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人生の一区切りがついたんで、良かったら話をさせてください


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大した話でもないけど、人生の区切りとしてちょっと聞いてください
3 以下、
私は1980年代の中ごろの冬に東京のとある場所で生まれました。
生まれた瞬間の事は良く知らないけど、決していい状態ではなかったそうです。
自発呼吸が出来ずに、集中治療室的なところに入っていたそうです。
それの影響か、もともと身体が弱いからなのかはわかりませんが色々厄介な体になっています。
ありがたいことに、まずは五体満足です。
ありがたいことに、知恵に遅れもありません。
厄介なことと言うと、皮膚が異常に弱いということとホルモンのバランスがおかしいということ。
4 以下、
そんな身体に生まれてきてしまった私は子どもの頃から、あれは駄目!これは駄目!と厳しく言われてきました。
それと同時に家柄的な部分で躾けも相当でした。
躾けの部分に関しては親に感謝してる部分もありますが、正直過度だったかなと思う所もあります。
幼稚園、小学校となり誰かのお友だちの家に行く機会があると絶対褒められました。
5 以下、
ただ、そのあまりの良い子ちゃん具合が気に入らない人たちが出てきました。
最初のうちはクラスの1人2人だったのが、クラス全員になり学年全員になりました。
子どもとは時に残酷なもので、親御さんが言ってることをすべて信じてしまいますからね。
勿論、私の性格に問題もあったと思います。
嫌われてるのが分らず、空気を読まず良い子ちゃんをしていたのですから。
6 以下、
そんなことがありながらも、なんとか小学5年生まではやってきました。
虐めもあったりしましたが、それでも5年間無遅刻無欠席でした。
ここでちょっとしたことが起きました。
私と敵対する男子生徒が私の仲良かった女子生徒と付き合うことになりました。
それはめでたいことなんですが…。
その女子生徒が、男子生徒と付き合うようになった途端私を苛める側になりました。
今でいえば、恋人が居る勝ち組女子()が恋人も居ない友だちも居ない負け組()をいたぶってる感じです。
苛められてることに関しては別にどうでも良かったんです。
もう、慣れました。
ただ、それに絡めて許せないことが2つ起きました。
7 以下、
1つ目は私が大好きだった学校近くの野良猫を苛めること。
2つ目は担任の先生や学年の先生に訴えても相手をしてくれなかったということ。
特に1つ目は許せませんでした。
肌が弱かったりするのに、母親が猫好きだと言う事もあって猫を飼うのは許してくれてました。
当時飼っていたのはアメリカンショートヘアーの子でした。
友だちらしい友だちも居ない私には猫と言う存在だけで癒しでもあり、友だちでした。
8 以下、
ある日学校から帰る途中に野良猫の所に行くと、その野良猫が頭から血を出していました。
車を止める石の所に頭を強打してる感じでした。
その子を抱っこしてみるとまだわずかにですが呼吸がありました。
急いで近くの公衆電話に走り、私の飼い猫の行きつけの獣医さんに電話しました。
すぐ来てくれるとのことでした。
でも、この子は助かりませんでした。
生まれてこの方ここまで人憎んだことはありません。
9 以下、
因みに獣医さんの電話番号は生徒手帳的なものに書き込んでいました。
獣医さんに泣いてるところを慰められているとある物を見つけました。
死んでしまった野良猫の先に彼氏君(件の男子生徒)がつけてるリストバンドが落ちてました。
勿論そんなものどこでも売ってる物です。
勿論誰でも手に入る物だということもわかっています。
でも、当時の私には彼ら一味の犯行にしか思えませんでした。
10 以下、
絶対仇をとってやると、母親と一緒に見ていた火サスの刑事のようにハンカチで指紋や汚れを付けないようにして持ち去りました。
翌日彼氏君見てみると、予想通りリストバンドをしていませんでした。
すぐに担任の先生に言いました。
するとなんて言ったと思います?
