日本服飾史back

日本服飾史


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1:
日本の衣服の歴史について語りましょう
転載元:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286769080/
日本史上で最も陰鬱として暗い時代はいつだったか
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4664020.html
2:
♪葉っぱ一枚あればいい?
9:
和服のルーツは中国です♪
10:
ま、嘘ではないけど
11:
いいや、嘘だろ
12:
今も着物の事を呉服というように、元は大陸の衣服がルーツになっている。清代以前の中国の衣服や、ネパールや朝鮮の伝統衣装見りゃ分かるでしょ。
15:
>>12
今は着物を呉服と言う場合もあるが、元々は反物・主に絹織物のことだよ。
元々は衣類を指す言葉ではないから、衣類(着物)のルーツには関係ない。
13:
間違えた、ネパールじゃなくてブータンの伝統衣装だったよ。
24:
現代の和服の形になったのは小袖が表着になってからだっけ
26:
>>24
基本的にはそうと言われてる
…が、仕立て方や帯の形態、着付け方等の変遷も激しいので(特に女物)、時代が違うと同じ小袖でも別物みたいだったりするw
40:
>>24
小袖は元は下着なんだよねw
現代和服は小袖の着流し。
着物を外国人に紹介して驚くのは、糸をほどけば一枚の布に戻る造りになっていること。
(最近の大量製品の着物は知らないけど)
この発想は一枚の紙で何かを作り出し、再度一枚の紙に戻せる折り紙と同様。
関連性を考えると面白い。
39:
女学生の袴も巫女の袴も、なにゆえにかくも洗練された優れたデザイン性を有しているのか?
アレを考案した下田歌子はネ申だと思う。
56:
>>39
大正?辺りだったと思うけど、洋服の影響で女性がズボンを穿くようになった時、
西洋文明の弊害だ!女性のズボンの反対!って社会風潮があったらしいw
女袴がスカート状主流になるはずだよ
58:
>>56
行灯袴が主流になったのは、おトイレの便利さを考慮してじゃ?
裾を全部まくり上げちゃえば楽に用を足せるから。
59:
>>58
複数要因だろう
小袖主流の美的感覚がその後の和服に関係したと思う
48:
戦国時代といえば、木綿がどんどん普及しだした頃だね
麻の着物ばっか着てたパンピーにはかなり有り難かったんじゃないかな
49:
インドがもっと近かったら綿普及も早かったろうに
50:
古代に伝来したものの、定着しなかったとか>木綿
室町時代に朝鮮木綿が珍重されたから、その流れで国産化を目指して今度は成功したぷー
55:
>>50
宗氏と堺商人はそれでボロ儲けだぜw
わらしべ長者貿易で儲けれた時代が羨ましい。
52:
貫頭衣から変遷していく過程はそれなりに興味深いと思う
69:
>>52
日本の貫頭衣は言葉から連想されるような覆いかぶさる代物じゃなく
合わせる着物っぽい物
遺跡から縫い針や縫い布が存在するし、貫頭衣の捉え方はこっちが定説じゃないかな
70:
>>69
それって貫頭衣って呼べるのかい?
73:
>>70
慣例上そう呼んでるだけみたいだよ
57:
今はジーパンが主流かw
セーラー服がスカートで良かった
60:
>>57
セーラー服も本当はズボンだったのに、女学生用と結局スカートになった
人民服は女性用でもズボンだった
奇妙なところから文化差異が見える
63:
戦国時代も女性は袴をよく着ていた
ドラマや映画は着ていない時多いな
65:
>>63
その説はちょっと疑問
女性の服飾から袴が消えていく流れは既に鎌倉時代頃からできていた訳で
戦国時代ともなると、宮中で着用される衣装か(春日局の肖像画みたいな)
庶民の野良着等の特殊な状況でしか見られないのでは?
64:
ドラマはあてにならないね。
膝立てて座らないし、帯も時代不明になっていたり。
腰巻見たくても打掛ばっかで残念な気分になる。
66:
>>64
大河ドラマは酷いもんだよ
77:
武士ってなんで烏帽子かぶらなくなったの?
