昔の食事 〜先史から明治まで〜back

昔の食事 〜先史から明治まで〜


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8:
薪や油だってタダじゃねーどころか高いしな
まぁ夏の農家なんかは芋やカボチャが多かったのかも
9:
農家は麦飯がデフォだったんだが、今みたいな押し麦じゃなくて丸麦だったんで
炊くには前の晩から水に浸けとかなきゃならなかった。
農家で麦がデフォだったのは、米は年貢にとられるが
裏作や空いた土地でつくった麦はまるまる自家消費できたから。
逆に町の職人や商家では、麦その他のかて飯を炊くのにかかる手間をかんがえると
その分を本業に振り向けたほうが合理的。
10:
農家は麦飯というか麦雑炊みたいなものがメインだったと聞くけどね
野菜でも何でも一緒に煮れば良いだけだし、食う時もお椀ひとつで済むからな
季節にもよるんだろうけど
そういえば、農家って食器どうしてたんだろう?
瀬戸物や箱膳なんて細工物は高級品だったろうし
やっぱ削り出しただけの木椀で、ダメになったら薪用途なのかな?
それとも素焼きだろうか?
箸が当たり前になったのは日本でも歴史的にはだいぶ最近のはずだから
その辺も気になるわな
11:
雑炊だったら瀬戸物より木の椀のほうが持つのに熱くなくて便利だったと思う。
23:
そばが何とか食えるものになったのは江戸時代から。
平安時代に藤原道長の甥が山の民からそばを供されたんだが
あまりの不味さに、これは人間が食う物ではない、という趣旨の歌を読んでいます。
24:
そばが蕎麦が、というけど大抵みんな江戸期以降の蕎麦切りで思い込んで勝手に思考停止してるよね。
あの形態になるまでは雑穀粥とか蕎麦掻で食ってて、
蕎麦切りなんて全然ハナタレのジャンクフード・ファストフードなのにね。
ある程度製粉して、おやきみたいな無発酵パンにしたり蕎麦掻作ったりというのが
まぁ上等なところだろうな。
27:
そういえば五穀には蕎麦が入っていないんだよね。
29:
創業540年の日本最古の京都の蕎麦屋 尾張屋のHPでは
そば粉を溶いてから薄く焼いた煎餅にして食っていたようですね。
38:
この料理を出したら、大殿様に殴られたでござる。
1の膳
?金高立入 蛸(湯引たこ) ?鯛の焼き物 ?菜汁 ?膾(なます) ?高立入 香の物(大根の味噌漬) 
?鮒の寿司 ?御飯
2の膳
?絵を書いた金の桶入 うるか(鮎の内臓の塩辛) ?高立入 宇治丸(鰻の丸蒲焼き) 
?ほや冷や汁 ?太煮(干ナマコに由芋を入れて味噌煮にしたもの) ?絵を描いた金色の輪に乗せた貝鮑 
?高立入 はも(照焼き) ?鯉の汁
3の膳
?焼き鳥(鶉・うずらの姿焼き、当時は雲雀・ひばり) ?山の芋鶴汁(鶴とろ汁味噌仕立て)
?がざみ(ワタリガニの一種) ?辛螺・にし(にしがいの壷煎、巻貝の一種) ?鱸・すずき汁
4の膳
?高立入 巻するめ ?鮒汁 ?高立入 椎茸 
?色絵皿入 鴫・しぎ壷(鴫の壷焼き、なすの田楽)
5の膳
?まな鰹さしみ ?生姜酢 ?鴨・かも汁(鴨の味噌汁)
?けずり昆布 ?土器入りのごぼう
足付の縁高御菓子
?から花(造花) ?みの柿(干し柿) ?豆飴 
?くるみ ?花昆布 ?求肥餅(羽二重餅)
42:
お椀を0.2リットルとして、汁物だけで1リットルかよ。
食えねえよ。
43:
昔の、特に江戸時代辺りの民間記録は、あんまあてにならないんだよなぁ
日本人はランキング好きで見栄っ張りなんだろうな
あり得ない量の飯食ったとか酒何升飲んだとか、めちゃくちゃな記録ばっかりだw
少なくとも量に関しては真に受けないほうがいいねw
45:
>>43
飯は知らんが酒はかなり薄かったらしい。
もちろん盛ってるとは思うが量についてはあながち嘘ばかりともいえない
自分もビールを16リットル飲んだことがあるし、いつの世も大酒飲みなんてそんなもの
49:
>>45
