかんねぇんだよな」
 恐らくこの中では一番若いのであろう兵士さんが言います。
兵士「ただ、わかんない中でも、ちょっとくらいわかることはあるよ。多分、お嬢ちゃんは優しいんだ。だから、きっと、お嬢ちゃんが目指す世界は、優しい世界なんだと思う」
僧侶「はい」
 この返事はおかしかったでしょうか。
 ただ、それ以外に返事の仕様がないのも事実だったのです。
兵士「けど、この世界って、優しくないんだよなぁ」
674:
 誰に言うでもなしに吐かれた言葉は大気に溶けて消えました。終着点が与えられなかったゆえに、昇天する前に霧散します。
僧侶「はい」
 わたしは、また、そう返事をしました。
 と、手首の締め付けが一気に緩くなりました。今までわたしを拘束していた縄が解かれたのです。
僧侶「……いいのですか」
 思わず尋ねてしまいました。
 わたしの背後で縄先を握っていた兵士さんは、縄をその辺に放り投げ、困ったような顔で笑います。
兵士「まぁ、大丈夫っしょ。いいですよね?」
 他の方々に振り返って訊いても返事はやってきません。曖昧な笑いを何人かはしていましたが、わたしにはその意味がわかりませんでした。
 ただ、黙って聞いていた傭兵さんが、小さく「人たらし」と呟いたことだけが印象的でした。
675:
傭兵「……さて」
 傭兵さんが剣の握りを確かめました。
 その動作を見て、わたしも全身に魔力を巡らせます。腕力、脚力、守備力、ともに倍加。どんな動きにも対応できるように踵を浮かせ、拳を握り締める。
傭兵「おでましだぞ」
 百数十メートル先に、党首と、それに引き連れられた州総督の姿がありました。州総督は先ほどまでのわたしのように縄で縛られ、けれどそれほど消耗してはいないのか、自らの足で歩いています。
 党首はあからさまに嫌そうな顔をしました。距離は離れていてもしっかりわかるくらいですから、よっぽどなのでしょう。その顔を見ただけでも追った甲斐があるというものです。
 ですが、まぁ、それは当たり前なのです。仕留めたと思ったはずの傭兵さんがほぼ万全の状態で復活し、わたしまで生き長らえ、そして十八人の国王軍兵士を引き連れてやってきたとなれば、気分がよくなるはずもありません。
兵士「見つけた……っ」
傭兵「慌てるな。機雷の餌だぞ」
676:
僧侶「すいません、無理です」
 この体が猛って仕方がないのです。
 それに、この中で囮役を引き受けられるのは、守備力倍加と回復魔法を使えるわたしくらいのものでしょう。
 大した戦力にならないのですから、せめてこれくらいは。
僧侶「ね?」
 傭兵さんの制止を振り切って飛び出しました。即応で足元や周囲の木々が爆破され、一気に視界が悪くなります。
 何度も浴びた爆風。灼熱。肌が焼け、髪が焦げ、気管が煤で汚されていきます。
 ですがそんなのもう慣れました。
 人間に必要なのは屈強な肉体ではなく強靭な精神なのです。より正確に言うならば、物事を成すべしという覚悟なのです。それこそが人を前進させるのだということを、わたしはここ半年の長くない時間でよく知りました。
 事実、わたしを動かしてきたのはいつだって覚悟で。
 今だってそう。
 理屈とかはどうだってよくて。
 今はただ、党首が憎い。
677:
 結局わたしはどこまでも利己的な人間なのです。どこまでも自分の憎悪に振り回される人間なのです。感情を保留し、宥め、自らを律することができない人間なのです。
 しかし傭兵さんは言ってくださいました。大事なのは信念であると。金や恨みで殺すクソッタレにはなるなと。傭兵さんの基準に照らし合わせれば、わたしはもうクソッタレなのでしょうか? 憎悪に突き動かされて人間を堕した畜生なのでしょうか?
 あぁ、でも、理屈とかはどうだっていいから、そんなことを考えるのは無駄で、だから、自己犠牲は決して自己陶酔の産物なのではなくて、つまり、それでも。
 ですが、こう考えることもできるのではないでしょうか。どうせわたしはこの後、兵士さんたちに捕まって投獄されてしまうのですから、やりたいことをやったほうがお得なのでは? 
 ……熱された頭で考え続けるのも、どうやら限界でした。
 党首に近づけば近づくほど、この男を引き千切ってやりたくてたまらなくなってしまいます。
僧侶「今度こそっ! 逃がしませんっ!」
党首「ちっ、まるで飢えた狼ですね」
 それは狼に失礼というものでしょう。
 気高い生き方をする彼らはあくまで動物です。この身に宿る醜悪な畜生とはまったく異なります。
678:
 党首は州総督を突き飛ばしました。流石にここで州総督を連れていては足手まといにしかなりません。ですが、やつをおいて一人逃げるつもりでも、ないようです。
 そこは無論党首にも意地と矜持があるのでしょう。ここまで入念に準備をし、国を敵に回してまで彼は金と権力を手に入れようとしました。そうして手に入れたそれらに一体どれだけの価値があるのか、わたしには全くわかりませんが。
 ただ、人生を擲つ、それこそ「信念」に裏打ちされた行動なのでしょう。つまり党首の人生と同じ重みなのです、金と権力は。
 安い。
 あまりにも安い。
 州総督の全資産がどれだけなのかは想像もつきません。十億? 五十億? もしたら百億はあるんでしょうか。だとしても、たった百億を自由に使うための人生だなんて、カスみたいなもんです。ゴミみたいなもんです。
 爆破を全て集めてまとめて投げ捨てて、後退して距離が「開く」よりもく接近し、わたしは吼えました。
僧侶「――――!」
 人ならぬ叫び。今のわたしは一個の弾丸です。使い捨て。戻ることなんて――元の社会に戻ることなんて、ちぃとも考えていない鉄砲玉。
679:
 大振りの拳は回避されました。勢いあまって転倒し、強く踏み込んでうつぶせの状態からクラウチングスタート。それこそ弾丸のように党首へと突っ込んでいきますが、四指爆破で角度をそらされました。
僧侶「党首ッ! あなたは、絶対に、許しません!」
党首「陳腐な言葉だ。許さないからどうだというのです」
党首「それに、誰かに許しを乞うたことなどない!」
 うるさい。喋るな。あんたの言葉なんて聴きたくはないのだ。ただ、許さないという誓いを立てただけ。
 裁くなんて物言いはできません。だってそれじゃあまるでわたしが神様みたいじゃないですか。そんなのはだめです。この世には神様なんていやしないんだから、表現は間違っているのです。
僧侶「あなたが、憎い」
 憎悪。
 何も知らない者を、善意で集まってきた者を、自分の私利私欲のためだけに利用する。両親を使い捨てた州総督のように。
 許せない。
 殺す。
僧侶「殺す。殺します」
 絶対に。
 世界のために。
 人間失格のわたしには、それくらいしかできることがないから。
680:
傭兵「そんなことはない」
 わたしの肩を掴んで押しのけて、傭兵さんが飛び出していきました。
傭兵「お前の言葉には信念がある。誇れ」
傭兵「それに感化された人間だって数え切れないほどいるはずだ。お前はいつだって、世界のことを考えていた。そうだろう」
 党首へと飛び掛るその僅かな時間が、まるで永遠にも感じられました。
僧侶「……はい。……はい!」
傭兵「世界を救うぞ」
僧侶「はい!」
 党首を倒したって世界は救われやしません。しかし、傭兵さんが言ったのは、そういうことではないのです。言うなれば信念の補充。覚悟の充填。これまでの道しるべと、これからのランドマークを見つける作業。
 ですが、傭兵さん。ちょっとだけ訂正したいと思います。
 わたしの言葉に信念がある?
 それは、わたしがあなたに向けて言いたいくらいですよ。
681:
 既に党首には十八人の兵士さんたちも追いついていました。爆破で大きく吹き飛ばされる彼らでしたが、それでも中衛以降の人たちは踏ん張って耐えています。ぐ、と足に力をこめ、党首に向かって突っ込んでいきました。
 剣と槍を初めとする猛攻に、党首は爆破だけでは耐えられません。必死に後退を試みていますが徐々に距離は詰められていきます。
 そもそも彼の魔法は事前に情報がばれていては効果を十全に発揮などできないのです。それも近距離で、この人数を相手にしては、猶更。
 党首は舌打ちを一つして懐から封筒を取り出しました。それを一気に引き「破り」、自らを巻き込んだ大爆発を起こします。
 兵士さんたちのみならず、接近していた私たちもまた大きく吹き飛ばされました。直接のダメージはありませんでしたが、勢いよく地面を転がります。
 立ち上がった党首にダメージはそれほど見られません。爆破耐性のある装備を身に着けているのでしょう。当然と言えなくもありませんが。
 しかし、こちらの被害もまた軽微。即座に立ち上がって武器を構えました。
 合図などはなくても心は通じ合っています。ほぼ同時にわたしと傭兵さんは左右に跳び、あわせて兵士さんたちも突撃を開始しました。
 度の十分に乗った攻撃を、党首は爆破と体術を用いて、なんとか紙一重で回避していきます。王手を巧みにかわしていくような体捌きでした。横薙ぎをスウェーで避けると、続く突きは爆風で逸らし、傭兵さんとわたしが突っ込んでくるのを見るや否や自爆覚悟で距離を開きます。
682:
 即応した兵士さんたち数人が爆裂で壊滅しました。攻撃を「放とう」としたところを狙い撃ちされたのでしょう。肉片が降り注ぐ中を、生き延びた方々は更に強く地面を踏み込むことを弔いとして、一気呵成に攻め立てます。
 太ももを槍が貫きました。そして、恐らく傷が「開いた」からなのでしょう、爆裂が起こって槍の持ち主を吹き飛ばします。
 残りは十三人。
 十三人が裂帛の気合と共に党首へと突っ込みました。
 傭兵さんが刃を振り下ろす瞬間に機雷が爆裂し、その体を飲み込みます。けれどわたしは慌てません。拳を一際強く握り締め、党首へと掴みかかりました。
 黒煙の中を突っ切った傭兵さんは五体満足。超人的な反射神経は爆裂を察知してからの防御や回避を間に合わせます。勢いを限界まで落とすことなく走りこんでくる彼とわたしの位置は対角線上で、挟撃の形。
 回避行動をとろうとした党首の顔が歪みました。太ももは槍に貫かれているのです。
 拳が党首の腹を打ちます。同時に数多の槍と刃、そして傭兵さんの振るった剣が、党首の全身へと突き立てられました。
傭兵「全員、伏せろおおおおおっ!」
683:
 叫ぶよりも早く爆裂が全てを薙ぎ倒していきました。党首を破ったことによる機雷の起動。先の戦いでも見たそれは、流石にわたしたちには通用しませんが、不意打ちでなくともその威力は絶大です。
 強か全身をサイロの壁に打ち据え、臓腑に衝撃が与えられて数度呼吸さえ止まりましたが、それでもわたしは生きています。バネ仕掛けのように飛び起きて黒煙の中へと身を投じました。
 視界が晴れると、既に傭兵さんと兵士さんたちが、党首に踊りかかっているところでした。
 党首の傷は治癒の煙を噴出しながら再生しています。足元に転がっている空瓶――恐らく、世界樹の雫。
 と、そこでわたしは、得体の知れない悪寒を覚えます。
 党首が顔色を悪くしながらも、勝利を確信した笑みを形作っていたからです。
僧侶「ようへ――」
 理屈と膏薬はどこにだってつきます。この叫びだってそうで、何が危ないのか、どうして危ないのかという理由より先に、まず行動が来ていました。
 しかし彼らの動きは止まりません。止まれないのか、そもそも聞こえてすらいないのか。
684:
 校舎は全て瓦礫の山と化しました。景色は変容しきっています。であるなら、いま、わたしたちは本当に学校の敷地内にいるのでしょうか――そうです、サイロにぶつかったことが、わたしの疑問の原因なのでした。
 サイロ? なぜ? ここは学校のはずなのに。
 党首は概念すらも機雷化できます。国境線も。町も。それで人が爆殺されるところを、わたし自身見たではないですか。彼の陣地へと、その境界線を「破って」侵入してきた人間たちは、みんな……。
 ならば。
 もしやというには確信がありました。党首がひたすらに自爆を繰り返し、移動をしていたその理由。
 距離はあと数歩。時間にして、コンマ数秒。
 いない神には祈れません。信じられるのは自分だけ、とまではいいませんが、社会システムが間違っていて、神様もまたいないのならば、困ったときに縋れるのは人間なのです。
 汚い人間もいます。悪い人間もいます。騙し騙され、裏切り裏切られ、そんなことばかりの世の中でも、きっとなんとかなるはずなのです。幸せな世界は、わたしたちがわたしたちの力で勝ち取らなければいけないのです。
 であるのなら、信じましょう。わたしを。ひとを。
 お願いします、わたしのからだ。これまで何度と繰り返してきたこの動作、せめてあと一度、間に合わせて欲しい。
 拳銃を引き抜きました。
685:
 狙いをつけている暇はなく。
 それでも、外す気配はなく。
 党首はようやくわたしの気配に気がついたようでした。愕然として、顔を引き攣らせて、逡巡して――逡巡? いまさら何を悩む必要があるってんですか?
 あなたは殺す。わたしも死ぬ。仲間割れとしては、これ以上なく妥当な帰結ではないですか。
僧侶「……」
 お願いします、傭兵さん。魔王を倒して、困っている人を助けて、この世の中をもっと平和に、幸せに。
 おかしな話です。機雷化をわたしは回避も防御もできませんし、つまりそれは死ぬということなのですが、だのにまったく怖くはないのです。傭兵さんがいるということ、そして傭兵さんに託せるということ、それがこんなにも心を穏やかにするものだとは。
692:
* * *
 鼓膜が震えます。
 概念が爆裂します。
 熱。光。
 吹き飛ばされる人々の声。
 わたしは生きていました。
 なぜ?
傭兵「ぁあああああっ!」
 爆炎を乗り越えた傭兵さんの右手に握られているのは、破邪の剣ではなく一振りのナイフ。それがたったいま、党首の首に深々と突き立てられました。勢いのまま倒れこんで、党首へと馬乗りになっています。
 呆然としているわたしの眼には、それが光景としては入ってきていても、事態の理解には結びついてはいません。
僧侶「……へ?」
693:
 限りない度と膂力を篭められ、ナイフはさながら竜の牙の如く、党首の喉を食い破っていきます。それは切断ではなく、刺突。的中部位の消滅を伴う。
 血すら飛沫となって吹き飛ぶばかりで、激しい出血すらもなく。
 党首の腕から力が抜けたのが、確認できます。
 思わず地面へへたりこんでしまいました。
 これ、どういうこと?
 全身に力が入らないのは、生きている喜びが云々ではなく、単純に覚悟が大きく空振りをしてしまったからなのです。最早これまでと、南無三とすら、思っていたのに。
 筋肉が弛緩しすぎて涙まで出てきました。危うく失禁すらしそうになって、慌てて全身に力を篭めます。
傭兵「お疲れ様」
 極めて軽く、あっけらかんと傭兵さんは言いました。随分余裕ですねと返そうとしましたが、寸前でがくんと膝が折れます。そのままバランスを崩してこちらへ倒れてきました。
 なんとか受け止めますがわたしだって力が入らないので、二人して地面に寝転がるかたちになります。傭兵さんの顔がちょっと近くて、空は青くて、なんだか思わず笑いがこぼれてきました。
694:
僧侶「って、違う!」
 跳ね起きました。
僧侶「あの、あれ、どういう、なんでわたし、生きて、え!? ねぇ!」
 口が回りません。いや、回っていないのは、きっと頭でしょう。
僧侶「なんで生きてるんですか!?」
傭兵「俺に死んで欲しかったってか」
僧侶「あぁもう、違います!」
 こちらの質問意図を明確に理解して尚この言動なのですから、余計たちが悪い!
僧侶「どうしてわたしが生きてるんですか!?」
傭兵「……」
僧侶「……」
 叫んで一拍置いてから、そもそも傭兵さんがその原因を知っているかどうか、確証はないことに気づきました。
 そして同時に、傭兵さんなら原因を知っているだろうと、確証はないのに信じられました。
695:
 わたしが生きているのは不自然なことです。そして、この身に起きる不自然なことには、 傭兵さんが関わっているのです。わたしはそのことをよく知っています。
傭兵「お前の拳銃、それ、空砲だぞ」
 ……え。
僧侶「あ」
 そうだ。そうです。そうでした。
 地下牢で傭兵さんがわたしを一度殺すときに使った空砲。そのマガジンは、ずっと拳銃の中に入れっぱなしで、だから当然先ほどのときも。
 ということは――ということは?
 わかることは唯一つ。仮にあそこで発砲できていたとしても、党首の息の根を止めることはできなかったということです。
 ……いや、もしかして。
僧侶「傭兵さん、ここまで読んでましたね」
 断定的にわたしは尋ねます。
傭兵「当然だ。ただ、賭けでもあった。分が悪いわけじゃなかったから採用したが、正直心臓に悪いな」
696:
 限りなく嘘くさくはありましたが、先ほど足が震えていたのを見れば、そうは言えません。確かにこの人は内心びくびくしていて、けれどそれを外には決して出さず、机上に振舞っていたのでしょう。
 まったく。なんていう胆力ですか。
僧侶「読み違えてたらどうするつもりだったんですか」
傭兵「そんときゃお前が死んで俺が党首と相打ちだ。最低限の目的は果たせる。党首が世界樹の雫をもう一つ持ってるかもしれなかったし、そうでなくとも別途回復手段は想定してあった」
傭兵「結果オーライだろ。こりゃ日ごろの行いだな」
 この人の行いを神様が助けてあげたいと思うようなら、きっと資本主義の神様ですね。市場には神の見えざる手が働いているといいますし、多分それです。
傭兵「機雷の爆裂条件は『何かの開放』……概念で言えば『破る』『放つ』『開く』あたりだろう。じゃあ逆に、それが失敗したらどうなるのか、ってな」
 そう。それらの行動がもし失敗した場合、一体どうなるのか。
 爆裂するのか、しないのか。
697:
 傭兵さんは賭けといいました。確かに二者択一ではありますが、これもまた傭兵さん自身が言ったように、分の悪くはない賭けです。
 普通に考えれば、党首が「機会仕掛け」である限り、機雷は機会がやってこなければ爆裂しないはずなのです。行動の失敗は、機会に当然先んじます。行動が起きていないのに爆裂してしまえば、それは即ち機会を重んじる必要などない。
僧侶「ん? ……あれ、でも、どうして傭兵さんの攻撃は、爆裂しなかったんですか?」
傭兵「ナイフの攻撃は刺突だ。『放つ』もんじゃあない。それに、万が一のために予防線も張ってあったしな」
僧侶「予防線、ですか」
傭兵「気づいてなかったか。党首の機雷には設置上限があんだよ。詠唱の必要もない、設置場所の指定もない、設置上限もないじゃ万能すぎる。少なくともどれか一つにはなんかあるとは踏んでた」
傭兵「三つ。それが党首の限界だ。僧侶の拳銃、領土の境界線、そして俺と兵士たちの攻撃……全部で四つ。防ぎきれない」
 でも、拳銃は空砲で。
 わたしの拳銃に銃弾が入っていれば、わたしは確実に死にましたが、同時に確実に党首を殺すことができたはずです。分がよくても賭けは賭け。傭兵さんならば間違いなく確実な手段をとると思いましたが、今の話を聞いて、違和感です。
 ……わたし、勘違いしちゃいますよ。
698:
 理由を聞こうとしてやめました。どうせ答えてくれるはずなどありません、と自分の中で結論付けておくことにします。
僧侶「……党首は」
傭兵「ん」
僧侶「最期に何か、言っていましたか?」
 謝罪でも、命乞いでも、自らの正しさを語るのでも、なんでも。
 聞いてどうするというのでしょうか。全く意味なんてないのに、なぜだかそれが無性に気になりました。それとも自分とまるで正対する人間だからこそ、でしょうか。
 傭兵さんは首をふるふると横に振りました。
傭兵「いや、なんも。なんもだ。また自分を機雷化されても困るからな、発動の隙間すら与えず、一瞬で殺った」
僧侶「そうですか」
 思いのほか落ち着いた声でした。残念だとも、ざまぁみろとも、思いません。今は底までの余裕がないだけなのかもしれませんでしたが。
 心の中心を埋めていた大きな欠片が剥離して、はらはらと崩れて消え去っていくのがわかりました。喜びは確かにあります。ですが、一息ついたという感のほうが強くもあります。これは結局尻拭いにすぎないのですから。
699:
 本来ならばわたしがこの手で始末すべき人間なのです。と、そこまで考えて、今までわたしが党首へと抱いていた憎悪が、もしかするとそれは憎悪ではないのかと思いました。義務感というか、責任感というか、罪悪感というか。
 ここまできてしまえば最早確かめる術はありません。党首は死にました。殺したのは傭兵さんです。わたしにできることは、自らを情けなく思うことと、彼に感謝をするくらい。
 まぁ、自分を卑下してしまえば、傭兵さんはきっとすかさず似合わないフォローを入れてくるのでしょうけど。たとえば、「お前が拳銃を向けてくれなかったら、どうなっていたかわからない」とかなんとか。
 ですから、あくまで真っ直ぐに彼の眼を見て、誠心誠意頭を下げるだけに努めました。
僧侶「ありがとうございました」
傭兵「どういたしまして」
 謙虚です。いつものこの人なら、お金くらい請求してきてもおかしくないのですが。
 いえ、この人だって、たまには守銭奴の暖簾を下げるときもあるでしょう。今日は珍しい定休日。そう思っておくことにします。
700:
傭兵「俺は州総督のところに行くが、どうする」
僧侶「……殺して、いいなら」
傭兵「だめだ」
僧侶「……」
 動悸が高まります。脳に送るべき血流を必死にまわしているのです。
 憎悪。殺意。その二本柱が州総督とわたしの意識を固く連結して離してくれません。わたしの両親を襤褸雑巾のように使い捨てた悪党。どうして許しておけるでしょうか。
 でも、きっとそれは傭兵さんだって同じなはずなのです。彼の言うことを信じるならば、お父さんは嘗て、傭兵さんたちと旅をしていたことになります。仲間を使い捨てにされた恨みは傭兵さんにだってあるでしょう。
 何が正しい行動なのか、とっくにわたしにはわからなくなっていました。お金なんていらない。お金なんて悪だ。そう思っていたわたしの行動は、全て裏目に出ました。この瞬間考えていることが、しようとしている動作が、裏目に出ないと誰が言い切れるでしょう。
 わたしが特別なのではなく、誰にだって保証はない。そうなのでしょうが、だけど、それでも、そんなことは知ったことではないのです。
傭兵「ま、勝手にしろ。殺させはしないけどな」
701:
 わたしは結局、とぼとぼと彼のあとをついていくことにしました。兵士さんたちがちょうど州総督の身柄を確保しているところでしたが、まぁ殆ど特権というか、顔パスです。彼らも傭兵さんの功績をわかっていますから、素直に避けました。
 州総督は地面に胡坐をかいたままむすっとした様子でこちらを見ていました。暴行のあとは見えますが、重傷のようには見えません。党首は魔法使いであって拷問官ではないのですから、不得手であった可能性は十分にあります。
 五十代後半の男性。ここ数ヶ月の生活のせいかだいぶ痩せましたが、鋭い眼光はそのままです。
 手が自然と拳銃へ動きました。が、意志の力で捻じ伏せます。大体拳銃はマガジン全部空砲で、何より傭兵さんがわたしの動きを察知して尚、見送ったから。
 見送ってくれたから。
傭兵「よう。実際に会うのは初めてだな」
州総督「……」
傭兵「だんまりかい。ショックや拷問で口が利えねぇ、ってわけでもねぇんだろう。あんたがそんなタマかよ」
州総督「……」
702:
傭兵「まぁ、いい。そっちが喋りたくなくても、こっちは用があるんだ」
傭兵「党首を殺せと依頼がきた。お前の子飼いの揉め事処理屋からな。手付金が一千万、成功報酬が四千万。まぁそれはいい。それに文句はない」
 「が」と傭兵さんは続けました。
 あ。
 すっごい悪い顔してます。
傭兵「五億」
傭兵「お前を救出した礼金を俺に払うのが筋ってもんだろう? なぁ」
 ご?