81:
>>77
烏帽子は武士に限った被りモノではないし。被られなくなったのは流行だな。
88:
>>81
流行って言われちゃうと身も蓋もないな
93:
烏帽子も時代で形態がかなりかわる。平安時代には高かったのに
江戸後期になると漆で塗り固められて小さくて頭上にちょこんと。
髷に結ばないと落ちる。
97:
>>93
普段武士がかぶらなくなったのって
厳密にどのあたりなんだろう
98:
>>97
それは地域や家中によって大きな差があると思うが、
やはり統一政権ができる織豊期が過渡期ではないだろうか。
直垂・素襖に代わって肩衣が武士の衣服の主流となったもの大きい。
信長が謙信に送ったとされる洛中洛外屏風図には直垂・素襖の武士は
侍烏帽子を被っていて肩衣の武士は被っていない。
また公家も古代中世には寝る間も烏帽子を被って、髷をさらすのは恥と
されていたが、近世には外出時以外は小袖指貫姿が一般的で
その時は烏帽子は被らなくなった。
105:
>>98
烏帽子をかぶらなくなったというか
烏帽子込みで着る直垂のほうを着なくなった余波とかんがえたほうがいいわけか
100:
昔の人が市場で衣服を買う感覚って、
現代で言ったら軽自動車買う感覚なんだろうなぁ
102:
>>100
というよりも、スーパーで出来あいのお惣菜買う方が近いんじゃないかな。
103:
着物はお古を着回ししまくる文化よねぇ。
104:
ヒゲを生やさなくなるのは烏帽子がなくなったのと同じくらいかな
106:
髭は家康が禁じた。戦国大名はみな髭を生やしていたが江戸時代以降は幕末まで髭を生やさなかった。
107:
>>106
禁じた書があるの?
111:
>>107
昔、NHKの番組で見た。実際、江戸時代の人物の肖像画はみんな髭なしなので鵜呑みにした。
真偽のほどは…解りません!
間違ってたらごめんな!
114:
髷って何時代からですか?
115:
3500年前の簪が出土しているのでそのあたりから。
吉野ヶ里遺跡からも出ている。
119:
3500年前
120:
髷の件、ありがとうございました。
アジア限定ですかね?
石像見る限りでは、ヨーロッパは違いますかね?
121:
着物だけを着て生活してたら、体の使い方が全然違ったものになりそうだな。
たまに着物着ると、きつい着付けでなくても、疲れるもん。
122:
なんか安土桃山前の狩衣的というか直垂的なのって平服でも
あんまりラフな感じが無いね
戦国時代や江戸時代になると武士でも平服はダルダルなイメージなのに
123:
その江戸時代のダルダルも現代の我々にとってはとてもラフではない
128:
>>123
むしろ現代人並みかそれ以上にラフ
良い年のおっさんでもすぐにもろ肌脱ぎたがる
半ケツかまわず裾まくりあげる
そのくせいくら幕府が禁止禁止うるさく言ってものらりくらりと制約を回避しながらおしゃれを楽しむ
ゆるさでいったらDQNの腰履きなんか目じゃないもんな
124:
南蛮人が来るまで襦袢がなかったって知ったんだけど
下着代わりの小袖が普段着になって以降襦袢が出来るまでの期間って
一体下着は何着てたの?
125:
男は褌、女は腰巻。
126:
>>125
サンクス
上は直に着物着てたって思っていいのかな
127:
下着という概念は西洋にもないでしょ。
ワイシャツの下が長いのは下に回して日本の褌みたいなものだろうし。
130:
武士の着流しなんかも浮世絵見る限りでは
温泉に来た現代のおっさんが着てる浴衣なみにゆるい
131:
そうそう。時代劇みたいなカッチリした着付けが、嘘っぱちとまでは言わなくとも、少なくとも普通ではなかった。
132:
一般家庭でくつろいでる庶民が全員おろしたてのスーツ着てます
みたいな違和感かな?
