貴音「月光Cage」【前半】back

貴音「月光Cage」【前半】


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1:
ミステリSS
オリキャラ多いのでご注意を
長いです
よろしくお願いします
2:
――気が付くとわたくしは、暗闇に包まれておりました。
暗く、狭く、固い……箱の中でした。
手足を伸ばすこともできないほどの密閉された空間。箱の蓋は固く閉じられ、内側からはとても開くことができませんでした。
もちろん、助けを呼びました。声も出なくなるほど、泣き叫びました。
しかし……助けは来ませんでした。
どれほどの時間、その中にいたのかはわかりません。数十分か、あるいは数時間か……。
泣き疲れたのと、箱の中の空気が薄くなっていたのでしょう、段々と息が苦しくなってきました。
そして意識も朦朧としてきた頃……箱の外から音が。かちゃり……と、鍵の開く音でした。
恐る恐る箱の蓋を上へと押し開けたわたくしは、そこで初めて、自分が閉じ込められていたのが旅行鞄であると知りました。
周囲には見覚えのない光景が広がっていました。木々が生い茂り、土の地面が広がっていて……おそらく、祭り会場からも離れた森の奥だったように思います。
――誰が鍵を開けてくれたのだろう? その『誰か』はすぐそばに立っていて、わたくしは目を上げました。
夜の闇の中で、月の光に照らされたその姿、今でも目に浮かびます。
……そこにいたのは、『鬼』でした。
3:
――2月某日
P「はぁ。寒……」
事務所への階段を昇りながら一人つぶやく。立春はとうに過ぎたというのに、寒さはまったく衰える様子を見せない。近頃は異常気象のニュースもよく耳にするが、これ以上寒くなるのだけは勘弁してもらいたい。
――『765プロダクション』
いつもどおり、社名の入った扉を開けて、
P「おはようございまーす……」
小鳥「あ、おはようございます。プロデューサーさん」
いつもどおりの挨拶を交わす。
4:
雪歩「おはようございます、プロデューサー」
P「おはよう。今日は早いんだな、雪歩」
雪歩「はい」
雪歩はどこか憂いを帯びたような表情で頷いた。
P「何か、元気ないな?」
雪歩「い、いえ、そういうわけじゃないんですけど……もう、一週間になるんだなぁって、考えてたんです」
P「ああ……そういうことか」
雪歩が視線を向ける先にあるのは、壁にかけられたコルクボード。事務所の皆で撮った写真で埋め尽くされたようになったその中に、今はもうここにはいない『彼女』の姿を見て懐かしんでいるのだろう。
彼女……四条貴音がアイドルを辞めてから、一週間が経っていた。
5:
一週間前の朝、事務所の扉に一通の手紙が挟み込まれているのに気がついたのは、たまたま一番早くに出社してきていた俺だった。
手紙には、彼女がアイドルを辞めるということと、それをその時が来るまで黙っていたことへの謝罪の言葉が綴られていた。謝っても許されないことは承知の上だが、それでも謝ることしか出来ない、ということも。
その日以来、貴音は765プロからその姿を消してしまった。いや、それどころではない。事務所に記録されているマンションからは既に彼女は退居しており、携帯電話も通じなくなっていた。
つまり、貴音は事実上失踪してしまったことになる。誰も、その行方を知らないのだ。
6:
雪歩「あの日から何度も考えるんです……四条さんがどうしていなくなってしまったのかってこと」
P「俺だってそうだよ」
多分、事務所の全員がそうだ。
P「でもわからない」
手紙にはアイドルを辞める理由も、行方をくらませる理由も、何も書かれていなかったから。
小鳥「……きっと、なにか事情があったんだと思いますよ。深い事情が」
P「俺達にも相談できないような?」
小鳥「そうです。貴音ちゃんじゃなくても、女の子には秘密の一つや二つあるものなんですから」
小鳥さんは努めて明るく振る舞うように言うが、貴音に何らかの秘密があったというのは間違いないと思う。
思い返してみれば、貴音が俺たちに彼女自身のプライベートなことを話してくれたことなんて殆どなかった。でもそれが貴音のらしさでもあるとか、そんな考えでいたのが甘かったのかもしれないと思い始めていた。
無理矢理にでも貴音の秘密を聞き出していれば、また違った結末もあったのかもしれないと。
……しかし、後悔してももう遅い。貴音は、いなくなってしまったのだから。
7:
こんこん、とノックの音がした。
「すみません」
入り口の扉が開いて、声の主が姿を現す。男だ。
ボサボサの頭に乗ったハンチング帽、無精髭の生えたその顔はややほっそりとしている。年齢はぱっと見で30過ぎくらい。雪歩がさっと俺の背後に隠れた。
「やぁどうも、初めまして。自分は黒田という者でして」
ジャケットの胸ポケットから名刺入れを取り出し、その中から一枚を差し出す。
P「フリーライターの……黒田九里太(くろだ くりた)さん?」
黒田「ええまぁ、どうぞよろしく」
薄笑いを浮かべながら、帽子に手をかけて頭をひょいと下げる。
小鳥「あの……何のご用でしょうか?」
黒田「あぁそうそう。あんた方、今、話していただろう? 四条貴音の失踪についてさ」
P「ッ……!」
小鳥「……聞いていたんですね。扉の外で」
黒田「ああ怒らないでください。偶然ですって、悪気はなかったんだ」
そう言いながらも、悪びれた様子はまったく見せない。
8:
小鳥「……ご用件はなんでしょう?」
黒田「だからさ、ちょっとその話に混ぜてほしいんだけど」
小鳥「え……?」
小鳥さんが困惑したようにこちらへ視線を向ける。いや、そんな助けを求めるように見られても困るのだが……。それより、何を言ってるんだこの男は?
P「あの、申し訳ないんですが……」
黒田「まぁまぁ、聞きなよ。俺は『四条貴音の行方を知ってる』……って言ったら、どうする?」
小鳥「……え?」
P「い、今なんて――」
黒田「俺は四条貴音の行方を知ってるって言ってるんだ。それでもここから追い出すってのかい?」
P「……その話、詳しく聞かせていただけますか?」
黒田「へへ、もちろん。そのために来たんだからさ。あー……そっちの部屋を使っても?」
黒田は隣の休憩室を指差す。
小鳥「あ……はい、どうぞ」
黒田「オーケー、じゃあゆっくりじっくり、話そうじゃないの」
9:
小鳥「お茶です、どうぞ」
P「ありがとうございます」
黒田「お、どーも」
小鳥さんが二人分のお茶を運んでくれる。部屋の外側で雪歩が心配そうにこちらを見つめているので、「大丈夫」と言うように頷いてみせる。
テーブルを挟む形で黒田と向かい合ってソファに座る。
小鳥「隣、いいですか?」
P「ええ、どうぞ」
小鳥さんも黒田の話に興味が有るのだろう。
黒田「さぁて、と……何から話したもんか」
向かいに座る男は呑気に茶を啜っている。
P「貴音は今、どこにいるんです? それに、あなたはどうしてそれを知ってるんですか?」
黒田「まぁまぁ。そう焦りなさんな。順番に話そう」
10:
小鳥「そんなこと言って、嘘……じゃないでしょうね?」
小鳥さんが黒田へ訝しげな視線を送りつつ言う。
黒田「嘘だって?」
黒田は片眉をつり上げて小鳥さんの方を見た。
小鳥「正直に言って、あなたを信用できる根拠がありませんもの」
たしかに、いかにも怪しげな、しかも初対面のこの男を信じろというのも無茶な話だ。
黒田「なるほど。それももっともなご意見だ。でも、信用するかどうかの判断はとりあえず俺の話を聞いてからでも遅くはない……そうだろう?」
小鳥「……わかりました。遮ってしまってすみません。話していただけますか?」
黒田「オーケー。まずは四条貴音が今どこにいるかって話だが……俺の読みでは、彼女は今、実家にいる」
11:
P「……実家?」
俺と小鳥さんは思わず顔を見合わせる。
黒田「そう、実家。……その様子だと、やっぱりあんたたちも知らないんだね。四条貴音の実家の場所は」
P「……あなたは、知ってるんですか?」
黒田「知ってる」
P「どうして?」
黒田「記者だから」
P「真面目に答えてくださいよ」
黒田「真面目だよ。彼女のもとに手紙が届いていた。その数日後、彼女は大きな荷物を持ってマンションの前に迎えに来ていた高級車に乗り込んだ。俺はそれを見てたってだけさ」
P「……?」
黒田「手紙の差出人の住所にはとある村の名前があった。珍しい場所だったから記録しておいたんだ。後で調べてみたら、ドンピシャだ。その村には四条家という名家が存在していたのさ。となると、そこが彼女の実家で、手紙は里帰りを促すものだったと推測できやしないかね?」
P「ち、ちょっと待ってくれ、そもそもなんであんたが貴音宛の手紙を……」
小鳥「……貴音ちゃんのマンション、たしか集合ポストでしたよね?」
P「まさか、投函物を盗み見たのか!?」
黒田「なにも中身まで開けて見たってんじゃないさ」
P「……それでも立派な犯罪だ!」
黒田「あーそうかい、だったらこの場で俺を警察に突き出すか? とはいえ、俺がそうしたっていう証拠は残っちゃいないだろうし、あんたらは四条貴音の行方についての手がかりを失うことになるけどなぁ」
12:
P「…………」
小鳥「プロデューサーさん……」
悔しいが、この男の言うとおりだった。ここで黒田を告発したところで、なんの解決にもならない。
落ち着いて考えるためにもひとまず頭を整理する。
要するにこの男は貴音の身辺情報を探っていたのだ。貴音はようやくアイドルとしての軌道に乗り始めたというところだった。そのアイドルの、謎に包まれた過去……なるほど、そういった類の記者にとっては格好のネタだろう。
黒田「まぁ絶対、というわけじゃないが……俺の読みでは十中八九、彼女はその村に帰ってるね」
P「……どうしてそんなことを俺たちに教えたんだ?」
黒田「うん?」
P「あんたが俺たちにその情報を教えて、いったい何になる?」
黒田は短く口笛を吹いた。
黒田「なかなか目ざといね。話が早いや。交換条件ってやつだよ」
P「交換条件?」
黒田「こちらはあんたに村の情報を教える。いや、なんなら一緒に村まで連れて行ってやってもいい。代わりにあんたから、四条家の人間に口をきいてほしいのさ」
P「仲介役をしろってことか?」
黒田「調べてみたら、四条家というのはその村の元締めのような役割をしているらしい。俺みたいな人間が一人で行ったところで追い返されるのが関の山だろうと思ってね」
14:
P「……なるほど」
そこで聞いた話を記事にしようという考えか。
黒田「なぁに、別にあれこれと騒ぎ立てるようなスクープを書こうってんじゃない。むしろ、俺としては早めに記事にしてしまったほうが彼女のためでもあると考えてる」
P「それは、どういう意味だ?」
黒田「四条貴音は誰もが知ってるトップアイドル……ってほどではなかったにしろ、まぁそこそこ人気の出かかってた将来有望のアイドルだったよな。それが突如の失踪!なんてことが発覚してみろ、世間様はどういう憶測をしてくださるかわかったもんじゃないぜ」
P「…………」
黒田「戒厳令しいて隠すのにも限界ってもんがあるだろう。あることないこと噂されたら、この事務所全体のイメージダウンにだって繋がりかねない。……そう思わないか?」
P「……あんたが失踪の真相を記事にすることで、それを防ぐと?」
黒田「そういうこと」
黒田は人差し指をこちらへ向けて頷いた。たしかに、この男の言うことにも一理ある。貴音のことは今のところ社外秘で、高木社長の尽力もあってマスコミにも――この男を除いては――嗅ぎつけられている様子もない。
しかし、いつまでも隠し通せるわけではない。黒田の言うとおりのような事態が起こらないという保証はないのだ。
15:
黒田「……で、どうだ? あんたにとっても悪い話じゃないだろう?」
P「…………」
小鳥「プロデューサーさん……どうするんですか?」
P「……どうするのが一番いいのか、正直なところ俺にはわかりません。要求を呑んで、この男を貴音に近づけることが結果的に貴音に迷惑をかけてしまうかもしれない」
小鳥「…………」
P「でも俺は……貴音に会いたいです。この機会を逃したら、本当に一生会えないかもしれないから」
そんなことになったら、絶対に後悔することになるから。
小鳥「……わぉ」
黒田「へぇ、なんなの? あんたらそういう関係だったの?」
P「……違うよ。そんなんじゃない」
黒田「ふーん。ま、そういうことにしといてやらぁ」
16:
小鳥「私も、それでいいと思います」
P「小鳥さん」
小鳥「私だって知りたいですから、どうして貴音ちゃんがいなくなってしまったのかってこと。貴音ちゃんは隠しておきたかったのかもしれないけど、それでも……理由も聞かされないままお別れなんて、悲しすぎます」 
俺は頷く。そうだ。こんな形での別れなんて、納得できるはずがない。
黒田「……じゃ、要求は呑んでくれるんだな?」
P「ああ」
黒田「じゃ、ひとまず交渉成立ってことで」
P「なぁ黒田さん」
黒田「ん?」
P「あんた言ったよな、村まで連れて行ってやってもいい、って」
黒田「……ああ、言ったな」
P「『今すぐ』、行くことはできるのか?」
小鳥「はぁ!?」
黒田「へへ……俺は別に構わんよ?」
17:
小鳥「ちょっと……! いくらなんでも急じゃないですか?」
P「なんていうか、その……居ても立ってもいられなくて……」
小鳥「えぇー……」
P「すみません小鳥さん。社長に伝えておいてくれませんか。それに後で来た皆にも」
小鳥「うぅ?ん……?」
P「お願いします、小鳥さん!」
小鳥「…………」
P「…………」
小鳥「………………はぁ?……いいですかプロデューサーさん?」
P「は、はい」
小鳥「あなたが急に現場を空けるなんてことになったら、どれっっっ……だけ迷惑がかかるか、わかってるんですか?」
P「う……」
思わず目線を下げる。考えてみれば当然だ。勢いで言ってしまったものの、勢いだけでどうにかなる問題ではない。
小鳥「…………これは、大きな貸しにしておきますからね」
P「…………?」
顔を上げると、小鳥さんは微笑んで俺の肩に手をかけた。
小鳥「私だって、貴音ちゃんのことは心配なんですから。……行ってあげてください」
P「……ありがとうございます!」
18:
黒田「それじゃあ一時間後に出発だ。それまでに準備しといてくれよ」
P「待ってくれ。まだ重要な事を聞かせてもらってないぞ」
黒田「あ?」
P「貴音の実家があるっていうその村……俺達が向かう村の名前は、なんていうんだ?」
黒田「ああ……そういやまだ言ってなかったな」
黒田はゆっくりとその名前を口にした。
黒田「その村の名は……暁月村(あかつきむら)だ」
19:
事務所の人間で貴音と最後に話をしたのは、たぶん自分だ。
あれは、貴音がいなくなってしまう前日の夜だった。
――仕事を終え戻ってきていた彼女は、事務所の屋上で手すりに身を寄せながら月を眺めていた。
P「こんなところにいたのか」
背後から声をかける。
貴音「!……プロデューサー」
いつもなら俺の気配を察して、「くせ者!」とでも言って振り返るところなのだろうが、その時は声をかけられるまで気がつかなかったようだ。
P「夜は冷えるんだし、風邪ひくぞ」
貴音「そうですね。もう少ししたら、下へ戻ります」
そう言ってまた月を眺め始める。俺は彼女の横に移動して、
P「……俺も、ここで少し休憩していってもいいかな?」
貴音「ええ、もちろん」
20:
P「最近、少し元気が無いみたいだけど」
貴音「……わたくしが、ですか?」
P「ああ」
貴音「そうでしょうか……わたくしはいつもどおり、ですよ?」
そう言って、やや疲れたような微笑みを返す。
P「……そうか? 俺の気のせいならそれでいいんだけど。困ったこととかあったら遠慮なく相談してくれよ?」
貴音「心配していただき、ありがとうございます」
貴音は丁寧に頭を下げる。今度は視線をビル下の街並みへと移して、言葉を続けた。
貴音「……もうじき、一年になります」
P「一年……?」
一瞬何のことだかわからなかったが、すぐに思い当たる。
P「あ、そうか。もうすぐ貴音のデビューから一年か。早いなぁ。もうそんなに経つんだな」
実は内緒で記念パーティの準備を進めていたりもするのだが、今はまだ黙っておこう。
21:
貴音「まこと、密度の濃い一年でした。経験する何もかもが、未知のきらめきに満ちていて……」
P「楽しかったか?」
貴音は深くゆっくりと頷いた。
貴音「言葉では言い尽くせぬほどです。きっと、生涯忘れることのない一年……」
懐かしむような、それでいてどこか寂しそうな声。
P「でも満足するのはまだ早いぞ。貴音はまだまだ上を目指せるんだから。これからも頑張って――」
貴音が袖で目元を拭う。
P「――貴音?」
貴音「すみません。目にごみが……」
そう言って小さく笑う。その目にはうっすらと涙が滲んでいた。
貴音「――そろそろ、わたくしは失礼させていただきます」
P「帰るのか?」
貴音「ええ、プロデューサーはまだお仕事が?」
P「あともう一仕事かな。もうちょっと風に当ってから戻るよ」
貴音「ご無理なさいませんように」
P「そっちも気をつけて帰れよ。お疲れさん」
22:
下へ降りる階段の方へ五、六歩ほど歩いたところで貴音が立ち止まる。
貴音「……プロデューサー」
彼女はこちらを振り向かずに言った。
P「うん?」
貴音「先ほど言ったこと……あれは、間違いなく、わたくしの本心からの言葉です。この一年間は、わたくしにとって生涯の宝です」
P「……どうしたんだよ、急に?」
貴音「そして何より……」
貴音は俺の言葉には応えずに続けた。
貴音「765プロの皆と共に、その輝かしい時を共に過ごせたということ……それが、わたくしにとって至上の喜びであったということは……どうか、忘れないでいてください」
俺は言葉に詰まってしまう。貴音がなにを伝えようとしているのかがわからなかった。いや、言葉の意味ならばもちろんわかるが。でも、どうして急にそんなことを言い出したのか? その真意が掴めなかった。
貴音が歩みを再開する。
P「あっ……」
なんと声をかけたらいいかわからず、
P「また、明日な!」
そんな他愛のない言葉しか出てこなかった。
貴音は返事も、振り返ることもしないまま屋上を出て行った。
23:
――黒田の車で移動を始めてから数時間が経っていた。
P「……まだ着かないのか」
黒田「それ訊くのさっきから何度目だぁ? ……もうすぐのはずだけどな」
車道は鬱蒼とした山の中に入り、随分前からすれ違う車もない。
P「……今更言うことではないかもしれないけど、約束を果たせるとは限らないからな」
黒田「あ? どういうこったそりゃ」
P「仲介役をするとは言ったけど、俺だって向こうからしたらよそ者には違いない。まともに取り合ってはもらえないかもしれないぞ」
黒田「あんたから四条貴音に頼めばどうにかなるだろ」
P「…………」
黒田「こっちは必要な情報は提供したんだ。いまさら契約不履行は困る」
P「わかってるよ」
黒田「……とはいえ、その暁月村に四条貴音がいるって確証があるわけじゃないけどな」
まずは情報収集する必要があるかもしれない。考えたくはないが、はずれ……すなわち貴音はこの村にはいない、ということも充分あり得ることだ。
黒田「……どうやら着いたみたいだぜ」
車が停まった。
24:
ひとまず車から降りて周囲を眺め見る。
田んぼや畑ばかりが目立つ。電柱の住所表示からここが目的地の暁月村であることには違いない。とりあえず誰か村の人に話を聞きたいところだが……
黒田「人口約1000人。三方を山に囲まれたさびれた村……そう聞いちゃあいたが、予想以上に寂しいところだな」
P「……向こうの……広場かな? あっちに人が集まってるみたいだ」
目の前の坂を下った先に人だかりができていた。よく見ると、提灯や集会用のテントなどもある。
P「祭りの準備でもしてるのか……?」
黒田「そうかもなぁ。お前さん、ちょっと行って聞いてきてくれ」
P「え?」
黒田はいつの間にか再び車に乗り込んでいた。
黒田「ついでに四条家のことについてもな。俺はちょっと村をひと通り周ってみるよ」
車のエンジンがかかる。
P「お、おいおい!」
黒田「二時間くらい経ったらまたここに集合な。じゃ!」
黒田の乗った車はあっという間に行ってしまった。
25:
……かくして黒田としばらくの間、別行動を取ることになったわけだ。
仕方なく歩いて広場へと向かうことにする。
道のりの途中、焼き魚だろうか、食欲をそそられる匂いに導かれ定食屋へと立ち寄ることにする。
昼はなにも腹に入れていなかったので、とにかくなにか食べたい気分だった。
店員「あらいらっしゃい」
おばちゃんの店員がにこやかに声をかけてくる。
P「どうも」
店員「村の人じゃないわよね?」
P「ええ、まぁ……」
店員「珍しいわねぇ、やっぱりあなたも十年祭(じゅうねんさい)を見に?」
P「十年祭?」
店員「あら、違った? そこの学生さん達は十年祭を見学しに来たみたいだけど」
店の中には俺の他に客が3人いた。座敷席に男二人に女一人の3人組。
その3人組がおばちゃんの言う学生さんらしく、目が合うと3人揃ってぺこりと頭を下げた。
26:
――折角なのでこの村について話を聞きたいと思い、相席させてもらう。
料理を待つ間、互いに自己紹介をした。
三人は大学で同じゼミをとっている間柄で、今回は教授に連れられ民俗学の研究のためこの村にやってきているのだという。
朱袮「――ええっ!? じゃあやっぱり、四条家ってあの四条貴音の実家なんですか!?」
白河「四条貴音……って誰や?」
青山「ウソでしょ、白川さん。知らないんすか?」
白河「知らん」
朱袮「白河さん全然テレビ見ないですもんね?」
彼女は七瀬朱袮(ななせ あかね)。大学二年生。セミロングの黒髪にくっきりとした目鼻立ち、ピンク色のカーディガンがよく似合っていた。こんな旅でなければスカウトをかけたいくらいの美人だ。
青山「先輩、芸能人なんてほとんど知らないんじゃないっすか?」
彼は青山和一(あおやま かずいち)。同じく大学二年生。茶髪で童顔の、いかにも今どきの学生といった感じの青年。小柄な体格で変声期前のような甲高い声の持ち主だった。
白河「そうかもしれんな」
そう言いながら煙草を灰皿に押し付けたのは、他二人より一年先輩だという白河竜二(しらかわ りゅうじ)。物腰、風貌どちらにしても大学生にしては随分と老成した雰囲気があった。それと関西の出身なのか、言葉に独特の訛りがあるのが特徴だった。
27:
P「勘違いしてるようだけど、その四条家がうちのアイドルである四条貴音と関係があるかっていうのは、俺にもまだわからないんだ。それを確かめにきたっていうのが正しい」
青山「はぁ、そうなんすか……それにしても知らなかったな。まさか四条貴音が失踪だなんて……」
P「あ、今の話はくれぐれも他言無用に頼むよ」
青山「あ、すんません……」
店員「はい、お待ちどう様」
おばちゃんが皿に山盛りの料理を運んできてくれた。
朱袮「あっ、そうだ。店員さん」
店員「はい?」
朱袮「四条貴音……って人、知ってます?」
店員「ええ、もちろん知ってますとも」
P「え……」
なんてこった。
28:
P「それって、こう……銀色の髪をした女の子ですか?」
店員「ええ! 四条様のところの貴音お嬢様でしょう? 一週間ほど前に村にお戻りになられたんですよ」
P「はぁ、貴音お嬢様……」
やや違和感のある響きだが、どうやら間違いないらしい。
朱袮「わぁ! よかったですねPさん! 早見つかったじゃないですか!」
朱袮さんはまるで自分のことのように喜んで言った。
P「あ、ありがとう」
拍子抜けするほどあっさりと解決してしまった。
P「ええと、それで店員さん――」
白河「……まぁ、Pさん。積もる話は飯の後にしませんか。せっかくの料理が冷めてしまう」
青山「そうっすよー。いやー俺今日は朝食抜いてきちゃったんでもう腹が減って減って……」
白河くんの言うとおりだ。別に急ぐ必要があるわけでもない。まずは目の前の皿を平らげてしまおう。
29:
朝、家を出る時にパンを一枚胃の中に入れたっきりで空腹だったせいもあり、あっという間に完食してしまった。
白河「……ところで、おばちゃん」
白河くんが切り出した。
店員「はーい?」
白河「四条家といえば、この村にとっては特別な存在ですよね。たしか……『神宿り』、でしたか?」
店員「あら、よくご存知なのね」
P「すいません。神宿り……ってなんですか?」
聞いたことのない単語だ。
白河「この村における四条家の別名のようなものです。霊能力を持つとされる一族、それが神宿り」
霊能力だって? 今そう言ったのか?
