女「せっかくだしコワイ話してください」back

女「せっかくだしコワイ話してください」


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1:
第一話「 」
3:
女「せっかくだしコワイ話してください」
男「……」
女「なんで急に黙っちゃうんですか?」
男「いや、お前こそどうして急にそんなことを言い出すんだよ」
女「だって、せっかく生徒会室に私が遊びに来たのに、先輩ったら全然相手をしてくれないじゃないですか」
男「見たらわかんだろ。忙しいんだよ」
女「スマホ、いじってるようにしか見えないんですけど」
男「文化祭実行委員のメンバーのメアドを手打ちしてんだよ。伝え忘れたことがあって」
女「本当ですか……って、ホントだ。一応、先輩も生徒会会長として働いてるんですね。関心です」
7:
このSSは女「せっかくだしコワイ話しない?」というSSの続編ものです。
一応はじめて見る人でもわかる内容にはなってると思います。
元スレ
SS報VIP(SS・ノベル・やる夫等々)
女「せっかくだしコワイ話してください」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1384785827/
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4:
男「うるせーよ。とにかくオレは忙しいんだ、だから帰れ」
女「他の生徒会の方はいないんですか?」
男「……不思議なことにみんな、今日も用事があるらしい」
女「今日も?」
男「……今日も、だ」
女「人望があんまりないんですね、先輩……」
男「……そもそも無茶ぶりにも程がある。面白い話をしろ、っていうならともかく、怖い話をしろって……。
 どう考えても即興では無理だろ」
女「無理なんですか?」
男「無理だ」
5:
女「とか言って本当は一個ぐらい、とっておきの話があるんでしょ?
 だいたい生徒会執行部の長がこの程度のふりに答えられないわけないですよ」
男「……まあ、ないこともない」
女「やっぱり!」
男「ひとつだけ聞いていいか?」
女「なんですか?」
男「なんでホラーなんだ?  『話』にしたってもっと色々あるだろ」
女「べつに。はっきり言って深い理由はないんですけどね。あ、でも季節は夏真っ盛りですし」
男「夏と言えばホラーってわけか」
6:
女「はい。ですからコワイ話を聞かせてください」
男「じゃあ、オレが話したら帰れよ。生徒会室に一般のヤツがいたら、なに言われるか顧問にわからないし。
 まあ、バレないとは思うけど」
女「細かいことはいいから、早く話をしてくださいよー」
男「……わかったよ。でもこの話、ホラーではないからな。あくまで怖い話だ」
女「了解です」
8:
第二話
9:
1
「ごめんね、せっかくの休日なのに付き合わせちゃって」
 席について私は今日何度目かになる謝罪を口にした。
「そんな何回も謝らなくっていいっすよ、水臭いっすよ。
 それに最近アルコールとは縁のない生活してたんで、飲みたいと思ってたとこなんですから」
 後輩が私を気遣って、浅黒く焼けた顔に笑みを浮かべる。
 後輩と共に訪れたハブは客もまばらで、話をするにはちょうどいい環境だった。
 ここのところ私はある一連の出来事のため、かなりまいっていた。
 今の自分の境遇を聞いてほしくて、私は彼と会うことにした。
「まあとりあえず飲みつつ、ゆっくり話してくださいよ」
10:
 乾杯、互いのグラスを合わせて私は一口だけカクテルに口をつける。
 店員が勧めてきたカクテルはまずくはないがうまくもなかった。
「それで? 話したいことってなんすか?」
 後輩が身を乗り出して聞いてきた。
「……ここのところ、あまりにもイヤなことがありすぎてさ。
 愚痴、じゃないけど話を聞いてほしかったんだ」
「どうぞどうぞ、話してくださいよ。
 いくらでも聞きますよ、明日もオレ休みなんで」
 私は後輩の言葉に甘えることにした。
11:
2
 母が死んだ。
 ちょうど今から一年ぐらい前の話ことだ。
 うちの家は父、母、私の三人家族。
 父は大学教授で年収は相当なものだったが、だからと言って自分の家が特別他人の家より裕福だと思えたことはほとんどない。
 思い当たることがあるとすれば母が生前、パートに出ることもなく専業主婦を続けられたことぐらいか。
 母が死んだ日、私は仕事が休みで家でダラダラとしていた。
 仕事で身をを擦り減らす毎日は私の休日を堕落したものにしていた。
 父は学会がどうとか言って、出かけていたはずだが、よく覚えていない。
 その日の昼食を食べ終えたあたりで固定電話に着信が入った。
 家には誰もいなかったので仕方なく私は出た。
 もしもし、と低い男の声が電話越しに私の鼓膜を叩く。
『――のお宅でよろしいですか?』
 はい、と答える。『落ち着いて聞いてください』という前置き。
 受話器を持っていた左の掌はなぜか汗ばんでいた。
12:
 電話の相手は私の母が死んだと言った。
 受話器を握る指先が冷たくなり、全身の血が足もとに落ちていく音が聞こえてくるようだった。
 
 警察署に駆けつけると父が既にいた、私と父は目を合わせなかった。
 警察の人に案内されまま、私と父は簡素な霊安室へと入る。母の死体を見ると、いよいよ私は嗚咽を止められなかった。
 母が死んだ、その事実を母だった死体にはっきりと告げられたようで、あふれる涙を抑えられなかった。
 母の無惨な死体にすがりついて私は泣き叫んでいた。
 このとき死体にすがりついたのは私だけだった。父はどんな顔をしていたのだろう。
その後の記憶は霧の奥に隠れてしまっている。
 警察の人が死亡解剖がどうとか、死体検案書がどうとか言っていたが、それらには全て父が受け答えしていた。
 私にはそれらの意味を理解する余裕はなかった。
 母の死は私から時間の感覚さえ奪っていた。
 気づいたら私は父と一緒に警察署を出ていた。
 私も父も、自分たちの車でここまで来ていたので駐車場へ向かった。
「……これからどうなるんだろ?」
 不意にそんな言葉が口をつく。
 無意識に不安から出てしまった言葉はしかし、風にさらわれたのか、返事はない。
 沈黙が冷たい風となって私と父の間をすり抜けていく。
 私と父がそれ以降口を開くことはなかった。
13:
 昔はそこそこ仲の良い親子だったと思う。けれど気づくと私と父の関係は歪なものになっていた。
 そしてそれは父と母の関係にも言えた、二人の関係は最悪だった。
 口喧嘩が耐えないときはまだマシだったのかもしれない。
 この数ヶ月、二人が口をきいてるのを見たことがなかった。
 父と母の両方が家にいるだけで、空気は張り詰めて、肌に突き刺さるようだった。
 私は決まってそういう場合は、自分の部屋か外へ逃げた。
 ここ最近で一度だけ二人が口論をしたのは知っている。
 母が事故に遭う前日だ。その日は私も家にいた、部屋からはもちろん出なかったが。
 かけ違うボタンさえ無くしてしまった二人に、私ができることは本当になかったんだろうか。
14:
3
 母の死から一ヶ月半が経っていた。
 葬儀もなんとか終わり、私の生活もすっかり母が死ぬ前のものに戻っている。
 家内に張り詰めていた冷気は成りを潜め、代わりに生ぬるい風が気だるげに窓から窓へと抜けて行くようになった。
 母が死んだ直後はあれほど涙が止まらなかったのに、今の私はどこか安堵感さえ覚えている。
 悲しみの潮の引きは、同時に一つの疑問の塊を浮かび上がらせた。
 母は本当に事故死だったのだろうか、という小さな疑問。
 このことについて深く考えようとは思わない。警察の検視の結果は事故死。裁判だって近いうちに始まる。
 煙のようにとりとめのない思考を、胸に仕舞い込んで帰路につく。
 家に着くと既に父は帰宅していた、珍しいことだった。
15:
 リビングのテーブルにはスーパーで買ったのだろう惣菜と寿司が置いてあった。
普段ならあり得ない父の用意に、私は思わす構えてしまう。
「どうしたの、なんかあったの?」
 父とはここ数年、事務的なことでしか話したことがなかった。
言葉は自然と刺々しくなる。
「いや、たまにはお前と一緒にご飯を食べようと思ってな」
「そう……」
「とりあえず座りなさい」
 促されるまま席へと腰かける。
「いったい急にどうしたの?」
「あぁ……その、だな。実はお前に話しておきたいことがあってだな」
「はっきり言って欲しいんだけど」
ささくれ立った木を指でなぞるようなしゃべり方が、妙に気に障った。
16:
「そうだな、すまない。実は父さんな……」
 父は私と目線を合わせようとはしなかった。
「再婚することにしたんだ」
 私はなにも答えられなかった。
 呆然とする私を無視して父は訥々とした語りを続けて行く。
 父の言葉は淡い霧のように私の耳を素通りして、ほとんどの内容は頭に入らなかった。
 それでも二つだけ、父の結婚相手についてわかったことがある。
 父の結婚相手は自分の大学の教え子であるということ。
 そして、私よりも年下であるということだ。
17:
4
「どうもはじめまして、あなたがユイさんですね」
 私の母親になる女が頭を下げる。
 明るい髪が滑らかに彼女の肩から滑り落ちて、柑橘系の甘ったるい香りがした。
「……はじめまして」
 人がほとんど入っていない夕方の喫茶店。
 そこで、私と父、そして父の結婚相手は初の顔合わせを行うことにした。
「先生からお話は聞いています。
 わたしはレミって言います。よろしくおねがいします」
 父の結婚相手――レミ。
 同性から見ても、可愛らしいと思える容姿をしていた。
 愛想もいい。口もとに浮かんでいる微笑みも自然で柔らかかった。
18:
「ユイ、彼女はお前よりも年下だ。
 でも、私の妻になる女性であり、お前の母親になる女性だ。
 まあ最初は慣れないだろうが、大丈夫だ。いずれは慣れるだろう。それから……」
 飲み干したグラスの中の氷が、カランとかわいた音を立てた。
 喉はまだ渇いていた。
 
 父が一瞬だけ女に目配したのを、私は見逃さなかった。
「明日からにでも、彼女にはうちに来てもらおうと思うんだが。ユイ、それでいいな?」
「……」
 なにも言えなかった。
 
 私は父の隣に座っている女を見た。やはり、彼女は私より年下にしか見えない。
 私の母親になる女は、私の視線に気づくとにっこりと笑った。
25:
5
「おかえりなさい」
 家に帰ると、レミが玄関で私を出迎えた。
「雨降ってたけど、大丈夫?
 ご飯できるのにまだ時間かかるから、先にお風呂に入ってきたら?」
「……そうする」
「ユイちゃんがお風呂をあがる頃には、ご飯できてると思うから」
 微笑む『母親』の視線から逃れたくて、私は荷物を放り出してお風呂場へと向かった。
 脱いだ衣類を洗濯機に突っ込もうとして、手を止める。
 洗濯機の中身を覗き込むと、あの女の服と父の服と思わしきものが入っていた。
26:
「……」
 今日は日曜日だ。 
 私はシフト制なので仕事があったが、あの二人は休みだったはず。
 二人はいったいなにをしていたのか。
そこまで考えて私はかぶりを振った。なぜか自分がひどく惨めに思えた。
 私の予想とは裏腹に、レミは良妻と言っていい働きをしていた。
 家事はきちんとやるし、気配りも申し分ない。大学生活と主婦業を見事に両立させていた。
 時々、帰宅が妙に遅かったりすることもあるが、そういうときでさえ、食事の準備などはしっかりしていた。
 そもそも大学生であることを考慮すれば、彼女はあまりに献身的だった。
 もちろん、だからと言って私が彼女に心を開けるようになったわけではない。
 お風呂を出ると食事の準備は終わっていた。父は食卓にはいなかった。
 大方、書斎でなにかしているのだろう。
27:
 私とレミが二人っきりで食事をする機会は、わりとよくあった。
「お父さんはご飯、あとにするって。わたしたちは先に食べちゃおうね」
「……いただきます」
「最近はユイちゃんの味の好みも、だいぶわかってきたつもりだけど……どうかな?」
 レミが私の瞳を覗き込むように聞いてくる。私は目をそらして答えた。
「……おいしいよ」
 嘘ではなかった。レミの作る料理自体は本当に美味しかった。
「ほんと? ふふっ……よかった。でも、意見があったらどんどん言ってね」
「あ、うん……わかった」
 私は歯切れの悪い返事をすることしかできない。
 レミは口に含んだものを、きちんと咀嚼してから言った。
28:
「遠慮しなくていいんだよ。わたしたちは家族なんだから」
「家族……」
「そうだよ。わたしたちは家族よ」
「……でも」
 そこから先の言葉が出てこない。重い塊が喉につっかえてるようだった。
「わたしの言ってること、おかしいかな?
 まあ……そうね、まだあの人とは結婚しているわけじゃないから、正確には家族ではないかもしれない」
「……」
「ユイちゃんとも、ね」
「…………あなたは私よりも年下なんだよ? まずそこを奇妙だと思わないの?」
「普通ではないかもね。けれど、法律上ではなんの問題もないことだよ?」
「でも……想像してみてよ。自分の母親が、自分より年下であることを。
 変じゃないと思うほうがどうかしてるよ」
29:
 レミがこの家に寝泊まりするようになってから一ヶ月。私は初めて本音を口にした。
「奇妙かもしれないけど、それもひとつの家族のかたちだと思えばいいじゃない」
「そんな簡単に済ませようとしないで。だいたい、あなた自身はどう思ってるの?
 『奇妙だけど、それもひとつの家族のかたち』で、終わらせられるの?」
「どうしたの急に?」
 にこやかだった表情が、わずかに曇った。
「急に、じゃない。ずっと前から思ってた。あんなオッサンと結婚しようとか、本気で思ってるの?」
「……」
「年齢だって、軽く三十は離れてるでしょ? 本気であんなのが好きなの? 
 私にはあなたの考えてることが、全然理解できないんだけど」
 自分でも語気が強くなっていくのがわかった。
30:
「……なにが言いたいの?」
 女の眉間の皺が深くなる。私は構わず、言葉を続けた。
「そもそもうちのお母さん……母親がどうしていないかって聞いてないの?」
「話は、あの人から聞いてる……」
「だったら、なんで平気でこんなことしてるわけ?」
「こんなこと? ……こんなことってなに?」
「人の家にあがりこんで、本物の母親のように振舞って……どう考えたっておかしいでしょ?」
 溜まっていた鬱憤が血となって、顔に昇っていくのを感じた。
 そんな私に対して彼女の白い顔は、いつの間にか人形のように無機質なものになっていた。
31:
「考えたらわかることでしょ?
 あなたもあの人もあまりに非常識すぎる。
 頭がおかしくなきゃ、こんなことやっていられない。友達や親には、うちに住んでること言ってるの?」
「……親はいない」
 レミが目を伏せる。
 親がいない。その一言で、私は動揺して次の言葉を見失ってしまった。
「友達にはもちろん、誰にもこのことは言っていない」
「……ほら。やっぱり、あなたにもおかしいって自覚があるからお友達に言わないんでしょ。
 なのに、どうしてこんなことをし続けるの?」
「……」
 レミが押し黙る。
 会話をふっかけたのは私なのに、彼女の沈黙に引きずり込まれるように、私まで黙ってしまった。
「そうね……もしかしたらユイちゃんにはわからないのかも」
 ようやくレミが口を開いた。
32:
「……わかりたくもないね、正直言って」
 私は席を立った。
 料理は半分以上残っていたが、この女と食事を続けられるほど私の神経は図太くなかった。
 部屋を出る直前、背後でおやすみと聞こえた気がして、それを遮るために音を立てて扉を閉めた。
 私はなにもかもを放棄してベッドに入り、最悪な夜を短くした。
 今思えば、まだこのときはよかったのかもしれない。
 少なくともまだこのときは、レミは私の中で、単なる非常識な女で終わっていたから。
 私のその認識が変わり始めたのは、次の日からだった。
33:
6
 結局私が深い眠りにつくことはなかった。
 カーテンの隙間から淡い光が差し込む頃、ようやくまどろみが訪れたが、それも長くは続かなかった。
 考えてみれば、ここのところ熟睡した記憶がほとんど い。
 未だに覚醒しきらない脳味噌のまま、自分の部屋を出て階段を下りる。
 リビングに入ろうと扉のノブに手をかけたときだった。
「……!」
 レミがちょうどリビングの扉を開けて出てくる。一瞬で目が覚めた。
 私はレミを無視してリビングに入ろうとした。
 けれど、左手首をレミに掴まれたせいで、止まらざるをえなかった。
「おはよう。ユイちゃん」
 背筋に冷水を流し込まれたような気分だった。
 レミは昨日のことなど、なかったかのようだ。
 私はレミの挨拶を無視してその手を振りほどいた。
 本気でこの女がなにを考えているのか、わからなかった。
34:
「……」
「なんで黙るの?  こっちを見て。挨拶をして」
 自分が情けなかった。
 ここにきて私は、年下であるはずのこの女を本気で怖いと思っていた。
「ユイちゃん? ……こっちを見て」
 恐る恐る振り返る。私の予想に反して、レミは微笑んでいた。
「おはよう、ユイちゃん」
「……」
「おはよう、ユイちゃん」
「……」
「おはよう、ユイちゃん」
35:
「……」
「おはよう、ユイちゃん」
「……おはよう」
「今日もいい天気だね。
 冷蔵庫にサラダあるから適当に食べてね。『お母さん』は大学に行くから」
 レミがリビングから出て行く。
 いってきます、という間延びした声。 扉が閉まる音。私は身体の力が抜けてしまい、そのままソファに腰を下ろす。
私の口の中の水分は、干上がっていた。
36:

 あの日からレミはなにか変わった。
 はたから見れば、なにも変わっていないのかもしれないが。
「ご飯を食べるときは、一緒にいただきますをしようね。
 『お母さん』と一緒に。『お母さん』より先に食べたらダメだよ」
「洗濯機にものを入れるときは、下着や靴下はべつべつで洗うって言ったでしょ?  直して」
「床にものは置いちゃダメだよ。
 この前も『お母さん』そう言ったよね?」
 一見、小言が増えただけのようにも見えるが、それはちがう。
 最初は意地になって、私は彼女の言葉を無視していた。
 普通の人間だったら、ある程度無視をされたら怒ったり、説得を諦めたりするものだ。
 だが、彼女はちがう。
37:
 延々と同じことを言い続けるのだ。
 こちらがどんなに無視をしても、機械のように。笑顔を保ったままで。
 一度だけ、根比べのつもりで私は、彼女の言葉をずっと無視し続けた。
 だが、三十分が経過して、一時間が経っても彼女は延年と、同じ言葉を繰り返し続けた。
 最後には私が根負けして、渋々彼女の言葉に従った。
 そして今も。
「使わないコンセントは抜いて。そう言ったよね?」
「……」
「使わないコンセントは抜いて。そう言ったよね?」
「……」
 いつもの笑顔で。同じ言葉をただ吐き続けるレミ。
 我慢の限界だった。私がいったいなにをした。
 気づいたら、彼女の言葉を遮るように、叫んでいた。
38:
「なんなのあんたは!?  意味わかんない!  
 注意するなら普通に注意すればいいじゃない!?
 なんでそんな同じことをずっと言っていられるわけ!?
 頭おかしいんじゃないの!?」
 みっともなく声は震えていた。レミの唇が止まる。
「私のことなんてどうでもいいでしょ!?
  私に構う暇があるなら、あの人の面倒を見ればいいでしょ!?」
 胸が苦しい。
 言葉は吐き出せば、吐き出すほど不安に変わって私を覆っていくようだった。
 レミを睨みつける。
「……」
 私の叫びなど聞こえていないかのように、レミの笑顔は微塵も崩れることはなかった。そして、
「使わないコンセントは抜いて。そう言ったよね?」
 レミは言った。さっきと寸分変わらないトーンと微笑で。
39:
 声にならない声が、喉から漏れ出た。
 私はリビングを飛び出し、階段を駆け上がって自分の部屋へと逃げ込んだ。
 得体の知れないものに対する怖さが、無意識に私をそうさせた。
  扉を勢いよく閉めて、鍵をかける。布団へと潜り込んで耳を塞ぐ。
「お母さん……!」
 まぶたをキュッと閉じて、私は祈るようにそう呟いた。
 だが、母の姿を思い浮かべることができない。まぶたの裏に浮かんでくるのは、母ではなかった。
 扉をノックする音が、耳を塞いでいるのにも関わらず聞こえた。
『使わないコンセントは抜いて。そう言ったよね?』
 あの女の声が扉越しに私を追い詰める。視界が涙で滲んでいく。
 