「そんな猫がどうなろうと君になんの関係があるんだ?」
と言ったんですよ。
正直泣きたかった、でもここで泣いてもあの子は帰ってこないと思い次は学年主任に会いに行きました。
次も子どもの私には辛い一言でした。
「確かにA君が犯人かもしれない、でも証拠らしいものはそれしかないんだろ?それなら調べようがないね」
と言ったんです。
学校の教師などクソだと思いました。
11 以下、
今の年齢になればそのくらいのことはわかります。
でも、まだ小学5年生です。
嘘でも良いから調べるふり位はして欲しかった。
こんなことがあって以降、ごく一部の先生たち以外は信用することはありませんでした。
それ以降は今まで以上にふさぎ込みました。
学校に行っても休み時間のたびに図書室に行って本を読んでばっかいました。
お陰で図書室の本全部読破しましたけどね。
12 以下、
そんなこともあっても、なんとか6年間皆勤賞をとることができました。
苛められても、悲しいことがあってもなんとかやってこれたのは家の猫と両親、それと図書室の先生とカホ君のおかげです。
カホ君については興味がある人が居ればあとで書きます。
14 以下、
私が通っていた小学校は大学まである言わば系列校。
そのまま私はエスカレータ式に中学校に進学しました。
中学校と高校は男子部女子部と別れていて、敷地内にでかい2つの校舎がありました。
進学後も虐めはありましたが、みんながされてきたものに比べれば優しかったと思います。
陰口叩かれたり、物がなくなったりとまぁその程度です。
そんなのは中学進学後6年間もされていれば慣れてしまいます。
小学校の頃から数えれば12年、別に普通ですよ。
15 以下、
そんな環境だったのにも関わらず表面的にはとても普通な学生に育ちました。
ええ、表面的には。
内面的にはちょっと変わった子になりました。
何がきっかけかわかりませんが、異性を憎み同性を愛すようになりました。
ただ、その憎み方と愛し方が変なだけなんですけどね。
早い話が同性愛者です。
16 以下、
ここからはあまり面白くないので学校内から外に話の内容に向けたいと思います。
そんな同性愛者に育ってしまった私は、家に帰っても窮屈だし学校で浮いてるので気の休まるところがありませんでした。
そこで求めたのが出会いでした。
ありがたいことに、私の父親はIT系の人間だったので小さいころからPCには触れていました。
ですので、自宅のPCで同性愛について検索して掲示板に書き込んでいろんな人に出会いました。
するとなんとお小遣いをくれることが多かったのです。
私としては意味がわかりませんでした。
ただ、一緒にご飯を食べているだけでお小遣いをくれるんです。
17 以下、
別にお金は欲しくありませんでした。
逆にこんな私と一緒に居てくれるんだから、こちらからお金を払いたい気分でした。
でも、8割位の人がお小遣いをくれました。
しかも大体万単位で。
酷い時は銀行の封筒に帯びつきで入っていたこともありました。
これで一緒に居てくれと。
流石に断りましたけど。
そしてドン引きしました、大人に。
18 以下、
ただ、一緒にデートしてるだけです。
ホテルに入ったことも、おさわりもありませんでした。
流石に中学生の私にいろいろしたらまずいと思ったのでしょうか?
ある意味良い大人に出会ったと思っています。
折しも援交が流行っている頃でした。
19 以下、
そんな私の行動を見ている知らない大人たちはこう思ったのでしょう。
金を出せばやれる中学生だと。
とんでもない、その頃は手すら握ったこともない純情な子でした。
でも、1度そう思われてしまったら最後です。
至る所から声がかかるようになりました。
20 以下、
最初のうちは私も馬鹿みたいに出向いてお断りしていたのですが、それに逆上して無理やり連れて行こうとする馬鹿が居ました。
今でも覚えています、中2の冬の新宿です。
東口の今は喫煙所になっている辺りで30歳前後の人に無理やり連れて行かれそうになりました。
逃げようとしても中学2年の力では適いませんでした。
周りで異変に気づいていた大人も居ましたが無視してる人が多かったです。
でも、ちょっと派手なお兄さんが止めに入ってくれました。
30歳前後の人を蹴っ飛ばして、私を守ってくれました。
「ガキになんてことしてんだよ!!」
って怒鳴ってました。
その派手なお兄さんと一緒にもう1人居てその人と一緒に喫茶店に入りました。
21 以下、
新宿の銀座ルノアールです。
場所は分る人は分かると思います。
傍から見るとちょっと派手なお兄さんに挟まれて入店する中学生。