30:
P「霊能力って……そんなまさか」
本気で言っているのか? テレビの特番じゃないんだぞ?
店員「お客さん」
それまでとうってかわってぴりっとした声だった。
P「はい?」
店員「悪いことは言いませんから、今のようなこと、他ではおっしゃらないほうがいいですよ」
P「え……」
店員「この村で神宿り様のことを疑うようなことを言ってはなりません。無事に村から帰りたいのであれば」
P「…………」
ひやりとしたものが背中を通り過ぎる。
店員「――なんて、それはちょっと言い過ぎですけどね」
おばちゃんはまたにこやかな顔に戻る。
店員「ただ、神宿り様はこの村にとって、とてもとても大切なお方なんです。ですから気をつけてくださいね」
P「ど、どうもすいませんでした……」
31:
朱袮「え、ええと……あ、そうだ!」
微妙に緊張した空気を変えようとしてくれたのか、変に明るい声で朱袮さんが言った。
朱袮「そういえばこの村には、神宿りの方たちだけじゃなくて、他にも村のまとめ役をしてる人たちがいるんでしたよね?」
青山「ああ、そういやぁそんな話だったな。ええと、なんて言ったっけ。……三井家と後藤家?」
白河「三船(みふね)家と五道(ごどう)家やな」
青山「あ、それですそれです。さすが先輩」
白河「この暁月村は代々、神宿りである四条家の力によって厄災から守られてきたと言われている。三船家と五道家はその四条家に準ずる村の有力者で、この三家が村の中心的存在である……合ってます?」
白河くんが確認するようにおばちゃんへ尋ねた。
店員「え、ええ、ほんとに詳しいのね。驚いちゃったわ」
白河「よかった。ここへ来る前にちょっと予習してきたので」
朱袮「ひゃ?先輩まじめ?」
青山「ほんとほんと」
白河「こんなん真面目でもなんでもない。お前らのほうこそ、この旅が研究の一環てこと忘れてんとちゃうやろな?」
青山「そんなまさか。俺達ほど向学心に溢れた学生もそういませんって」
朱袮「ほんとほんと」
白河「まったく……」
32:
勘定を済ませ店から出る。
しかし、あの店員さんの話からすると、俺一人で四条家に向かったところで会わせてもらえるかはなんとも微妙だな……。
もしかしたら、怪しい者扱いされて門前払いということもあり得る。
思案していると、同じく勘定を済ませて出てきた青山くんが言った。
青山「Pさんも僕らと一緒に行きませんか?」
P「行くって、どこに?」
青山「もちろん、四条家ですよ!」
P「君たちも四条家に?」
朱袮「そうですよ。さっきも話しましたけど、私達この村の伝承について調べるためにやってきたんです。そのテーマの一つが十年祭! 四条家の方たちがそのことで色々と協力してくださるみたいなんです」
P「十年祭……そういえば向こうの広場で祭りの準備をしているようだったけど」
朱袮「まさにそれですよ! 私達――」
白河「まぁ待てよ朱袮。そもそも十年祭がどういう祭りかってとこから説明せなあかんのとちゃうか?」
P「そうだね。お願いするよ」
朱袮「お願いします、先輩!」
白河「なんやもう、しゃあないな……」
無責任にバトンを放り投げられた白河くんは困ったように笑う。
白河「とりあえずPさんも一緒に祭り会場の広場へ向かいませんか? 歩きながら説明しますよ」
33:
広場には既に人が集まり始めており、それぞれ祭りの準備に追われているようだった。
入り口には『十年祭』と大きく書かれた木の門が建っている。
白河「――十年祭というのは文字通り、この村で10年に一度行われる祭りです」
P「10年に一度の祭り……それが今日?」
白河「そうです。これを逃せばまた10年後になります」
P「なるほど。民俗学の研究という上でも貴重な機会なわけだ。それで君たちもここへ来たんだね」
白河「その通りです」
「――神宿り様が村に直接お出でになるなんて、いつぶりだろうな」
「さぁなぁ……。村まで来ることは滅多にないからな」
雑踏の中から漏れ聞こえてくる話し声だった。
P「この祭りには神宿りも来るんだね」
白河「はい。神宿りは村の外れに住んでいて、村の中に姿を現すことは殆ど無いそうです。それだけこの祭りが特別なものであるという証ですね」
P「そうなんだ……」
「――そう、お子さんが……大変でしたのね。それで神宿り様のところへ?」
「ええ、あんなにひどい病気とは思わなかったわ。でも神宿り様のお陰でほんとに助かったわ。一時はもう駄目かと――」
ふと気になる立ち話が聞こえてくる。主婦らしい二人の会話。……病気?
白河「どうかしました?」
P「あ、いや、なんでもないよ。続けてくれるかな」
白河「はい。この祭りは10年の間に村に溜まった厄を祓う目的で始められたとか。そのメインイベントとなるのが神宿り……つまり四条家の人間による『浄(きよ)めの儀式』というものです」
34:
P「浄めの儀式? それはなにをするんだい?」
白河「あー……」
P「どうかした?」
白河「すみません、実は僕も完全には頭に入ってなくて。そのあたりは先生から聞いたほうがわかりやすいかと思います」
P「先生っていうと、君たちの?」
白河「ええ、飯の後で祭り会場の広場で落ち合うことになってるんですが――」
青山「あ、いたいた! おーい先生ー!」
青山くんが手を振る。その先に灰色のニットベストを着た男性が立っていた。俺達に気が付くと手を振り返し、こちらへ歩いてくる。
白河「先生、さっき定食屋で知り合ったPさんです。Pさん、こちらが僕達の先生、千家教授です」
そう紹介されたのは紳士風の男性で、体格は中肉中背。年齢は50半ばほどだろうか、髪の毛には白髪がだいぶ交じっていた。
千家「どうもはじめまして。千家藍之助(せんけ あいのすけ)と申します」
千家さんはにこやかに笑って手を差し出した。俺もそれに応えて握手をする。
P「はじめまして」
35:
ここに来た事情をかいつまんで説明する。
千家「――それはそれは。大変でしたね。私はアイドル事情には詳しくないのでどうとも言えませんが……よろしければこの後我々とご一緒しませんか? 研究のために協力いただいておりまして、特別に四条家の屋敷に招かれているのです」
P「い、いいんですか?」
千家「もちろんです」
P「ありがとうございます!」
ふと黒田との待ち合わせの約束が脳裏をよぎったが、一瞬で忘れ去った。知るかあんなやつ。
P「ところで四条家というのは、ここから遠いんでしょうか?」
千家「車があるのでそう時間はかかりませんが、トンネルを一つ抜けなければなりません。予定では、ええと、ちょっとすいませんね」
そう言うと千家さんはズボンのポケットから茶色の革製手帳を取り出し、ページを捲って何かを確認する。すると今度は右手首の腕時計を見て、
千家「……うん。先方との約束の時間まではまだ少し余裕があるようですね」
また手帳をポケットへしまう。
36:
千家「よろしければこの十年祭についてお話しても?」
P「あー……ええ、ぜひお願いします」
正直に言うとそこまで興味があるわけではなかったが、お世話になる以上は少し交友を深めておきたい。
青山「あのー、俺達もその話聞かなきゃだめっすか?」
千家「そういえばもう始めてる出店もあったみたいだよ。見てきたらどうだい? 珍しいものもあるかもしれないぞ」
青山「やった! 俺行ってきます!」
朱袮「ん……じゃ、私もー!」
青山くんと朱袮さんはあっという間に広場の人混みの中に紛れていった。
千家「君は行かないでいいのかい、白河君?」
白河「僕は先生の話に興味があるので」
37:
遠目からではわからなかったが、祭り会場の奥は神社になっていた。くすんだ色の鳥居が立っている。
千家「十年祭の最後には、あの神社の前で篝火(かがりび)を焚くんですよ。大きな篝火をね」
P「もしかしてそれが浄めの儀式というやつですか?」
千家「おや、ご存知でしたか」
P「先ほど白河くんから。内容まではまだでしたが」
千家「そうでしたか。浄めの儀式……その目的は村を守る霊刀を浄めることにあります」
P「れいとう……刀、ですか?」
千家「ええ、『暁月(あかつき)』という名前の刀がありましてね。この村を刀の霊力で災いから守ってくれる、いわゆる護り刀というやつです。大昔、この村が出来たばかりの頃からある刀で、村の名前の元にもなっています」
白河「鬼退治の刀ですね」
P「鬼退治、というのは?」
千家「逸話が残ってるんですよ。『洞(ほら)の鬼伝説』といいましてね。大昔、この地に鬼が住み着き、村を荒らし回っていたのを、ある霊能力者がその力を注いだ刀で退治し、ある洞窟の中に封印した……そういう内容の、この村だけに伝わるお伽話です」
P「その刀が、先ほどの暁月?」
千家「ええ。そしてその暁月を操り、村を救った霊能力者の末裔が今の四条家だと言われています」
なるほど、そこに繋がってくるわけか……。
38:
千家「浄めの儀式は篝火を焚き、そこで祈りを捧げることで、10年の間で消耗した暁月の霊力を回復させるためのものなんです」
P「浄めの儀式を執り行うのは四条家だそうですね」
千家「霊力を持つとされる神宿りによる祈り、ですね。今、霊刀暁月は四条家のすぐ側にある洞窟の中に奉納されています。逸話の中で鬼が封印された洞窟です」
P「洞窟の中にですか?」
千家「ええ、元々はそこの神社に奉納してあったそうですけどね。それも随分昔の話で、後継者不足で神主不在になったために場所を移されたとか。浄めの儀式は大きく分けて二つの工程があります。一つが今お話した『篝火の儀』。もう一つが……白河君、憶えているかな?」
白河「たしか……『奉納の儀』、ですね?」
千家「そう、奉納の儀」
千家さんは頷き、またこちらへ向かって話を続けだす。
千家「浄めの儀式の際には一度洞窟から暁月を運び出し、この神社で篝火の儀を行います。それを終えた後、また元の洞窟へ戻すわけですが……その際、洞窟の中に神宿りが一人で残り、夜通し祈りを捧げ続ける……これが奉納の儀になります」
P「一人で夜通し? それは……大変そうですね」
千家「この最後の祈りが最も大切だとのことです。集中し、精神を研ぎ澄ました上で祈りを捧げなければならないと」
話を聞く限り、この十年祭において四条家は欠かすことのできない存在らしい。
ということは、貴音が急に村へ帰ることになったのもそこに理由があるのだろうか?
39:
青山「千家先生!」
青山くんと朱袮さんが戻ってきたようだ。
千家「なんだ、君たち出店回りはもういいのかい?」
朱袮「思ってたよりふつーのお祭りって感じですね?」
青山「そうそう、特に面白そうなものもなかったっていうか」
白河「まだ開いとらん店も多いやろうしな。――で、お前ら何飲んどるんや?」
青山くんと朱袮さんはそれぞれ片手に大きな紙コップを持っていた。
朱袮「さっき向こうの店で売ってました。特産品の林檎ジュースだそうです。なかなかいけますよ」
青山「なんなら先輩たちの分も買ってきましょうか?」
白河「いや、いらん。甘い飲み物は好かんわ」
40:
青山「あ、そうだ。ちょっと珍しいもの見つけたんですよ」
青山くんが手の平ほどのサイズの小さな赤い紙袋からなにか取り出す。
白河「……なんや? ガラス球か?」
輪っか状に紐が結ばれており、上部には安全ピン、下部には透明の小さな涙型のガラス球が付いていた。紐の部分は白と青の細い糸が綺麗に編まれている。
朱袮「鬼よけのお守りらしいです」
朱袮さんは笑って白い歯を見せる。
朱袮「へへー、付けてあげますよ先輩!」
青山くんからお守りを受け取ると、それを半ば強引に白河くんのシャツの左胸部分にピンを留めてしまった。
白河「鬼よけって……水晶とかならともかく、こんなちゃちなガラス球で効果があるんかいな」
人差し指の先でガラス球をつつきながら言う。
朱袮「あはは、まぁまぁ、こういうのは信じてないとご利益がなくなっちゃいますから」
青山「あ、先生の分もありますよ!」
千家「いや、私はいいよ……」
朱袮「えー遠慮しないでくださいよ! ていうか、折角買ったんだから付けてください、ね?」
千家「はは、わかったわかった」
苦笑いして千家さんは同じお守りを受け取り、同じく胸元に付けた。
41:
白河「……ん? お前らの分は買うてないんか?」
青山「同じものは最後の二つだったんですよ。ていうか、俺は鬼とかそーゆーのは信じてませんし」
朱袮「私もー」
やれやれ、といった風に白河くんがため息をついた。
白河「参ったな、お揃いやなんてこれじゃ先生と仲良しみたいや」
千家「そりゃひどいな」
一同に笑いが起こる。千家さんは時計を見て、
千家「――さぁ、そろそろ時間だ。車の場所まで行くぞー。Pさんも付いてきてください」
広場から少し離れた場所に停めてあったワゴン車に乗り込む。
……いよいよ、いや、ようやくと言った方が正しいだろうか、目的の四条家へ向かう時が来たのだ。
42:
――千家さんが運転する車中、窓の外を村の風景が次々と過ぎ去ってゆく。
白河「……ところで、Pさんはお一人でこの村へ?」
助手席に座る白河くんが後ろを向いて言った。
P「ん……ま、まぁね」
青山「よく一人で来れましたね、こんな奥地の村に」
朱袮「私達は来る時にだいぶ迷っちゃいましたもんね?先生?」
千家「はっは、すまんすまん。昔から方向音痴でね」
青山「もー頼みますよ、村へ行くのは二度目だから安心してくれって言ってたじゃないっすか」
P「千家さんはこの村へ来たことが?」
千家「ええ、ちょうど10年前に」
P「10年前というと、やっぱり前回の十年祭のときに?」
千家「ええ、先方もそのときのことを憶えてくださっていたようで、今回の交渉はスムーズに進みました」
43:
P「……ところで、気になっていたんですが」
千家「なにがです?」
P「神宿りは霊能力者の一族だと聞きました。……本当じゃないですよね?」
千家「信じる気にはなれませんか。まぁ、そうでしょうね。誰だって普通はそう思う」
朱袮「一昔前にテレビで流行りましたよね、霊能力者。透視したり、何もない場所から火を起こしたり!」
青山「あんなの全部インチキに決まってら。番組とグルになってんだ」
朱袮「えーそうとは限らないでしょー」
青山「あれ、そういうの信じるタイプだっけ?」
朱袮「そういうわけじゃないけど、そうやってなんでも決めつけて視野を狭くするのは良くないって言ってるのよ」
青山「はいはいわかったよ。……で、先生。神宿りっていうのはずばり、本物の霊能力者なんですか?」
千家「霊能力……というのが正しい表現になるかはわからないが、神宿りの一族が持つ祈りにはたしかに力がある。それは認めてもいいと思うよ」
44:
白河「少し村を歩きまわっただけでも神宿りを信望している村人が大半だと感じましたね」
千家「数は少ないが、神宿りの不思議な力について記述してある文献も見つかっているんだよ。最も古くが200年前、干ばつに陥った村に雨をもたらしたというのが始まりだね」
P「洞の鬼伝説というのもその一つですか?」
千家「いや、あれはあくまでお伽話ですよ。ですがまったくの作り話というわけでもない」
P「どういう意味です?」
千家「『鬼』ですよ。神宿りが鬼を退治する。その物語にはモチーフが存在するんです」
P「お伽話にもその原型があると?」
千家「はい。実は鬼というのは、ある病気のことを示しているんです」
白河「鬼病というやつですね」
千家「ああ。珍しい病に冒され様子がおかしくなった者を、鬼に憑かれたと表現されることが昔はあった」
P「へぇ……」
45:
千家「実際、この村には昔から珍しい風土病があるんです」
P「え? そうなんですか?」
千家「ええ、『鬼憑き病』と呼ばれています。突然に高熱を発症する病で、症状がひどいと気をおかしくしたり、死ぬ者も出るほどだとか。今のところ発症する原因、治療の方法すらもわかっていません。医者には治せない病気なんです」
朱袮「そ、それってめちゃくちゃ怖いじゃないですか!」
千家「まぁ今は昔と比べると発症する確率はだいぶ下がっているという話だよ」
朱袮「そんなの聞いても全然安心できませんけど」
青山「でも病気って言っても熱が出るだけなんでしょ? 風邪みたいなもんだ。だったらそんなに心配しなくても――」
千家「50年ほど前までは、この村の人間の死亡理由の大半がその鬼憑き病だったと言われているよ」
青山「……ヤバイじゃないっすか!? 帰ったほうがよくないすか!?」
46:
P「いや……50年ほど前までは、ってことは今ではそうじゃないんですね?」
千家「はい。その50年ほど前に、神宿りは鬼憑き病を治癒できるようになったんです」
朱袮「お医者さんでも治せない病気なのに?」
千家「鬼憑き病を発症した村人は私達が今向かっている四条家に運ばれ、そこで神宿りが直接病人を診るんだそうだ。神宿りが治療を施すと、たちまちのうちに病気は治ってしまうとか。これこそ彼らが霊能力、あるいは奇跡の力を持つと言われるゆえんの一つだろうね。民俗学でいうところの呪術医、シャーマンドクターが近い」
朱袮「なるほど……」
千家「しかも、治療に関しては無償で行っているらしい」
青山「へー……随分と立派な御方なんすねぇ」
P「それじゃあ、お伽話と同じで、神宿りが村を救ったというのは事実なんですね」
千家「ええ、そこから段々と話が転じていって洞の鬼伝説というものが生まれたんでしょうね」
47:
朱袮「先生、トークに熱入りすぎですよ?」
千家「おっと、すいませんね。つい……」
P「いえ、興味深い話でした」
そこで一度話題が途切れたが、またすぐに朱袮さんが話しかけてきた。
朱袮「あ、そうだ。ねぇPさん、貴音さんに会えたら最初になんて言います?」
P「え?」
朱袮「なにか考えてないんですか?」
P「……まったく考えてなかった」
朱袮「気の利いた台詞の一つでも言ってあげたら喜んでくれるかもしれませんよ??」
P「参ったな、そういうのは苦手なんだよなぁ……」
朱袮「あはは、考えてみたらどうです?」
朱袮さんが笑って言う。彼女はドアのポケット部に置いてあった林檎ジュースの紙コップを取って飲んだ。
青山「なんだ、まだ飲み終わってなかったのかよ」
朱袮「だってこんな大きなコップいっぱいに入ってたんだもん」
車はトンネルに入ったところだった。
千家「このトンネルを抜けた先の一帯は全部四条家の敷地になってるんだよ」
……もうすぐだ。
48:
朱袮「きゃぁ!?」
一度ガタンと車が揺れ、朱袮さんの叫び声が車内に響く。
白河「朱袮? どうした?」
白河くんが助手席から振り向いて尋ねる。
朱袮「や?ん……もうっ! ジュースこぼしちゃいました……」
千家「すまないね。石か何かに乗り上げたかな?」
朱袮「はぁ、ついてないな。後で着替えなきゃ……」
泣き出しそうな声でハンカチでカーディガンの胸元に広がったシミを拭きとっている。
千家「……おっ。ほら、見えてきたぞ」
トンネルを抜けた先にあった景色、最初に目に映ったのは馬鹿でかい屋敷だった。
青山「でっけー……あれが全部、四条家の?」
千家「ああ、四条の邸宅だ」
朱袮「すっごぉい……」
白河「…………」
白河くんは無言で窓の外を見つめていた。彼も驚いているのだろうか。ここに来て会った人々の中で彼だけは何を考えているのかいまいち読めないところがある。
P「……それにしても、山ばかりなんですね。この辺りは」
千家「ええ、ぐるっと山に囲まれた地形になってますよ」
山にはまだ残雪もある。雪解けに合わせて雪崩なんかが起きなければいいのだが。
49:
車を降り、鉄製の門を抜けて屋敷の玄関へと歩く。屋敷は明治時代の華族の邸宅を思わせる洋館風の建物だった。
玄関の扉には中央部にステンドグラスの飾りが取り付けられていた。模様となっているのは満月を取り囲む花、だろうか?
千家さんが玄関横のチャイムを鳴らし、到着を知らせる。間もなく扉が開き、老年の男性が姿を現した。
「皆様、ここまでご足労頂きありがとうございます。お待ちしておりました。私、この家の執事を任されております、灰崎万造(はいざき まんぞう)と申します」
どこか安心感のある穏やかな声でそう言って頭を下げる。上下黒のスーツ、白髪頭で口の上には同じく白い髭が生えている。物語の中から抜け出してきたかのような、イメージ通りの老執事だった。
P「あの……ちょっとよろしいですか?」
灰崎「はい、なんでございましょう?」
P「私はこういう者なんですが……」
名刺を差し出す。灰崎さんはそれを見て少し思案する様子を見せたが、すぐにこう言った。
灰崎「お客様のご用件はわかっております。……中へご案内します」
50:
玄関から入ってすぐのところで廊下は左右と正面の三方へ分かれており、俺達は灰崎さんに案内されるまま右手方向の廊下を進む。
そうして連れて来られたのは、談話室、というのだろうか。ゆったりとした雰囲気の部屋だ。薄橙色のタイル床、そして一人がけのソファチェアが長方形の大きなテーブルを中心にいくつも並んでいる。
テーブルには綿製の白いクロスが引いてあり、真鍮の燭台が置かれていた。
入った扉から見て向かい側は一面の窓になっており、綺麗に整美された中庭が見える。右手側の壁には風景画のようなものが飾られ、左手側の壁には純白の磁器でできた暖炉があった。
灰崎「お掛けになってお待ちください。当家の主人と、お嬢様を呼んでまいります」
灰崎さんが部屋を出る。言われたとおりひとかたまりにソファに腰掛ける。
青山「なんか落ち着かないな。こんな家入るの初めてで……」
朱袮「わ、私も……白河さんは平気ですか?」
白河「……ん? ああ、せやな。緊張する」
千家「……十年ぶりだが、屋敷の中は変わりないようだ。十年間、彼も大変だったろうな」
千家さんが誰ともなく呟いた。
P「彼、とは?」
千家「今の四条家の主人さ。十年前に四条家当主の座を預かることになった、ね」
51:
P「十年前……? それって」
部屋の外、廊下から何やら騒々しい足音が聞こえ、言葉を途中で引っ込める。
その足音は扉のすぐ前で停止し、やがてその両開きの扉が勢い良く開け放たれた。
一同の視線が、扉を開いた人物に向けられた。
一際目を引くのは美しい銀髪。屋敷の中を走ってきたのか、彼女は肩で息をしていた。
「…………あ……」
彼女は俺を視線に捉えると、口をぽっかりと驚きの表情を浮かべた。……まぁ、当然だろう。
P「………………元気だったか?」
咄嗟にそんな言葉が飛び出す。何言ってんだ俺は。やっぱり気の利いた台詞の一つでも考えておくべきだったか。
貴音「プロデューサー……? なぜ、ここに……?」
54:
朱袮「わ……ぁ……すごい。本当にアイドルの四条貴音さんだ……」
貴音「…………」
P「貴音……」
「貴音? どうしたんだ急に走って行ったりして」
貴音「あっ……申し訳ありません。叔父様……」
貴音の後ろに深緑色の着物を着た背の高い男性が立っていた。
その両眼には剃刀を思わせる鋭さがあり、細身の体型ではあるがその佇まいは威圧感さえ感じさせる。
その男性は貴音の横を抜けて部屋に入ると会釈して言った。
松葉「皆様、遠路はるばるよくおいでくださいました。私が四条家当主を務めております、四条松葉(しじょう まつば)と申します。こちらが、姪の貴音です」
貴音「先ほどは失礼しました。四条貴音と申します」
叔父……この人が、貴音の……。
55:
松葉さんと貴音もソファに座り、執事の灰崎さんがサービスワゴンに載せて運んできた紅茶を淹れてくれる。それを待つ間こちら側も自己紹介をすることになり……。
松葉「――そうですか、あなたがPさんでしたか。貴音がお世話になっております。貴音からの手紙であなたのことはよく聞いていますよ」
P「そ、それはどうも……」
よく聞いてるって、どういう意味だ……? 何か悪い印象を持たれてるんじゃないだろうな……?