 なのに、まぶたの裏では鮮明に、レミが微笑んでいる。
『使わないコンセントは抜いて。そう言ったよね?』
「……はい。ごめんなさい」
 私は声を絞り出した。扉の向こうで、レミが満足そうに笑った気がした。
40:
『ユイちゃんは本当はできる子だもんね。
 『お母さん』がどうこう言わなくても、一人でなんでもできるもんね』
 はい、と私は反射的に頷く。
『今度は同じことを『お母さん』から注意されちゃダメだよ』
 レミが扉から離れていくのがわかって、私は安堵のため息をついた。
 だが、どんなに母親の顔を思い出そうとしても、彼女が私のまぶたの裏に現れることはなかった。
 それから二ヶ月が経って、レミと父は入籍した。
 式はあげなかった。私は自分の家庭のことについて考えるのをやめた。
 胸の奥で、今なお堆積していく不安からは目をそらした。
 そして――レミの異常さはついに、父にまで及ぶことになる。
45:
 二人が結婚してから一ヶ月。
 私はようやく、初めてレミの異常性が父にまで及んでいることを知ることになる。
 このところ私はレミの言うことをなんでも素直に聞くことで、なんとかやり過ごしていた。
 仕事が休みだったので、私は出かけていた。夜十時ごろ、ようやく家についた。
『なんなんだ、レミ。俺がなにかしたのか?』
 玄関についてブーツを脱ごうとしたときだった。
 父の声がリビングの扉越しに聞こえてきて、私は手を止めた。
『なにを怒っているの?』
 レミの声は父のそれとは打って変わって淡々としていた。
 無意識のうちに私は聞き耳を立ててしまっていた。
『キミこそなんなんだ?  俺がなにかしたのか?』
『言ってる意味がわからないよ。
 いつもどおりあなたがお風呂に入る時間だろうから、お風呂入ったら、って言っただけじゃない』
 そこで二人の会話が止まる。
46:
 父がリビングから出てきた。
 父は私に気づいたが、何も言わずに二階へ上がっていった。
「おかえり、ユイちゃん」
 レミがリビングから出てきて、私に言った。
「……ただいま」
「ご飯できてるよ、食べるでしょ?」
「……なにかあの人とあったの?」
 レミが不思議そうに首を傾げる。
「なにかって?  べつになにもないよ?」
「……本当に?
 あの人が声を荒らげてるのなんてほとんど聞いたことないから……なにかあったのかと思ったけど」
きっと疲れてるんだよ。それだけ言うとレミは、食事の準備を始めた。
48:
8
 レミの異常さはいやでも目についた。
 同じ屋根の下で暮らしているのだから、当然と言えば当然なのだが。
 私たち『家族三人』が夕食でそろうことは一週間に一回あるかないか、だった。
 その日は三人の食事だったが、会話はほとんどない。
レミが一方的にしゃべっているだけだ。
 以前までは父もそこそこ話していたが、最近は声を聞くことさえほとんどなかった。
「……ごちそうさま」
父が食事を終えて席を立ち、リビングから出ようとしたときだった。
「お風呂に入るでしょ?」
 部屋はテレビの電源も入っていなければ、音楽がかかっているわけでもなかった。
 静かな居間に、レミの声は染み渡るようだった。
「……」
 父は立ち止まりこそしたが、振り返りはしなかった。
 その背中にレミは、また同じことを言った。
「お風呂に入るでしょ?」
49:
「……あとにする。先にキミが入れ」
「お風呂入るでしょ?」
「……」
 背筋が薄ら寒くなるのを感じる。
 この女はついに父にまで、自身の持つ得体の知れない狂気を向けたのだ。
「俺はやることがあるんだ。
 あとから入るからキミとユイが先に入ってくれ」
 父の声は明らかに苛立っていた。
「お風呂に入るでしょ?」
 何度目かになるレミの同じセリフ。私は無意識のうちに、レミの顔を盗み見ていた。
 レミの顔には、あの柔らかい微笑みが張りついていた。
「お風呂に入るでしょ?」
 父がレミを振り返る。
「……わかった。入るよ」
「うん。一番風呂で寒いかもしれないけど、我慢してね。
 あ、お父さんが出たら次はユイちゃんが入ってね」
 私は黙って頷いて、料理を口にした。口に含んだレミの料理は冷めきっていた。
50:

 レミによって、家の中を漂っていた空気が、徐々に変化していくのを私は感じとっていた。
 重くのしかかるような空気が、家を覆っている感覚には覚えがある。
 いや、つい最近まではそれが我が家にとっては普通だったのだ。
 この家が私にとって、心安らぐ場所だったのはいったいいつだったのだろう。
 ここ最近、まどろみの中の夢に母が出てくる。
 でもなぜか、その母の顔は修正液でもかけたように真っ白で、いったい彼女がどんな顔をしていたのか思い出せない。
 私はベッドの上で、夢と現実の狭間をさまよっていた。
 ――まただ。母が真っ白な空間に現れる。
 目を凝らして今度こそ、私はその母の顔を思い出そうとした。
 だが、なにか大きな音がして私は唐突に現実に引きずり戻された。
 身体をベッドから起こして、テーブルの上の目覚まし時計を確認する。
 時刻は夜中の二時だった。
51:
 
 音はリビングから聞こえた。
 私がリビングへと駆けつけると、父とレミがいた。
「なっ……!?」
 レミは床に座り込んで、頬をおさえていた。
 なにが起きているのか、私には理解できなかった。
「な、なにがあったの?」
「お、お前が悪いんだ……」
 肩を震わせる父の顔は怒りに強張っていたが、同時に紙のように白かった。
 やせ細って骨ばった父の拳には、赤い血がアクセントのようにこびりついている。
 状況が把握できず、呆然とする私を父は横切ってリビングから出ていく。
「どこへ行くの!?」
 私は父を問いただすために追おうとして、結局やめた。
 レミの様子を見るのを優先した。
52:
「大丈夫? なにがあっ……」
 私は思わず声をあげそうになった。
 唇の端が切れたのか、出血していた。
 レミが床に座り込んでいるのを目にした時点で、予想はしていたが。
 父がレミに手をあげたことに、私はなぜかショックを受けていた。
「ふふっ……言いすぎちゃったのかな。怒らせちゃったみたい」
 レミがおかしそうに笑った。
 笑うと唇が痛むのか、いつもとちがってその微笑はどこか歪んでいた。
「またなにか言ったの?」
「……少し注意しただけだよ、わたしは」
「それだけで手をあげたって言うの、あの人は?」
「あの人はそういう人でしょ?  あなただってそんなことぐらい、わかってるくせに」
 私は肩をかして、ソファにレミを座らせる。
 レミはソファの背もたれに、身体をあずけるとまた笑った。
53:
「……前にも聞いたけどさ、なんであんな人と結婚したの?」
 レミが答えようとしないので、私はそのまま続ける。
「あの人は人間のクズだよ。お母さんだってあの人のせいで……」
「そうだね」
 レミは自分のお腹に手を置いた。
「あの人は奥さんがいても、平気で不倫とかできちゃう人だからね」
「……」
 母の生前、父が不倫をしていたことを私は知っていた。
 そして、おそらくその不倫相手の一人が、目の前の女なのだ。
「わかってたんでしょ?
 あの人が人間としてどうしようもないクズで、気もちっさい最低なヤツだって」
「ええ、もちろん」
「じゃあ、どうして……!?」
「幸せになるためよ」
54:
 レミは自分の腹部へと視線を落とす。
 その瞳は、今までに見たことがないぐらいに優しい。
「どんなことをしてでも、なにをしてでも……わたしはわたしの幸せを手に入れるの」
 レミは自分の手を腹部へともっていく。
 残像が空間に滲むかのような、緩慢とした動作だった。
「どんなことをしても……?」
「ええ、どんなことをしても――幸せになる」
 レミが自分に言い聞かせるように、もう一度そう言った。
 冷たい響きを持った澄んだ声は、しばらく私の鼓膜にこびりついて離れなかった。
55:
10
 私は一旦話すのをやめて、カクテルを思いっきり煽った。
「大丈夫ですか、先輩。さすがに飲み過ぎじゃないですか?」
「たしかにね。けっこう酔ってるかも……」
 先輩の心配そうな声が、ぼんやりとしか聞こえないあたり、たしかに私は酔っているのだろう。
「それで?  そのあとはいったいどうなったんですか?」
「父は……死んだよ」
「……」
 後輩の顔が固まる。予想通りのリアクションだった。
「より正確に言うと、殺されたんだよ。
 さっきも話したけど、父が例の女に手をあげて、それから一週間ぐらいしてからね」
「……そうだったんですか」
「……てっきりさ、私……殺したと思ったんだ」
「え?」
 アルコールのせいで、言葉がチグハグになってしまう。
 私はもう一回言い直した。
「だから、レミがあの人を殺したと思ったの」
56:
「……なんでですか?」
 後輩の声が低くなった気がした。硬くなったとも言えるかもしれない。
 私は構わずに言葉を続ける。
「いや、単なる勘っていうか当てずっぽうっていうか……だって、ありそうな話じゃない?
 暴力を振るわれた女が、それをきっかけに男を殺そうとするって、サスペンスとかでありそうじゃん」
「でも、実際にはその人は先輩のお父さんを殺してはいないんでしょ?」
「うん、おそらくね。
 父が殺された時間帯には、あの女には完璧なアリバイがあったみたいだからね」
 そう。私の予想は外れた。
 捜査の結果では、レミには完全なアリバイがあり、父を殺すのは不可能ということだった。
「犯人は捕まったんですか?」
「全然。未だに捜査中だよ。
 いや、もう半年近く前になるけど……本当に警察ってば捜査してんのかな」
57:
「犯人、早く見つかるといいですね……」
「そうだね」
 私の返事は自分でも笑ってしまうほどにぞんざいだった。
「きみも気をつけなよ。世の中本当に物騒なんだからさ」
「そうっすね……オレも全身殴打で死亡とかいやですからね」
「はは、それは私もだよ」
 違和感が脳のどこかで引っかかる。
 が、流し込んだアルコールのせいで、その違和感のようなものは、あっという間に胃の中に消え失せた。
「先輩、明日も仕事ですよね?」
「うん……」
「とりあえず、店出ましょうか」
 後輩に会計をまかせて、私は店を出た。
 遅れて後輩も出てくる。
 夜風が肌を突き刺してくると、不意に不安が頭をもたげた。
「今日はありがとね。私の話、聞いてくれて」
「いや、オレも少しでも先輩の力になれたならよかったですよ」
58:
 鼻の奥がツンとした。
 アルコールのせいなのか、私は情緒不安定になっているのかもしれない。
「ここんとこさ。裁判とか、仕事とかでもう滅茶苦茶でさ、私の生活……」
「……先輩」
「それにあの女、またべつの男と結婚するとか最近言い出して……」
 気づくと視界が滲んで、目の前の後輩の輪郭さえ曖昧になっていた。
「もう、どうしたらいいのかわかんないよ……」
 涙が頬を伝う。知らず知らずのうちにあふれてきた涙は、なかなか止まりそうになかった。
 そんな私の手を、後輩は両手で包んでくれた。
「大丈夫ですよ、先輩」
 後輩の手は暖かかった。
 私は彼を見上げた。後輩は爽やかに私に向かって笑ってみせると、
「オレが先輩を支えてあげます。ずっとね」
 その言葉がどういう意味なのかを聞き返そうとする前に、後輩の手が離れた。
 彼は照れくさそうに笑っていた。
「じゃあまた今度、近いうちに会いましょう」
「……うん」
 後輩とわかれて帰途につく。
 私は彼が握ってくれた手に自分の手を重ねた。彼の体温が逃げないように。
59:
11
 私が家に帰ると、レミがいつもどおりに私を迎えた。
 父が死んでからもその笑顔は相変わらずだった。
「おかえり。今日は遅かったんだね」
「うん、まあね」
「……なんだか気分よさそうだね。いいことでもあった?」
「べつに」
「……この前、結婚の事について少し触れたけど、まだ細かいことは話してないでしょ」
「そうだね」
 そういえば、父が死んでからもうすぐ半年、つまり六ヶ月が経過しようとしていた。
「今度、私のその結婚相手の人に家に来てもらおうと思うの」
「そう、どうぞ勝手に」
60:
 この女のことなど、どうでもよかった。
 勝手に好き勝手にやればいい。玄関に腰かけブーツを脱ぐ。
 足はすっかりむくんでしまっていたが、気分は悪くはなかった。
「それで結婚相手の人なんだけどね……。
 ――って言うの」
「……え?」
 私は反射的に背後にいるレミを振り返っていた。レミの右手の薬指には、指輪が光っていた。
 そして、その手は彼女の腹部に置かれていた。
「今なんて言った?」
「だから、結婚する人の名前なんだけど……」
 レミがもう一度結婚相手の名前を言う。とても嬉しそうな笑顔で。
 レミが言った結婚相手の名前は、私がさっきまで一緒に飲んでいた後輩のものだった。
おわり
61:
男「はい、おしまい」
女「え? 終わりなんですか!?」
男「ああ。これより先はない」
女「ええー、むしろこれから先の方が気になるんですけど……まあいっか。
 たしかにホラーではありませんでしたね」
男「……面白かったか?」
女「うーん、まあ……ボチボチです。
 ていうかこの話、本当に先輩が考えた話なんですか?」
男「…………」
62:
女「なんで黙るんですか?」
男「いや、べつに。
 まあ誰が考えようが、話の内容が変わるわけじゃないんだし、どうでもいいだろ」
女「気になる言い方をしますね」
男「うるさい。ていうか話は終わったからな、約束通り帰れよ。ヒマちゃん」
女「ヒマちゃんってなんですか!? 私には……」
男「わかったわかった。ああもう、うるせーな。
 ヒマちゃんっていうのはお前の名前からとっただけだっつーの」
女「私の名前とちがうんですけど……」
男「はいはい。とにかく帰れよ、オレは忙しいんだ」
63:
女「……先輩」
男「……なに?」
女「また暇なときにでも、私にコワイ話、聞かせてください」
男「まあ……あの人も喜ぶかもしれないし、たまにならいいぞ」
女「あの人?」
男「気にすんな、ひとり言だ」
女「先輩はよくわかんないですねー。じゃあ今日は帰りますから……」
男「……事故ったりしないように、安全に気をつけて帰れよ」
女「はい、わかりました。それじゃあまた今度」
65:
>>1乙
一話の話のオチこれどういうことなんだ
66:
>>65
後輩に父の死因言ってないだろ
なのに死因を知っていた
そして、「私」はレミの事について後輩に対して色々言ってるんだぜ
洒落になってねーよ、これ
67:
>>66の言ってることもそうだけど
本当にこの話のやばい所は「俺が先輩を支えてあげます」っていう後輩の言葉からも分かるようにレミと結婚する
つまり母親どころか父親まで年齢が下っていう超カオス家族ができちゃったてとこだろ
現実ではこういう結婚できるのかね
69:
女「せんぱーい、今日も私が呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃーんですよ!」
男「……じゃ、が一個足りてねーぞ」
書記「……」
女「あ、先輩だけでなく生徒会書記の人もこんにちは」
書記「どうも……」
女「あれ? 今日って生徒会のある日じゃないですよね?」
男「どうして執行部でもないお前が、生徒会のある日を知ってるんだよ」
女「私はなんでも知ってるんですよ」
書記「……私、帰るね」
70:
女「え? あ、その、もしかして……お仕事中でしたか?」
書記「……」
女「もしかして、怒ってたりします?」
書記「べつに。
 ……明日までに頼まれてた調べ物はやっておくから、キミもきちんとやっておいてね」
男「おう、わかってるって。
 とりあえず他のヤツらにも明日の議題の確認メール、送っておいてくれ」
書記「うん。じゃあ……またあした」
男「じゃあな」
71:
女「あの……私、おジャマ虫だったりしましたか?」
男「いや、今日はお前の言ったとおり生徒会の方の活動はなかったし、全然そんなことないけど」
女「本当ですか?」
男「……なんだよ、その顔は?」
女「だって、用がないのに生徒会室を使うわけないじゃないですか」
男「ここを使ってるのは、テスト勉強のためだよ」
女「そういえばもうすぐテスト、始まる時期ですね。
 でも、だったら図書室を使えばいいじゃないですか?」
男「図書室は勉強してる連中でいっぱいだろ? 
 その点、生徒会室なら誰も入ってこないし、のびのびと勉強できるからな。
 それに、アイツと少し話しておきたいこともあったしな」
女「書記の人とですか?」
72:
男「そうだ」
女「……」
男「どうした、急に黙って」
女「いえ、ひょっとして先輩とあの人は付き合ってたりしますか?」
男「……は?」
女「あ、いや、ただ……なんとなく聞いただけで深い意味はないですよ?」
男「残念ながらそんなことはない」
女「ホントですか?」
男「こんなことで嘘ついてどうするんだよ」
女「生徒会会長と書記が付き合ってるって、ちょっとスキャンダラスじゃないですか?」
73:
男「会長がつきあってるとか誰も気にしたりしないだろ」
女「ええーそうですか?」
男「漫画の世界じゃあるまいし。
 生徒は生徒会長が誰とつきあってるとか気にしないだろ。
 そもそも、生徒会執行部のメンバーをまず把握してるのかって話だ」
女「そんなもんなんですかね」
男「そんなもんだよ。
 生徒会なんて言ったって、しょせんは教師の使いっぱしりみたいなもんだしな」
女「漫画とかだと、先生並みに権力を持ってたりするとかってあったりしますけどね」
男「漫画ならな。現実は全然ちがう。
 ……あ、そうだ。ひとつだけ頼みたいことがあるんだけど」
女「なんですか?」
男「職員室に行って、議事録をとってきてほしい」
74:
女「なんで私がそんなものを、取りに行かなきゃならないんですか?」
男「実はさ、この前友達と二人乗りしてたのが、生徒指導のヤツにバレちゃってだな。
 反省文を今日までに書いてこいって言われたんだけど、まだ書いてないんだよ」
女「だから、その生徒指導の先生と会ったらまずいからって理由で、私に職員室に行けってことですか?」
男「そういうこと。
 よりにもよって、その議事録のある棚が生徒指導のヤツの机の後ろなんだよ」
女「それはまた都合が悪いですね。
 ていうか、この学校って二人乗りぐらいで反省文を書かせるような厳しい学校なんですね」
男「まあな。校則に関しちゃ、わりと厳しいところだと思うぞ」
女「……あれ? でも校則が厳しいって……あの人、明らかに髪染めてますよね?」
男「あの人?」
女「書記の人のことですよ」
男「……ああ、あいつのことか。
 まあ、教師だって人間だ。品行方正なヤツにはすこしぐらい贔屓したくなるんだろ」
75:
女「絶対周りからなにか言われてますよ」
男「そうかもな。
 でも、少なくとも影で言うヤツはいるかもしれないけど、表立って言うヤツは見たことないよ」
女「そうなんですか?」
男「うちの学校はけっこう平和だしな」
女「知らないだけかもしれませんよ、先輩が」
男「それはあるかもな。
 オレなんて、どっちかって言うとあまり学校事情には詳しくないしな」
女「生徒会長なのに?」
男「だから、生徒会とかそういうのは関係ないって。
 ていうか、早く議事録を持ってきてくれ」
女「むぅ……それが、人にものを頼む態度ですか?」
男「……じゃあ、お前が議事録を持ってきてくれたら、怖い話を聞かせてあげようか?」
女「もってきます」
男「いってらっしゃい」
76:
女「持ってきましたよ、先輩!」
男「おう、ありがと。それにしても妙に時間かかったな……まあいいけど」
女「議事録は言われたとおりもってきましたよ。
 約束どおり、早くコワイ話を聞かせてくださいよ」
男「その前に。
 職員室から議事録を持ってくるとき、なんか言われなかったか?」
女「いえ、べつに言われてないですよ」
男「……。
 そうか、安心した」
女「ひょっとして生徒指導の先生になにか言われたと、思ったんですか?」
男「まあ、そんなとこだ」
女「ビビりすぎですよ先輩。だいたい、私が言われるわけないじゃないですか。
 そんなことより、早く話してくださいよ」
男「はいはい、聞かせてやるよ。
 偶然なのかな、今回は学校に関連する話だ」
77:
第三話
78:
1
「この学校って裏掲示板みたいなものってあるのかな?」
 アオイちゃんがふとそんなことを言った。
 とりあえず僕は「裏掲示板?」と聞き返した。
「うん、裏掲示板。聞いたことぐらいはあるでしょ?」
「まあね。生徒とかが勝手にやってるサイトでしょ?
 先生の悪口とか、クラスの人のウワサ話とかをしたりする」
「そうそう、そんな感じのやつね。
 裏サイトとかって呼ばれ方もしてるらしいね」
 放課後、僕とアオイちゃんは教室で二人きりで話していた。
 この一文だけだと、なんだか青春っぽく感じるけどなんてことはない。
 僕と彼女は同じ美化委員で、たんに放課後に学校中の掃除用具の点検をするために残っていただけだった。
 そして今は仕事を一通り終えて、教室で駄弁っている最中だった。
79:
「それで……裏掲示板がどうかしたの?」
「なんかね、ウワサで聞いたんだけど。
 そのサイトに時々幽霊が現れるらしいよ?」
「幽霊?」
「うん、幽霊。ウワサだし、そもそも裏サイトのこともよくわかんないから、本当かどうかは知らないけどね」
 アオイちゃんは楽しそうに笑う。
 こんなふうにアオイちゃんは裏サイトの話を振ってきたけど。
 おそらくこの子はそういう掲示板の類には、書き込んだりはしないんだろうな。
 僕はなんとなくそんなことを思った。
 アオイちゃんは僕の反応がお気に召さないのか、少しだけ眉をひそめた。
「なんか反応が悪いなあ。幽霊とか信じてないタイプ?」
「まあね。ちっちゃい頃は信じてたけど、さすがにこの歳になるとね」
この歳とか言っても、まだ僕は高校一年生だし、大人から見れば全然子供なんだろうけど。
80:
「幽霊がいても私はおかしくないと思うけどなあ。
 みんな幽霊なんていないって言うよね。なんでかなあ」
 アオイちゃんがつまらなさそうに唇をとがらせる。
「そりゃあね。だいたい幽霊が掲示板に書き込んだりするものなの?」
「幽霊だってもとは人間でしょ?
 だったら掲示板に書き込んだりしても、おかしくないでしょ?」
「そうかなあ?」
 僕は幽霊(貞子のような女の人の幽霊)がタイピングしている姿を想像した。
 ……とてもシュールな気がする。
「きっとそうだよ。根拠はないけど」
 夕日が沈みかけているせいか、教室は普段よりひっそりとしていた。
 僕らの話し声以外の物音はほとんどしない。
81:
「そろそろ帰らない?」
 僕としては早く家に帰って、明日の課題や予習をしておきたいという理由でそう言ったのだけど。
 アオイちゃんはどうやら勘違いしたらしい。
「もしかして怖いの?」
 少しだけ口もとがニヤニヤしていた。
 彼女は人をからかうのが好きなのだ。
「そうだね」
「幽霊なんて信じてないのに?」
「それとこれはべつじゃないかな?
  ホラー映画見て、その日の夜に寝れないなんて話はよく聞くじゃん」
「その感覚、私にはよくわかんないんだよね。
 幽霊を信じてない人でも、そういうふうになったりするらしいけど、理解できないなあ」
「自分でも不思議なんだけどね。
 今も正直、少し怖いなと思ったんだよ。もうすぐ日が暮れちゃうし、学校の中にいるしね」
82:
「仕方ないね。じゃあ帰ろっか」
 アオイちゃんが席を立つ。
 彼女は人をからかうのが好きだけど、同時に優しい人でもあった。
 人がいやがることは、そんなにしない。
「もちろん、一緒に帰るでしょ?」
 僕は頷いた。
「うん、一人だと怖いしね」
 怖いというのはウソだった。
 けれどもアオイちゃんと下校できること自体は嬉しいので、僕はそう言った。
「怖がりだねー、男なのに情けないなあ」
「自分でも情けないと思うよ」
「でもさ」
 彼女が僕を得意げに見た。
 夕日を背景にしたアオイちゃんの輪郭は、どこかおぼろげで幽霊みたいだった。
「正直、幽霊より明日の課題をやれないほうが色々な意味で怖いでしょ?」
 どうやら見抜かれていたらしい。
 アオイちゃんの言葉に、思わず僕は苦笑いをしてしまった。
83:
2
 一通りの勉強を終えた僕は、自分の部屋でノートパソコンをいじっていた。
 とは言っても、インターネットをしているだけなんだけど。
 いくつかのリンクを飛んであるサイトにたどり着く。
「……また、色々と書かれてるな」
 無意識に僕はひとり言をつぶやいていた。
 ネットサーフィンをしているときの癖だった。
 僕が見ているのは、アオイちゃんと話した例の掲示板だった。
 彼女と話しているときは、まるで裏サイトなど見たことがないかのように振舞った。
 けれども、実際にはよくこのサイトは見ていた。
 ただ、こんなサイトを見てるなんて、絶対に知られたくないのだ。
 おそらくそれは、このサイトに書き込んでる人たち、全員に当てはまることだと思う。
 ましては、僕の場合はなおさらだった。
 掲示板を埋める内容のほとんどが、教師に対する愚痴や悪口、クラスに対する不満といったものだった。
「相変わらずひどいなあ」
 またひとり言が口をつく。
 画面をスクロールして、掲示板に目を通していく。
84:
229投稿者:生徒A:10月11日(火)22時14分22秒
 あいつマジなんなの??
 今日も○井にキレられたんだけどイミフ!!!!!!!
230投稿者:生徒A:10月11日(火)22時19分34秒
 カルシウム足りてねーんじゃね??
 このまえ俺のクラスのやつも服装で注意されてたわ
 それかお前がクソブスかだなwwwwwww
231投稿者:削除跡 :10月11日(火)22時21分58秒
 中○←クソデブインケン教師まじ( ゜Д゜)<氏ね!
 アイツかわいい女ばっかヒイキしスギ
 そのくせデブスとかにはちょーきびしいし
232投稿者:ち○こ :10月11日(火)22時31分13秒
 てめえら全員○ね
 文句しかいえねえのか
 カスども
 インキャラ
233投稿者:生徒A:10月11日(火)22時39分18秒
 2個↑の本名書いてけされてんじゃんヤバっ藁
 つーかまじこの学校入ったの後悔あたしの人生返せだし怒
85:
こんな内容が延々と続いていた。当然、見ていて気分がよくなることはない。
 ではなぜ、僕はこのサイトを見ているのか。
 僕は一通り掲示板の内容を見て、キーボードに手を添えた。脳裏にアオイちゃんの言葉がよぎる。
「僕は幽霊です……」
 呟いた言葉をパソコンに打ち込んでいく。
「実はこの学校のもと生徒です。
 でももう死んでいます。そんな僕からアドバイスです。
 みなさんグチグチ愚痴を言うのはやめて、学校生活を楽しみましょう」
 口に出して打ち込んだ文章を確認してエンターキーを押す。
 僕の言葉が文字となって掲示板に現れた。
 アオイちゃんが言っていた掲示板に現れる幽霊。
 少なくとも、それを僕が怖がることはない。
 なにせ、アオイちゃんが言っていた幽霊は僕なのだから。
 実のところ、僕は幽霊を全く信じていないということもないのだ。
 僕自身が見たことがないだけで、いてもおかしくはないかな、ぐらいには思っている。
86:
 しばらく他のサイトとかを見てから、もう一度掲示板に戻る。反応はなかった。
 最初の頃は構ってくれる人も何人かいたけど、ここのところは誰も相手にしてくれない。
 もっとも、反応がないこと自体はわりとどうでもよかった。
 僕はただ幽霊を演じることを純粋に楽しんでいるだけなのだ。
 それに、この裏サイトを見たことがないアオイちゃんですら、幽霊については知っていた。
 つまり、そこそこウワサにはなっているのだ。
 その事実だけで僕は、満足だった。
「ん……?」
 そろそろ寝ようか、と思ってサイトを閉じようとしたときだった。
 幽霊である僕に対して、反応があった。
87:
 241投稿者: 死 者 :10月11日(火)22時49分44秒
 実はこの学校のもと生徒です。でももう死んでいます。そんな僕からアドバイスです。
 みなさんグチグチ愚痴を言うのはやめて、学校生活を楽しみましょう。
242投稿者:生徒A:10月11日(火)22時58分53秒
 あなた死んでるの?本当だったら今度屋上で会わない?
 一人は寂しいの。一人はいやなの。ねえ、会いましょう。
 私はずっと待ってる。屋上で待ってる。会いに来て。
 僕は鼻で笑った。
 自分のようにくだらないことをする人間は、いくらでもいるんだなと。
「そうですか。では明日にでも会いましょう。
 自分以外の幽霊に学校で会えること、楽しみにしています」
 文章を掲示板に書き込む。
 このあとも反応があるかもしれないから、もう少し起きていようかなと思ったけど、結局やめた。
 明日も早いし、寝坊して先生に怒られるのはイヤだった。
 僕はパソコンを閉じてベッドに入った。
 眠れなかったらどうしよう。
 夢に怖い幽霊が出てきたらどうしよう。
 そんなふうに不安になったけど、すぐに眠気が訪れた。
 あっさりと僕は眠りについた。夢に幽霊が出てくるどころか、夢すら見ることなく僕は朝を迎えた。
92:
3
 幽霊を信じてはいないけど、ホラー映画は怖くて見ることができない。
 そんな不思議な矛盾は、意外と多くの人が抱えているんだと思う。僕もそうだ。
 幽霊なんて見たことはないけど、目に見えないだけでいるんじゃないか。そんなことを思っている。
 昼休み。
 僕はお弁当を黙々と食べながら、そんなことを考えていた。
 目の前のクラスメイトも僕と同じように、ごはんを食べるために口を動かすことはあっても、しゃべるために口を動かすことはなかった。
 はっきり言って僕は友達が少ない。
 この昼食を一緒に食べているクラスメイトも、友達なのかと言えば微妙だ。
 一人で食べるのがイヤだから。
 あるいは一人で食べる姿をクラスメイトに見られて、惨めな思いをしたくないから。
 
