世界史の中に潜む不気味な話back

世界史の中に潜む不気味な話


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1:
世界史関係の本を読んでて、幽霊とか怪生物の目撃情報とか猟奇事件について
記述があったら書き込むスレです。
2:
例えばこんなのとか
アテナイに幽霊の出る家があった。哲学者のアテノドルスが借りて住んでいた。
足に鎖、手に枷をはめられた幽霊が出て、ついてこいという身振りをした。
ついて行くと中庭まで来て、消え失せた。家主の許しを得て中庭を掘ったところ、
出て来たのは鎖に縛られた骸骨であった。葬儀をした後、幽霊に悩まされる
ことはなくなった。
(小プリニウス『書簡集』)

4:
ある放埓な男が、妻の不貞を暴くべく梁の上にいたところ、転落して死んだ。
キリスト教徒として正しく葬られたのだが、生前の行動により益無かったものか、悪魔の力により、夜毎に墓から出てさまよい歩く様になった。
かくして街中では犬の吼ゆる声が止まることなく、家々も閂を鎖して外には出ぬ
様にしていたが、それも効果は無かった。
それというのも、この男が歩いた後には、疫病が流行したからである。
その後、疫病で親族を失った兄弟が墓を暴いたところ、ほんのわずかな土の下か
ら男の死体が現れた。
体はふくれ、頬は赤く染まり、まるで生前の如し。
何人の血を吸いしやと、はっしと鋤で以って首を落とすや、鮮血が飛び散った。
かくして、さしもの疫病も止むに至ったという。
(『イングランド事件史』1196年)
12世紀頃のイングランドの記録には、東欧の「吸血鬼」伝承と共通した記事が
多く、近世以降の記録ではもっぱら東欧に限られた伝承が、この地域にも分布
していた時代があった様です。
36:
>>4
「赤死病の仮面」みたいな話だな
赤死病の仮面『赤死病の仮面』(せきしびょうのかめん)は、1842年に発表されたエドガー・アラン・ポーの短編小説。国内に「赤死病」が蔓延する中、病を逃れて臣下とともに城砦に閉じこもり饗宴に耽る王に、不意に現れた謎めいた仮面の人物によって死がもたらされるまでを描いたゴシック風の恐怖小説である。
WIKIより引用
9:
プロコピウス『戦史』にある話
ユスティニアヌス帝の治世に、コンスタンティノープル周辺の海域に
「ポルフィリオス」と呼ばれる海の怪物が50年近くもの間出没し、
航海する船に近づいては沈没させたり安全な航路から外れたところまで
押しやったりしていた。
皇帝は威信をかけてこの怪物を討伐せんとしたが、どんな手段を尽くしても
ポルフィリオスを捕らえることはできなかった。
そんなある日、一頭の巨大なクジラが浜に乗り上げた。
人々はこれぞ例のポルフィリオスだろうといって、ロープでクジラをさらに
陸へと引き上げ、肉を切り刻んで分配してしまった。
しかし、ある人々はこういっているとプロコピウスは記す。
「あれは本当にポルフィリオスだったのか?」と。
なんですかそのホラー風の〆方は・・・
10:
>>9
普通に鯨だったんじゃないの?
船を見るとじゃれついてきたりするらしい
12:
ククク、ポルフィリオスは我ら鯨の中でも一番の小物・・・
13:
ケルン司教区のシュタムハイムという村で起こったことである。
騎士が二人住んでいて、一人はグンター、今一人はフーゴーと言った。
グンターが十字軍に出かけていた時のある夜、就寝前の用を足させるため
召使が子供たちを中庭に連れ出した。すると、囲いの外から白衣を着て
顔色も青ざめた女の形をしたものがじっと彼らを見つめていた。
何も言わなかったが、姿を見ただけでぞっとした。そのものは垣根を越えて
隣のフーゴーの地所へ行った。
数日後グンターの長男が病気になって、こう言った。
七日目に僕は死ぬ。その次の七日目に妹のディナリが死ぬ。もう七日すると
下の妹が死ぬ。全部その通りになった。そればかりか、子供たちの後を追って
母親も、上述の召使も死んだのである。同じ頃、隣の騎士フーゴーとその
息子も死んだ。これはわが副院長ゲルラック師から聞いた話である。
(ハイステルバッハのカエサリウス『対話』)
301:
>>13
大体夜中の白衣着た女って幽霊の定番だけど、
実際のところ女が白い服着て夜中に国道とかに突っ立ってたらどんな感じなんだろ?やっぱ怖いもんなんかな?
