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男「右に行くの? 左に行くの?」少女「言わせないでよ」


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1:
少女「王子様と一緒ならどこでもいいの」
少女「だから、私の台詞はこれ以外にあり得ない」
少女「ーーこの手を、離さない」
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3:
『自称小説家の言葉』
女「自称小説家は言いました」
女「『これは僕が死んでから、大きな意味を持つのです』と」
男「面白い言い訳だね」
女「私もそう思ってた。でも、涙が止まらなかったの」
男「どうして?」
女「彼はもう、私の前にはいないような気がして」
男「……」
女「続けて、自称小説家は言いました」
女「『だからこの小説を書き終えたとき、僕はこの世にいないのです』と」
男「その小説は遺書だったの?」
女「ううん。恋愛小説だった」
女「とっても悲しくて、救いようのない」
女「ーー絵本の中の少女に、恋をする話」
4:
『ペン先の少女』
男「とある青い森の中。ぎゅっと手を繋いで、駆ける二人」
少女『王子様! 手を離さないで!』
王子『分かっています! しかし、追っ手が多過ぎる……!』
少女『走って! この森を抜ければ! ……あ』
男「扉が付いた世界は二つ」
少女『どちらかが罠かもしれない……』
男「右に行くの? 左に行くの?」
王子『……』
少女『どっちにする?』
王子『私に選べと言うのですか?』
少女『え?』
5:
王子『貴女が行きたい方に、私もついて行きます』
少女『じゃあ……左に行くわ!』ガチャッ
王子『……』パッ
男「選んだ少女と、手を離した王子様」
少女『どうして?』
王子『……』
少女『早く! 二人ならどこへでも行ける! そうでしょう!?』
王子『私は、右へ行きます』
少女『え……』
男「迫りくる追っ手。手を伸ばす少女。微笑む王子様」
王子『どうか、ご無事で』バタン……
少女『嫌だ! 王子様!』ドンドンッ
少女『王子様ああああああああ!』
6:
男「ーーなんてね」
男「シナリオのために引き裂かれちゃった二人。哀れだなあ」
男「……」ゴク
男「水、ぬる……」
少女「哀れだなんて、貴方に言われても」
男「え?」
少女「どうも。はじめまして」
男「あ……」ガシャーン
少女「グラス、落ちましたよ?」
男「な、んで……」
少女「さあ。なんででしょう?」
男「君は……」
少女「はい。そこの絵本の中の、哀れな美少女です」
7:
男「……」
少女「……」
男「いや、美少女か?」
少女「疑問視するところはそこじゃないです!」
男「夢ならとことん堕ちていこうと思って」
少女「夢じゃないですよ」
少女「ご自分を殴ってみては? 古典的ではありますが」
男「そうするまでもない。足が痛い」
少女「うわ! 血が出てますけど!?」
男「夢じゃないことは分かった。痛い」
少女「今すぐ手当てを! ……って、私は触れないんだった!」
男「なんか、俺が描いてる少女と違う」
少女「今はそんなことどうだっていいですよ! その血をなんとかしてください!」
男「……はい」
8:
少女「いやー。大したことなくて良かったです」
男「元はと言えば君のせいだけどね」
少女「そうやってすぐに元を辿っていくのは良くないです。それ、終わりないですから」
男「まあ、そうだけど」
男「……って、普通に話してる自分が怖い」
男「君は一体何者?」
少女「だから、美少女です」
男「だいぶ端折ったね?」
少女「ついさっきまで、貴方のペン先を歩いていました」
男「うーん。信じがたい」
男「でも、着てる服とか髪型とか一緒なんだよなあ」
少女「正直言うと、センスないですよね」
男「今すぐ紙の中に戻れ。裸にしてやる」
少女「なんてことを言うんですか! 変態!」
男「やっぱり違う。こんなんじゃない」
9:
少女「と、とにかく! 私は文句を言いに来たんです!」
男「え?」
少女「この絵本! 悲し過ぎます!」
男「……」
少女「登場人物の身にもなってくださいよ!」
男「いや、物語ってそういうものだろう?」
男「愛し合う者の間には困難があるものだ」
少女「そんなの勝手ですよ!」
男「そうだ。俺の勝手だ」
少女「うう……」
男「そこにいる王子と少女は、俺の操り人形なんだよ」
少女「人形なら何してもいいんですか?」
男「いいよ。現実では不可能なことを、物語の中で人形に演じさせる」
男「俺はそういうものだと思ってる」
10:
少女「だったら、どうしてハッピーエンドにしないんですか?」
男「え?」
少女「物語の中くらいハッピーにして、ふわふわすればいいじゃないですか!」
男「ふわふわって……。というか、なんで俺がこの話をバッドエンドにするって分かるんだ?」
少女「分かります! 私は貴方の心が読めるんです!」
男「えー。それは嫌だなー」
少女「信じてないですね!?」
男「考えてること一言一句知られちゃあ、生きてられないからなー。信じたくないって感じかな」
少女「一体何を考えてるんですか?」
男「イケナイコト」
少女「そんな風にミステリアスぶっても、全然似合ってないです」
男「言うねー」
少女「貴方は嘘つきです」
男「揺さぶってるの?」
少女「心当たり、あるでしょう?」
男「無いよ」
少女「嘘……です」
男「あ、ちょっと自信なくなった?」
少女「な、無くなってません! 私は心が読めるんですから!」
男「ふーん」
11:
少女「と、とにかく! こんな悲しい展開では駄目なんです!」
男「たかが絵本の中の話だと言ってるだろう?」
少女「駄目なんです!」
男「なんで?」
少女「王子様は! 絶対に手を離しては駄目なんです!」
男「……」
少女「たとえそれが愛する人のためであろうと! 駄目なんです……!」
男「ちょっと黙って」
少女「王子様は……貴方は!」
男「ほんとお願い。一回黙ってよ」
少女「嫌です!」
男「少し落ち着いて。こんな展開、誰もついていけないよ?」
少女「貴方の人生が、物語のように上手くできているとでも?」
男「……」
少女「貴方のシナリオ通りにはさせません!」
少女「必ず、ハッピーエンドにしてみせます!」
男「ペンを握っているのは俺だけど?」
少女「そのペン先を歩くのは、私です!」
12:
『消せない月』
女「どうなっちゃうんだろうね。この二人」
男「まだ未定なんだ」
女「そっか」
男「君はさ、普段どんな本を読むの?」
女「うーん。そうだなあ」
女「恋愛小説が多いかな」
男「へえ」
女「きゅうっと胸が狭くなる切なさがいいの」
女「どちらかと言えば、ハッピーエンドは好きじゃないわ」
男「どうして?」
女「片思いや失恋の話に自分を重ねて読むのがいいの」
女「ハッピーエンドだと、私だけが置いてけぼりになっちゃうから」
男「……」
男「君は、まだ……」
13:
女「ごめんなさい。貴方にそんな悲しい顔をさせるつもりじゃなかった」
男「分かってるよ。むしろ本当のことを言ってくれて嬉しいと思ってる」
女「優しいね」
男「いや、俺はただ……」
男「強がったり、嘘を吐いたりして欲しくないなって思ってるだけで……」
女「……」
男「何、見てるの?」
女「日めくりカレンダー」
男「ああ。そういえば、ちゃんと今日の日付になってるね」
女「うん。ずっと、あの日で止まったままだったから」
女「一枚一枚、今日になるまで破っていったの」
男「意外と大変だっただろう?」
女「うん」
女「それでね。紙切れが沢山散らばった床を見て思った」
男「……」
女「私はこんなにも長い間、意味のない日々を過ごしていたんだって」
14:
男「俺と過ごす時間にも、意味は無いんだ?」
女「そういうわけじゃないよ」
男「いいよ。俺が好きでここにいるだけだからね」
女「ありがとう」
男「でも、あんまり待てないよ」
女「待たなくてもいいよ」
男「……」
男「嘘だって。俺は君の傍にずっといる」
男「この部屋、すっごく気に入ってるし」
男「君とこうして縁側に座ってると、落ち着く」
女「……待たなくて、いいってば」
15:
男「ん?」
女「なんでもない」
女「今夜も、月が綺麗ね」
男「うん。池に写る月もなかなか」
女「……」
女「ねえ。少し、悲しそうに見えない?」
男「え? そうかなあ」
女「今ね。気がついたんだけど」
女「水面がゆらゆら揺れて、自分に写る月をかき消そうとしているように見える」
男「……」
女「それは決して消えたりしないのにね」
男「君は、いつまで……」
女「月が、そこにあり続けるかぎり」
16:
『触れない手』
男「ひとりぼっち。雨の中。少女は片脚を引きずりながら、森の中を歩き続ける」
男「そしてやっと辿り着いた出口の泉」
男「そのそばで横たわる、王子様の姿」
少女『ここで、私を待っていてくれたのね……』
男「ぎゅっと抱く手。さよならはとても冷たい」
少女『泣かないわ。強くなるわ』
少女「ーーなんて、言わせないでくださいよ!」
男「もー。急に出て来ないでよ。びっくりするから」
少女「私はこんな展開、望んでいません!」
男「俺はこうしたいんだ」
少女「……」
少女「王子様が死んだのに……どうして、この子は笑っているんですか」
男「どんなに悲しくても、脚が痛くても無理して笑う」
男「そういう場面なんだよ」
17:
少女「……っ」
男「どうして、君が泣くのさ」
少女「泣きたいに……決まってます」
男「俺が泣かしちゃったみたいだね」
少女「間違っていないです」
男「ごめん」
少女「謝らないでくださいよ」
男「……」
少女「分かっているんです。貴方はこんな物語を描きたいわけじゃないって」
男「そんなことまで分かるんだ?」
少女「貴方は元々、絵本なんて描かない人なんでしょう?」
男「こらこら。あんまり心、読みすぎないでよ」
少女「心を読んだわけじゃありません」
男「じゃあなんで分かるのさ?」
少女「だって、お話も絵も下手過ぎです」
18:
男「……」
少女「……」
男「ぶっ!」
少女「ええ!?」
男「ははっ! なんだそりゃ!」
少女「なんですか! 笑わないでくださいよ!」
男「判断するとこ、そこなんだ! 嘘でもいいから心読んだことにしとけばいいのに!」
少女「嫌です! 嘘はもう二度と吐きません!」
男「ん? 二度と?」
少女「あっ……。き、気にしないでください!」
男「えー。無理」
少女「お願いしますよー!」
男「どうしよっかなー」
少女「意地悪です!」