70過ぎの爺様が16Lどころか20升前後飲んだの何だのデタラメばっかだよ
水だってそんな飲めない。
どうせ祭りの大会で盃煽ってこぼしまくってたとかに決まってるw
「ヨイヨイヨイ!どしたどしたぁ!はいシャンシャンシャン!」
そんなもんw
52:
嘉永6年(1853)の信濃立沢村(現・富士見町)の百姓、弥左衛門家で行われた結婚式のメニュー
・前菜
お茶
吸い物(花鰹・そうめん・芹)、数の子、蕗
冷酒
肴として、田作、イカ、昆布、
膳を変えて
吸い物、葱の酢味噌和え、玉子焼き、イナゴ、刺身
錦糸玉子、タコ、芹、しいたけの盛りつけ
・本膳
皿料理(千切り大根、刺身、岩茸、鳥、なます)、肴(栗、スルメ、人参など)
汁(田作、大根)、猪口[小さくて深い椀](こんにゃく等)、飯
・二の膳
平[浅くて平たい椀](椎茸、ゴボウ、鱒、スルメ、青板[昆布を干したもの]、ちくわ)、飯
組合(エビ、切り身、イナゴ)、清酒、汁、奈良漬
・三の膳
タコ、ぜんまい、エビ、刺身、蓮根、九年母の果実(みかんの一種)、玉子、羊羹、
はも、しらす、吸い物
158:
>>52
長野には「酔ったような魚で無ければ食った気がしない」
という言葉が有るから、刺身はちょっと腐ってたと思われる
これ、富士見町でも刺身が食えたって処が話のミソで
本州の、海から一番遠い地域でも海の刺身が食えたって事
飛脚、早馬って凄いね
53:
突然そうめんか
とりあえずハラ落ち着かせとけみたいな構成だなw
54:
>>53
現在でもそうだが、素麺を作れるような細い製麺技術がある地域は
播磨の揖保、大和の三輪、小豆島など瀬戸内海と関西地域のみ
当時の東国の人間にとっては初めて食べるご馳走だったんでしょうね。
56:
婚礼とは言え内陸部の農民でも海の幸が楽しめたようですね。
卵も当時は高級品だったはずですね。
59:
刺身は川魚(鯉のあらいや鮎など)、海老は干し海老、タコは酢ダコかもしれないが
はもとしらすがあるもんなあ。
しらすは塩きつめの釜あげにしても、常温ではそんなに保つもんじゃないからな。
71:
>>59
内陸では今でも臭いハモをかば焼きや筒煮で食う
60:
しらす干しなら長持ちしそうだけどな。
61:
>>60
あー、柔らかい釜あげしらすじゃなくて、乾燥したちりめんなら保存きくね。
しかし、イナゴがあるのがさすが信州だと思ったw
現在でも長野県内のスーパーでは、珍味やお土産としてではなく、
惣菜コーナーにキンピラや煮物と同列にイナゴの佃煮が置かれてるの珍しくない。
64:
今で言う冷や麦(切り麦)より太い素麺もあって、全国に生産地が存在してたような
65:
西日本で細い素麺を作る秘訣は生地に練りこむ油だったそうです。
今、ゆで上がった素麺をしつこく水洗いするのは油臭さを取るためらしい。
66:
しかし、素麺を水に浸して出せるのはその油のおかげだったりもする。
67:
>>66
小豆島素麺のみごま油を塗って伸ばすから香りが違うんだよね。
72:
都市部は明治の幕開けと共に文明開化とやらでだいぶ食生活がバラエティー富むようになったが
農村部は江戸初期も昭和初期も大してかわらない食生活のままだった。
米と麦と味噌汁、野菜の煮物と漬物、ハレの日だけ塩魚。
73:
実際のところ味噌汁はどれくらいの人間が日常的に飲めたのだろう
大豆がそれほど採れたとも思えないし、味噌は腐りやすい
74:
昔の味噌は塩分濃度高いから長持ちするよ。
干したのもあるしな。
77:
田の畔で大豆がとれる農家なら、味噌は各家庭で作っていた。
傷む前に使いきれる分だけ順繰りに作る。
大豆があまり採れない家では味噌は貴重品。
味噌雑炊は貧しい食べ物の代名詞扱いされたりするが、
それすら贅沢だから塩味の麦粥ばかり食べてたりしたんだな。
醤油はさらに貴重で、醤油で味をつけた炊き込み飯はやはらハレの食べ物。
97:
下級貴族
「死ぬ前に一度でもいいから、腹一杯芋粥を食べたい。」
の芋は山芋?里いも??