あんま露骨にそれっぽい格好してると、肝試しかテレビのロケでもやってんのかなってなりそうだが。
302:
>>301
なんか、1980年代に口さけ女伝説が流行っていた頃、
友達を驚かそうと、白い着物を着て、長い髪を解いて、口紅でメーキャップをして夜の国道を歩いている女性がいて、
警察に通報されたという笑い話があるらしい
14:
うむ。不思議だ
16:
トマス・ウォルシンガム『イングランド史』にある話
1379年の秋、アランデル伯の弟ジョン・アランデル卿が、配下の兵を
引き連れてとある尼僧院へとやって来た。
卿はブルターニュへ渡るため、ここでしばらく逗留したいといった。
院長は、アランデルが連れて来た武装した若者の数があまりに多いのを
恐れたが、渡航者へ宿を提供するのがその尼僧院のつとめであったので、
やむなくそれを許可した。
だが、風向きはいつまでも変わらず、出港はいつになるか見当もつかなかった。
退屈を紛らわすため兵士たちは酒を飲み、尼僧をからかい始めた。
尼僧たちは宿坊に鍵をかけて閉じこもったが、兵士たちは怒りに任せて扉を破壊し、中にいた尼僧をつぎつぎと犯した。
尼僧院は兵士たちによって略奪された。彼らはまた近隣の教会へ向かい、聖杯や
銀器をことごとく盗んだ。そこで結婚式の行列に出くわすと、彼らは剣を抜き、
花嫁を強奪して輪姦した。
兵士たちはその女とできる限り多くの尼僧を船に乗せて出港した。一日かそこらの後、東から大嵐が吹きつけてきた。アランデルは船を軽くするために女を全員
下ろせと命じた。六十人ばかりの女が荒れ狂う海に投げ込まれ、船はアイルランドへ向かった。
やっぱり一番怖いのは人間。
17:
うわあ、オチがつかないのかw
18:
>>17
オカ板の怖い話スレでもこういうのあったなーと思って。
19:
天福2年(1234)のことである。
時の帝である後堀河院は、先ごろお産が元で中宮と御子を失われ、意気消沈
しておられたが、その日は法勝寺の法華講に出席されていた。
法勝寺といえば、九重大塔で有名な寺である。
寺へ到着された後堀河院は、唐様の見事な塔を見上げられた。
すると、ありうべからざるものが見えた。
普段は人の立ち入らぬ筈の塔の下から三層目に、人の姿が見えたのである。
しかも、この日は行幸があり、見下ろす者のあろう筈もない。
更に付け加えると、その人とは、崩ぜられた中宮であった。
後堀河院は、傍に控えていた摂政に、「あれが見えるか」とお訊ねになった。
すると、摂政の目にも見えるということ。
しかし、他の人間には、誰に訊いても見えはしなかった。
この後しばらくして、後堀河院は崩御された。
(『五代帝王物語』より)
31:
『ヨーハン・ディーツ親方自伝』より
これはある軍医に教えてもらったことだが──この人物はオランダ大使の
もとで働いていたとき、瀕死の重傷を負ったあるトルコ人の治療に当り、
そのトルコ人からひじょうに気に入られたのでたびたびその家に招かれた
のだが、女の姿をついぞ見たことがなかったという──
軍医はそのトルコ人にぜひともご令室にお目にかかりたいと頼んだ。トルコ人はいいともと請け合い、一緒に階上の妻屋つまり小部屋まで連れていってくれた。
見ると、部屋の中ほどにみめ麗しきご婦人が六人もいて、絨毯の上にじかに足を組んですわり、刺繍や縫い物をしていた。みな驚いてはにかむような表情をみせた。
するとトルコ人は、「わしについて来なさい。ほかの女も見せてしんぜよう」と言った。
トルコ人は軍医の手をとり、階段を下りていった。よろい戸のかんぬきを外して開け、中をのぞいてみなさいと言う。中は真っ暗で何も見えなかったが、藁の中で何か金属のような音がたしかに聞こえた。それからトルコ人がもう一つのよろい戸を開けると、すっかり明るくなった。
軍医が見たのは残酷な見世物だった。全裸の女が一人、乱れ髪を顔のまわりに垂らしたすがたで、鎖につながれて横たわり、そのそばに、なかば喰いちぎられた人間の死体がぶら下がっていたからである。軍医はぎょっとして飛びのき、これは何かと訊ねた。
これも妻の一人ですが、背教者(つまり、かつてキリスト教徒であったが、イスラム教に改宗してトルコ人となった者)、ほら、そこにぶら下がっている男と情を通じたのですよ、とトルコ人は軍医に説明した。男を現場で捕らえて刺し殺し、ここにぶら下げたのだ。
しかし女はこれを食らうほかない、いずれ飢え死にするであろうが、と。
32:
ダンテの神曲にもウゴリーノ伯の「飢餓の塔」の話がありますね
でも、21世紀になっての発掘調査によると、ウゴリーノたちの死因は飢餓ではなかったとされたのでしたか
33:
>でも、21世紀になっての発掘調査によると、ウゴリーノたちの死因は飢餓ではなかったとされたのでしたか
詳しく
34:
すいません、検索したら出てきました。
頭蓋骨陥没って・・・
ウゴリーノ・デッラ・ゲラルデスカウゴリーノ・デッラ・ゲラルデスカは、中世イタリアの貴族。ドノラティコ伯。ピサ共和国の名家である、ギベリン(皇帝派)のゲラルデスカ家の当主で、海軍提督を務めた。ダンテ・アリギエーリ作『神曲』地獄篇に登場する人物としても知られる。
WIKIより引用
45:
晋書劉聡載記に気味悪い話が…
巨大な肉の塊が落下し、その周辺に泣き声がしていて昼夜やまなかった
皇后劉氏が蛇と猛獣を産み、これらは人を害しながら逃亡して行方不明となり、その後肉塊の傍らで見つかった
突然劉氏が死亡し、肉塊は消え失せて泣き声も止んだ
46:
>>45
中国の怪異譚は因果関係がよく分からなくて怖いのが多いね
当時の人間には解読?できたのかもしれないけど
オカ板の怖い話にも過去の世界の因縁のコードを理解
できないことによる恐怖というのが多いような気がする
58:
徳川家康が宇宙人の訪問を受けたという話がなかったか?