松葉「……さて、では簡単に確認をしておきましょう」
紅茶が全員に行き渡ったのを確かめて松葉さんが言った。
松葉「今日はこの暁月村にとって最も大事な一日、十年祭です。千家教授及びその学生のみなさんは民俗学の研究のためここへいらっしゃった。そうでしたね?」
千家「そうです。前回の十年祭に引き続きご協力いただければありがたい」
松葉「私達としても学問の発展に貢献できるのであれば本意です。そのためであれば協力は惜しみません」
千家「ありがとうございます」
松葉「皆様がお泊りになる部屋もこちらで用意しておきました。後で執事の灰崎より鍵を受け取ってください。……ああ、Pさんの分の部屋もありますよ、ご心配なく」
にこりともせずに言った。
P「ど、どうも……」
56:
松葉「千家教授には不要でしょうが、他の方のためにも改めて説明しておきましょう。十年祭の最後に行われる、浄めの儀式についてですが……儀式で扱う刀のことはご存知でしょうか?」
白河「暁月のことですね?」
松葉「そうです、霊刀暁月。その刀は今、この屋敷のちょうど裏手の方向にある『月光洞(げっこうどう)』と呼ばれる洞窟の最深部に奉納されています」
松葉さんはテーブルから紅茶の入ったカップを取り、一口啜る。
松葉「この村で一番の宝と言ってよいでしょう。村人であっても洞窟内に立ち入ることは禁じられています。もちろんそれだけでなく、刀の奉納されている場所……『月明かりの間』には厳重な封印が施されているため、普段は物理的に、入ること自体が不可能となっていますが」
白河「私達はそこに入れるのでしょうか?」
松葉「申し訳ありません。残念ながら、皆様を月明かりの間にお通しすることはできません。神宿り以外の人間を入れてはならぬというしきたりなのです。……ですが、月明かりの間の前までならば特別に許可しましょう」
白河「わかりました。ありがとうございます」
松葉「18時頃には月光洞へ向かおうと思いますので、お立ち会いになるのであればそれまでに準備をお願いします。篝火の儀はその後20時から村の神社前広場にて行う予定です」
千家「わかりました、松葉さん」
57:
松葉「それと軽食の用意ならありますので、空腹であれば灰崎にお申し付けください。さて……では、他に何か質問があればどうぞ」
一人の手が上がる。
青山「あ……いいっすか?」
松葉「どうぞ」
青山「松葉さんと貴音さんは、叔父と姪という関係なんですよね? じゃあ……その……他の方は?」
朱袮「ちょ、ちょっと青山くん!」
青山くんの隣に座っていた朱袮さんが小声で注意する。
松葉「構いませんよ。要するに、私と貴音以外の四条家の人間……例えば、貴音の両親や祖父母はどうしたのか、と、お聞きになりたいのでしょう?」
青山「え、ええ、まぁ……」
松葉「皆、死にました」
青山「……え?」
貴音「…………」
松葉「貴音の祖父母が死去したのはもう20年以上前……彼女が生まれるよりも前のことです。そして彼女の両親――つまり私にとっての兄夫婦、それと私にも妻がいましたが、それらもまた死にました。四条家に残ったのは、私と貴音だけなのです」
松葉さんは不気味なくらいに淡々と喋った。
松葉「他に質問のある方…………いらっしゃらないようですね。では一度解散としましょう。……ああそうだ、Pさんはお残りください。お話したいことがあります」
58:
静まり返った談話室内には俺と松葉さん、そして……貴音。
松葉「……貴音も席を外してくれ。Pさんと二人きりで話がしたい」
貴音「……嫌です。私もご一緒します」
松葉「貴音。……席を外してくれ」
有無を言わせない雰囲気があった。
貴音「…………」
貴音は黙って部屋を出て行った。沈黙。松葉さんはテーブルのどこかを見つめたまま口を開かない。
間が持たず目の前のカップを取って口をつける。爽やかな林檎の香りが口に広がった。もう冷めかけではあったがなかなか良い味だ。アップルティーというやつだろうか。欲を言うなら、もっと落ち着いて味わいたかったが……。
さて……こちらから何か切り出すべきだろうか、と思ったところ、
松葉「……貴音は、少しわがままになったように思います」
P「え?」
松葉「以前は私の言葉に反抗するなど考えられなかった」
P「……ご不満、ですか?」
松葉「そういうわけではありません。人は変わっていくものです。灰崎も、貴音は以前よりも明るくなったと話していました。おそらくそれは……悪い変化ではない。きっと、あなたの影響が大きいのでしょうね」
相変わらず冷淡な口調だった。感情を表に出さないというよりも、感情そのものをどこかへ置き忘れてきたかのような、そんな印象を受ける。
59:
P「お聞きしたいことがあります」
松葉「なんでしょう?」
P「今回私がこちらをお訪ねしたのは、貴音さんのことが心配だったからです。何の連絡もなしにいなくなってしまったので……」
松葉「……そうでしたか。それは、申し訳ありません。あの子のせいで大変なご迷惑をかけてしまったようですね」
P「あ……それはいいんです。いや、よくはないけど……で、お聞きしたいことというのはですね。どうして彼女がそんなことをしたのか、ということなんです」
松葉「貴音があなた方に黙って村へ戻った理由、ですか?」
P「そうです」
松葉「私から彼女へ手紙を出しました。帰ってくるように、と」
P「やっぱり……」
黒田が暁月村の手がかりを見出した手紙のことだろう。
松葉「彼女ももう子どもではありませんから、周囲との区切りの付け方は本人に任せようと思っていたのですが……上手くはいかなかったようですね」
P「……貴音さんを村に呼び戻したのは、十年祭のためですか?」
松葉「それも、あります」
P「他に何か理由が?」
松葉「……一年前の話です。貴音がこの村を出たのは」
松葉さんは唐突に昔話を始めた。
松葉「……あの子は外の世界を夢見たのです。本来ならば、許すべきことではないのでしょう。しかし、あまりに一生懸命に懇願されたものですから、私もついに折れてしまった。……しかしまさかアイドルになってしまうとは、さすがに予想外でしたが」
P「貴音のことをテレビで見たことは?」
松葉「ありますよ。……テレビで見る彼女は、私の知らない貴音でした」
P「あなたの、知らない?」
松葉「貴音のことは彼女の幼い頃から知っていますが……まるで別人のようだと思いました。あんなに楽しそうに笑っている貴音を、私は見たことがなかった」
P「…………」
松葉「……そして、私は確信したのです」
P「…………?」
松葉「貴音を外の世界へ出したのは、間違いであったと」
60:
P「間違い……?」
何を言ってるんだ、この人は……?
松葉「……ひとたび籠から抜けだし、自由を得た鳥は、もう二度と籠の中に戻ろうとはしないでしょう? それと同じです」
P「…………わかりませんね。どういう意味ですか?」
松葉「貴音にはアイドルを辞めてもらいます」
P「は……?」
心に風穴を開けられたような衝撃だった。
P「なぜ、ですか?」
松葉「もとより、そういう約束だったのです。一年間の自由。そしてその一年間が終われば、村に戻ると。約束の期限は、もう過ぎています」
P「そんな……!」
そんな話、貴音からは一度だって聞いたことがなかった。
61:
松葉「先ほどもお話したとおり、四条家の跡取りとなりうるのは貴音しかおりません。私が死ねば、貴音が最後の神宿りとなる。神宿りの血を絶やすわけにはいかない。貴音には村に残り、子を成し血を存続させてもらわねばなりません」
……無茶苦茶だ。そんな馬鹿な話があってたまるか!
P「じゃあこの先一生……貴音はこの村の中で生きなきゃならないってことですか?」
松葉「そのとおりです」
P「そんな……神宿りの血って、そんなに大切なものですか!? それだけのために人の……貴音の人生を捧げろっていうんですか!?」
松葉「歴代の神宿りも、皆そうしてきたのです。貴音だけ例外というのはおかしいでしょう」
P「だからって……」
松葉「あなたはなにもわかっていない」
P「っ……!」
松葉「この村は神宿りへの信仰心で成り立っているのです。これは、一種の宗教と言ってもいい。共通の心の拠り所があるからこそ、村人たちは穏やかに暮らすことができる」
P「村の安寧のためには、神宿りは必要だと……?」
松葉「『偶像』であり続けることが、四条家に生まれた者のさだめなのです」
P「……わかりません。俺には」
松葉「残念です。よそ者のあなたには、ご理解していただけなくても当然かもしれませんが」
P「…………失礼します」
62:
部屋を出るとすぐに灰崎さんに呼び止められる。待っていたのだろうか。
灰崎「……お部屋の鍵でございます。部屋はこの先の突き当たりに」
鍵を受け取る。真鍮製で持ち手の部分に装飾のあるレトロなデザインだ。
P「どうも。お茶、美味しかったです」
灰崎「それはようございました。この日のために取り寄せた高級茶葉ですので」
灰崎さんは優しい笑みを浮かべた。
P「……灰崎さん」
灰崎「なんでしょう?」
P「灰崎さんはどうお考えですか。灰崎さんも、貴音はアイドルを辞め、神宿りとしてこの村に居続けるべきだと思いますか?」
灰崎「…………難しい問題でございます。非常に、難しい」
P「…………」
63:
灰崎「旦那様のお考えは、正しいと思います。神宿り様は、村人たちにとっての精神的支柱となっています。それを失うことは、大きな損失となるでしょう」
P「では……」
灰崎「あなたは、どうお考えになりますか?」
P「……俺は、反対です」
灰崎「……神宿りとして村に残るということ、それはすなわち、お嬢様の人生を村のために捧げるということでもあります。お嬢様が外の世界へお出になり、そこで得てきた多くのものを全て犠牲にするということです。……あなたのお考えは、それもまた正しいのだと思います」
P「……じゃあ、灰崎さん自身はどう思っているんです?」
灰崎「……申し訳ございません。わたくしには、お答えできかねます」
灰崎さんは痛みをこらえるように言った。そうか……この人も辛い思いをしているんだ。
P「……いや、いいんです。こちらこそ、すみませんでした」
酷な質問をしてしまったと思う。とりあえず今は部屋に行こう。少し、頭を冷やさなければ。
64:
灰崎さんの言ったとおりに廊下の突き当たりの扉に鍵を差し込み、部屋へ入る。
部屋は簡素ではあるが全体として落ち着いた高級感があった。
床には灰色の絨毯。
入り口扉の向かいの壁に引き違い式の窓が付いており、屋敷裏の山の木々が見える。
部屋の隅には引き出し付きのデスク、その反対側にはベッドが二つ並んでいた。トイレや浴室は部屋には付いていないようだ。
靴も脱がぬままベッドに身を投げ出し、仰向けになってため息をついた。
……貴音はどう考えているのだろうか?
松葉さんはああ言っていたが、彼女自身の気持ちはどうなのだろう。そういえば、せっかく再会出来たというのにまだまともに言葉を交わしていないことに気がついた。
コンコン、とノックの音。
P「はい」
ベッドから身を起こして、扉を開けると、そこにいたのは……。
貴音「……プロデューサー。今、少しよろしいですか?」
65:
とりあえず、デスクに備え付きの椅子を引っ張って来て、貴音を座らせる。
貴音「――申し訳ありませんでした」
P「……なにが?」
貴音「まさか、プロデューサーがこのようなところにまで来てくださるとは……そこまでご心配をおかけしてしまったこと、申し訳ない気持ちで一杯です」
P「あんな手紙だけ残していなくなってしまったら、そりゃ心配するさ。俺だけじゃない、小鳥さんや社長、雪歩に春香に千早に……皆心配してたぞ」
貴音「…………」
貴音の眼に寂しげな影が宿る。
P「大体の事情は松葉さんから聞いたよ」
貴音「……そうですか」
P「でも、どうして話してくれなかったんだ? それに、どうして行き先を教えてくれなかった?」
貴音「行き先については、叔父から口止めをされていたのです」
P「松葉さんから?」
貴音「アイドルとして活動をする代わりに、この村の出身であることを誰にも話してはならないと……そういう約束を、していました」
P「えっ……どうして話しちゃいけないんだ?」
貴音「わたくしも、詳しくは教えていただけませんでした。ただ、叔父はこの村に外部の人間が入ることを嫌がるようですから……」
P「……そうなのか?」
そのわりには、よそ者である千家さん達を迎え入れているようだが……。
66:
P「まぁ、それはわかったよ。でも、やっぱり前もって話しておいてほしかったな」
貴音「……ずっと、いつかは話さなくてはならないと思い続けておりました。しかし結局、最後の最後まで、それはできなかったのです」
目を合わせまいとするように、うつむきがちになって彼女は答えた。
P「どうして?」
貴音「それは……」
P「……別れが辛かったから、か?」
貴音はゆっくりと頷く。
貴音「……全ては、わたくしの弱さが原因です。弁明のしようもありません」
P「……貴音が別れの言葉を言えなかった気持ちはわかるよ。俺も似たような経験があるから」
貴音「プロデューサーも……?」
P「俺さ、小学校から中学校くらいまでは、親の転勤がちょくちょくあって転校を繰り返しててな。せっかく友達になったのに、ちゃんと別れも言わないままそれっきりっていうのが何人かいるよ」
貴音「……そうですか。それは……悲しい、ですね」
P「ああ。いつどんな時でも別れっていうのは悲しいし、辛いものだ。別れの言葉は、言いたくてもなかなか言えない。それが親密な相手であればあるほど、な」
貴音「……はい」
P「それでも、やっぱり言うべきなんだと思う。互いに痛みを伴うことがわかっていても、逃げちゃ駄目なんだ。逃げたら、いつか絶対に後悔する時が来るから」
貴音「…………」
67:
P「――なんだか、説教みたいになっちゃったな。そんなつもりじゃなかったんだけど……」
貴音は首を横に振った。
貴音「いいえ……プロデューサーの言うとおりだと思います。やはり、改めて事務所の皆には伝えようと思います。その……電話でもよいものでしょうか?」
P「構わないさ。貴音の言葉で伝えるのが大切なんだから」
貴音「それと……もう一つ気になっていることがあるのですが……」
貴音は手の指の背を口元に持っていき、不安げな面持ちになる。
P「どうした?」
貴音「事務所の皆は……わたくしのことを怒ってはおりませんでしたか?」
P「……ぷっ」
貴音「なっ……なぜ笑うのです!?」
貴音は顔を紅潮させて言った。
P「ごめんごめん、深刻そうに何を言うのかと思ったら……大丈夫、誰も怒っちゃいないよ。心配はしてたけどな」
貴音「そ、そうですか……」
安堵するその表情を見ると、ずっと気に病んでいたのだろう。
68:
P「……なぁ。貴音はどう考えてるんだ?」
貴音「どう、とは?」
P「この先も、この村にずっといるつもりなのか? 本当に、アイドルを辞めてしまうのか?」
貴音は言いづらそうに口を動かしてから、言葉を発した。
貴音「……鬼憑き病という病のことはご存知ですか?」
P「この村の風土病だって聞いたな」
貴音「昔、暁月村はその病によって死に瀕しました。多くの村人が原因不明の高熱によって命を絶たれたのです。そして今、その病気を治療できる唯一の方法が、わたくしの祖父の代から伝わる『秘術』なのです」
P「秘術……?」
貴音「ええ、神宿りの一族にしか用いることのできないとされる治療法です」
貴音はそこで少しだけ笑って、
貴音「――とはいえ、その秘術がどのようなものかというのは、わたくしもまだ知らないのです。『時機が来たら教える』と、叔父には言われているのですが……」
そこまで言うと、貴音はまた深刻な面持ちになる。
貴音「……ともかく、わたくしが神宿りを継がない限り、その秘術は絶たれてしまうことになります」
P「そうなってしまうと、鬼憑き病を治療できる人はいなくなる……?」
貴音「……村は再び、死の病に侵されてしまうでしょう」
69:
P「……村のために神宿りを継ぐってことか」
貴音「……この村に戻ってから、ずっと考えていました。きっと、それが一番よい選択なのだと思います。神宿りとしての四条貴音に、代わりは存在しませんから」
P「…………そうか」
貴音「……怒らない、のですか?」
P「……怒れるわけない。村は見捨ててアイドルを続けろなんて言えないよ。それに……一番つらいのは、貴音だろう?」
貴音「……プロデューサーはやはり、優しいのですね」
貴音はふっと穏やかに笑った。
……きっと、想像もできないくらいに悩んだ末の選択だったのだろうと思う。
だから言いたかったことも、彼女を苦悩させるだけだと思ってあえて言わなかった。
神宿りとしての四条貴音に代わりは存在しない……それと同じように、アイドルとしての四条貴音にも、代わりなんて存在しないってことを。
70:
P「そういえば、俺のことをプロデューサーって呼ぶのもおかしいんじゃないか?」
貴音「たしかに……わたくしはもうアイドルではないわけですからね。ですが、なんとお呼びすればよいやら」
P「いや、別に好きなように呼べばいいと思うけど」
貴音「それなら……今しばらくは、『プロデューサー』のままでも?」
P「……わかったよ。ここにいる間は、お前のプロデューサーのままでいてやるさ」
貴音「……ありがとうございます」
貴音はどこか嬉しそうにそう言った。
貴音「もうじき日も暮れます。せっかくですから、ぜひ十年祭を見ていってください。帰るのは明日でも遅くはありませんよね?」
P「ああ、そうする。貴音はその、浄めの儀式とやらには出るのか?」
貴音「いいえ。わたくしはまだ儀式に参加することは出来ません。浄めの儀式は篝火の儀、奉納の儀ともに叔父が務めます」
P「そうなのか」
貴音「……では、そうですね……祭りまでにはまだ時間もあることですし、屋敷の中をご案内いたしましょうか?」
P「頼むよ」
71:
貴音に連れられ、屋敷の中をぐるりと一周りする。屋敷は真上から見下ろしたとすると四角形のように見える造りになっており、南側に玄関があって、東側と北側には客室が並んでいる。
玄関からすぐのところに屋敷の中央部を貫くように細い廊下があり、その左右に四条家の人間の部屋、つまり貴音と松葉さんの部屋がある。四つの部屋が並んでいるが、そのうちの二部屋は今は使われていないらしい。
中央の廊下を境界として、屋敷の東西には二箇所の中庭がある。先ほど談話室の窓から見えたのは、その東側の中庭だ。
貴音「――そしてここが、じいやの部屋です」
玄関からすぐ、中央廊下の左側にある部屋だった。
P「じいやっていうと、灰崎さんの?」
貴音「ええ、祖父の代から四条家に仕えてくれています。わたくしにとっては、親にも等しい存在ですね」
P「へぇ……」
そういえば、前にも貴音の言う『じいや』の話は聞いたことがある。心配症で、頻繁に手紙を送ってくるから返事を書くのも大変だと言っていたっけ。
72:
玄関の角には白木のチェストがあり、その上に古めかしい黒電話が置かれていた。それを見てふと思い出す。
P「そういえば、ここって携帯電話は通じるのか?」
貴音「いいえ、この辺りでは使えませんね。村の方へ降りなければ……」
ポケットから携帯を取り出して確認してみるが、やはりアンテナマークは付いていなかった。
P「ちょっと、電話借りてもいいかな? 一応事務所に連絡を入れておきたいんだ」
貴音「ええ、もちろん」
携帯のアドレス帳を頼りに番号を確認しながら事務所にかけた電話は、ちょうど3コール目で応答があった。
高木「はぁいお電話ありがとうございます! こちらは765プロダクションでございます」
妙な抑揚をつけた挨拶に思わず吹き出しそうになってしまう。
P「しゃ、社長!?」
高木「おや、その声は……キミかね!?」
73:
とりあえず、こちらに来てからわかった色々なことを要点だけかいつまんで社長に伝える。
高木「――なるほど。そういう事情だったのか」
P「……社長、今の説明でほんとにわかりました?」
俺なら多分無理だ。
高木「うん? うっ、ま、まぁ大体は……いやともかく、四条君が無事なようでこちらとしては一安心だ」
P「ところで、他のみんなはどうしてます?」
高木「ああ、今はみんな仕事中だ。キミのかわりに音無君が引率役をやってくれているよ。帰ってきたら彼女に食事の一つでもおごってあげたまえ」
P「いやほんと、小鳥さんにもですけど、ご迷惑おかけしてすみません」
高木「別に構わないさ。私だってキミの立場だったら同じことをしていただろうしね」
P「ありがとうございます……あ」
貴音が受話器を持つジェスチャーをする。代わってほしいということだろう。
P「社長、今貴音に代わります」
74:
貴音は社長と5分ほど話をしてから電話を切った。
P「――で、なんだって?」
貴音「全てを、というわけではありませんが、ひと通りのことは伝えたつもりです。積もる話はまた、皆がいるときに改めてということに」
貴音は少しほっとしたような様子だ。
P「あ……」
中央廊下の奥から人が歩いてくるのが見えた。
灰崎「おや、お嬢様にP様。どうかいたしましたか?」
灰崎さんに電話を借りたことを話す。
P「勝手にお借りしてしまってすみません」
灰崎「いえいえ、遠慮無く使って頂いて結構ですよ。――ああ、よろしければお茶はいかかでしょう? コーヒーでも淹れようかと思っていたところなのですが」
75:
灰崎さんからのお誘いを受けて部屋に招かれる。
灰崎「――狭くるしいところで申し訳ございません。そちらのテーブルにおかけください」
P「はい」
返事はしたもののすぐに言われたとおり座ることはせず、部屋の中を見てみる。
茶棚のガラス戸の中には様々な種類のコーヒーや紅茶の瓶缶が並んでおり、そのことについて尋ねてみると、
灰崎「恥ずかしながら、そういったものを集めるのが趣味みたいなところがありまして……」
灰崎さんは部屋の入り口から右側にある小さなキッチンに立ってコーヒーの準備をしながら、照れたように笑って答える。
食堂の横には厨房があったが、先ほども見たサービスワゴンがここに置かれていることからも客に出すお茶などはこちらの方で作られているのだろう。
76:
部屋の隅にはテレビとDVDレコーダー、その脇に置かれた小さめの棚にはDVDのケースが並んでいる。
P「あっ……すごいなこれ……」
手にとって見てみると、今までの貴音の出演番組を録画したものだとわかった。ケースにマジックペンで日付と番組名が書かれており、それがゆうに20枚以上はある。
貴音「全部、わたくしの……?」
隣に立つ貴音が呟く。彼女も知らなかったらしい。
灰崎「見つかってしまいましたか」
P「すみません、勝手に見てしまって」
貴音「ふふ、驚きました。じいやはわたくしと同じで、こういう機械類は苦手だと思っていたのですが」
灰崎「お嬢様のご活躍とあれば、記録しておかない手はございませんとも。しかしまぁ……使い始めの頃は勝手がわからず随分と難儀をしましたが」
そう言って苦笑する。
77:
P「しかしすごい数ですね。出演した番組殆ど録画されてるんじゃ……」
灰崎「毎日チェックしておりましたから、おおよそは揃っているかと」
灰崎さんは「それに」と少し声を抑えて続けた。
灰崎「ここだけの話でございますが……旦那様も時折ここから持ち出してお部屋でご鑑賞なさっているのですよ」
貴音「叔父様が?」
灰崎「ええ、ですがこれはくれぐれも、とっぷしぃくれっと、ということでよろしくお願いしますよ」
そう言いながら人差し指を口元で立てる。貴音の真似なのだろうが、妙に様になっているのがおかしかった。
79:
その後、他愛無い世間話をしながらコーヒーを一杯と少しの茶菓子をいただいて部屋を辞した。
P「いい人じゃないか。あんな熱心なファンはそうはいないよ」
貴音「ええ。ありがたいことです。……それにしても、叔父のことは驚きました」
P「たしかに意外だったな。あ……」
扉の開く音。見ると、玄関側から見て中央廊下の右側の部屋から松葉さん、その後ろから千家さんが出てくるところだった。
松葉「おや……? 貴音に、Pさん。どうしました?」
千家「では、私はこれで……約束の件、頼みましたよ」
松葉「あ、ええ。お任せください」
千家さんはそのまま部屋に戻っていく。約束って、なんだろう?