 ごおく?
 五億って、いくらでしょうか。
 それはお金の概念というよりは、大きさや重さを表す概念に近似しているのでは?
703:
州総督「……馬鹿か、貴様は」
傭兵「お、いいねぇ。命の恩人に向かっての最初の一言が、辛辣な悪罵! さすが稀代の傑物だ」
州総督「金などない。俺にはなにもない。今回のどさくさに紛れて、どうせハゲタカどもが食い荒らしているに決まっている」
傭兵「残念だがそうはいかねぇんだ。こっちも世界の平和がかかってるもんでな」
州総督「ない袖は振れん」
傭兵「そこをどうにかしてきたからこその州総督の地位だろうが」
傭兵「協力してくれねぇんだったら、俺はこれを売りにいく。五億にはとどかねぇだろうが、まとまった金にはなるだろうさ」
 懐から取り出したのは薄い紙の束でした。タイトルは……「採石の町、ゴロンにおける瘴気の利用技術に関して」。
704:
州総督「なっ……! 貴様、それを、あのときに……!」
傭兵「手癖は悪いほうでな。俺はこれと同様のものを、あと三十は確保している。証言者もたっぷりいるぜ。なんせ町一つ分だ」
傭兵「これを国王一派にばらまく。マスコミにも。有力な領主たちに売りつけたっていい。そうしたらお前はおしまいだ。ゼロじゃない。マイナスになる」
傭兵「わかってるだろ、俺の言っていることが」
 にやぁ、と傭兵さんは笑いました。
 完全に、悪役のそれでした。
 ……わたし、この人を本当に、その、……いいんでしょうか? なんだか不安になってきたんですけど。
 でも、愕然としている州総督を見ていたら、ちょっとはすっきりとした、かも。
705:
兵士「お疲れさん」
 声をかけられ振り返れば兵士さんたちが揃っていました。生き残りは全部で八名。党首との戦闘はほんの十数分でしたが、その間で半数以上が命を落としたことになります。
 彼らはそれでも職務に忠実で、顔を引き締め、わたしのことを見ています。
 ……あぁ、そういうことですか。
 さすが、職務に忠実ですね。逃げようとは思ってもいませんでしたが。
 少しその顔に申し訳なさが宿っているように思えるのは自意識過剰でしょうか? わたしの手首に、今度は縄でなく固い手錠をかけるとき、できるだけ優しくしてくれたような気がするのも。
兵士「国家騒乱の罪で、逮捕する」
 がちゃり、と手錠が連結されます。
傭兵「……」
 こいつら殺すか? 傭兵さんが剣呑な視線を投げかけてきますが、わたしは苦笑しながら首を振って断りました。責任は、とります。それくらいの矜持はわたしにだってあります。
706:
 わたしが傭兵さんに対して振り向くことを、いくら兵士さんたちでも止めはしませんでした。後ろ手に手錠をかけられたことを、少しだけ幸運に思います。
 だって、そっちのほうがまだ、可愛く見えるでしょ?
僧侶「傭兵さん。いままでありがとうございました」
僧侶「わたし、あなたのことが」
 息を大きく吸い込んで。
僧侶「大嫌いでした」
 うん。間違ってないし。
 傭兵さんは口を手で隠して笑っています。困ったように。苦笑い。
 すぐにこちらを向いて、中指を立ててきました。下品です。
傭兵「俺もだよ」
707:
――これで、わたしと傭兵さんの物語はおしまいです。
 願わくば世界に、幸多からんことを。
721:
夏の月 第六日
 今日からわたしは日記をつけることにしました、とここに記しておきます。
 理由はいくつかあります。一つは、単に暇だったから。だって牢獄の中ではすることが限られすぎています。しかもわたしは政治犯。独房ですし、新聞は読めませんし、可能な限り誰とも接触しないように仕組まれているのです。
 それをぼやいても仕方がありません。逆の立場だったらわたしだってそうするでしょう。自分で言うのもあれですが、わたしは単なる政治犯ではありません。国家転覆を企図し殆ど成功させてしまった大悪党なのですから。
 しかも現在の資本主義を否定し、新たに共産主義などぶち上げる始末。いつ思想を蔓延させるかもしれない人間を、そうやすやすと誰かと一緒にはしないでしょう。
 若干十六で残りの人生全てをここで過ごすことになるとは、まさしくお先真っ暗。でも悲観してはいけません。だってこれは全て自らが招いた結果なのです。謹んで罰は受けましょう。死刑にならなかっただけ儲けものです。
 まぁ死刑にならなかったのは超法規的措置というか、本来なら即日結審翌日執行コースなのですが、わたしを殺せばゲリラたちの反抗が一層激化する可能性が高いためだそうで。
 本当に彼ら彼女らには悪いことをしました。ゲリラは見つかり次第即射殺。それなのに、首謀者であるわたしはこうやって生き長らえているのですから。
 ゲリラに身を窶すことを選択したのは彼らの意思ですが、その火薬に火を放ったのはわたしと司祭と党首の三人。二人は死にましたが、わたしは生きています。残りの人生で到底償えるはずもないのに。
 あ、やば。だめ。涙。
 なんか、疲れました。消灯時間も近いですので、ここで筆をおくことにします。
722:
夏の月 第八日
 早日記を書けませんでした。三日坊主どころではありません。有限不実行ここに極まれり、です。
 なぜ昨日書けなかったといえば、物理的にできなかったからです。体が痛くて痛くて、とてもじゃないですがペンなどもてなかった。
 いやぁ、あるんですね、あんな体罰。王国に喧嘩売ったせいでしょうか。それとも、独房にぶち込まれても平静を保っているからでしょうか。知っていることはとっくに全部包み隠さず喋ったのに、まだわたしから情報を絞ろうだなんて。
 「顔はばれるからやめてやる」だなんてお決まりの台詞を言ってました。そのせいで、こぶしは全部体へ。胸を触りましたね、セクハラです! なんて言える余裕もないほど本気で殴られました。
 正直自分の体を見たくないです。人間って、あんな青くなるんだとびっくりしました。
 それに、ほんと、下っ腹はやめて欲しい。子供産めなくなったらどうするつもりですか。
 全てが終わってほっと一息ついて、生理が戻ってきたと思った矢先のこれですよ。最低最悪。訴えたら確実に勝てます。今の世の中、犯罪者の人権だって保障されていますから。
 なんて愚痴を書いているのが見つかったらまた殴られるのでしょうか。憂鬱。
723:
夏の月 第九日
 何かを書き忘れていると思ったら、日記を書くにいたったもう一つの理由を書いていませんでした。だから書くことにします。
 もう一つの理由は、わたしがまだ、不完全燃焼だからです。悶々としているからです。
 わたしの理想は破れました。内側から食い破られました。ですが、わたしのなかで、まだそれは決着がついていないのです。「それ」というよりは、もっともっと拡大して、わたしにまつわる「全て」と言い換えても誤謬はないでしょう。
 この社会をよりよくしたかった。いえ、よりよくしたいと今でも思っています。そのための手段としての資本家に対する革命、また金銭や市場経済の放棄が間違っているとは思いません。
 夢破れたいま、燻った思いをどうするべきか、行き損なっています。袋小路です。
 思考を整理するための手段として、やはり文字に起こすことは有益でしょう。
 党首を、州総督を、わたしがこの手で殺せていれば、こんな悩みもないのでしょう。けれど結果的にわたしは誰も殺せていません。人を殺せなくて悔しいなど語るに落ちた外道の考えですが、なるほど確かにわたしは道を外してしまったのかもしれません。
 わたしの終点は庸 あの人によって先延ばしにされました。業を代わりに背負った、なんてのはきっとセンチメンタルに過ぎるのでしょう。庸 あの人はお金の亡者ですから、そんなことを考えているはずがないのです。
 广
 書き損じむかつく
 なんでペンしかないの
 鉛筆と消しゴムがほしい
 幸いたっぷりと考える時間はあります。宙ぶらりんになってしまったわたしの思考をまとめることが、残りの人生においてできる、精一杯のことです。それを閲覧するのがたとえわたしだけだとしても。
 そのための日記でもあるのです。
 それにしても、亠
 寝る
724:
 夏の月 第十日
 昨日の分を破ろうかと考えて結局破らなかった。それは負けた気がする。四連敗したけど。
 ペンじゃなくて鉛筆と消しゴムが欲しいといったら殴られました。理由はきっとないのです。むかついたから足に唾を吐きかけてやりました。蹴られそうになったので腕で防御しましたが、腕ごと蹴られました。まだずきずきします。あいつ許さない。
 今日の夕食はサラダがついていて、久しぶりに緑色をした野菜を食べることができた。嬉しい。おいしかった。でもやっぱり、わたしたちがあの国で作っていた野菜のほうが、もっとずっとおいしかったと思う。
 普通、囚人には割り当ての仕事があるはずなのに、わたしにはいまのところお呼びがかからない。拘束着も窮屈だし、そろそろ太陽の光が浴びたい。このままじゃあキノコが生えてきそうで困ります。
 でも、そういったらまた殴られるんだろうな。やめとこ。
725:
 夏の月 第十一日
 今日は看守がいつもの人と違ったので、勇気を出して本の購入申請を出してみた。驚いたことに殴られなかった。いや、それが普通なんですけど、なんだか新鮮。ちょっと涙が出てくるくらいです。
 看守は紙を受け取って懐にしまい、「通るかはわからないけどね」と言いました。検閲も厳しいのでしょう。容易に想像がつきます。外部とのやり取りには警戒しているでしょうからね。
 どうやらこの看守はある程度良心が残っているようでしたので、この際に色々と聞きました。割り当ての仕事の話とか、月に二回の司祭の訪問日とか、わたしの今後についてとか。
 割り当ての仕事に関しては、まだできる作業がないそうです。わたしは他の人と一緒にできないため、一人でできる仕事を用意しなければならないのですが、それがまだないとのこと。
 それでも一週間から数週間以内には準備が整うそうで、わたしがこの独房を出ることができるのは、もう少しあとになりそうです。
 司祭の訪問日は三日後らしいです。カトリアンのかたがわたしのところには来ると。他の僧職に就いている方々は、わたしの現状をどう思っているのでしょうか。両親の最期も。
 少しだけ気になるところではあります。
 一週間も経っていないのに、この生活に飽き始めていました。それもまたわたしの償いです。亠 あの人が世界を平和にしてくれれば、心残りなんてないのですけど。
 負けた
726:
夏の月 第十二日
 どうやら検閲済みの新聞なら読めるらしい。早明日読みたいな。
 今日のスープに蝿が浮かんでいました。仕方がないから箸の反対側を使ってとって、飲んだ。これくらいで死にはしないでしょう。
 晴天でも外に出られないというのはストレスがたまります。
727:
夏の月 第十三日
 今日は風邪気味で体調が悪い。蝿スープのせいではないと思いたいですが。
 明日は司祭の訪問日。本当に会わせてくれるのでしょうか。
728:
 夏の月 第十四日
 今日はいっぱい書くことがある。
 久しぶりに新聞を読みました。広告欄は全部黒塗りされてましたが。多分、その中にわたしや他の受刑者へメッセージがあったら困るから、でしょう。
 だったら新聞の記者が本文中に暗号を仕込んでいる可能性もあるんじゃないのかと思いましたが、そんなことしたら墨塗り新聞どころではありません。一面真っ黒です。
 わたしが逮捕され、裁判を経て投獄されるまでの約一ヶ月、世界は相変わらず回り続けているようでした。州総督の復帰、激化するエルフと魔王軍の戦争、それに対して支援をすることの賛否が問われています。
 そして、わたしたちが起こした事件の影響はやはり甚大らしく、ゲリラたちは依然資本主義に対しての苛烈な攻撃の手を休めようとはしませんでした。王都での爆弾事件が一ヶ月で八件。死者十一名、負傷者三十二名を出しています。
 心が痛みます。けれど、わたしにできるなど何もないのが実情です。メガホンを持って、「みなさんやめてください」と声をかけて止まるのであれば、いくらでもそうするのですが。
 もしかしたら、あの人も討伐作戦に参加しているのかもしれませんね。たった一人で潜伏地を割り出し襲撃して全滅させるくらいならできそうです。
 しかし、きっと、優先すべきは魔王、及び四天王の討伐でしょう。守銭奴ではあっても自らの目的を忘れることはない人です。深遠なるその考えの先を結局わたしは見通せませんでしたが。
 今日も元気にお金を集めているに違いありません。そうであって欲しいと、切に願います。
 当然平和なニュースもありました。各国対抗の運動競技会でこの国が二位に入ったことだとか、他国へ行くための新たな道路の建設に着手されたとか、違法な兵器業者が新進の総合商社に食い潰されているとか。
 いいことばかりが続かないように、悪いことばかりも続きません。頭ではわかっているのですが、こうして紙面を見ていると、いいことと悪いことが本当に一つの国でまぜこぜに起こっているのが不思議に思えてきます。
 新聞を読み直しながら書いていたら消灯時間になってしまいました。命令違反だと殴られでもしたらたまったものではありません。続きはまた明日。
 おやすみなさい。
737:
夏の日 第十五日
 昨日は司祭との訪問日でした。だからそのことを書きます。
 司祭は三十少し過ぎたくらいの人でした。柔和な顔つきで、優しい人なのだとわかりました。優しさは盲信の原料でもあり、そして猛進の燃料でもあります。こんな辺鄙な場所にある刑務所まで足を運び、教えを説こうというのですから、並大抵ではありません。
 ですが、そんな人でも、わたしのことは警戒しているようでした。一体わたしのことをどこかの殺人鬼と思っているのでしょうか。互いが席に着いて第一声を発するまで、そこにはまるで切り結ぶ直前のようなぴりぴりとした空気すらあったのです。
 それはまさに邪教を相手にするときのそれでした。十字を胸に力強く抱き、普く八百万の神々の存在を感じることで、なんとか自我を保とうとするのです。
 わたしは決してそれを笑い飛ばそうとは思いませんでした。宗教――そう、宗教です。資本主義に基づく生活様式はとっくの昔に信仰の対象となっていて、お金持ちが偉ぶったり、敬われたりするのは、神様の化身だと思われているから。
 その点で共産主義に傾倒するわたしなんかは、そりゃもう邪教も邪教、邪教オブ邪教でしょう。
 そんな人間を相手にしようとするのは信心深い人間だと相場が決まっています。そして、わたしが思うに、信心深い人間には二種類いて。
 一人は「殺す」ひと。他宗教は全て敵だ、問答無用で殺してしまえ、そのためには一人一殺、自分の命を引き換えにしても構わないという狂信者。
 もう一人は「飲み込む」ひと。我が宗教はこんな宗教だ、ここが素晴らしい、是非とも信じなさい、敬いなさい、奉りなさいと徹底攻勢を仕掛け、こちらがうなずくまで決して帰らないという狂信者。
 前者も後者も自らの行いや所属する組織、信仰が間違っているはずがないと思っているところに最大の面倒くささがあります。彼らの行いは、彼らの中では絶対的な正義であり善意なのです。
 結果から言えば、やってきた司祭は「飲み込む」ひとでした。覚悟を決めた顔をするや否や猛烈な勢いでわたしの共産主義がどれだけ馬鹿げているか、神の思し召しに背いているか、社会を不安定に陥れるかを説明しだしたのです。
 同時に自分たちの行い、教義、神様がどれだけ優れているかを滔々と、悦に入った恍惚の表情で述べだし、わたしに入信するよう求めてきたのです。そうすれば全てが救われる。全ての問題がまるっと収まる。要約すればそういうことでした。
 一応わたしも同じカトリアンですが――でしたが、ここまでガンガン行くひとには出会ったことがなく、思わず半分以上聞き流してしまいました。
 とても疲れました。とても、とっても、疲れました。
 まるで異星人と会話をしているようだったのに加えて、最後に司祭は「また来るから」といって去っていったのですからたまったものじゃありません。もうあんな人、顔も見たくないですよ。
 仮病でも使おうかなぁ。
738:
夏の月 第十九日
 今日から軽作業が始まります。昨日わたしを殴らない方の看守がやって来て、作業の手順をまとめた紙の束をおいていきました。A4判で二枚ぶん。まぁ、軽作業というくらいなのですから、こんなものなのでしょう。
 内容は極めて単純です。縄を編む、ただそれだけ。乾燥させた藁を継ぎ足しながら、三編みの要領で一本の縄にする作業。何に使われるのかなど知る由もなく、わたしはひたすら黙々と縄を編んでいました。
 正直、きついです。
 だんだんと指先は痛くなってきます。藁は存外硬く、それを揉み解しながら編んでいくのですが、そのため指先の皮がむけていくのです。作業が終わった暁には、きっとわたしの指紋は消えてなくなっているに違いないと確信しました。
 また、誰もいない静かな部屋でひたすらに藁を編むだけどというのは、精神にも多大な影響を与えます。とにかく時間の経つのが遅いのです。軽作業とは名ばかりで、これでわたしを自殺に追い込もうとしているのではないかと勘繰るくらい。
 一日のスコアは、終わってみればおおよそ三百八十。最初にしてはまぁがんばったほうではないでしょうか。
 この作業が今後もずっと続くと考えると頭が痛くなってきますが、これもわたしに課せられた責務であり、罰の一環。厳粛に受け止めることにしましょう。
739:
夏の月 第二十三日
 今日は大雨でした。雨音と言えればまだ風情があるのでしょうが、バケツをひっくり返したような雨は、さながら機関銃のように激しく窓を、壁を、打ちます。ばちばちばちばち。水の硬さというものが、このときばかりは実感できます。
 雨の日は嫌いではなかったのですが、ここに収容されてから宗旨換えも已む無し。なんといっても晴耕雨読ができないのですから。
 それに、雨が降ればどこからともなく虫がやって来ます。雨宿りをしに来たのかもしれませんが、お生憎様、住民がいるのです……と言っても聞いちゃくれません。最近でこそこちらからの一方的な敵対関係は解けたものの、必要以上のスキンシップはノーです。
 湿度も高く、肌が、髪の毛が、ベタつきます。こういうときに限ってお風呂の日ではなかったりもして。
 気を紛らわせる方法が増えたのはこのところ最大の変化であり幸福でした。以前は読みものが新聞だけでしたが今わたしの手元には購入した本があります。財産が凍結されていなかったのは僥倖と呼んで差し支えないでしょう。
 なけなしのお金で購入したのは、小説が一冊、経済と農業に関する学術書が一冊ずつ。学術書ははねられるのではないとひやひやしていましたが、手元に無事に渡ってきて一安心です。
 当然新聞も毎日欠かさず読んでいます。手に入る情報は限られていますが、それでも外の世界――最早こう呼ぶべきでしょう――が相当に切迫した状況になっているのはわかりました。
 エルフたちの優勢が続く中で、ついに四天王や魔王がその重い腰をあげたというのです。
 数や戦略、集団戦では勝るエルフたちですが、個々の力は魔族には遠く及びません。積極的にエルフたちを襲う四天王の機動力には叶わず、敗走を繰り返し、戦況はイーブン。人間たちの支援を得てとんとんといったところ。
 魔王軍は人間たちへとエルフへの支援を打ち切ることを要請し、断った場合は断固とした態度をとるとの声明を発表しました。
 そして別れる人間たち。対極すれば積極開戦派と消極中断派の二つがあります。とはいえ、支援を打ち切ったからといって魔族がはいそうですかと約束を守ってくれる確実性もない中で、積極開戦派、ないしは支援続行派が大きな勢力であるそうです。
 その中で新たにPMCが現れ精力的にエルフたちの支援を行う中、庸兵ギルドや商人ギルドもこれを好機と見て各々の利益を最大化するために行動しています。
 動乱です。世の中が大きく胎動しています。
 わたしに何ができるでしょうか。
 あの人は元気にしているでしょうか?