変な組み合わせだと思います。
お兄さんとそのお友だちはまだ大学生だったのですが、夜のバイトをしているとのことでした。
当時良くわかっていませんでしたが、のちにわかるのですがホストクラブで働いていました。
俗に言う苦学生で学費を出すために働いていました。
「俺らが言える立場じゃねーけど、そんなことすんじゃない」
とお店の中でココアを飲みながら怒られました。
22 以下、
別にお金が欲しかったわけじゃないと言い返しましたが信じてくれませんでした。
まぁ、客観的に見ればそうでしょうよ。
ある程度怒られていると、助けてくれたお兄さんがちょっと待ってろと言ってお店を出ました。
10分位たって封筒に入れたお金を渡してきました。
「この金くれてやるから、2度と援交みたいなことすんじゃねーぞ!」
と言うと伝票を持って会計して出て行ってしまいました。
中には10万円と若干シワシワだった100円札が4枚入っていました。
23 以下、
すぐに後を追っかけたのですが、見つかりませんでした。
その後何日も何日も助けてもらった場所で待っていたのですが会うことはできませんでした。
半年はそこで待っていました。
学校が終わるとすぐ新宿に行きそこで、夜になるまで待ってる。
それを繰り返していました。
24 以下、
書き駄目てるから、見てないかもしれないけど最後まで書く。
そんな生活にも限界が来ました。
付属の学校なので基本的にはエスカレーター式にあがれるんですが、あまりに勉強をしなくなってしまった私は成績がまずい状態でした。
親には出会い系で人と会う時や、新宿で待ちぼうけをしている時は図書館で勉強していることにしていました。
もし成績がこれ以上悪くなったら進学できなくなってしまい、親に怒られてしまうと思い慌てて勉強をし直しました。
そのおかげでなんとか高校に上がることができ、選抜クラスに入ることが出来ました。
学校では相変わらず色々ありましたが、選抜クラスは平和でした。
言ってしまえば受験だけを考えたクラスですからね、虐めとかとは無縁でした。
25 以下、
なんとか進学も出来たのでそれも伝えたいし、お金も返したいのでまだ新宿で立ってる生活が始まりました。
多分合計すると1年くらいは立っていたと思います。
結局会うことはできませんでした。
会うことが出来ないだけでなく、1年から2年に上がるときに選抜試験から漏れてしまいました。
言ってしまえば都落ちです。
虐めから解放されたのにまた戻ってしまったのです。
26 以下、
まぁ、でもそれでもある意味平和でした。
私には目的がありました。
受験勉強をなんとか頑張って大学に受かったらあの派手なお兄さんと同じようなバイトをしよう、そしてなんとか見つけてお金を返す。
それが唯一の目標でした。
でも、まぁ受験はそんなに簡単じゃありませんでした。
日東駒専レベルには受かりましたが、親に頼み込んで浪人しました。
でも、翌年も駄目でした。
自暴自棄になりました。
ああ、自分は勉強も出来なければスポーツも駄目で、人から物乞いする位しか出来ないのかと思いました。
そんな中、体面を気にした両親がとある専門学校に私を入学させました。
正直行きたくありませんでした。
でも、これが私の人生を大きく変えることになりました。
27 以下、
私は進学先を某大学の理学部数学科にしていました。
そして数学を研究したかったのです。
数学を教えたかったのです。
それを知っていた両親は、とある専門学校の情報科に入学させました。
そこの学科は3年制でした。
私にとって天国でした。
虐めもなければ、友だちも居る。
子どもの頃から父親に教えてもらっていたPCがある。
そして情報数学として学びたかった数学も出てくる。
運よくそこにはインストラクターコースという副コースがあり、専攻のコースとは別に数単位取らないと行けないコース群の1つでした。
私はそのコースを取りました。
好きな物すべてを使って人に物を教えることが出来る。
そして何よりも一緒に勉強してくれる仲間がいる。
それは本当に楽しい事でした。
28 以下、
高校の頃はやりもしなかったのに文化祭なんかも頑張り、うちの売り場だけ売上が10万を超えたりもしました。
でも、そんな仲間にも同性愛者だと言うことは隠しました。
ばれたらまた周りから仲間が居なくなってしまうと思いました。
そんな時仲間のうちの1人、Mと喫煙所でじゃれている時に彼に言われました。
「1ってさー、多分ホモっしょw引かないから真実を教えてよwww」
正直悩みました、ここでうんと言っても言わなくても後悔しそうでした。
暫く黙っているとMは言いました。
