春香「いいかえるなら」back

春香「いいかえるなら」


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1:
“かつて、夏目漱石は「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したそうだ”
久しぶりに行った学校で国語の先生がそんな小話を話していた。
何でも“日本人ならば、はしたなくも直接「愛してる」などと言わずそれだけで伝わる”とか。
他には「あなただけのもの」を「もう、死んでもいい」と訳した人もいるらしい。
現代人にも通じるかは別として、昔の人は随分とおしゃれな言い回しを考えるものだなと、そのときは思っていた。
2:
ランクアップフェスの打ち上げが終わった後、屋上で二人、プロデューサーさんと空を見上げていてそんなことを思い出した。
いつもそばにいてくれて、一緒に笑って、一緒に泣いてくれて、いつでも私のことを励ましてくれる人。いつでも私のことを気にかけてくれてくれる人。
いつの間にか私にとって、一番大切なものになっていた人。
いつの間にか私にとって・・・。
3:
顔が熱くなっていくのが自分でも分かる。
プロデューサーさんのことが好き。
ちょっと意識をしただけでこれなのだ。直接告白などしたら気絶してしまうかもしれない。
昔の人に「はしたない」と笑われても今は言い返せそうに無い。
4:
ほてった顔を少しでも冷まそうと、空を仰いで見る。
澄み切った空には綺麗な満月。
一緒にいるプロデューサーさんも同じものを見ていると思うとまた顔が熱くなってきた。
溜め込むには大きくなりすぎた想い。
吐き出すには少し恥ずかしい言葉。
だから、わたしは
5:
「つ、月が綺麗ですねっ!」
声が上ずった。くそぅ、何がはしたなくないだ。十分恥ずかしいし勇気がいるじゃないか。
一人漱石に文句を言っていると、
「ああ、そうだな」
と、そっけない返事を返された。
6:
ほっと、溜息。
告白が通じなかったことは残念だったけど、それ以上に安心した。
少し想いを吐き出したかっただけで、鈍感プロデューサーさんとはまだそのままの関係でいられるだけで満足。
「でも、ごめんな。俺はまだ死ねないんだ」
満足だったのに。
7:
「・・・夏目漱石だろ?」
呆然としたままの私に、プロデューサーさんは語りかけた。
「昔の人はうまい言い回しを考えるもんだよな」
「でも、あんなに綺麗な月を独り占めにしちゃだめなんだ。それはアイドルも一緒」
「それに、俺にはまだまだやらなきゃいけないことがあるから“あなただけのもの”にはなれないんだ」
8:
「アイドルとプロデューサー・・・だからですか」
“月が綺麗ですね”それだけで思いは伝わる。でもその想いは届かなかった。
「そうだな。まあ、トップアイドルになれたら月面旅行に連れて行ってあげるよ」
苦笑しながらプロデューサーさんはそう言う。
何ですかそれ・・・。意味が分かりません・・・。
9:
事務所からの帰り道。いつの間にか月も隠れてしまって、振り出した雨。
真っ白になった頭で
「まるで私の心みたい」
そんなことを考えていると、ふと後ろから呼び止められた。
10:
「もう、何やっているのよ。いくら暑くなってきたからって風邪はひくのよ?」
「ごめんね、千早ちゃん・・・」
びしょぬれのまま帰すわけには行かないと、半ば無理やりに千早ちゃんのお家に連れて行かれ、シャワーまで借りてしまいました。
「たいしたものは無いのだけど」と淹れてくれたコーヒーに口をつけてほっと一息をつく。
11:
「それで、何があったの?」
そういわれて、さっき起きたことを思いだす。
ああ、そうだ。私ふられたんだった。
気づけば涙が止まらなくなっていた。
「ご、ごめんなさい。私、こういうときどういう風に聞けばいいか分からなくて・・・」
「ううん、こっちこそごめんなさい。心配かけちゃって」
あわてている千早ちゃんに申し訳なさを感じながら、私は何が起きたのかを話し始めた。
プロデューサーさんのことがずっと好きだったこと。我慢できずに遠まわしな告白をしたこと。伝わらなくてもいいと思っていたこと。理解されたうえで断られたこと・・・。
12:
「そう・・・。プロデューサーももっと言い方とかあったでしょうに」
「ううん、いいの。アイドルとプロデューサー、分かっていたことだもん」
「でも・・・!」
「いいの。それよりも、プロデューサーさん最後によく分からないこと言ってたんだ」
「よく分からないこと?」
「うん、“トップアイドルになれたら、月面旅行に連れて行ってあげる”って。慰められちゃったのかな」
13:
千早ちゃんは少し驚いた顔をしてからくすくすと笑い始めた。
「むぅ、なにかわかったの?」
「ええ、そうね。春香は「私を月に連れて行って」をなんていう風に訳すかしら?」
そういうと千早ちゃんは一枚のCDを流し始めた。
14:
 ?♪ ?♪
「・・・フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」
「正解。はい、これ。英語だけど読めるわよね」
渡された歌詞を読む。
「愛の言葉を他の言葉に言い換えるのは、何も日本語だけの話じゃないのよ」
「伝えきれない気持ちを伝えるために、伝えることのできない思いを届けるために」
「一つの言葉を言う代わりに、いくつもの言葉を使っているの」
何度も言葉を変えて、ただひとつの気持ちをいろいろな言葉にのせた、そんな歌。
15:
“私を月に連れて行って”
“そうね、いいかえるならば・・・”
16:
「プロデューサーさん!!」
「おお、おはよう。朝から元気がいいな」
「はい!おはようございます!!・・・じゃなくてですね!」
「どうした?」
「わかりにくいです!遠まわしすぎますよ!」
「・・・千早が教えたのか?」
「ふふっ、おはようございます。なかなかロマンティストですね、プロデューサー?」
「あー・・・けっこう恥ずかしいな」
「春香を泣かせた罰です」
17:
「もー!私の涙を返してください!すっごく落ち込んでいたんですからね!」
「先に遠まわしに言ったのはおまえだろ!?」
「そうですけども・・・」
「それに、すぐにどうこうって言うのが無理なのは変わらないぞ?いずれ気づくにせよもう少し時間が掛かると思っていたんだがなぁ」
「むぅ・・・でもいいです。約束ですからね!」
18:
「ちゃんと、私を月に連れて行ってくださいね!」
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