740:
夏の月 第二十七日
 今日、魔物の集団が刑務所を襲ってきたとのことです。ここは辺鄙な場所ですから、魔物も出るでしょう。
 襲った理由は食料でしょうか? それとも、犯罪者を野に放つことで、市井の混乱を狙った? どちらにせよ上位の存在を感じます。基本本能に従って生きている魔物にとって、ある程度の社会性を有しているとはいっても、戦略的に行動する種は珍しいですから。
 魔物自体は質、数ともに大した程度ではなかったため、程なく撃退されたようです。詳しくはわかりませんが、戦闘において負傷者が数名、そして死者が一名出てしまったと聞きました。
夕暮れの月 第二日
 男性たちの仕事が内部の防衛がらみに代わったのだと風の噂で聞きました。わたしは少女ですし、何より魔法を使えば容易くここを脱出できるというのもあって、自由にはさせてもらえません。
 最近、あの比較的温和な看守が来ないなと思って尋ねれば、拳五発の代わりに教えてくれました。どうやら先日の襲撃で死んだ一名とは彼のことだったようです。
 だからわたしを殴る回数も、数も、一際だったのですね。このクソ暴力野郎にも仲間思いの一面があるだなんて驚きでした。
 優しかった人が死ぬのは、悲しいことです。
741:
夕暮れの月 第四日
 どうやら人間たちはエルフと正式な同盟を組んで魔王軍と戦うことに決めたようです。大森林は橋頭堡。エルフの次が自分たちでない保証はどこにもない、ということでしょう。懸命だと思います。
 こんな中にあっても、きっと庸兵さんは楽しそうにお金を掻き集め、嬉しそうに勘定しているに違いありません。まったく困った人です。
夕暮れの月 第十三日
 また魔物に襲撃されました。今度は先日より敵の数が多く、多くの囚人たちが借り出されました。刑務所側もある程度戦力を強化していたようで、なんとか水際で食い止めることには成功しましたが、一部施設が破壊されました。
 わたしの軽作業はとっくの昔に藁編みから復興作業へとシフトしていて、魔法を使わずの運動なんてそれこそ大森林を抜けたとき以来のものですから、予想以上の疲労です。
 こうして日記を書いているだけでもうつらうつらしてきて、体力の低減に思考が、脳が、引っ張られているみたい。
742:
夕暮れの月 第二十六日
 ちまちまと魔物の偵察部隊がやってきては攻撃を仕掛けていく。看守たちは夜も眠れない日々が続いている。わたしを殴る気力もないようだった。
 いつ終わるとも知れない攻勢はこちらの数よりも精神を殺いでくる。明らかに全力を出せていない。こちらにも腕っ節のごろつきは多いけれど、指揮官がいない。ばらばらで戦ったって勝てるわけがない。だめだ。
 いや、だめだなんて言っちゃいけない。わたしも頑張らないと。
夕暮れの月 第三十日
 最近、食事が粗末になった。仕方がないとは思うけど。
 献立は玄米と白米が混じったものに、漬物、薄い味噌汁。あと焼き魚が半分にサツマイモをふかしたやつでした。
743:
夕暮れの月 第三十一日
 篝火の光が窓から入ってきて眠れない。
黄金の月 第二日
 三度目の襲撃。みんなの戦いの声が聞こえる。
 呼ばれた。きっと治療できる人が足りないのだ。
 行ってきます。
黄金の月 第六日
 牢屋のベッドも毛布も怪我人で一杯だ。王国に申請をしてないのだろうか。衛兵が足りない。医療用品も足りない。食料も、時間も、全てが足りない。
 これじゃあ助けられない。
 外壁の修復もおっつかない。
 この状態で、もし第四波が来たら。
黄金の月 第七日
 怪我は治る。けど、欠損は戻らない。
 それが悔しい。
 不安なことが多すぎて眠れない。日記を書くのも、苦しいことばかり思い出してしまう。やめようかな。
744:
13日
 大規模な敵勢力の進攻を確認 壊滅状態
 この世の地獄
 ひどい
 たすけて誰か
 身を隠すしか
 庸兵さん
745:
 ……日記はそこで途切れている。
 部下の前だ。俺は努めて表情には出さずに、しかし剣を握る手には力を篭めた。
759:
※ ※ ※
 考えられることは二つある。だが、どちらにせよ俺の行動は変わらない。この腐れた魔物どもを殲滅するのは依頼主からのオーダーであり、人助けでもある。二つが噛み合ったときの気持ちよさは凄まじい。
 金が手に入るだけでも天にも昇る気持ちなのに、そうして感謝されるなら、幸福の度合いは累乗で増加していく。そう思っているのはどうやら俺だけではないらしく、引き連れてきた五名の部下たちも、いつもの仕事に臨む表情とは違う。
 プロなのだから私情を挟むな、といつもなら叱責の一つでもするところだ。だが、わざわざやる気を殺ぐ上官はいない。
 やりたくないことも、やりたいことも、等しく淡々とこなせなければいけない。それが戦場に生きる人間に何より必要な資質である。
 それでも、自分の心に嘘をつかなくてもいいというのは、やはり楽なのだ。気軽なのだ。こんな傭兵稼業でも、俺たちは結局、誰かの役に立ちたいという心を捨てきれない。
部下「ボス、周囲のクリアリングは終了しました。取り逃がした魔物がいます。恐らく、刑務所の奥に集まっているのではないかと」
傭兵「ボスという呼び方をやめろといっているだろうに」
 独りでやってきた俺にとって、誰かの上に立つというのは、こそばゆくて仕方がない。
760:
 それでも少尉は邪気のない顔で笑いながら「でも、ボスはボスですから」と言うのだった。傷だらけの顔が快活に笑うのはまったくイメージ違いだ。
 まぁ、大尉と呼ばれるよりはよっぽどましかもしれない。
 部下たちはみな強面の偉丈夫ばかり。数で圧倒的に勝る魔物たちを前にしても、微塵も恐れることのない、歴戦のつわものたち。俺が率いる直属部隊。
 できてから日が浅いとは言え、ここ二ヶ月魔王軍との前線にどっぷりと漬かっていたこともあり、共にすごした時間の密度は高い。戦力としては自らの次に信頼してもよいやつらである。
 俺を含めて六名はみな元傭兵だ。いや、肩書きにこだわらないのならば、今でも俺たちは傭兵である。伍長から大尉まで、中尉を除いて色々いるけれど、肩書き自体に意味はないのだとひしひしと感じる。
 どうせ王国軍と連携して作戦を行うことなんてないのだから、と嘗て掃除婦に愚痴を零したことがある。そのときの彼女の返事は覚えていないが、にべもなかったことだけは確かだ。
761:
傭兵「魔物の種類、取り逃がした数、生存者の報告を」
部下「魔物の種類はばらばらですね。低級な魔物の混成軍。それでも一般人には十分脅威な質と数を用意していたようです」
部下「殲滅数はトータルで六十前後。取り逃がしたのは目算で十八。交戦時の魔物たちの動きを見ている限り、約五十の残存勢力があると考えていいと思われます」
部下「生存者は、現時点ではゼロです」
傭兵「絶望的だな」
部下「はい。まだ確認していない箇所もありますが、見取り図と重ね合わせて見る限り、仮に逃げ込んでも魔物の襲撃を避けられません」
 ふむ。……つまりこれは、果たしてどういうことか。
傭兵「少尉。ここの刑務所を魔物たちが襲うメリットは」
部下「ありません。ブリーフィングでも申し上げましたが、俺には考え付きませんでした」
傭兵「他のやつらもか」
 見回すと、残りの部下も全員うなずいた。
762:
 既に立地や環境についての事前学習は済ませてある。この刑務所は大森林に近く、魔物の通り道となる可能性は前々から指摘されていたが、襲撃の懸念はされていなかった。なぜならここを襲うメリットが魔物たちにはないからである。
 以前の魔王軍なら見境なく集落や建物を襲うこともあったが、戦いが激化し四天王、ひいては魔王が動き出している現時点で、そんな統率の取れてない行動があるとは思えない。
 つまり、統率が取れていないように見えて、その実この刑務所を襲撃することには意味があったのだ。
 王国は動かなかったため、にっちもさっちも行かなくなった刑務所側が、逼迫している財政を切り詰めてでも俺たちに頼った。それが三度目の襲撃の時点である。間に合わなかったのは、申し訳ないとしか言いようがない。
 それでも一度は引き受けた依頼だ。依頼主がいなくなっているとしても、何より魔物が相手であるならば、動かないわけにはいかない。 
 勿論金はとる。人頭費や武器の整備費がとかく嵩張るのだ。がめつく奪えるだけ奪って悪いことがあるだろうか。刑務所にさして期待もできないが、魔物を倒せば金を落とすので、それで勘弁してやろう。
 俺は考えるふりをして日記を背嚢へと押し込む。
傭兵「敵が何らかの意図を持ってここを襲撃しているのは明らかだ。そして、そうであるならば、敵の本拠地は『必死の塔』であると推察できる」
 必死の塔――数多の魔物たちが棲家にする、高い、高い塔。魔族の大物が住んでいるという噂はあれど、確かめに行った者も、討伐に向かった者も、誰一人帰ってくることはなかった。
 その逸話から、ついた名前が必死の塔。
763:
 部下たちからは特に意見は出てこなかった。否やはないのだろう。考えていることは同じと言うことか。
傭兵「……敵の意図は依然不明である。であるならば、まず俺たちがすることはなんだ。准尉、答えろ」
部下「はい。我々への依頼は当該刑務所を襲撃している魔物の殲滅、及び根絶であります。そのため、この刑務所の残存勢力を打ち払うことが最重要かと判断できます」
傭兵「そのとおりだ」
 俺は口の端を吊り上げながら答える。
 不思議と心は静かだった。波一つない。穏やかなものだ。
 しかしわかっている。これが嵐の前の静けさだと言うことは、自分が一番、よく知っているのだ。
傭兵「推定六十前後の敵影だ。容赦なく殺せ」
 僧侶に手を出した報いは受けさせなければならん。
傭兵「金を稼ぐぞ」
764:
 部下たちは「ヤー」と口々に応じ、即座に三々五々、散っていく。伍長と少尉、軍曹と准尉のツーマンセル。准尉は逃げる敵を遊撃しながら、魔法によって各々の位置把握、及び情報転送に努める。いつものパターン。
 そして当然の如く俺は孤軍奮闘だ。俺の立ち回りに着いてこれる部下がいないのだから仕方がない。困ったものである。
 だが、このときばかりは助かったと言うべきかも知れない。このふつふつ湧き上がる怒りのままに敵を切り伏せていけば、敵と見方の区別もできないだろうから。
部下「凄い顔してますよ、ボス」
 引き攣った顔で准尉が言う。俺はあえて応えず、行き先を別った。
 跳ぶ。跳ぶ。跳ぶ。
 地面は蹴るものだ。そして、壁と天井も、蹴って跳ねるものなのだ。二次元の戦いで慢心していてはいけない。前後左右だけでなく、上下まで用いた空間戦闘。
 法律や良心には従ってやるが、重力にまで尻尾を振るつもりは毛頭なかった。
 違法技術を接収した甲斐があったというものだ。
 重力抑制の魔道機構が試験的に組み込まれた軍用ブーツで、俺は螺旋状に空間を跳ね回りながら刑務所内を突っ切っていく。接敵は即殺である。遊撃要員の准尉には悪いが、一匹だって通すつもりはなかった。
765:
 角で魔物が邀撃に待ち構えていた。魔道士、トロール、巨大な類人猿……魔物の混成軍。報告どおりの数と質である。
 魔道士が呪文を詠唱、火球を数個展開し、一気にこちらへと撃ち込んで来た。それが開始の合図。
 口元が歪む。
 そもそも螺旋軌道を火球の単純な動きでは捉えきれない。立体的に動く俺に火球は一つも当たらず、魔道士が第二波を詠唱している間にその距離を十メートルまで縮めている。間に合うものかよ!
 後衛を守るかのようにトロールが前に出てきた。振りかぶった一撃は俺の着地を狙っている。太い腕による、これまた太い棍棒の打ち下ろし。それを腕ごと切断してトロールの醜い腹を突き刺し、階段代わりに駆け上る。
 倒れる直前にまた跳んだ。放たれた火球がトロールの頭を吹き飛ばす。直前に引き抜いていた剣で魔道士を一閃、下半身と上半身を分離させる。
 奇声を上げながら突っ込んでくる類人猿の連打。一発目を剣の腹で受け、二発目で手首を落とし、三発目を掻い潜って首を刎ねた。
 四発目はやってこない。
 どすんと倒れる二つの巨体の後ろに増援が確認できた。魔道士、トロール、類人猿。それ以外にもスライムやらキメラやらごちゃまぜだ。全員が目を血走らせながら俺に向かって一直線に向かってくる。
 そいつらの体が血にまみれていて、口の周りに肉片もついていて、そんな有様だったから、最早俺は止まる術を持たなかった。
766:
 地を蹴ると同時に剣を振りぬく。真っ先に突っ込んできていたキメラの羽を切り落とし、そのままの勢いでスライムの目玉を左手でくりぬく。異形の植物が俺の四肢を拘束しようとするのを見て、逆にこちらへ引きずり込んだ。
 触手を掴んだまま火球の楯にし、類人猿へと投げつける。そのまま植物ごと類人猿の頭を潰し、壁を走って跳躍、重力を無視した天井への三角跳びを敢行、トロールの胸から顔面にかけて大きく抉る。
 更にやってくる大量の援軍。恐らく死を覚悟で突っ込んできているであろうキメラの軍勢、そのくちばしが俺の体を次々弾丸のように穿っていくが、残念ながらそれは幻影である。
 既に俺は軍勢の背後に陣取っていて、着地の際の摩擦でブーツの底が焦げる異臭に顔を顰めながら、反転。十数匹の背中を一斉に切り伏せていく。
 振り向く際の体勢は極めて無防備だ。どう振り向くにしたって、反転中は片腕しか相手のほうを向いていない。両腕で俺に勝てないような魔物どもが、片腕で相手になると思っているのか。
 笑わせてくれる。
 しかし、笑ってすませる範疇を、とっくに越えているのも確かなのだ。
 僧侶に手を出しやがったな。
 僧侶に手を出しやがって。
767:
 俺にはわかる。敵の意図が。
 これは俺をおびき出すための餌なのだ。エルフと魔王軍との戦いに、突然介入してきた厄介な存在――人間。その筆頭である俺を叩きのめすために、魔王軍が仕組んだ襲撃に違いない。
 僧侶と俺の関係――といっても、特別なものではない。単に迷惑をかけられたというだけの些細なものですら、やつらは利用しようとした。
 わかっていてみすみすやってくるなど、なんて愚かなのだろうと人は言うかもしれない。俺だってそう思っている。だが、あいつが、俺と関わっていたことでその身に危害が及ぶようならば、それは俺の責任なのだ。
 俺が助けなければいけないことなのだ。
 だが、愚かなのは俺だけではなかった。敵もまた愚かだった。
 この程度の軍勢で討ち取ろうだなんて。
傭兵「たった百だとか二百で! 俺を殺そうだなんて!」
 おおよそ三十の魔物を薙ぎ倒した先に、一際強い圧を感じた。それでも怯むことなく、その先の部屋、恐らく談話室として使われていたのであろう場所に転がり込む。
 真っ先に目にしたのは死体の山だった。足がひしゃげ、腕が捥げ、内臓が軒並み貪り尽くされた死体たち。それが談話室中に散らばっていた。
 そしてその中心に鎮座する一匹の白い獣。
 白沢。
768:
 聞いたことはある。魔物と魔族、その分水嶺を司る幻獣だ。上位の魔物、下位の魔族と考えられているが、さにあらず。魔物の本能と魔族の理性を合わせ持つ、武闘派だと。
 白沢が吼えた。
 共鳴するように口の中から巨大な火球が、そして角へと雷が蓄積され、膨らんでいく。
 発動と回避は僅かに回避のほうが勝った。寸前まで立っていた地点の真上を炎が焼き、雷が撃つ。爆炎を基とする突風がおき、雷の閃光で背景が白く輝くが、そちらに意識を向けている暇などどこにもなかった。
 まるで鈍重そうな巨体が一瞬で消える。それにあわせて剣を構えられたのは殆ど奇跡と言う名の努力の賜物だった。意識よりも先に体が動いたのだ。
 白沢の爪で刃が軋む。三代目勇者から奪った謹製の破邪の剣。化け物かこいつは。いや、見てくれどおりの化け物だった。
 またも姿が消える。今度は体に意識を委ね、背後からの斬戟を迎撃。カウンターで一太刀入れるも鋼のような体毛相手ではもう僅かに踏み込みが足りないようだった。表皮を切り裂いただけだ。
769:
 痛いのか、それとも愉悦からなのか、再度白い獣が吼える。火炎と雷の連射が追尾してくるのを、壁と天井をひたすら跳ね続けて回避、回避、回避。
 落下の勢いを利用して、今度こそきっちりと刃を食い込ませる。一振りで首を落とすことは叶わなかったが、鋼毛に守られた背中から脇腹にかけてを大きく、真っ直ぐに切り裂いた。
 幻獣でも血の色は赤い。致命傷ではなかったようで、飛沫を振りまきながら白沢はこちらと距離をとる。振り向いたその口と角には、当然の如く火炎と雷。
 それを放つかと思われた瞬間、白沢は俺に向かって突進してきた。二度の回避を見てか当たらないと判断したのだろう。四足による全力の踏み切りは途轍もない加を生み出し、あっという間に俺との距離を縮めてくる。
 数多の瞳が超高の中でも俺の姿を捉えている。対応して距離をとるが、瞬発力の差は覆らない。至近距離で火炎と雷を浴びせられる。
 少しでも激痛から逃げるように背後へ逃げた。壁に叩き付けられる前に死体の山へと着地、血と臓腑と脂まみれになりながらも軽傷で済んだ。
 酷い臭いだった。腐敗のそれではなく、死自体が生み出す、限りなく不快な臭い。
 視線を上げれば白沢が火炎と雷をそれぞれ溜め、二度目の突撃の準備をしている最中だった。即座に剣の柄を掴んで立ち上がる。
 同時に白沢の蓄積が終了。四足で地を蹴って一陣の風と化す。
 あわせて俺も前に出た。気流が火炎を、雷を、白沢の後ろへと次々流していくのが見える。恐ろしい度なのだと改めてわかる。
770:
 交錯は一瞬。白沢が刃のように鋭い爪でこちらの喉笛を狙ってくるのを刃で逸らす。がら空きの脇腹へと刃を叩き込もうとするが、その隙を狙って雷撃が放たれた。破邪の剣でも打ち消しきれない衝撃を、しっかと地面を踏みしめることで無理やり堪える。
 意識と視界が掠れても記憶と経験は身体へ残る。斬戟を白沢は空中での姿勢変化でもって回避を試みるが、こちらの度のほうが僅かにかった。後ろ足の付け根に深く傷をつける。
 互いに反転。火球が三発、一メートル級のものだ。
 いまだ痺れの残っている四肢に必死に指令を出し、剣を構えなおす。
傭兵「死ね」
 驚くくらい冷徹な声が出た。
 火球を三発、全て膾切りにして、火の粉の中へと身を躍らせる。
 眼前に迫るのは白沢の角だ。前傾姿勢をとって倒れこむようにそれを回避。先端が頬を掠めていって、頬の肉が少量抉り取られるが、動きに支障はない。
 壁を蹴った。白沢のあとを追うように高で肉薄、追撃。怒りに打ち震えた白沢の絶叫が髪の毛を、衣服を震わせるが、身体にはまるで効果がなかった。
傭兵「お前より怖いものなんて沢山あるさ」
 後ろ蹴りを切断し、更に一歩踏み出す。
 返す刀で胴体をぶった切った。
 鋼の体毛をものともせず、腹から入った刃は背中から抜けていく。白沢は大声を上げながら火炎と雷を連射しているものの、激痛の中で殆どむやみやたらの撃ち方だから、次々天井や壁に穴が開いていった。
 最早俺の姿も見えていないのかもしれない。
 せめてもの手向けとして、暴れる白沢の首を一息に落としてやった。
771:
傭兵「……」
 ふぅ。
 呼吸も久しく忘れていた感があった。意識的に吸って、吐いてを繰り返し、ようやく人心地つくことに成功する。
 敵襲はない。敵影も見えない。どうやら殲滅に成功したようだった。
傭兵「おう、准尉。他のところはどうなってる」
 虚空に向けて声をかければ、脳内に直接准尉の声が飛び込んでくる。
部下「あ、終わったんですね。たったいま他のところも終わったそうです。だから向かわせようと思ってたんですけど」
傭兵「あれくらいはどうにでもなる。今から帰投するぞ」
部下「ヤー。残党がいないことは確認してます。のんびりどうぞ」
傭兵「そういうわけにもいかんだろうが。じゃあ、通信切るぞ」
部下「ヤー」
 魔法的な手段で繋がっていた回路が閉じられる。盗聴の恐れがないとはいっても、頭の中に声が流れてくるこの感覚は、どうにも慣れない。きっと一生慣れることはないのだろう。
「傭兵さん……?」
772:
 俺が談話室を出ようとしたそのとき、か弱い、か細い、聞きなれた声が聞こえた。
 水色の髪の毛。薄汚い囚人服。薄幸そうな顔立ち。全体的に小さいシルエット。見間違うものか、それは俺が探していた人物のそれだ。
 僧侶。
傭兵「お前、無事だったのか」
僧侶「……はい、なんとか」
傭兵「よく白沢がいて平気だったな」
僧侶「あれ、白沢っていうんですか。……あいつがやってきて、ここは負傷した人の救護室でした。だから、沢山の人がいて、成す術なく食べられていって……でも、それがわたしを救ったのです」
僧侶「幸運にも、血と、臓腑と、脂のにおいに紛れて、隠れていたわたしが見つかることはありませんでした。……他に生き延びた人は、いないのですね。その表情だと」
傭兵「あぁ。他のやつら次第だが、今のところは、そうだな」
僧侶「他のやつら? 誰かと一緒に来ているんですか?」
傭兵「いろいろあってな」
 俺のその短すぎる、あっさりとしすぎる説明に、僧侶は僅かに顔を顰めたが、すぐに取り戻す。
773:
僧侶「助けてくださってありがとうございました。傭兵さんには本当にお世話になっちゃってますね。助けてもらってばっかりで……」
傭兵「気にするこたぁねぇよ」
僧侶「そう言われても、気にするものは気にするのです」
傭兵「じゃあ金だ。金を払え」
 そういった俺に僧侶は目に見えて苦笑した。変わりませんねぇ、と言いながら。
 当然だ。そんな簡単に人間が変わってたまるか。
僧侶「まぁ、そうなんでしょうけど」
傭兵「変わるってことが即ちいいことじゃあねぇよ」
僧侶「傭兵さん、お世話ついでに一つ、いいですか?」
傭兵「……なんだ。聞くだけは聞いてやる。言ってみろ」
 僧侶は逡巡したが、決心したように口を開く。
僧侶「わたしを連れて行ってもらえませんか?」
傭兵「連れて行くって、お前、俺がいま何をしてるのか知ってんのか」
僧侶「知りません。知りませんけど、察しはつきます。世界をよりよい方向にもっていこうとしているのでしょう?」
 わたしはそのお手伝いがしたいのです、と僧侶は言った。
 相も変わらず真っ直ぐな瞳で。
傭兵「……」
僧侶「……傭兵さん?」
傭兵「……そうだな、そういうのも、ありかもしれん」
僧侶「本当ですか!」
 わーい、やったーと飛び跳ねる僧侶を尻目に、俺は大きく息を吐いた。
 そしてナイフで彼女を突き刺す。
774:
僧侶「……え?」
 がふ、と僧侶は口から血を吐き、地面にそのまま倒れこんだ。
 刺された腹を押さえ、蹲るようにして。
僧侶「な……んで」
傭兵「僧侶はどこだ?」
 倒れたそいつの喉元に切っ先を突きつけながら、冷たく尋ねる。
僧侶「よ、うへ、い、さん……?」
傭兵「三文芝居を見るのも飽きた。さっさと終わらせようや」
傭兵「お前ら魔王軍の目的が俺をおびき出して殺すことなのだとすれば、この魔物の量も質も圧倒的に足りん。果たしてお前らがそれをわかっていないってことはあるだろうか。ねぇよな」
傭兵「なら、別のアプローチがあるはずだ。白沢? 違うな。あいつでも足りん。そうした中で、生存者がゼロのところで、お前は怪しすぎる。せめてもう少し、生き残りを作っておくべきだった」
傭兵「そして、お前はさっき、俺の手伝いがしたいといった。確かにあいつならそう言うかも知れん。が、だめだな。違う。もし本当の僧侶だったのなら、あいつはまず、こう言うはずだ」
傭兵「『わたしの尻拭いをしてください』と」
775:
傭兵「その言葉が出てこない時点で、てめぇは僧侶じゃねぇ。僧侶に似ている何かだ。俺の知っているあいつは、確かに世界を平和に、社会をよりよくするためにもがいていたが、それだけの女じゃない」
傭兵「自分がしでかしたことの影響がまだ世の中に残ってるっていうのに、知らん振りするような女じゃない」
傭兵「あと、もう一つ」
傭兵「お前、漢字間違えすぎだ」
 剣を振るその瞬間に僧侶が――僧侶であった何者かがにやりと笑った。突風が吹きつけ俺は砂塵で思わず目を瞑ってしまう。
「ひゃーはっはっは! ばれちまったら仕方がねぇ! 確かにちぃと、演出過剰気味だったかもしれねぇなぁ!」
 僧侶の顔を歪ませながら醜く笑う何者か。姿形は僧侶だが、今はその背中から、一対の羽が生えている。
??「俺は魔王軍幹部! その名も『無貌の――」
 言葉の途中で背後から首を刎ねた。
 僧侶の顔で汚い言葉を吐かれるのは、実に不快だった。
776:
 さらさらと魔法で貼り付けた粒子が解けていき、僧侶の姿が次第に悪魔のそれへと戻っていく。
傭兵「手間かけさせやがって」
 しかし、そのおかげでわかったこともあった。僧侶は確実に生きている。
 相手の姿形を模倣し、かつ記憶をコピーできる魔物の存在はかねてから知っていた。恐らくこいつがそれであるのだろう。
 この種が姿形を模倣できるのは、その持ち主が生きている限りである。こいつが僧侶を模倣できていたのなら、即ち僧侶は生きている。しかし同時に、それはこいつの死が僧侶の死に繋がっているともいえる。
 こいつが僧侶に成り代わって背後から俺を刺そうとしていたのなら、任務が失敗した時点で僧侶に価値はない。やかに殺すだろう。
 それはまずい。大きな問題だ。
傭兵「准尉、目標が敵に捕らえられていることがわかった。すぐに出るぞ」
部下「目標って、僧侶が? どうしてわかるんですか?」
傭兵「俺の記憶を読め。ロックは外しておく」
部下「……ふむ、なるほど。了解しました。これは確かに、急いだほうがいいですね。全体に回します」
傭兵「頼んだ」
 目標と言う表現に誤謬はない。僧侶は俺たちが求める最重要人物のひとりであり、目的達成において欠かすことのできない存在である。
部下「全体に連絡つきました。生存者の捜索を中止、全員帰投します」
傭兵「補給後すぐに出る。僧侶は絶対に殺させるわけにいかねぇぞ」
 私情とか任務とか関係なく。もしくは、それらがないまぜになった、ごちゃごちゃぐちゃぐちゃのマーブル模様。
 それはとにかく本心だった。
 どこまでも本心だった。
787:
* * *
 あー、なにやってるんでしょう、わたし。
僧侶「こんな塔に連れてこられて、閉じ込められて……」
 みなさんは、大丈夫なのでしょうか。
 無理やり連れ去られて初めて、あの一連の襲撃が、最初からわたしを狙ったものだったということに気がつきました。なぜ狙われることになったのか、それまでは理解の範疇外でしたけれど。
 その事実は酷く、強くわたしを苛みます。またです。またわたしの巻き添えを食って、色んな人が辛い目にあっているのです。犠牲になってしまったのです。
 責任がないなんて思えませんでした。
 因果応報だとかそういうことではないのです。きっとわたしは悪くないのでしょう。ですが、それは多分、責任がないのとイコールではないはずです。
 わたしさえいなければ。そう思うのは自意識過剰でしょうか? 自罰的すぎるでしょうか?