「初対面の時になんとなくわかったよー。だってそこらの女より気が利く何より服の色遣いが可愛らしすぎwww」
29 以下、
もうここまで来たらどうにでもなれ!と思った私は喫煙所で全てを話しました。
苛められてた事、なんでか同性愛者になったこと、受験で失敗したこと、そして助けてくれたお兄さんに会いたいと。
するとMは
「よーし、俺いつも年上の1にはお世話になってるしここは俺がひと肌脱いでやる!」
とか調子の良い事いって服を脱ぎだしました。
ひと肌脱ぐの意味が違います。
こいつはこういうお調子者だったのを一瞬だけ忘れていました。
30 以下、
Mは情報系の学科としてはあるまじき程のイケメンでチャラ男でした。
私なんかはどちらかというと(あくまでどちらかというと)可愛い系な顔立ちでちょっとコンプレックスでした。
Mと一緒につるんでいることが多かった私は、腐った女友だちにいつもネタにされてました。
そういう環境もあって同性愛者だとカミングアウトしても誰も引きませんでした。
それどころかやっぱねーって笑うくらいでした。
カミングアウトしてから数日後の飲み会で、Mがみんなに頼むから俺に協力してよーと言ってなぜか仲間内全員で助けてくれたお兄さんを探すことになってしまいました。
31 以下、
私の仲間は学科やコースを跨いでさまざまな人が居ました。
情報系の癖に適当チャラ男のM。
イラスト科の絵を描かせたら学校1だと思われる腐った子のRちゃん。
Webデザイン科でWeb系に強くて人探しのページを作ってくれたSちゃん。
体力には自信が異常にある体育系学科のI。
勿論それ以外にも全員で15人くらいでした。
まずはRちゃんが私に質問をしてきて、それから似顔絵を起こしました。
めっちゃ似てました。
それをSちゃんが作ったWebページに乗せていろんなところで宣伝しました。
Iは見た目も育ちもヤンキーでそういうチンピラ?みたいなのに顔がききました。そういう輩に探させてました。
そして言い出しっぺのMはホストクラブに働きだしました。
正直、こいつは私の為とか言ってるけど違うだろ…と思ってました。
32 以下、
半年間は全く見つかりませんでした。
似顔絵があるといっても当時から9年も経過してました。
大学2年だと言っていたんで、多分30前後だろう。
そうすればもしかしたら普通にサラリーマンをしていて見た目が全然違うかもしれない。
捜索は難航しました。
33 以下、
仲間たちが代わる代わる新宿の町で立ってくれて探してくれました。
そんな時Mから夜中に電話がありました。
「今、うちの店に遊びに来たオーナーの友だちなんだけど、めっちゃ似てるぞwww」
机の一番奥にしまってあったぼろぼろになった封筒と1枚も欠けていない現金を持って、慌ててタクシーに乗って新宿まで行きました。
歌舞伎町の前でタクシーを降りて走りました。
その間なんとかMにその人を足止めしてもらっていました。
人違いだったらMも私も怒られますし下手したら何されるかわかりません。(当時はホントにそう思ってました)
34 以下、
息も切れ切れになりながらお店の前に付くと後姿のMとMと同じくらいの身長の人とMと同じような恰好をした人が立っていました。
Mと同じような恰好の人はオーナーだと思いました。
Mが学校と同じような口調で足止めをしてました。
私がMに声をかけるかかけないの一瞬、Mと同じくらいの身長の人が後ろを振り返りました。
私にはどうみても助けてくれた人にしか見えませんでした。
年を重ねて皺が増えていましたがどうみてもそうでした。
でも、確証がありません。
35 以下、
ちょっとおどおどしているとMがフォローしてくれて、ちょっと落ち着けって笑っていました。
少し落ち着いてから封筒を見せました、そして言いました。
「この封筒と10万4000円に記憶はありませんか?」
見せると一瞬驚いたような顔をして、その人は言いました。
「お前、もしかしてあれか?東口で会った子か?」
もう会えた嬉しさと、覚えててくれた嬉しさで歌舞伎町で泣いてしまいました。
傍から見たら変ですよね。
この感じはデジャブです。
36 以下、
そして何故か4人で喫茶店に入りました。
今度はルノアールではありませんでした。
Mはまだ若干泣いていて話にならない私に代わり話してくれました。
私がどういう境遇だったのか、そしてあなたにどれだけに会いたくて今まで探したのかと。
聞いてる私が恥ずかしかったです。
そしたら今まで黙っていたMのお店のオーナが眼鏡を外しながら言いました。
「なら、俺の事も覚えてるよね?」
37 以下、
正直やっと会えた!!というだけでオーナーの顔なぞ見ても居ませんでした。
