絶滅してまった動物挙げてく パート2back

絶滅してまった動物挙げてく パート2


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絶滅してしまった動物スレパート2です
前回挙げられなかった動物がまだまだたくさんいるので、
今回はそれらを挙げていきたいと思います
※前回
http://brow2ing.doorblog.jp/archives/1795123.html
2 :
5 :
■メキシコハイイログマ
メキシコ北部からアメリカ南西部(カリフォルニア州南部、アリゾナ州、ニューメキシコ州)にかけて生息していた。
主に植物、果実や昆虫類を食べていたが、
ときおり小型の哺乳類を捕食したり、死骸を漁ることもあった。
メキシコハイイログマと初めて接触したヨーロッパ人は、16世紀にシボラの七都市を求めてフランシスコ・バスケス・デ・コロナドと共に遠征したコンキスタドールである。
生息地にヨーロッパからの移住者が入植するにつれ、メキシコハイイログマは家畜を襲う害獣と見なされ、狩猟の対象となり数を減らしていった。
1930年代にはすでに稀になり、チワワ州のチワワ市の北80kmにあるセロ・カンパノ山、サンタ・クララ山、シエラ・デル・ニド山に少数残るのみとなった。
1960年には30頭程度が生存するだけになり、保護の対象となったにもかかわらず狩猟は続き、1964年に射殺された2頭の子グマを連れたメスが撃たれたのがメキシコハイイログマの最後の記録となった。
1969年にソノラ州のヤキ川源流にある牧場で目撃情報があり、米国の保全生態学者カール・B・コフォード博士が3ヶ月にわたり調査を行ったが、ついに発見されなかった。
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7 :
■オーロックス
かつてはユーラシア全体および北アフリカで見られたが、生息していた各地で開発による生息地の減少や食用などとしての乱獲、家畜化などによってオーロックスは消滅していった。
南アジアでは歴史時代の比較的早期に姿を消し、また、メソポタミアでもペルシア帝国が成立する時代には絶滅していたと見られる。
北アフリカでも古代エジプトの終焉と同時期にやはり姿を消している。
中世にはすでに現在のフランス・ドイツ・ポーランドなどの森林にしか見られなくなっていた。
16世紀には各地にオーロックスの禁猟区ができたが、それは単に諸侯が自らが狩猟する分を確保するために設けたものでしかなかったため、獲物を獲り尽くすとともに閉鎖された。
最後に残ったのはポーランドのヤクトルフにある保護区であったが、そこでも密猟によってオーロックスの数は減り続け、1620年には最後の1頭となってしまった。
その1頭も1627年に死亡が確認され、オーロックスは絶滅した。
12 :
かわいい
8 :
10 :
■フクロオオカミ
オーストラリアのタスマニア島に生息していた。
単独またはつがいで行動し、日中は木や岩の影で過ごし、日が暮れてから狩りに出かけた。
ワラビーなどの小型哺乳類を主に捕食していたと考えられている。
もともとフクロオオカミは、オーストラリア大陸やニューギニア島を含めたオーストラリア区一帯に生息していたが、
3万年前人類が進出してくると、人類やその家畜だったディンゴとの獲物をめぐる競争に敗れ、人類の到達が遅くディンゴの生息しなかったタスマニア島のみに生き残ることになった。
この状況は、タスマニアデビルも同様であった。
大航海時代が訪れ、ヨーロッパから入植者が住み着くようになると、彼らのヒツジなどの家畜を襲うフクロオオカミを目の敵にした。
1888年から1909年までは懸賞金がかけられ、2,184頭ものフクロオオカミが虐殺されたという。
1930年に、唯一と思われる野生個体が射殺され、次いでロンドン動物園の飼育個体が死亡し、絶滅したと思われたが、1933年野生個体が再度捕獲。
ホバートの動物園に移されるも、1936年に死亡し、絶滅となった。
それ以降も度々目撃情報があり、タスマニア大学の研究チームなどによる生存調査も実施されているが、確実な証拠はない。
13 :
■カリブモンクアザラシ
カリブ海に生息していた。
16世紀以降、脂肪から油を取るための乱獲(クジラや他のアザラシにも共通する)や、漁業関係者による駆除、観光開発による陸上での生息地の減少などにより数が大きく減少した。
アザラシは陸上での動きは鈍く、棍棒で殴って回るという方法でも十分にアザラシ猟は成立したという。
カリブモンクアザラシが最後に目撃されたのは1952年で、現在はその年に絶滅したものとされている。