貴音「プロデューサーに屋敷の案内をしていたところです」
松葉さんに向かって言う。
松葉「そうか。……Pさん、先ほどは失礼しました。少し、言葉が過ぎたと反省しております」
P「いえ……こちらこそ。すみませんでした」
松葉「どうぞごゆっくりとお過ごしください。それでは……」
松葉さんは会釈すると中央の廊下を進んで部屋へと戻っていった。
80:
貴音「……叔父は、厳しい人だと思われますか?」
P「え? ……まぁ、そうだな。厳格って感じだ」
貴音「……そうでしょうね。昔は違いました。もっと人当たりのよい、優しい叔父でした」
P「そうなのか?」
貴音「今のようになられたのは、おそらく……叔母が亡くなった時からです」
P「松葉さんの奥さんが?」
貴音「ええ、もう9年になりましょうか。わたくしにもよくしてくださっていた、優しく、美しい方でした」
そう語る貴音の目には、寂しさの色が見えた。
P「……なんで、亡くなったんだ?」
貴音「病気だったそうです。鬼憑き病とはまた別の、治療の難しい病気です。叔父はその治療法を求めて尽力していましたが、ようやくその目処が立ったというところで……」
P「…………」
81:
貴音「それ以来、叔父は一人で、既に両親を亡くしていたわたくしを育ててくださいました。たしかに厳しい方に見えるでしょうが、内面は昔のままの優しい叔父であると、わたくしは思っております」
P「……わかったよ。貴音が松葉さんのことを大切に思ってるっていうのは伝わってきた。多分、松葉さんも同じように貴音のことを大切に思ってるんだというのは、俺にもわかるよ」
だって……愛情を注げない子どもを一人で育てるなんてことは、できないと思うから。
貴音「ふふっ、そうですか?」
貴音は少しだけ、嬉しそうに笑った。
P「それに、さっきの灰崎さんの話もある。なんだかんだで、貴音が都会にいる間も心配してくれていたんじゃないのかな」
貴音「……そうですね。そうかもしれません」
P「――ところで、松葉さんたちの出てきたこの部屋は?」
貴音「書斎ですね。中を見てみますか?」
82:
……書斎、というよりは、これはもはやちょっとした図書館だ。
扉から見て向かいの壁には窓が取り付けられている。ちょうど正面の位置にあるものと、部屋のやや奥の方にある二箇所。その二つの窓の間と、左手側の壁に並び立つ幾つもの本棚には、いずれもぎっしりと中身が詰め込まれていた。
P「すごいな……何冊くらいあるんだ?」
貴音「さて……? 2万冊以上はあると聞いたことがありますが、詳細には把握していませんね」
P「一生かけてもとても読みきれないな……」
部屋の中央には円形のテーブルと木製の椅子が二脚、右手側の壁際には小さなスタンドライト付きの机と椅子が置かれていた。こういうところで黙々と読書というのもなかなか惹かれるものがある。
貴音「……?」
貴音が何かに気づいて、視線を窓のある方へ向ける。
P「どうかしたか?」
貴音「あれは……」
部屋の入口から見て奥側の窓へ近寄っていく。
貴音「窓が、開いていますね……」
引き違い式の小さな窓であるが、数センチの隙間ができていた。カーテンの陰になっていて注視しなければ気が付かないだろう。
P「ほんとだ。向こうの部屋は……さっきの談話室か」
中庭を挟んで、先ほどの談話室の大きな窓が見える。今はカーテンがかかっていて部屋の中までは見えない。
貴音が窓を閉め、鍵をかける。
貴音「閉め忘れ……? 窓を開けておくにはまだ肌寒い時期のように思いますが……」
と、そこで甲高いチャイム音が鳴り響いた。玄関の呼び鈴だ。
貴音「客人でしょうか?」
P「行ってみるか」
83:
玄関扉には既に灰崎さんが立っており、訪問してきた誰かの応対を始めていた。
灰崎「はぁ、P様のお連れ様で……? そのようなお話は伺っておりませんが……」
「あーもう! とりあえず、あいつを連れてきてくれよ。そしたらちゃんと――」
この粗暴な口調は聞き覚えがあった。今最も再会したくなかった男。
……しまった。そりゃあ四条家の場所だけなら村の誰かに聞けばすぐにわかる。やつがここへ訪ねてくるのは当然というものだ。
P「……黒田」
黒田「よぉ! ちょうどよかったぜPちゃん! ひでぇなぁ、俺を置いて一人だけ行っちまうなんてよ」
貴音「……お知り合いの方ですか?」
P「……まぁ、少し」
灰崎「本当にP様のお連れ様でしたか。大変失礼いたしました」
黒田「ああ、いいってことよー」
灰崎さんの肩をぽんぽんと叩いて言う。失礼なやつだ。
黒田「――で、あなたが四条貴音さんだね? よろしく、黒田です」
貴音「…………」
貴音は黙ったまま会釈を返した。
84:
灰崎「ですが、いささか困りましたね。もう客室に空き部屋がないのですが……」
黒田「なんだって? そりゃ参ったな」
P「たしか客室の数は……」
灰崎「東側に3部屋、北側に4部屋の計7部屋でございます」
ちなみに、俺の部屋は北西の角の位置にある。
P「千家さん、白河くんに青山くん、朱袮さん、そして俺で5人ですけど、あとの2人は?」
灰崎「三船家の牡丹(ぼたん)様と、五道家の金明(かねあき)様でございます。つい先ほど、お二方ともご到着なさいました」
それは気が付かなかった。松葉さんや貴音と話していた間のことだったのだろう。
青山「あれ? どうかしたんすか?」
東側の廊下から青山くんと白河くんの二人が歩いてきたところだった。
灰崎「ええ、実は――」
灰崎さんが事情をひと通り説明する。
白河「――なるほど。そういうことなら……青山」
青山「はい?」
白河「お前、俺の部屋に来い。それなら一部屋空くやろ」
青山「はぁ、俺は構いませんけど、先輩は大丈夫なんすか? 俺いびきうるさいってよく言われますけど」
白河「別にええよ、かわいい後輩への愛情でもって我慢したるわ。同じベッドで寝るわけやないしな」
黒田は両手をぽんと打ち合わせた。
黒田「おお! 感謝するよー、お二人さん!」
85:
白河「ところで、黒田さんは何をしにここへ?」
黒田「俺かい? 俺は記者でね」
ハンチング帽に手をかけ、貴音に向け嫌らしい笑みを浮かべる。
黒田「あの四条貴音の故郷だ、現地取材に来たってわけさ。ま、ここへ来るまで確証はなかったがね」
貴音「……この村とわたくしの繋がりをどこで?」
黒田「さぁて、どこだったかな?」
貴音「近頃、付け回されているような気配を感じることがありましたが……もしやあなたが?」
黒田「知らないねぇ。なんのことだかさっぱりだ」
貴音「……なんにせよ、ご苦労なことです」
黒田「正直、ここに来るまで確証はなかったし、不安もあったが……これで安心したぜ。俺の読みは当たっていたようだ」
青山「あのー……取材ってことは記事に書くってことっすよね?」
黒田「もちろん。こんなところまでわざわざ来たんだ。手ぶらじゃ帰れないぜ」
貴音「…………」
「お待ちください」
背後から聞こえた冷淡な声。振り向くと、そこにいたのは松葉さんだった。
86:
黒田「あんたは?」
松葉「この四条家の当主、四条松葉と申します。貴音の叔父でもあります」
黒田「ほう、それはそれは。俺に何か用ですかい?」
黒田は図々しく言ってのけた。
松葉「あなたにお話したいことが。できれば、二人きりで」
黒田「……ふぅん。ま、いいだろ。場所は?」
松葉「そちらの書斎でいかがでしょう?」
松葉さんは扉を手で示しながら言った。
黒田「わかったよ」
松葉「灰崎、二人分の茶を頼む」
灰崎「かしこまりました」
灰崎さんが深く礼をする。松葉さんと黒田は二人で書斎へと入っていった。
白河「……松葉さん、どういうつもりなんでしょう?」
意見を求めるように白河くんが言った。
P「……さぁ、わからないな」
貴音「…………」
87:
灰崎「……ところで、白河様と青山様はなにか御用がおありだったのでは?」
白河「ああ、そうでした。なにか、風邪薬みたいなものはありますか?」
P「風邪をひいたのかい?」
白河「いや、俺じゃなくて、こいつが」
青山「あはは、なんかちょっと熱っぽくて」
青山くんが額に手を当てながら言った。
白河「部屋で話してたらそんなこと言い出すんで連れてきたんです」
灰崎「市販の解熱剤でよろしければ?」
青山「ああ、いいっすそれで」
灰崎「談話室の戸棚の中にあったはずです。後でお持ちしましょう」
白河「自分で取りに行きますよ。灰崎さんはお茶の用意もあるでしょう」
灰崎「そうですか。お気遣い感謝します」
88:
青山「……あ、黒田さんに部屋の鍵を渡しておかないと」
白河「ああ、せやったな」
白河くんは少し思案してから灰崎さんに言った。
白河「それなら……談話室で待ってます、と、黒田さんにお伝え願えますか?」
灰崎「かしこまりました」
灰崎さんは一礼してから部屋に戻っていった。
白河「青山、これ」
白河くんがズボンのポケットから鍵を取り出して渡す。
白河「部屋の鍵。先に荷物運んどきや。俺は談話室に行ってるから」
青山「わかりました。じゃあお先に」
鍵を片手に青山くんも部屋に戻っていく。
89:
ふと貴音の方を見やると、白河くんの顔をまじまじと見つめていた。
白河「……なにか?」
背の高い彼は自然と貴音を見下ろすような形になる。
貴音「……いえ。よろしければ、お薬を探すのをお手伝いしましょうか?」
白河「え? いや、いいですよ。手伝ってもらうほどのことでは」
P「気にしないでいいよ。こっちも時間を持て余してたところだから」
白河「……そうですか? では、お願いします」
白河くんが談話室へ向かうのについて行きながら、貴音にそっと尋ねてみる。
P「さっき白河くんのことずっと見てなかったか?」
貴音「……それがなにか?」
P「……なんとなく気になったというか」
貴音「…………見覚えがある気がしたのです」
P「見覚え?」
白河「なんの話ですか?」
白河くんが振り向いて尋ねる。
P「あ、いや、なんでもないよ」
慌てて手を振って誤魔化す。見覚えって……どこで?
90:
千家「やぁ、どうも」
P「どうも」
談話室の中には千家さんの他にもう二人、見知らぬ顔があった。
一人は黒地に緋色の装飾の入った着物を着た女性だった。病的なほど白い肌、それと対照的な艶のある黒髪を後ろに玉かんざしでまとめあげている。
切れ長の、アンニュイな気配を含んだ眼がこちらを見据える。
「あら……貴音ちゃん。元気してた?」
貴音「はい。おかげさまで」
牡丹「そちらの二人は初めましてかしら? 三船牡丹(みふね ぼたん)よ。よろしく」
P「初めまして――」
簡単に自己紹介をする。次に後ろにいた白河くんが前へ出て、
白河「……白河竜二です」
牡丹「……っ!」
牡丹さんは白河くんの姿を認めると、なにか驚いたような表情を浮かべた。
白河「……どうかしましたか?」
牡丹「い、いえ……なんでもないわ」
91:
もう一人は中年の男性。灰のスーツを着ていて小柄だ。髪はやや薄く、いかにも気難しそうな眼をしている。初対面の人に大変失礼なこととは思うのだが、一言でその風貌を表すなら、『青びょうたん』。
ひょこひょこと頭を下げつつ、
五道「やぁ、どうも。私は……五道金明(ごどう かねあき)という者だ。一応……医者をやってる」
P「医者の先生で?」
五道「ああ……五道医院という小さな診療所を営んでおるよ……」
貴音「五道殿はこの村で唯一のお医者様なのですよ。三船殿は――」
貴音の言葉を牡丹さんが先取る。
牡丹「私は暁月村の村長をやっているわ。三船家は代々が村長の家系でね」
女性の村長とはまた珍しい。それに若い。見た目には30代前半……いや、50前後と言われればそのようにも見える……か?
年齢不詳ではあるが、綺麗な人であることには違いない。
牡丹「ふふ……あまり人の顔をじろじろと見るものではないわよ?」
P「あ……失礼しました」
ふと横を見ると、貴音から冷ややかな視線を送られていたので慌てて取り繕う。
P「ええと……貴音は牡丹さんと五道さんとは付き合いが長そうだな?」
貴音「ええ、わたくしがまだ幼少の頃からお二人ともよくうちにお見えになっていましたから。わたくしがこちらへ戻ってきてからも、お会いするのはもう3度目になります」
92:
千家「昔からこの暁月村は、祭事に重きを置いていました。神宿りである四条家、そして村の有力者である三船家、五道家の三家が中心となって祭事における取り決めなどを行ってきたのですよ」
五道「そうか……君が白河くんか。千家の教え子……だそうだね?」
五道さんがよたよたとした足取りで白河くんに近寄る。
白河「はい。五道さんは千家先生のお知り合いで?」
千家「私と五道とは高校時代の同級生だったんだ。実は前回の十年祭の時にも、彼から四条家の方に口を利いてもらって、こうして研究の参考にさせてもらっているんだよ」
白河「そうでしたか」
五道「ゆっくりこの十年祭を楽しんでいくといい。あっ……まぁ……別に楽しいものでもないかもしれないが……そのときは……その……なんというかな……すまんな……」
白河「ええっと……」
白河くんは困ったように笑って、千家さんへ助けを求めるように視線を送る。
千家「はっはっは! 昔からこういうやつなんだ。気にしないでやってくれ」
五道「そう……私のことなんて……道端の埃程度に思っていてくれたまえ……ふふふ…………」
P「変わった人だね……」
白河「え、ええ……」
93:
千家「五道とも三船さんとも前回の十年祭以来だったからね。こうして久しぶりに話していたところだよ」
牡丹「千家さんって変わった方だわ。わざわざこんな山奥の村によく何度も足を運ぶ気になるものねぇ」
千家「いえいえ、私にとっては興味の尽きない場所ですよ、ここは」
牡丹「そう? 私は変化に乏しい、つまらない場所としか思えないわ」
村長自らそんなこと言っていいものだろうか……。
牡丹「『村長自らそんなこと言っていいのか?』って顔してるわね?」
P「え? いや、あの」
牡丹「許してちょうだいな。私だって好きで村長なんて役割担いでるわけじゃないわ。家系がそうだっていうだけで、人生を決定付けられた哀れな女なんだもの。そこの貴音ちゃんだって、似たようなものでしょう?」
貴音「…………」
94:
千家「……そういえば何か用事があってきたんじゃないのかい?」
白河「そうでした。青山のやつが熱を出したので、解熱剤を探してるんです。灰崎さんから談話室にあると聞いたんですが……」
五道「熱……? それなら……私が診てみようか?」
白河「そこまでしていただくこともないと思います。大したことの無い微熱ですので……」
そのとき扉が開かれて、一同の視線がそちらへ向けられた。青山くんだ。
白河「おう、青山。荷物はもう運んだんか?」
青山「……あ、はい」
白河「……青山?」
糸が切れたかのようにガクッと青山くんの体が崩れ落ちる。
白河「青山ッ!?」
千家「お、おい! どうしたんだ青山君!?」
倒れた青山くんへ白河くんと千家さんが駆け寄る。
白河「青山! しっかりしろ!」
白河くんが呼びかけるが、青山くんは意識も朦朧としているようで眼の焦点が定まっていない。
五道「……どいてくれ。私が診よう」
五道さんは青山くんの首や手首を触り、半開きの目を指で開いて覗きこむと、やがて言った。
五道「…………鬼憑き病だ」
95:
千家「鬼憑き病って……まさか……本当に?」
五道「鬼憑き病の症状は高熱、意識の混濁……そして最も特徴的なものが、微熱から始まり僅かな時間で急激に症状が悪化すること。……まず、間違いない」
白河「……鬼憑き病は、この村だけの風土病って話でしたよね? まだこの村に来て半日も経ってないのに、発病することがあるんですか?」
五道「原因は不明だ……ない、とは言い切れない……」
貴音「……叔父を呼んでまいります」
五道「……頼むよ、貴音ちゃん」
貴音は早足で部屋を出て行った。
P「たしか……神宿りである松葉さんなら鬼憑き病は治療できるはずでしたよね?」
千家「ええ、そのはずですが……」
白河「青山、耐えろよ。もうしばらくの辛抱や」
青山「は………て……」
白河「……どうした?」
青山「離れて…………ください…………伝染ったら……やばい……」
五道「それなら心配しなくていい……少なくとも人から人への感染はないということだけはわかっている」
96:
松葉「――鬼憑き病、ですね」
白河くんの部屋から出てきた松葉さんが言った。どうやら、彼の見立てでも鬼憑き病の症状に間違いないらしい。
青山くんはひとまず兼用することになっていた白河くんの部屋へと皆で運び込み、各部屋二つずつあるベッドの片方に寝かせた。
松葉「幸い発症してから時間はまだ浅い。すぐに治療すれば命に関わるということもないでしょう」
朱袮「よかった……」
騒ぎを聞きつけて心配していた朱袮さんもほっと胸を撫で下ろす。彼女は先ほど林檎ジュースで汚したカーディガンから薄手のセーターに着替えていた。
松葉「すぐに治療を始めます。しかし、この治療はお見せすることは出来ませんので、皆さんは別の場所でお待ちください」
朱袮「どうして見ちゃダメなんですか?」
松葉「……この秘術は、集中力を要しますので。どうかご理解いただきたい」
朱袮「わ、わかりました。青山くんのこと、よろしくお願いします!」
朱袮さんは深く頭を下げた。
松葉「……心配いりません。必ず治します。……では、また後で」
松葉さんが部屋の中へ戻る。すぐに内側から鍵がかけられる音が聞こえた。
白河「大丈夫。あいつのことや、案外数時間後にはけろりとしとるかもしれん」
朱袮「……そうですよね!」
千家「それにしても浄めの儀式が始まってしまう前でよかった。儀式の最中であれば松葉さんにこうして治療をお願いするわけにはいかなかっただろうからな」
97:
談話室へ戻ると、あいつがいた。
黒田「よう。なんだか大変なことになったらしいな。あの坊主の容態はどうなんだ?」
牡丹「あら、あなたは?」
黒田「へへ、記者の黒田ってもんです。どうぞよろしく」
牡丹「記者さん?」
黒田「あなたは、この村の村長の三船さんですね? そんで、そちらはお医者の五道先生」
五道「私の事まで知っているのか……」
黒田「ええと……そっちのお嬢ちゃんと御仁は、まだだったかな?」
朱袮「あ、どうも――」
朱袮さんと千家さんが順番に自己紹介し、千家さんたちが民俗学の研究のためにここへ来たということも合わせて説明する。
黒田「なるほどねぇ。部屋を譲ってくれたあの坊主といい、どうしてこう若い連中がこんな場所にいるのかと思ったら、そういうわけかい」
貴音「…………」
黒田「へっへ、そう睨まないでくれよ、四条貴音さん。俺ぁもう記事のことは諦めたからよ」
貴音「……今、なんと?」
黒田「諦めたって言ったんだ。この村とあんたの繋がりも綺麗すっぱり忘れることにしたよ」
P「そんな……おかしいじゃないか。どうして急に」
黒田「ああーもうPちゃんはうるせぇなぁ。いいじゃねえかよぉ、もう書かないって言ってんだから。謝ればいいのか、はいはい申し訳のうございましたっと」
P「子供かよ……」
98:
白河「そうだ、黒田さん。これを」
白河くんがポケットからなにか取り出す。
黒田「あ?」
白河「部屋の鍵です。青山から預かりました」
黒田「お、悪いね。サンキュー」
白河「ここを出て右端の部屋です」
黒田「そんじゃあ、荷物もあるし、みなさんお先に失礼」
黒田はバッグを持ち、空いた手をひらひら振って談話室を出て行く。
P「いったいどういう風の吹き回しだか……」
貴音「おそらく、叔父の差し金だと思います」
P「松葉さんが?」
貴音「……あの黒田という人物にとって、記事を書くよりも得だと思える条件を提示されたのでしょう」
P「…………」
つまり……買収したということか。
P「すまない。この村のことを教えてもらう代わりに、あいつをここへ連れてきたのは俺なんだ」
貴音「……そうでしたか。いいえ、元はといえばわたくしが悪いのです。お気になさらないでください」
99:
朱袮「あの?、貴音さん」
貴音「なんでしょうか?」
朱袮「松葉さんがおっしゃっていた……秘術? のことなんですけど。あれ、どんなことしてるんですか? あ、いや、教えられないなら別にそれでもいいんですけど……」
貴音「申し訳ありません。わたくしも治療の秘術については何も知らされていないのです」
朱袮「そうなんですか?」
貴音「ええ、叔父が言うには、わたくしにはまだ早いと」
朱袮「え、え、やだ、ほんとにどんな方法なんだろう……」
白河「お前の考えとるような方法じゃないことはたしかやろな」
朱袮「ちょっと! 別に、変なこと考えてたわけじゃありませんからっ!」
朱袮さんが赤面で白河くんへ抗議する。それを気にもせず白河くんは貴音に向かって質問を投げかけた。
白河「あの執事の灰崎さんという方は随分ここで長く働いていらっしゃるようですが、あの方も治療の秘術については何も知らないのでしょうか?」
貴音「ええ、そのはずです。今、鬼憑き病を治療できるのは叔父だけ、ということですね」
100:
牡丹「それにしても、まだこの村に来たばかりだったんでしょう? 運の悪い子ね」
千家「ええ、まさか鬼憑き病がこんなに早く発症するものだとは思いませんでしたよ」
牡丹「近頃は発症する人も少なかったんでしょう、五道くん?」
五道「それは……たしかにそうだが」
牡丹さんと五道さんはやはり付き合いが長いのか、名前の呼び方もどこか親しげだ。
千家「ふむ……どうだろう、五道。この村の住人は鬼憑き病への抗体のようなものができているとは考えられないか?」
五道さんは頷く。
五道「あり得ることだとは思う。実際……同じ患者が二度以上発症するケースは極端に少ないんだ。それならばむしろ……他所から来た者のほうが発症しやすいということになるだろうが……」
そこまで言って今度は頭を横に振る。
五道「……いや、断定はできんがな?」
牡丹「私も小さい時に一度かかって以来だものねぇ」
P「牡丹さんも鬼憑き病にかかったことがあるんですか?」
牡丹「ええ、もう大昔の話だけれどね。そのときは先々代の神宿り様……つまり、貴音ちゃんのお祖父様に治していただいたわ」
先々代がお祖父さんだとすると、先代は貴音の父親、ということになるのだろうか。
101:
五道「ああ、あったなぁ……そんなことが。お前、最初はうちの医院に運び込まれてきたんだ」
五道さんはそこで笑って、
五道「私もまだ子供だったが……お前が熱でうなされながら『死ぬ?死ぬ?』ってみっともなくわめいていたのは今でもよく覚えとるよ」
牡丹「私もよく覚えてるわ。根暗そうな子供が物陰からジロジロこっちを見てきて、熱が悪化しそうだったもの」
五道「……ふふっ!」
牡丹「……あはは!」
二人は同時に笑った。何がおもしろかったのだろうか……。
朱袮「あ、あの」
朱袮さんが恐る恐るといった様子で尋ねる。
朱袮「三船さんはその時に当時の神宿りから鬼憑き病の治療を受けたんですよね。どんな治療だったのか、覚えてませんか?」
牡丹「さぁねぇ。熱で意識が朦朧となっていたから。鬼憑き病の患者はみんなそうなのよ。だから神宿り様の秘術がどういうものなのか、治療を受けた患者ですらわからないの」
朱袮「はぁ、そういうものなんですか……」
102:
忘れてた…今更ですが屋敷の見取り図になります
103:
その後、30分ほどが経過してから部屋の扉が開いた。
千家「おや」
最初に千家さんが入り口へ視線を向ける。
千家「灰崎さん、どうしたんです?」