 そんな後ろ向きな気持ちが、僕らを二人で食べるという行動にさせているのであって。
 一緒に昼食を共にしたいわけではないのだ。
 おそらく目の前の彼も、似たようなことを考えているだろう。
「ごちそうさま」
 僕は手を合わせて、空になったお弁当箱を学生カバンにしまう。
 目の前のクラスメイトにはなにも言わずに、僕は教室を出た。
93:
 教室を出た僕は、屋上に向かうことにした。
 基本的に昼休みは手持ち無沙汰なことが多いけど、今日の僕には用事があった。
「あなた死んでるの、本当だったら今度屋上で会わない……か」
 昨日、裏掲示板に僕宛に書かれた内容を口の中でつぶやく。
 理由はよくわからないけど、屋上へ向かう僕の足取りは軽かった。
 廊下の角を曲がる。その先にある階段を昇れば屋上だ。
「あっ……」
 階段の踊り場で、ばったりアオイちゃんと会った。
「シミズくんじゃん。おはよう」
 アオイちゃんは、見ていて気持ちよくなる笑顔で挨拶してきた。
94:
「おはようって……もうお昼だよ?」
 僕がそう指摘すると、
「今日話したのは初めてじゃん。
 芸能界では最初の挨拶は絶対におはようって言うらしいよ」
「アオイちゃん、芸能人じゃないよね」
「あっ、そーだった」
 アオイちゃんは、自分のおでこを叩いた。
 そういえば、今日はアオイちゃんとは挨拶すらしていなかった。
「ていうかお腹空いたなあ。
 私、まだお昼食べてないんだよね」
 言われてみれば、アオイちゃんは昼休みが始まってすぐに教室を飛び出していった気がする。
 僕は少しだけ気になったので聞いてみた。
「授業終わってすくに出ていったけど、なにかあったの?」
「んー、べつにー。ちょっと屋上に用事があったんだよね」
 アオイちゃんは、背後の屋上に続く階段を指差した。
95:
「屋上?」
「そう、屋上。まあ用事って言うほどのものでもないけどね」
 僕は内心、首をかしげた。
  どうして屋上に用事などあるのだろうか。
 いい加減な学校ゆえに、屋上は生徒でも入れる仕様になっているけど、本来は立ち入り禁止だ。
「そういうキミこそ、どこに行こうとしてたの?」
「え、僕……?」
「うん。他に誰もいないでしょ」
 アオイちゃんの言うとおりだった。
 自分でも不思議なのだけど、屋上に行こうとしていたことを彼女に知られるのが、なぜかイヤだった。
「どうしたの?」
 アオイちゃんのいぶかしげな顔が近づいてきて、僕は余計にあたふたしてしまう。
96:
「さてはなにか、隠し事をしているなあ?」
「し、してないよ?」
「じゃあなんで目が泳いでるのかなあ?」
「あ、いや、それは……」
 アオイちゃんの近すぎる視線に耐えきれず、僕は正直に打ち明けた。
「屋上に行く、つもりだったんだよ……」
 「シミズくんも?」とアオイちゃんは意外そうな顔をした。
「うん」
「なんで屋上に行こうとか思ったの?
 ていうかなんで私に、そのことを隠そうとしたのかなあ?
 もしかして、やましいことでもあるのかな?」
「な、ないよ。ただ……」
「ただ?」
「屋上に行くのは校則違反でしょ? 
 僕、校則破ったこととか、今んところないから少しだけドキドキしちゃって……」
 横目でアオイちゃんの顔をうかがう。
 彼女は割れる直前の風船みたいな顔をしていた。
97:
「ふふふふ……あははははは、な、なにそれ!? 本気で言ってるの!?」
 適当についたウソだったけど、僕という人間がつくには適したウソだったらしい。
 アオイちゃんはすっかり信じたうえに、お腹を抱えてしばらく笑っていた。
「たかが屋上行くだけじゃん、気にするなよー」
「そ、そうだね」
「なんなら一緒についていってあげようか?」
 なぜかアオイちゃんが真面目な顔になる。
 僕は一際大きくなった心臓の音を聞かれないように、わざとらしく大きな声を出した。
「だ、大丈夫だよ! ひとりで行くよ!」
「心配だなあ。まっ、ひとりがいいって言うなら、私がジャマしちゃ悪いもんね」
 アオイちゃんはあっさりと納得すると、じゃあねー、と手を振って教室へ戻っていった。
 惜しいことをしたな、と少しだけ僕は後悔して屋上へ続く階段を昇った。
101:
「……」
 屋上に行ったはいいものの、幽霊どころか人ひとりいなかった。
 殺風景な屋上には、ものひとつすらなくて、僕はほんの少しだけボーッと突っ立っていた。
 よくよく考えるまでもなく、屋上なんだから当たり前の話なのだけど。
 いったい僕はなにを期待していたのだろうか。
「いや、わかっていたんだけどね」
 漫画や小説であれば、こういうなにげない行動から、劇的なことが起きたりするけれど。
 残念ながら現実では、なにも起こらないようだ。
 屋上のフェンス越しから見るグラウンドも、別段なにかちがいがあるようには思えない。
「戻るかな……」
 悪あがきのように屋上に居座り続けるのは、かえって情けない気がする。
 鉄扉を開いて教室に戻ろうとしたときだった。
 首筋に針のように鋭い視線を感じて、反射的に振り返る。
102:
「……」
 だが、やはり振り返ったところで誰もいなければ、なにもなかった。
「幽霊さん、いますか? 僕は『死者』です。
 いるなら返事してくれませんか」
 返事どころか、風すら吹かなかった。
 僕はわざとらしくため息をついて、誰かに聴かせるように舌打ちをした。
 退屈を紛らわしてくれる幽霊は、少なくとも僕の前には現れてくれないらしい。
103:
4
 学校を終えて家に帰って、すぐに僕はパソコンを立ち上げた。
 なにか掲示板に反応があるかもしれない。
 そう思ってブックマークしてある裏サイトへと飛んだ。
 僕は自分の学校生活を、ひどくつまらないものだと思っている。
 自分の学校でのことを思い浮かべるだけで、虚しさが心を蝕んで穴を開けていくようだった。
 だからインターネットの掲示板の中で、死者という自分とは全く異なるものを演じていた。
 もっとも、掲示板に打ち込んだ文字が心の穴を埋めるのは、本当に僅かな間だけなんだけど。
「あっ……」
僕の予想とは裏腹に、例の書き込みをした人と同一人物だと思わしき人の書き込みがあった。
259投稿者:生徒A:10月12日(水)17時11分19秒
 朝からずっと屋上で待っているんですが、まだ屋上には来られていないですよね?
 やることもないのでべつにいいのですけど、できれば早く来てほしいです。
104:
 文章の内容を把握し終わったときには、すでにキーボードを叩いていた。
「何言ってるんですか?
 僕はとっくに屋上へ行っていますよ。ずっと待っていたのはこちらのほうです。
 どうしてあなたは、僕の前に現れてくれなかったのですか……と、こんな感じかな」
 満足に推敲もせずにエンターキーを押す。
 更新された画面が切り替わる。
 五分ほどするとまた、返事がきた。
105:
260投稿者:死者 :10月12日(水)17時12分03秒
 何言ってるんですか?
 僕はとっくに屋上へいっていますよ
 ずっと待っていたのはこちらのほうです。
 どうしてあなたは僕の前に現れてくれなかったのですか
261投稿者:生徒A :10月12日(水)17時18分01秒
 そんなはずはありません。私はずっとあなたを屋上で待っていました。
 本当にあなたは来たんですか?
 まさかあんな場所で人を見逃すわけがありませんし。
262投稿者:死者:10月12日(水)17時21分54秒
 おかしいですね。
 