男「今更だろう?」
少女「……」
男「ん? どうした?」
少女「貴方の心、ちょっと、温かくなった気がします」
19:
男「君のおかげかな」
少女「……なに、言ってるんですか」
男「最近はあんまり、笑うこととか無くてさ」
少女「……」
男「笑っちゃいけないような気さえしてて」
少女「……」
男「うん。そう言われれば今、すっごく温かいかも」
男「ありがとう」
少女「いえ……」
男「君はさ、本当にこの絵本の中の女の子なの?」
少女「ええ。そうです」
男「そっか。まだやっぱり信じがたいけど」
男「ごめん」
少女「え?」
男「俺は君を悲しませたかったわけじゃない」
少女「……」
男「悲しいもの好きな彼女のために、この絵本を描いているんだ」
少女「彼女?」
男「ただの三人称だよ。ここは彼女の家。今はこの部屋に下宿させてもらってるんだ」
少女「その人はこのお話、良いと言っていましたか?」
男「さあ。どうだろう」
20:
男「多分、こんな物語じゃ駄目なんじゃないかな」
少女「私もそう思います」
男「君が思ってるのとは違う駄目な理由があるんだ」
少女「なんですか?」
男「ある自称小説家が死ぬ前に遺した小説」
少女「……」
男「救いようのない、とんでもなく悲しい物語らしい」
少女「……」
男「でも彼女はさ。その小説を大切に、大切にしてて」
男「俺、嫉妬しちゃってさ」
男「だから俺も、彼女に好きになってもらえるような物語を作ろうと思った」
少女「……」
男「でもやっぱり、あの小説じゃなきゃ駄目なんだ」
男「どんなに悲しい物語でも、どんなに俺が彼女を好きでも、駄目なんだ」
21:
少女「……」
男「君が言う通り、いっそのことハッピーエンドにした方がいいのかもしれない」
少女「……」
男「彼女のためにならないなら……」
男「君のために」
少女「……ハッピーエンドにするのは、絵本の中だけですか?」
男「え?」
少女「……」
男「……」
少女「いえ、なんでもないです」
男「そっか」
少女「嬉しいです。私のために……なんて」
男「ねえ」
少女「ごめんなさい! これは嬉し涙ですから……!」
男「ねえ。もう一度聞くけど、君は本当に絵本の中の女の子?」
少女「つ、次に会うときまでに、素敵なお話を考えておいてください……!」
男「おい!」
少女「さようなら!」
男「こら! 待てってば!」スッ
22:
少女「……」
男「あ、意外と待ってくれるんだ」
少女「どうしてですか?」
男「いや、ちょっと話がしたかっただけ」
少女「違います!」
男「え?」
少女「なんで! 私の手を掴もうとしたんですか!」
男「なんでって……」
少女「やめてください! 私に触らないでください!」
男「まるで痴漢扱いだな」
少女「……っ」
男「……よく泣く」
少女「貴方は、知らないから……っ」
少女「自分の体をすり抜けていく手が……どんなに愛おしくて……切ないことか……!」
男「……」
少女「求められても、返すことができないんです!」
男「……」
少女「手を、握り返すことができな……!?」
男「……」
少女「……」
男「傍にいてくれるだけでいいよ」
23:
少女「……」
男「確かに、こうやって抱き締めるような格好をしてみても……」
男「どこに手を持って行けば丁度いいのか分からない」
少女「……」
男「体温もない。色も薄い」
少女「……」
男「でも、声は聞こえる」
少女「……っ」
男「こうすれば、嗚咽を殺そうとする音さえ、ちゃんと聞こえる」
男「だから近くにいてほしい」
少女「……」
男「話をしよう」
少女「……」
男「俺たちが話すなら……そうだな」
男「心がふわふわするような、ハッピーな話で……いいだろう?」
少女「う、ん……」
男「子供みたいだなあ」
少女「15歳です」
男「そういえば、そんな設定だった」
少女「……」
男「でも、設定なんて全然守る気ないだろう?」
少女「え?」
男「俺が描いてる女の子って、こんなに可愛かったかな」
24:
『求めるもの』
青年「いらっしゃい」
少女「お邪魔します」
青年「……っていうのもなんか変だよな。君はずっとこの机の上にいるのに」
少女「ああ……それもそうですね」
青年「お茶を淹れようか。おばさんに内緒で茶菓子も貰ってこよう」
少女「私は……」
青年「気持ちが大事なんだよ。受け取って」
少女「……」
青年「迷惑ならやめるけど」
少女「ありがとうございます」
青年「うん。じゃあ待ってて」
25:
少女「……随分としょんぼりして帰ってきましたね」
青年「おばさんがいた。二人分のお茶淹れるとこ見られた」
少女「別に大丈夫ですよ。それくらい」
青年「茶菓子持って来れなかった」
少女「お気遣いなく」
青年「俺が食べたかったんだよ!」
少女「ええっ! 見た目通りの子供っぽさですね……」
青年「なんだと?」
少女「いえ! お若いという意味で!」
青年「当たり前だ! 俺はまだ20代だからな!」
少女「10代に見えます……」
青年「今、お前の頬っぺたすげー抓りたい」
少女「口調まで子供っぽくなってます」
青年「これが本当の俺なの」
少女「ミステリアスさの欠片もないですね?」
青年「ミステリアスさ……っていうか、大人な感じって必要なのかな」
26:
少女「それは人によります」
青年「まあな」
少女「落ち着いた人が好きな方がいれば、明るく元気な人が好きな方もいます」
青年「君は?」
少女「……どっちでも、いいです」
青年「ふーん」
少女「身長はどれくらいなんですか?」
青年「大人になると測る機会ないからなー。ま、180くらいかな」
少女「嘘です。170センチもないでしょう?」
青年「分かるなら聞くなよ」
少女「言えるか言えないかが問題なんです。貴方は身長にコンプレックスを感じているんですね」
青年「ぐさーっ。胸が痛いよ、もう」
少女「別にいいじゃないですか。身長なんて」
青年「良くない。これが俺を子供っぽく見せている最大の要因だからな」
少女「大人っぽくある必要はないですよ」
青年「女は大人で知性のある、落ち着いた男が好きなんだ」
少女「だから、そうとは限らないと……」
青年「女の親だってそうだ。俺みたいな男と、あいつみたいな男が並んでいたら、絶対にあいつを取る」
少女「あいつ?」
青年「自称小説家さん」
少女「……」
27:
青年「あいつは頭も良くて、穏やかで人当たりも良かった。おまけに背も高くて、顔もなかなか格好良かった。まあ、ひょろかったけど」
少女「へえ」
青年「世間的には、俺よりあいつの方が上なんだよ」
少女「貴方だって、綺麗な顔してますよ」
青年「知ってる」
少女「頭の良さは分かりませんけど、とても優しい方だとは分かります」
青年「……」
少女「私は、そう思います」
青年「ありがとう」
少女「いえ……」
青年「でもさ、認めて欲しい人に認めてもらえなかったら、本当の自分なんて何の意味もないんだよ」
少女「そんな悲しいこと……!」
青年「あるよ」
少女「……」
青年「好きな人に好きになってもらえなかったら、意味がない」
少女「……」
青年「好きになってもらえるように、変わらなきゃって思うんだ」
少女「……」
青年「ま、俺は失敗したけどさ」
少女「……」
28:
青年「ごめん。全然楽しい話じゃなくなっちゃったな」
少女「貴方は、ちゃんと好きだって言ったんですか?」
青年「え?」
少女「好きな人に、好きだって言ったんですか?」
青年「……いや」
少女「じゃあ、分からないじゃないですか」
青年「分かるよ」
少女「分からない!」
青年「……」
少女「『好きだ』って言われてから気が付く気持ちだってあるんです!」
少女「『好きだ』って言われてから、その人を意識してしまうようになることだってあるんです!」
少女「『好きだ』って言われることを……待っている人だっているんです!」
青年「……」
少女「彼女はもしかしたら、貴方に好きだと言って欲しかったのかもしれないじゃないですか……!」
青年「……」
少女「……」
29:
青年「君はいつも、怒ってばっかりだな」
少女「貴方がそうさせているんです」
青年「そっか」
少女「……偉そうなことを言ってすみませんでした」
青年「うん。なかなかいつも、胸に刺さることを言ってくれるね」
少女「ごめんなさい」
青年「そんな君だから、傍にいて欲しいと思ったんだ」
少女「え……」
青年「君みたいに素直な子なら、俺に何を求めてくれているのか……分かるのになあ」
少女「……」
青年「分かってたよ。彼女が求めていたものは、大人っぽさや知的さなんかじゃないってこと」
青年「そんな理由で、あいつに惹かれたんじゃないってこと」
青年「でも俺は、そう思いたかったんだ。俺に足りないものが、他にあると思いたくなかったから」
30:
少女「彼女はその人のどんなところに……惹かれたんでしょうね」
青年「さあな。でも、良い奴だったことは俺でも分かるよ」
少女「……良かったです」
青年「ん?」
少女「なんでもないです。お茶、気持ちだけでもいただきますね?」
青年「よし! 俺が飲ませてやろう!」
少女「ちょっと! 零れますよ!」
青年「もしかしたら、少しは飲んだ気分になれるかもしれないだろう? おりゃ!」ジャバアッ
少女「うわああああああっ」
青年「ははっ!」
少女「全部零れただけじゃないですか! 下は畳ですよ!? どうするんですか!」
青年「おばさんに怒られるなあ。ははっ!」
少女「もう! 笑ってばっかり!」
青年「君は、怒ってばっかり?」
少女「……」
少女「そんなこと、ないです」
青年「うん」
少女「貴方といると、とっても……楽しいです」
32:
『変わっていく』
女「最近、続きを読ませてくれないね」
男「ごめん。ちょっと描き直したくて」
女「へえ。楽しみ」
男「本当に?」
女「うん」
男「それは良かった」
女「あのお話、わざと切なくしてくれてるんでしょ?」
女「私のために」
男「え……」
女「だって、貴方は楽しいお話が好きだから」
男「……」
33:
女「知ってるよ」
男「小さい頃から、一緒だもんな」
女「うん」
男「ずーっとこの庭で走り回ってた」
女「今思うと何が楽しかったんだろうね」
男「走ってみる?」
女「冗談」
男「おいで」
女「え……」
男「ほらっ!」
女「あっ! 引っ張らないで!」
男「ちょっと、歩こう」
女「……うん」
34:
男「このでっかい木、随分寂しく見えるなあ」
女「見てるだけで寒いね」
男「うん」
女「夏になると、この木の下でよくお昼寝してたっけ」
男「ああ。気持ち良かった」
女「木漏れ日がゆらゆら揺れて、綺麗だった」