また貧しいから腹一杯の芋粥を食えないのではなく、陰陽寮の作った暦のせいで
貴族は好きなものを食えなかったんだよね。
98:
山芋のスイーツらしい
101:
芋粥、wikiでは
芋粥(山芋を甘葛の汁で煮た粥)
となってますね
104:
wikiに書いてないことは調べる気も無いのだろうけど
江戸の始めには福島の三春そうめん、埼玉でも久我や岩槻、千葉の久留里とか
東日本にもそうめんの巨大産地がいくつもあったのにな
110:
>>104 関東にもそうめんの名産地はありましたね。
戦後は観光客向け商売になってしまい、地元民を取り込めず、生産量も増えずにバブル時代以降に衰退していきました。
107:
山芋は、現在はとろろとか千切りの酢の物とか生で食べることが主流になってるが
加熱したほうがうまい。
自分は味噌汁の具にするの好きだ。火のとおりも早いよ。
ま、生食もできる澱粉質は貴重だし、古来から便利な食物だったとは言えるだろう。
108:
>>107
長芋と一緒にするなよ。自然薯食ったことないんだろ
109:
長芋と自然薯は別な食い物だよね
どちらが上とかでなく使い所からして違う
111:
俺は、長芋や山芋は海苔で巻いて、さらに青海苔を混ぜた天ぷら粉で天婦羅にして食います。
また天つゆは使わず抹茶塩で食います。
この食い方は俺が初めてだろう、と思っていたら、江戸の八百膳がすでにやっていました。
112:
磯辺揚げですか。大和芋やツクネイモは揚げられるけど長芋は無理なのでは
すり下ろさずに揚げるなら可能だけど、それはそれで珍しい
自然薯の食べ方で面白いなと思ったのは、出汁汁に摺った自然薯を小さく丸めて浮かべた料理
生のまま浮かべると粘っこくて食べにくいけど、素揚げだと大根餅みたいな食感です
113:
>>112
拍子木のように切ったものを海苔で束ねたものです。
すりおろしては無いです。
フライドポテトの様なサクサクした歯ごたえになります。
156:
平安貴族は干しアワビや、クサヤ等の乾物ばかり食べていたので
栄養が片寄り、下膨れの「おかめ」みたいな顔になったらしい
庶民は貧しかったが、いろんな物を食べたので貴族よりは健康だったとか
157:
>>156
あの頃はもう貴族や富裕層に脚気が出始めてたっていうからな
どんだけ白いコメ好きなんだよと思う
バカじゃなかろうかw
でも日本人は遺伝子的に、ほとんど下戸ばっかとも言うし
飲めない金持ちなんてそんなもんなのかもな。
160:
藤原道長の死の数年前は、やたらと水を欲したそうです。
典型的な糖尿病の末期症状です。
194:
ウサギ追いしかの山♪
小鮒釣りしかの川♪
田舎の百姓でも肉魚を食っていたんだね。
195:
むしろ田舎の百姓だから食えたんじゃないの?
196:
うさぎは鳥として扱われてましたそうで
200:
あとはイノシシを山クジラとかですかね
201:
牡丹とか桜とか紅葉の肉って売ってないよな。
202:
>>201
売ってる所には売ってるけどね
ま、あんま大量に安定供給しても儲けられるネタでも無いしな
そもそも牡丹の家畜化したもんが豚だから
その辺で納得しとけ
210:
うちの母方の実家は岐阜県の飛騨地方なんだが、50年くらい前までは刺身と言ったら
筆頭に浮かぶのは鹿肉だったそうな。
魚は天然のアユやイワナ・アマゴをよく食べ、コイも飼ってた。アユやイワナのせごしも食べたし、
コイの刺身はご馳走だったとの事。
海の魚はお正月前に富山から来る塩ブリがほぼ唯一の物、雪に埋めとくと天然の冷凍状態で日持ちしたそう。
するめや干し貝の類は年中あった由。
212:
>>210
鹿の刺身食べて寄生虫でよく人が死ぬよね
冬なら大丈夫なのか?