 まあとりあえず、どうして幽霊である僕に会いたいのか、教えてもらっていいですか
263投稿者:生徒A :10月12日(水)17時22分27秒
 一人ぼっちだから。寂しいから。誰かと一緒に幽霊として死にたい。
106:
 僕はそこで手を止める。
 右手はいつの間にか、あごを撫でていた。
 てっきり適当にあしらっていれば、そのうちこの人がキレだして、なにかボロを出すのではないかと期待していたのだが。
「誰かと一緒に、幽霊として……死にたい」
 とても不思議な印象を受ける文だった。
 そもそも幽霊が死にたいって……幽霊は死んでるから幽霊なのだ。
 なぜ幽霊になってからも、死のうとするのだろうか。
「……って、なにを本気にしてるんだろ」
 掲示板の向こう側にいる存在が、本当の幽霊であるかのように自分が思考していることに気づいて、内心赤面する思いだった。
 僕は裏サイトを閉じて、パソコンの電源を落とした。
 真っ暗になった画面に映った僕の顔は、どこか緩んでいた。
107:
5
 次の日。
 僕は常日頃から学校へは早く行く。
 けど、基本的に教室に入るのは朝のホームルームが始まる直前だ。
 普段は図書館で自習をしているのだけど、今日は屋上へ行くことにした。
「え、うそ……」
 廊下を歩いていると、背後からそんな声が聞こえてきた。
 ギョッとして振り返る。
 目を猫のようにまん丸にしているアオイちゃんがいた。
 なんとか平静を装って、僕は挨拶した。
「おはよう、アオイちゃん。
 珍しいね。アオイちゃんがこんな早い時間から学校にいるなんて」
108:
 僕のセリフは妙に早口で、自分でもわかるくらいにウソっぽく廊下に響いた、
「うん、まあねー。
 シミズくんはこれから図書館に行くところ?」
「あ、いや……どうしようかなと考えてたところ。
 気晴らしにまた、屋上にでも行こうかなあ……」
「あ、じゃあ二人で屋上に行かない?
 実は私も珍しく早起きして、その上さらに珍しいことに、早く学校に着いちゃったからさ」
「そうだね。じゃあ一緒に屋上に行こっか」
 昨日もアオイちゃんは、屋上に行っていたと言った。
 そのことが気になったけど、残念ながら僕には詮索する勇気はなかった。
109:
「うーん、日差しが気持ちいいね」
「そうだね」
 障害物がなにひとつないせいで、朝の陽の光をあますことなく浴びることができた。
 太陽の光を吸収するかのように伸びをするアオイちゃんは、文字通り輝いて見えた。
「ところでさ。
 ぶっちゃけシミズくんさあ、初めから屋上に行くつもりだったんじゃない?」
「……どうしてそう思うの?」
 アオイちゃんの質問は予想外の不意打ちだった。
 僕はなんとか冷静に返答した。
「いや、なんとなくだけどさ」
「だったらアオイちゃんだって、本当は……」
 そこで僕は言いよどんでしまう。
「そうだよ。キミの予想通り、私は初めから屋上に行くために早起きして学校に来たんだよ」
 あっさりとアオイちゃんは答えを言ってしまった。
110:
「どうして?」
「この前の話覚えてる? 学校の裏掲示板についてのこと」
「ああ……あれね。そういえば話したよね」
 僕はあたかもアオイちゃんの話を聞いて、学校掲示板について、今思い出したかのような演技をした。
「それがどうかしたの?」
「その掲示板に幽霊が現れるって話もしたよね?」
「うん、覚えてるよ」
「それでね、今その学校の裏サイトに本当に幽霊が現れてんだよ。
 あ、いや、本当に幽霊かどうかはわからないんだけどさ」
「そうなんだーすごいなあ」
「……絶対にどうでもいいとか思ってるでしょ?」
アオイちゃんの眉がわずかに持ち上がる。
111:
「そ、そんなことないよ?
  アオイちゃんはそれで幽霊に会うために屋上に来たんだね?」
「……」
「……アオイちゃん?」
「うん、そうだよ。
 てっきりキミも同じような理由で、屋上に来たのかと思ったけど……ちがうの?」
一瞬だけ迷ってすぐに僕は答えた。ちがうよ、と。
「それに、僕は幽霊を信じていないしね」
「うわーつまんないの」
 アオイちゃんの視線がふと、屋上全体を囲むフェンスへと向けられる。
「シミズくんは学校掲示板を見ていなんでしょ?」
「うん……」
「じゃあ、掲示板に現れた幽霊について説明するけど……」
 アオイちゃんが、かいつまんで掲示板に出現する二つの幽霊について僕に説明した。
112:
 僕は唇が緩むのをこらえるのに必死で、その内容を聞く余裕はなかった。
「『死者』って名乗る幽霊。そして屋上でずっと待ってる幽霊がいるんだけど。
 この屋上幽霊のほうが、名前の通りに屋上で待っているって言うから昨日から様子を見に行ってたの」
「それで昨日も屋上に行ってたんだね」
 アオイちゃんは頷いた。
「それで、幽霊には会えたの?」
「もちろん会えてないよ。
 だいたい会えてるならもうここには来ないよ」
 ふと僕は時間を確認する。
 まだ、ホームルームの時間までには余裕があった。
「あのさ、この学校の事件について知ってる?」
「事件?」
 僕が首をかしげると、彼女は得意げに語りだした。
「今いるこの屋上がまさにその事件の舞台なんだよ」
113:
 アオイちゃんは僕とちがって、友達も多ければ先生からの信頼も厚い人だった。
 たぶん、僕よりも学校事情については詳しいはずだ。事件について知っているのもそのためだろう。
「もしかして、アオイちゃんはその自殺した幽霊が、さっき言ってた屋上幽霊だと思ってるの?」
「正解、そのとおり……」
 アオイちゃんの言葉をかき消すように、鉄扉が重たげな悲鳴をあげて開いた。
 僕とアオイちゃんはオロオロしてしまったが、扉から現れたのが生徒だってわかって胸をなで下ろした。
「び、びっくりした……」
 扉から現れたのは一人の女子生徒だった。
「あっ……」
 小柄な女子生徒は僕らに気づくと、顔をこわばらせて踵を返した。
「ちょ、ちょっと待って!」
 アオイちゃんがその小さな背中を呼び止める。
 女子生徒が恐る恐る僕らを振り返った。
114:
 簡単な自己紹介をしてもらったことで、屋上に突然現れた女の子の名前がヒトミということがわかった。
 ヒトミは一目見て、クラスでも目立たないタイプだということがわかる容姿をしていた。
 重たげな前髪は、目元をほとんど隠してしまっている。 
 小さな背中は、空気中の二酸化炭素に押しつぶされかけているかのように丸まっている。
 病的な白さと相まって、暗い雰囲気を醸し出していた。
「ヒトミちゃんも学校掲示板を見て、屋上に来た……そういうことだよね?」
 アオイちゃんは初対面の相手にも臆することなく、ガツガツと質問していた。
115:
「うん……」
 ヒトミの声は、吹いてもいない風にさらわれそうなくらい小さかった。
 おそらく彼女はクラスで、僕と同じような立場なのだろう。勝手にそう決めつけた。
「幽霊なんていないと思うけど……興味があったから……」
 僕から言わせれば、この女のほうがよっぽど幽霊に思えた。
 アオイちゃんはまったく彼女の不気味な雰囲気を気にすることもなく、さらに質問を続けた。
「ちなみに、幽霊は見たの?」
言うまでもなく、この質問に対するヒトミの答えはノーだった。
116:
 結局そのあとはなにも起きるわけもなく。
 あのあと、僕とアオイちゃんとヒトミは解散した。
 僕は普段通りに授業を受けて学校から帰宅した。
 おやつを食べたあと、僕はパソコンを立ち上げた。
 おそらく今日も、アオイちゃんが言うところの屋上幽霊が掲示板になんらかの書き込みをしていることだろう。
 僕の予想はあっさりと当たった。
 屋上幽霊からの書き込みはあった。
 だが、予想外のことが起きていた。
「な、なんだこれ……」
キーボードに置いた指が震えた。
117:
278投稿者:生徒A:10月13日(木)16時44分44秒
 あなた嘘をつきましたね。私に。ふざけるな。ようやく孤独から解放されると思ったのに。
 『死者』と名乗る人間はいましたがそいつらはひとり残らず死んでいませんでした。
279投稿者:生徒A:10月13日(木)16時44分44秒
 孤独のつらさがわかるのか。幽霊のつらさがわかるのか。
 私がどんな思い出あの屋上にいたと思うんだ。
 ようやく一緒に死んでくれる存在を見つけたと思ったのに。
280投稿者:生徒A:10月13日(木)16時44分44秒
 許さない。絶対に後悔させてやる。ぶち殺す。絶対に『死者』が誰なのか見つけて殺してやる。
 私の痛みをお前にも味あわせてやる。謝たってゆるさない。殺すぞ。死ね。死ね。死ね。
 絶対に殺してやる。
118:
281投稿者:生徒A:10月13日(木)16時44分44秒
 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す
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282投稿者:生徒A:10月13日(木)16時44分44秒
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283投稿者:生徒A:10月13日(木)16時44分44秒
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284投稿者:生徒A:10月13日(木)16時44分44秒
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285投稿者:生徒A:10月13日(木)16時44分44秒
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119:
 最初こそ画面をスクロールするスピードは、ゆっくりにしていた。
 けど、無意識のうちにスクロールのスピードは上がっていった。
「ウソだろ……」
 最後の最後までスクロールする。
 恐ろしいことに、画面は意味不明な文字の羅列で埋め尽くされていた。
 百ぐらいの書き込み数だったら、僕も暇な人だなあぐらいで流していただろう。
 だが、ひとつの掲示板を終わらせる量の書き込みともなると、さすがに不気味なものを感じずにはいられなかった。
 なにより、書き込みの時間が奇妙だった。
「全部一緒の時刻……」
 全身の肌が粟立つのを感じた。
 こめかみを伝う汗がこの状況は危険だと警告してくる。
 呼吸が浅くなっていることに気づき、僕は深呼吸する。
120:
 けれどもうまく空気を吸い込めない。。
「落ち着け……」
 そう、これは悪質なイタズラだ。
 僕はパソコンには詳しくないけどやろうと思えば、こういうことだって可能なはずだ……たぶん。
 もう一度液晶を見つめる。
 画面の奥底に潜む狂気のようなものに、僕はすっかり怖じ気づいていた。
 それでもこんな悪質なことをする人に対して、怒りを全く感じていないわけでもなかった。
 この書き込みをした人の手がかりとなるヒントが、画面の中に隠されていないか、僕は液晶の文字を懸命に追った。
「あっ……」
 さっきは急ぎすぎて見落としていたけど、掲示板の書き込みの中に、URLがいくつか貼ってあるのを見つけた。
 僕は恐る恐るそれをクリックした。
「これ……」
 切り替わった画面に現れたのは、
「……僕だ」
121:
 パソコンの画面に、僕の後ろ姿が映っていた。
「なんで……なんで僕が……」
 マウスをうまく動かせないせいで、マウスポインタが画面上をめちゃくちゃに動き回る。
 ようやく次のURLをクリックするときには、掌は汗をびっしょりとかいていた。
新たな写真が出てくる。
「この人は……」
 重たげな前髪の下の白い顔には見覚えがあった。今朝あった女子生徒だ。
 場所はこれもおそらく屋上だ。
「どうなってるんだ……」
 あの屋上で盗撮されていたというのか。だが、どうやって?
 あそこには身を隠せるような場所はないし、盗撮用のカメラを隠す場所もなかったはずだ。
122:
 片っ端から貼り付けてあったURLを確認した。
 三十分はかかっただろうか。
 URLは全部写真で、それらの全てが屋上で撮られたものだった。
 写真には僕やヒトミだけでなく、他の生徒も映っていた。
「ど、どうしよう……」
 家にひとりでいるという状況が心細く感じた。
 パソコンの電源を落とす。
 家を飛び出そうとしかけて、突然鳴った電話に引き止められる。
 ケータイを見る。電話をかけてきた相手はアオイちゃんだった。
 僕はすぐに電話に出た。
「もしもし、どうしたの?」
『あ、うん……急に電話してごめんね』
 電話越しから聞こえるアオイちゃんの声は、普段よりもだいぶか細かった。
『今、シミズくん家にいる?』
123:
「うん、いるよ」
『あ、そうなんだ。
 ……その、突然で悪いんだけど、シミズくんってパソコンもってる?』
「うん、あるよ。それがどうしたの?」
『今から学校の裏サイトのURLを教えるから、すぐに見てほしい』
「……」
 アオイちゃんも掲示板を見たのか。
 僕はもう一度パソコンの電源を入れて、アオイちゃんから、教えてもらったURLで学校掲示板を開いた。
 そして、アオイちゃんの指示に従って、僕は数分前と同じように掲示板に貼られていた写真を全て確認した。
『どう思う、この写真たち』
「……この写真、どうやって撮ったのかな?」
『うん、そうなんだよね。
 今朝、私たち以外は屋上には誰もいなかったよね?』
「たぶん。それにいたとしても、あそこはなにもないから、簡単にわかると思う」
124:
『どうしたらいいかな?  正直ね、私すごく怖いんだ』
 アオイちゃんがはなをすする音がした。
 もしかしたら、彼女は泣いているのかもしれない。
 僕は彼女の力になりたくて、なるべく冷静であるように振舞うことにした。
「大丈夫だよ。盗撮されただけだし、なんなら先生たちに言えばなんとかしてくれるよ」
 なるべく彼女の不安が消えるように、努めて明るい声で言った。
『……珍しいね、キミがそんなふうなんて』
「そんなふう?」
 どういうこと、と聞く前に、
『ごめんね。
 あんまり長い間電話していると、電話代がすごいことになっちゃうから切るね』
 最後にありがとう、とアオイちゃんが付け加えて通話は切れた。
125:
 アオイちゃんにはあんなことを言ったが、正直、僕自身もどうしたらいいのかまるでわからない。
 CPUファンの唸る音が虚しく響く部屋は、さっきよりも温度が下がった気がした。
 ふと、またケータイが鳴った。
 開いてみると、メールが届いていた――アオイちゃんからだった。
『さっきはありがとo(^▽^)o ほんとにすごくコワカッタンダ(´;ω;`)シミズくんのおかげでちょっとらくになった!!』
 なにげに彼女とメールをしたのは初めてだった。
 入学したときの席がたまたま隣同士で、メールアドレスを交換したけど、一度もメールをしたことはなかった。
「……」
 不思議と感じていた恐怖が消えていくような気がした。
 僕はすぐにメール作成画面へと移った。
 初めて送るメールの内容はなかなか決まらなくて時間がかかった。
 けど、その時間は心地の良いものだった。
126:
6
 それから三日が経過した。
 僕とアオイちゃんとヒトミは、もう一度集まって例の掲示板について話し合った。
 とりあえずは屋上には立ち寄らないということと、掲示板は見ないようにしようという結論に至った。
『こうしておけば、とりあえずイヤな気分になることはないでしょ』
 この提案をしたアオイちゃんはそう言って、得意げな顔をした。
 結果から言えばこの選択肢はあたりだった。
 この三日間、なにごともなく過ごせたのだから。
 もちろん、まだなにが起きるかはわからないが、すっかり僕は安心していた。
 さらに言ってしまうと、僕は屋上幽霊には感謝していた。
 なにせあの人のおかげで僕はアオイちゃんとより親しくなり、しかもメールをするまでに発展したのだ。
 学校から帰って僕はすぐにケータイに充電器をさした。
 今日はたまたまケータイの充電をし忘れていたせいで、メールを確認することができなかった。
 この三日間はずっとアオイちゃんとメールをしているので、きっと今も何件か、彼女からメールが来ていることだろう。
 電源をつけてすぐにメールボックスを開く。
 僕の予想よりもメールが来ていた。
127:
 一番に見つけたのは、学級委員長からのメールだった。
 もうすぐ文化祭なので、それについてのメールが来ていた。
 さらにスクロールして、受信ボックスの中身を確認していく。
学級委員長
お母さん
お母さん
 一応親からのメールも内容を見ていく。
 アオイちゃんの名前を見つけて僕は、嬉しくなった。だが、さらに彼女以外からもメールが来ているようだった。
 さらにスクロールしていく。ある部分で僕の指が止まった。
ヒトミ
アオイちゃん
アオイちゃん
アオイちゃん
生徒A
131:
 心臓が一際高くなった。自分の目を疑う。
 『生徒A』などという人物を、僕はアドレス登録した覚えはない。
 
 アオイちゃんの名前の下にある『生徒A』という人から送られてきたメールを開く。
 そこにはこう書かれていた。
『見つけた』
 悲鳴をあげなかったのはほとんど奇跡だった。
 たった一言なのに、僕にはそれが例の屋上幽霊から送られてきたものだということが一瞬でわかった。
 気づいたときには僕はアオイちゃんに電話していた。
アオイちゃんはすぐに出てくれた。
『もしもし……シミズくんどうしたの?』
「あ、あの……め、メール来なかった?」
『メール? メールって……シミズくんから?』
「ち、ちがうよ! えっと……」
 ケータイを持つ手が震える。
 舌がもつれてしまって、うまくしゃべることができない。
132:
『……落ち着いて。もしかして、例の屋上幽霊のこと?』
 アオイちゃんの声のトーンが低くなる。
「う、うん……」
『なにがあったの?  落ち着いて話してみて』
 僕は深呼吸をして、なんとかアオイちゃんに状況を説明した。
『そういうことね』
「ど、どうしたらいいかな?」
 電話の向こう側でクラクションの耳障りな音が鳴り響く。
 そのせいでアオイちゃんがなにを言ったのか聞こえなかった。
『シミズくん……?』
「ごめん、よく聞こえなかった」
133:
『……今、時間ある?』
「うん、あるよ」
『ここから待ち合わせしやすい場所と言えば……とりあえず駅まで来てくれない?』
「え?  どうして……」
『こういうことは、直接会って話したほうがいいでしょ?』
「わかった……」
『なるべく早く行くから。
 キミも事故らない程度に急いで来てね』
「うん……」
 電話が切れる。
 ケータイと財布をポケットに突っ込んで、僕は家を出た。
 駅に行く道の途中で、玄関の鍵をしめた記憶がないことに気づいたが、家に引き返す気にはなれなかった。
134:
 どうやら急ぎすぎたらしかった。駅にはまだアオイちゃんはいなかった。
 家にいるよりは駅にいるほうが、人も多くいるためマシだと思ったが、僕がひとりであることには変わりなかった。
 時間をつぶすためにケータイを開きかけて、結局やめる。
「あ……シミズくん」
 予想外の声が背後から聞こえてくる。
 声の主はヒトミだった。
「どうして……キミが?」
「あ、あの……私、実は……」
 ヒトミは言葉を探しあぐねているのか、口をもごもごとさせてうつむいてしまう。
 おそらく僕と同じようにアオイちゃんに呼ばれたのだろうことは予想がついた。
「うわっ!  二人とも来るの早いね、待った?」
 程なくしてアオイちゃんが来た。
 僕らは近くのファミレスへと移って話し合いをすることにした。
135:
「つまり、僕とヒトミちゃんには『生徒A』から携帯電話に向けてメールがきてた……」
「なんで二人だけなんだろ……」
 アオイちゃんは僕のケータイをテーブルに置くと、僕とヒトミを交互に見た。
「私にはメールは来てない。なんで二人だけにしかメールがいってないんだろ」
 アオイちゃんの疑問に答える声はなかった。
 ヒトミは時々口を開きかけては、結局なにも言わないということをしていた。
「なにか心当たりない?」
 アオイちゃんが僕を見た。僕は無意識のうちにその視線から逃れるように、ヒトミへ質問した。
「ヒトミちゃんはなにか心当たりある?」
「その……」
 この人はなにかを隠している。僕は直感した。
 だが、彼女に隠さないといけないような、後暗いことなどあるのだろうか。
 そもそも今回の現象は言ってみれば僕のせいだ。
 僕が迂闊にあんなわけのわからない書き込みに反応したせいで、こんな状況に陥っている。
「手がかりも心当たりもない状態か」
「そうだね……」
 僕は言葉を濁した。しばしの沈黙。
136:
 僕は視線を自分のグラスへと落とした。
 炭酸ジュースの泡が、浮いては弾けるのを眺めているうちに、ふとあることに気づく。
 視線だ。しかも強烈な。
「……」
 アオイちゃんがなぜか僕を凝視していた。
「な、なに……?」
「ううん、なんにも」
 アオイちゃんはコーラをズズッと啜った。
「それにしても不気味なメールだよね。
 『みつけた』の一言だけのあたりが特にね」
「なにが……見つけた、んだろ」
 ヒトミがぼそぼそと口を動かす。
「たしかにね」
 腕を組んでいたアオイちゃんが小さく声をあげた。
「全部見たわけじゃないからはっきりとはわからないけど……。
 撮った写真のことを言ってるんじゃない?」
137:
「でも、だったらなんで三日も空いたんだろ」
 思わず疑問が口をつく。
「その三日の間で特定したんじゃないのかな」
 アオイちゃんの声はいつになく緊張感に満ちていた。重苦しい沈黙が流れる。
「……なにを?」
 やっとのことで僕は声を絞り出す。
「決まってるでしょ」
 アオイちゃんはまるで犯人を指名する名探偵のように僕を見た。
「『死者』を、だよ」
139:
 僕たちが解散する頃には、九時を回っていた。
 僕とアオイちゃんは二人で帰っていた。
「どうしてこっちから帰る、なんて言いだしたの?」
 ほんの少しだけ僕はアオイちゃんから離れて歩く。
 視界の端っこにいる彼女の横顔は髪がジャマして窺うことができない。
「心配だったから」
「……そっか、ありがとう」
 耳が疼くような静寂が僕らの周りを覆っていた。
 細い路地に佇む街灯は、今にも消えて暗がりに埋もれてしまいそうだった。
「でも、だったらヒトミちゃんにこそついていくべきだったんじゃ……」
「もし、本当に『生徒A』がヤバイ人だったら、危険なのはキミだよ。シミズくん」
 僕は足を止めてしまった。
 消えかけた灯がチラチラと彼女の顔を照らす。
141:
「……どういうこと?」
「私に隠し事してんじゃない?」
「……なんのこと?」
 隠し事――あるとしたら、『死者』が僕であるという事実だが。
 そのことは僕が言わない限り明るみに出るはずがない。
「……もういいよ。帰ろ。一応、家まではついていくから」
 そのあと、僕らが家につくまで口を開くことはなかった。
 僕の家の前につくと彼女は言った。
「もしなにかあったら連絡してね。絶対だよ?」
 僕は黙って頷いた。
 どうして彼女がそこまで僕だけを心配するのか、その理由は結局わからなかった。
142:
「男である僕が女の子に見送ってもらうなんてね……」
 ふとケータイが震えた。
 ポケットから取り出したケータイにはメールが届いた。
『一週間以内に見つけ出す』
 『生徒A』からの簡潔なメール。
 僕はアオイちゃんに言われた通り、このメールを拒否設定にした。
 家に帰ると、母親がどこへ行っていたのかと聞いてきた。
 僕は友達とファミレスで勉強していたと、嘘をついて部屋へと戻った。
 部屋に戻ると、電話が鳴った。
 また例の人だろうか、と思ってケータイを確認したが、ちがった。
 電話の相手はヒトミだった。
 どうして彼女が僕に電話をかけてくるのだろうか。そう思いつつも、僕は電話に出る。
「もしもし」
『や、夜分に…………すみません』
 初めて出会ったときに、僕らは情報交換のためにメールアドレスと電話番号を交換していた。
 けど、実際に電話をするのは初めてだった。
143:
「ヒトミちゃん、どうしたの?」
『あ、あの……話しておきたいことがあって……』
「話しておきたいこと?」
 僕はオウムのように繰り返した。
『は、はい。その……話していないことがあって……』
 ヒトミがファミレスで何回か口をもごもごさせていたことを思い出す。
「話していないことってなに?  隠し事?」
『か、隠し事ってほどでは……ただ、話しておいたほうがいいかな、と思って』
 彼女の喋りは要領を得なくて、話を聞き出すのにはいささか時間がかかった。
 彼女から聞き出した隠し事は『正直、だからなんだ?』といった感じの内容だった。
144:
 さらに、二日が経過した。
 その日の朝は雨で迎えた。
 雨特有の独特の匂いが、至るところから立ち上るから、雨の日は嫌いだった。
 雨のせいなのか、家を出て、なにかがおかしいと気づくのが遅れた。
「なんだこれ……」
 だが気づいてしまえば、それは看過できないぐらいには異常だった。
 ポストに大量の紙がぐちゃぐちゃに突っ込まれていた。
 ポストを開けると、紙がどさっと地面に落ちた。
 手にとってみると、赤い『殺す』という文字が真っ白な紙を埋め尽くすように書かれていた。
 他にもしわくちゃになっている紙を広げてみる。
 大量の紙に書かれた内容は、どれも似たようなものだった。
 なんという悪質な悪戯なのだろう。
 これはさすがに大人に相談したほうがいいかもしれない。
 それぐらいの危機感を、僕は持った。
 ついでにアオイちゃんにも相談したほうがいいだろう、とも思った。
 
 だが、僕の認識はすぐに誤ったものだと知ることになる。
145:
 僕は地面に散らばった紙を放置のまま、学校へと向かった。
 あの大量の紙の処理は親がなんとかしてくれるだろう。
 いつもどおり、ホームルーム開始時刻よりも早めに学校へ着く。
 図書館に行って勉強でもするか、と歩きながら考えていると、
「ん……?」
 校舎の一角に教師たちが集まっていた。なんだろう?
 不意に胸がざわつくのを感じた。
 胸の内側で墨汁がにじむように不安が広がっていく。
 教師たちが血相を変えて叫んでいる。明らかに普通の状況ではない。
 救急車、もしくは警察を呼べとか言っていることだけはわかった。
 僕は無意識に教師たちがいるところに近づいていた。
 小柄な身体が地面に横たわっていた。
 手足がおかしな向きに曲がっている。
 先生たちの足と足の隙間から、白い骨が肉を突き破って出ているのは確認できた。
 さらに近づいていく。先生はようやく僕に気がついたようだ。
 だが、僕も同時に気づいてしまった。
 地面に横たわっているのが、ヒトミだと。
 そして、唐突にひらめく。
 『生徒A』の正体はアオイちゃんなのではないか、と。
151:
 7
 アオイちゃん。
 僕のクラスメイトの女の子。
 誰にでも優しい。
 誰とでも話せる。
 人気者で活発。
 頭もいい。
 僕とは正反対。
 けれども僕と仲良くしてくれる人。
 もし今回の事件の裏で糸を引いているのが彼女だとしたら?
 ヒトミが死んだことにより、今日の学校はなくなってしまった。
 降り止まない雨の中を縫うようして帰る。
 途中、強い風が吹いたせいで、安い傘は少しだけ壊れてしまった。
 家のポストには相変わらず紙が突っ込まれたままだった。
 父も母も朝は忙しいし、満足に片付ける時間もなかったのだろう。
152:
「ヒトミは死んじゃったか……」
 僕は自分の部屋へ入って、ベッドに腰掛けた。
 不思議と恐怖を感じなかった。
 というより、人の死というものに初めて触れた僕は、まだ彼女が死んだということが、どういうことかわからなかったのかもしれない。
 頭の中は氷でも張ったかのように冷たく、自分でも不思議なほど落ち着いていた。
 あの子が死んで、次は僕が死ぬ番かもしれないのに。
 僕はケータイからアオイちゃんへと連絡した。
「もしもし……」
 電話の向こう側の声は、ひどく落ち着きがなかった。
153:
「悪いんだけど、今から駅に来てくれないかな?」
 アオイちゃんは戸惑いつつも了承してくれた。
 雨は相変わらず降り続いている。
 けれどもさっきよりは小雨になっていた。
 アオイちゃんとの話し合いが終わるころにはこの雨もやんでるだろう。
 僕は根拠もなくそんなことを思った。
 学生服から私服に着替えて、壊れかけの傘を広げて家を出る。
 道中で鍵をしめた記憶がまたもやないことに気づいた。
 けど、僕は構わずにそのまま駅へと向かった。
154:
 僕とアオイちゃんはファミレスに入って、ドリンクだけを頼んだ。
「……」
 