まだ野生動物の保護に大きな関心がむけられない時代でもあったため、彼等の生存時期は何ら有効な保護対策がとられなかった。
1967年に、絶滅危惧種保護法に基づき、ようやく絶滅危惧種に指定されたが、あまりにも遅きに失していた。
その後数回にわたって調査が行われたが、生息は確認されないままであった。
2008年、アメリカ海洋大気庁(NOAA)漁業局が、過去50年間にわたって姿が見られなかったカリブモンクアザラシについて「絶滅した」と公式に判断した。
カリブモンクアザラシは人為的な要因によって絶滅した唯一のアザラシということになる。
17 :
■ミミナガキットキツネ
アメリカカリフォルニア州に生息していた。
体色は黄色がかった灰色。
耳がまっすぐ立っているほかは他のキットギツネと大きな外見上の違いはない。
すみかは砂漠の中の灌木林で、夜行性。食物はネズミなどの小動物や昆虫など。
移民に害獣とみなされて駆除の対象とされた。
ミミナガキットギツネの毛皮はシラミがたかっていて、あまり価値があるとはされなかったが、それでも狩猟の対象となり数が減っていった。
移民の流入によって、開墾、灌漑、道路の建設などが行われ、キツネの生息環境が破壊されたことも減少に拍車をかけた。
1910年を最後として、ミミナガキットギツネは絶滅したものとされている。
22 :
■ニューファンドランドシロオオカミ
カナダ・ニューファンドランド島に生息していた。
ニューファンドランドに住んでいた先住民ベオトク族に因むが、ヨーロッパ人は彼らの頭の皮に懸賞金をかけて皆殺しにし、1800年までにベオトク族は消滅した。
1842年、今度はニューファンドランドシロオオカミが家畜を襲うというので懸賞金の対象になり、銃や毒餌によってオオカミ狩りが行われるとともに、ゲームとしての狩猟の対象にもなって生息数は減少の一途をたどっていった。
しかし、従来はこれら人間の行為が絶滅の直接の原因だとされてきたが、近年の研究では餌であるトナカイの減少が主要な要因となり、その他の要因が複合的にはたらき絶滅に至ったのではないかと考えられるようになった。
現在分かっているオオカミ懸賞金の最後の支払い記録は1896年であるが、その後まで生息していたことは明かである。
しかし、最後の一頭がいつ死んだかについて特定することは非常に難しい。たとえば、John H. Mossという牧師は1920年頃にダニエル港付近で殺されたものが最後の一頭だと書いているが、
シートンは、当時のニューファンドランド島の遊漁及び内水面漁業管理局の事務官だった人からの手紙を引用して、1921年にはセントジョージ付近で2頭が、1922-23年にかけての冬にはBirchy湖を渡る別の2頭が目撃されているとしている。
この他にも1930年代の初頭まで不確かな情報がいくつか散見されるが、少なくとも1925年頃までには非常に減少しており、それにともなって繁殖率も著しく低下していたはずで、
1925年以降では、もし彼らが生存していたとしてもその数は極めて僅かなものになっていたと推定されている。
にもかかわらずオオカミへ懸賞金の条例が撤廃されたのは1963年のことであった。
いずれにせよ、かつてニューファンドランド島の丘々にこだましたであろうオオカミたちの遠吠えは遠い過去の彼方に消え去り、もはや永遠に聴くことのできないものになってしまったことだけは確かである。
24 :
■ドウソンシンリントナカイ
カナダ・ブリティッシュコロンビア州のクイーンシャーロット諸島に生息していた。
ドウソンシンリントナカイは、それまで知られていた他のトナカイに比べてあまりにも小型であったため、新種の認定と同時に学界で大騒ぎになったという。
本当にそのような小さなトナカイがいるのかという点について、クイーンシャーロット諸島で綿密な調査が行われた。
そして1908年、ドウソンシンリントナカイは再び人間の前に姿を現し、射殺された。
それを最後に絶滅したとされている。絶滅の理由についてはよくわかっていない。
25 :
■カムチャッカオオヒグマ
ロシアのカムチャツカ半島に生息していた。
先住民コリャーク人は食用、薬用(心臓を薬の材料としていた)、そして毛皮をとるためにクマ狩りをしており、アイヌ人のイヨマンテに相当する熊祭りの風習があった。
しかし、人間の狩りがカムチャツカオオヒグマの絶滅につながったのは17世紀半ばにロシア人が東進してきてからの毛皮目当ての乱獲が大きな要因である。
冬眠中でもお構いなしに狩りは行われたので、クマの数はみるみる減少していった。