 ただし、ここで死ぬことは逃げでしかありません。嘗てわたしは一度死にました。二度目の生で成すべきことは決まっています。
 責任を果たす。それだけ。
788:
 逆らうつもりがないのではありません。従順なのはルールだとか法律だとか良心だとか、そういうものに対してのみでって、特に運命に対してはどこまでも抗ってみせましょう。
 わたしに巻き込まれて沢山の人が死んだというのであれば、その倍、いや、三倍、四倍の人を幸せにする。その責任があるのです。
 でなければただの疫病神ではないですか。
 ……いいえ、そうでした。
僧侶「この世に神様なんていないのでしたっけ」
 これは、まったき朗報です。疫病神だって神様の端くれなのですから、こうなってしまえば畢竟わたしは疫病神ではないことになります。ふはは、ざまぁみさらせ、どんなもんだい。
 ……ひとりで盛り上がっていても侘しくなるばかり。不安を掻き消すために一芝居打ってみても、どうにもうまくいきません。
 わたしがいるのは石の牢屋。採光用の小さな窓がひとつだけついた、粗末な部屋です。魔法封じなどはかかっていないため、その気になれば各種身体強化は行使できますが、現時点では得策でないでしょう。
 脱出という選択肢はとても魅力的です。しかし、ここが敵の本拠地であるならば、考えなしに突破は不可能。
 仮に傭兵さんばりの戦闘術を身に着けていれば、大した消耗もなく倒しきれるのかもしれません。が、ないものねだりをしても仕方なし。わたしは身体能力を向上させ、力づくで突破するしかない、所謂脳筋ですから。
789:
 まぁ、もともとわたしは戦闘なんて想定していません。こんな事態になるのならもっと適した選択もあったのでしょうけれど。
僧侶「それこそないものねだりですね」
 過去は変えられないのですから。
 そのぶん、未来を何とかしてやらないと、と頑張るしかないのです。きっと。たぶん。
僧侶「……?」
 物思いに耽っていると、牢屋の入り口のところに、三人のオークがやってきました。確かこいつらは看守役を務めていたはずです。
 中央にいる毛並みの違う一匹が古ぼけた鍵をもっています。
 やおらに嫌な予感がしました。不幸続きの人生ですから、とかくこの嫌な予感というものはよく当たるのでした。それを回避できないときに限って。
 オークたちは魔物の言語で何かを喋っていました。もそもそと、ごそごそと。
 彼らの手にそれぞれ手斧が握られていることが、何より恐ろしくて
790:
 無情にも牢屋の鍵は開きました。わーい、やったーと喜べるほど幸せなおつむはしていません。これで素直に出してくれると思えるのならば、わたしはもっと、不幸でも幸福な人生を歩めていたでしょう。
 即座に脚力と腕力を倍加。裸足のままに床を蹴りつけ、低い体勢のままオークの一匹に近寄り、そのまま蹴り飛ばしました。
 オークはそのまま鉄格子に激突し、動かなくなります。
 無論追撃です。一匹の手斧を避け、懐にもぐってコンパクトに回転しながらの肘打ちを鳩尾に叩き込みました。「く」の字に体が折れ曲がり、悶絶してその場に膝を突きます。
 毛並みの違う、恐らくボス級と思しきオークと向かい合います。倒した二匹と異なる威圧感。脇を縫って逃げられそうもありません。
 軽く腰を落として左右にフェイント。オークは腰をしっかり落として、安易にこちらに追いつこうとはしません。巨躯から繰り出される一撃は見た目に違わぬ重さでしょうが、そのぶん度はこちらに分があるはず。
 左から抉りこむように飛び掛ります。敵の反応は素早く的確で、手斧では間に合わないと判断したのか、開いている右手で動きを止めにきました。
 掴まれれば即ち死。方向転換で機敏に回避を交えつつ、攻撃を数発入れてみますが、腰の入ってない拳で倒れるほど低いタフネスはしていないようです。
791:
 今度は打って変わってオークが前に出てきました。距離を詰めてからの足払い。わたしを確実に殺すための攻撃です。
 手加減はない。遠慮もない。躊躇もない。これはやはり、わたしがもう用済みになったことをあらわしていると考えていいでしょう。一体何のためにここへと連れてこられたのかはわかりませんが。
 であるのなら、猶更使い捨てられるわけには行きません。
 足払いを跳んで回避し、そのままオークの顔面に跳び蹴りを食らわせました。衝撃に仰け反りますが、しかし、にやりとその醜悪な口元が笑います。
僧侶「っ!?」
 ありえない方向からの攻撃がわたしを薙ぎ払いました。背後からの一撃は全く予想もしておらず、そのため石壁に頭を強く打ち付けます。
 額が切れ、血が視界に入り込んだせいで、左目が利かなくなりました。それどころか脳が揺らされたのか前後不覚ですらあります。
 歪んだ視界の中で、最初に倒したオークが既に立ち上がっていて、また二匹目もゆっくりと意識を取り戻しているのが見えました。
 流石に、頑丈ですね。
792:
 立ち上がろうとしてふらつき、そのまま石の壁に激突します。壁に手をつきながら全体重を預け、せめてもの闘志を見せ付けようとしても、オークたちは一向に意に介しません。
 視界は悪くとも、下卑た笑みはわかります。にやにやと、ぐちゃぐちゃと、臭い吐息と共に笑っているのです。
 ……ただ殺すだけじゃ物足りないとでも思ってるのでしょうか。
 豚に陵辱されるのだなんてごめんです。人間だったら誰でもいいとか、そんなことでもないですが。
 一陣の風が頬を撫でました。
 僅かに遅れて、ここは屋内じゃなかったっけ、と思いました。
「大丈夫か」
 傭兵さんの声ではありませんでした。
 と、なぜそこであの人の名前が出てくるのか全然、まったく、これっぽっちもわからず、怒りすら込み上げてきて、だけど、そんな場合ではないのです。
僧侶「なぜ、あなたが、こんな真似を……?」
 体を無理やり奮い立たせます。身体能力強化は切れていません。まだ、まだやれる。
 拳を握り締め、真っ直ぐ目の前の存在を握り締め、わたしは叫びます。
僧侶「大天狗!」
大天狗「なぁに、じきにわかろうさ」
 オークの死体を踏みつけながら、大天狗は呵呵大笑しました。
793:
※ ※ ※
 この世は金だ。金が全てだ。
 金だけが全てを解決する唯一無二の存在である。だから漢字だって似ているのだ。
 辛いことも、苦しいことも、全部金さえあれば解決できる。
 違う。
 辛いことも、苦しいことも、全部金さえあれば解決「してやれる」。
 どいつもこいつもそんな単純な事実に気がついていないのだ。それが腹立たしくて腹立たしくてしょうがなかった。どいつもこいつも私腹を肥やすことにしか興味がなくて、その使い方なんて一顧だにしちゃいない。
 それがどれだけ愚かなことか、恐らく本人たちは幸せに包まれているから、自らの愚かさや無知を知らずに一生をすごすのだろう。それはある意味で幸せな人生かもしれなかったが、けれど、到底許せることではない。
 あぁ、例えばその筆頭が党首なのだ。あのくそやろうは結局、最後まで自分自身のために金を使うことしか考えていなかった。権力も、金銭も、全て自分に還元するつもりで、あの騒動を引き起こした。
 それだのに、その程度の守銭奴なのに、あいつは俺と自らを同一視した。ふざけるな。冗談じゃない。俺をお前と一緒にするな。
 結局今わの際まで俺の言ったことを理解はできなかっただろう。僧侶の言葉を借りれば、あれが本当の資本主義者であり、システムの奴隷なのである。
 金を使っているように見えて、その実金に使われている。
794:
 俺はわかったのだ。魔王に挑み、そもそも辿り着けすらせず、大天狗に敗れて命からがら逃げ帰ったとき。なぜ、どうして、負けたのか。
 自らの弱さに帰結することは容易かった。俺が弱かったから。もっと鍛錬をつみ、装備を整え、準備を万端にすれば、いずれ牙は四天王を突き抜けて魔王に届く。そう思えればどれだけ楽だったろう。
 だが実際はそうではない。魔族は個人の鍛錬など誤差にしか感じない。十年、二十年の訓練すら、やつらにとっては「今日は随分調子がいいな」程度のものなのだ。
 それを理解したとき、俺は努力を諦めた。
 誤解してもらっては困る。努力は諦めたが、鍛錬はそれまで以上の密度で行っていた。ただ努力のベクトルが変わったというだけなのだ。
 魔族を、魔王を、倒すための努力ではない。多対一の戦闘を想定し、いかに程度の低い魔物や人間を相手どるかという努力。魔王に挑んで破れてからの十年以上を、俺はひたすらその訓練に費やした。
 ものの数年で俺に勝てる人間は殆どいなくなった。と同時に、俺は地下へと潜った。金が必要だったからだ。途方もなく莫大な金が。途轍もなく埒外な金が。国家予算すら上回るほどの金が。
 全ては魔王を倒すため。
 個人の力ではなく、今度は集団の力で。
795:
 俺が負けたのは、単純に数が足りなかった。戦力が足りなかった。ただそれだけなのだと知ったから。
 そして、数なら、戦力なら、金で掻き集めることができる。
 なにより、掻き集めた戦力を、様々なことに使ってやれる。
傭兵「だから、あぁそうだ」
傭兵「リベンジマッチと行こうぜ、大天狗」
 塔の入り口で腕組みをしている大天狗に向かって、俺は言い放つ。
傭兵「俺が世界を救うなんてのは、驕りだった」
傭兵「俺たちが世界を救うんだ」
 もし世界を救える傑物がいるとすれば、社会をよりよくできる存在があるのだとすれば、それは世界に、社会に住んでいる誰かに他ならない。
 逆説的に、誰でもそうなのではないか。
 そう思った。
 思ってしまった。
 嘗ての俺を褒めてやりたい。
796:
大天狗「ほう。それが此度の、お前の刃か」
傭兵「そうだ。これが、俺の刃だ」
 カミオインダストリー傘下、PMC――民間軍事会社所属の兵隊たち。
 転移魔法で続々終結する、その数一二〇〇人。
 装備は全て最新のもので固めてある。兵器を違法に製造していた業者を全てぶっ潰し、その技術を接収、及びクリーンな形で実用化した近代化兵装。
 魔法も独自で開発されたものを、性能はなるべく落とさないようにしつつ、悉皆修練させている。兵装へ試験的に組み込んだものも多岐にわたる。
 金が必要だった。
 権力も必要だった。
 州総督を僧侶に殺させるわけにはいかなかったし、勇者たちに頑張ってもらうわけにもいかなかった。
 弱みを握る必要もあった。違法兵器についての知識もなくてはならなかった。当然各方面へのコネクションは大前提。
 様々なハードルを文字通り死に物狂いでクリアして、今俺は、ここにいる。
 わかるか。金の正しい使いかたってのは、こういうことを言うものなんだ。
 誰とも知れない誰かに向かって俺は内心呟いていた。
797:
傭兵「で、援軍を呼んだのはいいが、聞いてなかったな。どうしてお前がここにいる?」
傭兵「僧侶はどこだ。返してもらおう」
傭兵「あいつは俺にとって必要だ」
大天狗「一度に二つの質問をするものではあるまいよ。かかかっ! だが、儂にとっては造作もないこと。いいだろう、まとめて答えてやろう」
大天狗「おぬしとそろそろ決着をつける頃合かと思うてな!」
大天狗「十数年間、研ぎに研いできたおぬしの刃! このときをもって儂へと見せい!」
798:
大天狗「――うまくやれよ? でなければ、あの童の命はないぞ」
傭兵「――猶更負けるわけにはいかねぇな」
810:
※ ※ ※
傭兵「全軍、構え」
 号令一つで背後の兵隊たちが武器を構える。剣とナイフ、拳銃が主装備である。あとは個人の好みに合わせて自由なカスタマイズが成されている。
傭兵「標的、大天狗」
 背後から怯えは感じられない。いいぞ。いい覚悟だ。給料に見合うだけの働きはしてもらわなければ困る。
 いや、給料のためだけではない。金のために命をはれる人間はキチガイだ。もしそう見える人間がいたとしても、きっとそう見えるだけ。本当はその先、金の先にある人それぞれの何かのために命を張っているのだ。
 例えば平和。例えば命。例えば、柔らかい毛布とスープを百人分。
傭兵「殺せ」
 背後で無言の応答。膨れ上がる殺意。
 対する大天狗は赤ら顔をにやりと歪め、扇を抜いた。
傭兵「とつげぇえええええええきっ!」
 叫んで先陣を切った。度は端から最大。これ以上ない初だった。
 しかしそれはあくまで人間の範疇での話である。渾身の力で振り切った刃を、大天狗は容易く扇で受け止めてみせる。
 障壁を使うまでもないという余裕の現れか。それとも、少しでも魔力を温存しておこうという用心の賜物か。
811:
 二の太刀、三の太刀と続く連激すらも、大天狗の前ではなんら意味をなさない。一本足の高下駄という限りなく戦闘に向いていない足元だというのに、大天狗の足運びは軽やかで、地面の上を滑っているようにすら見える。
 前進の度と後退の度はほぼ同じ。俺とやつの距離は縮まらない。背後から援護射撃が入っても、弾丸は全てやつの装束の上を滑っていく。
 大天狗が後退と同時に扇を一振りする。一瞬、僅かに吸い込まれる感覚と共に、大天狗の前の空間が歪んでいるのが確認できた。
 空間を歪ませているのは密度の異なる空気の層である。圧搾と収斂。大天狗の神通力の中で最もオーソドックスな、大気を操る能力。無色透明な必殺の砲弾。
 回避指示を出す暇などなかった。何よりもまず自らの回避行動が最優先。
 無論、部下たちだってなまくらではない。言われるまでもなく、大天狗の攻撃の危険性は理解できている。散開しつつある前衛、その背を踏み台に切りかかる中衛、相殺のために障壁を展開する後衛と、己がすべき役割はわかっている。
 三つの風の砲弾が、直線状にいた兵隊たちを無残な肉塊へと変えた。
 防具も防御も意味を成さない。触れた部分はそのまま大気に巻き込まれ、圧搾し収斂されて塵と化す。まるで獰猛な肉食獣である。
 一拍置いてから肉塊が地面へと落下した。聞くに堪えがたい不快な音と共に。
 俺たちはその音から逃げるように、更に一歩踏み込む。
812:
 たとい仲間がいくら削られようとも士気は下がらない。敵前逃亡などそもそも不可能だということを、全員残らず理解しているからである。彼我の戦力差はそれほどに、いや、それ以上にある。
 だからこそこの手段なのだ。ひとりでは勝てず、三人でも勝てなかった。ボスクゥでは殺しきれないまでも、その喉元へ刃は届いた。俺たちはこの手段が間違っていないことを知っている。大天狗を殺しうる手段なのだと理解している。
 後ろ向きと前向きの同居する不思議な理由だった。決して勝てない相手に対し、勝てると思いながら殺し合いを挑んでいるのだ。
 追い縋る。追い縋る。追い縋る。
 大天狗の行き先を儀仗兵たちが魔法で狭めながら、隙を無理やり作るように前衛が特攻し、僅かな間隙に中衛が刃や弾丸をねじ込んでいく。大天狗が指を振るだけで兵隊たちの首が落ちるが、圧倒的に手数が足りない。
 プレッシャーが足りない。
 大天狗も埒が明かないと踏んだのだろう、空間を歪ませる密度の風の砲弾が俺たちに向かって発射されるが、あわせて背後の儀仗兵団が障壁を展開した。風の砲弾に対しての障壁は、百人が二百人だって力不足に違いない。
「それでも、『はいそうですか』って言えるわけがない!」
 儀仗兵の一人が叫んだ。風の砲弾と障壁が接触するその瞬間に、障壁は角度を変え、削られながらも砲弾の着地点をずらす。
 稼げたのは数メートルの距離と一秒足らずの時間。だが、前線でコンマ以下の切り合い刺し合いを演じている俺たちにとって、その時間は全財産をはたいても惜しくない。
 時は金なり。全体の損害は軽微。
813:
 着弾点から猛烈な烈風が吹き荒れる。砲弾が弾ける際の風圧ですら人を容易く殺傷せしめるレベルだ。息が詰まる突風に、重心を低く保つことで精一杯対抗した。
部下「目標ロストしました!」
 脳内に通信が響き渡る。逃げた、なんてことはない。ならば事実はもっと単純で、あちらがこちらの索敵網を突破できるだけなのだろう。
 数十人がかりで構築している魔方陣をだ。
部下「負傷者は後ろへ下がって! 救護隊に合流し――」
 通信途絶。理由は考えるまでもない。
傭兵「先に、そっちを狙うか!」
 回復を潰すのは当然の戦法である。大天狗ほどの魔族がそんな単純なことを知らないはずがない。
 振り返れば視界の中で救護兵の頭をねじ切り放り投げている大天狗がいた。全身に魔力の波動をまとい、それが起こす緩やかな微風は、けれど死へ誘う呼び水である。
掃除婦「させませんよ?」
傭兵「全員障壁展開!」
814:
 生きとし生けるもの全てを地から引き剥がす風圧の乱舞。幾重にも重ねた障壁と、そして掃除婦の肉壁によって、それを完全に封じ込める。ミキサーにかけられた靴ごとまとめて障壁は叩き割られたが、こちらに被害はない。
 僅かな隙を見せずに兵隊たちが突っ込んでいく。至近距離に特化したものはナイフを両手に、そしてその背後から剣持ちと射手、儀仗兵が僅かな間隙を縫うように攻撃を加えていった。
掃除婦「さすが四天王。化け物ですね」
傭兵「怖気づくんじゃねぇぞ!」
掃除婦「無論です。契約ですから、ボス」
 俺たちがそうであるように、圧倒的な手数を前にしても大天狗は決して怯まない。突きも切りかかりも全て扇で受け、もしくは回避し、細かな動作で的確にひとりずつ打ち倒していく。
 背後にも目があるかのようだ。不用意に近づけば、風の砲弾が渦を巻いて肋骨と内臓を滅茶苦茶にかき乱す。倒れた兵隊を乗り越えて剣が振り下ろされるが、それを掻い潜って腕を掴み、周囲の人間を弾き飛ばすように大きく振り回す。
 肉と骨が断裂し、振り回された人間は片手を失って地面を転がっていく。
 仲間を武器として使われた怒りが復帰をより迅なものとした。裂帛の気合を口から迸らせ、兵隊たちは立ち上がる。そして俺も遅れまいとすぐさま前傾姿勢。
 突撃。
815:
大天狗「成程! 嘗ての戦法をそのまま昇華したか!」
 まるで師匠のようなことをいう大天狗だった。その声音には、確実に喜色が宿っている。
大天狗「確かに貴様が一番じゃ! 童よ、貴様が一番魔王の喉元に近い!」
大天狗「だからこそここで討ち取らせて貰う!」
 大天狗は啖呵を切って両腕を広げた。
 限りない上からの目線。だが苛立ちよりも歓喜のほうが強い。ここまできたのだ、と純粋に思える。大天狗が脅威に見るくらい、確かな強さを俺たちは手にすることができたのだ。
 それは嘗ての俺が願って止まなかったもので、それでも手に入れることができなかったもので、今俺の手の中にあること事態が奇跡のようなものである。手放してなるものか。失ってなるものか。俺は世界を平和にするのだ。
傭兵「俺たちが! お前をここで、ぶっ殺す!」
 大天狗が印を結んだ。
 九字ではない。空中にたった一文字。
 鬼、と。
大天狗「ぜぇえええええええんき!」
 地面に「鬼」が転写された。それは瞬時に発光し、光の柱を文字の形に浮かび上がらせそして。
 退避行動に移る暇もない――否。与えてくれない。
816:
 物理的な干渉は一切なかった。地は地のまま、木は木のまま、空は空のままそこにある。ただ、戦場にいる人間だけを綺麗に薙ぎ倒して、黒い鬼が印から現れる。
 それは全て圧力だった。前鬼の登場によって解放された瘴気と破壊が地上へと勢いよく噴出し、兵隊たちを襲ったのだ
 攻撃ではない。微動だにしていない。ただ現れただけで、この被害。
儀仗兵「高濃度の瘴気を確認! 浄化魔法、いきます!」
 柔らかな光が空から俺たちを包み込む。ゴロンを初めとした採石場の資料から開発した、対瘴気魔法。従来の魔法のように瘴気を遮断するだけでなく、瘴気を取り込み、魔術的な変性を用いて人体にとってプラスの作用を齎す物質にするのが特徴だ。