 勇んでここまで来たはいいけど、僕はどう会話を切り出したらいいか迷っていた。
「いよいよ、ヤバイかもね」
 先に口を開いたのはアオイちゃん。
 広い店内はお客さんもまばらで、話すにはちょうどいい環境だった。
「……なにが?」
 僕は彼女がなにを言いたいのか、わかりつつもあえて聞き返す。
「ヒトミちゃんが死んじゃったんだよ?
 そしたら次に狙われるのは誰?」
「誰なんだろうね?」
「……本気で言ってるの?」
「……」
155:
「次に狙われるのはキミかもしれないんだよ? 」
 僕はなにも言わなかった。
 悲痛な面持ちのアオイちゃん をだっぷり十秒は眺めてから、僕は頷いた。
「そうだね、その可能性はある。
 なにせ僕は写真を撮られていたからね」
 例の『生徒A』が掲示板に貼り付けた大量の写真の中に僕がいた。
 はたしてあの写真はどうやって撮ったのか。
「そうじゃない……そうじゃないでしょ?」
 だが、彼女は僕の言葉を否定した。
156:
「私がヤバイって言ってるのはキミが『死者』だからだよ」
 そう指摘されても僕は特に驚かなかった。
「なんで僕が『死者』ってわかったの?」
「そんなのわかるに決まってるじゃん。だって……」
「キミが『生徒A』だからじゃないの?」
 彼女が目を見開く。
「……なにを言ってるの?」
「キミが『生徒A』で、なんらかの手段で僕を特定したんじゃないの?」
「どうして私が屋上幽霊なの?  だいたい、私はずっとキミたちと……」
157:
「じゃあなんで写真にはアオイちゃんが写ってないの?」
「そ、それは……」
「ほかにもあるよ。
 どうして、屋上で人が死んだなんてウソをついたの」
 今度こそアオイちゃんは完全に言葉に詰まってしまったのか、唇を噛んだ。
「冷静に考えたらおかしいよね。
 本当に学校でそんな事件があったら、屋上は完全に閉鎖されるでしょ?」
 だけど実際には屋上は、行くことが校則で禁止されている程度の状態。
 僕はもっとこのことに早く気づいてもよかった。
158:
「それは、ただ、キミを驚かそうとしただけで……」
「本当に?」
「私が仮に屋上幽霊だったとして、そんなウソをつく意味はないでしょ?」
 僕は首を振った。意味ならあるからだ。
「幽霊の仕業だと思わせたかった。そうでしょ?」
「なにを言って……」
 僕は反論しようとするアオイちゃんの言葉を遮る。
「あの例の掲示板に貼られた写真の中に、アオイちゃんの写真はなかった。
 これ、仮にアオイちゃんが僕やヒトミちゃんを隠し撮りしてたとしたら、説明つくよね」
「……」
「そして、そのことを指摘される可能性があった。僕とかヒトミちゃんにね。
 でも、幽霊の仕業にすることで、そこをカモフラージュしようとしたんだ」
「ま、待って。全然意味わかんない。
 それに、写真とかはどうやって撮ったの?」
159:
「そんなのは適当にポケットに忍ばせたスマホとかで撮ればいいことだと思うんだけど。
 アプリとかで音がしないカメラとかってあるんでしょ?」
 僕 自身はスマートホンを持っていないから、ここらへんはあやふやだった。
「ほかの人の写真はどうやって撮ったっていうの?」
「アオイちゃん。アオイちゃんは僕とちがって友達が多い。
 あの写真に写ってる人たちが、みんなキミの友達だとしたら?
 僕らを隠し撮りしたやり方で、同じように盗撮できたんじゃない?」
 僕はさらに推理を続けた。
「僕は見事にアオイちゃんに誘導されていたんだ」
「誘導って……なんのことを言ってるの?」
 アオイちゃんの眉間にしわをよせる。
160:
「最初は掲示板に屋上幽霊……つまり『生徒A』は書き込んできた。そして、『死者』へ接触。
 そのあと、今度はボクやヒトミのケータイにメールを送ってきた。この時点で気づけたよね。
 メールを送ることができるのは、メアドを知ってるからだってことにね」
「……」
「そして、さらにエスカレートして僕の家の郵便ポストに大量のいやがらせがされていた」
「いやがらせ?  なにをされたの?」
 僕はため息をついた。
 この期に及んで、まだとぼけようとしている彼女に僕は最早呆れてすらいた。
「問題はいやがせの内容じゃないよ。
 僕の家を屋上幽霊が知ったってことだ。
 では、どうやって知ったか。アオイちゃんならわかるよね?」
「……キミについていけば、家はおのずとわかる、そう言いたいわけ?」
「そう。僕はキミに見事に誘導されていたんだ」
161:
 掲示板を見てはいけないと言ったのはアオイちゃん。
 ケータイのアドレス拒否をさせたのもアオイちゃん。
 そして、最後には僕のことを心配だと言って家についてくる。
 そうして、僕を――『死者』を完全に特定して『殺そうとした』。
「ヒトミちゃんが死んだのは? それも私がやったっていうの?」
「それは知らないけど。ここまで来たらそうなんじゃない?」
「理由は?」
 彼女が身を乗り出す。僕はあくまでも冷静に言葉を返す。
「見せしめとか。あるいは『死者』を完全特定するため、とか。
 アオイちゃんならヒトミちゃんに警戒されずに屋上から突き落とすことはできたんじゃない?」
 アオイちゃんの顔からは血の気が失せていた。
 でも、目もとは潤んで充血していた。
「結局、キミは私が犯人だって言いたいわけね?」
162:
 アオイちゃんの唇は震えていた。
「そうだよ」
「……最後にひとつ聞いていい?」
「なに?」
「『死者』はシミズくんなの?」
「……そうだよ。僕が『死者』だよ」
 そっか、とアオイちゃんは呟くと席を立った。
 律儀にドリンク代をテーブルに置いて、彼女は何も言わずに帰ってしまった。
「……言い忘れてたな」
 『生徒A』の『A』が『アオイ』の『A』なのではないかということを言いそびれてしまった。
 今後のことはまだ考えていない。
 警察に言えばいいのか。それとも先生に真相を話せばいいのか。
 あるいは親に相談するのか。
「まあ、でも……」
 僕はメニューを開いて、少し早めのランチを選ぶことにした。
 僕の予想とは裏腹に雨はやみそうになかった。
163:
 ランチを食べ終わったものの、それでも雨はやみそうになかったので、僕はケータイを適当にいじって時間をつぶしていた。
 ここ数日、ひょっとしたら僕はある意味とても楽しい学校生活を送っていたのかもしれない。
 ふと、そんなことを思った。
 『死者』としての僕とその僕に絡んできた『生徒A』。
 学校の地味な生徒としての僕とそんな僕の友達、アオイちゃんと今回の事件で知り合ったヒトミ。
 そして突如現れた幽霊と事件。
 命の危険すら感じていたはずなのに。
 事件を解決した開放感のせいで、普段よりだいぶお昼ご飯を食べてしまった。
 二時間は経過しただろうか。
 雨はやむどころかその強さを増していた。
「そろそろ帰ったほうがいいかもなあ」
 さらに雨が強くなる可能性があった。
 僕は席を立って、アオイちゃんが置いていった小銭を手に取ろうとして――不意にケータイが震えた。
 ケータイを開く。メールの相手はアオイちゃん。
 メールの内容がどんなものか、僕は予想しつつ、開いてみた。
164:
 僕の予想はひとつも当たらなかった。文章は書かれていなかった。
 文字の代わりに写真が一枚だけ添付されていた。
 写真を開く。
 
 ケータイの画面に現れたものが最初、なにかわからなかった。
 しかし、数時間前にも似たようなものを見た記憶がある。
 もう一度じっくり見てみる。
 僕はそれがなんなのかをきちんと認識した。
 ケータイの液晶に出てきたのはアオイちゃんの死体だった。
169:
 8
 帰宅途中、強すぎる雨のせいで安物のボロ傘は壊れてしまった。
 仕方なく濡れて帰り、家について僕はすぐにお風呂へ入った。
 頭に熱い湯を浴びせ、目をつぶる。
 閉じた瞼の裏に浮かび上がってくる。
 関節がめちゃくちゃな方向に曲がって、身体からよくわからないものをぶちまけたアオイちゃんの死体が。
 頭がきりきりと痛んだ。
 まるで熱に浮かされた脳みそが膨張して、内部から頭蓋骨を圧迫しているようだった。
 湯から水へと切り替えて、僕は頭を冷やした。
「……僕の推理は間違っていた」
170:
 アオイちゃんが死んだということは、つまりはそういうことなのだろう。
 アオイちゃんは犯人でもなんでもなかった。
 単なる被害者。
「彼女がしたことは全て善意の行動だった……」
 彼女が僕を『死者』と断定できたのは、おそらく僕の発言から。
 そう、冷静に考えれば僕の推理は証拠もなければ、単なるこじつけにすぎない。
 
「でも……」
 写真の件はどうなる?
 どうして彼女は写っていない?
 僕は風呂をあがって自分の部屋のパソコンを開く。
 例の掲示板に飛んで、貼り付けてある写真を一枚一枚チェックしていく。
171:
 
 写っている人数は男女合わせて六人。
 僕やヒトミを含めたこの六人に関する共通点。
 少し考えてみたが、話したこともない人間から共通点を探すなど、僕にできるはずがなかった。
 そして、写真に撮られることのなかったアオイちゃん。
 真っ白な天井を見上げる。
 少し推理の幅を狭めてみる。
 僕とヒトミだったら共通点はどうなるだろうか。
 そこまで考えてふと、ヒトミと交わした電話の内容を思い出した。
  彼女がしていた隠し事。
 僕がたいして気にもとめなかったその内容。
『私、ウソついて屋上で名乗ったの……『死者』は、私、だって……』
 脳裏で雷のように強い光が閃いた気がした。
172:
 僕の手は無意識にマウスを操っていた。
 写真を片っ端から開いて確認していく。
 漠然と思ったことが口から出た。
「みんな……僕と似たような人なのかも……」
 写真を撮られた僕らと撮られなかったアオイちゃん。
 根本的に人間として僕らには大きなちがいがあったのだろう。
 そしてそのちがいが、僕らの行動にある決定的な差を生んだ。
 『僕ら』がやって、彼女がやらなかったこと。
「くだらない……ウソでしか心の穴を埋められない、か」
 喉が誰かに締め付けられたように息苦しくなる。
 顔がなぜか熱くなる。
 視界が滲んでいく。
173:
 僕は頬を伝う涙を手の甲でぬぐった。
 僕とはちがい、おそらくアオイちゃんは真相に気づいていた。
 こんな僕でさえ助けようとしてくれた心優しい彼女。
 そんな彼女は、写真に撮られていた全員の共通点に気づいていたのかもしれない。
 いや、気づいていなくても。
 彼女なら、僕とわかれてすぐに事件を調べに行っただろう。
そして。
 机に置いていたケータイが光り、『アオイちゃん』という文字が浮かび上がる。
 そこにはこう書かれていた。
『屋上に来い』
 溢れる涙を止めることができない。
 けど、もうどうでもよかった。
 僕は壊れた傘を持って家を出る。
 雨に濡れながら、僕は走った。
 雨が覆った空の下を、傘を抱いて。
174:
 屋上につく。
 身体は雨のせいで芯まで冷えきっていた。
 てっきり屋上には警察の人や鑑識の人がいるのではないか、と思ったけど誰もいなかった。
 人もいなければ、ものひとつない殺風景な屋上。
 屋上の周りを囲むフェンスが一箇所だけなくなっている。
 僕は空を仰いだ。
 浮かんでいるのが不思議なほどに重たげな雲が、空に敷き詰められていた。
 そのフェンスのない場所へと立つ。
 屋上から見える景色には、雨が降っていた。
「『死者』は僕だ」
 雨の音に負けないように僕は大きな声を出す。
 背後でなにかがうごめく気配がする。
 得体の知れないなにかが、すぐそこまで迫っているのがわかった。
175:
 僕は、とんだ。
 自分の意思で。
 殺されるのではなく、自分の意思で死ぬことを選んだ。
 不気味な浮遊感。
 死ぬという確信。
 空に浮いたのは一瞬だけだった。
 コンクリートの地面が迫ってくる。
 目を閉じる。
「 」
 瞼の裏に鮮やかに現れた彼女に向かって僕は最後に言った。
 そして雨音の中に肉の潰れる音が重なった。
おわり
176:
女「……え? 終わったんですか?」
男「おう」
女「なんか色々足りない気がするんですけど」
男「そんなことを言われてもねえ」
女「前の話を聞いた時にも思ったんですけど。
 この話、先輩が考えてわけじゃないってことですか?」
男「実はな。ある人から聞いた話をそのまま、お前に教えてるんだ」
女「ええー。そうだったんですか」
177:
女「だったら個人的に、その人に聞いてみたいですね」
男「なにを?」
女「実はこの話には続きがあるんじゃないかって、ね」
男「聞けばいいじゃないか」
女「……どうやってですか?」
男「お前ならできそうじゃん」
女「意味わかんないですよ、先輩」
178:
男「とりあえず怖い話はしたんだ。なんでもいいから帰りな」
女「むぅ……まあ約束は約束ですからね」
男「そうだ、さっさと帰れ」
女「なんか、先輩って冷たいですよね。しかも私にだけ」
男「ひどい被害妄想だ」
女「被害妄想でもなんでもないですよ。
 先輩ってもっと他の人には優しいですもん」
男「……」
女「今度は無視するし」
179:
男「……もし」
女「はい?」
男「オレが怖い話を考えたら、お前は聞いてくれるか?」
女「先輩が?」
男「そう。オレの考えたつまらない話でも、聞いてくれるか?」
女「聞きますよ。先輩が自分で考えた話なら、是非聞いてみたいです」
男「じゃあいつか考えてくるから、そのときは聞いてくれ」
女「はい! もちろんです」
180:

書記「まだいたんだね」
男「……お前こそ家に帰ったんじゃなかったのか? 
 なんか忘れたか?」
書記「そうじゃないよ。
 ただ、呼び出されたからそのまま図書館に残ってただけ」
男「呼び出された?」
書記「うん」
男「……よくわかんねーけど……あ、そうだ。
 お前に昨日プリントで渡された話だけど、あれって最後まで書いてあったか?」
書記「なんでそんなこと聞くの?」
181:
男「聞かれたからだよ、あの子に」
書記「そっか。気づいたんだね。キミとちがって」
男「……本当に続きがあったのか?」
書記「うん、ほんのわずかだけどね」
男「まあ、でもあの子なら気づけて当然かもな」
書記「ちなみにあの話の続きは、主人公が死んだあとも、屋上幽霊に殺され続けるって内容なんだけどね」
男「幽霊として一緒に死にたいみたいな文があったな……なかなかそれ怖くないか。
 ていうか、さらっと説明しすぎだろ。ある意味一番怖いとこなのに」
182:
書記「……そうかな?」
男「ちがうのか? もっと怖い部分とかあったっけ?」
書記「個人的な意見としてはさ」
男「うん」
書記「最後の最後まで、主人公とクラスメイトの女の子がすれちがったまま終わったってことのほうが怖いかな」
男「……」
書記「これ、どんな気持ちで書いたんだろうね」
 