ふと見てみるとこちらもああああっ!!って感じでした。
そうです、あの時一緒に居た人でした。
この世の確率というものに感謝しました。
2年間受験に失敗した確率。
この仲間たちに出会える確率。
Mがオーナーの店に入店する確率。
オーナーの店にこの人が来る確率。
それが全て絡み合ってこの再会はあるわけです。
38 以下、
まずはお互い今更ながら自己紹介しました。
助けてくれた人はKさん。
一緒に居たのはOさん。
Kさんは大学卒業と同時に海外の院に入学し、日本にある外資系企業に就職し日本に戻ってきたそうです。
Oさんはお店の人に気に入られたのもあり、大学卒業後お店を引き継いだそうです。
そこで年に1回、Oさんの誕生日にお店に遊びに来てプレゼントを渡していたそうです。
こんな偶然と言うのは本当にあるんですね、と1人で悦に入ってました。
KさんとOさんは、どうも私が新宿で探しているのを知っていたそうです。
でも、そこでまた出会ったらいけないと思って違う所でずーっと客引きをしてたそうです。
暫くしてから同じ場所を見てみると私が居なくなっていました。
ちょうど私が勉強をし出したころです。
それでもうそういうことはしなくなったんだなと安心していたそうです。
39 以下、
私は素直に言いました。
「貴方に会えたお陰で、ここまでなんとか生きてこれました。
 本当にありがとうございました。
 そして良かったら連絡先を交換してください!」
そしたら笑いながら、そんなにかしこまったナンパを受けたのは初めてだよ。と言ってました。
KさんもOさんも喜んで連絡先を交換してくれました。
40 以下、
その日のうちに私はみんなに連絡しました。
ありがとうと、そしたらみんなも泣いてくれました。
本当に良い仲間を持ったと思います。
それから暫く2人とメールをしていたのですが、悲しいことにKさんには結婚を前提とした彼女が居ました。
この時に私は諦めました。
ああ、Kさんと結ばれることはないなと。
その頃Kさんの事が本気で好きでした。
でも、それでもいいんです。
あれだけの凄い確率で再会できただけでも感謝しないといけないんですから。
41 以下、
そんなこともあって、私はそれ以降勉強を頑張りました。
なんとか凄いインストラクターになってやると思い、必死にIT技術について学びました。
Office製品のことから、ハード的な事、Linuxのことや、勿論開発のことも勉強しました。
そのお陰か無駄に資格試験やなんかに合格することが多くなりました。
最初はMOS程度のしょうもないものでした。
それが初級シスアドになって基本情報になり最終的には中小企業診断士まで行きました。
ベンダー試験だとMCP系やCCNP、OracleのSilverも取りました。
世間でいえば大したことない物です。
でも、当時の私は人としての自信を取り戻しました。
そんなことをしていたら、担任から交換留学の試験にを受験をしないかとお誘いが来ました。
42 以下、
ちょっとすいません、飼い猫にご飯あげてきます
43 以下、
いってらっしゃい
44 以下、
すいません、今戻りました。
優秀な学生を年に1人だけ姉妹校に指定されている学校に留学させるという制度です。
費用は一切かかりません。
各学科から1人だけ代表で選ばれて、その中から選考で選ばれるとのことでした。
私より優秀な学生なんて居るだろうし、何より私は英語が出来ない。
受験もそれで失敗したようなものですから。
英語なんかできる人周りに居ないからなーと思っていると、1人だけ居るじゃないですか。
Kさんです。
でも、Kさんの事を忘れるために勉強し出したのにKさんに頼るのは違うと思い1人で頑張りました。
仲間にもKさんに相談しろよ!と言われたのですが、これは1人でやるとむきになっていました。
45 以下、
そんなある日、MがA4用紙10枚分位の英文を持ってきました。
彼は俺が書いたと言いましたが、彼の英語の出来なさ加減は知っています。
私より酷いです。
地でI am a pen.とか言ってしまうレベルです。
そんな彼が英文なんぞ書けるわけがない。
でも、まぁそう言い通すんで取り敢えず目を通してみると英文のプレゼン資料でした。
交換留学の試験の1つとして学校内の教員全員の前でプレゼンをする必要がありました。
勿論日本語で良いんです、先生の大多数も英語なんぞわかりませんからね。
それを英語で書いてありました。
46 以下、
取り敢えず日本語言う事は考えないとなーと思って私が用意していたものを英訳し、それを何通りものパターン用意してくれました。