59:
駿府城の肉人かな?江戸の随筆『一宵話』が出典とあるが。
妖怪『ぬっぺっぽう』と関わりがあるともされ、京極夏彦や杉浦日向子がネタにしてる。
ぬっぺふほふ(ぬっぺっぽう)ぬっぺふほふまたはぬっぺっぽうは、『画図百鬼夜行』や『百怪図巻』などの江戸時代の妖怪絵巻にある妖怪。顔と体の皺の区別のつかない、一頭身の肉の塊のような姿で描かれている。
(中略)
1609年(慶長14年)、駿府城の中庭に、肉塊のような者が現れた。形は小児のようで、手はあるが指はなく、肉人とでもいうべきものだった。警戒の厳しい城内に入り込む者は妖怪の類であろうと思われたが、捕まえようにもすばやく動いて捕まえられない。当時の駿府城に住んでいた徳川家康が、その者を外へ追い出すよう命じたため、家来たちは捕獲をあきらめて城から山のほうへと追い出した。
WIKIより引用
61:
徳川光圀が、八幡の藪知らずに入って出られなくなった、
って話は出典はあるのかな?
藪知らず自体は、今でも市中に唐突にある奇妙な藪として、
立ち入り禁止のまま残ってるんだが
八幡の藪知らず八幡の藪知らず(やわたのやぶしらず)は、千葉県市川市八幡にある森の通称。古くから禁足地(入ってはならない場所)とされており、「足を踏み入れると二度と出てこられなくなる」という神隠しの伝承とともに有名である。市川市が設けた解説板には「不知八幡森(しらずやわたのもり)」と記されており、ほかに「不知森(しらずもり)」「不知藪(しらずやぶ)」とも称される。現在は不知森神社(しらずもりじんじゃ)の一角のみ立ち入りができる。
水戸黄門が迷って出てこられなかった説
水戸黄門こと徳川光圀が当地に立ち入って迷い、ようやく出たのちに禁足地とした説。後に錦絵に描かれ広まった。しかし、それ以前からここは禁足地であった可能性は高い。
WIKIより引用
【八幡の藪知らずの場所】
大きな地図で見る
66:
>>61
光圀公がどっかの寺の祟りがあるという岩に
座ってみせたという話は何かで読んだ
72:
また晋書の話だが
前秦の苻ヒが敗れた際、その司空徐義は西燕の慕容永に捕らえられた。
繋いで土に埋められ、殺されようとした所で観世音経を唱えると夜中にひとりでに土が開いて脱出することができた。
周囲には多くの兵がいたが、人が導いているかのように逃れ出た。
晋の楊セン期のもとへ奔り、洛陽令に任命された。
石虎らの仏図澄の扱いを考えると、仏教は呪術のように捉えられていたようだね
73:
晋書っておもしろいこと沢山書いてるんだな・・・
87:
またまた晋書
諸葛長民伝より
長民が富貴となった後、ひと月のうちに十数回も眠っていたところを飛び起きて人と組み打つような動作をした。
毛脩之がかつて同宿した際にこれを目撃し、驚いて理由を問うた。
長民が答えて言った「真っ黒で毛が生えた物がいるのが見えるが、我でなくては制することができないのだ」
屋内の柱の間から蛇の頭が出てきた為に人に刀で斬りつけさせたが、蛇は刀が近づくと引っ込み、遠ざかるとまた出てきた。
衣を引っ張って話しかける声が聞こえたが、その言葉は理解できなかった。
壁から長さ七八尺の巨大な手が出現し、これを切らせると突然見えなくなった。
その後間もなく誅に伏した。
88:
>>87
オカ板の洒落怖の体験談にたまにこういうのあるな・・・
89:
>>87
『晋書』は、伝陶潜作『捜神後記』とかぶるネタが多いですね。
実際は陶潜作ではないそうですが、同一原拠なのか、『晋書』が『捜神後記』を
ネタにしたのか、『捜神後記』が『晋書』をネタにしたのか。
二番目でもおかしくないぐらい、正史の癖に変な記述が多い。
90:
>>89
wikiでチラッと見てきました
晋書はだいぶ評判が悪いですね…
荒唐無稽と言われてもおかしくない様な記述も少なくないです