男「……わかんねーよ」
183:
書記「……ごめんね」
男「なにがだよ」
書記「……なんか変なこと言っちゃったね」
男「……そろそろ帰るけど、お前は帰るか?」
書記「私はもう少し図書館で勉強していくよ」
男「そうか」
書記「うん。また、明日ね」
男「うん、じゃあまた明日な――レミ」
189:
女「ふぅーいやあ今日は楽しかったですね」
男「楽しかったか?」
女「珍しくハイテンションな先輩が見れましたね。
 あ、ひょっとして私と二人で遊べて嬉しかったんですか?」
男「……」
女「ちょっと顔赤いですよ。無表情を必死に保とうとしてますけど」
男「……そうだな。楽しかったよ」
女「でも、なんで急に二人で遊ぼうなんて言い出したんですか?」
190:
男「お前と遊びたいって思ったんだよ」
女「せ、先輩……私、少し感動しました!」
男(オレは今日、コイツと世間一般で言うデートをした。
 いや、オレ個人の認識としてはこれはデートではない。ただ遊んだだけ)
女「今までも学校帰りとかに、ご飯食べに行ったりすることはありましたけどね。
 休日に会うのって初めてですよね」
男「そうだな」
男(そして現在はファミレスで二人でダベってる)
男「そうだな……この前オレが怖い話をしてやるって言っただろ?」
191:
女「あ、言ってましたね。
 三日前にホームレスの人と女の子の幽霊の話をしてくれましたけど、あれは先輩が考えたんじゃないんですよね?」
男「うん、あれはオレが考えた話じゃない。でも、これから話そうと思う話はオレが考えたものだ」
女「へー」
男「聞いてくれるよな?」
女「なんか気合入ってますね。いいですよ、いくらでも聞いちゃいますよ」
男「ありがと。といっても、たいしたもんじゃないけどな。
 それと、これはある実話をもとにした話なんだ」
女「先輩が実際に体験した話とかですか?」
男「……まあ、とりあえずは聞いてくれよ」
女「はーい」
192:
第四話
193:
 1
 気づいたときには手遅れなんていう話はどこにでもある。
 現実だろうと、物語の中にだろうと。
 わたしも気づいたときには、もうとっくに手遅れだった。
 いったい自分になにが起きているのか理解できなかった。
 わたしがわたしでなくなる。
 わたしが誰かにかわる。
 わたしが消える。
「なにこれ……」
最初なにかの見間違いなのかと思った。
このときほどわたしは自分の目を疑ったことはない。
197:
「お姉ちゃん?」
 いつの間にか妹が部屋に入ってきていた。
「お姉ちゃん。さっきから何回も呼んだけど……」
「……ごめん」
「ていうか明かりつけなよ。真っ暗で怖いよ」
 部屋の中は妹が言ったとおり、真っ暗だった。
 妹が蛍光灯をつける。
「これからスーパー行くけど……って大丈夫?  顔色が真っ青だよ?」
「う、うん……」
 頷いたものの、足もとがふらつく。
198:
「貧血?  座ったほうがいいよ」
「ごめん」
「私が買い物してくるから、お姉ちゃんは休んでて」
「でも……」
「本当は今日はお姉ちゃんが夜ご飯の当番だけど、そんな状態の人に作らせられないから」
「ごめん……」
「謝りすぎだよ」
「あのさ……」
「ん、なに?」
 妹が首をかしげる。
199:
「変な質問なんだけど、私って今日なにしてた?」
「え?」
「だから、今日一日私、なにしてた?」
「わかんないけど、昼は出かけてたよね?」
 妹の顔は明らかに困惑していた。
 もっともそれは当たり前だった。
 自分でも奇妙な質問をしている自覚はあった。
「その、なんていうか。今聞いたことは適当に流して、ね?」
「うん……」
 不安そうにうなずく妹に、私は笑ってみせた。
 けど、上手く笑えたかどうか、自身はない。
200:
「じゃあ、買い物頼むね」
「わかった。なんか買ってきてほしいものとかある?」
「あー……じゃあ栄養剤をおねがい」
「おっけー」
 いってくるね、と妹が部屋から出ていく。
 時計を見る。
 時刻は十八時をすぎたあたりだった。
201:
 開いたままのカーテンの向こう側は真っ暗だった。
 私はぽつりと呟いた。
「今日一日の記憶がない……」
 そう、私の記憶は綺麗に抜け落ちていた。
 今日起きてから、今に至るまでの記憶は綺麗な白紙の状態。
 私はふと机の上に置いてある紙に気づいた。
「これって……」
202:
 ――事の始まりはどこからだったのだろうか。
 私の趣味は物語を書くことだ。
 小説と呼べるほどのものではない。
 ただ、思ったままに文章を綴ったもの。
 物語を書くのは楽しい。
 どうして楽しいのかは、よくわからない。
 自分だけの世界を作れるから?
 ただ、一方で物語を作っていけばいくほど、溜まっていく欲求のようなものもあった。
 誰かに見て欲しい。
 そんなありきたりな欲求がここのところ、文章を書いていくごとに増していた。
203:
 読書好きの妹なら見てくれるとは思う。
 あの子は優しいから。
 でも、自分の創作した物語を読んでほしいと思う一方で、それ以上のためらいがあった。
 自分の作ったものを人に見せるということは、たぶんとても恥ずかしいことなのだろう。
「なに、お姉ちゃん?」
 無意識に妹の顔をじっと見ていた。
「ううん、なんにも」
 夕食を終えた私たちは後片付けをしていた。
 父も母も仕事で夜は遅いため、普段から私たち姉妹で夕食や家事の準備をしていた。
「そう?」
「そうだよ。ほら、残りの食器も全部洗うから運んじゃって」
「はーい」
 結局この日も。
 誰の目にも私の物語が触れることはなかった。
204:
 お風呂に入り、部屋に戻って予習を終わらせた私は、自分の書いた文章を見ていた。
 書いたものがおもしろいのかどうか、自分ではよくわからない。
 客観的に見ると、おそらく面白くない。
 なんというのか、色々足りないように思える。
「文章もそうだし、構成もおそらく微妙……」
 べつに評価がほしいわけではないはず。
 しかし、自分ではこの書いた物語をいったいどのように見ていいのか、まるでわからなかった。
 だから、客観的に見れそうな部分をあげてみたのだ。
「……そうだ」
 ちょっとした思いつきだった。
 私はオリジナルのキャラクターを考えてみることにした。
205:
 今までもストーリーを作るのと同時に、当然キャラクターは作ってきた。
 けれど、それはあくまで物語を進行させるための舞台装置みたいなものだった。
「今度は生き生きとしたキャラクターを考えてみよう」
 私の物語を読んでくれる人。
 私の私だけが知っている人。
 しかし、いざ考えてみると色々と難しかった。
 いったいなにから手をつければいいのか、きっかけがつかめない。
 『入っていい?』
 ノックの音がしたので、私はいいよと答えた。
「ハンドクリーム切れちゃったんだけど、お姉ちゃんもってる?」
「あれ?  もうリビングのなくなっちゃった?
 明日買いに行かなきゃね」
 私は自分のバッグからハンドクリームを取り出して、妹に渡した。
206:
「ありがと、お姉ちゃん」
「どういたしまして」
 妹は私のベッドに座って、手にハンドクリームを塗りつつ聞いてきた。
「ここのところよくパソコンいじってるけど、なにしてるの?」
 思わず私は、開いていたワードを閉じた。
 自分の行動に自分で驚く。
「えっと、その、行きたい大学を調べてるんだよ?」
「そうなの?  てっきり文章を打ってるのかと思った」
 妹が意外そうな顔をする。
 その顔をみるかぎり、私がなにをパソコンでしているのかは知らないみたいだ。
「ま、まあ色々としているの」
「ふーん?  なんかあやしいなあ」
「あやしくないよ?」
 一瞬、これを機に自分の書いたものを見てもらおうかと思ったけど、後一歩の勇気がわかなかった。
 代わりに今考えていたことを聞いてみることにした。
207:
「たとえばだけど、人について空想したことある?」
「……どういうこと?」
 妹が困惑気味に首をかしげる。
 自分でも今の質問をされたら、なにを言いたいのかわからないだろう。
「その、なんていうか……アニメとか漫画のような自分だけのキャラクターみたいなものを妄想したことある?」
「え?  急にどうしたの?」
「いや、特に深い意味はないんだけど」
「うーん、どうだろ?
 ないこともないけど……どっちかと言うと、そういうのはストーリーとかのほうが先行してるかな。
 小説とか漫画とか読んでると、こうだったらよかったのにな、みたいなこと考えたりするでしょ?」
「うん、あるね」
「それで、なんか都合のいい登場人物を考えたりはするけど、私はあんまりないかな」
「そっか……」
208:
 なぜか私の声はがっかりしていた。
 私の反応を不服なものととらえたのか、妹は慌てて付け加えた。・
「あ、でもなんか理想の男子みたいなものは考えることはないこともないよ?」
「うーん、そういうのじゃないんだよね」
 妹はますます困惑したようだった。
 基本的には私はこんな突拍子もないこと(妹からしたら)は言わないからだ。
「でも、ありがと」
「うん……」
 妹が部屋から出ていったあと、私は改めて考えてみた。
 とりあえず私はそのキャラクターの性別を女にしてみた。
 さらに自分にとって都合のいいように、なんでも肯定してくれる優しいキャラクターにしてみる。
 これなら私が作った物語を読んでと言ったら、きっと読んでくれるだろう。
 しかし、これでは意味がないことに気づく。
209:
 自分の書いたものの感想なら、できるかぎり幅の広い指摘がほしい。
「そうなると……」
 どれぐらい時間が経ったのか。
 私は一通り彼女の設定を書き出してみた。
「うーん、こんな感じかな」
 ずっとパソコンの画面と向き合っていたせいで、目がしょぼしょぼした。
「とりあえずはここまでかな」
 パソコンを閉じて、私は部屋の明かりを消した。
 私は真っ暗な部屋から月を見るのが好きだった。
 夜空に浮かぶ満月を見て、私は「彼女」も月を見るのが好きという設定をつけくわえた。
210:
 それから何日間かして、私は自分の作った「彼女」に名前をつけた。
 名前はアオイにした。
 「彼女」は私の中で天真爛漫なイメージだった。
 だからヒマワリの漢字から一文字とってアオイという名前にした。
 ここ数日、私は「アオイ」になりきって自分の物語を読み、感想を書き出していた。
 不毛な行為なのはわかっていた。
 しかし、不思議なことに「私」が物語を作り、その作った物語を「アオイ」が読み感想を書くという、一連の行為は私に奇妙な満足感を覚えさせた。
 日にちの経過とともに、「彼女」は少しずつ変わっていった。
 それに合わせて私の物語も少しずつ変化していった。
211:
 最初は敬語で私に話していた彼女。
 でも最近ではフランクな口調で話すようになっていた。
『やっぱり女の子の書いた文章って、女の子が書いたってわかるね』
『この場面はあえて文章を短くしたほうがいいんじゃない?』
『私はこの場面が好きだな。けっこうここの部分は気合いれて書いたんじゃない?』
 彼女の感想は私の創作意欲を強く刺激した。
 私は自分の書いた文章を彼女に見せた。
 物語に行き詰まったときには、彼女に相談したりもした。
 いつしか彼女は私にとってかけがえのない存在になっていた。
212:
 私と彼女は同じなのに。
 いつしかはっきりとした境界ができていた。
 私と彼女。私は彼女を完全な一人の人間として見ていた。
 もちろん目に見えるわけではない。
 でも、彼女は私の中ではっきりと存在していた。
213:
 いつものように気の向くままに文章をパソコンに打ち込んでいく。
 それが終わると彼女に感想を書いてもらう。
 そして、私はすべてを終えていつものように窓から見える月を眺める。
 半分欠けた月を見て、私は彼女におやすみを言って就寝した。
 次の日、目覚ましのけたたましい音のせいで目が覚めた。
 身体が妙に重く感じる。
 倦怠感に苛まれる身体を無理やり起こす。
 なにかが唸る音がして、寝ぼけ眼でそれがなんなのかをさがす。
「あ……パソコン消してなかったっけ?」
 パソコンの電源がついたままだった。
 cpuファン唸っていたのだ。
214:
「おかしいな、たしかに電源落としたんだけどな」
 スクリーンセーバーが目まぐるしく変わる画面は、疲れた目には優しくなかった。
 電源を落とすためにマウスを動かすと、画面が切りかわる。
 液晶の画面に映ったのはワード、一ページ程度の文章だった。
「なんだろこれ……」
 あまり働いていない脳みそで、文章を軽く目で追っていく。
 内容は私の作品に関する感想。それはアオイが書いたものだとわかった。
「でもいつの間に……」
 まさか寝ぼけて書いたのだろうか?
 しかし、それにしてはその文章は実にしっかりしていた。
 一瞬だけ、背筋に薄ら寒いものが走った。
 けれどその文章には、ある種の思いやりのようなものがあった。
 私の物語をここまでしっかり読んでくれるのは彼女しかいない。
215:
「ありがとアオイ」
 そう言った私に対してのメッセージが液晶に浮かび上がる。
『どういたしまして』
 無意識に右手が文章を打ち込んでいた。
 私は今度こそしっかりとパソコンの電源を落として、自分の部屋をあとにした。
 そのときの私は特にこの現象について気にしなかった。
 しかし、私はここで終わらせるべきだったのだ。
 物語を書くことも、アオイのことも。
216:
 まただ。また、あの唸るような音が鼓膜を叩く。
 目を覚ますと、真っ先に大量の文章が目に飛び込んできた。
「えっと……」
 なにが起きているか把握できなかった。
 私は辺りを見回してみて、今の状況がどうなっているかを確認する。
 明かりのついていない部屋。
 つけっぱなしのパソコン。
 画面に広がる大量の文字。
 椅子に座っている私。
 そして、窓からさしこむ月明かり。
「書いてるうちに寝ちゃったかな……」
 無意識のうちに私は窓から夜空を見ていた。
 今日は三日月だった。
217:
 最初は気のせいだと思った。
 気のせいだと思おうとした。
 しかし、連日電源を落としたはずのパソコンがついていた。
 眠っている間にアオイが文章を打っているということが続いていた。
『あなたの文章を読んでいるとね。私も、同じことを体験してみたいと思うの』
『私はいつも読者。でもたまには私自身が物語を作ってみたいって思うこともあるんだよ』
『もっといっぱい自分の時間がほしい。色んなことをしてみたい』
『あなたは私を自分の都合で産み落とした。
 あなたがいなかったら私は存在しない。だからあなたには感謝してる』
『でも、私もあなたのように自由な時間がほしい』
 彼女はここのところ、このような内容の文章を私に対して書いていた。
 いや、彼女じゃない。私が私に向かって書いているのだ。
 だが……。
「書いた記憶は、ない……」
218:
 なによりこの文章から滲み出ている強い欲求は、私には理解のできないものだった。
 私が打った文章のはずなのに。
「ねえ、昨日何時まで起きてた?」
 私はためしに妹に訪ねてみた。
「昨日はわりと本読んでて夜ふかしはしてたけど……なんで?」
「いや、私寝ぼけてなんか変なこととかしてなかった?」
「わかんない。私も部屋からは出てないし……」
「そっか……」
 心のどこかが危険だと教えようとしているのには気づいていた。
 けれどもそれを抑えつけるように、アオイの文章が私にうったえる。
 気づけば、私は記憶を失っていることが多くなっていた。
219:
 最初は家の中。
 そして、さらには学校。
 私の時間がどんどん見えないなにかに侵食されていくようだった。
 私の意識が戻るとき、決まって私はパソコンのそばにいた。
 電源がついたままのパソコンにはアオイが打っていた文章が浮かんでいる。
『もっと私に時間をちょうだい。もっと色んなことをしたいの』
『いいでしょ?  私は私。あなたはあなた。でも同時に私はあなたであなたは私』
『私たちの関係は歪で不可解。でも、こんなふうにしたのはあなた』
『足りない。私はもっともっと色んなことをしたい。たとえあなたの時間を奪ってでも』
 抵抗したくても、アオイには抵抗できなかった。
 当然だった。彼女は私だ。私は彼女だ。
 私の時間はどんどん短く。彼女の時間はどんどん長くなっていた。
 そして――
220:
 2
 私は紙を見た。
 そういえば、今までは彼女からのメッセージはパソコンに書かれていたはず。
 紙にはこう書かれていた。
『おねがい、私をかえして』
 意味を理解するのに、しばらく時間がかかった。
 そして理解する。
 唇のはしがゆっくりともちあがる。
「ふふっ……そっか」
 私は明りを消した。
 私『も』月を見るのが好きなのだ。
 けれど、月を楽しむなら真っ暗闇の中で見るにかぎる。
 私は空を見る。
 空は真っ暗だった。
 月はどこにもなかった。
 おわり
221:
女「うーん、なんか全体的に雑ですね」
男「ばっさりだな」
女「なんで先輩は途中から語りをやめたんですか?
  プリントを渡してきたのはなんでですか?」
男「いや、その物語の中でも書いたけど。人にこういうのを聴かせるのは恥ずかしいなって思ってさ」
女「まあ気持ちはわからなくもないですけどね。
 しかし、もうちょっとじっくりと書いてほしかったですね」
男「少し駆け足過ぎたか?」
222:
女「内容は掴めるんですけど、前に聞いた話とかに比べると……やっぱり慣れていないっていうのがわかりますね。
 「2」の番号とかも思い出したように最後に出てきましたけど」
男「あはは……そうか。やっぱり難しいな」
女「結局これって最後は……」
男「うん、最後は自分の作った人格に飲み込まれたってことだ」
女「うーん、まあそれはわかるとして……もう少し文章とかも推敲したほうがいいですね。
 もっと色々とよくできそうな気配はするんで」
男「なかなかキツイ指摘をしてくれるな」
女「愛情の裏返しみたいなものです」
男「……でもまあぶっちゃけ、このオレが書いた話は、言ってみれば前置きみたいなものだからさ」
223:
女「前置き?」
男「そう。前置き。オレはどうしてもお前に言っておきたいことがあってさ」
女「はあ……なんですか?」
男「この話と似たような体験をしたことないか?」
女「……なにが言いたいんですか?」
男「もうオレが言いたいことはわかってんだろ」
男「アオイちゃん――そろそろエミ先輩にカラダを返してやってくれないか?」
224:
第一話「アオイ」
229:
第一話がなかったことに誰も触れてなかったが…
232:

 エミ先輩とレミ。
 二人の姉妹。
 とてもよく似た容姿をした二人。
 二人は頻繁に入れ替わりながら、誰にも気づかれることなく今まで生活してきた。
 冗談みたいな本当の話。
 しかし、入れ替わりは単なる入れ替わりに終わらなかった。
 その入れ替わるという行為は、いつしかエミ先輩を狂わせることになる。
 彼女は壊れた。
 エミ先輩はいつしか一人で二人を演じるようになった。
 姉と妹を。
 ただひとりで。
233:
 2
 夏の残暑はどこかへ失せ、代わりに色鮮やかな秋が景色の端々で顔をのぞかせていた。
 澄んだ青い空の広がりは、まさしく秋のそれ。
 夏と冬の間のもっとも平和な季節の到来。
 同時にそれは本当に夏が終わったのだということを、オレに告げるものでもあった。
 文化祭はなんとか終わった。
 前期の生徒会としての大きな活動はこれが最後だった。
 後期の執行部たちにオレたちの活動は引継がれ、それで全てが終わる。
 そのはずだった。
 いや、実際ほとんどのことはなにごともなく進んだ。
 ただひとつ。エミ先輩の問題を除いて。
234:
 オレとエミ先輩を含む執行部のメンバーは、放課後に生徒会室に集まることになった。
 内容は後期生徒会選挙と引継ぎ式について。
  重要な行事ではある。
 しかし、エミ先輩の話していることや、他のメンバーの声はほとんど頭に入ってこなかった。
「話、ぶっちゃけ聞いてなかったでしょ?」
 四十分程度、これからやるべきことの確認をして、今日の議題は終わった。
 話し合いを終えて、オレも帰ろうとしたところでエミ先輩にそう指摘された。
235:
「……どっちなんだよ」
「え?」
「だから、どっちなんだよ。本当に先輩はエミ先輩なのか、それともレミなのか……」
 狭く薄暗い生徒会室は建付が悪いのか、隙間風が吹き肌寒かった。
 それにも関わらず背中を這うように汗が流れてくる。
「……見抜いたの?」
 エミ先輩の声音がわずかに低くなる。
236:
「いや……」
 オレは首を振った。確信などなかった。
「今日は『お前が』エミ先輩を演じる番なんだな」
「うん。今朝起きたときには、もうお姉ちゃんは私になっていたから」
 エミ先輩――ではなくレミが淡々と言う。
「キミが私とお姉ちゃんの秘密について知ったのは文化祭。
 ……今回初めて私たちの入れ替わりについて指摘したね」
 まるでスイッチが切り替わったかのように、彼女の雰囲気が変わる。
237:
「仮に今回、お前がエミ先輩だったらどうなってんだ?」
「お姉ちゃんの入れ替わりには二種類あるの」
「二種類?」
「簡単に言うと、お姉ちゃんとしての人格を保ったまま私になるパターン。
 もう一つは、言わなくてもわかるよね」
「自分がエミだってことを忘れて、本当にお前になりきってしまうパターン、か」
 レミはうなずいた。
 かつてオレは後者の状態の先輩とおそらく会っている。
238:
「本当になんとかならないのか?」
 オレの質問にレミの表情が曇る。
「わからない。少なくとも私になってしまっているときには、本当に私そのものになっているから」
「意味わかんねえよ」
「……ごめんなさい」
 徐々に傾いていく夕日が、濃い影を部屋に落としていく。
「私が……私のせいで……」
239:
 このあまりに奇妙な入れ替わりの、根本的原因はレミにある。
 だが、オレはそのことを責めるつもりもなかったし、そうでなくともオレにどうこう言える資格はない。
 しかし、そうは思っていても口調が強くなってしまう。
 感情を制御できない。
「今までにもなんとかしようとしたことはあるのか?」
「うん。なんとか私になったお姉ちゃんを説得しようとしたけど、でも……」
「ダメだった」
「うん……」
 うつむくレミに、ふと先輩の影がよぎる。
240:
 オレはオレ自身に心の中で彼女を必死にレミだと言い聞かせる。
「病院とかには行ったことがないのか?」
「提案はしたことはある……けど、お姉ちゃんはいやがるし、そうじゃなくても今のお姉ちゃんは……」
 もはや、ただ姉と妹を演じるだけの器と化したエミ先輩。
「お前はこのままでいいと思ってるのか?」
「……思ってない」
「考えよう。オレも協力する。エミ先輩を助ける。
 こんな入れ替わりがいつまでも続いていいはずがない」
241:
「……」
 オレはとにかくまくし立てた。
 打開策があるわけではない。
 だが、こうして声に出して宣言しないとなにも始まらない気がした。
 レミが口もとに手をあてる。
「一度試そうと思って試さなかったことがある……その方法ならもしかしたら……」
「どんな方法なんだ?」
 姿を見せた可能性に、オレは無意識に身を乗り出していた。
242:
 一通り話し合いをしてオレたちは帰ることにした。
 オレとレミは一緒に帰ってはいたが、互いに口を開くことはなかった。
 さっきまではあんなに言葉が出てきたのに。
 少し離れて歩くオレたちの間を埋めるように風がすり抜ける。
 レミがいったいなにを考えているのか。
 それすらわからない。
 オレはただ空を眺めることしかできなかった。
 秋の空は瞬く間に色を変える。
 すでに星の淡い光がぽつぽつと空に浮かんでいた。
243:
 日の暮れる早さは、冬のそれとほとんど変わりがなかった。
 夏がようやく終わったと思った頃には、冬の足音がもうそこまで迫ってきている。
 時間の流れのあまりの早さに、オレは愕然とした。
 ふと、隣のレミを横目で盗み見た。
 目があった。
 どうして今さらになって、気まずいと思ってしまうのか。
 奇妙な戸惑いを沈黙にすり替えてオレは視線をもどした。
244:
「待って」
 いつの間にかオレは彼女の前を歩いていた。
 背中に声をかけられたことで、ようやくそのことに気づく。
「どうした?」
 なぜか振り返るのを一瞬ためらった。
「歩くの、はやいよ」
 立ち止まったオレにレミが近づいてくる。
 少しだけ彼女が唇をとがらせる。その表情にエミ先輩の顔が重なる。
 時折オレに向かってそんな顔をした先輩。
 レミの影がオレの影に触れるあたりで止まる。
245:
「……なんだよ?」
「……」
 深い夜のような瞳が吸い込むように、オレを見上げる。
 不意に文化祭の前日のことが脳裏をよぎった。
 体育館裏。
 不安げに揺れる瞳。
 耳が疼くような静けさ。
 曇り空。
 彼女の悲痛な声。
『じゃあキミは私がエミであるって完璧に証明できるの?
  そもそもキミが知っている私だってもとをたどればレミの方だったかもしれないのに』
246:
 足もとが沈むような感覚がよみがえる。
 この感覚はいつのものだっただろうか。
 本当に目の前にいる彼女はレミなのか。
 エミ先輩でないという証拠はどこにある?
「……顔色が真っ青だよ。どうしたの?」
 その声はレミのものなのか。先輩のものなのか。
 恐怖がオレの喉を締めつける。
 絞り出した声はひどくか細かった。
「お前は本当にレミなんだよな?」
247:
「……」
 彼女の目が悲しげに伏せられる。どうしてそんな顔をする。
 