男「いつの間にか、そんな風景は見なくなってたな」
女「なんでだろうね」
男「なんでだろう」
女「大人になったから?」
男「だとしたら、子供でいたかったな」
女「……」
男「子供だった頃は、草花と一緒に揺れる君の着物の袖を見て、いいなって……ずっと思ってた」
男「今、すっごく楽しいんだなって」
女「……」
37:
男「君はすばしっこくてさ、全然追いつけなかった」
男「でも、いつからだろうな」
男「君は、走らなくなった」
女「……」
男「綺麗なリボンで髪を結いて、風に靡く袖をそっと抑えて、ゆっくりゆっくり歩くようになった」
女「……」
男「ねえ。なんで?」
女「ひみつ」
男「ええ」
女「ひみつなの」
男「……」
女「子供みたいな顔」
男「お前が意地悪言うからだろ」
女「なんか、懐かしい」
男「え?」
女「一瞬、昔の貴方に戻った。生意気な口調とか」
女「ねえ。どうして?」
男「自分は言わないのに、俺には聞くのか?」
女「それもそうね。……あ!」
男「おい! 引っ張るな!」
38:
女「この鯉、綺麗でしょ? ほら、しゃがんで見て」
男「うん。綺麗な色してる」
女「ふふっ」
男「ん?」
女「あんただって、昔とは随分変わってるよ?」
男「おい……」
女「こうやって近くで見るとよく分かる」
男「これは成長だろ? 俺が言ってるのは、お前が何かを意識して変わっていったような気がするってことで……」
女「あんたのことが好きだったから」
男「え?」
女「たぶん、ね」
男「なんだそりゃ」
女「好きな人の前では綺麗でありたいって、突然思ったの」
男「……」
女「でも、恥ずかしくなってやめちゃった」
男「お前はずっと綺麗だったけど……」
女「あんたを好きでいることを、やめたの」
男「……」
女「……」
39:
男「なんで……」
女「やっぱり、友達のままが良いんだって思ったの」
男「……」
女「好きなんて邪魔なんだって思ったの」
男「……」
女「ずっと一緒だったあんたの前で変わっていく自分が、嫌だったの」
男「……」
女「あんたもさっき言ってたでしょ? 『子供のままでいたかった』って」
男「ああ」
女「私はずっと、そう思ってたの」
男「……」
40:
女「友達としてなら、ずっと一緒にいられるという確信があった」
女「でも、恋人になったら……って想像すると、なんだか自信無くなっちゃって」
男「……なんだよ、それ」
女「あんたはあの頃、想像できた?」
女「私達が手を繋いだり、口づけをしたり、抱き締めあったりするところ」
男「……」
女「ねえ」
男「いや……」
男「お前とは、冗談を言って笑い合ったり……走り回ったり……」
女「そうでしょう? だからあんたは、私に好きだって言わなかった」
男「それは……!」
女「友達以上、恋人未満」
女「それが一番、私達に似合ってた」
41:
男「……」
女「彼のことはね。あんたから気を逸らすために、好きになろうとしたの」
男「……」
女「彼が家に下宿に来た次の日の夜から毎晩。最低だなって思いながら、隣に座って話をした」
女「落ち着いてて、声が小さくて、口調が柔らかくて。あんたとは正反対」
男「悪口か?」
女「ごめんごめん」
男「……続けて」
女「彼はね、いつもどこか寂しげだった」
女「その横顔を見て、胸が苦しくなった」
女「涙が出そうになった」
女「彼はそんな私を見て、言ったの」
男「なんて?」
女「『貴女は僕のことが好きなんですか?』って」
42:
男「はあ?」
女「私、笑っちゃった」
女「ぽかんとする彼の顔を見て、尚更」
男「あいつ、ぼーっとしてるもんな。絶対天然」
女「そうだね。でも、だからこそ彼は素直にそう思ったんだってすぐに分かった」
男「……」
女「そして、いつもより低めの声で言った『好き』という言葉は、私の頭の中を支配した」
女「ついさっきまで、あんたのことでいっぱいだったのに」
男「え?」
女「……でも、自分って分からないね」
女「次の日から、彼の隣に座るのがうんと恥ずかしくなった」
女「それが嫌で、何度も何度も耳にまとわりついた声をかき消そうとしたの」
男「……」
女「それから何枚の暦を破いたかは分からないけれど……」
男「……」
女「『好き』という言葉は、私の中からいなくなってはくれなかった」
43:
『ただ美しい花として』
少女「机の上に飾ってあるのは、なんという花なんですか?」
青年「トリカブト」
少女「へえ。意外と格好いい名前なんですね」
青年「そうだな」
少女「いつ頃咲くんでしょう」
青年「さあ?」
少女「貴方が花を育てているなんて、なんだか似合いませんね」
青年「なんだと?」
少女「貴方は花でも天ぷらにして食べてしまいそうです。ふふっ」
青年「それ、食べたら死ぬよ」
少女「不味くて?」
青年「毒なの。猛毒」
少女「ええっ!?」
44:
青年「だから食べられません」
少女「……」
青年「あれ? どうしてそんな物騒なものを育てているのか聞かないの?」
少女「聞きません」
少女「貴方に、嘘を吐かせたくないので」
青年「君は心を読めるから、嘘を吐いても無駄だろう?」
少女「……そうですけど」
青年「それに聞かれたら、本当のことを言うつもりだけど?」
少女「でも、いいんです」
青年「……そっか」
45:
少女「そうだ」
少女「この花に、水をかけてください」
青年「ん? まあ、いいけど」
少女「お願いします」
青年「それっ」バシャッ
少女「傍に、行灯を置いてください」
青年「はい」
少女「ありがとうございます」
青年「これはどういう意図?」
少女「ただこうすれば、夜でも綺麗に見えるかなって……思っただけです」
青年「……ああ、確かにね」
46:
少女「葉っぱに付いた雫がきらきらしていて、とても綺麗です」
青年「女の子はこういうの好きだな」
少女「はい。とっても」
青年「怖くないの? 人も殺せるの花なのに」
少女「怖くないです。花はただそこにあるだけですから」
青年「……」
少女「持ち主の心次第でしょう? これを毒にするのか、癒しにするのかは」
青年「それもそうだな」
47:
少女「たとえ毒を持っていたって、花は花です」
少女「きっと、綺麗な花を咲かすんでしょうね」
青年「見たい?」
少女「もちろんです」
青年「そっか」
少女「はい」
青年「本当は咲かすつもりなんてなかったけど……」
少女「……」
青年「君のために、もっと愛情を込めて育ててもいいかな」
少女「……嬉しい」
少女「とっても、楽しみです」
青年「うん」
青年「ただ美しい花として……ね」
49:
『嘘つき同士』
女「もう絵本を描くのやめたの?」
男「いや。最近忙しくてさ」
女「嘘。最近は真っ直ぐ学校から帰ってくるじゃない」
男「今は構成を考えてる途中なの」
女「構成? 随分と行き当たりばったりな内容だった気がするけど」
男「気が変わったんだ。ちゃんと描こうって」
女「ふーん」
男「楽しみにしてて」
女「貴方の方が、ずっと楽しそうね」
50:
男「……そう?」
女「可愛い女の子と知り合いにでもなったの?」
男「そうだな。自称美少女さんと」
女「へえ」
男「冗談だよ」
女「どうだか」
男「もしそうだとしたら、逆に家には帰って来ないだろう?」
女「そうね」
男「……」
女「何?」
男「いや、なんにも」
51:
女「……」
男「今夜は月が見えないな」
女「うん」
男「毎晩こうやって、あいつと月を見ていたんだろう?」
女「うん。でも、もっと近かったかも」
男「どんな話をしてた?」
女「楽しい話ばっかり」
男「へえ」
女「彼は意外と面白いの」
男「意外だな」
女「よく笑う……明るい人」
男「俺にはそうは見えなかったけど」
女「私の前でだけだったんじゃない?」
男「……」
52:
男「君は特別だったわけだ」
女「……」
男「どうしたの?」
女「なんでもない」
男「……」
女「……」
男「ささくれ弄るの、癖だよな」
男「……拗ねたときの」
女「拗ねてない……っ」
男「あーあ。無理にちぎるから血が出るんだよ。大丈夫?」
女「これくらい、なんてことない」
男「まあ、舐めときゃ治る」
53:
女「……」
男「やっぱり痛いのか?」
女「……うん」
男「泣くほどって……。ちょっと手貸して」
女「……」
男「もう血は固まってるし、大丈夫だと思うけど」
女「……手」
男「ん?」
女「大きくなったね」
男「ああ」
女「やっぱり、昔とは全然違う」
女「何もかも」
男「……」
女「ごめんね。こんな私になっちゃって」
55:
『嘘に隠した』
少女「すごい雨ですねー」
男「なんて?」
少女「すごい! 雨です!」
男「ああ。そうだな」
少女「雨戸を打つ雨の音が、外の世界の壮絶さを語ってくれています」
男「いい迷惑だ」
少女「縁側に座れなくて残念です」
男「それじゃあ、ここにおすわり」
少女「はいー! ……って、ええ!?」
男「いい反応」
56:
少女「はしたないことをさせないでください! いやらしい顔をしないでください!」
男「15歳の女の子なら、膝の上に乗ることくらい普通だろう?」
少女「そ、そんなことありません!」
男「知ってる」
少女「からかうのはやめてくださいよー」
男「いや、彼女もこういうやり取りをしてたのかなーと思ってね」
少女「自称小説家さんと……二人で?」
男「そうそう」
少女「それはないと思います」
男「なんで?」
少女「な、なんとなくです!」
男「ま、俺もそう思うけどね」
57:
男「彼女は俺に嘘を吐いてるんだ」
男「あいつとはいつも寄り添って、楽しい話をしてたって」
男「その意図は分からないけど」
少女「……」
男「まあ俺も嘘吐いたから、おあいこか」
少女「どんな嘘を?」
男「君のこと」
少女「あ……」
男「言えないだろう? こんな美少女が俺の傍にいるなんて」
少女「ごめんなさい……」
男「こらこら。素直に謝るところじゃないだろ」
少女「私のせいで、嘘を吐かせてしまって……」
男「……」
58:
男「嘘ってさ、そんなに悪いものじゃないと思うよ」
少女「……」
男「その人のための嘘だったり。あえて本当を隠して、気付いてくれるのを待つ嘘だったり」
男「色々あるからさ」
男「俺の嘘は前者。君のためであり、自分のためだ」
少女「……彼女は多分、後者です」
男「……」
少女「彼女はきっと、貴方の肩に寄り添ったり、楽しい話をしたいんだと思います」
少女「ただ素直になれないんだと……思います」
男「そりゃ都合の良い解釈だ」
少女「きっと、そうです」
男「彼女の心、読んだ?」
少女「そんなこと……!」
男「分かってるよ。ごめん」
少女「……やっぱり、嘘は駄目です」
男「……」
59:
少女「たとえ嘘に大切な意味を含ませても、伝わらなければ意味がありませんから」
男「そうだな。『本当を伝える』のには向いていないな。嘘ってのは」
少女「当たり前です」
男「でも、人は嘘を吐き続けるだろう」
少女「……」
男「君だって……」
少女「……」
男「……」
少女「見ないで、ください……」
男「嫌だ」
少女「じゃあ……抱き締めて、ください……」
男「うん」
男「明日から、絵本の続きを描こうか」
少女「……はい」
男「俺はちゃんと受け止めるから。君の涙も……嘘の意味も」
62:
『言わせないでよ』
男「右に行くの? 左に行くの?」
少女「言わせないでよ」
少女「王子様と一緒なら、どこでもいいの」
少女「だから私の台詞はこれ以外あり得ない」
少女「ーーこの手を、離さない」
男「……」
少女「どうしたの?」
63:
男「結局、どっちに行きたいの?」
少女「どっちでもいいわ」
少女「あ、でも、王子様や私に選ばせるのはやめてね」
男「どうして?」
少女「『選ぶ』って、想像よりずっと大変なことなの」
少女「もし私の選んだ方が罠だったら、王子様はきっと怒ってしまうから」
男「愛し合っているなら、そういうことも許し合っていくものだろう?」
少女「違う。私を責めるんじゃなくて、自分を責めてしまうと思うの」
少女「『僕が選ぶべきだった』なんて言ってね」
64:
男「……」
少女「お願い。木の棒を二人で持って倒すとかでいいから」
少女「……どちらかが、負うことのないように」
男「……そうだな」
少女「ありがとう」
男「うーん。なかなか描くの難しいな」
少女「ぎゅっと、手を繋がせてね」
男「わかった」
少女「……うん。いい絵」
男「あんまり見られると描きづらい」
少女「お願い。ここで見ていたいの」
男「……うん」
少女「……」
男「……」
65:
少女「お疲れ様です」
男「んー。疲れたー。久々に描いたから余計に」
少女「肩でも揉んであげられたらいいんですけどね。ふふっ」
男「……それ、わざとやってる?」
少女「え?」
男「なんか、俺が描いてたときとキャラが違うから」
少女「……」
男「今の君が本物で、さっきは絵本の中の少女に乗り移ってるみたいだった」
少女「……」
男「もう何度も聞いたかもしれないけど」
男「君は本当に絵本の中の女の子?」
少女「……」
男「今の君と、さっきの君」
男「どっちが本物なの?」
66:
少女「うう……」
男「昨日言ったこと、覚えてる?」
少女「はい」
男「ちゃんと、受け止めるから」
少女「……ごめんなさい!」
少女「私は貴方に! 二つも嘘を吐いていました!」
男「いやっ……! 土下座なんてしなくても!」
少女「いえ! 誠心誠意、謝りたいんです!」
少女「私が絵本の中の女の子だって言ったこと!」
少女「貴方の心の中を読んでいるって言ったこと!」
男「……」
少女「ごめんなさい……!」
男「分かったよ。お願いだから、顔を上げて?」
少女「本当に! ごめんなさい!」
男「全然怒ってないから。まあ、嘘の理由は教えてもらえると嬉しいけど」
67:
少女「それは……」
男「それは?」
少女「心を読まれていると思い込めば、嘘なんて吐かないだろうと言われたからです」
男「言われた?」
少女「はい」
男「うん、確かに。俺は君に嘘を吐いても無駄だと思った」
男「まあ、正直信じてはいなかったけど……」
男「その人、頭良いね」
少女「誰なのか、聞かないんですか?」
男「それより気になることがあるからさ」
少女「え?」
男「君の正体」
少女「あ……」
少女「えーっと」
男「これだけは、どうしても聞きたいかな」
少女「……はい」
68:
少女「私は、幽霊だったりします」
男「へえ」
少女「えっ。驚かないんですか?」
男「今さら。君が絵本の中の女の子ってことよりは、うんと受け入れやすいよ」
少女「そうでしょうか? 私は幽霊なんて見たら失神していたと思いますけど……」
男「ははっ。その光景、目に浮かぶよ」
少女「もう! 笑わないでください!」
男「で、どうして幽霊の君がここに?」
少女「そ、それは初めて会ったときに言った通りです」
少女「貴方の絵本をハッピーエンドにするために、ここに来ました」
男「そのためだけに?」
少女「……」
男「いや、なんでもない」
少女「私は……」
69:
少女「私は、以前にもこうして物語の登場人物に化けて出たことがあるんです」
少女「それはある小説家が、寝る間も惜しんで執筆していた小説に出てくる……女の子でした」
男「……」
少女「どうしようもなく悲しい物語を、少しでも救いのあるものにしたかったんです」
少女「でも、大失敗でした」
男「……」
70:
少女「どんなに『大丈夫だよ』って。『私は幸せだよ』って言っても、聞いてはくれませんでした」
少女「『これでよかったんだよ』って。『大好きだよ』って」
少女「何度も、言ったのに……」
男「君は……」
少女「その小説の最後は、主人公が絵本の中の少女を殺して終わります」
少女「主人公の愛用していた、ペンで」
男「君は、そいつに……」
71:
少女「そ、そんな悲しい物語を! 貴方には描いて欲しくなくて!」
男「うん」
少女「私はここに来た! ただ、それだけです!」
男「ありがとう」
男「ここに来てくれたこと、すごく感謝してる」
男「絵本のこととか関係なく、君に会えたことを本当に嬉しいと思ってる」
少女「……」
男「だからさ、俺、許せないんだよね」
男「君に嘘を吐かせて、泣かせてる奴がいるんだろう?」
少女「え……と……」
72:
男「ーーなんてね」
少女「え?」
男「この話はこれでおしまい」
少女「でも……」
男「そういえば! 昨日、呉服屋で面白いおばさんにあってさー」
少女「……どうして」
男「ん?」
少女「どうしてそんなに私に優しくするんですか……」
男「……」
少女「……」
男「言わせないでよ」
男「君に嘘を吐かせたくない。君を泣かせたくない」
男「あいつと同じには、なりたくないんだ」
75:
『消えかけの蝋燭』
女「『王子様と一緒なら、どこでもいいの』……か」
男「うん」
女「じゃあこの子は、一体どこまでついていくんだろうね」
男「どこまでも……かな」
女「どこまでもって?」
男「物語が終わるまで……かな」
女「途中で王子様が死んでしまったらどうするんだろう」
男「死なないよ」
女「死んでしまいそうになったら?」
男「そんなこと、ないって」
女「死んでしまいたいと……願ったら?」
男「おい!」
76:
女「ごめんなさい」
男「いや……」
女「……」
男「……」
女「ねえ」
女「消えかけの蝋燭の火を必死に守る手に、一体何の意味があると思う?」
男「……その火が少しでも長く続くように、だろう?」
女「それでもいつか……そう遠くない日に、消えてしまうの」
男「……」
女「蝋燭の火は強い風に吹かれて、揺れて、揺れて……」
女「絵本の中の女の子は、消して欲しいと請いました。消えてしまいたいと泣きました」
77:
男「あの小説の、話……?」
女「主人公は涙を流しながら、それに息を優しく吹きかけただけなのです」
男「そんなことは……!」
女「許されない?」
男「……」
女「そうやって貴方が沈黙するように、正しいとも言い切れないし、正しくないとも言い切れない」
女「それに対してね。正しいと言い張る人もいて、正しくないと胸を張って対立する人もいるの」
女「その誰もが、本当の正解なんて知らない」
男「……」
女「結局は、当人同士の気持ち次第。第三者には分からない」
78:
男「女の子は死にたがっていた。だから主人公は殺した」
女「うん」
男「女の子を殺して、主人公はどうしたんだ?」
女「すぐに、後を追いかけた」
男「……」
女「……小説の中の話よ」
男「もっと詳しく教えて」
女「いいよ」
男「ありがとう」
79:
女「小説の中の主人公は、趣味で絵本を描いていました」
女「驚くことに、その絵本の中の女の子がある日突然、自分の前に現れたのです」
女「物静かで友達の少なかった主人公は、女の子の明るさや無邪気な声に惹かれていき……」
女「女の子もまた、主人公といるのがとっても楽しいと感じていました」
女「しかしある日、女の子は絵本の中のおじいさんに宣告されてしまうのです」
女「『幸せな時間はもうすぐ止まってしまうよ』と」
男「時間が、止まる……」
80:
女「女の子はその事を隠して、主人公といつもの時間を過ごしていました」
女「しかし絵本の中でだけは、大声で泣いていたのです」
女「主人公と楽しい時間を過ごせば過ごすほど、痛んでいく胸を抑えて……」
女「『こんなに悲しいのなら、どうせ止まってしまうなら。いっそのこと今すぐ消えてしまいたい。私のことを消して欲しい』……と」
男「……」
女「そしてその泣き声は、主人公の耳にまで届いてしまいました」
81:
女「主人公はそれを聞かなかったことにしようと思いましたが、日に日に女の子の元気が空回っていくのを見て、耐えられなくなってしまいます」
女「だから主人公は、今まで絵本を描き続けたペンで、女の子の存在を消してしまいました」
女「そして、自分の存在も……」
男「……」
女「そんな、悲しいお話」
男「悲しすぎるだろう」
女「うん」
男「……」
女「他にも大切な場面は沢山あるから……貴方も読んで」
男「いや、今はいいよ」
82:
女「そう」
男「……」
女「貴方はこんな結末にならないように、してくれるんだよね?」
女「楽しみにしてる」
男「……そろそろ寝ようか」
女「そうね。随分冷え込んできたし。風邪、引かないようにね」
男「君も」
女「ありがとう。おやすみなさい」
男「おやすみ」
男「……」
男「君は本当に……死にたかったのか?」
86:
『馬鹿集団』
男「二人で選んだ扉の向こうは、終わりのない深い森」
少女『大丈夫?』
男「王子様の左肩には、追っ手が撃った毒矢の痕」
王子『もう離してください。重いでしょう?』
少女『そんなことないわ! 私はまだ歩けるもの!』
男「少女は右脚を引きずりながら、行く宛もないのに、必死に歩く」
王子『お願いです。降ろしてください』
少女『……』
王子『そして私を……』
少女「ーー『そして私を……殺してください』」
少女「……ですか?」
87:
男「正解」
少女「本当に、意地悪ですね」
男「来ると思った」
少女「酷いですよ。勝手にこんな展開にしてしまうなんて」
男「初めて会ったときにも言ったよ」
男「これは俺の物語だ」
少女「……」
男「危うく君にシナリオを乗っ取られるところだった」
少女「別にそんなつもりじゃ……」