そう言えば、三国志でも諸葛カクが殺される時に屋敷の奉公人に異様な振る舞いがあったこと等記されているが、こうした話はみんな終わりの良くない人ばかりだ
晋書『晋書』(しんじょ 正体字: 晉書)は、中国晋王朝(西晋・東晋)について書かれた歴史書。二十四史の一つ。唐の648年に太宗の命により、房玄齢・李延寿らによって編纂された。帝紀十巻・載記(五胡の単于・天王・皇帝に関する記述)三十巻、列伝七十巻、志二十巻によって構成される紀伝体。
WIKIより引用
91:
「ヨーハン・ディーツ親方自伝」より
ゲルマン圏でよく見られたという「荒ぶる狩猟」の一種でしょうか
このあたりの山地でリューベツァールのことがさかんに話されているのを
耳にした。そして一夜をその山麓で過ごしたのである。火のないところに
煙は立たぬ、流刑の森の精か悪魔かが悪さをしないとも限らぬ。その証拠に、
夜、ある家で藁の上に横になっていると、深夜に馬と犬と狩人のものすさまじい
ざわめきと反響が、何度も家の前を通りすぎていくのを、わたしはこの耳で
聞いた。こんなことは毎晩で、めずらしくもなんともないと人々は言った。
ほかにも、リューベツァールは人々を迷わせる、そいつをからかう者の上に
雷雨を引き起こすことができるなど、リューベツァールの言い伝えには
事欠かなかった。真偽のほどについては、どちらとも答えないことにする。
92:
>>91
いわゆる「夜の狩人」の類に見えますね。
出現するとされたのは冬が多いそうですが、
>そいつをからかう者の上に雷雨を引き起こすことができるなど、
からかった人間に害を与え、時に撃ち殺して連れて行くとよく言われていますし。
114:
蜀書トウ芝伝と注より
トウ芝は延熙十一年に発生した反乱を軍を率いて征伐して頭目をさらし首にした。
十四年に死去した。
トウ芝が遠征した際に黒い猿が山沿いに行くのをみつけた。
芝はいしゆみが好きだったので、自ら猿を射て命中させた。
猿は矢を抜くと木の葉で傷口をふさいだ。
芝は言った「ああ。わしは生物の本性にそむいてしまった。まもなく死ぬだろう」
115:
>>114
意味がわからず不気味。
こういう不気味さはある意味、予定調和な展開にならないとき面白いと感じる笑いと似てるかも。
116:
「生物の本性に背く」って何だ?
喰う必要もないのに他の生物を狩ることか?
117:
>>116
>猿は矢を抜くと木の葉で傷口をふさいだ。
おそらくここ。
猿以外の何かをうってしまったのだろう
146:
「神の存在を証明しろ」と要求する無神論者は、
宇宙が無から生じたという理論の証明をするべきです。
理論物理学は、机上の空論という帳尻合わせの域を脱せない。
観測などによる無から有が生じたという証拠が必要だからです。
「論より証拠」証拠が無ければ人間の虚しき空想で終わる。
一方で神の存在は、旧約聖書から新約以降の聖人伝に至るまで、
神秘体験などの目撃者、物理法則を超えた奇跡、などで証言されている。
構造力学の理論を越える奇跡の建築
聖ヨゼフの螺旋階段 (ロレットチャペルの螺旋階段)
9日間の祈りの最後の日、どこからともなくロバを連れ
大工道具箱を持った白髪の男が訪ねてきました。
そして、ハンマーとのこぎりとT定規というわずかな道具で、
スペースがないチャペルに場所を取らない螺旋階段を作り、
聖歌隊の桟敷に安全に昇り降りができるようにしてくれました。
ロレットチャペルの「脅威の螺旋階段」
奇跡の階段 ロレット・チャペル
147:
聖母マリア御出現の巡礼地メジュゴリエにて
太陽のダンスと呼ばれている奇跡
Medugorje miracle of sun - 2.8.2009
Medjugorje Sun Miracle Part 1 of 3
Medjugorje - miracolo del Sole 24.06.2009
毎月25日に発せられる
メジュゴリエの聖母によるメッセージ
?省略?