 かつてオレはその顔を見たことがある。
「……っ!」
 気づいたときにはオレは走り出していた。
 彼女から逃げるように。
 レミなのか先輩なのか。
 なにもかもが曖昧な彼女からオレは逃げ出すことしかできなかった。
253:
 3
 オレとエミ先輩の出会いは今から一年前。
 当時、文化祭実行委員を最低でもクラスから一名だけ出さなければならないということで、その犠牲になったのがオレだった。
 当時のオレは、仲間内でやっていた麻雀の賭け金を払えず罰ゲームということで髪を坊主にしていた。
 さらにタイミングが悪いことに、眉毛の手入れを見事にミスしたオレは非常にガラが悪かった。
 そのせいで初日から、悲しいぐらいに浮いてしまった。
 同級生は誰も話しかけてこない。
 先輩は仕事の用件だけ言って、それ以上コミュニケーションをとってくれない。
 結果、オレは黙々と作業をこなすことになった。
254:
 もちろん原因はそれだけではない。
 文化祭実行委員の活動というのは、貴重な夏休みを削ってまでやらなければいけないのだ。
 そういう理由もあって若干イライラしていた。
 結果、オレの態度はかなり無愛想なものになっていた。
 そんなオレに初めて話しかけてくれたのがエミ先輩だった。
『なーんで一人で作業してるの?』
 目をくりくりっと輝かせた先輩が、いきなり背後から話しかけてきた。
 思わず目を白黒させるオレだった。
255:
 その日初めて話しかけられたせいか、オレはいささか戸惑ってしまって曖昧な返事しかできなかった。
 そうじゃなくても先輩はかわいかった。
 十分ほど話したあとオレは、
『よく話しかけてくれましたね。
 この頭のせいで誰も話しかけてきてくれなくて……』
『うん、私も話しかけるのためらっちゃった』
『じゃあなんで話しかけてくれたんですか?』
『背中が寂しそうだったから、かなあ』
 そのときのオレは先輩の言葉の意味をよく理解できなかった。
 ポカンと口を開けたまぬけな顔をしたオレに、
『それにキミってあれでしょ?  私の妹と同じクラスでしょ?』
256:
『あ、もしかして……』
 当時はオレはレミとはまだまともに口すらきいたことがなかった。
 それでも一応クラスメイトだし、そこそこかわいい女子だったので認識はしていた。
『そうは言ってもオレ、あの子と一回も喋ったことないですよ』
『レミもそう言ってた』
 そう言うと先輩はまたニコニコと笑った。
 とにかくよく笑う先輩だった。周りの人を笑顔にさせる人で、人望もあったし人気もあった。
 どちらかというと年上という存在が好きでなかった当時のオレでも、彼女のことは慕っていた。
257:
 べつになにか深い理由があったとは思わない。出会いだってありふれたそれにすぎない。
 いつの間にか先輩に惹かれていた。
 いつの間にか好きになっていた。
 先輩との時間は間違いなく、オレにとってかけがえのないものだ。
 だが――
 どれぐらい走っただろうか。
 肺が突然の酷使に悲鳴をあげていた。
 足に力が入らず、オレは道の端っこに寄ってそのまま座り込んだ。
258:
 身体中の汗腺から吹き出した汗が、外気に触れたせいで体温が急激に冷えていく。
 しかしオレが身震いしたのは、それのせいだけではなかった。
「どっち、だったんだ……」
 最初の出会い。
 その時点でエミ先輩は実はレミだった可能性は十分ある。
 いや、たとえそうじゃなかったとしても。
 視界がチカチカする。
 最初は気のせいかと思ったが、上を見上げると頼りなく揺れていた街灯が切れかかって明滅していた。
 灯りの下。
 オレは道に亡霊のように現れては消える影を眺めながら、レミとの会話を思い出していた。
259:
「私とお姉ちゃんは似ている……だから入れ替われる。
 だったら入替れないようにしたらどうかな?」
「それができないから、今みたいな状況になっているんだろ」
「もちろん。でもたとえば……顔に大きな傷があったりしたら?」
 レミは自分の頬を指先でなぞった。
「……本気で言ってるのか?」
「本当に顔を傷つける必要はないよ。
 とにかく一目見てちがいがわかる特徴をつくればいいの」
 レミの提案は至極まともだった。
260:
「お姉ちゃんを取り戻すなら、これしかないと思う。ただ……」
 そこでレミが言いよどむ。
「なんだ?」
「そもそも入れ替わりをしない方法なら、早い話、私がずっと私であればいい」
「そうだよ。
 同じ人間が二人いるみたいにはなるけど、それでいいじゃないか」
「でも、そうしたときにどうなるかは……わからない」
「そうしたとき?」
 オレがオウムのように言葉を繰り返すとレミは頷いた。
261:
「そもそもお姉ちゃんがおかしくなったのは……私のせい」
 エミ先輩がおかしくなった理由。
 レミがあることがきっかけで先輩との情報の共有をやめたから。
「もしかしたら事態はさらに悪くなるかもしれないってことか」
「うん」
「だけど、なにかしなきゃなにも変わらない」
 そう言いつつも、オレはこの問題において、自分にできることがほとんどないことを理解した。
「ごめん。もう少しだけ考えさせて」
 なんとかしようとする自分の意思が、濡れた紙のようにしわくちゃに萎えていくのを感じて、オレは拳を強く握った。
262:
4
「おっはよー」
 次の日の朝。オレは肩をぽんと叩かれて振り返った。
「……エミ、先輩」
 エミ先輩はにっこりと笑った顔がすぐそばにあってオレは慌てて顔を背けた。
「びっくりしちゃった?」
 ふと寒気がしたのは、秋風がオレの首筋に触れたからだろうか。
 朝からハツラツとしている先輩とは対照的にオレの気分は重かった。
263:
「……ちょ、ちょっと待ってよ。歩くのはやいよ」
「なんですか」
「せっかく朝から、しかも通学中に会えたのに」
「すみません。えっと……」
 オレはなにかを言おうとはしていた。
 だが言葉は一瞬しか浮かばない。
 どれも思考の底に重く沈んで、掬いだすことができない。
「その……」
 まるで長時間話し続けたように舌がもつれる。
264:
「まだ寝ぼけてるの?」
 エミ先輩が肘でオレを小突いた。
「いや、そうじゃないんですけど……」
 言葉尻も曖昧なまま終わってしまう。今までこんなことはなかった。
「じゃあ私が一方的に話してあげる。私、進路変えようと思うんだ」
「東京の大学……受験するのをやめるんですか?」
「まあね。本当のことを言うと、夏の段階でそうしようって決めててね」
「……入れ替わりのせいですか?」
265:
 風が止んだ気がした。
 エミ先輩の足が止まる。
「そうだね。それはあるかもしれない」
「……」
「でも、大学のレベル的には下がるけどそこじゃないとできないことがあるから……」
「そうですか」
 つまり、先輩が卒業したとしても会おうと思えば会えるということだ。
 本来だったらそれは嬉しい報告のはずだった。
「あっ! あとね、文化祭のときは本当にごめんね。あのときは寝込んじゃって……」
 オレは『ちがう』という言葉をなんとか飲み込んだ。
 文化祭二日目。あのときエミ先輩は――。
266:
「前にも謝ったと思いますよ、先輩」
「でも改めて。あのときはキミやほかのみんなにも迷惑をかけちゃったから」
「べつに。もう終わったことじゃないですか」
「うん、そうだけど…………そうだ!」
 先輩は手をパンと合わせた。その音は妙に乾いていた。
「今度の受験。絶対に合格するからさ、そしたら埋め合わせさせて」
267:
「そこまで気をつかってもらわなくても、いいですよ」
「私の気がすまないもん。
 受験が終わったときには十一月も終わって……十二月だね」
「……そうですね」
 ふと自分が一度も彼女と目をあわせていないことに気づく。
 オレが気がついたのだから、鋭い先輩だ。
 彼女はとっくに気づいていただろう。
268:
 オレと先輩の距離はいつの間にかあまりに離れていた。
 
 繕うような言葉では、とうてい埋められないほどに。
 オレと先輩は無言で歩き出した。
 吹いた風が木々から枯れ葉をさらっていく。
 今は色鮮やかな景色もすぐに、色あせてしまうのだろう。
 冬は刻々と迫っている。
 それは先輩との高校生活が終わりに向かっていることも意味していたが、そのことについては考えなかった。
269:
 普段だったら長く感じるはずの授業の時間が、妙に短く感じた。
 授業の内容はほとんど頭に入らなかった。
 しかし、一応黒板に書かれた内容だけはノートにとっていた
 頭の中では煙のようにとりとめのない思考が、右往左往しては消えていく。
 今のところ教師にあてられることはなかった。
 オレは近くの席で、ノートをとっているレミの背中を見た。
270:
 綺麗に伸びた背筋。
 白いうなじ。
 背中まである長い髪はエミ先輩とはちがい頭頂部でまとめられている。
 
 今日一日、まだ一度もレミとは口をきいていない。
 接する機会がなかったわけではない。
 意図的に話すのをやめたのだ。
 ふと無意識にシャープペンをもっていた手が動いていたことに気づく。
 真っ白なノートの真ん中に真っ黒な丸ができていた。
271:
「途中まで一緒に帰ろ」
 執行部の会議が終わったあと、生徒会室で先輩にそう言われた。
 他のメンバーはとっくに帰っていた。
「ねえ、今日なにかあったの? ずっと上の空だけど」
 エミ先輩が心配そうにたずねてくる。
「……」
「……受験終わったら今私が考えてるコワイ話聞いてくれない?」
「受験のことを考えたほうがいいんじゃないですか?」
272:
「それは……そうだけど」
 オレと先輩は生徒会室を出て、職員室へと鍵を返して学校をあとにする。
「ねえ、なんで今日はそんなに歩くのいの?」
「……急いでるんですよ」
「なにを?」
「……」
 先輩に手をつかまれて、オレの足は無意識に止まってしまう。
 先輩を見る。そこにいるのはエミ先輩だ。
 レミとエミ先輩。
273:
 二人の雰囲気はまるでちがう。
 だからこそオレは今まで二人の区別がきちんとできた。
 だが、その身にまとう雰囲気さえも、ふたりは操れてしまう。
「……先輩は昨日、ボクと話していたこと覚えてますか?」
「昨日話したこと?」
「ボクと先輩は昨日、二人で学校が終わったあと二人で帰ってるとき話をしたでしょう?」
「え……?」
 彼女の表情が曇る。
 二つの瞳が困惑に揺れるのを見て、オレは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
274:
「話したっけ……?」
「どうして覚えてないんですか? すごく大事な話をしたじゃないですか?」
 あくまでもオレは淡々と言う。
「エミ先輩。先輩は今までずっとレミと入れ替わり続けてきたんですよね?」
「……なんでそんなことを今聞くの?」
「いいから答えてください」
「……」
 オレは久々にエミ先輩と目を合わせた。
275:
「本当に私は……昨日、キミと帰ってるの?」
 だが、彼女は疑問を口にするだけで答えようとはしない。
 
「……ボクと先輩はけっこう長い時間、一緒に過ごしたりしてますよね?」
「そう、だね」
「色んなことを一緒に経験したと思うんです。
 でも、それって……」
 心のどこかが悲鳴をあげているのが聞こえる。
 これ以上先を言うな。
 喉から出そうになる言葉を必死になにかがせき止めてくる。
 だが、言わなくてもなにを言わんとするかは、先輩には伝わってしまったようだ。
276:
「……そうだね。
 もしかしたら、色々なことが嘘なのかもしれない」
 自分で今の今まで言おうとしていた言葉。
 それをエミ先輩が口にした。
「どこからどこが本当で、どこからどこが嘘か、先輩にはわからないんですか?」
 沈黙が風になってオレと先輩の間をすりぬける。
「――ごめん」
 エミ先輩がオレを横切っていったが、オレは止められなかった。
277:
 ただその影を見送ることしかできない。
「あっ……」
 走り去っていく先輩の背中で波打つように髪が揺れた。
 それはエミ先輩とレミの明確なちがいだった。
「でも……」
 同時にその背中をレミのそれと重ね合わせてしまったオレは、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
278:
 5
 それからのオレと先輩はほとんど口をきくことはなかった。レミも同様に。
 いや、まだレミはオレに話しかけてきたりはした。
 だが、エミ先輩はオレに話しかけてくることさえなかった。
 先輩は無事受験も終わり、あとは卒業を控えるだけ。
 卒業式はすぐそこまで迫っていた。
 そんなとき、レミが教室でオレに話しかけてきた。
 無視しようかと思ったが、レミの様子が普段とはちがうことに気づいた。
279:
「どうした?」
「……最初に言っておくね。
 ここ一ヶ月、私とお姉ちゃんは入れ替わりをしていない」
「え――」
 一瞬その報告に腰を浮かしかける。
 だが、レミの困惑とも悲痛ともとれる面持ちはオレを不安にさせた。
「でも、なにかがおかしい」
「どういうことだ? 
 もっと意味がわかるように説明してくれ」
「うまく説明できない。ただ、ときどき様子が変なの」
280:
「様子が?」
「……なんなのかは私にもわからないけど」
 レミの説明はあまりにも要領を得ていなかった。
「……自分でたしかめたほうが早いか」
 オレは席を立って、レミの言葉にも耳をかたむけず先輩がいる教室へと向かう。
 得体の知れない焦燥感がオレを走らせた。
 三年生の教室へ続く階段を一段飛ばしであがり――
「せん、ぱい……」
 踊り場で、今まさに階段からおりようとしているエミ先輩を見つける。
281:
「あっ……」
 彼女もオレに気づいた。
 が、まるで時間が停止したかのようにそこで先輩の動きが止まった。
「エミ、先輩……?」
 戸惑うオレの目の前で先輩が電池でも切れたように、ガクッと頭をおとす。
 前髪が先輩の顔を隠すように覆う。
「だ、大丈夫ですか?」
 近寄ろうとしたオレは、次の瞬間悲鳴をあげそうになった。
「……っ!」
 先輩が顔をゆっくりとあげる。
 まるで油の切れたゼンマイ人形のような、ぎこちない動作だった。
282:
 前髪のすき間から見えた瞳は、あまりにもうつろだった。
 目の前にいるのはエミ先輩ではない。
 だがレミでもない。
 オレは一瞬のうちにそう確信した。
「誰、だ……?」
「……あ、お……い」
 壊れた蓄音機のような途切れた声がそう答えた。
287:
 先輩がゆっくりと階段をおりてくる。
 ふらつく足取りはさながら亡霊のようだった。
「先輩……」
 エミ先輩が目の前で立ち止まる。
「せん、ぱい……」
 青ざめた唇がオレの言葉を復唱するようにつぶやく。
「先輩……エミ先輩、どうしたんですか……?」
 背中に鈍い衝撃が伝わる。
 オレはようやく自分が彼女から逃れようとして、後ずさりしていることに気がついた。
 彼女の唇がまた動く。
 だが喉から絞り出したようなかすれ声は、聞き取れない。
288:
 彼女の手がオレの頬に触れた。
 血が通ってないかのような冷たい手。
 オレは凍りついたように身動きひとつとれない。
 彼女の顔が髪のせいで見えないことが、オレの恐怖をより一層増長させた。
 どれぐらい時間が経ったのだろうか。
 すでにオレから時間の感覚は消え失せていた。
 不意に先輩の手がオレの頬から離れる。
 気づいたときには先輩はオレに背中を向けていた。
「……っ」
 全身を張り詰めていた緊張が解けて、床に座りこんでしまう。
 そのまま彼女が階段をおりて、見えなくなるまでオレは呆然としていた。
289:
 6
「先輩はどうなったんだ」
 その日の放課後。オレは教室でレミにたずねた。
「……私にもよくわからない。
 ここ一週間ぐらい、私の前ではずっとあんな感じだった」
 レミは思い出すように言った。
 オレは階段の踊り場であったことをレミに話した。
 レミは頬に垂れた髪に指をからめる。
 一ヶ月以上前からレミは髪を染めていた。
 入れ替わりを阻止するための処置だった。
290:
「でもだったら、誰かが先輩がおかしいことに気づくだろ」
「気づかないよ」
 ぴしゃりとレミは言い放った。
 背中を預けていたイスの背もたれから、オレは無意識に身を乗り出していた。
「どうしてだ?」
「基本的にはあんな状態にならないから」
「……」
「私と一体一のときだけ、あんなふうになるの。
 家族でごはんを食べてるときとかは、なにも起こらない」
「じゃあオレとお前だけがあの状態の先輩を知ってるってことか」
「うん」
291:
 オレは状況をうまく飲み込めず、レミを見つめたまま口をつぐんだ。
 レミが髪を染め、入れ替わりを封じることには成功した。
 しかしそれは得体の知れないものを生み出すことになってしまったのかもしれない。
「私のせいでまた……」
 レミの言葉尻は窓から差し込む夕日に溶けてしまい、聞き取れなかった。
 オレはなにも言うことができない。
 オレが止めていれば……いや、オレはレミがこうすることを望んではいた。
 だが……。
「……っ!」
 自分でも説明しがたい感情が声になって、喉を食い破ろうとしていた。
292:
 そもそもレミにそうさせたのは、オレなのではないか?
 いや、そうじゃなくてもオレが先輩を追い込んだのではないのか?
 オレは本来ならあそこで先輩に謝らなければならなかった。
「……なんとかするんだ」
 オレは腰かけていたイスから立ち上がった。
 レミがオレを見上げる。
「どうするの……?」
 一寸先は闇。
 下手なことをすればさらに状況は悪くなるかもしれない。
 オレはレミの質問には答えず言った。
「帰ろう」
293:
 7
 そうは言ったものの、先輩が学校を卒業するまでに変化したことはなにひとつなかった。
 何度かレミの家にも行ったが、ほとんど先輩には会えなかった。
 たとえ会うことができたとしても――。
 オレとレミは三年にあがった。
 オレは鬱屈とした気持ちを振り払うように再び執行部に入った。
 レミも同じように執行部に所属することになる。
 季節が夏にさしかかろうとするころには、オレもレミもエミ先輩について触れることはほとんどなくなっていた。
 もはやエミ先輩とは話すことすらできないのか。
 時間とともに胸の底に沈殿していく絶望感から目をそらすために、オレは勉強や生徒会活動に打ち込んだ。
294:
 だがあるとき『彼女』がオレのもとへと訪れた。
 その日は担任と進路について職員室で話していた。
 そのとき担任に言われたのだ。
『――が来ていたぞ、卒業生の。
 お前のこと探してたよ。ただ奇妙だったな。なぜか……』
 最初担任が口にした名字が誰のものかわからなかった。
 次にレミを思い浮かべたが、卒業生ではないことに気づく。
 そして、意味を理解したときにはオレは叫んでいた。
『どこに!?』
『え? ……あ、たしか――』
 担任がその場所を言ったときには、職員室を飛び出していた。
295:
『エミ先輩!』
 先輩は生徒会室にいた。
 生徒会室に入ると、オレの目に見覚えのある背中が飛び込んできた。
『せん……』
 オレはそこで奇妙なことに気づいた。
 見覚えのある背中にかかった髪と。
 制服姿。
 なぜ大学生になったはずの先輩が制服を着ているのか。
『あ、先輩!』
 エミ先輩が振り返る。
296:
 長い髪が波打つように翻るのが、やけにゆっくりと見えたのは今でもはっきりと覚えている。
 久々に見る先輩の笑顔。
 自分の感情を制御できなくなるぐらいの喜びが訪れるかと思った。
 だがなにか違和感のようなものが胸に引っかかる。
 オレはその場から動けないでいた。
 久々に見た笑顔。だが記憶と齟齬がある。
ヒマワリのような笑顔を見せた先輩にオレは、
『先輩、ですよね?』
 答えた声は天真爛漫そのものだった。
『なにを言ってるんですか?
 先輩はそっちじゃないですか』
297:
 彼女が少しだけ戸惑ったように唇を尖らせる。
 