男「じゃあ、参考までに聞くけど」
男「君なら、どうする?」
少女「……え」
男「……」
少女「……」
男「続き、書くね」
88:
王子『私を……殺してください』
男「震える唇から紡がれた王子様の言葉と同時に、足音は止んだ」
少女『何を言っているの!?』
男「少女は王子様をそっと降ろし、肩を掴み、叫ぶ」
王子『私はもう、助からない』
少女『そんなことない!』
王子『これ以上は、私が貴女を苦しめるだけです……!』
少女『……っ!』ペチッ
男「少女の右手は力無く、乾いた音は森のさざめきにかき消された」
男「それでも、王子様に痛みを与えるには十分だった」
王子『……ごめんなさい』
少女『許さないわ……!』
男「二人の涙は、重なった唇の間で交わって、落ちていく」
89:
少女『私は貴方に愛されていると信じていたのに!』
少女『貴方の死が私のためなんて馬鹿なことを言うのなら! 私は何度だって貴方の頬を叩くわ!』
少女『綺麗事なんて嫌いよ! 自分を犠牲にして、誰かの幸せを願うなんて回りくどい愛なんて要らないの!』
少女『ただ、少しでも長く二人でいたいって言ってくれたなら……!』
少女『脚が痛くても! 涙が止まらなくても!」
少女『私はその言葉を信じて、頑張るから!』
少女『私を心から愛していてくれるなら……』
90:
男「……『この手を、絶対に離さないで』」
少女「……」
男「今の俺なら、こうする」
男「好きな人のためなんて考えずに、ただ自分が一緒にいたいから……こうする」
少女「……」
少女「どうしてですか」
男「……」
少女「どうして貴方は! こんなに私を苦しめるんですか……!」
男「君も、あいつにこんな風に言ってほしかったんだろう?」
少女「……」
男「彼女に、あの小説の話を聞いてさ」
男「絵本の中の女の子を君、主人公をあいつにして考えてみた」
男「絵本の中の女の子は『死にたい』と泣いたらしいけど……」
少女「……」
男「君は、あいつに『頑張って生きてほしい』と言ってほしかったんだろう?」
91:
少女「……」
男「……」
少女「……言ってほしかったですよ!」
少女「私は彼に『少しでも一緒にいたい』って言ってほしかった!」
少女「だから、私は布団の中に篭って、わざと……!」
少女「わざと! 彼に聞こえるような声で泣いたんです!」
男「……」
少女「『いっそのこと死んでしまいたい』って……!」
男「……馬鹿だな」
少女「分かってます! でも、私は……!」
少女「『そんなこと言うな』って言ってほしかった……!」
少女「『貴女のことが必要だ』って、言ってほしかった!」
92:
男「……皆、本当に馬鹿だよなあ」
少女「……」
男「そんな自分の思惑通りになることなんて、滅多にないのに」
男「自分から言わなきゃ、伝わらなくても……自分のせいなのに」
男「人は『どうして分かってくれないの?』って、相手のことを責めるんだ」
少女「……っ」
男「俺も、君も、彼女も、あいつも……皆、馬鹿だ」
少女「……はい」
男「でも君はその馬鹿集団から、一番に今、抜け出した」
少女「え?」
93:
男「ちゃんと、言ったから」
少女「……」
男「感情を剥き出しにして、ちゃんと自分の本当を言ったから」
少女「そのために……」
男「これが、君に嘘を吐かせないための方法」
男「泣かせないための方法はまだ、思いつかないや」
少女「もう、嘘は吐きませんよ」
男「本当に?」
少女「はい」
男「嬉しいな」
少女「だから、貴方もちゃんと言ってください」
男「……」
少女「感情を抑えずに、思ったことを」
94:
男「そうしたら、君を泣かせてしまうかもしれない」
少女「いいです」
少女「貴方のための、涙なら……」
男「そんなこと、言っちゃうんだ」
少女「はい」
男「あんまり素直になり過ぎるのも、困ったもんだな」
少女「そうかもしれませんね」
男「じゃあ、また今度」
男「言うよ。ちゃんとね」
少女「待ってます」
男「それまでに思い出すこと、思い出しておこうかな」
少女「どんなことですか?」
男「俺と彼女とあいつの、馬鹿なところ」
95:
『自称小説家の実験』
女「まだ眠っていなかったんですか? 」
小説家「ええ。あ、優しい香りがしますね」
女「ついさっきお風呂に入ったので」
小説家「そうでしたか。それは湯冷めしないうちにお眠りになった方が」
女「せっかく来たんですから、少しお話したいです」
小説家「嬉しいことを言ってくれますね」
女「何をお書きになっているんですか?」
小説家「恋愛小説です」
女「あら、珍しいですね」
小説家「絵本の中の少女に恋をする話です」
女「それは楽しみですね」
小説家「……」
女「どうしたんですか?」
小説家「いえ。あ、縁側の方に行きましょうか」
96:
女「ここ、お気に入りですね」
小説家「ええ。ここに下宿して本当に良かったと思わせてくれる場所です」
女「それは良かったです。……今夜は、月が綺麗ですね」
小説家「ええ」
女「池に写る月も素敵じゃないですか?」
小説家「そうですね。僕には少し、悲しそうにも見えますが」
女「え?」
小説家「それがいいんですけどね」
女「……」
小説家「本当に、良い場所です」
97:
女「じゃあ、ここにずっといてください」
小説家「それは申し訳ないですよ」
女「そんなことないです」ギュ
小説家「こら。異性にそう簡単に触れてはいけません」
女「簡単になんて、してませんよ」
小説家「貴女は本当に……ずるい人です」
98:
女「あの小説、いつ頃書き終わるんですか?」
小説家「もうすぐですよ」
女「一番に、私に読ませてくださいね」
小説家「ええ」
女「……」
小説家「……」
小説家「あの小説は、主人公が絵本の中の少女を殺して終わります」
女「え?」
99:
小説家「彼が愛用していた、大切なペンで」
女「どうして、そんな……」
小説家「僕としたことが。なんだか言いたくなってしまいました」
女「……」
小説家「僕はね。物語は結末が一番大切だとは思っていないんですよ」
女「……」
小説家「だから結末が分かっていたとしても、読んでくださいね」
女「……」
小説家「そしてたまに思い出してください。主人公と少女が、どんな人物だったのか」
女「……」
小説家「おやすみなさい」
女「おやすみ……なさい」
100:
男「おーい! 隣のおばさんに茶菓子もらったから持ってきたー!」
小説家「おやおや。君は今日も元気ですね」
男「あ……」
小説家「そんなあからさまに嫌な顔をしないでくださいよ」
男「……あいつは?」
小説家「夕飯の材料を奥さんと一緒に買いに出かけました。今夜はすき焼きだそうです」
男「じゃあ、中で待ってる」
小説家「どうぞ。夕飯もご一緒にいかがですか?」
男「ここはあんたの家じゃないけど」
小説家「それもそうですね」
男「……」
小説家「お茶をお出ししましょう。縁側にでも座って待っていてください」
101:
男「……ありがとう」
小説家「いえいえ」
男「茶菓子は食べないでよ」
小説家「はい。お二人を待っていましょう」
男「……」
小説家「……」
男「あの、さ」
小説家「はい」
男「あんたは、あいつのこと……好きなの?」
小説家「いきなりですね」
男「二人で話すこと、あんまりないから」
小説家「勿論、好きですよ」
男「ぶっ!」
小説家「とてもお優しくて、可愛らしいですし」
男「……」
小説家「お茶、これで拭いてください」
男「……ありがとう」
小説家「でも、君が心配している『好き』ではないですよ」
男「え?」
102:
小説家「あの子のことを心から愛することができたなら、どんなに良かったでしょうか」
男「……」
小説家「嘘でも、あの子を抱き返すことができたなら……」
男「そんなこと! 絶対に許さないからな!」
小説家「……」
男「本気で愛し合っているなら、俺だって……!」
男「でも、あんたが本気じゃないなら! 絶対に許さない!」
小説家「うん。是非、あの子に聞かせたいです」
男「こんなこと、言ったところで……」
小説家「気持ちは伝えないんですか?」
男「だって、あいつは……」
小説家「随分と弱気ですね?」
男「どう頑張っても、変わらないことはあるだろう?」
小説家「そうですね。君が変わらないと思っているのなら」
男「……」
103:
小説家「人の気持ちなんて、分からないものですよ」
小説家「実は君のことを好きかもしれない」
男「それはないよ」
小説家「どうしてですか?」
男「あいつはそんな女じゃない。好きな奴ができたら、馬鹿みたいに一途に追いかけるような奴なんだ」
小説家「あの子がそう言ったんですか?」
男「ずっと一緒にいたから、分かるんだよ」
小説家「へえ」
104:
男「あいつはあんたと結ばれる」
小説家「そんなことは分かりません」
男「分かるよ。おばさんもおじさんもあんたを気に入ってるし」
男「あんただってあいつを悪く思ってない」
男「近いうちに、あんたとあいつは結婚する」
男「それが結末」
小説家「そのシナリオにはまだ何かが起こるかもしれませんよ?」
男「何かって?」
105:
小説家「例えば、僕がいなくなるとか」
男「……」
小説家「なーんて」
男「そうなっても、あいつはあんたを好きだ」
小説家「頑固ですねー。一途ってそんなにいいものなんでしょうか」
男「……」
小説家「僕はそうは思いませんけどね。一人に執着してしまったら、その人がいなくなったとき、どうするんですか?」
男「え……」
小説家「もし僕がいなくなったら、あの子はどうすると思いますか?」
男「おい……!」
106:
女「ただいまー。あ、いらっしゃい」
男「あ……」
小説家「おかえりなさい」
男「……おかえり。茶菓子、持ってきた」
女「あ! 私それ大好きなの。ありがとう」
女「お茶、温かいの淹れてくるね」タタタッ
男「……知ってるよ」
男「好きなものくらい……」
小説家「……」
小説家「僕は知りませんでした」
男「え?」
小説家「僕はあの子の好きなものをあまり知りません」
男「なんで? そんなこと話す機会なんていくらでもあっただろう?」
小説家「僕達は、そういう楽しい話はあまりしないんです」
男「……」
107:
小説家「さっきの質問ですけど」
男「……」
小説家「どうすると思いますか?」
男「あいつは、あんたを追いかけて……」
小説家「それが答えですか」
男「……」
小説家「もしあの子が本当にそれを望んだら、どうしますか?」
男「俺は……」
小説家「止めませんか。なるほど」
男「……」
小説家「むしろ、協力すらしてしまいそうですね」
小説家「僕はそんな君を愚かだと嘲笑いましょう」