 戦場においてはそれは治癒と身体能力の向上である。儀仗兵たちが聖なる魔法を得手とすることとも密接に関わっている。
 一二〇〇人のうち剣を持ち前線で戦う人員はおおよそ七百名弱。その数をさすがにカバーはしきれないが、ないよりはマシだ。大天狗相手に軽傷など望むべくもないというのもある。
 掠っただけで四肢を根こそぎ持っていかれるのだから、覚悟を決めて突っ込むしかない。治癒は前線に戻すために行使されるのではなく命を辛うじて繋ぎとめるために行使される。
掃除婦「私がいきましょうか」
 あくまで冷静に掃除婦が言った。しかし、沈着に見える彼女の額には汗が浮かんでいる。軽く唇も噛んでいて、緊張なのか悔しさなのか、とにかく気に入っていないようなのは確かだ。
 小さく口角を挙げて見せた。それを肯定と捉えたのだろう、掃除婦は短く「御意」と答え、周囲に兵士の亡霊を多数展開、軽やかに駆け抜けていく。
817:
傭兵「よぉしっ! 第一隊から第十二隊までは引き続き大天狗! 残りは前鬼を狙え! 適宜目標のスイッチをしても構わん!」
大天狗「ほう」
 風に紛れて朗らかな声が聞こえた。それは俺の脇を通り抜けていって、背後、兵隊たちの中心で炸裂を起こす。
 震動――烈風。
 ぼたぼたと何かが散らばって、こびりついて、一拍遅れて落ちていく。ぐちゃり、ぐちゃりと柔らかい物体。それが何かなんて考えるまでもなく。
 震源で大天狗は振り返り、その長い鼻を撫でながら、赤ら顔をにやりと歪める。
大天狗「一二〇〇ぽっちを引き連れて、それをみすみす分断し、それで勝てると?」
大天狗「驕るなよ、人間」
 大気が渦を巻いて大天狗を囲んでいる。瘴気と魔力の練りこまれた大気は、単なる気体とは一線を画す。大天狗の指先一つで剣にも楯にも姿を変え、あまつさえ獰猛な獣にすらなる、攻防一体の万能兵器。
 そして、そんな天津風さえ、大天狗の一般兵装に過ぎない。やつの能力は風を操ることではない。長い年月の中で限界まで高められた修験の法、神通力こそが本懐である。障壁も真空波も、鬼の召喚だってその枝葉。
818:
 改めて勝てるはずがない強敵だと感じる。勝てない要素を並べればきりがなく、それはイコール敵の強大さであり、結局三十を越えた時点で数えるのをやめた。
 それでも勝たねばならないのだ。でなければ、俺が殺した人々に申し訳が立たない。
 無論彼らは、俺がどんな大義の旗印の元に、どんな偉業を達成しようとも、決して許しはしないだろうが。
 背後では掃除婦――なお、彼女の階級は中尉である――を筆頭として前鬼と戦っている最中だった。二本の腕が極度に発達したそのフォルム、気炎を上げながら拳を振り回す怪物相手に、なんとか善戦しているように見える。
 もどかしい思いをしながら大天狗と距離を測る。離れた地点から儀仗兵たちの詠唱。じり、じりと砂を踏みしめ間合いを最適化しているのは俺だけではない。
 対する大天狗は数百人に殺意を向けられて尚泰然としている。そしてその裏で莫大な魔力が渦を巻き、大気に流れ込んでいるのもわかる。
 大気が収縮して大天狗の足元にまとわり着いた。それが合図だった。
 背後から飛び掛った兵隊たちを爆裂でまとめて吹き飛ばし、その反動を使って空を翔る。
819:
 眼前に大天狗。自動で氷塊の迎撃呪文が空間にいくつも浮かんだが、大天狗は扇を一振り、魔方陣そのものをぶった切って難なくこちらの勢力圏内に攻め入ってくる。
 剣を振るった。刃が扇とかち合って弾かれ、その勢いを利用して再度攻撃を繰り返す。一秒間に二発の手数。小刻みに足の位置を微調整し、力の流れを整え、体重をかけて踏み込む。その繰り返し。
 風の刃が俺の首を狙う。のけぞって回避、バランスを崩した隙を狙ってくるが、読めている。そのまま重力に任せてわざと姿勢を崩し、背後から兵隊たちの通る道を開けてやった。
 兵隊たちの動きは重力を振り切れる。大天狗の風の砲弾や刃を回避しながらの接敵。周囲の木を蹴り上げながら、三次元的に刃が迫る。
大天狗「面に這い蹲っていろっ!」
 高下駄を一際強く踏み鳴らした次の瞬間、桁外れの突風がそのまま兵隊たちを地面へと叩き落した。不可視の腕によって頭上から殴りつけられたように、骨の砕ける音が重なって聞こえる。
 しかしその間に俺は体勢を立て直し、大天狗の懐へと飛び込んでいる。
大天狗「ごぉおおおおおおおおきっ!」
 衝撃と共に地面から黒く太い腕が迫ってくる。一息に刃を向けるが、壮絶な硬さだ。俺の刃ですら半分ほど進んだところで食い込んで止まった。
 そのまま腕に体を持っていかれてしまう。空中で何とか体勢を立て直し、力任せに剣を引き抜く。
820:
 そうしている間に後鬼はその巨躯を顕現しきっている。前鬼と殆ど同じフォルムの黒い巨人。唯一の違いは、前鬼が一本角であるのに対し、後鬼は二本。それ以外は変わらない。強さも、脅威の度合いも。
 一個大隊を軒並み壊滅させられる程度の存在の追加は、けれど最早大した問題ではなかった。既に戦場は飽和している。閾値は突破している。どこまでいっても「死と隣り合わせ」という言葉で片付けられてしまう。
 あぁ、なんという自虐だろう。死地で踊っていることを笑っているのは単なる強がりに過ぎないのだ。
部下「準備できました! 離れて!」
 儀仗兵の集団から通信が入る。なんの合図かを考える余裕はなく、すぐさま後退、その際にちらりと黒く輝く魔力の塊が移った。
 前鬼、後鬼、及び周囲の瘴気を魔力に変換しているのだ。数多の魔物の住まう必死の塔、その傍であるのなら、生み出される魔力は膨大だろう。破壊力もまた比例してうなぎのぼり。
 恐らく破壊力だけならば党首の機雷化にも匹敵するであろう黒い光球。推進力もまたそのエネルギーであり、膨大な魔力が生み出す度からは、回避行動をとる暇など与えない。
 直線状にある全てを薙ぎ倒し、巻き込みながら黒い光球が大天狗へと向かっていく。後鬼が身を挺してブロックに回ったが、左腕を失って弾き飛ばされる。威力の減衰は僅か。度の衰えもない。
821:
 大天狗までの着弾推定時間は一秒を切る。無理に動けば隙ができる。波濤のような押し寄せる攻撃が、大天狗を打ち倒す唯一の手段に違いなかった。
 一人ではできないことこそが、現状の打破に必要なのだ。
大天狗「ふんぬぅううううううっ!」
 大気が蠕動した。練りこまれた魔力とあわせ、これまでのそれよりも格段に分厚く、巨大な障壁が大天狗を守る。
 着弾、そして爆裂。黒い光球はその慣性に任せてやつの背後を軒並み消し飛ばした。
 おおよそ五百メートルにわたって、森が焦土と化す。大天狗を鋭角とした二等辺三角形の焼け野原。
 いくら大天狗でも今の攻撃を完全に防御するにはかなりの労力を必要としたらしい。歩兵部隊の踏み切りは、大天狗のそれよりも早い。
 前に立ちはだかるのは後鬼。俺は頭部へと飛び掛った。部下たちに邪魔が入るのはなんとしてでも避けたかった。
 後鬼は迫る俺に反応するとすぐさま失った腕を再生させ、その膂力でもって叩き潰そうとしてくる。轟音と共に唸りをあげる右腕。刃をふるって指二本を落とし、手のひらを巻き込みながら飛び乗った。
 木の枝すら今の俺には足場になる。しなるそれを器用に蹴り上げ、後鬼の攻撃を辛うじて回避していく。
822:
部下「ボス! 俺たちも加勢――」
傭兵「うるせぇ! いいから大天狗を狙え!」
 所詮前鬼も後鬼も召喚されているに過ぎない。一度倒しても二度目がある。三度目がある。大天狗を殺すことこそが、唯一無二の、根本的な対処法。
 後鬼の動作は機敏ではないにしろ、鈍重とも言いがたい。回避し続けることは可能だろうが、それは攻撃を捨てた場合に限る。あの硬くみっちりと詰まった存在そのものに刃を突き立たせるには、やはり危険を承知で懐へと潜り込む必要があった。
 一撃離脱ではあまりにも時間がかかりすぎる。戦力の逐次投入は愚策だと判じ、現在PMCに存在する全人員をまとめて投入しているが、漸減しつつあるのが現状だ。のんびりやっている暇はない。
 一二〇〇対一でこれなのだ。やはり化け物。俺は改めて大天狗の強大さに辟易する。
 勘違いしてもらっては困る。俺は戦争が好きなのではない。戦うのが好きなのではない。そんなのはあの戦争キチガイのエルフに任せておけばいい。
 俺は平和が好きなのだ。
823:
「戦力、九五〇を切りました!」
「対前鬼部隊八〇余名、戦力拮抗! 援護の必要なし!」
「次撃符展開完了! 詠唱終了まで三秒半!」
「大天狗の瞬間移動、パターン解析試みます!」
「右翼八名戦線離脱! 救護部隊、頼んだ!」
「ヤー! 大天狗を釘付けしてください! その隙に救護に入ります!」
「それができりゃあ苦労はしねぇよ!」
「っ! ……少尉の死亡を確認、以後指揮系統は俺が引き継ぐ!」
「儀仗兵、中央から左翼にかけて戦線が乱れてる! 援護射撃を頼む!」
 脳裏に次々と声が飛び込んでくる。見てもいない景色が目に映る。それと同時に後鬼を相手にしなければならないのだから、脳みそのオーバーワークも甚だしいことこの上ない。沸騰してしまいそうだ。
 業腹なのは戦力の漸減そのものではない。恐らく大天狗が本気を出していないのに、という一点につきる。その証拠に、やつはボスクゥ郊外で放った大災害――煉獄火炎すら用いてきてはいないのだから。
824:
 前衛たちの連続突撃。前後左右に加え上からも襲ってくる三次元的な連撃である。大天狗は慌てこそしないが、当初の綽綽とした余裕は既に消え失せ、一心不乱に突撃を捌き続ける。
 前方からは八方向からの斬檄。かまいたちと風の砲弾とで邀撃しつつ、それを潜り抜けた刃は大きめにとった障壁でまとめて防いでいる。
 たといひとりが倒れても、その屍を乗り越えた後列がすぐさま間を詰め、剣を振るってくるのだ。大天狗にしてみればたまったものではないだろう。猛烈な波状攻撃に、手ぬるい反撃は強烈な一撃を食らうというのもある。
 前衛に魔力軽減装備を多めにとった軽装歩兵が、その後ろからは障壁貫通装備を多めにとった重装歩兵が、左右に陣取っている。彼らは己が身に降りかかる脅威はきっちりと受け流し、大気と障壁の隙間を突きながら、槍でひたすらに大天狗を狙っている。
 無論いくら武装で固めたとはいえ相手は四天王の一角である。役小角の真名を頂く第六天魔王・大天狗。その膨大な魔力の前では、そう容易く無傷を保てるわけがなかった。負傷の大部分はこの部隊から出てしまっている。
 それは逆に、この部隊が壁になってくれているから、前衛たちの一撃離脱と回避がなんとか機能しているということでもあった。
825:
 背後は手薄であるが、儀仗兵を初めとする遠距離部隊が焦土の上に陣地を構築しつつある。迎撃魔法を仕掛けながら魔力の回復を図り、同時に瘴気を分解、変換する。
 巨大な火球の形成、及び氷塊の嵐の詠唱を依然儀仗兵たちは続けており、少し離れた位置では援護部隊が前衛部隊の隙を埋めるように魔力の塊を放っている。
大天狗「なかなかどうして、人間とは面白い」
 風の乱射。数人が吹き飛ばされて四肢を欠損。伸ばした腕を刈り取ろうと兵士たちが迫るが、大天狗は大気を操作し周囲をまとめて吹き飛ばす。そこへ降り注ぐ火球と氷塊。
 熱と冷気は互いの温度を保ったまま、大天狗を逃さない独自の軌道を描いて落下する。障壁と風の砲弾がそれらを根こそぎ砕いていくが、先ほどの黒い光球と同様、慣性までは打ち消せない。大気操作の余裕もまたない。
 熱と冷気が渦を巻いて一気に水蒸気が立ち込めた。白い靄の中を突っ切って、我が身など構わず兵隊たちは気概の折れる様子など微塵も見せず、ただひたすらに大天狗へその切っ先を向ける。
826:
 いや、彼ら自身が一振りの刃に違いない。触接が即ち傷であり、死であろうという心がけ。その境地に、みな既に至っているのだ。
 でなければここについてこないだろう。俺だってつれてきやしない。
 PMCにいる人材はどいつもこいつも金の亡者だ。断っておくが、特段そういったやつらを好んで集めたわけではない。ただ、信頼できるに足る人物を探したとき、金で動く人間が俺は一番信頼できたというだけの話。
 
 自らの理想を追い求める手段として、金を追い求め続けたやつらを俺は評価している。
 それだけの話。
 俺に迷惑をかけることしかしないどこかのちんちくりんは別次元である。あいつは金で解決できないこともあると堂々と嘯く。そんなものはなく、仮に俺が知らないだけだとしても、この世を構成する要素としてはあまりにもちっぽけに過ぎないのに。
 いや――ちっぽけというのは、結局量の問題なのだ。質とは無関係。だから、俺は、自らの思考を撤回する。その言い方は誤謬を孕んでいる。
 正しくはこうだ。金は全てを、ちんちくりんの要素を加味するならば、この世の殆どの物事を解決できる。そしてもし仮に「金で解決できないこと」がこの世にあるのなら、「金でしか解決できないこと」がこの世にある証左でもある。
 逆とか対偶とか、そういった面倒くさい論理は擲って、考えた結果。
827:
 金で解決できないことが尊く、高潔だというのなら、金でしか解決できないことだって尊く高潔なのだ。そのはずなのだ。
 飢えた人間を救うのは金であって優しさではない。
 そう思っている人間を、俺は信頼している。
828:
 後鬼の咆哮。それは音ではなく、衝撃波の領域に片足を突っ込んでいる。体の奥から服の端に至るまでがびりびりと震えるのだ。
 剣が押し返されるのを感じる。そんな馬鹿な話しあってたまるか。自然とこぼれる戦慄の笑みを顔に貼り付けたまま、汗を払う暇すら惜しく、水滴を頬や額に貼り付けながらも俺は跳んだ。
 再度体を芯から震わせる咆哮と、二本の豪腕が俺を狙ってくる。そのまま咆哮を切っ先で切り裂いて、膂力の塊に真っ向から対峙。片腕を受け流しながら回転、その勢いでもってもう片方の腕を切り落とした。
 瘴気が噴出し散っていく。それを更に魔力へ転換、動力として足元へ送り込みつつ、空中を踏みつける。
 更なる加。両腕が伸びきった後鬼に対する術はない。せめて咆哮を挙げようとしたのか、大口を開けたが、いい的にしかならなかった。剣をそこへ目掛けてぶち込んでやる。
 刃は脳天を穿って後頭部から突き出た。ぐらりと揺らぐ間もなく、機能停止した後鬼の体が粒子となって崩れ去り、最後に魔方陣の欠片が割れ、ついに消滅する。
傭兵「次こそ、大天狗。てめぇだ」
829:
 空気の震える音が聞こえた。
 背後で気配。
 鬼の咆哮。
大天狗「果たしてそうかの?」
 豪腕が振るわれる。なんとか防御こそ間に合ったものの、それだけだ。打ち所を勘案する余裕はなかった。
 左肩から右の腰へと衝撃が抜け、そのまま吹き飛んで全身を痛打。最終的には友軍もろとも木に激突する。一瞬以上意識が追い出されていたが、骨折はない。頑丈な体に感謝をしよう。
 視界の中では後鬼が復活を遂げている。突如としての復活に驚いているのは俺だけではない。兵隊たちはみな驚き、後鬼に対応せねばと足並みが乱れている。
 前鬼後鬼は驚異的な相手であるが、所詮召喚された存在であることは前述した。やつら自体をいくら潰しても終わりはない。とはいえ、鬼を召喚する際に生まれる隙や魔力の消費は決して無視できないレベルだと考えていたのだ。
 そんな考えをあさはかと笑うような、大天狗の声音。
大天狗「もっともっと想像力を働かせよ! それこそが人間の特権じゃろう!?」
830:
傭兵「……自動召喚かよ」
大天狗「そのとおり。いちいち召喚などしていられるかよ!」
 魔法には詳しくないが、鬼を召喚する際に、破壊を再度の召喚と関連付けているのだろう。党首が開放行為と爆裂を関連付けていたように。
掃除婦「厄介ですね」
 少ない表情で掃除婦が傍らに立っていた。肩で息をし、僅かに顔色も悪い。
 会話だけならば通信で事足りるというのに、掃除婦はわざわざ俺の前へと姿を現した。その意味を少し考え、至り、嘆息する。
掃除婦「これまで以上に鬼を倒すことに意味がなくなりました」
傭兵「だけど、放ってはおけない」
掃除婦「無論でしょう。あんなものを野放しにしておけば、背中から挽肉にされます」
傭兵「なら、どうする」
掃除婦「私が行きましょう、引き続き」
 言うと思った。嘆息の理由はこれだ。
831:
 行かなくてもいいんだぞと思ったが、言うわけには行かない。掃除婦がここで出撃するのが最も効率的だから。そして彼女自身もそれを理解している。
 たった独りで、前鬼と後鬼を相手にするのが、最もよい。一人で百数十の人員を生み出せる掃除婦ならば、勝利を完全に放棄してしまえば、やってやれないことはないだろう。
 それは自らの命を削りながらの敢行である。掃除婦も魔力と体力の限界が近づいてきている。所持していたはずの回復薬はどうやら全て使った上で、あとには引けなくなっているのだ。
 掃除婦は州総督からの貸与であり、厳密にはPMCのメンバーではない。ここまでする義理もないだろうに、全く不思議な人間である。
掃除婦「あんなよい子を放っておくわけにはいきませんから」
 にこりと掃除婦は微笑んだ。
 言葉を聴いてぴんとくる。
傭兵「お前もあいつに絆されたタイプか」
832:
掃除婦「そんなつもりはないのですけどね。ただ、一生懸命なこどもを助けるのは、年長者の役目でしょう?」
傭兵「あいつの場合は一生懸命をこじらせてるけどな」
掃除婦「それにしても、『お前も』、とは」
傭兵「たっくさんいんだよ。生き残ったら教えてやる」
掃除婦「あらあら。弱気ですね、珍しい。生き残ったら、ですか」
傭兵「魔力枯らすなよ」
掃除婦「なんとかなるでしょう」
傭兵「それじゃあ」
掃除婦「えぇ」
掃除婦「序列十四位、『足跡遣い』。命を賭して、拝命しますわ」
 掃除婦はスカートの中から靴を計六つ、地面に落とした。
 そこから生まれてくる人影――軍人、侍、忍者、騎士、魔法使い、儀仗兵。嘗て俺が、俺と、戦ったコピー人間。それらを引き連れて、悠々と掃除婦は二体の鬼のちょうど中間くらいへと歩いていく。
 去り際、こちらを振り向いて、ぺこりと一礼した。
833:
傭兵「……全員、前鬼後鬼との戦闘を中断。全戦力を大天狗に向けろ」
「……正気ですか。鬼は、どうしますか」
 通信がざわついた。一二〇〇人全員の思考が流れ込んでくることはないが、繋がっているのは事実。心の機微くらいなら伝わりもする。
傭兵「掃除婦が保たせてくれる」
「無理です!」
傭兵「だろうな」
 俺はあっさりと言う。無理なのはわかっている。それでも、仮にここで大天狗を殺す手段があるとするならば、それは全身全霊でやつの顔面をぶん殴ってやることしかない。
 戦力の全力投入。鬼にぶれている余裕などは、どこにもない。
 今まで様々なことを、ものを、ひとを、自らの目的のために犠牲にしてきた。犠牲にし続けてきた。金のためなら犯罪すれすれでも迷いなく行ったし、詐欺も、簒奪も、いくらでもしてきた。
 最初の村での村長と狩人。ゴロンの町民。エルフ。王国兵士。直近だけでもこれだけ思い出せる。そして俺は一切悪びれてはいないのだ。悪びれるものか。罪悪感など感じていたら、心がいくらあったって足りやしない。
 そうだろう。そうなのだ。世界を平和にすると決めたのだ。金があればなんだってできる。世界を平和にもできる。魔物も魔族も打ち倒し、恵まれない人々に施しを与え、戦争の早期終結すらも買える。
834:
 全て延長線上だ。必要な犠牲なのだ。
 泣いてはいない。
 泣いてなどいられない!