219:
>>212
寄生虫というより肝炎じゃね?
228:
>>219
寄生虫が原因で肝炎になることもあるって。
潜伏期間は寄生虫の種類により違いますが、多くは感染後数週間です。人に健康被害を及ぼす寄生虫として、
牛や鹿では「無鉤条虫(むこうじょうちゅう)」や「肝蛭(かんてつ)」、熊では「旋毛虫」などが知られています。
主な症状として、「無鉤条虫」では消化器障害、「肝蛭」では肝腫瘍や発熱、「旋毛虫」では下痢、発熱や筋肉痛、
ひどくなると呼吸困難や心臓障害を起こすことがあります。
247:
古事記にはハマグリの膾が書かれてますね。
文字で記録された最古の料理です。
253:
徒然草に北条時頼が部下達と味噌を舐めながら酒を飲むシーンがあって、初めて読んだ時には
質実剛健で質素な為政者なんだなと思ったけど、後に御馳走を部下に振舞う太っ腹な人って
エピソードだと知って驚いた。、
254:
江戸おかず番付なんだが、現代まで残っているのって、めざしときんぴらくらいだね。
<魚類方>
大関 めざしいわし
関脇 むきみ切り干し(はまぐりなどのむき身を切り干し大根と煮た)
小結 芝エビからいり
<精進方>
大関 八杯豆腐(豆腐を水6杯、酒一杯、醤油一杯「これで八杯と言うことかな。」でさっと暖めて、大根下ろしをかける。)
関脇 昆布あぶらげ(昆布と油揚げの煮物)
小結 きんぴらごぼう
256:
>>254
八杯豆腐以外は今でも普通に食べるよ
260:
>>254の番付下位
鮪から汁(鮪だけの味噌汁) 前頭一 にまめ
こはだだいこん   前頭二 焼豆腐吸したじ(すまし汁)
たたみいわし    前頭三 ひじき白あえ
いわししおやき   前頭四 切り干し煮付け
まぐろすきみ    前頭五 芋がら油げ(煮付け)
しおかつお(鰹の塩漬け)  前頭六 油げつけ焼(醤油付け焼き)
にしんしおびき(鰊の塩漬け)前頭七 小松菜ひたしもの
やっぱ、八杯豆腐の消えっぷりが際立つな
266:
先日とある店でつきだしに「八杯豆腐です」と出されたのは
大きめの短冊に切った豆腐の薄葛あんかけだったな。
大根おろしではなくおろし生姜がのっていた。
276:
他の番付との違いはよくわからんが、
八杯豆腐の水6、酒1、醤油1って
かなり薄い味付けだなあ。
314:
>>276
味の濃さとしては魚を煮る酒八方と大体同じだけどな(味醂1醤油1酒4水4)
278:
白菜、たまねぎ、にんじん(細長いのではなく太くて短い方)、トマト
この中で一番古くから栽培されていたのはトマト。
トマトの和食ってどうしてできなかったのかな?
またトマトは雨が少なく土地がやせていればいるほど甘くなる。
干ばつの救荒食にもってこいだよな。
281:
>>278
白菜ってそんなに新しいの?
昔からあるかと思ってた
菜っ葉の煮付け、とかいうときの「菜っ葉」て何?
白菜のことじゃないの?