1920年に狩られた一頭を最後として、カムチャツカオオヒグマは絶滅したとされる。
27 :
28 :
■ステラーカイギュウ
かつて北太平洋のベーリング海に生息していた。
ステラーカイギュウはハンターたちにとって好都合なことに、カイギュウたちは動作が鈍く、人間に対する警戒心ももち合わせていなかった。
有効な防御の方法ももたず、ひたすら海底にうずくまるだけだった。
このような動物を銛やライフルで殺すことは容易だったが、何トンにもなる巨体を陸まで運ぶことは難しいため、ハンターたちはカイギュウをモリなどで傷つけておいて、海上に放置した。
出血多量により死亡したカイギュウの死体が岸に打ち上げられるのを待ったのだが、
波によって岸まで運ばれる死体はそれほど多くはなく、殺されたカイギュウたちのうち、5頭に4頭はそのまま海の藻屑となった。
ステラーカイギュウには、仲間が殺されると、それを助けようとするように集まってくる習性があった。特に、メスが傷つけられたり殺されたりすると、オスが何頭も寄ってきて取り囲み、突き刺さった銛やからみついたロープをはずそうとした。そのような習性も、ハンターたちに利用されることになった。
1768年、シュテラーの昔の仲間であったイワン・ポポフという者(マーチンの説もあり)が島へ渡り、「まだダイカイギュウが2、3頭残っていたので、殺した」と報告しているが、これがステラーカイギュウの最後の記録となった。
ステラーカイギュウは、発見後わずか27年で姿を消したことになる。
その後もステラーカイギュウではないかと思われる海獣の捕獲や目撃が何度か報告されている。
最も新しい報告例では、1962年7月のベーリング海でソ連の科学者によって6頭の見慣れぬ巨大な海獣が観察されているが、それがステラーカイギュウなのか他の海獣類を見間違えたのかは不明。
29 :
30 :
■オオウミガラス
かつて北大西洋と北極海に分布していた。
オオウミガラスは、肉や卵を食用にするため、または、羽毛や脂肪を採取するために、少なくとも8世紀頃から捕獲利用されていた。
小氷期によって個体数減少があったとも考えられているが、その後の大規模な乱獲により、数百万羽いたとされるオオウミガラスはたちまちのうちに数を減らすことになった。
オオウミガラスは人間に対する恐怖心がなく、逆に好奇心を持って自ら人間に近寄ってきたといわれる。
また、1年に1個しか産卵せず繁殖力が低かったことも、減少した個体数の回復が望めず、絶滅に繋がったと考えられている。
1534年、フランスの探検家ジャック・カルティエの隊がニューファンドランド島に上陸し、1日で1000羽以上のオオウミガラスを殺した。
この話がヨーロッパ中に広がって、ニューファンドランド島のみならず各地の海岸で無秩序にオオウミガラスが狩られ、卵が持ち去られることとなった。
1750年頃には北大西洋各地にわずかな繁殖地が残るだけとなったが、それでも乱獲が続いた。
1820年頃、遂にオオウミガラスの繁殖地はアイスランド沖のウミガラス岩礁(Geirfuglasker)だけになった。
この島は周囲を崖で囲まれていたため人が近づくことができず、繁殖地はかろうじて捕獲の手から守られていた。
しかし、1830年に海底火山の噴火にともなう地震により、岩礁は海に沈んだ。この災害から生き残った50羽ほどが、近くのエルデイという岩礁に移り住んだ。
最後の繁殖地が天災により失われたことによりオオウミガラスはこの時点で既に絶滅寸前であったが、そのため却って希少価値がつき、標本は収集家や博物館に高値で買われるようになり、一攫千金を狙った者たちによって残ったオオウミガラスも次々と狩られていった。
1844年7月3日、エルデイで最後に確認されたオオウミガラスの生体は抱卵中のつがいだったが、発見と同時に発見者に1羽は棍棒で殴り殺され、もう1羽は絞め殺された。
残された卵は殻が割れてしまっていたという。
その後、国際自然保護連合のレッドリストにも掲載されている1852年のニューファンドランド島のグランドバンクでの目撃例など、目撃証言もいくつかあるが、現在では80体余りの剥製、20体余りの骨格標本と70個余りの卵殻が知られるのみである。
31 :
■クアッガ
南部アフリカの草原地帯に生息していた。
クアッガという名前の由来は、「クーアッハクーアッハ」というその鳴き声を写したものである。
1785年のある記録では、クアッガの鳴き声は「ロバとはかなり違っており、
マスティフ犬の滅茶苦茶な吠え声に似ていた」という。
人間による乱獲と開発に伴う生息地の減少とされる。肉は食糧に、皮は靴・袋などに加工されるために大量に殺された(つまりバーチェルサバンナシマウマと同じ事情である)。