灰崎さんは会釈をしてからこう言った。
灰崎「旦那様から伝達です。鬼憑き病の治療は終了したとのことですので、容態の気になる方は部屋までお越しくださいとのことです」
105:
何人かで連れ立って部屋へ向かうと、松葉さんが扉の前に立っていた。
松葉「お待たせしました。治療は施しました。時間とともに回復していくことでしょう」
白河「彼は今、どんな?」
松葉「寝ています。今はまだ起こさないでおいた方が良いでしょう。熱で体力を消耗していますから」
千家「いや、助かりました。青山くんに代わってお礼申し上げます」
松葉「……お気になさらないでください。これは私の役目ですから。――灰崎、今何時だ?」
灰崎さんは左手首の腕時計を確認する。
灰崎「17時40分でございます」
松葉「……そろそろ浄めの儀式の準備をしなければなりません。私はこれで」
頭を下げてから松葉さんは廊下の奥へ歩いて行った。
朱袮「準備ってことは、あれですよね。月光洞、でしたっけ? そこに奉納されている刀を取りに行くんでしたよね?」
千家「ああ、村の護り刀、霊刀暁月だね。私達も特別に見せてもらえることになっている。でも、青山くんは無理そうだな」
白河「残念ですが、仕方ありませんね。しかし青山を一人にするのもまずいんじゃないでしょうか?」
白河くんは青山くんの眠る部屋の扉を見つめながら言った。
灰崎「それならば、ご心配はいりません。浄めの儀式の最中は私が屋敷に残りますので」
千家「ありがとうございます灰崎さん。それなら安心だ」
朱袮「Pさんたちも一緒に行きますよね?」
P「そうだね。珍しい機会みたいだし、せっかくだから」
貴音「わたくしは……遠慮しておきます」
106:
P「えっ? 行かないのか?」
貴音「はい……。あの場所は、その……苦手ですので」
P「そうなのか……わかったよ。じゃあまた後でな」
貴音「ええ、また後で」
貴音が去った後で千家さんが言った。
千家「……彼女の父親の話は、もうお聞きになりましたか?」
P「貴音の父親の? ……いいえ」
千家「名前は常磐(ときわ)さんといって、心優しい方でした。……前回の十年祭のときに亡くなったんです。我々が今から向かう月光洞、その最深部である月明かりの間で」
P「え……?」
千家「前回、浄めの儀式を行ったのは先代神宿り……当時の四条家当主である常磐さんでした。月光洞の中で奉納の儀を行っている最中に、彼は亡くなったのです」
P「……死因は何だったんです?」
千家「心臓発作でした。月明かりの間は誰にも立ち入ることの出来ない場所です。奉納の儀が終わる夜明けになってから、亡くなっているのが発見されました。おそらく、その時のことを思い出してしまうので、貴音さんは月光洞に行きたくないのでしょう」
P「そんなことが……」
ここへ来てからというものの、俺は貴音のことをまったく知らなかったのだと散々に思い知らされている。
その度に、心の何処かに小さな痛みを感じるのだった。
107:
月光洞に向かったのは、千家さん、朱袮さん、白河くんの大学ゼミチーム。そして松葉さん、牡丹さん、五道さん……と、俺の合わせて7人。
月光洞は屋敷を出て東側にある小道を進んだ先にある。途中に二又の分かれ道があり、月光洞方面の反対側には山道が続いているらしい。
分かれ道から少し下った先に山すそに岩の裂け目があり、そこが入り口となっていた。
屋敷から洞窟の入り口までは歩いて5分ほどだろうか。思ったより近いところにあるという印象だった。
洞窟の中は明かりがない。出かけの際に灰崎さんから渡されていた懐中電灯を各々手に持ち、中へ入っていく。
白河「足元注意しろよ朱袮。湿ってるからよくすべ――」
朱袮「きゃあっ!?」
ずるっと水気の混じった音がして、朱袮さんが体勢を崩す――が、すんでのところで白川くんのシャツにしがみついて事なきを得たようだ。
白河「言うてるそばからこれや」
朱袮「す、すいません。助かりました」
白河「感謝せぇよ、俺が裸族やったら転んでたとこや」
何人かがその様子を見て笑った。
108:
外の気温は肌寒いという程度だったが、岩窟の中は予想以上にひんやりとしていて、もっと厚着してこなかったことを後悔した。
内部はひたすら一本道が続いており、2,3分ほど歩いて奥へ進むと、扉が目の前に現れた。くすんだ黒鉄色をした、二枚の鉄板によって造られた巨大な鉄扉だった。
松葉「この奥が最深部、月明かりの間です」
白河「……ここに、暁月が?」
松葉「そうです」
牡丹「一応この村の宝物ってことだからねぇ、こうして厳重に管理しているのよ」
五道「この扉には…………鍵が二つ、ついてる」
見ると、たしかに二枚扉の中心部に上下に連なるように二つの掛けがねがあり、それぞれに南京錠が取り付けられていた。
上の錠には『三』、下の錠には『五』と字が彫り込まれている。
五道「上の錠は三船の持つ鍵……下の錠は私の持つ鍵でなければ開けることが出来ない」
なるほど、錠に刻まれた文字は三船の『三』と、五道の『五』というわけか。
牡丹「鍵は普段はそれぞれの所有者の家で金庫に入れて保管。月明かりの間に入るだけでも、少なくとも私と五道くんの二人の協力が不可欠ってことね」
109:
松葉「では鍵をお願いします」
牡丹さんと五道さんが頷く。
最初に牡丹さんが扉へ近寄り、着物の帯の前部分からキーケースのようなものを取り出す。そこから鍵を一本取り出し、南京錠へ差し込む。ゴトッと鈍い音がして、上の錠が外れた。
それを確認すると、次は五道さんもズボンのポケットから鍵を取り出して、残った南京錠を外す。……これで扉の封印は解けた。
松葉「……ありがとうございます。皆さん、少しお下がりください」
松葉さんが一歩前に出て、鉄扉の中央部にあるくぼみに手をかける。扉は相当な重さのようで、地響きのような大きな音を立てながらゆっくりと手前側へ開かれていった。
P「ここが……月明かりの間?」
朱袮「すごい……」
洞窟の中は一切の明かりがなく、まっすぐの道のりとはいえ懐中電灯なしでは歩くのもままならないだろう。だがここだけは違った。
上から日の光が中に差し込み、円形の広間を柔らかく照らし出している。それはどこか幻想的な趣を放っていた。
中に入ってしまわぬように気をつけて、入口付近から覗きこむように見上げる。10メートルはあるだろうというかなり高いところに、広間と同じく円形の天井部が見えた。
どうやら天井には外気に繋がる小さな穴が網目のようにぽつぽつと空いていて、そこから明かりが漏れだしているようだ。
――なるほど、それで『月明かりの間』か。夜になり月が昇れば、ここには日の光に代わって月の光が差し込んでくるのだろう。
広間の中心部には高さが50センチほど、直径が2メートルほどの広さを持つ台座状の岩が鎮座している。
更に奥には小さな祠があった。壁に埋め込まれている形で胸ぐらいの高さに小さな両開きの黒い扉が付いている。祠の上には左右対称になるように壁へ杭が打ち込まれており、その杭の双方を一本のしめ縄が繋いでいた。
110:
松葉「では、皆様はここでお待ちください」
松葉さんが広間へ入っていく。中央の岩を右側から迂回して祠の小扉の前に立つ。
P「あれは?」
五道「あそこに……暁月が仕舞われているんだ」
牡丹「あの小さな扉にも南京錠がかかっていてね。あっちは四条家の当主が持つ鍵がないと開けられないようになっているわ」
広間の松葉さんは着物のたもとから鍵を取り出すと、数秒の後に南京錠の外れたらしい金属音が響いた。
両開きの扉が手前へ開かれる。そこには刀掛けの台に置かれた一本の刀があった。
松葉さんはそれをゆっくりとした動きで取り出し、また扉を閉めて鍵をかける。
そして刀を両手でしっかりと握りしめながら慎重に広間の入り口へ戻ってきた。
千家「おお……10年ぶりに見るが、やはり素晴らしい……!」
千家さんが刀を目の当たりにして興奮したように言った。
朱袮「先生、刀の良さが分かるんですか?」
千家「いや、そういうわけではないが……村の宝というだけあって、立派なものだというのはひと目で分かるだろう?」
刃渡りは70センチ程度、刃を覆う鞘は漆で塗ったような綺麗な黒色をしていた。見た目に派手さはなく、静かで凛とした美しい刀だ。
白河「……たしかに、美しい刀ですね。気を抜けば魅了されてしまいそうな……」
思わずその言葉に頷く。言葉では表現しづらいが、目に見えない力……波動のようなものをこの刀からは感じるのだ。まるでこの刀そのものが生きていて、この場にいる人間の心に何かを訴えかけているのでは……そんな気さえしてくる。
111:
月明かりの間入り口の鉄扉は再び閉められ、牡丹さんと五堂さんによって南京錠の封印が施される。
暁月が持ちだされているとはいえ、ここが神聖な場所には違いなく、神宿り以外の者の無断の立ち入りを禁ずるためだという。
洞窟を出たところで松葉さんが言った。
松葉「これから私は篝火の儀の準備のために神社へ向かいますが……よろしければ、Pさんも同行して頂けませんか?」
P「俺がですか?」
松葉「この先、私は儀式のために明日の朝まで自由な時間がありません。その前にあなたとはもう一度ゆっくりとお話をしたいと思いまして」
P「……わかりました」
松葉「ありがとうございます」
千家「私達は後で向かいますよ。青山くんの容態も確認しておきたいので」
朱袮「Pさん、また後で!」
P「ああ、また後で」
112:
村までは、屋敷の傍らのガレージに停めてあった車で向かうとのことだ。
そこには黒塗りのいかにもな高級車があった。俺と松葉さんは、車の後部座席に乗り込む。運転席に座るのは、灰崎さんだ。
P「青山くんの容態はどうなんです?」
灰崎「ええ、もう熱も下がり始め、だいぶ良くなっているようです」
灰崎さんが出払っている間は白川くんが代わりに彼の看病を務めることになっていた。
松葉「では出してくれ」
灰崎「はい」
車のエンジンがかかり、ゆっくりと前へ進みだした。
113:
松葉「――車もない時代には、わざわざ徒歩で暁月を村まで運んでいたそうです。……そのほうが儀式らしいといえば、らしいのかもしれませんがね」
今、暁月は桐製の箱に仕舞った上でトランクの中に入れられている。
松葉「……貴音とは、もう話をしましたか」
松葉さんは窓から外の景色を眺めながら話す。
P「はい」
松葉「そういえば、先ほども一緒にいたのでしたね。それでは、あの子がこの先どうしようと考えているのかも、お聞きになりましたか」
P「ええ……この村に残るつもりだと言っていました」
松葉「……納得して、いただけたでしょうか?」
P「納得はしてません、今でも。たとえ百回同じ話をされたとしても納得なんてできない。でも貴音がそう決めたと言うのなら、俺は引き下がるしかありませんから」
松葉「……あなたが理解のある方でよかった。わざわざこのような辺鄙な場所まで来ていただいたというのに、申し訳ない」
P「謝ったりなんか、しないでください」
その後、長く沈黙が続いた。
114:
松葉「――貴音の母親は、あの子を産むと同時に亡くなりました」
沈黙を破ったのは松葉さんだった。
P「え?」
松葉「だからあの子は母親を知らないのです。写真を見たり、人づてにどのような人だったかを聞くくらいで」
亡くなったとは聞いていたが、そんなに早くにとは……。
松葉「……思えば、四条家の女は不幸になるという宿命でもあるかのようです」
自嘲めいた笑いを浮かべて松葉さんが言う。
P「……どういうことです」
松葉「貴音の母親は貴音を産む際に、私の妻は9年前に病で、共に早死しております。そして貴音はというと、外の輝かしい世界を知った上で再び、この村の中に……時の止まったこの村に閉じ込められるという残酷な運命を生きねばならない。……まるで、呪いだ」
P「……その呪いの名前は、神宿りというのではありませんか?」
松葉「……どうでしょうね」
捻り出した精一杯の皮肉のつもりだった。みっともない。松葉さんにあたってもどうにもならないというのに。
松葉「……それにしても不思議です」
P「……?」
115:
松葉「……どうしてこのようなことをあなたにお話したのか、自分でもよくわからないのです。なぜでしょうか?」
P「そんなこと、俺はもっとわかりませんよ」
松葉「ふふ、ごもっとも」
……初めてこの人がちゃんと笑ったところを見た気がする。
松葉「強いて理由を挙げるとするなら……あなたが似ていたからかもしれません」
P「似ている? 誰に?」
松葉「私の兄に、です」
P「常盤さんに?」
松葉「容貌はまったく違いますが……雰囲気、と言いましょうか、そういう何かが、兄の若い頃に近い気がしたのです。だから私は無自覚のうちにあなたに親近感を覚え、つい饒舌になってしまった……のかもしれません」
P「はぁ……そう、ですか」
松葉さんはまた黙りこむ。
116:
P「……常磐さんって、どういう方だったんです?」
松葉「…………頭の良い人でしたね。昔から本ばかり読んでいた印象があります。それになにより……優しかった」
心優しい人。たしか千家さんもそう言っていたっけ。
松葉「ですが、その優しさは逆に言うなら……甘さ、とも表現できる。人を疑うということを知らない人でした。だから……」
松葉さんはそこまで言ってからはっとする。
松葉「ふっ……戯言を申しました。忘れてください」
松葉さんは苦笑して言った。……一体、何を言いかけたのだろうか。
そこで、それまで黙っていた灰崎さんが口を開いた。
灰崎「――到着しました」
117:
駐車場には既に祭りの運営側らしい人たちが数人待機しており、松葉さんの姿を見ると深々とお辞儀をした。
松葉「ご丁寧なことだ」
彼らを見て松葉さんが呟く。
松葉「私と暁月に何かあってはことだから……と、ああやって『お供の者』がずっとくっついてくるんです。……嫌になります」
愚痴っぽく言う。それだけ大切に扱われているということなのだろうが、本人にとってはありがた迷惑らしい。
祭りの車を降りて、トランクの中から暁月の入った桐箱を取り出しながら松葉さんが言った。
松葉「お付き合いしていただきありがとうございました。私はこれより神社へ向かい儀式の準備へとりかかります。まだ時間には余裕がありますので、祭りを見物していかれては? もっとも、そう面白いものもないでしょうが」
P「そうさせていただきます」
松葉「では」
松葉さんと軽く会釈をして別れる。彼は桐箱を大切そうに抱え、待機していた数人の関係者とともに神社へ向かっていった。
P「灰崎さんはもう屋敷へ戻られるんですか?」
車の中の老執事に尋ねる。
灰崎「ええ、篝火の儀式が終わる頃にまた旦那様を迎えに参りますので」
P「なるほど」
灰崎「それでは、失礼します」
P「ありがとうございました」
車が走り去っていく。
さて、千家さんたちや牡丹さんたちが来るまで時間があるだろうし、少しぶらついてみようか。
118:
夕日は落ち、空はもう暗くなっていた。祭りらしさを演出している提灯や電飾の朱色の灯りが暖かい。
広場は昼間に来た時よりもずいぶんと賑やかで、村の人間すべてがここへ集まっているかのようだった。
腹が減ってきたので屋台で焼きそばでも買おうか、と店を探して辺りを見回しながら歩く。
P「……なんだ、あれ」
目についたのは、妙な存在感を放つ、芝生の上に風呂敷を広げた露天商だった。広場の片隅、賑わいからぷつりと切り離されたような、静かで薄暗い場所だった。下を向いているため顔は分からないが、短髪のところを見るとおそらく男だろう。低木の前に片膝を立てて座っている。
近くの祭り客たちは、誰もその露天商の存在に気がついていないように思えた。アレが見えているのは、俺だけなのではないか――なぜか、そんな考えが脳裏をよぎる。
あんな場所で何を売っているのだろう? 好奇心が湧いた。しかし、俺の中の何かが、アレは危険であると警告を発しているのもたしかなのだ。そんな曖昧な感覚を「たしか」というのはおかしい気もするが、そうとしか言いようがない。
119:
――気が付くと俺はその露店へ向かって足を進めていた。
「……いらっしゃい」
湿ったような男の声だった。青年のようでもあるし、老人のようでもある、不思議な印象を受ける声。店主が顔を上げる。
P「うわっ……!?」
店主は仮面を被っていた。真っ白で無表情な、とても不気味な仮面だった。仮面の両目の部分に空いた穴から、血走った視線が覗いた。
「どれにするかい……?」
店主は目の前に広げた風呂敷を眺めて言った。風呂敷の上には、仮面がいくつも並んでいた。
120:
商品のラインナップは、お世辞にもいい趣味をしているとはいえなかった。それらはおよそ楽しい祭り会場で売りに出すような代物ではなく、どれもこれもホラー映画の殺人鬼なんかが着けていそうな不気味な仮面ばかりである。
悪魔、亡霊、ピエロ、狐……豚のモチーフなんてものもある。しかもこれらの仮面はどうやら全て木彫らしい。祭り会場でよく見るちゃちなプラスチック面とはまったく違う、本格的なものだ。
「いい出来だろう?」
P「え、ええ……」
「私が彫ったんだ」
静かな口調ではあるが、自作に大きな自信を抱いていることは伝わってくる。……とても買おうという気にはなれないが。
121:
P「せっかくですけど、また次の――」
機会に、と言おうとしたところで、風呂敷の上のある仮面が目に留まった。
P「……これ……」
額から突き出た二つの角に、大きく見開いた両目、鋭い牙の生えた口元……鬼の仮面だった。
鬼の面といえば、有名なものでは般若の面というものがある。あれはたしか、嫉妬や恨みを抱えた女、すなわち鬼女の表情をかたどったものだったはずだ。この仮面もくすんだような黒色をしているというだけで、造形はそれに近い。
しかし、この仮面からはそれだけでは言い表せない、激しい情念のようなものを感じる。こうして見ると商品の中でも明らかに異質な存在感を放っている……ような気がする。
「それか。いいものを選んだな」
P「いいもの、なんですか?」
「ああ、自信作だ」
P「はぁ、自信作……」
「この村には、鬼の伝説があるそうじゃないか。それならぴったりだ」
鬼の伝説……洞の鬼伝説のことか。
122:
P「……あれ? 『あるそうじゃないか』って……あなた、村の人じゃないんですか?」
「どうするんだ」
P「え?」
「買うのか、買わないのか」
P「ええっと……いや、やめときます」
興味を惹かれはしたものの、こんな不気味な仮面をその場の勢いで買ってしまうほど酔狂ではない。なによりこんな本格的なものならそれなりの値段をふっかけられそうで恐ろしい。
「ちっ、なんだよ。冷やかしならさっさと消えな」
露骨に興ざめして言う。手をシッシッと振るので仕方なく退散する。
123:
再び賑わいの中へ戻ると、前方の人混みの中から声がした。
「プロデューサー」
ひょこっと白い狐が――正確には白狐の面を被った誰かが――目の前に飛び出してくる。
P「わぁっっ!??」
思わず悲鳴とともに後ろへ飛び跳ねてしまう。周囲の怪訝そうな視線が刺さる。
「申し訳ありません……よもや、それほどまでに驚かせてしまうとは」
プラスチックの白狐の面を少しだけずらして顔を覗かせる。見慣れた瞳がそこにあった。
P「たか――」
貴音「しっ……あまり騒ぐといけませんよ」
口の前に人差し指を立てて言う。貴音は黒いつば広の帽子をかぶっていた。いつもなら変装もへったくれもない目立ちまくりの銀髪もまとめて帽子の陰に隠れるようにしている。これならこの村の中でくらいなら、アイドルであることを隠せていけそうだ。
124:
貴音「それにしても、ふふっ。先ほどのプロデューサーの慌てようといったら……」
俺の驚きっぷりがあまりに見事で貴音のツボにはまってしまったらしい。
P「……一応弁明させてもらうとだな。ついさっきまでそこの不気味なお面屋を覗いてたんだ。そこへお前がそんなもん付けて飛び出してくるから――」
貴音「お面屋?」
P「ああ、向こうに――」
後ろを振り向いて、唖然とする。……いない。たしかに、あの低木の前に座っていたはずなのに。まるで初めからそこには何もなかったかのように、商品を載せた風呂敷まで綺麗さっぱりとなくなっていた。
P「そんな……」
貴音「……何も、ないようですが?」
店を離れてからせいぜい1分か2分というところだ。そんな短い時間で商品を片付けて何処かへ消えてしまったとでも言うのか?
そのとき、最初にあの店を見た時に感じたことを思い出す。
P「……まさか、本当に俺だけにしか見えてなかったわけじゃないよな」
貴音「なにをおっしゃっているのです?」
P「いや、なんでもない。うん、なんでもないんだ」
貴音「そうですか? それならばよいのですが」
忘れよう。悪い夢を見ていたんだろう。そうに違いない。
125:
P「――それにしても、いつの間にこっちへ来てたんだ?」
貴音「三船殿と五道殿が乗る車に同乗させていただきました」
P「その二人は?」
貴音「神社へ、篝火の儀式の準備をしに」
P「ああ、そりゃそうか」
あの二人は儀式の準備に関しては中心にいる人物なのだから当然だ。
貴音「千家殿たちも今頃こちらへ向かっていることかと」
P「そっか」
青山くんは……無理だろうな、さすがに。
126:
貴音「……これから、どうなさるおつもりですか?」
P「浄めの儀式とやらも気になるけど、まだ準備に時間がかかるみたいだからな。……少し一緒に祭り見物でもしてみるか」
貴音「……ご一緒して、よろしいのですか?」
P「何言ってるんだ。当たり前だろ?」
貴音「…………」
P「どうした? ……もしかして、俺とじゃ嫌か?」
貴音はふるふると首を振る。
貴音「……嬉しいのです。とても」
P「それならよかった。じゃ、行くか」
貴音「あの」
P「うん?」
貴音「……手を、繋いでも……よろしいでしょうか?」
P「…………」
貴音「あっ、その……」
そっと彼女の手を取る。
P「……はぐれると、いけないからな?」
貴音「……はい!」
P「じゃあ、どこ行くかな……あ、腹減ってないか?」
貴音「……はらぺこです!」
P「じゃあラーメン……はさすがにないだろうから、焼きそばでも買って食うか」
貴音「ふふっ、楽しみです……!」
132:
――貴音との祭り見物もとい、屋台食べ歩きで財布の中身は手痛いダメージを被ることとなったが、この村へ来てから初めて彼女が楽しそうにしているのを見ることができたので、まぁよしとしよう。
貴音「会場に来たのはこれが初めてでしたが……十年祭がこのような楽しいものになるとは、思ってもみませんでした。」
P「前回の十年祭は――」
と言い出してから、貴音の父親がその時に亡くなっていることを思い出して言い留まる。
P「あ……いや、なんでもない」
貴音「よいのです。気になさらないでください」
貴音は少し物憂げに笑って言った。
貴音「……実は、わたくしもその時のことはよく覚えていないのです」
P「……覚えていない?」
貴音「ええ。月明かりの間で父が倒れて、亡くなっていた……その時の光景は、今でも目に浮かぶのですが……それより前の記憶が、ぽっかりと穴が空いてしまったかのように思い出せないのです」
それは一体、どういうことだろう? 
強い心的ストレスで記憶障害に陥るという話は聞いたことがある。
だが『父親の死』がそのストレスの原因だと考えると、父親が倒れていたという光景は思い出せるのにそれよりも前の記憶が消えているというのは、おかしな話じゃないか? 