 見覚えのある表情。
 だが、度のずれた眼鏡をかけているような違和感はさらに大きくなる。
『せ、先輩……な、なにを言ってるんですか?
 そういうタチの悪い冗談はやめてくださいよ』
『冗談じゃないですよー』
 跳ねるようにエミ先輩が近づいてくる。
298:
 揺れる髪。
 チェックのスカート。
 柑橘系の甘い匂い。
 目の前の顔はエミ先輩そのもの。
『はじめまして、ではないですね。以前にも何回も会ってますし』
『……』
『一番最初に出会ったのはたしか……ああ、階段の踊り場ですね。覚えていますか』
 まるで星を散りばめたように爛々と輝く瞳は、やはりオレが知ってるそれとどこかちがう。
299:
『あのときはきちんと挨拶できなかったんですよね。
 先輩も全然反応してくれませんでしたし』
 脳裏をよぎったのは虚ろな瞳と、掠れた声。
 オレは無意識にいつか言った言葉を口にしていた。
『……お前は誰だ?』
 彼女は首を傾げて微笑む。
 だが、あのときとちがってオレの質問に少女は答えた。
『アオイって言います』
 よろしくおねがいします――彼女はオレに向かって手を差し出した。
305:
 8
 アオイ。
 先輩の中に新たに生まれた少女。
 会話を通してわかったことがいくつかある。
『エミ……誰ですかその人は?』
 まずエミ先輩を知らないということ。
『先輩って先輩のことなんじゃないんですか?』
 オレのことをどういうわけか知っているということ。
『レミ……はあ、その人も知らないですよ』
 エミ先輩と同じようにアオイはレミも知らない。
『私のことはどうでもいいじゃないですか。
 それよりもっと楽しいことを話しませんか?』
 なにかを聞こうとすると、彼女は笑ってそう言うのだった。
306:
「意味わかんねえよ」
 エミ先輩。レミ。
 そしてアオイ。
「あのアオイっていう女の子はいったいなんなんだ」
 執行部の活動が終わり、オレとレミは小さな公園のベンチに二人で座っていた。
「会ったんだね、あの子に」
 風に揺られるブランコは錆びれていて、悲鳴のような音をたて続けた。
「……アオイについて知ってたんだな。なんで言わなかった?」
「お姉ちゃんに秘密にしてくれって……」
「……それはつまり……先輩はお前の前では自然な状態だったってことか?」
 今にも溢れそうな怒りはかろうじて残った冷静さによって、喉元で止まっていた。
 オレはできるかぎり声のトーンを抑えた。
307:
「うん、ここ一ヶ月ぐらいは」
「どうして教えてくれなかった?」
「お姉ちゃんが言うなって言ったから」
「だからなんでだ!?」
 人気のない公園にオレの怒鳴り声が響く。
「どうして? オレに秘密にしなきゃならない理由があるのか!?
 あるならそれはなんだ!?」
「これ以上キミに迷惑をかけたくないって……」
「迷惑って……」
「お姉ちゃんが言うには、アオイに関してはよくわからないみたい。
 時々ふらっと現れるみたいで」
「……」
308:
「ただ私になるときとちがって、記憶がなかったりアオイって子の存在もはっきりと認識してる」
 汗がこめかみを伝うのは、圧迫してくるような夏の暑さのせいなのか。
 それとも。
「……オレはもうエミ先輩と会うことはできないのか」
「……」
「わからない。でもひとつだけ状況がいい方向に変わったことがある」
 オレは隣に座っているレミを見る。
 レミは目の前の砂場を眺めていた。
 夏の夕日に赤く染まる横顔は、なにかをこらえているようにも見えた。
309:
「ここ半年、私はお姉ちゃんと一度も入れ替わっていないの。
 だから少なくとも入れ替わりについてはもう、考える必要はないはずだよ」
 だがその言葉を聞いても、オレは素直に喜べなかった。
 それどころか、時間とともに色を濃くしていく夕焼けのように、オレの不安は強くなる一方だった。
「……本当にそうなのか?」
「……なにが?」
「お前たちは本当に入れ替わっていない。
 そう言い切れるのか?」
 レミがオレへと向き直る。
 夕日を背にしたレミの表情が暗くかげる。
「エミ先輩は入れ替わりの自覚をなくしているときがあった。
 そしてお前はそうじゃないと言い切れるのか?」
「私も無自覚にお姉ちゃんになってるかもしれないって言いたいの?」
310:
 レミの眉がすこしだけ険しくなる。
 オレは二人の秘密を知ってから意識とは無関係に、二人を重ねて見るようになってしまった。
「じゃあ……証明してくれよ。
 オレを……納得させてくれよ、安心させてくれよ……」
 レミの背後に浮かぶエミ先輩の影が、単なるオレの思い込みだと。
 どうしようもない痛々しい勘違いであると。
「……」
 レミは唇をきつく結んだままなにも言わない。
 風が強く吹いた。
 ブランコの揺れる音が、沈黙を埋めるようにきぃきぃと虚しく鳴る。
311:
「……そうだね。
 私が本当にレミだって、キミに納得させるのは難しいかもしれない」
「……」
「でも、それでも私はレミだよ」
「どうしてそう言い切れるって聞いてんだ……!」
「……去年の文化祭のこと、覚えてる?  一日目の文化祭が終わったあとのこと」
 忘れられるわけがなかった。
 あの日の前日、オレは真相を知った。
 そして、文化祭一日目の終わりにオレはレミと話をした。
312:
「あのときのこと、私はたぶん半世紀ぐらいは忘れないと思うんだ」
 吹いた風が隣から柑橘系の甘い匂いを運んで、オレの一年前の記憶を呼び起こした。
 一年前。
 夕焼け色で満たされた教室。
「……あのとき私、キミに遠まわしに告白したんだよね」
 レミの遠まわしな告白。
 それに対してオレがしたことは最低なものだった。
「あのときのこと。
 あれされもキミは私じゃないと否定する?」
 実はあの時点でレミとエミ先輩が入れ替わっていた。
 その可能性はないと言い切れるのか。
 いや、今でさえ――
313:
「あれは絶対に私」
 冷たく澄んだ声。
 やっぱりその声はエミ先輩のそれとそっくりだった。
 だが、なにかがちがう。
 強い意志がにじみ出たような、そんな声だった。
「あのとき、キミに向けて言った言葉は私の言葉」
 夜に波立つ海のように揺れる瞳が、オレを見据える。
「キミに向けた想いは絶対私のもの。
 お姉ちゃんのものなんかじゃない……」
 レミが声を詰まらせる。
314:
「この思いだけは絶対に私のものっ……!」
 喉を振り絞って出すような声。
 オレは眼を疑った。
 レミがこんな顔をするなんて初めてだった。
「……でも、キミはお姉ちゃんのことが好き……だから…………っ」
「オレは……」
「……私も……協力するから…………あきらめないで……お姉ちゃんを取り戻すのをあきらめないで……!」
 レミの頬を伝う涙が、夕日に輝く。
 レミを覆っていたエミ先輩の影を照らすように、オレンジ色の光が優しくレミを包み込んだ。
315:
「これでいったいどうしろって言うんだよ……」
 レミから渡された十数枚のA4用紙。
 そこにはエミ先輩の作った物語が綴られていた。
 あのあとレミは涙をぬぐい、
『これを渡しておく』
 と、この用紙をオレに手渡し、
『今日のことはいつか忘れて。今は覚えていてもらわないと困るけど。
 あと、私もできるかぎり協力するから』
 早口でそう言うと彼女は走って先に帰ってしまった。
 オレはと言えば、公園に残ってレミ先輩の物語を読んでいた。
 そして、今まさに読み終わったところだった。
316:
「あの人って意外と根暗なのかな……」
 内容は母が死んだ娘に年下の母親ができるというものだった。
 よくよく考えればあの人の物語はどれも暗いものばかりだった。
 オレはベンチから立ちあがった。
 重く垂れこむような蒸し暑さのせいで、オレの背中は汗をかいていたが、不思議と気にならなかった。
 オレは自らを鼓舞するように呟く。
「取り戻す……エミ先輩を取り戻す」
 いつの間にか風はやんで、揺れていたブランコがきしむ音も消え失せていた。
317:
9
 そこからちょくちょくとオレの前にエミ先輩、いや、アオイは現れ、そのたびにオレはとにかく様々なアプローチを試みた。
 しかし夏休みを終えてもなお、解決策は見つかりそうにもなかった。
 オレの前に現れるのは、決まってアオイ。
 エミ先輩はわずかたりとも姿を見せることはなかった。
 そうして夏休みが終わり、いったい次はどうしようかと悩んでいた矢先に、またアオイがオレのもとを訪れた。
 ちょうどそのときのオレは、エミ先輩が通っていた大学について調べていた。
 オレはエミ先輩と同じように執行部会長をしたことにより、もしかしたら推薦でその大学に行けるのではないか、という可能性に気づいたのだった。
 進路について一通り調べたオレは次に文化祭の方の活動を始めた。
 そのときだ、アオイが生徒会室に入ってきたのは。
318:
 そしてしばらくアオイが一方的に話し続けた。
 いつもどおりのことだったので、オレはスマートホンに文化祭実行委員たちのメールアドレスを手打ちする作業を続けていた。
 だが、次にアオイが口にした言葉でオレは一瞬手を止めた。
 先輩、と前置きをしてからアオイが言った。
 ヒマワリのような笑顔を添えて。
『せっかくだしコワイ話してください』
おわり
319:
最終話「エミ」
320:
 1
「……いったいなんの話をしてるんですか?」
 アオイが首をかしげる。
「もういいんだよ」
「なにがですか?」
「さっきも言ったとおり、エミ先輩を返してもらうんだよ」
「言ってる意味がわからないですよー。
 エミ先輩って……前も聞かれましたけど、私は知りませんよ」
「いいや、お前はエミ先輩を知ってるよ。間違いなく。
 お前はオレにきちんとヒントを残した。」
 オレは断言した。
「さあ――ここからは解決編だ」
323:
二話冒頭見たら主人公が女の「せっかくだしコワイ話してください」の後に沈黙してるけどこういうことだったんだな
325:
「お前がエミ先輩のことを知ってる。
 その証拠は、オレが学校掲示板の話をした日にある」
「……あの話を聞いたとき、ですか?
 私、なにか変なこと言いましたか?」
「正確にはあの話をする前のことだ。
 けどまあ、こんなファミレスの中で話すのも雰囲気でないし、とりあえずここを出ようか」
 オレは伝票をもって立ち上がった。
326:
 2
 すでに外は真っ暗になっていた。
 オレとアオイはとりあえず歩くことにした。
「話の続きをしてくださいよー。
 ていうか先輩、絶対トンチンカンなこと言ってますからね」
「……あの日、オレが話をする前に頼んだことを覚えてるか?」
「たしか、議事録というのを取りに行かされましたね」
「そうだ。オレは議事録を職員室からもってこいって頼んだ。
 だけどアオイちゃん。お前は職員室には行っていないんじゃないか?」
 オレはアオイのほうは見ないで言った。
「なに言ってるんですか。
 誰が先輩に議事録を渡したと思ってるんですか?」
327:
「……そうだな。議事録をオレに渡したのはお前だ」
「じゃあやっぱり……」
「しかしその議事録を職員室から運んだのは、お前じゃない――レミだ。
 ちがうか?」
 アオイが立ち止まったので、オレも足をとめた。
「なにを根拠に言ってるんですか?」
「これがミステリー小説だったら、かっこよく推理したりし始めるところなんだろうけど。
 まあべつに簡単なことだ、レミに聞いた。それだけだ」
「……」
「あのときレミは本当なら家に帰っているはずだった。
 だが、あいつは実際にはオレがあの怖い話をし終わったあと、生徒会室に来た。
 それはなぜか?」
 オレはアオイの方を向いて言った。
328:
「お前がレミを電話で呼び出したんだ。
 それで議事録を取ってきてもらうように頼んだんだろ。
 職員室に行けば、もしかしたら面倒なことになる可能性があったからな」
 アオイの表情に初めてかげりがさした。
「お前とレミの容姿はほとんど一緒。
 しかし、同時に今は決定的なちがいがある」
 オレはアオイへと手を伸ばした。
 一瞬だけアオイが怯えるように首をすくめたが、オレは構わずその黒髪に触れた。
「レミは生徒会メンバーであり、同時に優秀な生徒だ。
 しかしそうでありながら、うちの学校で髪を染めてる数少ない生徒でもある」
 レミの髪色は今はかなり明るいものになっている。
「レミについて知らない教師はいない。レミに対してお前は髪を染めていない。
 しかしエミ先輩も先生たちには顔を知られていた」
「……」
「議事録のあった場所は生徒指導の教員の前。
 今は部外者であるエミ先輩が、はたしてそれを取り出すことができるのか。そう思ってレミに頼んだんだろ」
329:
「……でも、だったらあのときレミさんが生徒会室に来たとき……そのことについて触れたりするんじゃないんですか?」
「そんなのは簡単。レミに電話をする瞬間だけエミ先輩に成りきればいい。
 レミは先輩にたいして罪悪感を抱いているからな。彼女の頼みごとならすぐに聞く。
 それにレミは議事録に関して、お姉ちゃんに頼まれたってオレに言ったよ」
「……まったく、まさかそんなとこが推測の材料になるなんて……」
 アオイは唇を曲げるように笑った。
 その顔はエミ先輩のものでもなければ、ましてレミのものでもなかった。
「すごいトリックを使って人を殺したのに、全然関係ないことでバレて逮捕されてしまった犯人のような気分です」
「そのたとえはよくわからないな」
「……先輩、いったいどこへ向かっていたんですか?」
 不意にアオイが話を変える。オレは答えた。
「学校だ」
330:
 3
 夜の校舎はすでに閉まっていて、入るのには少しだけ苦労を強いられた。
「なんでここなんですか」
「オレとエミ先輩で一番思い出のある場所っていうとやっぱりここなんだ」
「やっぱり先輩ってエミちゃんのことが好きなんですね」
「……」
 オレとアオイは体育館裏の前に来た。
 オレたちの話し声だけが、暗い体育館裏で存在していた音だった。
 深呼吸をして、乾いた唇をなめる。
「……お前はいったい……なんなんだ?」
「その質問に答えるのは少し私でも難しいかもしれません……って、そんな顔をしないでくださいよ。
 できるかぎり、がんばって答えますから」
 アオイは微笑む。
 その笑顔はエミ先輩を思わせた。
331:
「私も自分がいつから、こんなふうに普通の人みたいに振る舞えるようになったかは、はっきりとわかりません」
「気づいたら生まれていた、ってことか」
「まあそんな感じですかね」
「……なんでアオイちゃんは生まれたんだ?」
 彼女は顎に指を当ててしばらく考えてから言った。
「うーん、そのことに関して言えば、先輩はわりと心当たりがあるのでは?」
 彼女の瞳が猫のように少しだけ細められる。
 オレは一瞬だけ視線をそらしかけた。
「オレが先輩を無視するようになったからか?」
332:
「正解なようで、少し違います」
「……」
「結局エミちゃんは先輩に拒絶されたことも、先輩に迷惑をかけることにも耐えきれなかったんですよ」
 オレはエミ先輩の秘密を知り、彼女が怖くなった。
 無意識にオレはアオイを食い入るように見つめていた。
「受験のこととかもあったし、あのときはレミさんによって無理やり入れ替わりも封じられたこともありました」
「その結果、お前が生まれたのか?
 いや、でもそうだ……先輩の中にはレミが……」
「そこらへんは私も曖昧なんですけど。
 ……エミちゃんはある意味で、彼女の中のレミさんに依存していました」
「依存……?」
333:
「はい。レミさんと入れ替わるうちに、エミ先輩は自分の中にまでレミさんを作ってしまったみたいで……。
 でも、本来一人で請け負うことを二人でやったらラクでしょ?」
「なるほど、それで先輩は日常的にレミに依存するようになったのか」
「でも、入れ替わりができなくなったことで、そういうわけにもいかなくなりました」
 レミによってエミ先輩の中の『レミ』は役目を果たさなくなる。
 さらに今までエミ先輩の分の負担をも背負っていたレミが消えたことにより、エミ先輩はおかしくなった。
「その過程で生まれたのがおそらく私です。断言はできないですけど、おそらく……」
「じゃあレミは……」
「私という存在が生まれたことにより、いつの間にかいなくなっちゃいました。
 そう何人も召し抱えるほどの余裕は、エミちゃんにはなかったんじゃないんですか?」
「召し抱えるって……けど、じゃあもうエミ先輩はレミになることは……」
「ないはずです」
334:
 オレは次の瞬間には地面に座り込んでしまっていた。
「せ、先輩?」
「ごめん、なぜか急に足の力が抜けちゃって……」
「まあ完全には断言できませんけどね。
 でももうずっとエミちゃんがレミさんになることもないですし、大丈夫なはずですよ」
 アオイがオレに向かって手を差し出したので、その手を握る。
 その指先の冷たさには覚えがあった。
 オレが立ち上がると、アオイは話を続けた。
「でも私は私という存在がなんなのか、よくわかっていません。
 そしてそれはエミちゃんも同じなんです」
「……話を聞いていると、アオイちゃんはずいぶんと先輩のことを知っているみたいだけど……」
「はい、そーですけど」
 少しだけアオイは言葉を濁した。
335:
 アオイの表情が悲しげに曇る。
「先輩の書いたあの話、あれは先輩が私とエミちゃんのことを予想して書いたんですよね」
「まあ、な」
 あの話は山月記を参考にした。
 あまりにもオレの作ったものが稚拙なので、そのことは言わないが。
「間違ってはいませんよ、あの話」
 またアオイがオレにむかって微笑む。
「だんだんと私のほうが、エミちゃんよりも主体となって身体を使うことができるようになって……私、楽しかったんです」
「そうか……」
「それに……」
 アオイはそこで言葉を切った。
 オレは不思議とアオイを責める気持ちにはなれなかった。
336:
「それに、たとえそうだとしてもエミちゃんは、先輩の前には現れようとはしませんでした」
「……」
「大学生活とかは普通にエミちゃんが主体になってましたけどね。
 まあ、あんまりこれ以上語ると、エミちゃんに申し訳ないんで」
「申し訳ない?」
 オレは思わず聞き返してしまった。
 少しだけアオイの顔に呆れたような表情が浮かぶ。
「先輩ってちょっと鈍いところありますよね」
「はあ?」
「エミちゃんも言ってましたよ」
「マジかよ」
337:
 オレは項垂れたが、ふと気になることを思い出してアオイにたずねた。
「アオイちゃん。お前のその設定はいったいどこから出てきたんだ?」
「設定?」
「設定というか……名前とかもそうだし、オレのことを先輩って呼んだりとか、けっこう引っかかる部分があるからさ」
「そこらへんは私にもよくわかりません。
 そういうことなら、エミちゃんに聞いたほうがいいんじゃないですか?」
「…………会わせてくれるのか?」
 自分の声がみっともなく震えているのがわかる。
 鼓動が胸のうち側で、徐々に大きくなっていく。
338:
「エミちゃんだって、先輩だって……ずっと会おうと思えば会えたはずです。ただそのきっかけがなかった」
 アオイが右手を差し出した。
「アオイちゃん……?」
「もしかしたら、これで私の役割は終わるかもしれません。
 だから握手してくれませんか……お別れの挨拶として」
 オレは少しだけ迷ってから彼女の手を握った。
 なにかを言おうと思ったが、どんな言葉もこの状況には相応しくない気がした。
 だからオレはなにも言わなかった。
「もしまた私と出会うことがあったら、そのときはコワイ話を聞かせてください。
 ……って、これからエミちゃんに会えるのに、なんでそんな悲しそうな顔をするんですか?」
「……なんでお前は反対にこれから消えるかもしれないっていうのに……そんな嬉しそうな顔してるんだよ」
「私は、ヒマワリのように明るいのが取り柄ですから」
 彼女がにっこりと笑った。
 その笑顔は宣言通り、ヒマワリのようだったが星のきらめきのように儚げでもあった。
「さようなら――」
339:
 4
 不意に彼女の身体がかたむく。
 オレは慌てて、支えよとしたがその必要はなかった。
「……あっ」
 彼女が倒れそうなところで踏みとどまった。
 ゆっくりと顔を上げる。
 自分でも不思議なことに、目の前の彼女がアオイではないということが手に取るようにわかった。
 彼女は目にかかった髪を指ではらう。
 深い夜のような瞳がオレを見た。
340:
「せん、ぱ……い……」
 視界が滲んであやふやになっていたのに、オレは目の前にいる人がエミ先輩だと確信した。
「……なに泣いてるの?」
 ずっと聞き続けていたはずの声なのに、数十年ぶりに聞いたような懐かしさがオレの胸を締め付けた。
 アオイの天真爛漫な笑顔とも、レミの控えめな微笑みともちがう、エミ先輩の――
 顔が熱い。
 視界はぐちゃぐちゃだ。
 胸が苦しい。
 なにもかもわからない。
 先輩に会ったら言いたいことがたくさんあったのに……言葉は声にならずに全て嗚咽になってしまった。
「……ずっと待たせちゃって、ごめんね」
 オレは気づいたときには先輩を抱きしめていたが、はたから見たらそれは、しがみついているようにも見えたかもしれない。
341:
 ここから二十分ほどのことは語るつもりはない。
 ただ先輩も結局泣いたが、それ以上にオレが男泣きしたせいでなかなか話が進まなかった……とだけ言っておく。
 色々とお互いに謝ったり、久々の再開を喜ぶ言葉をぶつけあったりしたそのあと。
「あの学校掲示板の話がなかったら、ボクは決心がつかなかったかもしれません」
 オレは鼻をすすってから言った。
 涙声で先輩が答える。
「……あの話じたいはそんなに気に入ってなかったんだけどね」
「でも、あの話のメッセージに気づいたのはボクじゃないんです」
「……レミってこと?」
「ええ」
342:
「レミにもたくさん迷惑をかけちゃったからね……」
 あのとき、レミがオレにあの話の意味を教えてくれなかったら、今のこの状況はありえなかっただろう。
 空を見上げるレミ先輩の瞳は、まだ涙のせいで輝いていたがやはりアオイのそれとはちがった。
「……あの子、アオイは結局なんだったんですか?」
 エミ先輩は口もとをおさえた。なにか言葉を探しているようだった。
「……あれもやっぱり私だよ。
 私の中にいたレミとはまたちがう存在で……ごめんね、なんだかうまく説明できなくて……」
 それと、と先輩がオレの方を見た。
「……アオイから聞いたよ。キミがコワイ話を考えたってね」
343:
「ああ、でもそんな大した話じゃないですよ」
「うん、それもアオイから聞いた」
 
 お互いに久々の会話のせいかぎこちない気がした。
 どこか言葉を手探りで探しているような違和感。
 オレは深く息を吸い込んだ。
「あの……先輩」
 エミ先輩の目が驚きに見開かれる。
 たぶん察しのいい先輩だ。オレがなにを言おうとしているのか、わかったのかもしれない。
 拳を強く握る。
 唐突すぎないか。
 いや、今がベストタイミングだろう。だが……様々な思考が脳みその中を高で駆け巡る。
 オレは深く息を吸った。
344:
 エミ先輩もなぜか姿勢を正して、神妙な面持ちになる。
 その頬は妙に赤くなっている。
「あの……エミ先輩。オレ……」
 額に浮かぶ汗をぬぐう余裕すらなかった。
 言葉が喉の奥からなかなか出てこない。
 もう一度鼻から息を吸う。
「……うん、大丈夫だから」
 音を立てて顔に血が上る。
 だが、その言葉のおかげでオレは先輩に言わなければならない言葉を口に出すことができた。
「エミ先輩、オレ――」
おわり
345:
女「あー……すみませんちょっと待ってもらっていいですか」
男「……は?」
女「自分でもすごく悪いタイミングで出てきちゃったとは思うんですけど……」
男「………………ちょっと待て。お前まさか……」
女「はい……アオイです」
男「……」
女「えっと、言い訳させてもらってもいいですか」
男「……」
346:
女「エミちゃんの精神的負担をレミさんとか私で、和らげていたって話はしましたよね……?」
男「……おう」
女「それでエミちゃん、久々に先輩としゃべるってことですごい緊張しちゃったみたいで……」
男「もしかしてすごい疲れた、みたいな感じか?」
女「はい。それですごいタイミング悪く私に代わちゃったみたいです」
男「……」
女「……」
男「いや、アオイちゃん。お前を責めるつもりはないけど……ないけどさ。
 さっきわりと感動的なおわかれしたよな?」
女「……そうですね」
347:
女「あ、でもでも!  やっぱり先輩がいけないんですよ!」
男「は?  なんでオレが?」
女「私ずっと指摘しようと思ってたんです。
 先輩が私の名前を間違ってること」
男「……名前を間違ってる?  なんの話だ?」
女「先輩が私につけたあだ名で『ヒマちゃん』っていうのありましたよね?」
男「……あったな。それのなにがおかしいんだ」
女「私のフルネームは日向アオイです」
男「やっぱりヒマちゃんであってるじゃん」
女「……先輩は私の名前をつなげてヒマワリと読むつもりだったんでしょうけど。
 ヒマワリの感じは『向日葵』です」
男「……ほんとだ。間違ってる」
348:
女「その間違いに実はあの握手の瞬間に気づいちゃって……しかし、あの場面じゃ指摘できないし」
男「まさかそれでお前、まだ残ってたのか?」
女「そうかもしれませんね」
男「……はあ」
女「その……タイミング悪くてごめんなさい」
男「……いや、でもアオイちゃん。
 お前がまだこうしているってことは、エミ先輩はお前を必要と思ってるからだろ」
女「……先輩」
男「……帰ろう。レミも心配してるだろうし、送ってくよ」
349:
女「あ、そうだ。私との約束覚えてますか?」
男「約束?」
女「次に会うことがあったらって言ったじゃないですか」
男「いや、あれはお前と会うとしても当分先のことなのかと……」
女「ええー、まさか約束を破るんですか?」
男「……あのなあ」
女「男に二言はないはずですよ!
 それに私はいつ消えるかわかりませんし。だから――」
女「せっかくだしコワイ話してください」
お わ り
350:
ここまで読んでくださった方ありがとうございました。
コワイ話はこれにておわりです。
気づくと全然怖くない話になりましたが……次はまったくちがうss書くのでそのときはよろしくおねがいします
351:
第一話「アオイ」 >>224-318
第二話「年下の母親と」>>8-60
第三話「学校裏サイトにご用心」>>78-175
第四話「侵食」>>192-220
最終話「エミ」>>319-344
前作女「せっかくだしコワイ話しない?」
http://minnanohimatubushi.2chblog.jp/archives/1860660.html
本当にありがとうございました
次は学園ラブコメ書くんでそのときはまたよかったらみてください
352:
おつおつ、よかったよ
353:
最後の最後で先輩が救われてよかった
>>1乙
次のも期待してる
35

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