私の呼びかけに応えてくれてありがとう。
http://homepage3.nifty.com/mercy/medjugorje/index.html
148:
カトリックには「エクソシスト」がいる
その人たちについて書かれた本をよんだことあるけど、
悪魔つきは、ほとんどの場合、精神病だとエクソシスト自身がいっている
16世紀の悪魔祓いでクライアントが吐いた釘は16世紀の技術で作られたもので、
20世紀の悪魔祓いでクライアントが吐いた釘が20世紀の技術で作られたものなのは、どうしてだろう、って
「これが逆なら驚きますが」とエクソシストの資格のある神父さんの言
ただ、ときどき、理解に苦しむのもあって、それは本物の悪魔つきなのか、
現代の精神医学では対処できない精神病なのかはわからない・・・ともおっしゃってた
映画「エクソシスト」のモデルになった神父さんは、とても立派な方で、
確かに超能力を持っているのではないかと思わされるような人だったらしいが、
その人の生い立ちを見ると、少年時代に修道院に入って、現在の目から見たら、
児童虐待じゃないかと思わされるような厳しい修行を積んだ人
もともとその素質があり、なおかつ、幼い時からそのための厳しい修行を積んできた人のみがもつことのできた、
集中力・洞察力その他からくる「超能力」だったんだろうな
149:
しかし、釘をはく行為が精神病からくるものなら、
釘を吐くためにほうばるという姿も鬼気迫るものがある
ありきたりな感想だが、そりゃ、悪魔も怖いけど、悪魔を創造する人間の心もまたこわい
人間の心の複雑さには驚くより仕方がない
150:
アーサー王がなぜかシチリア島で魔王になっている話
ハイステルバッハのカエサリウス『奇跡をめぐる対話』より
皇帝ハインリッヒがシチリアを征服した頃、パレルモの教会に首席司祭がいたが、彼は確かドイツ人だったと思う。ある日、素晴らしい馬がいなくなってしまったので、彼は召使にあちこち探させた。途中で出会った老人が召使に尋ねた。
「どこへ行くのかね、そして何を探しているのかね」。
「主人の馬を探しているのです」。
召使が答えると。老人は「わしは馬がどこにいるか知っておるよ」という。
「では、どこにいるのですか」と尋ねると、老人は答えた。「ギベル山だよ。私の主人の
アーサー王がその馬をもっておられる」と。その山はエトナと同じく炎を吹き上げていた。
老人はいった、「お前の主人に、一四日目にあの山の宮殿に来るようにいいなさい。もしお前が伝えないと、厳しい罰を受けるぞ」。
召使は戻って主人におののきながら、聞いたことを伝えた。首席司祭はアーサー王の宮殿に招かれたことを聞いて笑いとばしたが、やがて病気になり、指定された日に亡くなった。
この話はボンの聖堂参事会員をしているゴットシャルクから聞いた話だが、彼はそのときパレルモにいたという。
当時、火山は煉獄の入り口と考えられていた。
アーサー王物語アーサー王物語(アーサーおうものがたり)またはアーサー王伝説(アーサーおうでんせつ)とは中世の騎士道物語の一つ。ヨーロッパの伝説の中でも最大級の伝説ともいわれ、今日ではヨーロッパだけでなく世界各地で知られている伝説である。アーサー王自身の説話を中心として、円卓の騎士・聖杯伝説・宮廷愛など数々の派生した話に彩られている。
WIKIより引用
関連:アーサー王の剣とは?
152:
>>150
そもそも当時アーサー王伝説ってどこからどう伝わったんだろう。
イギリスからシチリア。バイキング経由かなあ。
地元に伝わる別の伝承がアーサー王伝説に結びついたというか
アーサー王に仮託された可能性もあると思うけど。
153:
>>150を見る限り、少なくともドイツやイタリア辺りまでは
アーサー王の名前が説明なしで分かるほど知られていたのかな
151:
アーサー王は、妖精郷とかそういう、
いわゆる「常世」「あの世」と相性が良い伝説の人だからなぁ。
「あの世」の関係者として魔王的に伝承されてもおかしくないわな。
152:
>>151
そもそも当時アーサー王伝説ってどこからどう伝わったんだろう。
イギリスからシチリア。バイキング経由かなあ。
地元に伝わる別の伝承がアーサー王伝説に結びついたというか
アーサー王に仮託された可能性もあると思うけど。
154:
【10月25日 AFP】フランス・パリ(Paris)近郊の小村ラ・ヴェリエールLa Verriereで23日、
集合住宅の4階に暮らす一家のうち11人が「悪魔から逃げようと」次々にバルコニーから飛び降り、乳児1人が死亡、7人が重傷を負うという奇妙な事件があった。
 数人が集合住宅のバルコニーから飛び降りたとの通報を受けて駆けつけた消防が発見したのは、腕に刺し傷を負った全裸のアフリカ系男性1人と、子ども3人、乳児1人を含む負傷者らで、このうち乳児はパリの病院に運ばれ手当てを受けたが、死亡した。
 検察発表によると、事件が発生したのは同日早朝、この家に暮らす一家のうち13人がテレビを見ていたとき。乳児が泣き出したのを聞いて起きた男性が、全裸のままミルクを作りに行こうとしたところ、その姿を見た男性の妻が「悪魔よ、悪魔だわ!」と叫んだ。