もちろん、俺はそういう精神医学の方面にはまったく詳しくないので、そういうこともあるのかもしれないが……。
133:
貴音「叔父やじいやにそのことを話しても、思い出さないほうがよいと言われるばかりで……」
P「……無関係の俺がどうこう言うべきではないんだろうけど……思い出せないなら、無理に思い出すこともないと思うけどな」
貴音が頷く。
貴音「昔はよく悩んでおりましたが……今ではわたくしも、そう思うようにしております。ただ……」
P「ただ?」
貴音「とても、大切なことを忘れてしまっている気がするのです。それが……どうにも気持ちが悪いというか……」
P「そうか……どうにかできればいいんだけどな……」
貴音「あっ……申し訳ありません。このようなこと、話しても仕方がありませんね」
P「そんなことないさ。俺はお前のプロデューサーなんだから、なんだって相談してくれていいんだ」
貴音「……そうでしたね。プロデューサー」
134:
P「――っと、もう8時になるな」
松葉さんの話では、篝火の儀は20時からということだった。
P「そろそろ神社へ向かうとするか」
貴音「……なんだか、名残惜しいですね」
P「屋台がか? あれだけ食ってよく言うよ」
貴音「ふふ……違いますよ。さっ、まいりましょうか」
広場から石段を上り、古びた鳥居をくぐった先が神社の境内となっている。
P「予想はしてたけど、すごい人の数だな」
境内中、余すところなく人で埋め尽くされていた。「神宿り様」は普段村人の前に姿を現すことは殆ど無いらしいから、ひと目見ようと訪れる客も多いのだろう。
千家さんや白川くん達もこの中のどこかにいるのだろうか。
背伸びして前を見ると、広い砂地の奥に小さな拝殿があるのがわかった。古いせいもあるだろうが、普段からあまり手入れはされていないように見えた。神主は不在らしいからこんなものだろうか。
拝殿から少し手前には、丸太で組まれた井桁(いげた)の中に薪の山が積まれていた。あれを篝火として燃やすのだろう。一般の祭り客が入れないように周囲をしめ縄で囲ってある。
貴音「始まるようですよ」
135:
儀式用の装束だろうか、白袴を着た松葉さんが拝殿のわきから姿を現した。両手を前に差し出すようにして、暁月を持っている。他の祭り客たちもその姿を認めると、先ほどまでのざわつきも嘘のように静まり返った。
ゆっくりとした歩みでしめ縄で囲まれた中へ入ると、何か台のようなものが置かれた手前に正座をする。松葉さんがその台の上に暁月を置くところを見ると、あれは刀掛けのようなものらしい。
今度はまた別の人がしめ縄の中へ入る。巫女服のようなものを着ているが、あれは牡丹さんだ。手には松明が握られていた。牡丹さんはその松明を井桁の中の薪の山へ放り込むと、すぐに拝殿のわきへと消えていった。
火はたちまちのうちに猛火と呼ぶに相応しい火勢になり、30メートルは離れた位置であるはずのここにまでパチパチと薪の爆ぜる音が聞こえる。
貴音「叔父はあそこで祈りの言葉を唱えているのです。ここからではよくわかりませんが」
P「なるほど……ああやって護り刀である暁月を浄めているってわけか」
周りの様子をちらと窺ってみると、他の祭り客は真面目に儀式の様子を眺めているか、一緒になって祈りあげているかのどちらかだった。
篝火の儀は、その後30分ほど続いた。
136:
朱袮「あっ、Pさーん! 貴音さーん! こっちです! こっちー!」
篝火の儀を終えてから再び広場へ降りると、朱袮さんが手を振りつつこちらに声をかけてくれた。隣には千家さん、白川くんもいる。
千家「篝火の儀はご覧になられましたか」
P「ええ、なんというか、思っていたより静かなものでしたね」
千家「はは、キャンプファイヤーみたいに篝火を囲んでみんなで踊り狂うようなのを想像していましたか」
P「いやそこまでは……」
踊り狂うってなんだ。
白河「僕らはこれから車で四条さんの屋敷へ戻ってから奉納の儀に立ち会う予定なんです」
千家「Pさん達も一緒に乗って行きませんか?」
P「よろしいんですか?」
千家「もちろん」
P「それならお言葉に甘えて」
貴音「感謝いたします」
P「……奉納の儀っていうと、暁月をまたあの洞窟に戻す儀式だったね?」
白河「ええ。そしてあの月明かりの間で明日の朝まで祈りを捧げる、というやつですね」
千家「もちろん、松葉さんが月明かりの間に入ってしまわれてはそんなに長い時間を外で待っとるわけにもいきませんから、その後は屋敷へ戻りますよ」
137:
昼間に乗った時と同じように千家さんが運転席に、白河くんが助手席へ座り、残りは後部座席に乗り込むことになった。
千家「じゃあPさんもどうぞ乗ってください」
P「はい」
千家さんが運転席側のドアを開けて車へ乗り込むと、その拍子になにかが地面へ落ちた。
P「なにか落としましたよ」
それは手帳だった。茶色の革製の手帳で、そこそこの厚みがある。そういえば千家さんと初めてこの広場で会った時にも、予定の確認をする際に見ていたのを思い出す。
拾い上げてみるとそれはかなり古いものであるように思えた。車の窓越しに千家さんに手帳を渡す。
千家「ああ、どうもすみません。ありがとう」
P「随分長く使ってらっしゃるみたいですね、その手帳」
千家「ええ、親父の形見なんです。失くしたら大変なところでした」
P「気がついてよかった」
後部座席のドアを開き、車に乗る。俺は右端、中央に貴音、左端に朱袮さんが座っていた。
その後、車で15分ほどの道のりを経て、四条の屋敷へ戻った。
138:
屋敷へ戻り、松葉さんたちとの合流を待ってから、再び月光洞へと向かう。
貴音はやはり行きたくないと言うので屋敷で留守番していてもらうことになった。
最初に行ったときにはまだ夕日があったが、今は完全に夜の闇に包まれてしまっている。月は出ているようだが、月光洞への道のりはちょっとした林道となっており、木々がちょうど陰になっているせいで月の光はここまで届かない。
当然、街灯などもないわけで、頼りとなるのは各々手に持った懐中電灯のみである。
白河「朱袮、今度は転ぶなよ」
朱袮「は、はい。あの、先輩」
白河「なんや?」
朱袮「……またシャツ、掴んでていいですか? それなら転んでも大丈夫です!」
白河「転ぶのは前提か? ……まぁ、ええけど」
途中大学生コンビがそんな会話をしているのを聞きながら、月光洞へ到着する。
洞窟の中を2、3分ほど歩いて月明かりの間の大きな鉄扉の前まで来た。幸いなことに、今度は朱袮さんは足を滑らせることはなかった。
松葉「では三船さん、五道さん、お願いします」
牡丹さんと五道さんが頷く。松葉さんは依然として篝火の儀の際に着ていた白袴のままだが、牡丹さんの服装は最初に会った時と同じ黒地に緋色の装飾が入った着物に戻っていた。
それぞれの持つ鍵を使って、上下二つの掛けがねにかかった南京錠を外す。
扉が手前側へ開かれ、月明かりの間が眼前に広がる。今日は月がよく出ているらしく、天井から降り注ぐ淡い光のシャワーは夕方に見たそれより幾倍も美しく見えた。
朱袮「綺麗……」
近くにいた朱袮さんが誰ともなく呟くのが聞こえる。
139:
松葉「……ああ、そうだ。五道さん、三船さん」
何かを思い出したように言った。
松葉「例のあれなんですが……やっぱり、やめていただくことはできませんか?」
五道「お気持はわかります……ですが我々としても……もう二度と十年前のようなことを繰り返させるわけにはいかないのです」
牡丹「私は、松葉様がどうしてもとおっしゃるならやめるのは一向に構いませんけど、それならそれで五道さんが一人で全部やってしまうでしょうし……」
五道「どうかご理解ください、松葉様……万が一ということがあります。私も一応医者ですので……また、神宿り様をなくすわけにはいかないのです」
松葉「……ふむ」
五道「絶対に儀式の邪魔はいたしませんので……ええ、絶対に」
松葉「わかった。ただし約束はきっちりと守っていただく」
五道「ありがとうございます……!」
松葉「……今は何時です?」
牡丹「10時ちょうどですわ」
牡丹さんが左手の腕時計を見て言う。つられるように自分の腕時計を見ると、たしかに『22:
松葉「……では、これより暁月を奉納します」
松葉さんが手に持った暁月を持ち上げて一同に見せた後、広間へ入っていった。奥の祠の前まで行くと、装束の左の袂(たもと)から鍵を取り出して、祠の扉に付いた南京錠を外す。再び、鍵を左の袂に戻す。
観音開きになっている祠の扉を開き、内部にある刀掛けに暁月をそっと置く。
ゆっくりと扉を閉め、掛けがねに南京錠を取り付ける。カチッと音がした。
140:
松葉「それでは……私は明日の朝日が昇るまでの間、ここで祈りを捧げ続けることになります。後のことは灰崎に任せてありますので」
千家「ありがとうございました、松葉さん。また明日、お会いしましょう」
松葉「ええ、また。そうだ……Pさん」
P「はい?」
松葉「…………貴音に伝えておいてくれませんか」
P「……なんと?」
松葉「…………いえ、やっぱり、結構です」
P「はぁ、そうですか……」
松葉「では三船さん、五道さん、扉を閉めていただけますか」
松葉さんの指示に従い、牡丹さんが左側の扉を、五道さんが右側の扉を閉める。松葉さんの姿がだんだんと扉に阻まれ見えなくなる。やがて、がちゃん、と大きな音を立てて鉄扉は完全に閉じられた。
牡丹さんと五道さんがそれぞれ南京錠を扉に付ける。……これで、松葉さんは自分の意志でここから出ることすらできなくなった。こんなところへ閉じ込められて一晩中祈り続けるだなんて、自分なら到底無理だろうな、と思う。
それにしても……最後に見た、松葉さんの思いつめたような表情がどこか気にかかった。
141:
P「――さっき松葉さんとお話されていたのは、なんだったんです?」
月光洞からの帰り際、五道さん達に訊いてみた。
五道「十年前……神宿り様があの月光洞の中で亡くなられたというのは、ご存知で?」
P「ええ、聞きました。貴音の父親の……常磐さん、でしたよね」
牡丹「十年前も私と五道くんは四条の屋敷にいてね。常磐様の死因は心臓発作だったのだけれど……五道くんは、あのときもっと早く気がついていれば常磐様を助けられたかもしれなかったのに……って、今でもずっと後悔してるのよ」
常盤さんが亡くなっているのが発見されたのは、朝になってからだったという話だった。
五道「松葉様と比べるわけではないが……常磐様は本当に……素晴らしいお人だった。あの方を亡くしたのはこの村にとってとてつもなく……大きな損失だった。あの悲劇を防くことができたかもしれない立場にいた身としては、この十年……ただただ後悔するばかり……」
牡丹「だからね、五道くんは前もって松葉様に一つ提案していたのよ」
P「提案、ですか?」
五道「そう……『2時間ごとに、松葉様の様子を確認させていただきたい』、と」
142:
P「は……? 確認って、どうやって?」
五道「あの洞窟の扉は……完全に密閉されているわけではない。二枚の鉄板の間には……わずかに隙間ができているんだ」
P「じゃあ、まさか……」
牡丹「そこから覗きこんで、月明かりの間の中の様子を見させてほしいって頼んでたのよ、五道くんは」
五道「2時間に一回、物音など立てないようにするなら……という条件で、お許しをいただいた。始めは1時間ごとにということでお願いしていたのだが」
先ほども土壇場で断ろうとしていたのを考えると、松葉さんとしてはまったく乗り気ではなかったようだ……。
五道「そこで、松葉様が奉納の儀に入られてからきっかり2時間ごとに……私と三船が交互に様子を見に行くことになっている」
牡丹「正直、私としてはそこまでやる必要あるのか疑問なんだけどねぇ……」
五道「そんな……約束したじゃないか……」
牡丹「別にやらないとは言ってないわよ。安心して」
きっかり2時間ごと……松葉さんが月明かりの間に入ったのが10時ちょうどだったから……次は、0時か。五道さんと牡丹さんも大変だな。
143:
屋敷に戻ると、いきなり粗暴な声が聞こえた。執事室――灰崎さんの部屋に黒田が押しかけていたのだ。
黒田「おいおいおいおい、冗談だろ? ほんっっっとに一本たりとも置いてないってのかよ!?」
灰崎「申し訳ございません」
千家「いったいどうしたんです? 黒田さん」
黒田「ああ聞いてくれよおっさん」
千家「千家です」
黒田「聞いてくれよ千家サンよ。ここには一本も酒の類が置いてないらしい」
千家「あー……そういえば、松葉さんは酒を飲まない人でしたか」
灰崎「ええ、それでいつもアルコールは置いていないのですが……お客様が来ることを考えて、用意しておくのを忘れていた私のミスです。申し訳ございません」
黒田「あーもう……酒でも飲まなきゃ退屈で死にそうだってのに、そりゃないぜ」
千家「うーむ……なんなら、私が買いに行ってきましょうか?」
黒田「おお!? マジかよおっさん!」
千家「千家です」
黒田「マジかよ千家さん!」
千家「私も夜くらい一杯やりたいと思っていましたからね。昼間、村の中で一軒だけコンビニを見かけたので、そこでいくつか見繕ってきましょう」
灰崎「それならば少々お待ちください。代金の方を……」
千家「ああいいんですいいんです! 私が勝手に酒を買って、それを黒田くんにおごるというだけなんですから」
その後、申し訳ないからと粘る灰崎さんと断る千家さんの押し問答がしばらく続き、やがて千家さんが押し切って終わった。
144:
黒田「そんじゃ千家さん、頼んだぜ」
黒田はズボンのポケットに手をつっこんだまま廊下の奥へ消えていく。部屋に戻るのだろう。
牡丹「村のコンビニって一軒しかないから、千家さんが見かけたっていうのはそこのことだと思うんだけど……ここからだと結構遠いわよ? 車でも30分くらいかかるんじゃないかしら?」
五道「そうだな。村の端のほうだからそれくらいかかるだろう」
千家「まぁ大丈夫だろ。それじゃちょっと出て――あ」
千家さんが何か思い出したようにはっとする。
五道「どうした?」
千家「あー……五道、村のガソリンスタンドは何時までだ?」
五道「夜10時で閉まったはずだ」
千家「うぅん……しまったな」
五道「……なんだ、ガス欠か?」
千家「メーターが残り僅かだったのを今思い出した……」
朱袮「そうだったんですか? まぁ……村へ来るまでに相当うろうろしてましたからね」
そういえば千家さんのせいで暁月村に来るまでに道に迷ったと話していたっけ。
145:
白河「どうするんです? もう10時回ってますけど……」
白河くんが壁に掛けられた時計に目をやりながら言った。
千家「いやぁ、明日帰り際に入れておけばいいかと思ってたんだがな……。さすがに屋敷とコンビニを往復するのは厳しそうだ。五道、悪いんだが車を貸してくれないか?」
五道「え……」
千家さんの要望は予想外だったようで、ぽかんと口を開けている。
千家「ん、ダメか?」
五道「い、いや……ちょっと待て、車内を片付けてくるから」
千家「別に散らかってても気にしないぞ」
五道「私が気にするんだ」
146:
灰崎「おお、そうでした。お待ちください千家様」
灰崎さんが嬉しそうに千家さんを呼び止めた。
灰崎「ガレージの中にガソリンの携行缶がありますので、それを入れていただければ」
千家「え? ……いや、そんな悪いですよ」
灰崎「どうかお気にになさらず。こちらの不手際のお詫びということで……」
千家「そうですか? まぁ……それなら遠慮無く使わせてもらいましょうか」
灰崎「私もお手伝いします。なに、10分もかかりませんよ」
147:
千家「それじゃお願いします。……あ、そうだ」
次に千家さんは周りの人たちに向かって言った。
千家「みなさんも、他になにか必要な物があれば買ってきますが」
牡丹「それじゃあ、ちょっとついでにお願いしてもいいかしら?」
牡丹さんが片手を上げて言った。
千家「いいですよ。なんです?」
牡丹「煙草。キャメルのブラック」
P「牡丹さん煙草、吸われるんですね」
少し意外だ。
五道「かなりのヘビースモーカーだぞ」
P「そうなんですか?」
五道「こいつのせいで、村のコンビニは煙草ばっかりやたら品揃えが充実しとる」
牡丹「あら、権力の有効活用と言ってほしいわね」
牡丹さんはからかうような笑みで言った。
148:
その後千家さんは灰崎さんと共に玄関を出ていった。それを契機としたかのようにその他の面々もばらばらになった。
俺はというと、祭りで歩きまわった疲れもあり自室へ戻っていた。また靴のままベッドに身を投げ出す。
色々と考えるべきことがあったような気もしたが、横になっていると段々とうつらうつらとしてきて、どうでもよくなった。
俺はそのまま、瞼を閉じてしまった。
149:
――夢を見た。
少女が泣いている夢だ。
たぶん、7歳とか、8歳とか、そのくらいだろう。
嗚咽を混じらせながらも、必死に声を殺して泣いていた。
――どうして泣いているの?
少女は答えてくれず、泣くばかり。
俺はどうしてその子が泣いているのかもわからず、ただただあたふたとしていた。
どうしてか、その子が泣いているのを見ていると自分もたまらなく悲しくなった。
一緒に泣き出してしまいたいくらいだった。
ふと、その子が俺の知る誰かに似ている気がした。
それは――
150:
部屋の外からなにか大きな音……声?――がして、目が覚めた。
左手首の時計を見てみると、0時10分になったところだった。なんとなしに部屋の掛け時計と見比べてみるが、誤差はない。一時間半ほど眠ったようだ。
廊下へ出ると、ちょうど隣の部屋の牡丹さんも出てきたところらしかった。
牡丹「あら、眠そうな顔しちゃって」
俺の顔を見て笑う。
P「なにか騒がしいみたいですけど……」
牡丹「さぁ? 玄関のほうだったみたいね。行ってみましょうか」
玄関には既に人が集まっており、俺と牡丹さんは出遅れたほうらしい。
一同の中に青山くんの顔があった。
P「あれ? 青山くん。もう大丈夫なのかい?」
青山「……あ、はい。俺はもう大丈夫っす。でも……」
どこか浮かない顔をしている。
白河「――これで全員集まりましたね」
P「あの、なにが……」
……全員? その言葉にどこか違和感を覚えて、一人ずつ確認する。
青山くん、白河くん、朱袮さん、牡丹さん、灰崎さん、五道さん、それに黒田。
松葉さんは奉納の儀の最中だし、千家さんはまだ買い物から戻っていないんだろう。
あれ……貴音がいない?
151:
白河「……Pさん。それに三船さん」
白河くんは目を合わせまいとするかのように伏し目がちになって言った。
P「え?」
白河「……五道さんがこの様子なので、代わりに僕が伝えます」
五道さんは、顔面蒼白、体中に汗をかき、がくがくと顎を震わせていた。ひと目で、異常な状態だとわかる。
五道さんだけじゃない。俺と牡丹さん以外のみんな、どこか怯えたような、あるいは苛ついたような表情をしていた。
体の奥底を冷たいものが通り抜けていくような、そんな感覚がした。
……なんだ、これ。
白河「どうか、落ち着いて、聞いてください」
……嫌だ。聞きたくない。
白河「松葉さんが、亡くなったかもしれません」
152:
牡丹「ちょ、ちょっと……どういうことよ……?」
白河「僕もついさっき、月光洞から帰ってきた五道さんの話を聞いたばかりです。他の皆さんも同じです」
黒田「ひとつ聞いとくが、こりゃ芝居かなにかってんじゃないだろうな?」
朱袮「そんなわけないじゃないですか。五道さんがこんな……」
たしかに、五道さんの様子からしてなにかの演技とはとても思えない。
灰崎「そ、それよりも、洞窟へ急ぎましょう! 旦那様もですが、お嬢様も……!」
P「貴音も月光洞に!?」
朱袮「五道さんの話を聞いてすぐに飛び出して行ってしまったんです」
白河「そうですね。僕達も急いで洞窟へ行きましょう」
153:
玄関の棚から取り出した懐中電灯を各々が持ち、屋敷から出たところで、千家さんが帰ってくるのに出くわした。手には酒瓶が数本入ったレジ袋を提げている。
千家「おや、みんな揃ってどうし――」
白河「月光洞で異変があったみたいなんです。詳しく説明してる時間はありません、ついてきてください!」
千家「あっ……おい、ちょっと!」
千家さんは戸惑いながらも事態の緊迫を察したようで、玄関脇にレジ袋を置いてから一団の後ろについた。
先頭に白河くんが立ち、それを追うように後の者が続いた。夜道を走り抜け、月光洞の入り口に差し掛かる。
白河「中は滑りやすい。ここからは歩いていきましょう」
洞窟の中を、それでも早歩きで進んでいった。誰も、何も話さなかった。
154:
そして、月明かりの間の前……鉄扉にすがりつくように座り込んだ人影が見えた。
P「貴音ッ!!」
思わず駆け寄り、彼女の体を抱き起こす。
貴音「……ぁ……プロデュ……サー……?」
貴音は呆けたような顔でこちらを見る。
P「大丈夫か?」
よく見ると、服や髪のあちこちに泥汚れが付いていた。ここへ来るまでに何度も転んだのだろう。近くの地面には同じく泥のついた懐中電灯。そして、『五』と刻まれた南京錠が落ちていた。
貴音「叔父様……ああ……叔父様が…………!」
貴音は扉の向こうへ手を伸ばそうとする。
P「灰崎さん、貴音をお願いします……!」
灰崎「は、はい」
貴音をひとまず灰崎さんに預け、鉄扉から遠ざける。
155:
鉄板の扉の境目……五道さんが言っていたとおり、たしかに、そこには1センチにも満たないほどの小さな隙間があった。
覗きこんでみると、月明かりに照らされた広間が見える。
中央の台座状の岩に、点々と赤いものが付着しているのがわかった。
そして……台座岩の右側、その下に、こちらへ足を向けて横に寝そべるように倒れている人の姿が見えた。顔はここからでは陰になっていて見えない。その周囲には、赤いものが広がっているのがわかる。
P「そんな……松葉さん! 松葉さんッ!!」
呼びかけてもまったく反応はなかった。
白河「三船さん、鍵です! 早く!」
牡丹「あ……え、ええ!」
扉を見ると、既に五道さんの分の南京錠は外れている。地面に落ちている錠はそれだったのだ。
牡丹さんが残る一つの南京錠を開け、何人かで一緒になって扉を一気に引き開ける。
月明かりの間が開けると同時に、錆びた鉄のような臭いが鼻をついた。……血の臭いだ。
灰崎「だ、旦那様……!」
広間の外で貴音を介抱していた灰崎さんも、倒れた松葉さんの姿を見て愕然とする。
白河「五道さん……お願いします」
五道「あ、ああ……」
医師である五道さんが倒れた松葉さんに近寄る。だが、彼はすぐに何かを悟ったようだった。……あるいは、最初に扉越しに見た時からわかっていたのかもしれない。
P「……五道さん?」
五道「…………駄目だ。もう……亡くなられている」
156:
朱袮「嘘……!」
青山「ほ、ほんとに……? 死んでる……?」
黒田「マジかよ……勘弁してくれよ……」
黒田までもが、あまりの事態に困惑を隠せないでいる。
貴音「叔父様……そんな、どうして……! どうして叔父様が!!」
貴音は震えた声を絞り出しながら、ふらふらと松葉さんの遺体に近寄ろうとする。だが、体に思うように力が入らないのだろうか、途中で地面に手をついてしまう。
灰崎「お嬢様!」
慌てて灰崎さんが貴音に寄り添う。
貴音「うぅ……じいや……あぁっ……!!」
彼女のむせび泣く声が洞窟の中にこだました。
なんで……なんでこんなことに…………。
157:
千家「五道……。その……死因はいったい?」
五道さんは遺体を傾けてその背中を見せるようにする。
五道「……刺されている」
見ると、松葉さんの背中のほぼ中央部分に刃物で刺されたような、3センチから4センチほどの大きさの傷があり、そこから流れ出した血が白装束を朱く染め上げていた。
千家「刺されている、だって?」
千家さんがオウム返しに問いかける。
五道「ああ……おそらく、これは……一撃で心臓に達している」
千家「馬鹿な……じゃあ……これは、『殺人』だっていうのか?」
一同の視線が、千家さんへ向けられた。
牡丹「ちょっと……冗談じゃないわよ……!」
灰崎「旦那様が……こ、殺された……?」
158:
千家「背中を刺されているんです。信じ難いことですが、そう考えるしか……」
白河「待ってください、先生」
千家「なんだい、白河君?」
白河「……凶器は?」
千家「え?」
白河「ここには……凶器が見当たりません」
P「……本当だ」
辺りを見渡すかぎり、刃物のようなものは見当たらない。
千家「それならつまり、こういうことだろう。何者かが松葉さんを刺殺し、その凶器は犯人によって持ち去られたんだ」
白河「……そうですね。僕もそう思います。でも、そんなことは大した問題じゃない」
千家「なに?」
白河「一番の問題は――『犯人は松葉さんをどうやって殺害したのか?』ということなんです」
159:
そうなのだ。松葉さんの死、それが突然の出来事過ぎてなかなか事態を呑み込めずにいた。だが少し落ち着いて考えてみると、今まで頭が回らなかったのが不思議なくらいに、それはあまりに大きな問題であるように思えた。
青山「どうやってって……あっ!? そうか、鍵!」
白河くんが頷く。
白河「ああ。この月明かりの間には厳重な封印が施されとったはずや。二つの南京錠による、封印がな。……五道さん」
五道「……なんだ?」
白河「最初に異変に気がついたのは五道さんでしたね。そのときのことを詳しく話していただけますか?」
五道さんは渋々といった様子で、話し始めた。
五道「私は……約束通り、0時きっかりに松葉様の様子を確認しに来たんだ。入り口の扉の前で腕時計を確認して……0時ちょうどだったのを覚えている」
五道さんが思い出すように左手首につけた腕時計を見つめる。
五道「そして扉の隙間から覗きこんだら……この有り様だ。私は声をかけたが……松葉様は返事をされなかった。あの時にはもう……亡くなっていたのだろう」
白河「確認したいのですが……その時、扉に鍵はかかっていましたか?」
五道「もちろんだ……南京錠は二つともかかっていた。私はそのとき慌ててしまっていて……松葉様を助けようと、所持していた鍵で南京錠の一つを開けた。……すぐに、それではなんの意味も無いと気がついたが」
五道さんの持つ鍵では、『五』と書かれた方の南京錠しか開くことはできないのだ。残る一方の『三』の南京錠が残る限り、扉は開かない。
160:
五道「……とにかく、このことを知らせなければ、と……そう考え、急いで屋敷へ戻った」
白河「屋敷へ戻った後は、僕らの知るとおりですね。屋敷と月光洞の間を行き来する際に、変わったことはありませんでしたか?」
五道「いや……なにもなかったと思う」
朱袮「ねぇ、先輩……とにかく警察へ連絡しないと……早く、出ましょう?」
朱袮さんも相当ショックを受けているようで、顔色が悪い。
白河「……わかった。警察に連絡、それが第一やな。でも……すまんがもう少し待ってくれ。もう一つだけ気になってることがあるんや」
青山「気になってること? ……なんなんすか?」
白河「……そこ」
白河くんが指さした先には、暁月が奉納されている祠があった。
161:
白河「あん中のもんを確かめておきたい」
朱袮「でも、鍵がかかってますよ?」
五道「待て……松葉様が持っとるかもしれん」
五道さんが松葉さんの着ている装束を探る。最初に右の袂へ手を突っ込み調べる。
五道「こっちか……?」
次に左の袂を調べ、そこから鍵を取り出した。
五道「あっ、あったぞ……ほら」
白河くんは鍵を受け取ると、祠へ近づき、その扉の掛けがねを閉じている南京錠に鍵を差し込む。ゴトッと音がして、錠が外れた。
白河「Pさん。これ、持っておいてもらえますか」
P「わ、わかった」
南京錠を受け取る。そこには、入り口の扉にかかっていたものと同じように文字が刻印されていた。『四』とある。四条の四、ということだろう。
祠の扉は観音開きになっており、白河くんは中央の取っ手を掴んでそれを開いた。
朱袮「あっ……!」
まず朱袮さんが驚きの声を上げた。
白河「……嫌な予感が当たってしもうたな」
祠の中には、黒い刀掛け台が残されているばかりだった。
162:
千家「刀が……暁月が……ない……」
牡丹「まさか、盗まれたの……!?」
白河「ここにないってことは……そういうことなんでしょう」
青山「そ、それじゃあ……犯人は松葉さんを殺して、刀を奪っていったってことっすか!?」
白河「それが一番しっくりくるな。犯人以外の人間が刀を盗んだとは考えにくい」
P「……犯人の目的は暁月だったってことかい? そのために松葉さんを?」
白河「……どうでしょうか。そこまではわからない。Pさん、南京錠を」
白河くんは南京錠を受け取ると、祠の扉を閉じてまた元の状態に戻す。
163:
黒田「それならよぉ」
長い間黙っていた黒田が口を開いた。
黒田「訊いてみりゃあいいんじゃねえか? 犯人に」
朱袮「犯人に、って……」
黒田「この中にいるんじゃねぇのかよ? 尊き神宿りサマを殺した犯人がよ」
千家「黒田くん、それは……」
黒田「じゃ、挙手制でいくか。ずばり聞くぜ……誰がやったんだ?」
……長い沈黙。誰も手は挙げない。
黒田「……まー正直に答えるわけもねぇか。へへっ」
そう言って両手を頭の後ろに回す。始めからこの結果になるとわかっていたのだろう。
白河「まだわからないことが多すぎる……この中に犯人がいると決めつけるのは早計だと思いますよ」
黒田「おお、そうかいそうかい」
この状況でもこんなふざけた態度がとれるとは……もはや尊敬に値する。
164:
五道「鬼……」
五道さんが誰ともなしに言った。
千家「鬼? 五道、今、鬼って言ったのか?」
五道「い、いや……すまない、気にしないでくれ」
白河「鬼というのは……もしかして、洞の鬼伝説の鬼ですか?」
五道「……ああ。どうしてかな、自分でも馬鹿げた話だと思うんだが……まるで伝説の鬼が復活して松葉様を手にかけたように思えてしまってな……」
牡丹「ちょっと……そりゃいくらなんでも馬鹿げすぎてるわよ、五道くん。あんなお伽話の鬼が実在するわけ――」
五道「だ、だが! 犯人が人だったならば、いったいどうやってこの密室の中の松葉様を殺し、暁月を盗み出したと言うんだ!?」
牡丹「それは…………」
五道「鬼の呪いなんじゃないのか!? そうでも考えないと、こんなこと無理だ!!」
千家「落ち着け、五道。きっとなにか方法があったはずなんだ」
五道「方法だと!? じゃあ教えてくれ!! 私には……わからない……!」
五道さんの顔を両手で覆う。その手は震えていた。
165:
白河「……やめましょう」
白河くんが場の荒れた雰囲気を断ち切るように言った。
白河「……僕個人の意見としては、犯人はやはり人だと思います。しかし密室殺人のトリックを見破るのも、犯人を見つけ出すのも、僕らの役目じゃない。今は屋敷へ戻って警察へ連絡を入れましょう」
P「……そうだね。俺も、それに賛成だ」
何人かが頷いて、ひとまず屋敷へ戻ることになった。
牡丹「また、神宿り様を喪うことになるなんて……村の人達にどう説明すればいいのかしら……」
牡丹さんは手で額を抑えつつ言った
五道「そ、それも……今回は殺しだ…………きっと大きな騒ぎになる…………」
牡丹「ほんとに…………悪夢だわ。鬼だの呪いだのと言いたくなる気持ちもわかるわね……」
166:
千家「松葉さんの遺体はどうする?」
白河「……気の毒ですが、そのままにしておいたほうがいいと思います。月明かりの間も、元通り封印しておきましょう」
千家「そうだな……警察が来るまでは現場保全しておかなければな」
寒々しい洞窟の奥に遺体をそのままにしておくというのは気が引けたが、仕方のない事だと納得するしかない。
灰崎「……お嬢様、立てますか?」
貴音「……すみません、じいや」
灰崎さんに肩を支えられながら貴音がよろよろと立ち上がる。憔悴しきった顔をしていた。……彼女のあんな顔を見るのは初めてだった。
朱袮「貴音さん、かわいそうですね……松葉さんが唯一の肉親だったのに」
朱袮さんが俺にだけ聞こえるような小さな声で話しかけてきた。
P「……うん」
今の俺には、貴音になんと言葉をかければよいのかわからなかった。
朱袮「……行きましょう。後のことは警察に全部任せちゃえばいいんですよ」
P「そうだね……」
朱袮「ほら、先輩も。帰りましょう」
白河「ん……ああ」
一人、月明かりの間の奥の方にいた白河くんが返事をする。
俺はそのとき、彼がズボンのポケットに何かをしまいこむのを見た気がした。
白河「……どうかしましたか?」
P「あ、いや……なんでもないよ」
気のせい……か?