133:
オン・オフでは違うだろうな。
鷹見泉石なんかは侍烏帽子に素襖でかなりカチッとフォーマルだしね。
137:
ボロボロになるまで仕立て直しして着続けるのが普通だから。
昭和天皇のモーニング・コートとか何十年も着続けていたものだろうし、英国王室なんかは公式行事で王室は古い物を着ている。
139:
天皇陛下のモーニングは、勲章が重くて垂れ下がるので、左右を少し調整してあるそうだね。
140:
将官の軍服もそうだけど勲章を支える為に裏に厚手の綿地でテーピングを回している。
150:
和服の袖ってなんで上下に広いの?
振り袖とかはまあ晴れ着ってことで飾りというかファッションなのかなっておもうけど
けっこう普段着でも狩衣にしろなんにしろ昔っから
袖ってやけにデカイよね
あれって何か実用上の意味あんの?
それともホントにただの流行というかファッションで意味のないものなの?
151:
ただの飾り。意味無し。
153:
私の考え。
ホントのところはまだ分かっていない。日本服飾史史上最大の謎。
長崎巌なんかは、大袖は権力の誇示で、小袖の袂は成り上りを意識する為とか言ってる。
でも私は、↑は後からのこじつけで、成立自体はファッション的な意味の方が強いと思う。
154:
小袖ですら
人間の腕の太さから考えたら
相当大きいしね
155:
たすきで留められるように、じゃないか
156:
袖が大きくなければ腕まくりで済むからそれはないとおもう
157:
反物を極力無駄を出さず仕立てたかった
とか妄想してみる
159:
ポケットだろ
163:
>>159
女物は振りの部分が穴あいてるからポケットにはならない。
217:
髪の毛を剃るというのは、近代以前の東アジアに結構あった。
中国だと華北、東北部、西部内陸部など。
南部でも、北からの客民であるミャオ族が持ち込んできている。
江戸時代の日本とていうのは、ヘルメット(鉄兜)の中で蒸れないようにする
発想が、月代となったのであろう。
218:
月代は大きく剃り上げたほうがかっこいいよ。
219:
たしかに烏帽子直垂姿はかっこいいよな
奇異の眼差しも意に介さずに烏帽子直垂姿に太刀を履いて福岡を闊歩した平野国臣の気持ちがわかる気がする
220:
>>219
現代では和服着てたら奇異の目で見られるわな
223:
聖徳記念絵画館にある歴史画(よく日本史の本や教科書に載ってるアレ)で、
大政奉還(1867)と廃藩置県(1871)の絵を比べると、服装の変化がわかって面白い。
二条城で将軍慶喜の御前に居並ぶ幕閣や在京の諸侯・各藩重臣は月代に裃だったが、
その4年後、旧江戸城西の丸の皇居で明治天皇の御前に居並ぶ政府高官や諸侯たちは
烏帽子・直垂だった。
高官や諸侯の服装が月代・裃から烏帽子・直垂に変化したのがよくわかる。
明治初年の高官の服装を示すものに参議前原一誠の写真があるが、烏帽子・直垂である。
武士出身の高官たちは、直垂で新政府に出仕していた。
この服装は廃藩置県後もしばらく続いていたようで、新橋・横浜間に鉄道が開通したときも、
当時の錦絵を見ると、烏帽子・直垂姿の高官たちが描かれている。
276:
浦安舞のこんな舞装束は創作衣装なの?
277:
昭和15年に制定された、「衵装束」と言う全国共通のスタイル。
緋袴、単、衵、小忌衣、裳をつける。
278:
昭和15年って皇紀2600年か。浦安舞と同時に制定されたんだな。
裳は後ろに引くものだと分かるが、単、衵、小忌衣ぐぐったらいずれも羽織って着るものか。
ということは白衣緋袴の上に三枚+裳になるのか。
329:
御立纓の冠はいつごろ使われるようになったのですか?
また、常に着用されてたのでしょうか、それとも即位礼など特別な祭式の時に着用されたのでしょうか?
330:
>>329
江戸時代以降登場、天皇だけが着用できる。
宮中では冠が不可欠で、天皇も烏帽子をかぶることは許されなかったそうだから、
常に着用していたと思う。
331:
>>330
ありがとうございます。
平常時は垂纓の冠を被られて、特別な時のみ御立纓の冠を被られるのかと思ったのですが、
日頃から御立纓の冠を被られていたんですね。
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