傭兵「あいつの命は競売にかけた。その金で何が買えるか……わかってるだろう。俺たち次第だ」
「……ヤー。全軍に通達します」
 応答が響くと同時に俺は大天狗へと振り返った。それにあわせて俺へと風の砲弾が放たれる。
傭兵「これで終いにしようや!」
 叫んで突入。俺だけではない。周囲にいた兵士たち全員が武器を構えなおし、大天狗へと突っ込んでいく。
大天狗「構わん! 構わんぞ! 魔王様へ届く唯一の刃、ここで圧し折ってくれるわ!」
大天狗「煉獄火炎!」
 九字が切られた。かつて見た九字。そして十字を重ねて切られた碁盤の目。
 それが即座に地面に転写、光の交点から灼熱の炎が噴出す。
 即応して儀仗兵たちが大量の冷気をぶつけるも魔法の質はほぼ拮抗している。一対数百名の戦力差でこれなのだ。いかに魔族が埒外なのかは推して知るべしといったところだろう。
 そもそも、俺は既に、十分すぎるほど知ってしまっているのだけれど。
835:
傭兵「怯むなっ! つっこめぇええええっ!」
 全員応答。慄いて立ち止まるでなく、恐れ逃げるのでなく、慄き恐れるからこそ、更に一歩を俺たちは踏み出すことができる。
 自分の愛するべきひとや、守るべき存在に、この凶刃が向かうのを防ぐため。
 立体機動も大気には無力である。なぜならそれは大気の中を泳いでいるようなものだからだ。それでもこの数の前での邀撃に限りがあるのは明白。どちらも直感で理解している。
 ある種の駆け引きだ。どこまで迎え撃つのか。どこまで薙ぎ倒すのか。そのバランス感覚を一歩でも間違えば、次の瞬間に体が四散しているかもしれないのだ。
 九字、九字、九字。縦と横に繰り返し線が引かれ、転写、噴火を繰り返す。地面や空気が一瞬で高温化し満足に呼吸をすることもとどまることもできなくなる。
 大丈夫だ。もとより足を止めるつもりはない。呼吸も、有酸素運動なんて暢気していられない。足はとめず、けれど呼吸はしっかりとめて、目を見開き真っ直ぐ大天狗へと吶喊する以外に何があるだろうか。
 先行していた兵隊たちの刃が障壁で受け止められる。と同時にすぐさま後退。彼らが今までいた地点に衝撃波が降り注ぎ、焦土がさらなる荒地へと変わった。
836:
 「煉獄火炎、対処し切れません!」
 響く儀仗兵たちの悲鳴。追加で巨大な氷塊がいくつも突っ込んだが、熱された大気の層によって、その体積を大幅に減らしてしまう。噴火口へ突っ込んでも、火炎を塞き止めていられるのは十数秒程度に過ぎない。
 全体が大きく火炎を回避するように動く。大天狗は俺たちの陣形の薄い部分を食い破るように地を蹴り、一瞬で兵隊二人を屠ってみせた。風が上半身を掻き乱し、生物として主要な
器官を全て磨り潰したのだ。
 回避行動の最中の兵隊たちはバランスを崩している。そこを大天狗の神で狙われたのだからたまらない。大気をまとった徒手格闘は達人のそれを遥かに凌駕した手数と重さであり、移動度も視認限界上。その上障壁と遠距離を伴っているとなっては、戦線の壊滅は必死。
 とはいかない。いかせられない。俺を含んだ若干名が、最後の防衛戦になろうと大天狗へ食いついている。
 真っ先に大天狗が俺を狙ってきた。高下駄をものともしない超高移動。目を凝らせば、背中の羽とは別に、大気の渦が背中にブースターの効果を齎しているのが見える。足元と手にも大気と魔力の混合体をまとわせ、破壊力の向上と摩擦の低減を図っている。
 間に差し込まれるかのように火球が飛来。狙いは性格に大天狗の扇。
 大天狗は一睨みしただけで障壁を展開、火球の群れを打ち落とす。即座に剣を抜いて障壁ごと叩き切った。
837:
 障壁に隠された空気の砲弾が切っ先と衝突して小規模な嵐を巻き起こす。互いに先の先を読んでいる。攻撃が簡単に当たるとは思っていない。二の矢、三の矢を常に用意した戦いは、実力以上に精神力の戦いでもある。
 火球の煌きが追加で大天狗を狙う。おおよそ三十の手数はまたも障壁で防がれるが、今度はただ防がれるだけではなかった。炸裂した火球の内側から、弾けるように幾条もの光の矢が飛び出していく。
 不穏なものを感じ取ったのか大天狗が一歩退く。そこを追撃するのは軽機関銃を携えた歩兵たち。たたたた、たたん。小気味いい音と共に鉛の弾幕が行く手を阻んだ。
大天狗「ふんっ!」
 大気をまとわせた拳を突き出せば、その衝撃で弾丸が風圧に負け散らされた。どんな反応度と拳だよ。想定の範囲内ではあれど、苦笑しか漏れてこないのも事実。
 その間に俺を含めた数名が大天狗に切迫している。頭上からは拡散した光の矢が全方位から狙いを定め、大天狗の機動力を殺ぐ。
 剣を抜くと同時に矢が射出。大天狗は応じて大気を解放、息も止まる突風が壁となって俺たちの足を鈍くした。
 しかし止まらない。即座に兵隊たちは列を横から縦へと組みなおし、風の影響を受けない陣形へとなっている。防御を固めた先頭の兵隊の背中、肩と経由して、半重力機構を機動、密度の高い風を蹴り付けての強襲を図る。
838:
大天狗「煉獄火炎!」
傭兵「させるかよっ!」
 九字の印が地面に転写されるのを見越して、俺は既に地面を切っている。さすが四天王、破邪の剣をもってしてもすんなりとはいかなかったが、碁盤の目の一部を欠損させることには成功した。
 印へと魔力が満ち満ちていくが、欠損のために充填がうまくいっていない。輝きが明らかにこれまでと違う。
 結果的に噴火は十全に起こらなかった。激しい爆裂は数箇所でのみ起こり、その火炎は無論空気を焼き大地を焼き、数多の木々を灰にする裁きの火炎ではあったが、密度は薄い。覚悟を決めれば回避行動をとらなくともよいほどに。
 風圧を乗り越えた三人の刃が大天狗を襲う。背後から迫るのは光の矢。機動力を殺ぐ狙いは変わらず、照準は足と羽。
大天狗「天晴れ! 天晴れだ!」
傭兵「楽しそうだなちくしょう!」
大天狗「無論! こんな戦い、何度もあるものではない! まだまだ人間も捨てたものではないのう!」
 俺を殺すのが第一義の目的だろうに、そんなことを笑いながら言う大天狗だった。
839:
 す、とやつの眼差しが一気に氷点下に下がる。
大天狗「なら――これに耐えられるかの?」
 大天狗が高下駄の歯を強く、強く地面に打ちつけた。
 地面が一瞬、まるで鼓動のように力強く打ったかと思うと、次の瞬間には大地が鋭利な槍と化して接近していた三名のどてっぱらを貫いていた。それこそ弾丸のような度で三人を穿った大地は、それだけでは物足りないと見えて、三人を貫いたまま地面へと消えていく。
「魔力の波動を確認! 位置、真下! 地面を伝っています!」
 通信が入る。言われなくとも想像はついていた。
 大天狗の神通力は、大気だけではなく大地もまた同様に自由自在というわけか。
大天狗「このわしから逃げ切れると思うなよ」
傭兵「逃げるかよ――全体、跳べ!」
 大地が震える。刹那の間をおいて、殺意を伴う大地の隆起が、あたり一面を文字通りの針の筵へと変貌させた。直径数十センチから一メートルほどの三角錐が、おおよそ千、十メートルほどの高さまで隆起している。
 逃げ遅れた兵隊たちは軒並み串刺しにされていた。肛門から脳天まで一突きし、そのまま地面へと引きずり込んでいくのだ。まるで大地自身が生贄を欲しているかのように。
 一滴残らず大地に喰われ、血の跡すら残らない。
840:
 背後からの光の矢を大天狗は無造作に掴み、こちらへと投擲してくる。単純な攻撃だ。それをツーステップで回避、引き続き追撃。光の矢だった魔力の塊は、必死の塔に激突し、根元から大きく揺らす。
 あわせて風の砲弾。剣で受け、炸裂後の嵐に乗って加した。着地の瞬間を狙って大地の棘がこちらを狙ってくるのを反射的に回避、距離をなんとか離さないようにだけ気を遣い、依然吶喊。
傭兵「全軍突撃体勢維持! 足元にはくれぐれも注意しろ!」
「ヤー!」
 彼我の距離はおおよそ十メートル。ここまで来れば、ほぼ必殺圏内といってもよい。互いの一撃が到達する範囲であり、途端に空気が紫電を帯びたものに変わる。
 地面の隆起。それを直感で回避し、三角跳びの要領で蹴り上げながら、反射反射の繰り返しで大天狗との距離を一気に詰めにかかる。こんな動きに惑わされる大天狗ではないだろうが、単純な動きは大気と大地のいい的だ。
 兵隊たちもその数を減らしながらではあるが着実に大天狗へと近づいていた。斬戟を障壁と高移動で回避しながら、拳の一撃で必殺を量産していく。高密度で降り注ぐ火球や氷塊、潰された際に生み出される光の矢は的確に障壁で打ち消しながら、人数の差をものともしない大立ち回り。
841:
 だが確かに、そして着実に、俺たちの刃は大天狗に届いていた。袈裟を初めとする山伏の衣服がところどころ切れ、大天狗が動くたびにひらひらと揺れ動く。
 血のついていないところを見るとまだ肉体には届いていないのだろう。しかし、俺たちが徐々に大天狗の動きに慣れてきているのは真実だった。
 太陽と見紛うほどの火球が放たれたのを好機と見て、俺はついに大天狗へと直線で切りかかっていった。度と重力、そして遠心力を篭めた渾身の一撃。大天狗はそれを障壁、大気、大地の三重防壁でもって威力を減衰し、反撃の風の砲弾を撃ってくる。
 割り込んできた兵隊が刃の腹で普段を受け流した。軽機関銃の援護を受けながら着地、接地すらほどほどにして再度踊りかかる。
 迫り来る太陽でじりじり肌が焼かれていく。それすら戦場にあってはいい気付だ。
 障壁で大天狗が太陽を受け止めた。拮抗。ぎちぎちと魔力同士が衝突し、削れ、火の粉と熱風を撒き散らした。流石の大天狗といえど、今までのようにこの太陽を丸無視はできなかったようだ。
 俺の横薙ぎは扇で払われる。それを二度、三度と繰り返し、風の砲弾を弾いた衝撃で一旦距離が開いてしまう。
842:
 ほぼ同時に太陽が炸裂した。圧倒的な光が満ちて世界が白く染まる。思わず目を閉じてしまいそうになるそんな光景ですら、俺にとってはまた好機だ。剣を構えながら地を蹴る。
 わかっている。真っ直ぐ走って真っ直ぐ剣を振れば、敵を殺せるのだ。それは単純で、間違いなどどこにもない、真理の一つ。
 世界に色が戻ったとき、既に俺の剣は放たれている。
 大天狗の腕が飛んだ。
 同時に放たれた風の砲弾が俺の左足を消し飛ばす。
 大天狗を取り囲む数多の兵士。全員が全員、己の武器を握り締め、あるものは体勢を低くし、またあるものは大きく飛び上がり、大天狗の命ただそれだけを狙っていた。
 超々至近距離で、大天狗が目を剥いているのがわかる。
大天狗「全員、吹き飛ばされるがよぉおおおおおおいっ!」
 障壁が展開。大気がうねりたなびき渦を巻き、注ぎ込まれた魔力によって大きくぶるりと大地が震える。
 風の砲弾。炸裂する嵐。それらから生み出される鎌鼬。
 無色透明の半固体が、飛びかかった兵隊たちを根こそぎ薙ぎ払っていく。
843:
 が。
大天狗「な、だいち、が――!」
「龍脈への介入成功しました!」
 脳内に連絡が届く。
「こちらの魔力を混ぜ込んでジャミングしています! ですが、何秒持つか……!」
 十分だ。それだけで十分すぎる!
 続けて飛来した氷塊が、ついに大天狗の障壁を粉々に破壊する。甲高い、硝子の割れる音にも似た、鼓膜を振るわせる音は障壁の砕ける際の特有の音だ。
 そこへ向かって雪崩れ込む兵隊たち。大天狗は九字を切るが、どう見ても間に合う距離と度ではない。
大天狗「前鬼ッ! 後鬼ィッ!」
 掃除婦は存命。六人のコピー、及び数多のコピーとともに、悪い顔色を隠そうともせず、時折嘔吐をしながらも戦い続けていた。決して二体の鬼が大天狗の援護に入ることがないように。
 一人の兵隊の刃が、ついに大天狗の羽を裂き、胸を貫いた。
 一瞬で歓喜に染まる心中をぶち壊しにするように、俺の全身がぐらりと傾く。右足欠損のまま戦闘を続けようとしたのが祟ったのだ。バランスを崩して倒れこむのは当然だろう。
 激痛はない。ただ、喉から血液が逆流してきて、それがとにかく不快だった。
 ……は。
 視界の中で、次々と兵士の剣に串刺しにされた大天狗の姿が、幻となって掻き消えていく。
「この程度の幻影が、まさかわしに生み出せないとでも?」
 何者かの声。振り向くより先に、俺は自分から離れた下半身を見た。
 そうして、意識を失う。
854:
* * *
僧侶「あ……あ……」
 石牢の小窓から、わたしは戦局をただ見ていることしかできませんでした。
 いや、それは最早戦局と呼べるものではありません。殲滅。掃討。虐殺。傾いた秤は加度的にその傾きを増していきます。種族としての戦闘力の差を、社会性という能力で補っている人間にとっては、その傾向は顕著です。
 一人が死ぬたびに残された各人の負担は重くなっていきます。ただでさえ強大な相手が、時間の経過ごとに強くなっていくのですから、その結末はどんな人だってわかります。
 それを覆そうとしたのがあの人なのです。金にがめついあの人が、なぜこの場にいるのかまったく見当もつきませんでしたが、首魁であるのはわかりました。あの人が組織でまともにやっていけるわけないのですから。
 ですからきっと、大天狗と戦う一団があって、そこに傭兵さんがいるのだとすれば、図を描いたのはあの人以外にはいないのです。
 じりじりと漸減していく兵隊さんたちの姿を見て、わたしの足からも次第にゆっくりと力が抜けていきます。目の前で失われていく命に対して、自らの無力をこれほどまでに痛感したことはありません。
 大天狗はご丁寧に封印魔法を牢の扉にかけていきました。梃子でもわたしをここから逃がすつもりはないのでしょう。こんなわたしに一体どんな価値があるのか、魔族の考えていることはまったくわかりません。
855:
 涙で歪んだ視界の中で、大天狗が両手に大気を集め、集団へと叩き付けます。大規模な竜巻が生まれ、恐らく数十人、死傷者が出ました。
 軍勢がまるで大天狗に吸い寄せられるかのように突撃していきます。一糸乱れぬ隊列。素早い行動。あぁ、きっと途轍もなく訓練を施された歴戦の兵隊なのでしょう。遠目からだって彼らの武勇が伝わってくるようです。
 それでも、血と汗に彩られた訓練さえも、大天狗の前では児戯だったに違いありません。それほど彼我の実力差は歴然としていました。
 近寄った瞬間に大地が隆起し、大天狗を中心とした人の波が一気に地面に食われていきます。ぽっかりと、まるでドーナツのように、そこから人が消えるのです。
 残った人々へ向かうのは無色透明の砲弾。もしくは、大天狗自身が一塊の弾丸となって、拳で、爪先で、命を抉り取っていきます。
 兵隊さんたちは善戦しているのでしょう。しかし、善戦に一体どんな意味があるのでしょうか。その結果得られるものがたった数十分の延命だというのなら、善戦も瞬殺も、大した差などないじゃありませんか!
 あの人は、あの人はなにをやっているのですか!
 傭兵さんなら、きっと、どんな劣勢だってひっくり返してくれるはずなのです! 今までだってそうだったのです!
856:
 叫びたい衝動を堪えるのが大変でした。いえ、実は叫んでいたのかもしれません。だって堪える必要などどこにもないのですから。
 と、そのときでした。どかんと一際大きな音が響いて、牢がどんどんと傾斜していきます。塔が傾いているのだと、根元から折れ曲がっているのだとすぐわかりました。
 すわぽっきりいくのかと思いきや、四十五度くらいの勾配で、なんとか傾きは収まりました。とはいえ四十五というのは生半なものではありません。当然真っ直ぐ立ってなどいられませんから、わたしはごろごろと床を転がり、壁に背中を強打しました。
 唯一の幸運はここが石牢だったことです。家具などありませんでしたから、わたしの上に何かが振ってくるなんてこともありません。
 儀仗兵たちか、それとも大天狗か。どちからの魔法が大きく逸れて、この必死の塔を直撃したのでしょう。威力を考えると大天狗でしょうか。
 廊下や階下から魔物たちのけたたましい叫び声が聞こえてきます。消火作業やダメージコントロールに必死になっているようです。
857:
 ぱち、ぱちと弾ける音が耳に届きました。見れば、窓の鉄格子が歪んで壊れ、内蔵されていた魔力の粒子が弾けているのです。大天狗が封印を施したのは牢屋の扉だけ。窓は、違います。
 恐らくいまの衝撃で内蔵されていた魔法が壊れたのでしょう。ここは塔の四階。下は草木が茂っています。
 ……身体強化をすれば、死ぬことはない、と思いますが。
 恐ろしさがないわけでは当然ありませんでしたが、何よりも背中を押すのは勇気でした。責任感でした。わたしは一人でも多くの人を救いたくて、救わなければならないのだという強い意志が、わたしに窓枠へと足をかけさせます。
 拳を握り締めて振り下ろせば、思いのほか簡単に硝子は割れました。
僧侶「……」
 唾を飲み込みます。
 覚悟を決めて、一気に。
 重力からの解放。
 着地までは数秒ほどかかっていたのでしょうが、意識としては一瞬でした。重たい衝撃が全身をかけめぐり、硬く瞑っていたはずの眼が強制的に開きます。
 防御倍加をしていてもこの衝撃。全身が痺れて、少しの間まともに身動きが取れません。生身であれば死んでいたことでしょう。
 止まっていた息を咳で吐き出し、わたしは痺れもそのままに立ち上がりました。僅かに体がよろめきましたが、すぐに平衡感覚を取り戻して、目標を見据えます。
 目的地を見据えます。
 大天狗へと向かっていきます。
858:
※ ※ ※
 あぁ、これは夢を見ているんだなと気づくときがある。明晰夢というものらしい。
 大抵、空を飛んだり深海へ潜ったり、動物と話したり変な超能力をもっていたり、「普通あるわけない」ことを自覚することによって、夢だと気づくという。
 だから、俺の場合はまさにビンゴだった。
 死人が目の前に立っていて、あまつさえこっちに手を振り振りやってくるのだから、夢以外ありえないのだ。
 エルフと神父は、いつもどおりの表情をして、俺の名前を呼んでいる。
859:
 戦争キチガイのエルフは、何もなければ清楚で色白な高嶺の花。上背があり、すらりとした指先は細く、色も白い。細長い耳には金色のピアスをいくつもしていて、流れるような金髪を無造作に垂らしている。
 柔らかく微笑んでいるが、その目は俺を見ているようで見ていない。エルフとの関係は利害の一致の上に成立している。人間など本来歯牙にもかけないエルフ族が唯一見初めたのが俺と神父である……というのは自慢が過ぎるだろうか。
 一応男女の関係でもあるにはあるが、どちらかというと性欲処理のために互いを使っているという感覚である。限りなくドライなものだ。そのあたりも含めて、仲が悪いとは決して言わない。信頼もしている。
 誰よりも誰かの幸福を願う神父は、柔和な笑みを決して絶やすことはない。彼の表情は、言葉は、何よりも優しく誰よりも厳しく、そしてすっと心へと染み込んでくる。そして傷ついた精神を影からそっと支えてくれる。
 他人の幸福のために自分の幸福をおろそかにしている愚か者、とはエルフの弁だ。とはいえ、彼女も彼女で、神父の献身は真似できないと一目置いているのも事実である。
 僧侶と出会っているからこそ、確信できる。間違いなくあいつはこいつの娘だ。顔は母親似なのかさして面影はないが、そのぶんメンタリティは色濃く継いでいるのかもしれない。
860:
傭兵「お前ら、なにしてんだ」
 俺の当然の問いに二人は表情を変えなかった。
神父「まぁまぁ、勇者さん。立ち話もなんですから、座りましょうか」
 というと、さっきまでなかったはずのテーブルと椅子が、俺たちの前に姿を現していた。白い丸テーブルに、三つのスツール。
 俺は促されるままに底へと腰を落ち着ける。
エルフ「羨ましいなぁ。勇者くんばっかり戦争してぇ」
傭兵「おい、犬歯が剥き出しだぞ」
エルフ「うるさい。あー、あの大天狗にもう一発食らわせたい! 食らわせられたい!」
神父「食らわせられたいんですか……」
傭兵「変わらねぇな、お前も」
エルフ「これでも子供のころからだいぶ変わったんだけどな」
傭兵「何年前だよ」
神父「エルフ族の寿命って確か……」
エルフ「んー、大体百五十年位前?」
 これだけ時間の感覚が違うのだから、人間とは価値観が違ったっておかしくはない。寧ろそちらのほうが当然で、正常とも思えてくる。
861:
傭兵「おい神父、こいつを何とかしてくれ。話が脱線してたまらん」
エルフ「わかってるってば。時間がないんでしょ、あんまり怒らないでよねー」
 ごく当たり前のように言ったが、俺はそんなことは初耳だった。思わず聞き返す。
傭兵「時間がない?」
エルフ「ないっていうか、無限っていうか?」
 意味がわからん。
神父「や。まぁ、大したことじゃないんですよ。偶然近くに旧友がいたから、ちょっと声かけて見みうと思っただけで」
エルフ「そうだね。そんなところだねぇ」
傭兵「そうか。でも、悪いな。確かに、時間はあんまりないんだ。やらなきゃいけないことがあるから」
 そこで二人は軽く視線を合わせ、表情に影を落とした。
 ……なんだ? どういうことだ?