108:
家「あの子は君が思っているような女の子じゃないですよ」
小説家「あの子はずるいんです。素直じゃないんです」
男「……うるさい!」
小説家「君は昔のあの子が好きなのでしょう? でも、少しは今のあの子も見てあげたらどうですか?」
男「今のあいつは! あんたのことが好きじゃないか!」
小説家「自分のことを好きじゃない人なんて、好きになれないということでしょうか」
男「……」
109:
小説家「だったら、あの子もそうかもしれません」
男「……」
小説家「誰かに好きと言われてから、その人を好きになってしまうことだってあります」
男「他に好きな奴がいてもか?」
小説家「君はそれを許しませんか? 一途ではないからと」
男「……」
小説家「人はね。自分が弱ってしまっているとき、誰かにすがりたくなるものなんですよ」
小説家「それは、悪いことではないんです」
小説家「君に、そんなときが来るかは分かりませんが」
男「……」
小説家「さ、僕のお節介は終わりです」
小説家「あの子、遅いですね。見てきましょうか」
110:
男「……いなくなるなよ」
小説家「え?」
男「あいつが、悲しむから」
小説家「君って人は……」
小説家「何も分かっていない」
小説家「でも僕は意地悪ですから、君に全てを教えたいとは思わない。それに、これは君に気が付いてほしいことですからね」
男「……」
小説家「実験、しましょうか」
男「……なんの?」
小説家「僕がいなくなったら、どうなるのか」
111:
女「入りますよ」
小説家「はい。どうぞ」
女「小説、書き終わったんですか?」
小説家「ええ」
女「じゃあ、約束通り読ませてくださいよ」
小説家「明日になったら読ませてあげます」
女「どうして?」
小説家「どうしても、です」
女「分かりました。まあ、明日はもうすぐですから」
小説家「冬の夜は長いですよ」
女「貴方と一緒なら、それもいいです」
小説家「……」
112:
女「今夜は月がありませんね」
小説家「そうですね」
女「悲しくありませんか?」
小説家「え?」
女「池の水面に写る月が、悲しそうだと言ったので」
小説家「ああ……そうですね。完全にいなくなってしまえば、悲しくもなくなるでしょう」
女「私はあまり頭が良くないですから、貴方の言っている意味が分かりません」
113:
小説家「もうすぐ分かるかもしれませんよ」
女「分かりたくありません」
小説家「……」
小説家「貴女は、僕がいなくなったらどうしますか?」
女「やめてください」
小説家「たとえば、ですから」
女「嫌です」
小説家「……耳を貸してください」
女「え……」
114:
小説家「これは僕がーー」
女「……やめて」
小説家「ーーいないのです」
女「やめてよ……!」
女「……っ」バッ
小説家「……小説、返してください」
女「いや!」
小説家「お願いです。でないと……」
女「いや……あっ!」ドサッ
小説家「……」
女「……」
小説家「あと、何センチなんでしょう」
女「……」
小説家「このまま、貴女に触れることができたなら……」
女「……」
小説家「でも、駄目なんです」
女「……」
115:
小説家「大丈夫ですか?」
女「……」
小説家「息を止めたままでは、苦しいでしょう?」
女「……っ」フルフル
小説家「……」
女「……」
小説家「……」
女「……見ないで」
小説家「僕のために、泣いてくれていると思っていいんでしょうか」
女「私は……」
小説家「はい」
女「本当に、貴方のことが好きで……!」
小説家「分かっています」
小説家「僕も、貴女のことが好きです」
女「……」
小説家「でも、一番じゃない」
116:
小説家「貴女も、そうでしょう?」
女「……」
小説家「貴女も彼も、どうしてそんなに不器用なんでしょう」
小説家「好きだから故に、絶対に離れない方法を選んだ」
小説家「だからずっと、友達のままでいるんでしょう?」
女「……」
小説家「でも、貴女も彼もとても苦しそうだ」
小説家「それじゃあ、意味がない」
女「私は……」
小説家「だから、実験をしましょう」
女「実験?」
小説家「僕がいなくなったら、どうなるのか」
女「そんなの……!」
小説家「そして、僕に穏やかなひとときをくれた貴女に……」
小説家「ある、プレゼントをしたいと思います」
117:
男「目、どうしたんだよ」
女「……」
男「なあ」
女「……」
男「あいつは? 出掛けるなんて滅多にないよな?」
女「……数日前に、亡くなった」
男「え……」
女「自殺したの」
男「な……」
女「ずっと愛用していた、万年筆で」
男「なん、で……」
女「私は知ってる」
女「彼はずっと苦しんでた。辛かった。私なんかより、ずっとずっと……!」
男「……」
女「全部、全部、ここに書いてあった……!」ギュ
118:
男「その小説は……」
女「他の原稿は、全て燃やされていたから……」
女「だから、これが唯一……彼がここに残してくれたもの」
男「なんだよ……それ」
女「……」
男「……絶対に、いなくなるなって……言ったのに」
女「……」
男「……」
女「忘れない。絶対に」ギュ
男「え?」
女「彼の言った言葉の意味が、やっと分かったの」
男「……なんて?」
女「ーー自称小説家は言いました」
122:
『熱に浮かされて』
男「つめた……」
女「それだけ貴方が熱いの。どうして、すぐに私を呼んでくれなかったの?」
男「今日はおばさんもいないし、家のことで忙しいかなーと思って」
女「そんなの、放ってでもこっちに来るわ」
男「……ありがと」
女「……貴方は、私を何だと思ってるの?」
男「へ?」
女「私は熱に浮かされている貴方を見つけて、『しまった!』って思ったの」
女「『もっと早くこの戸を開けていれば!』って、思ったの」
男「心配、してくれたんだ」
女「……当たり前でしょ」
男「ありがとう」
123:
女「体を拭くから、じっとしてて」
男「自分でやるよ」
女「じゃあ、背中だけ私がやるから。終わったら声をかけて。後ろ、向いてる」
男「別に見ててもいいけど?」
女「そんな趣味はないの」
男「そっか」
女「……」
男「……」
女「……」
男「……じゃあ、お願いします」
女「……はい」
124:
女「貴方って、まるで女性のように線が細いのね」
男「嫌味か?」
女「うん」
男「自分だって、随分と細いだろう」
女「褒め言葉?」
男「……違う」
女「分かってるよ。もっと健康的にならないといけないって」
男「……」
女「肌の色も、雪みたいだって」
女「私が雪の中を駆けて行ったら、きっと見失ってしまうって」
125:
男「あいつが言ったの?」
女「……うん」
男「俺なら『お前は立派な雪だるまになれるな』って、言うと思うけど」
女「で、私が引っ叩くんだ」
男「そうそう」
女「子供みたい」
男「いや、子供だな」
女「……」
男「……子供、なのかな」
女「……ちょっと!」
126:
男「こうやって触っても……」
女「手、熱い……」
男「お前が冷たいんだ」
女「違うよ。貴方は熱が……」
男「『あんた』でいいよ」
男「あの頃みたいに」
女「駄目」
男「なんで?」
女「これが、最後の……」
男「……」
女「貴方と私の間に作った……壁なの」
127:
女「これを壊したら……私は……」
男「あいつを、忘れてしまう?」
女「……」
男「まあ、完全に忘れてしまうなんてのは、大袈裟だけど」
男「お前は、自分の中からあいつが薄れていくのを恐れてる」
女「……」
男「ずっと机の上に置いてあるよな。あの小説」
女「……」
男「俺、お前があいつのこと本気で好きだって、分かってたよ」
男「だから俺はずっと、お前はあいつの傍に行きたいんだろうなって思ってた」
女「……」
128:
男「お前がそうしたいなら、俺はそれを止めようとは思わなかった」
男「むしろ、俺が……」
女「やめて! 言わないで!」
男「……」
男「……でも、あの花は」
女「……花?」
男「ただ、美しい花として咲かせることに決めたんだよ」
男「俺のしようとしていたことは、馬鹿なことだって気付いたから」
女「……」
男「俺さ、あいつに実験をしようって言われたんだ」
女「え……」
129:
男「あいつがいなくなったら、どうなるのか」
男「結果は、お前が苦しんだ」
女「……」
男「あの小説のおかげで、尚更」
女「……彼は、悪くないよ」
男「……」
女「彼は、私と貴方のことを心から考えてくれてた」
女「今思えばそれは、とっても馬鹿な実験だったのかもしれないけど」
女「でも、私達には必要なことだった」
男「……」
130:
女「私も言われたの。実験をしようって」
男「お前も?」
女「彼はきっと結果がどうなるのか分かっていたから、そんなことを言ったの」
女「まだ、この実験は終わってない」
男「どういうことだよ」
女「ごめん。言えない」
男「なんで」
女「本当のことを話したとき、貴方はきっと、私が一番の馬鹿だって気付くことになる」
男「……」
女「これは私の我儘なの」
女「本当はもう、自分から手に入れられるものだって分かってるけど……」
女「でも……」
女「私は、彼からのプレゼントが届くのを……待ちたいの」
134:
『小説の意味』
少女「体の方は大丈夫ですか?」
男「ああ。良くなったよ」
少女「それは良かったです」
男「でも、なんか温もりが足りないなあ。膝枕してほしいなあ」
少女「彼女にしてもらえばいいじゃないですか!」
男「なに膨れてんの?」
少女「私は元々こういう頬っぺたです」
男「うん。抓りたくなる」
少女「……この光景、誰かが見たらどう思うんでしょうね?」
男「男が一人、暗い部屋で空気を抓んで引っ張っている様か……恐ろしいな」
少女「ある意味、幽霊よりも怖いです」
男「まだ熱があって、頭がおかしいことにしとけばいいさ」
135:
男「……熱のせいにするのもあれだけど」
男「多分熱のせいで、言わなくてもいい事も言っちゃったんだろうなあ……」
少女「昨夜ですか?」
男「うん。彼女にね。ぼーっとした頭で、何言ってんだか」
少女「……でもそれは、きっと貴方の言いたかったことですから」
男「……うん」
少女「私も聞きますよ。貴方の本当を」
男「……泣かせるかもしれないけど」
少女「だから、貴方のためならいいんです」
男「ありがとう」
少女「聞かせてください」
男「うん」
136:
男「……俺はやっぱり、あいつを許せない」
少女「……」
男「自分のために泣いたり、苦しんだりしてくれる人が、ずっと傍にいたのに」
男「自分が殺した女を追って、自分も死ぬなんて……!」
少女「……はい」