野生の最後のクアッガは1861年に射殺された。
ヨーロッパ各地の動物園に運ばれていたものがその後も生きていたが、飼育下で絶滅回避を図るには数が少なすぎた。
この時、雄雌両方のクアッガがいたが雄のクアッガが暴れたことで薬殺処分されてしまったことで絶滅が決定的となった。
アムステルダム動物園で飼育されていた最後の一頭である雌のクアッガが死んだのは1883年8月12日のことである。
32 :
■チチカカオレスティア
ボリビアとペルーの国境に位置するチチカカ湖の固有種であった。
1937年、アメリカ合衆国内務省・合衆国魚類野生生物局がチチカカ湖にレイクトラウトを放流したことが、絶滅のきっかけとなったと考えられている。
本種の生息水深はチチカカオレスティアと近く、生息域の競合、あるいは小型個体を捕食されたことにより急激に減少した。
1950年頃にはほとんど姿が見られなくなり、1960年に実施された調査ではレイクトラウトや他のオレスティア類は多数確認されたが、チチカカオレスティアは1匹も発見できなかった。
33 :
■グアダルーペカラカラ
カリフォルニア半島西方沖約300kmのグアダルーペ島だけに生息していた固有種であった。
1700年から島でヤギの放牧が始められると、子ヤギを襲う害鳥とされて(現生のカラカラの獲物には、子ヒツジや子ワニさえも含まれる。
グアダルーペカラカラも実際に子ヤギを襲ったのかどうかは資料によって記述がわかれている)グアダルーペカラカラは毒や銃で駆除されるようになった。
小さな島ではグアダルーペカラカラを脅かす動物はそれまで存在せず、警戒心の薄いグアダルーペカラカラはあっさり撃ち取られた。
数が少なくなると博物館、鳥類学者、収集家などが標本を手に入れようとして奔走し、ますます減少に拍車がかかった(オオウミガラスやアメリカハシジロキツツキと同じパターンである)。
1897年には、1羽100ドルの値が付けられた。
1900年12月1日、11羽のグアダルーペカラカラの群れが鳥類学者によって発見され、9羽が標本用に撃ち落とされた。
それ以降、グアダルーペカラカラを見たものは誰もおらず、1900年絶滅とされている。
34 :
35 :
■メガテリウム
164万?1万年前ごろ、南アメリカ大陸に生息していた。
地上性のナマケモノとしては最大級であり、成長すると全長6?8m、体重3tにもなった。
この巨体、特に過大な体重のため木に登る事はせず、現生するナマケモノと異なり地上性であった。
四肢に長い鉤爪があり、尾は太く長い。二本足で立ち上がって巨木の枝を鉤爪の付いた強い前足で引き寄せ、長い舌で葉をしごいて食べていたと考えられる。
草原に出て、鉤爪で土を掘って根茎を食べていた可能性もある。
細長い吻部には門歯は無く、貧弱な臼歯がわずかに残るだけであった。
しかし咬筋は強力であり、この歯で葉や根茎をすり潰していた。
かれらが好んで食べたのは、かつての生息域に多くみられるケヤキに似たヤマゴボウ科の植物の一種であった。
鮮新世末に南北アメリカがパナマ地峡でつながり、ジャガーの祖先や剣歯虎のスミロドンなどの仲間がアメリカ大陸間大交差で南アメリカに進出し、
メガテリウムの幼獣も捕食したが、なお繁栄を続け、更新世末に絶滅した。絶滅の原因はこの頃、南北アメリカに広がった人類による部分が大きいとされるが、はっきりしていない。
40 :
メガテリウムサンクス!
36 :
■ナイジェリアコビトカバ
ナイジェリア南部の湿地に生息していた。
ナイジェリアコビトカバは香草が主食だったため、その肉自体にハーブの味がついてかなり美味であったとされる。
そのため乱獲され、肉料理の材料とされた。
先住民は食用にコビトカバ狩りを行ってきたが、1945年に動物コレクターのヘスロップがニジェール川の流域で射殺したのをきっかけにナイジェリアコビトカバという亜種が認識されたとされる。
その後目撃が途絶え、1989年に大規模な調査が行われたが、1頭も発見出来なかった。
ナイジェリアの南部は油田として開発・探査が行われたり、ビアフラ戦争の戦場になった地域であり、絶滅したのではないかとも見られている。
この亜種がまだニジェール・デルタにいるという報告もあるが、既に絶滅しているか、生き残っていてもその個体群が今後生き残れる可能性はほとんどない。
38 :
ビアフラに居たんならあの戦争で食われたんかな
37 :
■ボリエリアボア
ラウンド島に生息していた。
ヤシ林の中で、地面に堆積した落ち葉の中に巣を作っていた。
食性は動物食で、トカゲを食べていたと考えられている。