282:
>>281
白菜なんて、このスレじゃ最新オサレ野菜ですよ
菜っ葉っつったら大根葉か野沢菜ですよ
279:
桃太郎より前のトマトは青臭くて嫌われていた
農家が八百屋に売りに行ったら「臭いから持ち帰れ、営業妨害だ」って追い返されたらしい
もったいないよね
280:
トマトの実は水が少ないほど甘くなるけど、トマト自体は水が切れるとわりとすぐ枯れるよ。
283:
日清戦争の時に出征した兵隊さんが種を持ち帰って農大の教授が丸くなるように
品種改良したんだよね。
284:
どうやって改良したんだろう
285:
別種との交配や、それに拠る突然変異(つまり奇形)の中で
人間に都合の良い雑種だけをより分けていく事になるね。
その種だけを選り分け延々植え続ける作業。安定したら「改良」
当たり前だけど。
286:
大根葉か野沢菜なのか・・・ありがと
290:
>>286
アブラナ科ばかりでなくアカザ科の野菜もあった
288:
大正時代の奈良女子高等師範学校(今の奈良女子大)の寄宿舎では
理科(学科が文科、理科、家政科にわかれていた)の女子学生たちが
新しい野菜としてトマトを自主的に育て寄宿生たちの食卓にも載せていたという記述が
当時奈良女高師でまなんでいた人の著書にある。
しかし理科以外の女子学生にとっては、なんとなく気味悪くて口に入れにくいという
感想だったようだ。
298:
---細井和喜蔵「女工哀史」より、女工の一週間の献立-----
 曜日 朝   昼   夕
 月 大根汁、たくあん 油みそ、たくあん ヒジキ、たくあん
 火 かぶ菜汁、たくあん 金時豆、たくあん 豆腐豚汁、たくあん
 水 梅干、生姜  数の子、たくあん 大根、たくあん
 木 大根汁、たくあん 大根、たくあん 塩鮭、たくあん
 金 菜っぱ汁、たくあん 里いも、たくあん 福神漬け
 土 梅干、たくあん 豆腐汁、たくあん 大根、たくあん
 日 豆腐汁、たくあん 干物、生姜  千切、たくあん
平日の昼間から数の子かよ
319:
>>298
自分も女工哀史よんだが、主食は白米なんだよな。
米があまりとれない地域とか、小作農で米を年貢に出さねばならず
麦その他をまぜた飯しか食べられなかった地域の娘さんたちには
白米だけの飯が三度三度食べられるというだけで大変な魅力だったわけだ。
ああ野麦峠でもそのへんは描かれている。
飛騨の山村で仲間たちがみな女工に出るなか家の事情で
女工に行かせてもらえなかった女性の話では
白米は正月だけで普段は稗の粉末をソバがきのように練ったものが主食だった。
労働も朝早くからの山仕事。
女工のほうがずっとましな生活だったようだ。
299:
うちの婆さんが言っていたが昔は数の子をおやつ代わりに出されるほど豊富だったそうだよ。
しかし質素で涙が出てしまいますね。
300:
>>299
動物性たんぱく質は作業中に目の前の蚕をつまんでぽりぽり食っていたそうです。
301:
>>300
現代では鶏卵は格安で購入できるけど昔は高値だったそうで
動物性のたんぱく質を摂るためいろいろな物を食べてたんでしょうね
305:
>>300
そういえば絹をとったあとの蚕って、繭と一緒にゆでてあるんだっけ?
あれ捨てるんだろうか
食べればいいのに
306:
>>305
ピーナッツのような味らしいよ。
308:
>>305
日本では鯉釣りとかの集魚剤に使われていますよ
304:
次はミリメシ
これを三日分背嚢に入れて行軍し、無くなると後から追いかけた自動車部隊から補給を受ける予定でした。
日本陸軍の特殊定量(携行糧食)一人一日あたりの定量は以下の通り
(出典は昭和16年7月陸軍省印刷『陣中経理要覧』から)
【主食】
精米580g
乾パン又は圧搾口糧210g
【副食】
・肉類
缶詰肉150g又は乾燥肉60g
・野菜類
乾物120g
・漬物類
梅干45g又は福神漬け45g
・調味品
粉醤油30g又は醤油エキス40g
粉味噌30g
食塩5g
砂糖20g
【飲料】
茶3g
【栄養食】
栄養食45g
【加給品】
清酒0.4ℓ又は甘味品120g
巻煙草20本
4000キロカロリーだったそうです。
311:
>>304
で、これ前線に届いたの??
312:
>>311
届けている途中でガトー級潜水艦に沈められました。
ちなみにポリネシア人の間では漂着した日米両軍の物資が神様からのごちそうとして喜ばれたそうです。
370:
雨ニモマケズ
風ニモマケズ

一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ 
の詩を書いた人の好物は、三ツ矢サイダーと天そばとカツ丼と鰻と鶏南蛮でした。
385:
>>370
ぎゃふんw
652:
大多数の人が食べてた料理だと、雑炊とかになりそうな気がする。
あれはいいぞ。なんでも入れられるし、鍋もお椀も一つでいいし、食べるのいからな。
65

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