自分の生い立ち、なんで勉強するようになったのか、とか日本語で書いてあるものが全部訳されてました。
どう考えてもKさんの英文です。
勿論、そんなことわかりませんがMの知り合いでこんな英文書けるのは1人しかいないはずです。
全パターンを見終わって、一番最後のページを見ていると最後の英文だけが何か変でした。
明らかに私が書いていた文章から離れていた内容が書いてありました。
47 以下、
Mはそんなことを気付く訳もありません。
出来ないなりに英文を読んでみると
「もしこの文章を最後まで読めたなら、お前は必ず留学できるよ。
 Mから全部聞いた。
 だから頑張れ、こんな大人でも頼りになるはずだから頼ってきなさい。」
4階にあった情報処理管理室が私たちのたまり場だったのですが、そこで号泣しました。
Mは何が何だかわかっていませんでした。
48 以下、
それから必死に英語も勉強しました。
まずは発音、語彙力、文法と行き残りの時間は英語版O'Reillyを読み込みました。
その期間わずか2か月でした。
それでもKさんには頼りませんでした。
彼の優しさだけに頼ってはいけないと思っていました。
49 以下、
それで選考試験当日、全教員100名ちょっとの前でプレゼンを始めました。
与えられた時間は10分です。
ほぼ、暗記していた英文を読み終えて質疑応答の時間になりました。
英語系の学科のある先生が英語で質問してきました。
その英文は誰が考えたのかと。
正直に私は答えました、多少私なりの表現に変えたところはあるが大筋Kさんだと。
その後何回かその先生から質問があったのを全部英語で答えました。
50 以下、
ああ、これで終わったなと思いました。
試験の内容を廊下で盗み聞きしてたMにお疲れ様と言われました。
この時ばかりはおバカなMで感謝しました。
Mなら素直に言う必要ないのに!って言うと思いますからね。
結果は4日後に出ました。
51 以下、
そこに書かれていた代表者の名前は私でした。
正直嘘だと思いました。
走って担任の所に行くと、他人が笑いながら言いました。
「英文を他人に考えて貰って読み上げる奴は今までだって沢山いたよ。
 でも、そういう奴は質疑応答の時に答えられなかったりしてダメなんだよ。
 お前は誰かに書いてもらったことをきっかけにして自分なりの言葉で○○先生の質問に答えたろ?
 あの先生が全面的にお前を推して決まったんだよ。」
52 以下、
あ、他人じゃなくて担任です。
結果が出てから数日後、校長室に呼び出されて行き先はどこが良いかと聞かれた。
行きたい場所は決まっていました。
Kさんが通っていた大学院の大学です。
偶然姉妹校だったのです。
すぐに校長がメール送り、翌年の秋から1年間行くことになりました。
ただ、その時は2年の秋でした。
専門学校卒業するのであれば、単位互換があるとはいえ余分にを取らないといけなくなります。
就活もしなければなりません。
それを担任にぶつけました。
すると笑いながら就職先は気にするな、お前は単位の心配だけしてろーとか言いながら喫煙所に行ってしまいました。
日本にいれる間は必死に勉強をして、資格試験を取れば単位が出るような物を中心に抑えて行きました。
その甲斐あってみんなが卒業するのより半年だけ遅くで私も専門学校を卒業できました。
53 以下、
留学の話は興味がある人は後で聞いてください。
バレない程度に答えます。
留学期間を終えて日本に帰ってくると、担任の先生と校長、スーツ姿のMとRちゃん、そして両親とKさんが成田に居ました。
いや、両親までは居るのはわかるけど、なんでKさんが居るんだよ!と思って成田でまた泣いてました。
これもまたデジャブです。
でも、今回は喫茶店には行ってません。
54 以下、
MとRちゃんは学生時代の功績?が認められてなぜか、私たちが居た専門学校勤務になってました。
Mは広報と先生になり、Rちゃんはイラスト系学科の先生になってました。
成田についてすぐ私はKさんの車にぶち込まれました。
MとRちゃんの策略です。
荷物は両親が持ち帰り、私を連れて学校でみんなで記念撮影をと思っていた先生たちの思惑も壊されました。
55 以下、
成田の駐車場でKさんの車に乗って一路空港近くのホテルに行きました。
ホテルについて久々の日本の空気を満喫する暇もなかったです。
部屋に半ば無理やり連れてかれると、Kさんに抱きつかれました。
なんで今まで連絡してこなかったんだよと泣かれました。
実はKさんに合否も言わずに黙って留学しに行きました。
だって言ったらそのまま告白しちゃいそうな感じだったので…。
56 以下、