 これを聞いた妻の姉妹が男性の腕を刺し、玄関から男性を追い出した。男性が部屋に戻ろうとすると室内はパニックになり、一緒に暮らしていた家族が次々に窓から飛び降りたという。
 警察によると、2歳の子どもを連れて飛び降りたある男性は、這って2ブロック先の茂みまで移動して身を隠したが、「自分の身を守らなければならなかった」と叫んでいたという。
 捜査では、部屋から幻覚薬の類やオカルト儀式が行われていた形跡は見つかっていない。(c)AFP
夫を「悪魔」と勘違い?4階から11人飛び降り パリ郊外
171:
つ麦角中毒
>>154
きっとこれだろう。
麦角中毒(中略)
しかも、この麦角菌が体内に入ると、体の末端部分の壊疽や極度のしびれ、精神錯乱、記憶の欠如、そして幻覚を体験するといった中毒症状を起こす事が分かっている。つまり、このフランスの田舎町で起こった事件は、麦角菌に侵されたライ麦を使用して作られたパンを、町の人々が知らずに食べて麦角中毒に陥り、腹痛や幻覚症状を引き起こしたものだったのである。
DraconiaWikiより引用
155:
この事件は前夜に家族が食べた茸のなかに毒キノコが混じっていたのが原因。
むかしはよくキノコ中毒による幻覚でこういう事件があったとされている。
156:
あー昔の猟奇事件や怪奇事件の真相って食物起因の幻覚が結構ありえそうだね。
157:
ラザロ兆候
ラザロという男性が脳死判定された直後
身体を切り刻まれ臓器移植を開始したときの動画
脳波停止しているのだが
動画を見ると明らかに激痛を嫌がっている
医者は脊髄反射と言うが本当なのかはラザロにしかわからない
どういうわけか
この動画があちこちから削除されている
ラザロ徴候ラザロ徴候(ラザロちょうこう)は脳死とされる患者が自発的に手や足を動かす動作のことである。1984年にA・H・ロッパーによって脳神経科学誌の『Neurology』に報告され、ラザロ徴候と名づけられた。名前は新約聖書でイエスによってよみがえったユダヤ人のラザロに由来する。
WIKIより引用
158:
>>157
今ではそれがあるから、脳死判定後も必ず麻酔使うんだったか。
161:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%83%AD
ラザロ
『ヨハネによる福音書』11章によれば、イエスによっていったん死より甦らされた。ラザロが病気と聞いてベタニアにやってきたイエスと一行は、
ラザロが葬られてすでに4日経っていることを知る。イエスは、ラザロの死を悲しんで涙を流す。イエスが墓の前に立ち、「ラザロ、出てきなさい」と
いうと、死んだはずのラザロが布にまかれて出てきた。このラザロの蘇生を見た人々はイエスを信じ、ユダヤ人の指導者たちはいかにしてイエス
を殺すか計画しはじめた。カイアファと他の大祭司はラザロも殺そうと相談した。(ヨハネ12:10)
名は体を表すというが、>>157の話にハマりすぎ。西洋の都市伝説の一種じゃね。
159:
脊髄反射だろ。
脳ミソ切り取ったカエルだって、電気流せば筋肉が動くんだぜ。
脳が死んでても臓器は生きてるから、移植に使えるんじゃないか。
160:
確かに、反射出るくらいフレッシュでないと、使えなさそうだな。
187:
『三国志』魏志・公孫淵伝より
公孫淵が魏に征伐される以前、彼の家ではたびたび奇怪なことが起こった。
たとえば犬が頭巾をかぶり、赤い着物をつけて屋根に上がっていたり、
飯を炊くと、蒸し器の中で赤子が蒸されて死んでいたりした。
また襄平の北では生肉を売っていたが、それは長さも太さも数尺あり、
頭と目と口があって、手足がないのにゆらゆら揺れ動いていた。
ある占い師は「形態があるのに完全でなく、肉体はあるのに声がない。
このような怪物の現われた国は滅亡するであろう」といった。
188:
>>187
>たとえば犬が頭巾をかぶり、赤い着物をつけて
近頃はよく有るな。やはり滅亡するのかな。
189:
>飯を炊くと、蒸し器の中で赤子が蒸されて死んでいたりした。
グロすぎワロえない
192:
服を着てる…と言うか着せられてる犬は妙に可愛いからなw
268:
神奈川県で黒い砂が降ったらしいけど、昔だったら何の凶兆かと大騒ぎになっただろうな
271:
>>268
むかしから魚がふったり、カエルがふったりすることがあるんですってね。
竜巻の仕業みたいだけど。
ファフロツキーズファフロツキーズ、もしくは怪雨(かいう)とは「空からの落下物」という意味。「FAlls FROm The SKIES」の略。一定範囲に多数の物体が落下する現象のうち、雨・雪・黄砂・隕石のようなよく知られた原因によるものを除く「その場にあるはずのないものが降ってくる」現象を指す。
日本においても古くから知られた現象であり、江戸時代の百科事典、『和漢三才図会』には「怪雨(あやしのあめ)」として記述されている。
WIKIより引用
275:
>>268
菅さんが、いつぞやの災害の時に「今必要なのは政権交代ではないか」って言ってたよ。
272:
富士山噴火の予兆だろ
274:
出エジプト記のマナがふってきた話もじつは竜巻で説明できちゃうのだ。
276:
>>274
カナは降らないのかな?