神父「勇者さんは健在のようだ」
傭兵「そんなつもりはねぇよ」
エルフ「どっちもどっちって感じ? 勇者くんはもう傭兵くんだもんね」
 それはたぶん、わからない人間にとってはまったく不可解な会話だった。そして同時に、俺にとっては痛いほどよくわかる会話でもある。
 心に僅かな苦しみと、限りない熱さを覚えた。
862:
傭兵「あぁ、俺は傭兵だ。傭兵として、やらなきゃならんことが残ってる」
エルフ「でも、だめだよ」
 エルフが立ち上がろうとしていた俺の手首を掴んで離さない。
 彼女の顔は依然変わらず、笑顔で、俺を労っているようにも、安堵しているようにも見える。
神父「……そうですね。悲しいですが」
傭兵「……なんだよ。やめろよ」
 これが夢だとわかっているからこそ、俺は強く、強く、エルフの手を振りほどこうとする。
 しかし、振りほどけない。どれほどきつく締められているのか、エルフの手は微動だにしない。
エルフ「きみは」
神父「あなたは」
 二人は耳を塞ごうとする俺などお構いなしに、俺が死んだことを告げたのだった。
863:
* * *
大天狗「……なぜ、お主がここにいる? 童よ」
僧侶「わたし、そんなに子供じゃありません」
 ごぐり、と音が響いて、大天狗が兵隊さんの頚椎をへし折りました。
 糞尿を垂れ流しはじめた死体を遠くまで放り投げます。
 戦線は壊滅状態です。累々と積み重なった死体。辛うじて死を免れている人々も、腕や足を失い、血を垂れ流しながら呻き声を上げています。勿論五体満足で立っている人なんて、わたし以外にはいませんでした。
 とはいえ、大天狗も相応の傷を負っていました。純白だった一対の羽、その片方は火球の影響で酷く焼け焦げ、もう片方は先端が槍か剣の攻撃によって著しく欠けています。
 四肢こそ繋がってはいますが、山伏姿のところどころに血が滲み、脇腹と太股にいたっては小振りなナイフまで刺さっています。
 大天狗にとっても決して楽な戦いではなかったはずです。目が充血しているのは魔力の大半を使用したためでしょうし、平然としているようには見えますが、息も僅かに上がっています。
 彼らの戦い方は間違っていなかったのだと、結果は物語っていました。
864:
大天狗「なぜお主がここにいるかと聞いておるのじゃ」
僧侶「それは、どうやって外に出てきたのかということでしょうか。それとも、何しにここへきたか、ということでしょうか」
 足元に掃除婦さんの首が転がっています。
 少し離れた先で、上下に分離した傭兵さんの姿も見つけることができました。
 感覚は麻痺しています。涙も出ません。狂乱にもなりません。
大天狗「何しにここへきた。まさか、わしに戦いを挑むつもりか」
僧侶「そのまさかだとしたらどうしますか」
 真っ直ぐに大天狗を見つめます。大天狗は時間にして僅か数秒、わたしの瞳を同じように見返していました。そしてそこからどんな意図を読み取ったのか、はぁ、と大きなため息をつきます。
大天狗「自殺願望に付き合ってやるほどわしは暇じゃあない」
僧侶「付き合ってもらいます」
 腰を深く落とし、深く精神を集中します。
 丹田に力をこめて、魔力の経路をイメージ。
大天狗「……正気か」
僧侶「いいえ」
 とっくに正気などは失っています。
 両親が死んだあの日から。
865:
僧侶「腕力倍加」
僧侶「脚力倍加」
僧侶「守備力倍加」
僧侶「いざ――!」
 地を蹴った足の裏が地面から離れるよりも先に、大天狗の手がわたしを引きずり倒しました。
 目にも映らない度でした。比喩でも誇張でもなく、大気を身にまとった大天狗の神を、わたしは残像すら捉えられないのです。
 消耗した大天狗をしてなお、わたしは一矢報いることすらできないのです。
大天狗「解せんな。というよりも、理解の範疇を超えている。お前のそれは、なんだ? なにがお主をそうさせる?」
大天狗「理解できないのはわしが魔族だからか? いや違うな、どう考えても違う。ということは、やはりお主が正気を失っているだけなのか?」
僧侶「……」
 眉根を寄せて、怪訝な顔をする大天狗でした。その表情を見ている限り、どうやら本当にわかっていないようです。
 所詮魔族。存在として強固だからこそ、彼らにはわたしの気持ちは絶対にわからない。
 大天狗はわたしの首に手をやりました。先ほどみたとおり、人間の首など簡単に折ってしまえるのです。
大天狗「問うぞ小娘! なぜお主はここにきた! お主は一体何がしたい!」
866:
僧侶「わたしはみんなを幸せにしたい!」
 限りない大声で叫んでやりました。
867:
僧侶「何がなんだかわからなくっても! なんでこうなっているのかわからなくっても! きっとこの先に、みんなの幸せがあるってわかるから! だからわたしは、戦わなくちゃならないんだ!」
大天狗「……は、やはりまさしく狂人だったか。過程がわからず、結論がわかるはずがない」
僧侶「わかる!」
僧侶「だって、これは全部傭兵さんが仕組んだことなんだから!」
僧侶「あの人が選んだ手段が、間違っているはずがない!」
 涙が溢れて止まりませんでした。
 死が怖いのではありません。わたしは、涙が普通そうであるように、悲しいから泣いているのです。
 傭兵さんの努力が無駄になってしまうことが悔しくて泣いているのです。
僧侶「あの人は確かに屑だ! 人間の屑だ! 金にがめつくて、そのためなら嘘をつくし人だって殺す! 子供も老人も、誰が何人傷ついたって構わないって言う、最低最悪な人間だ!」
僧侶「だけど、きっとあの人には、そうまでしても叶えたいなにかがあったに違いないんだ!」
868:
 ようやくわかったのだ。あの人はわたしと同じなのだと。
 革命を標榜してまでわたしに叶えたい大義が、大望があったように。
僧侶「そのためにいろんな人を傷つけてでも金を稼いで、そのたびに自分も傷ついて、でも涙なんか見せられるはずもなくて、自分の心に蓋をして、社会のために、この世にために、未来のために、きっと、だって、そうじゃないと、辻褄が合わない!」
僧侶「あの努力がこんなところで潰えていいはずがない!」
僧侶「だって、そんなの、かわいそうじゃないですか!」
 心の中がぽかぽかする。
 熱い血潮が、いまわたしの体内を駆け巡っていることが、はっきりとわかった。
 それは生きている証。わたしは今、確かに生きている。
 あぁ、でも、おかしな話でした。生きているのだから血は流れている。筋肉は動いている。神経は反応している。そこまでは当然として、だのに、魔力が心の臓から溢れて止まらないのです。
 輝ける何かが体の中を駆け巡って、暴れて、困っているのです。
僧侶「幸せにするんだ」
僧侶「幸せにするんだ」
僧侶「幸せにするんだ!」
大天狗「この、小娘……っ!」
僧侶「わたしがみんなを幸せにするんだ!」
 
 光が溢れて世界を包み込みました。
869:
※ ※ ※
傭兵「死んだ、か」
エルフ「そうだよー。きみは、もう死んだ。これはもう終わってしまったことなの」
神父「残念だ、お疲れ様、というよりほかにない。一足先に死んでしまった僕らが言うのもなんだけど」
傭兵「いや、わかってる。わかってるんだが、ま、それを噛み締めていたところだ」
エルフ「そっか。よかったよ、取り乱されなくて。そんな勇者くんは見たくないしね」
 と、エルフが俺の腕から手を離す。
 一瞬全員がぴくりと反応した。無論エルフ自身もである。この隙を突いて俺が逃げ出そうとしないかを試したのだろう。
 目があうと、全員苦笑した。考えていることはばればれだ。これでももとチームメイトなのだから。
傭兵「僧侶はどうなる?」
神父「……さぁ、ね。心配だけれど、僕たちにはもう、どうすることもできないよ」
エルフ「ここでのんびり見ているだけさ」
870:
神父「きみには、娘のことで随分と迷惑をかけたと思っていますよ」
神父「同時に、ありがたくも思っている。ありがとう」
傭兵「……別に、お前のためじゃない。あいつのためでもない」
神父「わかっています」
エルフ「勇者くんは昔っからそう言うー」
傭兵「とはいえ一応言っておく。お前に監督責任を追及したいくらいだからな、俺は。お前の娘、ありゃ化け物だぞ。どこをどうねじくれたらあんな正確に育つんだ」
エルフ「勇者くんには言われたくないと思うけどなぁ」
傭兵「俺はお前にゃ言われたくねぇよ」
神父「親の背を見て子は育つ、とはよく言ったものですね。それが勇者さんに迷惑をかけたことについては、謝ります。ですが、ねぇ勇者さん、あなたにとってうちの娘はどう映りましたか?」
 にこやかに痛いところを突いてくる神父だった。俺は何も応えられなくなって、お手上げだ、と肩を竦めてみせる。
傭兵「親近感は沸くよ、正直な。お互い馬鹿すぎる。やれるはずのないことを、やろうとしてるんだから」
エルフ「でも、二人とも成功したじゃん」
傭兵「成功しかけた、だ」
 俺はすかさず訂正する。
871:
傭兵「僧侶は結局失敗した。そして俺も、失敗しそうだ」
 不甲斐ない。
 情けない。
 一体俺はこの十数年間、何をやってきたというのだ。
エルフ「わっかんないなぁ、わっかんないよ、人間の考えることは」
神父「人間は弱いですからね。魔族や、エルフ族と違って。だからこそ社会性が一番発達しているのです」
 エルフはいまだ得心のいっていないような顔をしていたが、神父との会話で自らがやり込められることは重々承知しているのだろう、不承不承といった体で会話を打ち切った。
傭兵「じゃあ、俺、行くわ」
 立ち上がる。今度こそ二人は引き止めなかった。やっぱりなと顔が言っている。
エルフ「無理だと思うけどなぁ」
傭兵「やってみなくちゃわからんだろ」
神父「上半身と下半身分離してるんですよ?」
傭兵「自分のことは自分が一番よくわかっているよ」
エルフ「良くも悪くも、だけどね」
神父「過度な献身は身を滅ぼしますよ」
 それはある種笑えない冗談だったのだろう。だから、あえてそれにのってやって、俺もエルフも笑ったりはしなかった。
エルフ「勇者くん。勇者くんの努力は認めるよ。今までやってきたことが無為に終わってしまうのは、そりゃ誰だってやなことだから。でも、どだい無理なことだったんだよ。人間の身の上で魔族に勝とうだなんてのは」
傭兵「ちげぇよ」
 振り返りながら笑い飛ばしてやる。
872:
傭兵「僧侶が呼んでんだ」
879:
※ * ◇
 大天狗は己の間違いを自覚した。だが、一体どこで間違いを犯したのか、それがわからない。記憶をいくら遡っても決定的な分岐点に出会わなかった。
 僧侶を殺しておくべきだったのだろうか。しかし、この小さな少女を、自分が手にかける必要は感じられない。事実彼女は何もできなかった。大天狗に対しても、周囲に対しても。ただ組み敷かれ、涙を零し、大声で叫んだだけだ。
 自分は何も間違っていないと大天狗は確信していた。確信するしかない。なぜなら、過去にそのポイントを見つけることができなかったのだ。それならば帰納的に考えて大天狗にミスはなかったと結論付けるしかない。
 ならばこれが順当な流れの上にあったというのか。圧倒的な数の差を圧倒的な質の差で乗り越え、一二〇〇の倒れ付した人間どもの中心に立とうとも、それが勝利ではないのならばどうやって自分は勝利すればいいのか。
大天狗「何をした。何をした!? 答えろ小娘ェッ!」
 理解不能の極北に大天狗は立っている。彼の頭から四天王のプライドは消し飛んでいた。この世に普く全ての事象を楽しもうとする彼が、いまや僧侶を前に、不快感を露に激昂しているのだ。
 尋ねる大天狗だが、本人である彼自身が僧侶が何もしていないことを知っている。彼に察知されず行動を起こすことは生半なことではない。少なくとも僧侶になど到底できるものではない。
 ならば。ならば、どうして、こんなことになっている。
大天狗「なぜ殺したはずの一二〇〇人が生き返っている!?」
 のそり、のそりと、人々が立ち上がり始めている。
 その瞳の色は輝き、内なる炎を透けて見せていた。
880:
 修繕不可能な損傷を受けていたはずの兵隊でさえそうなのだ。四肢の損傷、頭部への被弾、胴体の分離。致命的なそれらの被害が、まるでなかったかのように戻っている。回復している。
 回復。そう、回復である。それは僧侶を初めとした神職に就いている者の得意分野。ならばやはり、この事態は僧侶が引き起こしたものなのか。
 違う。そんなはずはない。大天狗は自らの思考を自らで否定する。そんな気配はどこにもなかった。大体、死者の復活など、矮小な人間が一人で行えるわけがないのだ。それをこんなにも大規模に、急になんて!
「僧侶から手を離せよ」
 剣を向けて傭兵が立っていた。大天狗との距離はおおよそ五メートル前後。仮に大天狗が僧侶を手にかけても、回避や迎撃を許さない距離だ。
大天狗「そうじゃろなぁ……そりゃあ、お主も当然、復活しておるよなぁあああああっ!」
 僧侶を引っつかんで傭兵へと投げつけた。それを目くらましとし、大天狗は即座に九字を切る。
大天狗「煉獄火炎!」
傭兵「迎撃!」
「ヤー!」
881:
 傭兵が指示を出すよりも早く儀仗兵たちは応えている。詠唱簡略化のための符を引き抜き、迎撃体勢。百人規模の多重詠唱。祝詞が魔物の棲家の奥深く、必死の塔の根元に響き渡った。
 氷塊が――巨大な、巨大すぎる、どこまでも巨大な氷塊が、転写された九字の印ごと火炎を叩き潰す。遅れて吹き出た火炎と相殺し、あたりは濃霧に包まれる。
 おかしい、と直感で大天狗は感じた。魔法の力が強すぎる。いくら全員が健在だったとしても、こちらの煉獄火炎と容易く相殺できるほど、あちらの魔力は充実していないはずだったのだ。
 おかしいことだらけだ。それは長年を生きてきた大天狗だからこそ、より強く疑問に思う。
 だが、一度消えかかっていたプライドがふつふつと湧き上がってきた。単純な力比べて人間に負けるわけにはいかない。千人が一万人であったとしても、自分は魔王の片腕だ。四天王なのだ。
 僧侶や傭兵に負けられぬ理由があるのだとすれば、同程度の理由が大天狗にもまたあると考えるのが当然だろう。何しろ戦争の引き金を引いたのは魔族なのだ。遊びでやるには、戦争は少しばかり犠牲が多すぎる。
 それは種族の強靭さに対する自負とは異なっていた。天狗という種族にこだわっているのではない。役小角という人格にとって、譲れないものが確かにあった。
882:
 もしかしたら人間にとってはちっぽけなものなのかもしれない、それでも決して妥協できない一線がそこにはある。願い、と言い換えても過言ではあるまい。
 誰もが恐れ、道を開ける大天狗にも、当然のように願いがある。
 だから――そう、だからと言い切ってしまっていいだろう。だから彼は、己が持ちうる全ての力を総動員して、この一二〇〇人を打倒しようと魔力を篭める。
大天狗「煉獄火炎」
 もう一度九字を切った。即座に巨大な氷塊が飛んでくる。変わらぬ大きさの氷塊を見て、先ほどのそれが偶然の産物でないことを彼は確認した。確かにやつらは実力でもってこちらの煉獄火炎を打ち消したのだと。
 ならばもっと魔力を注ぎ込んでやればよい。それこそ、余裕で氷塊を飲み込んでやれるくらいに。
 噴火と氷塊が激突した。濛々と立ち込める水蒸気の中にあって、それでも己が競り勝ったことを確信する大天狗。
 しかし慢心はしない。極限まで発達した五感は、靄の中を突っ込んでくる数百人を察知している。
883:
大天狗「もう一発じゃ!」
 再度九字。転写された交点から、追加の爆炎が兵隊たちを襲う。
 一気に空気が熱を帯びた。火炎は高温の度を越して、赤や橙ではなく真っ白に煌いている。体内を焼き、表皮を焼く、二段の災禍である。
 本能が警鐘を鳴らすのを傭兵だけではなく兵隊たち全員が聞いていた。しかし彼らはそれを理性で押し込む。押し込んで、走り続ける。人間だから。理性で生きているのが人間だから。
 本能と理性の二軸で生物が駆動しているとして、前者に振れているのが魔物なのだとすれば、後者に振れているのは人間である。そしてその溝を埋めるかのように魔族やエルフといった種族がある。
 人間が理性で生きることを強いられているのならば、理性で生きることが賛美される社会で生きているのならば、彼らにとっては理性によってで死ぬことすら容易いのだろう。最たるものが自殺なのだ。
 ただ異なるのは、ここで人間たちは己のそばに佇む死の気配を濃密に感じ取りながらも、全員が全員、死ぬ気がないということだった。それはつまり自殺ではない。
 詭弁だろうか? 崖に自ら身を投じながら、自殺ではないと嘯くのだから。
884:
 しかし、確かに彼らは死のうとしているのではない。生きようとしているのだ。
 思想は統一されている。
 傭兵は僧侶を助けたいと願った。
 僧侶は傭兵を助けたいと願った。
 二人はみんなを幸せにしたいと願った。
 そして「みんな」はその願いに乗った。
 ここで煉獄火炎に突っ込むことが、その助けとなることを知っている。
「とつげぇえええええきっ!」
 前衛を努めるのは重装歩兵の集団だった。その巨躯で持って、彼らは降りかかる火炎の驟雨から後衛を守ってみせる。火炎が一粒触れるたびに、音を立てて鉄鋼が蒸発するのを決して気にしないようにしながら。
 無論その鎧の中は生き地獄である。熱い、という感覚は既にない。皮膚が灼けた鎧に張り付いて剥がれ、神経がほとんど死んでしまったからだ。
 なけなしの力を振り絞って、それでも彼らは地を蹴り上げた。重力軽減機構を作動、慣性をなるべく持続させ、より長時間後続の壁となるべく最期の仕事を果たす。
885:
 一人、また一人と息絶えていく中、ついに灼熱の隧道にも終わりが見える。と同時に、兵隊の集団へと向かってくる大天狗の姿も。
 四肢と背中に生み出された大気によって、火炎がうねりを巻いて立ち上る。拡散、収斂。上昇気流にのったその度は誰よりもい。
大天狗「――!」
 裂帛の気合が口から漏れる。一体戦場においてここまで叫んだのはいつぶりだろうか、なんて少しずれたことを頭の片隅で彼は考えていた。
 そんな彼の眼前に突っ込んでくるは傭兵。破邪の剣を握り締め、鬼の形相で大天狗へと迫ってくる。その度は人知を超えたまさに神、大気を味方につけた大天狗とためを張る矢も知れない韋駄天。
大天狗「なぁあああああめるなよぅ、小童ァ!」
 対する大天狗の形相もまたこの世のものではない。怒りや執着や必死や、様々な感情がないまぜになったマーブル模様。
 触接の瞬間に四方八方から火球が降り注いだ。氷塊は火炎と相殺しながら縮小する。しかし、火球は火炎と相殺こそしないが、減衰もしない。大天狗に確実に損害を与えたいならば寧ろこちらだった。
886:
 傭兵の戦闘力は捨て置けるわけがない。僅かに集中を途切らせようものならば、その途端に大気の壁も障壁も切り裂いて、その刃は大天狗の首を切り落とすだろう。
 ならば火球をどうにかするしかない。だがそれもまた安易だ。もし立場が逆ならば、火球にこそ何かを仕込むだろうと大天狗は考えていた。
 果たして大天狗の直感は当たっていた。火球の中には封印捕縛の魔法が巧妙に包み隠されており、本来は接近しないと行使できないその魔法であるが、火球の直撃と関連付けることでクリアしようとしていたのである。
大天狗「笑止ッ!」
 左腕の大気が蠕動する。圧搾されていた大気が一気に解放され、数多の風の砲弾と化した。それは火球を打ち消し、迫っていた兵士たちをまとめて薙ぎ倒す。
 流石に傭兵までは倒せていなかった。彼はその類稀なる反射神経によって、至近距離からの砲弾すら回避しきり、既に攻撃態勢へと移行していた。
 傭兵の渾身の一撃は、予想通り大気の壁も障壁も叩き切った。けれど大天狗にとっては何度も見た太刀筋にすぎない。既に軌道は読めている。
 前方の大気を神通力によって圧搾し、クッションとすることで無理やり慣性を押し殺し、移動を停止させる。切っ先は大天狗の眼前を通り過ぎ、剣圧で白髪がたなびいた。
887:
 これを絶好の好機と見た大天狗であったが、傭兵の背後から大量の兵隊たちが押し寄せているの察し、露骨に顔を歪めた。一瞬、彼の脳裏に傭兵と自らを道連れにするという選択肢が浮かんだものの、未練と執着がそれを却下する。
 それにしても、と大天狗は抑えられない疑問について思考する。接敵まではおおよそコンマ八秒、数は二三六名。煉獄火炎と風の砲弾の連射を潜り抜けた人間がここまでいるとは信じられなかった。
 蘇生、回復、そして……身体能力向上。もしかしたら自動回復までついているのかもしれない。
 そんな芸当が可能であるならば、最初から使っていたはずだ。やつらに出し惜しみしている暇はない。ならば。
大天狗「やはり、小娘、貴様か」
 戦闘能力など皆無に等しく見える、事実皆無に等しい僧侶の姿が、大天狗の千里眼ではっきりと捉えられる。依然として彼女が何か特別なことをしたようには見えなかった。
 わからない。わからないことは彼は嫌いだった。山に篭り密教の修行に明け暮れた日々は、既に記憶と記録の彼方で風化しているが、この世の理法を知りたかったのがきっかけであることは鮮明に覚えている。
888:
大天狗「生半な攻撃では倒れぬ。戦意を失わぬ。向かってくる」
大天狗「ならば!」
 踏み込むと同時に脚部の大気を解放、練りこんであった魔力を全て大地へと投入、眠れる龍を叩き起こして従属させる。
 震脚。大天狗の一踏みで大地は飛び跳ね、その姿形を荒れ狂わせたばかりか、肉体を串刺しにする槍にも主人を守る大楯にもなった。
 そしてバランスを崩した集団に向けて、大天狗は右手を放つ。
 拳の一振りがそのまま数百人の中を突っ切っていった。風圧と拳圧だけで、地に足のついていなかった兵隊を百人単位で吹き飛ばす。骨の砕ける音が連鎖しながら、大天狗の前方から扇型に人が消えた。
 無論そこで攻撃の手を休めるような大天狗ではない。踏み込みでもう一度龍脈を刺激し、広範囲にわたっての地殻の槍を顕現、数十人を串刺しにしつつ片っ端から風の砲弾を撃ち込んでいく。
 儀仗兵たちの生み出した障壁が風の砲弾を緩和し、次いで龍脈へ魔力を混入させてジャミング、なんとか槍の追撃は押さえ込んだ。
 拮抗されるのをもどかしく感じた大天狗はすぐさま魔力の供給を止め、大気操作に全てを費やす。
 幻影を顕現してもよかったのであるが――誰かに見られている状況では、幻影の入れ替わりも意味がない。
889:
傭兵「……」
僧侶「……」
 二人は並んで大天狗に向き直っている。慌ててはいない。余裕をもった、しっかりとした重心移動。当然のように、前に出された軸足へ。
大天狗「小娘ェ、貴様、なにをした」
僧侶「さっきからそればっかりですね。わたしは、何も、していません」
 それは俄かには信じがたい言葉であった。何もなくとも死者が復活するのであれば、この世はきっと、天国か地獄になっているだろう。
傭兵「大天狗の気持ち、わからなかぁねぇがな」
僧侶「わたしだっておんなじですよ」
 大天狗と同様、二人もまた事態を理解しきれていない。僧侶にしてみれば、死んだ人間が生き返っているのだ。蘇生魔法は既にこの世から失われて久しい。どういうことか見当もつかない。
 傭兵もまた、自分の身に何が起きたかは呑み込めたが、そこまでである。誰が、どうやってそうしたか、全く理解の範疇外だ。なにせ彼は上下に二分されて息絶えたのだから。
 理解不能の上で構わないとうっちゃえるのが傭兵と僧侶だった。そんなことは矮小だ。そして矮小なことにかかずらわっていられるほど、彼らの人生に猶予は与えられていない。今まさに寿命の短縮源と対峙しているのだから。
890:
 大天狗はそこでふと思った。全く戦場において場違いな、彼自身どうしてそのような思考が出てきたのかわからないけれど、とにかく、彼は思った。
 そして、思った次の瞬間には口から言葉が漏れていた。
大天狗「お前らは海を見たことがあるか?」
 その質問は恐らく二人の耳には届かなかったのだろう。あるいは、大気操作によって生み出された壁に阻まれてしまったのかもしれない。ともかく、二人からの返答はなく、代わりに突進してくる姿があるだけ。
 大天狗は口角を著しく上げながら大気を身に纏った。それでいいのだ。そうでなければ興が殺がれるところだった。
 迎撃姿勢をとる。猶予が残されていないのは大天狗も同じだ。死の気配が、ひたひたと足音を立てながら、戦場に歩いてきているのを感じていた。それが誰の死であるのかまでは、わからないが。
891:
傭兵「重装歩兵!」
 勇ましく返事をして、黒い鉄鋼を身に着けた集団が前へ出る。その数は先の煉獄火炎で大きく数を減らしていたが、寧ろ数を補うかのように、戦意は高揚しているようだった。吼えながら壁となり立ち塞がる。
傭兵「隙ができたら狙え! 遠慮はいらん!」
 その背後から各々の得物を携えた軽装歩兵が素早い動きで追随する。重力軽減機構を組み込んだブーツによる立体戦闘が持ち味だ。大気を操り武器とする大天狗の前では効果は薄いが、刃の一本でも二本でも食い込めば、そこを足がかりにして追撃ができる。