男「あんな小説なんか残して! 何が『これは僕が死んでから意味を持つ』だよ!」
男「残された人を縛り付けるだけで! 何の意味もないじゃないか!」
少女「……」
137:
男「あいつは何も残すべきじゃなかった!」
男「思い出すきっかけなんて、残すべきじゃなかったのに……!」
少女「……」
男「……ごめん」
男「やっぱりまだ、熱あるみたいだな。感情的になっちゃった」
少女「……ごめんなさい」
男「なんで、君が……」
少女「あの小説を書いてほしいと言ったのは、私だから」
男「……え?」
138:
少女「私は自分の体が動かなくなったとき、彼に言ったんです」
少女「『私達が過ごした日々を、忘れられない大切な言葉達を……貴方の万年筆で素敵な物語にしてください』って」
男「……」
少女「『それは私が死んでから、大きな意味も持つから』……って」
男「じゃあ、あの言葉は……」
少女「はい。私が彼に言った言葉です」
少女「私は自分が死ぬことより、忘れられることの方が怖かったんです」
男「……」
少女「たくさん想像しました」
少女「『彼にもいつかまた、好きな人ができるんだろうな』とか」
少女「『その人と一緒に笑ってご飯を食べたり、たまには喧嘩をしたりするんだろうな』とか」
少女「『それはきっと、楽しいんだろうな』……とか」
139:
男「それが、普通なんだよ」
少女「うん。分かってた。……分かっている、つもりでした」
少女「でも、やっぱり苦しくて」
少女「完全に忘れられるはずがないと信じていても、どうしても怖かったんです」
男「……」
少女「だから小説を書いてって、お願いしました」
少女「そして私が死んだら、それを本棚の一番奥にしまっておいてほしいと言いました」
男「どうして……」
少女「手の届く場所では駄目なんです」
少女「彼が、私を忘れられないから」
男「矛盾してる」
少女「ふふっ。そうですね」
男「……」
少女「私は忘れられたくもなかったけど、負ってほしくもなかったんです」
140:
少女「私が死んだ次の日から普通にご飯を食べて、誰かと笑い合ってほしかったんです」
少女「私のことで悲しみ、涙を流し続けるより、その方がずっと良いと思いました」
男「……」
少女「本棚の奥でどんどん色褪せていって……」
少女「ふとしたときに手に取って
もらって、読んで、思い出して、涙を流してもらえたらいいなって」
少女「そしてまた、私は本棚の奥で褪せていけばいいやって」
男「本当に、それでよかったのか?」
少女「はい。これは嘘偽りのない、私の我儘。本当の気持ちでした」
男「なのに、あいつは……」
少女「私が『死にたい』なんて言ったからいけなかったんです」
少女「私は思った以上に、愛されていたのかもしれませんね。ふふっ」
141:
男「……っ」スッ
少女「ありがとうございます。抱き締めてくれて」
男「……」
少女「私のために、泣いてくれて」
男「あいつは……やっぱり馬鹿だ」
少女「許せませんか?」
男「ああ。許せない」
男「でも……」
少女「……」
男「俺は、あいつと同じことをしようとしてたから……」
少女「ええ」
男「あいつのことを愛していた彼女を、絵本が描き終えたら……」
少女「言わなくていいです。貴方にはもう、その気が無いって分かっていますから」
142:
少女「心なんて読めなくても、分かります」
男「うん」
少女「実は、私をこちらに寄こしたのは彼なんです」
男「知ってた」
少女「自分と同じ過ちを犯そうとしている貴方を、どうしても止めたかったようです」
男「じゃあ、あいつが直接来ればよかったじゃないか」
少女「駄目ですよ」
少女「私が嘘を吐いてまでここに来た理由」
男「……」
少女「貴方に嘘を吐かせないためです」
143:
少女「貴方はきっと、彼の前では素直になれなかったでしょう?」
男「……」
少女「彼も心が読めるわけではありませんが、貴方のことはお見通しでした」
男「うん」
少女「お二人は、本当は、仲が良かったんですね」
男「……うん」
少女「その涙で、彼も救われることでしょう」
少女「私も、嬉しいです」
男「……」
144:
少女「あ、そうだ」
少女「この机の裏を探ってみてください」
男「ん? なんか貼ってある。……なんだ、この封筒」
少女「あの小説に使われなかった原稿。最終章の一部です」
少女「私ではなく、彼女を選んだ場合の結末です」
男「……」
少女「彼は最後の最後まで、どちらのエンドにするか迷っていたんですよ」
男「……」
少女「それが正しかったのかは、読み手が決めることです」
少女「でも、これだけは私から胸を張って言わせていただきます」
少女「あれが彼にとっての、ハッピーエンドです」
145:
男「うん。そうだな」
少女「その原稿を彼女に見せるかどうかは貴方におまかせします」
男「これ見せたら、あいつのこともっと好きになったりしないかな」
少女「馬鹿ですね」
男「そうかな」
少女「全く、素直じゃないです」
男「……うん」
少女「彼女が欲しい言葉、本当は分かっているんでしょう?」
男「分かってるよ。本当は、ずっと前から」
少女「なのに言わないなんて、やっぱり意地悪ですね。ふふっ」
男「簡単に笑ってくれるなあ」
少女「え?」
男「その原因のちょっとは君にあるんだってこと……分かってる?」
146:
『届いた』
男「『決してそれは消えたりしない』」
男「『月が、そこにあり続けるかぎり』」
女「どうしたの? 急に」
男「君が言っていた言葉の意味、分かったから」
女「……」
男「君の言っていた月は、その小説のことだったんだろう?」
女「……」
男「違う?」
女「どうかな」
男「それをずっと手放せないから、君はあいつに縛り付けられたままなんだ」
男「それ、どこかにさ、大事にしまっておこうよ」
女「……」
147:
男「ふとした時に思い出して、読んで、またあいつを想えばいいんじゃないかな」
男「あいつも、それを望んでいると思う」
女「うん。素敵な綺麗事ね」
男「え?」
女「貴方の言葉じゃないみたい」
男「……」
女「ね?」
男「あー。やっぱり、こんなのは俺に似合わないか」
女「どこで覚えてきたの? その台詞」
男「ひみつ」
女「えー。教えてよー!」ドサッ
148:
男「ちょっ……熱でもあるのか?」
女「単なる気まぐれ」
男「気まぐれでいい年した男女が、こんな体制になっちゃいけないと思うんだけど」
女「じゃあ、満月のせい」
男「満月さんも、とんだとばっちりだなあ」
女「……あの封筒、開けたの」
男「ああ。あれね」
女「机の上に置かずに、直接渡せば良かったのに。素っ気ないね」
男「ごめん。で、何が入ってた?」
女「ひみつ」
男「なんだそれ」
女「貴方も私に、秘密してるじゃない」
149:
男「だって、信じないだろうし」
女「私の話だって、きっと信じないよ」
男「なんで」
女「あの小説のね。絵本の中の女の子が消えた後の……違う話が入ってた」
男「へえ」
女「まるで知っていたみたいな反応」
男「そんなことないって。で、どんな話だったの?」
女「主人公と主人公の下宿先の娘が結婚して、ハッピーエンドでした」
男「……」
女「娘に淡い恋心を抱いていた少年は、涙を堪えながら、二人を祝福していました」
女「ね? 信じたくないでしょう?」
男「あいつ……なかなか酷いな」
150:
女「でも、実際どうなってたと思う?」
男「え?」
女「もし、彼が今もここにいたとしたら」
男「……多分、その原稿通りになったんじゃないかな」
女「私も、そう思う」
女「ずっとあんたに好きだって言わないまま、彼を一生愛していく道を選んだと思う」
男「俺も、それを大人しく見ているだけだっただろうな」
女「そんな結末にならないように……してくれたんじゃない?」
男「ということは、あいつは俺達のために死んだのか?」
女「それは違うよ」
151:
女「でも背中を押してしまったのは、私達かもしれないね」
男「……会いたかったんだろうな」
女「うん。ずっと会いたかったんだと思うよ」
男「すっごく、いい子だしな」
女「え? 知ってるの?」
男「いや! あいつがそんなに好きになるくらいだったら、そりゃいい子なんだろうなー……って」
女「ふーん」
男「……で、いつまでこの体制なの?」
女「そうね。縁側に座ろうか」
152:
男「やっぱ、いい場所だな。ここ」
女「じゃあ、ここにずっといてください」
男「……」
男「今度は俺が押し倒す番かな?」
女「そうだね」
男「……」
女「……」
男「好きだよ」
女「うん」
男「知ってた?」
女「……うん」
男「俺も」
女「……っ」
女「ごめん。ちょっと……泣かせて」
男「いいよ」ギュ
女「……届いたよ。貴方からの、プレゼント」
157:
『知らない』
少女「だーれだ」
男「だれですか?」
少女「ええっ」
男「冗談」
少女「もー」
男「ひやっとした?」
少女「しました」
男「大成功」
少女「意地悪」
男「……実は本音だったりして」
少女「え?」
158:
男「そんなことより、こっちにおいで」
少女「……そんなことって」
男「正座じゃなくてさ、こう……両脚を放り出してさ」
少女「ふふっ。そんなにばたばたしなくても」
男「楽しいだろう?」
少女「こうですか?」
男「うん。いい感じ」
少女「やった」
男「ははっ」
少女「どうして笑うんです?」
男「無邪気だなーと思って」
少女「それは貴方の方ですよ」
159:
男「俺、そんなにいい顔で笑えてるかな?」
少女「それって……」
男「うん。君の笑顔が素敵だって意味です」
少女「……」
男「ドキッとした?」
少女「やめてください……本当に」
男「君には意地悪したくなるんだ」
少女「いい迷惑です」
男「ごめんごめん」
少女「彼女に長年『好き』って言えなかった人とは思えないです」
男「なかなか酷いことを言うね」
少女「貴方が言わせているんですよ」
男「そうかなー」
160:
少女「私と彼女は、貴方の中で全然違う」
少女「彼女には素直に言えないことでも、私には言える。それって、そういうことでしょう?」
男「あいつと俺だって、君の中では違うだろう?」
少女「違わないと困ります」
男「俺もそうだよ」
少女「……ちゃんと意味、分かってるんですか?」
男「うん」
少女「……」
男「……」
少女「いい天気ですね」
男「唐突だな。でも確かに、ひなたぼっこ日和だ」
少女「そういえば、絵本は描かなくていいんですか?」
男「ちょっと休憩」
少女「……随分と長い休憩です」
161:
男「あー。子供達がうるさいなー」
少女「鬼ごっこでしょうか?」