277:
>>276
ふりがな って言葉があるぐらいだから カナ だってふることがあると思います/
286:
晋書呂光載記より
呂光が前秦の将軍としてクチャを攻めた時のこと
亀茲王帛純が光を防ぐと、光はその城南に布陣して五里ごとに一営を置き、深い溝を掘り高い塁を設け木に甲を被せて疑兵とした。
帛純が城外の人を城内へ移し、付属する侯王はそれぞれ城に拠って守りを固めた。
ここにおいて光の左腕の内側に脈が起こって「巨覇」という字をなした。
営外に夜になって頭に角があり目が電光のように光る黒い物体が出現したが、夜が明けると雲霧が発生してその物体は見えなくなった。
その物体の現れた場所を見ると、南北五里東西三十歩に渡って光が残っていた。
光が笑って言った「黒龍である」
突然雲が西北に発生して痕跡を大雨が消し去った。
部将の杜進が言った「龍は神獣であって人君が現れるという兆しです。
どうか将軍には励まれますように。
大きな喜びを招くことができるでしょう」
光はこれを喜んだ。
進んで亀茲城を攻めると夜に金の像が城外へ飛び出すという夢をみた。
光が言った「これは佛神が去るということであり、胡は必ずや亡ぶだろう」
帛純はカイ胡に救援を請うたが、光は城西において戦ってこれを大破し帛純は逃走した。
287:
>ここにおいて光の左腕の内側に脈が起こって「巨覇」という字をなした。
なんかここだけ少年マンガみたいでわろた
317:
近代西洋でも、占いとかオカルト類はあくまでアングラ扱いだが、
カトリック教会では公式に超常的な奇跡を認めてるよね。
・・・てことで、本題に戻って。有名な話を。すまんが適当にネット上から抜粋する。
1916年春頃、一人の少年がポルトガル中部のファティマという小さな村に現れ、
村の3人の子供(ルシア、ヤシンタ、フランシスコ)に祈り方を教えた。
1917年5月13日、ファティマの3人の子供たちの前に謎の婦人が現れ、毎月13日に同じ場所へ会いに来るように命じた。
子供たちは5か月の間、毎月彼女と会い、いくつかのメッセージを伝えられた。
婦人の姿と声は3人の子供たちにしか見えなかったが、
一緒に行った村人たちは卵型の光る物体が降下してくるのを見たという。
この話は次第に近隣の町や村へ伝わっていき、最後の出現の日である10月13日には、
国中から10万人もの人が集まった。
その日どしゃぶりの雨の中を一万人もの群集が聖母の現れるくぼ地の周囲に集まった。
熱心な祈りをささげる信者たちにまじって、∃?ロッパ各地からやってきた
新聞記者や学者、聖職者たちの姿も見られた。
昼すぎ、小さな白い雲が子ともたちの周囲にわき出て、ゆっくりと空中高く上昇していった。
と同時に激しく降っていた雨がピタリとやみ、
空をおおっていた雨雲が割れて銀色に輝く一個の光球が現れた。
それは急に回転しながら、無数の光線を放射しはじめた。
光線は黄、赤、青、紫とさまざまに色を変え、7万の群集に降りそそいで、大地にあふれた。
「奇跡だ!奇跡が起こったんだ」という叫び声があちこちからあがり、
人びとの熱狂と興奮の中で一連の「ファティマの奇跡」は幕を閉じた。
これは、集まった10万人の人々に一部始終目撃された。
318:
そしていつもの婦人(聖母)はやはり3人の子どもだけに聞こえる声で、
この地に礼拝堂を建てるように言い、3つの予言を告げた。
1、悪魔と地獄の現存:多くの人々が悪魔によって地獄へ導かれている。七つの大罪などの罪、
 特に肉欲の罪から回心しないままでいることにより人は地獄へ行く。
2、人類の危機:全人類の大半を数分のうちに滅ぼす武器が戦争で使用されることによって、
 人類が瞬時に滅ぼされる可能性がある。
3、教皇暗殺の危機:これについては口外されなかった。
(現在のカトリック教会の公式見解では、1981年のローマ法王パウロ2世の狙撃事件の予言だとされている)
フランシスコとジャシンタの二人は、6月の聖母マリアの出現の際に、
もうすぐ天に召されると予言されていた。
実際にその後、第一次世界大戦終結後に病気で夭逝した。
最後の一人ルシアは、その後修道女になり、2005年2月13日、
97歳でコインブラの修道院で死去した。
ファティマでの事件はその後、カトリック教会によって
正式に「奇跡」として認められている。
ファティマの聖母
ルシア・ドス・サントス(左)、フランシスコ、ジャシンタ。1917年撮影
当時の新聞
323:
むしろ、>>317みたいな10万人が目撃した「奇跡」があっても
自分の考えを修正しようとせず、「それはプラズマのせいだ」と言うのが
現代の「科学主義者」だけどね。