167:
月明かりの間へ通じる鉄扉を二つの南京錠で再び封印してから、揃って月光洞を出る。
屋敷へ戻って警察へ連絡、後は事態が解決するのを待つだけ……そうなると思っていたのだが……。
千家「――……やっぱりダメだな」
千家さんが首を振りつつ電話の受話器を下ろす。先ほどから何度繰り返してもこの調子だった。
青山「電話が通じないって……どうして!?」
灰崎「わかりません。どこかで電話線が断線しているのかもしれません……」
灰崎さんは申し訳無さそうな面持ちである。
貴音には部屋に戻ってもらっている。先ほどの様子からしても、今の彼女には休息が必要だ。
牡丹「ここの電話が使えないっていうんじゃ、どうするのよ……ここは携帯電話も圏外だし……」
そう、ここは村からも外れた山の中。電波は通じていない。
千家「…………そうなると、誰かが村へ降りてこのことを知らせに行かねばなりませんね」
五道「私が……行こう」
牡丹「それじゃ私も一緒に行かせてもらうわ。五道くん一人じゃ、なんだか心配だし」
五道「む……たしかに、三船のほうが話すのも上手いか。……頼む」
P「村へはお二人に向かってもらうとして……僕たちはどうします?」
白河「どこか一箇所に集まっておいたほうがよいのでは?」
灰崎「それでは談話室をお使いください。お茶を用意いたします」
168:
談話室へ移動してしばらくして、灰崎さんがサービスワゴンにお茶を載せてやってきた。
大半の人はテーブルを囲うように配置されたソファに座ってその茶を飲んでいたが、白河くんだけが茶に手を付けず、何か考え事をした様子で部屋をうろうろとしていた。
扉が開いて、二人の人物が談話室へ入ってきた。
千家「五道? それに三船さん。ずいぶん早かったですね?」
五道さんも牡丹さんも、言いづらいことを抱え込んだかのような表情をしていた。
千家「……なにかあったのか?」
五道「千家……それに他のみんなも……落ち着いて、聞いてほしいんだが……」
五道さんのその報告は、俺達全員を戦慄とさせるのに十分な破壊力を持っていた。
五道「雪崩が……起きたらしい。村へのトンネルが雪で塞がっていて……村へは行けなかった」
169:
灰崎「な、雪崩が……?」
朱袮「そんな……冗談、ですよね?」
牡丹「信じられないのも無理ないけど、残念ながら本当よ。そんなに気になるなら自分で見に行けばいいわ」
白河「……山の残雪が溶け始めていたんでしょう。それにしても、最悪のタイミングだ」
青山「よ、良かったっすね、先生。買い物から帰ってくるタイミングがもう少しずれてたら雪崩に巻き込まれるところだったじゃないですか」
千家「あ、ああ……あまり助かったという実感もないが……」
青山「って……あれ? 村へはトンネルを通るしか道はないんすよね? じゃあ、俺達、閉じ込められた……ってことなんじゃ?」
白河「今気づいたんか。にぶいぞ」
青山「もしかして……松葉さんを殺した犯人も一緒に?」
白河「……せやから、最悪のタイミング言うたんや」
青山「なんてこった…………」
千家「……電話が繋がらなかったのはそういうわけだったんだな。雪崩で電話線がやられたんだろう」
朱袮「電話もできない、村へも行けないって……私達、いつまでここに閉じ込められてなきゃいけないんですか?」
灰崎「少なくとも、明日……明るくなるまではどうにもならないかと」
千家「明日中に助けが来ればまだ良い方でしょうね。3日くらいは覚悟しておく必要があるかもしれない……」
朱袮「み、3日も……」
外部犯なら、戸締まりをしっかりとして耐えればいい。3日くらいなら、食料の問題もなんとかなるだろう。
だが、問題は……内部犯、つまり……この屋敷の中にいる、誰かが犯人だった場合……そのときは……。
171:
扉の開く音がして、思考が途切れた。
P「……貴音?」
灰崎「お嬢様! なりません、部屋でお休みになられていないと……」
貴音は服を着替え、泥のついていた髪や顔も綺麗にしていた。
貴音「よいのです、じいや。部屋でじっとしているよりは、誰かと話でもしているほうが落ち着きますから……」
朱袮「あっ、ここどうぞ。座ってください、貴音さん」
俺の右隣の席に座っていた朱袮さんが席を譲る。
貴音「……ありがとうございます。七瀬殿」
貴音がその席に座り、朱袮さんは外側の余っていた席に移動する。
貴音はいつものすましたような表情ではあるが、泣き腫らした眼はそうそう隠せるものではない。
P「……ほんとに大丈夫なのか?」
貴音「ええ、ご心配していただきありがとうございます。……もう、大丈夫ですから」
それが強がりであることはさすがに俺にもわかる。でも、なにか別のことに関心を向けていたほうが気が紛れるというのなら、ある程度彼女の好きなようにさせたほうがいいのかもしれない。
貴音「ところで、先ほどまで何をお話になっていたのです? ざわついていたようですが……」
雪崩の件を貴音に説明する。
貴音「――なるほど。そのようなことになっていたとは……」
172:
牡丹「しかし参っちゃうわね。助けが来るまで、私達ここでじっとしてなきゃならないってことでしょう?」
五道「……参った……本当に……」
灰崎さんが遅れてやってきた五道さん、牡丹さん、貴音の分のお茶を用意する。
牡丹「ああ、ごめんなさい灰崎さん。私、アップルティーは苦手なのよ」
灰崎「これはこれは、失礼いたしました。代わりのお茶を用意しましょう」
灰崎さんが牡丹さんのお茶を下げながら言った。
牡丹「別にいいわ、手間でしょ。後でいただくわ」
灰崎「そうですか……かしこまりました」
灰崎さんは下げたお茶をサービスワゴンの上に置いてから、席についた。
白河「……ちょっと、提案させてもらってもいいですか?」
千家「なんだ、白河君?」
一人立っていた白河くんは、空席になっている長テーブルの端に移動して話し始めた。まるで会議の議長かなにかだ。
173:
白河「事件の整理をしておきたいんです。突然の出来事でしたし、さっきは僕も含めおそらく全員が混乱していた。今ならいくらか落ち着いて話せるだろうし、記憶にも新しい。……多分、今がベストタイミングなんです。互いの情報をつき合わせて確認するには」
千家「……ふむ。たしかに、警察が来た時に話す内容をまとめておくという意味でも大切なことかもしれないな」
白河「ただ、事件のことを話すのが嫌だという方もいるかもしれません。そうであれば、この話はしません。どうでしょうか?」
白河くんは意見を求めるようにみんなを見回した。
牡丹「……私は賛成よ。別に、嫌というならここから出て自分の部屋にでも戻っていればいいんじゃないかしら?」
黒田「面白そうだ。俺は構わねぇよ」
青山「俺も、大丈夫っす」
五道「私も…………構わない」
灰崎「必要なことであれば、私は協力させていただきます」
朱袮「は、はい! 私もいいと思います!」
千家「もちろん賛成だ」
P「……俺も賛成する」
残ったのは、一人。
白河「貴音さんは、どうされますか?」
貴音「…………問題ありません。やりましょう」
白河「ありがとうございます。これで全員の賛同が得られました。では早始めましょう、事件の検証を」
174:
こうして、白河くんの発議によって改めて事件の経緯を確認することとなった。
白河「まずは……そうですね。最後に松葉さんの生きた姿を確認したのは10時ちょうどでした。そして、五道さんが遺体を発見したのが0時ちょうど。その間の皆さんの動きを確認させてください」
黒田「アリバイ確認か。いよいよ刑事ドラマめいてきたな」
五道「黒田さん……真面目にやりましょう……」
黒田「はいはい、っと……」
白河「ではPさんから、お願いできますか?」
P「俺は……寝ていたよ。10時過ぎに月光洞から戻った後、部屋へ戻って居眠りしていた」
白河「目が覚めたのは、0時過ぎに騒ぎが起こってからですか?」
P「そうだよ。その時間は一度も部屋からは出ていない」
要するに、俺にはアリバイがないってことだ。
175:
白河「――では他に、Pさんと同じようにずっと自室にいたという方はいますか?」
牡丹「私も部屋にいたわ」
牡丹さんが手を挙げて言った。
白河「何をされていたかお聞きしても?」
牡丹「持ち込んできた仕事よ。こう見えても村長だから、書類の確認とかで結構忙しいのよね」
白河「わかりました。……他には?」
貴音「わたくしもです。10時から0時までは部屋に。もっとも、わたくしは月光洞へ行きませんでしたから、10時よりも前からになりますが」
白河「そうでしたね。貴音さんは暁月を奉納する際に同行していませんでした」
貴音「部屋にいた間、特別何かをしていたというわけではありませんが……強いて言うなら、考え事を少々」
白河「ありがとう。その内容までは訊かないでおきます。他には……」
青山「あの……俺もそれに入りますよね? ずっと自室にいたっていう……」
青山くんが恐る恐る手を挙げる。
白河「ああ」
白河くんが頷く。
白河「お前はその時間、部屋で寝とったからな。いや、あの時はもう起きてたか?」
青山「ええ、先輩と話してました」
P「そうか、青山くんと白河くんは部屋が同じだから……」
白河「月光洞から戻ってきた五道さんの声が聞こえて、二人で様子を見に行くまで部屋は出ていません。……まぁ、身内同士ですからこれでアリバイを主張しようと思ってはいませんが。それで、他にずっと自室にいたという方……いませんか? いませんね?」
176:
千家「じゃあ次は私の番かな。私は村のコンビニまで買い物に行っていたんだ。酒を買いにね」
白河「そういえば、随分時間がかかりましたね? ガソリンを入れてから出たんでしたっけ」
千家「ああ、灰崎さんに手伝ってもらってね。その作業自体はすぐに終わった。だが……コンビニに着いて、買い物を済ませたはいいものの、買い忘れに気がついて一度Uターンしたんだ」
千家さんはそう言って苦笑する。
朱袮「買い忘れって?」
千家「三船さんに頼まれていた煙草だな」
牡丹「……あら、それは悪かったわね」
牡丹さんは今になって煙草を頼んでいたことを思い出したといった様子で言った。煙草の買い物を頼んだ時には、まさかこんな事態になるとは想像もつかなかっただろう。
千家「いやいや、私がうっかりしていただけですので。こちらこそすみません」
千家さんは片手をひらひら上げて言った。
白河「なるほど。そこで買い物を済ませて、その後は?」
千家「寄り道せず屋敷へ戻ってきたよ。そうしたら全員で月光洞へ行くところだった、というわけさ。……あ、そういえば黒田くん。酒はどうする? 今は私の部屋に置いてあるが……」
黒田「……ふん。さすがにそんな気分じゃねーよ」
黒田が手をひらひら振り答えた。
千家「ま、それもそうか」
千家さんは黒田が常識のほんの一欠片でも持ち合わせていたことに安堵したように言った。
177:
千家「ああ、三船さんの煙草は後でお渡ししますよ。キャメルのブラックでよろしかったですね?」
牡丹「あ、ええ、ありがとう千家さん……」
牡丹さんはどこかぎこちないお礼を言った。
白河「先生、その……買い物をした時の、レシートかなにかお持ちじゃありませんか?」
千家「あー……しまったな。もう捨ててしまった。ええと……どこで捨てたかな……」
白河「いや、それならそれでいいんです。ありがとうございます、先生」
たしか村のコンビニまでは車で30分くらいかかるという話があったはずだ。レシートがあれば千家さんの証言の裏付けだけでなく、少なくともそこに記録されてある時間の前後30分はアリバイが確保されることになる。
そのレシートがないということは、千家さんにもはっきりとしたアリバイがあるとは言えないわけだ。
178:
白河「じゃあ次は……朱袮、頼む」
朱袮「私は書斎にいました……その、あんな大きな書斎、珍しくって。珍しい本もあるんだろうなって思ったので」
白河「一人でか?」
朱袮「そうです。あっ、途中で黒田さんが」
白河「書斎に入ったんですか、黒田さん?」
黒田「俺ぁその時間、屋敷の中を見物がてらあちこち歩いて回ってたのよ。やることも酒もないし、暇だったのさ。書斎にも入った。まぁでも、ぐるっと本棚を眺めて回っただけだ。そのねえちゃんとは挨拶くらいしか話してねえよ。あんな薄暗い部屋でよく本なんて読めるなと思ったな」
白河「薄暗い?」
朱袮「あの書斎には蛍光灯が二つあるんですけど、そのうちの片方が途中で消えちゃったんです」
灰崎さんが驚いた様子を見せた。
灰崎「それは失礼いたしました。お知らせしてくださればすぐに取り替えましたのに」
朱袮「い、いえ、私は机のスタンドライトを使ったので明るさは問題なかったんです」
白河「机の上で読書をしてたんやな」
朱袮「黒田さんが書斎に来て5分くらい経ってからだったかな……? 五道さんが玄関で『誰か来てくれ!』って叫んでるのが聞こえて、黒田さんと一緒に書斎を出たんです」
白河「五道さんが松葉さんの異変を確認して、月光洞から戻ってきた時やな?」
朱袮「そうです。灰崎さんも部屋を出てきたところだったみたいです。そのあと少しして先輩たちが来ました」
179:
白河「ありがとう朱袮。黒田さんの動きもこれでわかりましたね。じゃあ次は……灰崎さんはどうでした?」
灰崎さんは咳払いを一つしてから話し始めた。
灰崎「私は、千家様のお車にガソリンを入れる手伝いをしておりました。村のガソリンスタンドまでは距離がありますもので、ガレージに予備としてガソリンの携行缶を置いてあるのです」
白河「先ほど、先生はすぐに終わったとおっしゃいましたが、具体的にはどのくらいの時間がかかりましたか?」
千家「そうだな……7,8分ってところか。10分以上はかかってないはずだよ」
灰崎「私もそのくらいだったかと思います。外から戻った時に時計を見ましたが、10時半を少し過ぎた頃でした」
白河「わかりました。では、その後はどうしました?」
灰崎「屋敷へ戻ってすぐ、五道様からのお申し付けで軽食を用意し、お部屋までお運びいたしました」
白河「五道さん、間違いありませんか?」
五道さんは頷いて答えた。
五道「ああ……小腹が空いていたから、なにか適当なものをと頼んだ……」
灰崎「サンドイッチをご用意させていただきました。予め作りおきにしてあったものがありましたので」
白河「五道さんにそれを届けて、その後はどうしました?」
灰崎「部屋に戻りました。五道様が0時に月光洞へ行かれることは把握しておりましたので、戻ってこられる頃にお皿を回収しに行こうと考えつつ待機しておりました。しばらくして玄関から五道様の声が……それで部屋を出ました。七瀬様のおっしゃいます通り、そのときに七瀬様と黒田様が書斎から出てくるのを見ました」
白河「わかりました。ありがとうございます、灰崎さん」
180:
白河くんが次に話を促したのは五道さんだった。
五道「暁月の奉納を見届け……10時過ぎに屋敷へ戻った。自室で少し過ごした後……灰崎さんの部屋を訪ねた」
白河「食べ物を頼むために」
五道「そうだ……その後はトイレへ行って……それから部屋へ戻って本を読んで待っていた。少しして灰崎さんが部屋へ来た……」
白河「サンドイッチを届けに来たんですね。その後はどうしました?」
五道「それを食べ終わった後は……また本を読んで時間を潰していた。それからしばらくして月光洞へ向かった。そうだな、11時50分には屋敷を出ていたかな……」
予定時刻である0時まで10分しか余裕が無い、というのは少し出発がギリギリすぎやしないだろうか? ……と、思ったが、月光洞の月明かりの間までの道のりはゆっくり歩いても7、8分ほどしかかからないことを考えると、妥当なようにも思える。
この地方の夜は特に冷えるだろうし、0時までの待ち時間を作って外に長居はしたくないと考えるのもまた自然なことだろう。
五道「そうだ……灰崎さん。皿は後で取りに来るという話だったから……まだ部屋に置きっぱなしだ」
灰崎さんははっとして、
灰崎「そうでございました。後で回収に向かわせていただきます」
五道「わかった」
181:
白河「……さて、これで全員……終わりましたね」
これで全員の10時から0時までの動きが出揃ったわけだが、ここから何かが見えてくるだろうか?