男「そうだろうな」
少女「声だけで楽しそうなのが伝わってきます」
男「君は走るの得意だった?」
少女「そう見えますか?」
男「その見た目じゃあ、分からないな」
少女「あ……」
男「君は今、俺が描いた絵本の中の女の子だろう?」
少女「そうでした」
少女「すっかりこの姿に慣れてしまっていて、忘れていました」
男「君が『センスがない』って言ったの、まだ覚えてるよ」
少女「それに貴方は『裸にしてやる』なんて返してきましたよね」
163:
男「懐かしいな」
少女「毎日は会っていないとはいえ、長い時間を一緒に過ごしましたね」
少女「まだ、花は咲かないようですけど」
少女「なんだかこの姿にも愛着が湧いてきました」
男「あいつのところへ行くときは、その姿じゃないの?」
少女「はい」
男「想像できないな」
男「君じゃない、君なんて」
少女「……」
男「いや、それでいいはずなんだけどさ」
男「知りすぎたら駄目だって、分かってるんだけどさ」
少女「……」
男「でも、もう一度『だーれだ』って言われたら……」
男「俺は君に『だれですか?』って、聞いちゃうんだろうな」
167:
『もうひとつの嘘』
少女「おはようございます」
男「うわっ!? ……あ、いつの間にか寝ちゃってたのか」
少女「もうすっかり夜になってしまいました」
男「寝顔見たね?」
少女「もうばっちりです」
男「この上着は?」
少女「とても綺麗な方が、そっと掛けていきました」
少女「髪の毛、指先で弄ばれていましたよ?」
男「あいつ……」
少女「とても温かくて、微笑ましい光景でした」
男「……」
168:
少女「貴方の髪は少し硬そうですね」
男「君のはふわふわしてそうだな」
少女「頬っぺたは柔らかそうですよ?」
男「君には負けるよ。多分」
少女「……」
男「……」
少女「たぶん……」
男「うん」
少女「そう、ですね……っ」
男「ずっと、我慢してたの?」
少女「……はい」
男「……」
少女「止めてください……この、涙」
男「……無理だよ」
少女「じゃあ、拭ってください」
男「……ごめん」
少女「……」
男「……」
169:
少女「じゃあ、教えてください」
少女「どうして私は……泣いているんでしょう」
男「それは……」
少女「貴方の寝顔を見て、寝息を……寝言を聞いて」
男「何か……言ってた?」
少女「彼女の名前を……とっても、愛おしそうに」
男「……」
少女「私、思っちゃったんです」
少女「もし、貴方に本当の名前を教えていたらって……」
少女「そうしたら私も、眠っている貴方に、名前を呼んでもらえたのかなって……」
男「……」
少女「思っちゃったんです」
少女「駄目なのに。そんなこと思っちゃ……駄目なのに」
170:
少女「今だって、こんなに近くにいるのに……っ」
男「……」
少女「私も彼女みたいに、貴方の髪に触りたいです」
少女「少しでも、いいから……!」
男「……」
少女「……」
男「『すり抜けていく手が悲しくて愛しい』って言った君に」
男「『傍にいてくれるだけでいいよ』って言ったの、覚えてる?」
少女「……はい」
男「あの時の言葉、取り消したいよ」
少女「え……」
男「ここからは、彼女には秘密の話」
少女「……」
171:
男「俺さ、あいつに言われたんだ」
男「『人は自分が弱ってしまっているとき、誰かにすがりたくなるものだ』って」
男「その気持ちを、俺は少し前まで体験してた」
少女「私で……ですか?」
男「うん」
男「彼女もあいつにこんな風に惹かれていったんだって、よく分かった」
少女「……」
男「でも、俺はそれ以上に行っちゃうそうで……」
少女「……」
男「今、すごく抑えてる」
男「その最後の壁が、君の本当の姿や名前を知らないでいることなんだ」
少女「なのに、私は……」
172:
男「こんなに人の涙が愛しいと思ったの、初めてだよ」
少女「……だから、そんなことを言われたら……」
男「ごめん。君には全部、素直に言いたくなる」
男「なんでだろうな?」
少女「お願いだから、嘘つきでいてください」
男「君は心を読めるんだろう?」
少女「お願いだから!」
男「……」
少女「意地悪は……やめてよ」
男「……ごめん」
少女「……っ」
男「……」
少女「……」
173:
男「……落ち着いた?」
少女「はい」
男「空が白くなったきたな」
少女「そうですね」
少女「……一人で過ごす夜と、二人で過ごす夜」
少女「それは同じ度で色を変えていくはずなのに」
少女「こんなときばっかり、せっかちです」
男「うん」
少女「……朝なんて、来なければいいのに」
男「こらこら」
少女「嘘ですよ」
男「もう何が本当で、何が嘘なのか分からないな」
少女「貴方が本当だと信じたいものを、本当だと思ってください」
男「……うん。そうだな」
174:
少女「実は私、もうひとつ吐いていた嘘があるんです」
男「嘘?」
少女「はい。これは最後に、どうしても言っておきたくて」
男「……最後、か」
少女「貴方はここ。私は向こうです」
少女「たった今、そう思いました」
少女「私はこれ以上、ここにいてはいけない」
男「……」
少女「私がずっとここにいたら、誰も幸せになれない」
少女「貴方は、彼女を愛していくんでしょう?」
男「……」
175:
少女「なんなら、右に行くか左に行くか。木の棒を倒して決めてもらってもいいですけど」
男「……意地悪だなあ」
少女「貴方にも負けませんよ」
男「ははっ。……木の棒なんて、必要ないよ」
少女「貴方の中に、ちゃんと答えがあるからですね」
男「うん」
少女「彼女がいる方の扉を開けたら……」
少女「その先は、きっと素敵な物語です」
男「うん」
少女「……目を、瞑ってください」
男「え?」
少女「……」
男「……」
176:
少女「これくらいなら、許してくれるでしょうか」
男「あいつ、すっごく怒ってるかも」
少女「戻るのが怖いです」
男「あいつはどうやって怒るんだ?」
少女「背筋をぴんと伸ばして正座して、無言の圧力をかけてきます」
男「ははっ。それに耐え切れなくて、必死に土下座する君の姿が目に浮かぶよ」
少女「貴方の中の私って、何なんですか?」
男「そうだなー」
少女「……聞くのが怖いです」
177:
男「可愛い女の子」
少女「へ?」
男「その間抜けな顔とか」
少女「……」
男「そう言われてすぐキリッとするとことか」
少女「ええっ」
男「で、最終的にはいつも泣きそうな顔になる」
少女「……何も言えないです」
男「ごめん。本当にごめん」
少女「別に、怒ってないですよ?」
男「いや。これを言ったら、君は嫌な気持ちになるかもしれない」
少女「……」
男「でも……」
少女「はい」
178:
男「俺は、君が幽霊で良かったって……思ってる」
少女「……」
男「意味、分かるよな?」
少女「はい」
少女「私も、そう思ってます」
少女「意味、分かりますよね?」
男「うん」
少女「……」
男「……うん」
少女「意外と泣き虫なんですね?」
男「君には、負けるよ」
少女「……絵本、頑張って描いてくださいね」
男「うーん。ずっとサボってたからなー」
男「絵本を終わりにしなければ、君がずっとここにいてくれるような気がして」
少女「……」
179:
少女「もう。そんなことを言ったら、彼女に怒られてしまいますよ」
男「そうだな」
男「彼女には、秘密にしといて」
少女「はい」
男「あと、これから言うことも」
少女「……」
男「俺は、君のことがーー」
少女「ーーおっと! 忘れてしまうところでした」
男「え?」
少女「私が吐いていた、もうひとつの嘘のこと」
男「……」
少女「私、貴方の絵本をハッピーエンドにしたいなんて言ってましたけど」
少女「本当に、ハッピーエンドにしたかったのは……」
180:
『物語の最後の続き』
女「二人はずっと手を繋いでいたのね」
男「うん」
女「まさか途中でドラゴンが出てくるだなんて思わなかった」
男「うん」
女「王子様の怪我もいつの間にか治ってるし」
男「うん」
女「やっぱり、ちゃんとした構成なんて考えてなかったんじゃない」
男「ごめん。途中で描くの、無理になっちゃってさ」
女「……でも、二人がとっても幸せそうだから、いいんじゃない?」
男「俺が拘った部分は、そこだけだから」
女「いいと思うよ。すっごく」
男「……ありがとう」
181:
女「この二人は、この後どこに行くんだろうね」
男「物語はここで終わりだけど?」
女「つまらないことを言わないでよ」
男「ええっ」
女「物語の最後の続き。……想像しないの?」
男「うーん。例えば?」
女「たとえハッピーエンドでも、その後ずっと幸せが続くとは限らない……とか」
男「おい。雰囲気ぶち壊し」
182:
女「たとえバッドエンドでも……二人はもう一度、幸せになるかもしれないよね?」
男「……」
男「ああ。あの小説の中の二人は今、すっごく幸せだと思うよ」
女「……」
男「俺には分かる」
女「なんで?」
男「なんでだろう?」
女「いつもそうやってはぐらかすよね?」
男「そんなことよりさ!」
女「そんなことって……。なに? その手」
183:
男「握って?」
女「……ん」ギュ
男「……」
女「……」
男「俺の言ったこと、信じて」
女「信じてるよ」
女「私も、そうだと思う」
女「そうだったらいいなって、心から思う」
男「うん」
184:
男「そうだ。これからさ、俺達はずっと一緒にいるわけだろう?」
女「え?」
男「ここに、さ」
女「……うん」
男「だから、絶対に守らなければならない約束を言おうと思う」
女「なに?」
男「右に行くか、左に行くか。迷ったら二人で木の棒を倒そう」
女「……絵本の中の二人みたいに?」
男「そう。その先に何があっても、どちらかが負うことのないように」
185:
男「二人で、乗り越えられるように」
女「……うん。分かった」
男「お、意外と素直」
女「あんたって、雰囲気とか考えないの?」
男「残念ながら」
女「馬鹿」
男「……」
女「……」
男「約束はこれだけでいいかな?」
女「もうひとつ、あるでしょ?」
男「なに?」
女「分かってるくせに」
男「分からないなー」
女「言わせないでよ」
男「聞かせてよ」
女「ーーこの手を、離さない」
おわり
186:

187:
乙!
188:
>>186
>>187
読んでいただき、ありがとうございました!
189:
とてもよかった!
190:
>>189
ありがとうございます!
書いて良かったです。
191:
軽く感動した。
19

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