いつの時代にも、頭の固い、自分の考えと異なるものを受け入れられない人はいるのよ。
それだけの話。別に中世のキリスト教だけがどうこういう話じゃない。
330:
むしろ>>317の突込みどころは10万人もの人がどこから集まってきたんだよ!ってところだな。
どちらかというと集まった10万人の方がプラズマだったりしてな。
331:
ファティマの奇跡の話は当時のポルトガルでは有名になっていたから
予告された10月13日には、実際に国内外からかなりの群集が集まったはず。
10万人かどうかは知らないけど。
509:
三国志呉書三嗣主伝注より
楚国先賢伝に記載の孟宗のはなし
孟宗の母は特に筍を好んだ。
このとき初冬のことで、まだ筍が生えるような季節ではなかった。
孟宗が竹林に入って願うと筍がこれに応じて顔を出したため、これを掘り取って母親に食べさせることが出来た。
人々はみな彼の篤い孝心が感応を起こしたものだと言った。
522:
>>509
それ普通にいい話では・・・
527:
読売新聞に連載中の宮城谷の小説で出てきて知った話だが
光武帝の昆陽の戰いの前夜、敵陣に
夜有流星墜營中,晝有雲如壞山,當營而隕,不及地尺而散,吏士皆厭伏。
―後漢書 光武帝紀
夜、隕石が落ちてきた。そして、白雲の山のような物が天から崩れ落ちてきて
地上すれすれで消えた。それを見て兵士達は恐れ地面に伏した。
なんだこれ?
氷の彗星が落ちてきたか、マイクロブラックホールか?
ツングース爆発隕石みたいなもんか?
528:
あんまデカイのだとみんな死んでるんじゃね?
529:
昔のクトゥルー系の小説に似たような描写があったような気がする。
530:
このスレや、死因系スレや、逸話系スレだと、
たまにガチで隕石らしきものにあたって死んでる人間も洋の東西を問わず何人か居るから、
ごく稀にあることなんじゃないだろうか。
532:
フジテレビと東京新聞に出ててネット上を賑わしているネタ
歌川国芳の浮世絵「東都三ツ股の図」(1631年頃)にスカイツリーが描かれていた!
きたろう散歩番外編”歌川国芳の浮世絵VS東京スカイツリー
533:
井戸堀りの櫓だっけ?
542:
ウイグル王家の起源神話も宇宙人ぽくて怖いわ
ある時二本の樹の間に天から光が降ると、そこに塚が盛り上がり
毎夜光を受けて塚は日に日に大きくなった。そしてついに
妊婦の分娩のときのように塚が開いて、「内に一つずつ別々に
なったテント状の小室が五つ現れ、それぞれの内には男の児が
一人ずつ坐っていて、その口の前には管が下がっていて必要な
乳を供給しており、テントの上には銀の網が延びていた」。
五人の子供はその後ウイグル族に育てられて王族となり、各地を
征服したとのことである。
(ジュワイニー『世界征服者の歴史』より)
549:
>>542 月へ帰らなかったかぐや姫みたい
547:
マゼランがフエゴ島行ったとき、カヌーしか知らない原住民にはマゼランらの巨大な船が見えなかった、
みたいな話がある。
http://blog.goo.ne.jp/nbrisi/e/3208cb60e9732e3a67b13ef0a5306445
で、マゼランの記録見てみたら、該当箇所であろう箇所は
その男は提督とわれわれの面前に来ると、ひじょうに驚き、われわれが天から降りてきたものと信じて、
指を一本高くもちあげる格好をした。「大航海時代叢書1」岩波書店505ページ。
としかないんじゃなかろうか。
つまり、船を見た上で、いわばUFOが降りてきたのか!的な驚き方をしたんじゃなかろうかって思えるが。
船が見えないってのはあり得ないだろう。
ならば黒船が来たとき、日本人の中にも黒船が見えねー奴がいたとしてもおかしくなかろうって思えるし。
553:
謎の船が突然現れた例
うつろ舟虚舟(うつろぶね)とは茨城県大洗町(北茨城市とも語られる)沖の太平洋に突如現れたとされる、江戸時代における伝説の舟である。
WIKIより引用
関連:
日本史における不思議な出来事、奇談。 うつろ舟
江戸時代の浮世絵にUFO!?うつろ舟の謎
569:
日本の話だが吾妻鏡で源実朝が庭を「青女」が走り去るのを見て
その後女が消え光が飛び去っていった、という話(既出?)を読んで怖かった覚えがある。
実は「青女」ってのが下女だと知らずに「青白い女」だと思っていたので
余計に怖かった。
570:
>庭を「青女」が走り去るのを見て
>その後女が消え光が飛び去っていった
なんかバックトゥザフューチャーみたいだな
57

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