森林伐採や人為的に持ちこまれたヤギ、アナウサギ等による生息地の破壊などにより、1975年を最後に絶滅したとされる。
39 :
41 :
■ニホンアシカ
日本の沿岸・近海に生息していた。
ニホンアシカは、アシカ種の現存する他の2亜種、カリフォルニアアシカやガラパゴスアシカと比べ、大型であった。
主食はイカやタコ、魚類であった。
ニホンアシカの骨は縄文時代の貝塚から頻繁に出土しており、最後の生体発見例がある礼文島においても狩猟が盛んであった。
江戸時代に執筆された和漢三才図会には、肉は食用には適さず、油を煎り取っていただけであると記されている。
油脂は身を煮沸して抽出し、そのまま使用する以外にも石鹸や膠などの原料にも用いられた。
表皮は皮革製品として、特定の部位は漢方薬として、ひげはパイプ の掃除に使われていた記録がある。
20世紀に入ってからは、必要部位を取り除いた後に残った肉と骨は肥料として販売され、昭和初期にはサーカス用途にも捕獲されていた。
1900年代初期から戦前にかけて複数の動物園や水族館でニホンアシカが飼育されていた。
竹島周辺のアシカ漁は、1900年代初頭から本格的に行われるようになった。
乱獲が懸念されたため、1905年(明治38年)2月22日に同島の所属を島根県に決定、同年4月に同県が規則を改定してアシカ漁を許可漁業に変更、
行政が許可書獲得者に対し指導して、同年6月には共同で漁を行うための企業「竹島漁猟合資会社」が設立されて組織的な漁が始まり、
同年8月には当時の島根県知事である松永武吉と数人の県職員が島に渡り、漁民から譲り受けたニホンアシカ3頭を生きたまま連れて帰り、
県庁の池で飼育していたがまもなく死亡し剥製(後述の各高校に所蔵されていた内の3頭)にした、と山陰新聞(当時)が同年8月22日に伝えていた。
アシカ漁では平均して年に1,300-2,000頭が獲られており、1904年(明治37年)からの僅か6年間で14000頭も捕獲するなど、明治大正年間の乱獲によって個体数・捕獲数共に減少していった。
昭和初期には見世物として使用するため興行主(木下サーカス・矢野サーカスなど)から生きたままのニホンアシカを求める依頼が増えたが、
その需要に応える量を確保することが難しい状況になっており、1935年(昭和10年)ごろには年間20-50頭まで落ち込んでしまった。
捕獲量が最盛期のおよそ40分の1にまで激減したことや、太平洋戦争勃発の影響で、戦中アシカ漁は停止された。
戦後は竹島関係の事例が複数報告されており、1951年11月に鳥取県立境高等学校水産科が竹島に行く際、実習船と並んで泳ぐニホンアシカを目撃した証言、
1950年代に竹島を占拠していた独島義勇守備隊により、アシカが20 - 30匹ずつ群れをなして泳いでいる姿を目撃、などが挙げられる
朝鮮戦争中(1950-1953年)には韓国兵が射撃訓練の的として使ったとの噂もある。
WWFによると、繁殖は1972年(昭和47年)まで確認されており 、捕獲された個体が韓国の動物園で子供を出産したという記録が残されている。
1974年に礼文島で幼獣一頭が捕獲され、1975年に竹島で韓国の自然保護団体が目撃した記録が現在における最後のニホンアシカ目撃事例となっており、
以後は生息の情報は得られておらず、絶滅したものとみられている。
42 :
ありがとうございました
43 :
46 :
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タグ :絶滅動物 投稿日時:2014年04月28日 10:00 | 投稿者:brow2ing | コメント(10)
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1.ぶらぶら

なんで絶滅の原因に常にヨーロッパ人がからんでるの

2.ぶらぶら

人間はくそ

3.ぶらぶら

ヒトのせいで滅んでるの大杉わろえない

4.ぶらぶら

人間がクズってことがものすごくわかりました。

5.ぶらぶら

近い将来朝鮮人モドキがそこに加わることを願ってる。

6.ぶらぶら

ステラーカイギュウは何度見てもエグいな

7.ぶらぶら

※1
×ヨーロッパ人
○人類

8.ぶらぶら

人間も絶滅すればいいのに

9.ぶらぶら

人間が直接的・間接的に滅ぼした動植物→200種超
地球の動植物→1750000種(人間が名前をつけた動植物のみ)→事実上30000000種
まだまだ行ける

10.ぶらぶら

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