いきなりKさんに言われました。
「お前のせいであいつと別れたんだからな。」
え、誰だよそれと思っていると結婚を前提に付き合っていた彼女を思い出しました。
「え、うそでしょ?!あんなにラブラブだったのに?ってかどうして私のせいなんだよ?!」
抱きつかれたまま、Kさんに今までのことを聞かされました。
57 以下、
MがOさん経由で、留学の事をKさんに相談してきたこと。
Mが私の日本語で用意していた資料をKさんに渡して、すぐ英文に起こした。
最後の一文だけわざと違う文を入れてMに渡したのに、私が無視をしていたので避けられてると思ったそうです。
更に合否も告げずに留学に行ってしまい、行ってから数日後M経由でKさんの耳に入ったそうです。
それからKさんは少し荒れたそうです。
弟分みたいに可愛がっていた私が巣立っていくのが悲しくて、彼女さんにも八つ当たりをしていたそうです。
しかもそれを彼女さんに見透かされたらしく、そんなにそのガキが良いならそいつと結婚でもしろホモ野郎!!と言われて振られたそうです…。
58 以下、
私は聞きました。
「え、Kさんホモなの?」
すると
「違う、お前だけだ。
 あんな仕事してたから女の扱いも人の扱いも慣れてたのにお前だけだぞ。
 俺の思い通りにならなかったの。」
それから数時間後私のファーストキスと*処女はなくなりました。
若干遅咲きでしたけど、好きな人とすることが出来て幸せでした。
まぁ、逆に言うとお陰で未だにDTですけど。
59 以下、
翌日Kさんの車で学校まで送ってもらい、Kさんが校長などに頭を下げました。
そしてあっさりカミングアウトしやがりました。
「1は俺の大事な恋人です。だからしっかり卒業させて、就職先も頼みますよ!」
MとRちゃんは完全にニヤニヤ笑っていました。
他の在校生には晒し者になるわ、先生の前で色々言われるわで散々でした。
60 以下、
Kさんが帰った後担任が言いました。
「就職先は気にするなー内定はもうあるからー」
また笑ってます。
どこまでこいつは適当で軽いおっさんなんだよと。
内定先はお察しの通り、自分の卒業する専門学校でした。
それから約半年間どうしても足りなかった単位を取って卒業しました。
虐めですよね、よりによってMが担当の講座とかあるとか。
61 以下、
卒業後1年半はその学校が経営してる(株)の組織に入り開発の仕事をしてました。
今まで理論で勉強をしてきただけなのでとても勉強になりました。
それから教育部門に転属になり、卒業した専門学校と全く知らない高校で講座を持つことになりました。
そんなことをしてもう数年。
インストラクターというものにも慣れてきました。
そしてあれだけ信用していなかった先生と言う仕事もこなせるようになりました。
62 以下、
そして去年の年末クリスマスも終わった南口のサザンテラスでKさんから指輪を貰いました。
結婚指輪です。
私も男、Kさんも男です。
当然日本の現行法では結婚できません。
だからといって海外に移住するわけでもありません。
Kさんは言いました。
「お前が行きたい国のどこでもいい、同性結婚が出来るところで結婚式でもだけ上げよう。」
また新宿で泣きました。
もう何度目でしょう、このデジャブ。
63 以下、
それからはとんとん拍子で話が進みました。
まずはうちの両親への挨拶。
流石に1人っ子の私が同性愛者だということをバラすのは抵抗があったので、2人で旅行に行くと言う事にしました。
周りの仲間たちにも高い航空券は上げれないけどということで、私とKさんの2人で航空券と部屋は押さえました。
KさんはOさんや学生時代の友人で私と付き合ってることをカミングアウトしている数人に声をかけました。
私は同僚でもあり悪友でもあるMやRちゃん、学生時代の仲間で来れる人だけを呼びました。
64 以下、
それを来月オランダでやります。
ちょうどハネムーン旅行も兼ねています。
決して大っぴらげにできる結婚ではありません、もちろん書類を交わすことでもありません。
結婚式と言うスタイルもまさに形だけです。
でも、普通の結婚式と変わらないことをするつもりです。
現地の式場との打ち合わせはKさんに任せています。
65 以下、
これから色々隠していかないといけないことや、厳しいことが待っているとは思います。
それでもどちらかが先に死ぬまで一緒に頑張っていくつもりです。
ちょうどそんな区切りがついたので、仲間たちへの感謝と自分の気持ちの整理にスレを立てました。
最後までありがとうございました。
66 以下、
はい、というわけで何か質問があれば答えられる限り答えます。
何かありますか?