白河「……これは、『外部犯の可能性がまだ残っている』、ということを承知の上で言わせていただくんですが……この中に、明確なアリバイを持つ人はいないようですね」
たしかに、白河くんと青山くんを除けば全員、一人きりの時間がある程度は存在したことになる。
朱袮「え? でも、先輩と青山くんはずっと一緒にいたなら……」
白河「さっきも言うたやないか、朱袮。たしかに俺と青山は一緒の部屋におったから、お互いが犯人じゃないってことを確信し合えてる。でも身内の人間同士でそう言うてるだけなのを、他の人にも信じろと無理強いはできん」
朱袮「あっ、なるほど……」
182:
千家「まぁアリバイがちゃんと成立するなんて状況、滅多にあるものじゃないだろう。話を次へ進めようじゃないか」
千家さんは胸元につけたガラス球のお守りを手で弄りながら言った。
白河「たしかに、そうですね」
朱袮「じゃあ次は、何を話しますか?」
青山「俺はやっぱり、松葉さんがどうやって殺されたのかが気になりますね。だってあんなの、どう考えても無理っすよ」
白河「……ああ、それについては俺も話しておきたいと思とったんや」
そう……犯人はどうやって密室の中の松葉さんを殺害したというのだろうか? それこそがこの事件の一番の謎だった。
183:
議長っぷりがいよいよ板についてきた白河くんは五道さんに尋ねる。
白河「月光洞の中で確認したことの繰り返しになりますが……五道さんは0時ちょうどに、松葉さんが月明かりの間で倒れているのを目撃したんでしたね?」
五道「ああ」
白河「その時、持っていた鍵で南京錠の一つを解錠した?」
五道「そうだ……もちろん、それだけでは扉は開かないが……取り乱していたんだ」
白河「外した南京錠はそのままにして屋敷へ?」
五道「……そうだったと思う。地面に置きっぱなしにいていた」
P「それは俺も見たよ。『五』って刻まれた南京錠が地面に置いてあった」
白河くんは頷いて、
白河「ええ、僕も見ました」
五道「じゃあそれで間違いない……あそこの南京錠は、それぞれ対応する鍵を持つ家の名の一文字が刻まれているから……そうだな、三船?」
牡丹「そうよ。三船家の『三』、四条家の『四』、五道家の『五』といった具合にね」
184:
白河「……ところで五道さんは、南京錠の鍵をどこに持っていますか?」
五道「ズボンのポケットの中だ」
そう言って右側のポケットから鍵を取り出してみせる。
白河「三船さんは?」
牡丹「……ここよ」
着物の帯の前部分から、挟んであった革製のキーケースを取り出す。
白河「お二人とも、今までに鍵を誰かに貸した、といったことはありませんか? あるいは、失くしたことは?」
五道「どちらも一度もない」
牡丹「ないわ。普段はずっと金庫の中にしまっているし、一応それなりの責任は持って預かってるつもりよ」
白河「では、鍵の複製があったという可能性はどうでしょう?」
牡丹「ありえないわね。この南京錠自体、特注のものだし」
白河「特注?」
五道「前回の十年祭の時、付け替えたんだよ……前のは古くなっていたし、セキュリティ面でも不安があったから……」
牡丹「鍵とそれに対応する錠には同じシリアルナンバーが入っていてね。対応するもの同士でないと当然錠は外れないし、ピッキングや切断も無理っていう代物よ」
新しい情報だ。前回の十年祭……というと、貴音の父親である常磐さんが亡くなった時だ。それが鍵と関係があるとも思えないが。
185:
白河「……となると、何者かがコピーの鍵を使って南京錠を外し、扉の向こうの松葉さんを殺害したというのはなさそうですね」
千家「しかしそれがダメなら一体どうやって……」
二つの南京錠によって封印された扉。牡丹さんと五道さんの持つ二つの鍵がない限り、中にいた松葉さんですらその扉を開くことはできなかった。
逆に言えば、これほど安全な場所もないはずなのだ。外界からシャットアウトされた、最も安全なはずの神聖の広間は、松葉さんにとっての死の檻と化してしまった。
黒田「……簡単じゃねーか」
黒田があっけらかんと言った。
黒田「その二人が共犯なら何も不思議なことはねぇだろ?」
牡丹さんと五道さんを指さして言う。
186:
五道「なっ……!?」
牡丹「ふざけないで。そんなはずないでしょう?」
黒田「別にふざけちゃいねぇよ。そうとしか考えられないって話さ」
青山「……五道さんか三船さんのどちらかが、もう片方の鍵を譲り受けたらそれだけであの扉を開けられるってことですもんね。それならたしかに犯行は可能ですよ」
牡丹さんが青山くんを無言で睨みつけた。
青山「い、いや、あくまで可能性としてありうるって話で、僕がそう思っているわけでは……」
青山くんは慌てて手を振って釈明しているが、俺も密かにその可能性については考えていた。
例えばこうだ。五道さんが松葉さんの様子を確認するという名目で月光洞へ向かった時、彼は実は牡丹さんから『三』の錠を外すための鍵を預かっていたのではないだろうか?
そして、月明かりの間に侵入した五道さんは松葉さんを刃物で殺害した。暁月は祠から盗みだした上でどこかに隠しておき、その後屋敷へ戻った。混乱のどさくさに紛れて五道さんが牡丹さんに鍵を返すのはそう難しいことではないだろう。
貴音「それは……ありえないと思います」
黙って話を聞いていた貴音が突如言った。
白河「そうですね。僕もそう思います」
白河くんもそれに同調する。……どういうことだ?
187:
黒田「ありえないって……どうしてだよ?」
白河「僕達が見た現場の状況から考えて、ありえないんですよ」
黒田「ああん……?」
貴音「叔父は……背中を刺されていました」
黒田「それなら俺も見たぜ。それがなによ?」
白河「松葉さんの体に争ったような形跡はありませんでした。ということはつまり、松葉さんは不意を突かれて背中を刺された……ということにならないでしょうか?」
黒田「まぁ……そうかもな」
白河「そう考えると、あの重たい扉が問題なんですよ」
黒田「扉ぁ?」
引き継ぐように貴音が続ける。
貴音「月明かりの間の入り口……あの扉は非常に重く、ゆっくりとしか開くことはできませんし、それになにより、大きな音がするのです。広間の内部にいた叔父が、その音に気が付かないはずはありません」
千家「なるほど……たしかにおかしい。侵入者に気がついたのなら、その相手に背中を見せ続けているというのは不自然極まりないな」
黒田「……ちっ、なんだよ。それならたとえコピーの鍵があったとしても、あの扉を開ける必要がある以上、犯行は無理ってことじゃねえか」
白河「少なくとも今のところは、そうですね」
白河くんは改めて全員を見回しながら言った。
白河「……とにかく、冷静に、じっくり考えましょう。……この状況です、結論を急いで無実の人間に冤罪を押し付けてしまうなんてことになったら…………全員、破滅しかねない」
そのとおりだ。雪崩で外界と隔絶されているという、その時点で一種の極限状態なのだ。平常ならありえないようなことでも起こってしまうかもしれない。無実の人間同士で疑い合って、罪を押し付けあって……その果てにあるのは……悲劇しかない。
188:
P「でも……扉を開けることなく中にいた松葉さんを殺害するなんて、尚更無理なように思えるけど……」
青山「そういえば、あの月明かりの間ってとこには天井に穴が空いてましたよね? あそこから何とかして入れないっすかね?」
白河くんがため息をつく。
白河「お前ちゃんと見とらんかったんか? たしかに幾つも穴が空いとったが、あんな小さな穴から人が出入りできるわけあらへんやろ」
青山「あれ、そんな小さかったっすか? すんません、俺あんまり目ぇよくないんで……」
青山くんは苦笑して言う。
朱袮「青山くん、いつもは眼鏡かけてるんです。今日はうっかり持ってくるの忘れちゃったみたいですけど」
朱袮さんが口横に手を添えてこっそりと補足するように話してくれた。
青山「朱袮、余計なことは言うなよな」
小声で注意するように言った。
白河「お前の目はともかく、高さがあったから多少のズレはあるやろうが……天井の穴は大きくてもせいぜいが直径10センチ、ってなもんやったぞ」
朱袮「まぁ、青山くんはさっき見たのが初めてだったわけだし、記憶があやふやなんじゃない?」
たしかにあの騒動の中では無理もないことだろう。
千家「そもそも、どうやってあんな高い場所に登るんだね? 10メートルはあったぞ。洞窟の外側はかなり急な岩の崖だったし、よじ登るのは不可能だろう」
青山「うぅん……打つ手なしかぁ……」
189:
朱袮「…………あっ」
白河「なんや朱袮。何か思いついたんか?」
朱袮「あ、えと……いや、多分違うと思うんですけど……」
白河「かまへん。言うてみい」
朱袮「そ、それじゃあ……」
朱袮さんは咳払いしてから恐る恐るといった様子で話し始めた。
朱袮「……月明かりの間の扉には隙間があったんですよね、覗き見ができるくらいの。そこから刃物を通して松葉さんを殺害した……っていうのは? それなら犯人は扉を開ける必要も、鍵を持っている必要もありませんし……どうでしょう?」
白河くんは首を横に振る。
白河「……いいや、それも違うな」
朱袮「どうして?」
白河「その方法で松葉さんを殺害したとして……犯人はどうやって暁月を盗み出すんや?」
朱袮「あ……!」
P「無理だ……祠の鍵は松葉さんが持っていたんだし、それに犯人が扉を開けられないんじゃ……あ、でも……」
……それなら、一つだけ方法があるんじゃないのか?
白河「……犯人が扉の鍵を持っていれば、松葉さんを殺害後に月明かりの間に入ることはできたでしょうね」
青山くんがぱちんと手を打つ。
青山「それですよ! 殺害した後なら、いくら物音を立てても平気なんですし。暁月も盗み出せます」
鍵のコピーが存在する可能性は限りなく低く、また、誰かが鍵を盗みだすということも考えづらいとなると……牡丹さんと五道さんの共犯説がまた息を吹き返すか……?
190:
白河「……いいや、ちゃうんや青山。その推理が間違いである根拠がある」
青山「なんですか?」
白河「そのトリックのためには、松葉さんが扉の近くにおるっちゅうのが第一条件になる。祈りに集中しとったはずの松葉さんをどうやって扉の前まで誘導するか……まぁいくらでも方法はあるやろう。妙な物音を立てて気を引く、とかな。そこはいいとしよう。せやけど実際の松葉さんの遺体が月明かりの間のどのあたりにあったか、覚えとるか?」
青山「ええと…………」
白河「松葉さんは入り口から見て中央部の台座から右横にそれたところに倒れとった。扉からは少し距離がありすぎるんや。刺された後で松葉さんがよろけて移動したとか、犯人が後で遺体を動かしたとも考えられん。血痕は扉周辺には残っとらんかったしな」
たしかに、血液は遺体の周辺が血溜まりになっている他は、台座の上に点々と残っている程度で、拭き取られたような痕跡もなかった。
青山「扉越しに凶器を刺した後、凶器ごと松葉さんの体を押せば、凶器は刺さったまま扉の向こうに入っていきますよね。……で、犯人は扉を開けた後で遺体を動かして、それから凶器を抜いたんじゃないですかね?」
白河「……何のためにそんなことをする必要があるんや? 犯人がわざわざ遺体を動かすメリットがどこにある?」
青山「扉の開け閉めの邪魔になったとか……」
白河「あの鉄扉は手前に開くようになってるから、遺体は扉の開閉の邪魔にはならんはずや。それに凶器を刺したままって簡単に言ってくれるが……刃の部分だけならともかく、扉の小さな隙間から凶器まるごとを広間側に通すゆうのは無理があると思うけどな」
青山「なるほど……たしかにそのとおりっすね……」
朱袮「やっぱり違ったかぁ……」
朱袮さんはしゅんとして言った。
191:
青山「……あっ、それならボウガンみたいなもので射殺したっていうのはどうです? それなら距離が離れていても大丈夫だし、矢は扉を開けてから回収すればいい」
白河「……なかなか面白い意見やな。でも、それもちゃうと思う」
青山「どっかおかしいことあります?」
白河「矢で殺されたにしては、傷口が広すぎる。あれは幅のあるナイフとか包丁の類の傷やったように思う。あれだけの傷ができるほどゴツい矢を使ったんやとしたら、狭い扉の隙間から撃つなんて芸当は不可能やろう」
五道「そうだな……私も、そう思う」
五道さんが同意の声を上げる。
五道「それなりに刃幅のある凶器だろう……3センチか、4センチといったところの」
そう言いながら親指と人差し指で大体の長さを示す。
白河「五道さん。洞窟の中でおっしゃっていましたが、松葉さんの背中の傷は心臓にまで達していたんですよね?」
五道「ああ……だが、あれだけ深くまで刺さっていれば心臓を避けていたとしても、失血死は免れなかっただろう」
ということは、それだけ犯人は力いっぱいに凶器を突き立てた、ということだろうか。
192:
千家「どうやらまだ答えは出せそうにないな……」
結局これだけ話し合っても、ピンとくるような解決法は得られなかった。
灰崎「そもそも…………」
それまで口数の少なかった灰崎さんが言った。
灰崎「どうして……旦那様は殺されたのでしょうか? ……私にとってはそれが一番、不可解にございます……」
牡丹「……暁月を盗み出すため、じゃないかしら」
青山「刀一本盗み出すためだけに、人を殺したって言うんすか!?」
牡丹「ありえない話じゃないと思うわ。村の護り刀である前に、暁月が相当な名刀であることには違いないのだし。それに盗み出す機会があるとすれば、月明かりの間が開放されるこの十年祭の時くらい……」
暁月を盗み出すためには、月明かりの間入り口の二つの鍵、そして内部の祠の鍵と合計3つの封印を突破する必要がある。鍵は普段三船家、四条家、五道家のそれぞれが各自の家で厳重に保管しているという話だった。
たしかに、万が一にも盗むチャンスがあるとすれば、この十年祭のタイミングでしかないようにも思えた。
千家「それはどうかな。もしかしたら、暁月を盗んだのはあくまでついで……もしくは、『暁月を盗むのが目的』であると誤認させるためかもしれない」
牡丹「松葉様を殺害することが犯人の主たる目的だった、とおっしゃるんですの?」
千家「ええ、それが犯人にとっての何らかの利益を狙ってのものか、あるいは怨恨を動機とするものなのかはわかりませんがね」
193:
五道「馬鹿な……松葉様を殺して利益を得る者などおらんだろう…………」
朱袮「なら……怨恨?」
五道さんが首を横にふる。
五道「それも考えられないな……神宿りという立場上のことではあるが、他者との交流を殆ど行っていなかった方だ。厳格な性格ではあったが、誰かに恨みを持たれていたとも思えない」
灰崎「そのとおりでございます……旦那様に、殺される理由など……」
白河「……そうでしょうか?」
白河くんが発した言葉に、場の空気がぴたりと静止した気がした。
白河「動機や心情なんて、その当人にしかわからないものです。だからあくまで可能性の一つとしてですが……僕はこう思います。松葉さんが殺された理由……それは、彼が四条松葉であったことより、彼が神宿りであったことに関係しているのではないでしょうか?」
灰崎「それは……どういう意味なのでしょう?」
白河「この村の住人は、その殆どが神宿りを信奉しています。その神宿りが死去した……それも殺されたなどということが村に広まれば、大変な騒ぎになる。そうではありませんか?」
五道さんがゆっくり頷く。
五道「……ああ。十年前、常磐様が亡くなられた時にもそれはすごい騒動になったものだ……弟の松葉様がすぐに神宿りを引き継いで騒ぎを鎮めてくださったからよかったものの…………」
194:
白河「今度また、神宿りが死んだとなれば、村人らの悲しみや落胆、あるいは怒りは十年前の比ではない……そう思いませんか?」
牡丹「あ、あなた、何を言おうとしているの……?」
白河「……一番の問題は、鬼憑き病のことです。松葉さんが亡くなってしまったことで、神宿りだけが治すことができた鬼憑き病は、正真正銘の不治の病となってしまったのでは? 灰崎さんも治療の秘術については何も御存知ないのですよね?」
灰崎「……ええ」
灰崎さんはゆっくりと頷いた。
五道「なんてことだ……恐るべき事態だ」
白河「それもこれも全て、村への害意と考えることは出来ないでしょうか」
五道「村への……害意?」
白河「僕が思う犯人像は、この『暁月村そのものに強烈な恨みを抱いている人物』です。村の護り刀である暁月を盗んだのも、それが理由だ。村人たちの心の拠り所である神宿りと護り刀を同時に奪い去り、絶望へと追いやることこそ、犯人の目的なのではないでしょうか? そう考えることはできませんか?」
と、そこまで言ってから白河くんは付け加えるように言った。
白河「……最初に言ったとおり、これはあくまで僕個人の考えです。実際の動機は犯人のみぞ知るということです」
あまりにも思いがけない話ではあるが……説得力はあるように思えた。まさか本当に、犯人の動機は村そのものへの復讐だと言うのか?
しかし、村に対してそこまで激しい恨みを持つことになる事情とはなんだろう? 犯人をこの犯罪に突き動かした、根幹にあるものは……。
195:
灰崎「……皆様、お話の途中ではございますが、ここらでご休憩を取られてはいかがでしょう?」
灰崎さんがゆったりとした声で言った。それを契機に場の緊張がいくらか軟化したようだ。
牡丹「そうね……灰崎さん、やっぱり私もお茶をいただけるかしら?」
灰崎「かしこまりました。すぐにお持ちいたします」
そう言って灰崎さんが立ち上がる。
白河「……いや、休憩と言わず、もう終わりにしましょう。これ以上話していても事態の進展は見込めませんし」
千家「君がそう言うなら、それでも構わないが……」
白河「……僕はもう一度、月光洞に行ってみようと思います」
五道「なにか……気になることでもあったのか……?」
白河「そういうわけではありませんが……もう一度見たら何かに気がつくかもしれません」
灰崎「それでしたら、玄関の鍵をお持ちください。今は状況が状況ですので、戸締まりをしっかりしておかなくては……」
灰崎さんが白河くんに鍵を渡す。
196:
五道「それならついでに……山道の様子を見てきてくれないか?」
白河「山道……というと、分かれ道を月光洞と逆に行った先の?」
五道「ああ……分かれ道の先に吊り橋があって、その先の山道を行けば、いずれ街にたどり着けるはずなんだ。私は実際にはその道を通ったことはないが……そのはずだったな、灰崎さん?」
灰崎「え、ええ、たしかにそうですが……危険ですのでおやめになったほうがよろしいかと。長らく、ろくな整備もされていない道ですので……」
牡丹「無茶よ。登山用に整備されてるってわけでもない山を一つ越えていかないといけないのよ? 万が一山を降りられたとしても、人の住んでる場所まではそれからも相当な道のりでしょうに」
五道「だ、だが……もしも救助が遅れて、3日も4日もここに閉じ込められたらと思うと……私には堪らないんだよ」
五道さんは本気で山を越えて脱出することを考えているようだった。
白河「……わかりました。山道の入口辺りまでは様子を見てきましょう。実際に山を越えるかどうかは、明日以降に考えるとして」
五道「頼むよ」
197:
白河「あ、それと、五道さんと三船さんにお願いしたいことが」
牡丹「なに?」
白河「南京錠の鍵を貸して欲しいんです。それがないと月明かりの間に入れません」
牡丹「別に好きにすればいいわ。暁月もなくなってしまったんだし。鍵なんてもう意味無いもの」
まず牡丹さんがキーケースから鍵を取り出して渡し、次に五道さんがポケットから取り出した鍵を差し出した。
千家「しかし一人でか? 外にはまだ犯人がいるかもしれないんだぞ? 日も落ちて暗いし、危険すぎる」
白河「それなら……」
白河くんは何人か順番に見た後、こちらを向いて言った。
白河「Pさん、同行していただけませんか?」
P「えっ……お、俺がかい!?」
198:
白河「僕も容疑者の一人ですから、そういう意味でも事件現場へ一人で行くべきじゃない。だからお互いに妙なことはしないように見張り合う、ということでどうでしょう?」
P「は、はぁ……」
だから身内の青山くんや朱袮さんじゃなく、俺なのか……?
白河「もちろん無理にとは言いませんが――」
P「い、いや、行くよ。俺も現場はもう一度見ておきたいと思ってたんだ」
白河くんの言うとおり、あの時は気が付かなかったことでも落ち着いて見直してみることでなにか発見があるかもしれない。
白河「ありがとうございます。すぐにでも大丈夫ですか?」
P「ああ、大丈夫――」
そう言って立ち上がろうと机に手をついた時、その右手を上から押さえる別の手があった。
貴音「わたくしも、同行させてください」
P「貴音……」
灰崎「お嬢様……!? なりません! 本当ならまだお休みになられていなければならないのに――」
貴音「じいや。心配してくださるのはありがたいのですが、今は黙っていてください」
灰崎「お嬢様……」
白河「僕は別にかまいませんよ。……先に玄関に出ときますんで」
白河くんは席を立って談話室を出て行く。
199:
貴音「プロデューサー、お願いします……!」
懇願する貴音は真剣な面持ちで、手は痛いくらいに強く握りしめられている。
俺はその手をそっとどけた。
P「……駄目だ貴音。部屋で休んでなきゃ」
貴音「わたくしはもう大丈夫だと言ったはずです!」
P「いいや大丈夫なはずがない。お前は無理してる」
貴音「無理など……!」
P「わかってるのか? 月光洞に行くってことは……」
もう一度、松葉さんの遺体を間近に見なくてはならないということだ。
貴音「……全て承知の上です。わたくしは……! 一刻も早く叔父の死の真相を突き止めたいのです! お願いします……プロデューサー……!」
耐え切れず俺は彼女から目線をそらす。
P「……駄目と言ったら、駄目だ」
貴音「どうして……ッ!?」
貴音は勢い良く立ち上がる。その拍子に彼女の腕が机の上のカップに当たって、床に落ちた。カップは割れ、その中身を床にぶちまけた。
朱袮「っ……!」
朱袮さんが驚いて短い悲鳴を上げた。
200:
貴音「あっ……」
貴音は屈んで割れたカップに手を伸ばそうとする。
灰崎「ああ、危のうございますから、おやめくださいお嬢様。じいやが片付けておきますゆえ」
貴音「すみません……」
手を引っ込めると、こちらへ向き直る。
貴音「……残念です。プロデューサー……あなたなら、わかってくださると思っていたのですが…………」
そっと彼女の顔へ視線を戻すと、彼女の眼には涙が滲んでいたように見えた。
P「貴音……」
貴音「……もう、結構です」
貴音は勢い良く席を立つと、足早に扉へ向かう。
灰崎「お嬢様、どちらへ……?」
貴音「……部屋に戻っております」
201:
灰崎「……ありがとうございます」
灰崎さんは、床に散らばったカップの破片を丁寧に拾い集めながら言った。
P「……どうしてお礼なんて」
灰崎「お嬢様を引き止めてくださいました。私が申し上げたところでお嬢様は聞き入れてはくださらなかったでしょう」
お茶を運んだサービスワゴンの下部には緑色のナイロン製の袋が口を開いた形で取り付けられており、灰崎さんは集めたカップの破片をその袋に捨てた。
P「……俺はお礼なんて言われるようなこと、してはいませんよ」
少しつらく当たってしまったようだが、この事件で一番苦しい思いをしているはずの貴音に、これ以上負担をかける訳にはいかない。
彼女を安心させるためにも、早く事件を解決できればいいのだが……。
207:
P「――待たせたね」
白河くんは屋敷の玄関を出たすぐのところで煙草を吸っていた。声をかけたことでこちらに気がつくと、ズボンのポケットから煙草の箱を取り出してこちらへ差し出す。銘柄はキャビンだった。
白河「吸います?」
P「いや、煙草はやらないんだ」
白河くんはそのまま箱をポケットに戻す。
白河「……結局、彼女はついてこなかったんですか?」
P「ああ」
白河「……そうですか。まぁ、僕はどちらでもかまわなかったので」
そう言って筒型の携帯灰皿に吸いかけの煙草を押し込むと、傍らに置いてあったものを抱え上げる。毛布だ。
P「それは?」
白河「松葉さんをあのままにしておくのはあんまりだと思ったので、部屋から持ってきました。後で代わりのものを灰崎さんからもらわなきゃ」
そこまで気が回るとは、素直に感心する。
白河くんは玄関に灰崎さんから受け取っていた鍵で戸締まりを済ませると、向き直って言った。
白河「じゃ、行きましょうか」
空いた手で持った懐中電灯の灯りをつける。俺の持つ懐中電灯と合わせて二つ、夜の闇の中に頼りない光が浮かぶ。
208:
歩き始めて数十秒と経たないうちに、なにかを踏みつけた感触で歩みを止める。
P「ん、なんか踏んづけた……」
足をどけて見てみると、白い紙のようなものが丸まったものだった。まだ新しいものに見える。屈んで拾い上げる。
白河「なんです、それ?」
P「……あっ、これ……レシートだ」
2枚のレシートがひとまとめにくしゃくしゃに丸められていたのだ。開いてみるとどちらも同じコンビニの名前が記載されている。
白河「見せてくれますか?」
白河くんは二つのレシートを手に取って上から下まで注意深く見てから、返しつつ言った。
白河「……千家先生の落としたレシートでしょうね。多分、買い物から帰ってきた時かな。あの時は慌てていたから……」
P「ということは、これは千家さんのアリバイを説明する証拠になる?」
白河「そうですね。Pさん、保管しておいてもらえますか?」
P「わかった」
落としてしまわないように、財布の空いたスペースに挟み込んでおく。
20

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