傭兵「右翼は一旦退け! 両側からカバーしつつ穴を埋めるんだ!」
 救護兵は全力で彼らをサポートする。身体能力向上、治癒、状態異常防御の三重詠唱。じわじわと心身を蝕んでいく瘴気からみなを守るのも彼らの仕事だ。削られては直し、死を水際で食い止め、一心不乱に助け続ける。
傭兵「龍脈遮断は続行! 質より量で戦線を補佐してくれ!」
 詠唱で返事のできない儀仗兵は、けれどより強く念じる。火球を、より多くの火球を。氷塊を、より多くの氷塊を。それが仲間のためになるから。勝利のためにも、救命のためにもなるのをわかっているから。
892:
大天狗「負けるものかぁあああああああああっ!」
 大天狗も負けずに絶叫した。
 拳を振れば竜巻が起こる。風の砲弾を同時に発射し、重装歩兵をまとめて薙ぎ倒せば、その後ろからは傭兵率いる軽装歩兵。縦横無尽に向かってくる刃や穂先や銃弾やその他諸々を、大気操作と障壁で受け止め、避け、最悪でも大事な部分は守る。
 地を踏みしめた。ジャミングすらも押しつぶす圧倒的な魔力量に、龍はまたその鎌首をもたげる。揺れ動く大地の中でも兵隊たちは足を止めないが、押し寄せるような石柱と石錘は墓標に近しい。
 その墓標を砕きながら風の砲弾が兵隊たちを襤褸布へと変えていく。高密度の大気は鉄よりも硬く、羽毛より柔らかい。触れた先から肉を、鎧を、抉り取って呑み込む。
 その隙を塗って、けれど人間たちの猛攻は止まらない。その数を減らし、劣勢であるはずなのに、戦意を失うことはなく。
 傭兵と僧侶が雄雄しく犬歯を剥き出しにしながら、何度目かもわからない吶喊を敢行。そしてそれに続かない兵隊たちはいない。
893:
傭兵「うぉおおおおおおっ!」
 大天狗との距離は三メートル――剣戟を受け流す大天狗の懐に潜り込んでの肘打ち――を障壁で受けられる――がそのまま顔面を蹴り上げながら後方へ脱出、反転してもう一度剣を振るう。
 風の砲弾。そして石錘。正面と足元からの多面攻撃も、傭兵の反応度の前では大した脅威ではなかった。ただでさえ人外に近しい彼の運動神経全般は、いまや未知の能力で強化されているのだから、猶更である。
 反転しても度は落ちない。寧ろ加しているような錯覚に、大天狗も傭兵も陥っていた。傭兵にいたっては、自らの肉体が意識よりも先んじて動いているような心持であった。
 大天狗も当然負けていられない。土壇場にあっても精神は落ち着いている。丁寧に魔力を編み上げ、大気を圧搾し解放、その勢いで神のカウンター。
 傭兵の剣戟は大天狗の胸の皮を薄く切り裂き、大天狗の風の砲弾は傭兵の太股の肉を殺いで消える。ここまでがおおよそ一秒に満たない次元の戦闘であった。
894:
 九字を切り風の砲弾を生成、龍脈に魔力を注いで蠕動させる。周囲から迫る兵隊たちの腕を掴んで振り回し、なぎ払いながら大気の解放、吹き飛ばし吹き飛ばし吹き飛ばし続けて追撃、顔面を砕いて扇で切断、飛び掛ると同時に石錘の森を生み出して数十人を一気に殲滅。
 煉獄火炎を傭兵は破邪の剣で断ち切った。しかし熱はどうしようもない。僅かに破邪の力が弱まったところに無理やり前鬼と後鬼の腕だけを再召喚、無理やりに有利な距離へと持ち込んだ。
 風の砲弾の連打。それに紛れて大天狗も飛ぶ。度は依然変わらず目にも留まらぬ神。大気の圧搾と解放は直角に曲がることすら可能にする。兵隊たちの合間を軽やかに縫い、首の骨を折りながら傭兵の命を狙う。
 斬戟。障壁で受けるが切断された。のけぞって回避、無防備な喉元にナイフが飛んでくるが、軽いナイフ程度なら大気操作で問題はなかった。傭兵は舌打ちをしながら体を小さく折りたたみ、大天狗の腹部を蹴り上げる。
 僅かに届いていない。扇が障壁代わりの壁となり、止めとして上から降り注いだ火炎は儀仗兵たちの氷塊がぎりぎりで打ち消すけれど、既に大天狗は傭兵の左腕を掴んでいる。
 拳を振った。傭兵の腹に穴が開き、血の花が咲く。まろびでるのは半壊した内蔵とその破片。
895:
 ずしんと地面が震える。龍脈ではない。もっと力任せの震動だ。
 強く地を蹴り上げた僧侶が、拳を力一杯に握り締めて向かってゆく。傭兵は最後まで彼女に戦うことをやめるように言ったが、勿論聞くような少女では到底なかった。いやですいやですと言い続け、結局ここでこうしている。
 実力は誰にも及ばない。そんな彼女が生存してこれたのは、無論幸運もある、庇護もある。しかし、何よりも、勇気があった。根性があった。最後の最後で一歩を踏み込める、自分の理想に対しての貪欲さがあった。
 みんなを幸せにしたいと彼女は言い続けてきた。手段はどうであれ、彼女はそれだけを願っている。両親が遂げようとした悲願を、代わりに達成しようとしている。
 悲願が傭兵と同一であると知ったいま、彼女の信条は、より強固なものになった。彼女は決して孤独ではない。嘗て裏切られもしたが、本質はどこまでも善性な少女。
 風の砲弾が直撃し、腹部を大きく傷つけながら炸裂。十数メートル背後へ吹き飛び石柱へ頭から激突、砕きながら生き埋めになっても、血まみれの顔で這い上がってくる。そんな少女に対して大天狗は笑うことしかできない。
896:
僧侶「ここで、負けるわけにはいかないのです」
僧侶「大天狗。あなたを倒して、傭兵さんと、帰るのです」
僧侶「そして、世界を、幸せに……」
 自分が何と口に出しているのか、もしかしたら自分でもわかっているのかもしれない。意識は朦朧、目の焦点があっているかどうかもあやふや。だのに言葉だけは力強い。
僧侶「誰も、泣くことのない」
僧侶「飢えることもない、そんな、幸せな……」
 大天狗にとって殆ど呪詛と化した言葉を僧侶は吐き続ける。妄執染みた全世界的平和、全世界的幸福の追求は、誰もが笑い飛ばしてしまう陳腐な夢だ。不可能な願いだ。僧侶を縛り付けているという意味では、彼女にとっても呪詛に違いない。
 だがしかし、彼女は孤独ではなかった。孤独であるときなど、数えるほどしかなかったといっていい。
 恵まれていたのではない。彼女は仲間を作ったのだ。言葉で、態度で、行動で、理想を語って実際やってみせ、誰もが試み失敗した、陳腐で不可能なその願いを、叶えようとしてきたのだ。
 その姿は愚かだ。愚か極まりない。
897:
 今彼女は、同じように愚かな男の隣を歩んでいる。彼らの生き様は平行線で、交わることはなくとも、一生同じ方向に歩んでいられることを、少女は実は喜んでいた。
僧侶「そんな幸せを願ってどこが悪い!」
大天狗「――」
 刹那、僧侶から一陣の風が吹き抜けるのを、大天狗は確かに察した。
 攻撃ではない。回復魔法でも身体能力向上魔法でもない。ただのそよ風に限りなく近い、だけれど僅かに魔力の篭った、微風。
大天狗「魔法を使っておったか貴様ァッ!」
 正体見たり、と大天狗は僧侶へと飛び掛る。
 そんなはずはないのである。確かに僧侶は放出の才能が圧倒的に、決定的に、欠けている。彼女が魔法を体外へ排出することは、絶対的に不可能である。
 だが、蘇生も回復も身体能力向上も、全て僧侶がいるためだった。
 この矛盾――否、矛盾と思っているのは、あとにも先にも大天狗ただ一人。
898:
 それは狭義の魔法ではなかった。僧侶は呪文を詠唱していないし、詠唱破棄のための符も使用していない。特殊な簡略化の手順を仕込んでいるわけでもなければ何らかの行動と関連付けているわけでもない。
 それでも確かにそれは魔法なのだ。僧侶が常に、無意識に、行使し続けてきた、この世で最大最強の魔法。
 彼女が傭兵のことを想っていたように。
 彼のことを、なんとかしてあげたいと思っていたように。
 彼女の必死な声を聞いた全ての人間が、彼女の力になりたいと感じる魔法。
 そのためには死の淵からさえも這い上がってくる力を与える魔法。
 僧侶が魔法の放出をできないと言ったのは正しいが、同時に正しくない。常に彼女は魔法を放ち続けていた。それは誰もが才能を持っていて、けれど習得の難しい魔法だ。まず第一に、真摯であらなければならないから。
 既に失われた蘇生魔法、そして集団完全治癒魔法。僧侶自身が唱えたわけではない。しかし結果として、僧侶はそれを「引き出した」。
899:
 いまこの場にいる誰もが、僧侶を助けてやりたいと感じている。支えてやりたいと感じている。そこに下心は一切ない。当然だ。一生懸命にもがいている人間を助けたいと思わない人間が果たしているだろうか。
 そのためには、生き返ることだってやぶさかじゃない。
 そして、魔族である大天狗には、そんなこと到底思いつきやしない。個体の強靭さは社会性と反比例する。彼にとって唯一存在する社会性の規模はせいぜいが「同属」という血の概念に囚われている。もしくは、目的を一にすれば、あるいはといったところ。
 魔王に付き従えているのだって所詮は序列によるのだ。無論、彼らの目的である生活圏の拡大という相互利益のためでもあったが、決して仲間意識があるわけではない。
 ゆえに戦えば戦うほど大天狗は混乱していく。劣勢に陥るにつれ、彼らの強さが向上しているように思えていたのだ。
 だがそれも人間側の視点から考えればあっさりと理由は知れる。負けそうになった時こそ、強く「負けてやるか」と願うものだから。
 だから。
900:
「俺は何度でも立ち上がる」
「俺たちは、何度でも立ち上がる」
901:
 振り返った大天狗が真っ先にしたことは最大の力で煉獄火炎を打ち込むことだった。ここで逃げるという選択肢が出なかったのは、単に彼にとって、この戦いがそんな軽いものではなくなったからにすぎない。
 殺すか、殺されるか。そうやって決着をつける以外、納得できないと感じたから。
 氷塊の嵐と密集した重装歩兵が火炎を打ち消し、受け止め、相殺していく。
 飛び掛っていく軽装歩兵。大天狗が大気と大地を操作して応戦するが、全くもってその数は足りていない。
 救護部隊は瘴気を魔力に変換し、前衛にブースターとして送り届けている。重装歩兵の火炎耐性もこのおかげである。
 風の砲弾を周囲に展開させながら、大天狗は叫んだ。
大天狗「ふっ、ふはは、ふはははははははっ!」
大天狗「天晴れ! 天晴れ!」
 そして砲弾を放つよりも先に、傭兵の刃が胸元を貫いた。
 一気に横へと引き裂いて、心臓と肺腑を根こそぎかき回していく。
 ぐしゃりと倒れる大天狗。そこへ降り注ぐ火球と、氷塊と、数多の銃弾。仮にも相手は四天王、何があるかわかったものではないと言う風に。
 今わの際、大天狗は小さく、「あぁ」と呟いた。その言葉のあとに何が繋がるのか、わかるのは恐らく本人のみだろう。
902:
 後に待っているのは静けさだった。耳鳴りのするような静寂。煙が晴れるまでは誰しもが警戒を解けず、煙が晴れてなお、警戒は解けなかった。大天狗はそれほどまでに強大な相手であった。
 剣を突き刺した当人の傭兵でさえも「……やったのか?」と呟く始末である。けれど結果的に、彼のその一言が全員の緊張を解いた。疑問系は次第に伝聞調になり、ついには「やったのだ」と断定になる。
 やったのだ。
 ついに、大天狗を倒したのだ。
 これで全てが終わったわけではないというのに、傭兵は溢れ出る涙を止められなかった。全身から力が抜けて、もっとしゃんと胸を張って、天国にいるエルフと神父に誇らしげに宣言してやりたかったのに、体が言うことを聞いてくれない。
 気がつけば僧侶が傭兵を抱きしめ、頭を撫でていた。そんな僧侶もまた、涙を流している。
 恥ずかしかったが、なに、気にすることはない。理性で生きる人間であれど、理性で止められないこともある。
 なにより、その場にいた全員が、喜びに打ち震えていたのだから。
 二人は日の暮れるまでそうしていた。
909:
※ ※ ※
 松明の炎に照らされ、夜の大森林は十分な光源を確保できていた。
 その中を死体が運ばれていく。
 行き先は様々だ。家族のいた者は家族の下へ、多額の見舞金と共に。家族のいない者は、共同墓地に弔われる。
 PMCなんていう汚れ仕事に望んで就くようなやつらだ、何よりも金が入用な身の上ばかりなのは、入社時の身辺調査であらかたわかっている。遺言をしたためている者も多い。処理はスムーズに進むだろう。
 慣れてきた自分に嫌気が差す。もっと強ければ、死人を減らすこともできたろうに、と思ってしまう。個人の強さを追及するのはやめたというのに。
 僧侶は俺の服の裾を掴んで、けれど視線は運ばれていく死体たちに真っ直ぐ向けられている。どこまでも真摯なやつだ。こいつには直接関係のないはずの数百人に対し、いちいち泣きそうになっている。
 助けられたと、そう思っているのだろう。いや、俺だって彼らに随分と助けられた。でなければ、死体袋に包まれているのは、俺のほうだったのかもしれないのだ。
 そんなこいつだからこそ俺たちは再び立ち上がれたのだろうと、なんとなく思った。根拠もない、推測ですらない、単なる妄想。それでも確かに、こいつのためならば死の淵からだって生き返ってみせようと思えるのだった。それが俺の推測を後押しする。
910:
 死体を運搬する社員を取り巻くように王国軍がいた。こちらから頼んだのではないものの、割かし早い段階から王国軍は大森林における大規模な戦闘を察知していたようで、どうするか判断しあぐねている間に夜になってしまったとのこと。頭でっかちも大変である。
 警護も見送りも俺の会社で足りている。変に貸し借りを作りたくはない。ただより高いものはないのだから。そう言ったところ、大天狗を倒した我が国の英雄たちに対して何もしないなんてことはできないと言われてしまった。
 英雄、ね。俺は様々な感情を一緒に吐き出すつもりで深呼吸する。勇者だとか、英雄だとか、それに類する言葉を金輪際身に纏うつもりはなかったのだが。
僧侶「傭兵さん」
 ようやく僧侶はこちらを見上げた。瞳をうるませ、鼻頭は真っ赤になっている。全く子供の泣き顔だ。
 思わず笑ってしまった。
傭兵「鼻紙やろうか」
僧侶「デリカシーがなさすぎますっ!」
 これでも額ざっくりやって、傷跡が残らないか心配なのに、と僧侶はぷりぷりしながら言った。自らのことを心配できる程度には余裕が出てきたのだろう。僧侶にとっては、逸れはかなりの余裕ということになる。
911:
 確かにこいつはずっと牢屋に囚われていたのだろうし、もしかしたらこうやって外に出て空気を吸うことすら待ちわびていたのかもしれない。それを思えば僧侶の喜びはわからなくはなかった。
 変な空気になってしまったのを避難するように僧侶はこちらをじろりと見てきた。なんだよ、まるで俺が悪いみたいじゃねぇか。
 いや、事実そのとおりなのだけれど。
僧侶「もう、こんな空気で言いたくないんですけどぉ……」
 不承不承といった感じで俺の前に立つ。背の高さはあわないが、見上げるように真っ直ぐ視線を合わせて、
僧侶「ありがとうございました」
 と言った。
 こいつらしいと心底思うと同時に、何を言ってるんだかわからなくて笑ってしまう。
傭兵「そりゃこっちの台詞だ。お前がいてくれたから俺たちは勝てた。お前のおかげだ。ありがとう」
 言い終わるか終わらないかという時点で僧侶は途端に顔を真っ赤にして俯いた。肩がぶるぶる震えている。
 確かに似合わない台詞だと自覚しているが、それにしたって露骨に笑いすぎじゃないだろうか。お兄さん、少し傷ついちゃうなぁ。
912:
僧侶「も、もっかい!」
傭兵「は?」
僧侶「よく聞き取れなかったので! もっかい!」
 ?
 よくわからないこと言う僧侶であった。
 まぁもう一度言うくらいなら全然構わないが。
傭兵「お前がいてくれたから勝てた。お前のおかげだ、ありがとう」
僧侶「ど、どう、いたしまして!」
 やっとのことで挙げた僧侶の顔は表情筋が全く仕事をしていなかった。緩みきって蕩けきっている。湯煎にかけたチーズにすら勝てるだろう。
 こいつは馬鹿なんじゃないかという単純な事実に、俺はここでようやく気がついた。
掃除婦「お取り込み中失礼しますわ」
 甘いものを無理やり喰わされたような顔をしていた。
 掃除婦は露骨にベロすら出して、全く申し訳なさそうな顔をせずにこちらへやってくる。事後処理の話やら今後の話やら、積もる話は沢山あるのだ。それを無視して僧侶とぐだぐだしていたというのに。
掃除婦「いい報せとよくわからない報せの二つがございますが、どちらから聞きますか?」
傭兵「……よくない報せじゃなくてか」
掃除婦「えぇ。よくわからない報せでございます」
 よくわからないのは俺も同じだった。
913:
傭兵「じゃあよくわからない報せから頼む」
掃除婦「傭兵様に客人ですわ。王国軍から」
 王国軍のお偉いさんとは一通り顔を通したはずだが、いまさら誰が俺に会いに来たというのだろう。確かによくわからない。
傭兵「いい報せってのは」
掃除婦「そのお客人からお聞きになってくださいな」
 それは二択の意味がないんじゃねぇか、と口に出すよりも早く、掃除婦はバックトラックで消えていた。どうにもあいつのことはいまだに理解できていない。まぁ高位の魔法使いなんてのは大抵どこか欠落しているものだが。
「やあ」
 と、松明の炎を背に、声がかけられた。
傭兵「……」
 あぁ、そうか。心のどこかでそうなのではないかとうっすら感じていた。
傭兵「久しぶりだな」
 厭味ったらしい笑みを浮かべてやると、困ったように騎士は笑った。
914:
騎士「あぁ、あの村以来だね」
傭兵「てめぇの銀貨のせいでこうなったんだが?」
騎士「ぼくの銀貨のおかげでこうなったんだろう?」
 どちらも正しい。銀貨がなければもっと手順は煩雑化していただろうし、銀貨があったせいで僧侶なんて爆弾を背負い込んでしまった。
 ……いや、違う、か。
 観念する。自分に嘘をつくのはやめだ。無駄にストレスを溜め込むなんてばからしい。
傭兵「わかった、わかったよ。お前のおかげだ。全部な」
僧侶「……あの、どういうことなんですか?」
 不安そうな顔で僧侶が言う。俺は説明すべきか逡巡したが、結局かいつまんでやることにした。でなければこいつはいつまでも不安顔だろうから。
騎士「わかりやすくするために、自己紹介をしておこうか。ぼくは騎士。王国軍の遊撃第三部隊の隊長を務めている。階級は少将」
傭兵「遊撃第三部隊……言うなりゃ隠密工作の専門家だ。しかも、政治よりの」
騎士「なんでもやってこの王国を守ることが使命なのさ。で、まぁ、その、なんだい。そのためにきみたちを利用させてもらった」
915:
傭兵「っつーわけだ。……党首を倒した後、兵士たちに連絡を取ったのもお前だな?」
騎士「そのとおり。あそこできみたちをどうにかしてしまっては、勝てるものも勝てなくなる。ひいては大天狗にもね」
僧侶「……?」
 僧侶はよくわかっていないようだった。こいつはどうして聡明なくせに権謀術数にだけは疎いのだろうか。
 いや、わかっている。みなまで言うな。実直すぎるのがこいつの美徳なのだ。その魅力を潰して欲しいとは俺だって思っちゃいない。思っちゃいないが、流石に頭の一つもはたきたくなる。
僧侶「……傭兵さん?」
傭兵「銀貨を渡せば俺はお前と一緒になる」
僧侶「え?」
傭兵「は?」
僧侶「いえ、なんでもないです。続けて、どうぞ」
 なんだこいつ。
916:
傭兵「そうすれば、ラブレザッハまでお前はたどり着けるだろう。反乱が起きる。こいつらはそれを一網打尽にする算段だったんだ」
騎士「えぇ。地下で動くネズミは捕らえ辛いですから。ただ、まさか党首が序列上位とは思いませんでした。それが唯一にして最大の失敗ですね」
傭兵「というこった。正直、ただで利用されたのはむかつくがな」
 それはつまりただ働きということだ。この俺がただ働きなどあってはならない。神ですら金を要求するのが俺だというのに。
騎士「わかってますよ。だからこうしてやってきたんじゃないですか」
傭兵「……それが、いい報せってやつか」
騎士「はい。いやぁもう大変だったんですから。宥めて賺して利害を話して、それでも首を縦に振ろうとしない上層部には、もう殆ど脅迫ですよ。ここまでしたんだから許してください」
傭兵「いや、わかった。それなら言うことはない」
僧侶「二人ともさっきから空中戦をしないでくださいよ! わたし一人がおいてきぼりじゃないですか!」
917:
騎士「僧侶さん。あなたに対して恩赦が下った」
僧侶「……は?」
 口をぽかんとあけて、頭の悪そうな顔をしている僧侶だった。
傭兵「それだけじゃねぇぞ。アッバ州……プランクィとお前らが呼んでた土地、あそこを丸ごとくれてやる」
僧侶「はぁ!?」
 理解不能がきわまったのか、ついに爆発して声を荒げだした。
僧侶「どういうことですか、どういうことなんですか! いきなり物事がとんとん拍子に進んだって、ぜんぜんわかんないです信じられないですどういうことなんです!?」
傭兵「俺は世界を平和にするといっただろう」
 そう。それこそが俺の行動原理。
 世界の平和を乱す筆頭は魔王軍だけれど、それが唯一無二ではない。姿形のないもので言えば、病気や貧困もまた平和を乱す害悪である。そして姿形のあるものでは、たとえば現在なら、反王国ゲリラが該当するだろう。
 僧侶を助けたかったのは単に私的な理由だけではない。僧侶が俺には必要だった。この世界を平和に保ち続けるための一本の杭として。
傭兵「プランクィを再興しろ。そこにゲリラを全員集めて、もう一度共産主義をやれ。なぁに、お前が全国に声明を発表すれば、すぐに集まってくるさ」
918:
 下手にゲリラ活動に精を出されるよりは、僧侶と一緒に畑を耕してもらったほうが、よっぽど安全と言うものだ。騎士も言ったが、地下のネズミはどうにかして地上に顔を出してもらいたいと言うのもある。
 僧侶は信じられないという顔で俺を見ていた。あ、こいつ泣くな、と感じた瞬間にその瞳に涙が溢れ出す。
僧侶「ようへいさん……」
傭兵「礼なんていらねぇよ。これも仕事だ。ゲリラを潰せと言われたから、一番楽な方法を選んだに過ぎん」
僧侶「ありがとうございます!」
傭兵「だから礼を言われる立場にねぇってんのに……」
 感極まったのか俺に向かって突進してきた。避けられない度じゃない。大天狗に比べれは遅々としている。
 ……が、ここで避けようものなら、避難轟々は予想に難くない。冒頭でデリカシー云々と貶されたがそれくらいは俺にだってわかる。いや、大天狗と比較した時点でデリカシーなどと口に出せる立場ではないのかも。
傭兵「あー! しゃあねぇなぁ!」
 俺は大きく両手を広げた。
919:
* * *
僧侶「だぁかぁらぁ……依頼された仕事とは関係のない移動、戦闘、家漁りはやめてくださいと何度も言っているでしょう! 事務処理してるわたしのことも考えてください!」
僧侶「はぁ!? 『控えた』? わたしは『やめてください』と言ったんですよ! 言葉がわかりますか!」
僧侶「じゃなくて……もう! 戦果拡張って言葉では絶対ごまかされたりはしませんよ! 十回の出撃で八回戦果拡張してくるってどれだけですか! 先月なんてそっちからの収入のほうが大きかったんですからね!?」
僧侶「だめです! だめったらだめなんです! 違法な会社は正当な手続きによって敵対的買収してください! 金庫を破るのも、集めた証拠で強請るのも、どっちも認めません!」
僧侶「……え? 麻薬? 違法拳銃? ……いや、でもですね。……だって……そんなこと言われても……や、わかりますよ? ですが……はい……まぁ、それなら……うーん、仕方がないとは、はい……今度こそ守ってくださいね?」
傭兵『ちょろいな』
 電話越しに傭兵さんが呟きました。一体何のことでしょうか。
920:
 すっかり毒気を抜かれてしまったわたしは受話器を置いて椅子から立ち上がります。窓から差し込む陽光を浴びながらの伸び。体中の骨がぽきぽきと鳴りました。随分と固まっていたようです。
 そろそろ畑仕事に移りましょうか。そう思っていたところ、扉がノックされました。この元気のいい感じのノックは……。
僧侶「どうぞ」
商人娘「やー、お世話になってます!」
 商人娘さんは以前と変わらぬ快活な笑みを浮かべて、大きく手を上げました。わたしもあわせてハイタッチ。
僧侶「どうですか、商いのほうは」
商人「ぼちぼちですねー。爪弾きものにされてる感じはまだありますけど、口に出されないだけマシですよ。カミオインダストリーの庇護もありますしね。王国だって、下手に刺激はしたくないでしょうし」
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眠気と疲れが出てきたので休憩がてらPAによる。現在夜の11時。 トイレを出ると入り口付近に一匹の黒猫がうろちょろしていた。

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