67 以下、
俺も同性婚するんだけどオランダだと簡単にできる?
68 以下、
>>67
簡単にというわけじゃありませんが、日本に比べれば環境は整っています。
ここで問題なのが法律です。
婚姻届などを出さないで結婚式スタイルのお食事会をするつもりでいます。
神父さんやその他スタッフも居ますが、そういうのに慣れている場所だそうです。
69 以下、
しかも、私の場合は身内ににばれたらまずいのでそういう意味でしっかり書類を交わせないのが痛いところです。
70 以下、
やっぱり婚姻届は出せないのか・・・
遺産とかの問題で日本でも戸籍変えたほうがいい気がしてるんだけど、養子縁組考えてる?
71 以下、
>>70
はい、正直考えています。
ただ、上にも書いた通り家柄の問題もあるので絶対ばれたくないんですよね。
だからせめて両親が死ぬまでは隠し通すつもりです。
養子縁組やその他の方法があれば、それはその時以降にするつもりです。
72 以下、
>>71
聞けば聞くほど俺と同じwww
俺も両親には絶対話したくない。といっても父は死んじゃったけど。
アメリカで同性婚してる人もいたけどどうだろう
73 以下、
>>72
私の知り合いが今アメリカのシリコンバレーに彼氏と住んでるんですけど、どうなんでしょう。
そのカップルも結婚するみたいです。
彼氏さんめっちゃハゲちゃって久々に見たら別人でした…w
74 以下、
楽しみ半分、怖さ半分です。
結婚式。
75 以下、
結婚式はぶっちゃけどうでもよくて、書類だけ欲しい。
とくに遺産の問題で・・・
78 以下、
>>75
確かに遺産が絡むとね…。
うちとは逆のパターンですね。
うちは思い出づくりと目先の分かりやすい幸せの為に式をする。
遺産とかそういうのはまだ先だし、後々考えるってところなので…。
76 以下、
同性結婚もそうだけど、それよりも私と結婚でいいのかなーKさん。
絶対女性と結婚した方が幸せになるのに…。
79 以下、
俺の場合おれが元ノンケであっちがゲイだった。
それで>>76のセリフ言われたけどなんも後悔ないよ大丈夫
83 以下、
>>79
そうか、そういって貰えると気が楽になります。
やっぱり、私が巻き込んだところもあるので心配だったんですよね。
92 以下、
いいなぁ。幸せいっぱいだね。
同性愛者って、他人承認欲求強いけど>>1はそういうのないの?
93 以下、
>>92
他人承認欲求ですか。
めっちゃありますね。
だからこそ資格とかとって他人から認められたいってなんてるんだと思います。
94 以下、
やっぱあるんだ。
折り合いがつかなくて困ってるよ
95 以下、
>>94
私の場合は、欲求がKさんに向かわず仕事に向いてるからなのかな。
Kさんには嫌と言うほど可愛がってもらってるし、認められてると思うので満足です。
仕事で認められるのが男の評価として1番嬉しい物だと思ってるので、そこら辺趣味と実益が良い感じに重なったのかな。
96 以下、
>>95
今の生活に満足できてるんだね。
羨ましいなぁ
97 以下、
>>96
好きな人と一緒に生活出来るし、楽しい仕事も出来るし幸せだよ。
勿論先のことはわからないけどねw
85 以下、

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